よくしてくださる神


2009.1.25(SUN)
新城教会 滝元 明 牧師

ルカの福音書12章28節〜31節
「しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」

 ハレルヤ!一言お祈りします。
「愛するイエス様、これからあなたのみ言葉を学びますが、このみ言葉が一人一人に命となり、力となりますように助けて下さい。私の小さな知恵も、また言葉も、あなたにお捧げしますから、聖霊様によって助けて下さい。主のみ霊があるところに自由があると書いていますから、自由をもってあなた様が導いて下さい。
 また、この中で弱っている方や、風邪を引いておられる方をイエス様のみ名によっていやしてくださるようにお願いします。これからの時間を、主イエス様の御名によって、父なる神様に栄光が帰せられる時でありますようにお助け下さい。尊いイエス様のみ名によって、感謝をこめてお祈りします。アーメン」

皆さん、おはようございます。今日はこうして、皆さんの前に立って礼拝でお話しできることを心から感謝します。
私は一月二二日から昨日まで、岡本信弘先生と共に韓国リバイバルミッションの準備のために、韓国へ行って来ました。特にこの度は、会場を押さえる契約のために行きました。去年から、韓国リバイバルミッションの実行委員長である李浩文先生は、「韓国では前年には契約せず、開催の年になってからする」ということなので、実際に場所を使うことができるかどうか、今まで不安だったのですが、今回、李先生が中に入って市長さんにお会いしてから会場に行き、担当の方と岡本先生とが話し合いを持って、契約を結ぶことができました。
これで、今年の五月二八日から三一日までの四日間、韓国リバイバルミッションが開催できることになり、本当に感謝です。皆さんのお祈りに感謝します。いくら会場費用がかかるかということは、まだ決定ではありませんが、だいたい八百万ウォンで借りられるのではないかという試算です。

韓国に行った時、今思えば霊的な戦いだったと思いますが、その晩なぜか頭や顔がかゆくなりました。私は寝付きが良い方で、いつもなら三十秒で寝入りますが、その時は十分くらい眠れませんでした。ところが朝になると、今度は岡本信弘先生が頭痛と腹痛で一日中断食をされていました。(今朝お会いしたら完全によくなったと聞いて感謝します。)
韓国では二三日から急激に温度が下がり、マイナス十度位になりました。私は夜宿舎に帰ってから個人的に祈ろうと思い、四〇分位、外に出て祈りましたが、すごく冷たかったです。着込んでいても、外気に触れている皮膚はあまりの冷たさに、ひりひりしていました。それで、顔が痒くなったので薬を塗ったのですが、寒さのために火傷したように腫れて少し赤くなってしまいました。でも、この程度で無事帰ってくることが出来て、本当に心から感謝です。

今日も順牧師は韓国に居りますから、お祈り下さい。昨日帰るときには、大雪で飛行機が三〇分位遅れましたが、無事に帰ることが出来て、神様に心から感謝しています。これからのリバイバルミッションの働きのためにも、守られるようにぜひ覚えて祈って下さい。
一三日の夜は、メソジスト教会に行きました。十一月にもメソジスト第一教会という教会に行きましたが、あたかもNHKのホールに入ったかのような設備に驚きました。礼拝には大体三千人集まるそうですが、私が十三日に行った教会も大きな教会で、テレビ塔の様な十字架が立っています。近代的な大きな教会で、徹夜祈祷会に三百人くらい集われていました。その集会で奉仕したのですが、聖霊が力強く働いて下さって、牧師先生が「良かった」と言ってくださいました。私が「リバイバルミッションの本大会では、会場が毎日一杯になりますように」と言いましたら、その先生が信仰を持って「必ず一杯になります」と言って下さいました。どうか今後の働きのためにお祈り下さい。特に、韓国は新城以上に寒いですので、風邪をひいたりすることがないように覚えてお祈り下さい。

これから、み言葉を学びたいと思いますが、ルカ十二章二八〜三一節。

「しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。」

 今日は、この所から題を「よくしてくださる神」とつけました。二八節の所に、「ましてあなた方にはどんなによくしてくださるでしょう」というこの言葉を中心に、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
私は家に居るときには毎朝早天祈祷をして聖書を通読しています。二二日に通読したのはルカ十二章でしたが、特に私の心の中に強烈に飛び込んできたのは、『ましてあなた方にはどんなによくしてくださることでしょう』というみ言葉でした。「ああ、素晴らしい、今度も絶対に韓国において祝福される」と期待します。

十一月十四日から十七日まで、私と家内と中国の大連に奉仕に行きました。行く前に神様から与えられた御言葉は、マラキ書三章十節のみ言葉で、「私はあなた方のために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなた方に注ぐかどうか、試してみよ」これが与えられた時、家内に、「今度は中国で、溢れるばかりの恵みをあなた方に注ぐとイエス様がおっしゃられたよ」と言いました。私の家内も、その信仰を持って共に大連に行きました。み言葉通り、私たちは大連においてあふれるばかりの祝福をいただきました。
もし、大連から私に「また来て、メッセージを語って下さい」と言われても、あまり行きたくありません。なぜかといいますと、あまりに良くして下さったからですが、本当にイエス様がよくしてくださったと思います。

今度の韓国の集会は、イエス様ご自身が「どんなに良くして下さることでしょう」とおっしゃっておられますから、どんなに良くして下さるのか、期待をしなければなりません。
いつも私が語ることですが、私の信仰そして心の中に、“土台”として握っている御言葉は、開拓伝道時代、下津具に入った時に、山の中で与えられたみ言葉です。それは、神様がアブラハムにおっしゃった言葉でした。文語体の聖書では、「神は不義な方ではないから、あなたが先に仕え、今もなお仕えてみ名のために表した愛を忘れることがない」そしてさらに続けて「神は指して誓う所無き故に、おのれを指して誓う。『我、必ず汝を恵み恵まん。増やし増やさん』」と。この言葉を私に直接語って下さいました。

まだ家もなく、就職先もなく、これからどうやって伝道したらよいのかわからないその頃に、「イエス様、あなたは不義な方ではないから、『必ず“恵み恵まん、増やし増やさん”』そのみ言葉を信じます」と祈りました。

あれからもう、六十年近くになりますが、考えると何もないところから開拓伝道して、こうして素晴らしい礼拝堂が与えられ、みなさんと共に礼拝ができることは、当時からすれば夢のような出来事です。ほんとうに、「恵み恵まん、増やし増やさん」です。また、甲子園や武道館やハワイでも集会させて頂きました。神様は本当に私たちの思いを超えた恵みを下さいました。
私は新しい年が来ると、毎年新たに「恵み恵まん」と語られたことを思うのです。新改訳聖書では「私はあなたを大いに祝福し、大いに増やそう」という訳し方がされていますが、私は「恵み恵まん」の方がいいと思います。「恵まれた上にさらに恵みが与えられる」と言うことですから。

クリスチャン生活というのは、信じたら必ず、恵みの上にまた恵みが与えられます。ですから、皆さんも信仰を持ちましょう。今はどんな状況であっても、必ず、恵んで下さいます。そして、「どんなに良くして下さることでしょう」と書いています。
その前を見ると、イエス様ご自身が、分かりやすい話をしています。「空の鳥を見なさい、野の百合を見なさい」と。それはどのようにして育つのか、栄華を極めたソロモンでも、この花の一つのようにさえ着飾っていなかったではないか、と。そして「ましてあなた方にどんなに良くして下さらない事があるでしょう」今日あって、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえも、こんなに美しく装って下さるのだから心配することはないと。

皆さん、聖書というのは景気や社会がどうだとか、またどんな時代の移り変わりにも動じることなく変わることがありません。今から二千年ほど前に書かれた聖書のみ言葉が、歴史の中で同じようにそのまま語り継がれてきました。
この度は、オバマさんがアメリカ大統領になり、アフリカ系の方が大統領になったということは画期的だと思います。「聖書を良く読んでください」と彼が言っています。やはり、聖書を読み信じる事は非常に大切なことです。私達も心配しないで、信じていきましょう。ルカ十二章二四節を読むと

「烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。」とあります。

 聖書を見ると、一羽の雀も忘れられていないと鳥について述べられた箇所がありますが、ここではカラスが出ています。
 皆さん、カラスのことを考えてみたことがありますか。好きですか、嫌いですか。カラスというと一般的にはあまり良いイメージがありません。雀というと「一羽の雀に」などという賛美歌がありますが、「一羽のカラスに」などという歌はありません。何となく、カラスには嫌なイメージがあります。私が幼い頃のこの辺りの迷信ですが、人が山に仕事に行く時、カラスが「カァ、カァ」と鳴いているのを聞くと、「今日は悪い日だ、仕事は止めておこう」などと言っていました。しかし、神様から見ると、カラスも同じ鳥であり、神様が命を育んでおられるのです。

今年の一月十一日から十三日まで九州で集会をし、その日の午後からは北海道に行ってリバイバル聖会をしました。私は毎年、何回か北海道に行きますが、その集会は二九年間も毎年続いています。その中で一番多く集会を開いたのは登別温泉です。登別に行くと山の中に地獄谷という所がありますが、その聖会では朝五時頃からそこで早天祈祷会があります。零下何十度までなりますから、完全武装で雪を踏みしめながら行きます。そこでひとつ楽しみにしていることがあります。朝の五時からですので辺りはまだ真っ暗なのですが、祈っているうちに、だんだんと夜が明けて、やがてカラスのすごい声が響き渡ります。何百羽何千羽というカラスが、カァカァ鳴きながら飛び立って行きます。私はカラスにもリーダーがあると思います。「お〜い、今日は登別に行くぞ」とか、「今日は室蘭に」といって一緒に隊列を組んで行きます。
以前、北海道のある所に講演に行った時、今でも覚えていますが、一人の観光客の女性がじゃがいもを焼いたものを買って食べようとしたら、飛んできたカラスがさっと奪ってしまいました。カラスはしたたかだなと思います。

でも、聖書を見るとそんなカラスでも、「鳥の事を考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども神は鳥を養っていて下さいます。」
皆さん、あなたと鳥とどちらが優れているかというと、あなたは鳥よりもすぐれています。だから心配しなくてもよいのです。そして、神様がおっしゃっておられることは、あなたに対して、「どんなに良くして下さることでしょう。カラスさえもよくして下さっているのだから、ましてあなたに良くして下さらない事はありませんよ」と。

私の大好きなみ言葉に、ヨブ記三八章四一節があります。「烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのはだれか。」と。
このみ言葉が私は好きです。カラスの子が、餌が無くて「カァ、カァ」と悲しい声で泣き叫ぶとき、餌を与えるのは誰でしょう。皆さん、カラスの子さえも神様は忘れていないとしたら、まして私達を必ず覚えて下さるということですから、信じましょう。

今年は不況など色々なことがあります。しかし、皆さん一人一人に、「カラスの子が泣き叫ぶ時にえさをあげるのは誰か、カラスのことを考えてみなさい」とありますから、カラスでさえ神様が養って下さるのだから、心配しなくても良いのです。ルカ十二章二五節と二六節には

「あなた方のうち、心配したからといって自分の命を少しでも延ばすことができますか? こんな小さなことさえできないで、何故他のことまで心配するのですか」

今日、みなさん心配がありますか。どんなに心配したからといって、「命を少しでも延ばすことはできない」というのは、ある意味において、神様が命を握っておられますから、あなたは命のことを心配しなくていい、ということです。

私は今年で八十歳ですから、よくメッセージの中で「私はもう行く先長くないと思う。あと三〇年くらいかな」とあちこちで話していますが、実際はそれもわからないことです。
近頃考えていることは、士師記の、あの素晴らしい力あるサムソンのことです。サムソンは、デリラというペリシテ人の女性に誘惑され、彼女に力の源の秘密を漏らしたために、ペリシテ人の陰謀に掛かって捕らえられ、両目をえぐり取られて投獄されてしまいました。「不信者とくびきを同じにするな」とありますが、結婚でもクリスチャンはクリスチャン同士で結婚しないといけません。どんなに綺麗な女性でも、目をえぐり取られてしまっては惨めです。

しかし、彼が牢屋の中に入れられて後、ペリシテ人が宴会の余興にサムソンを笑いものにしようと呼び出して、踊りをさせようということになりました。何千人という大勢の敵の前に引き出され、屈辱の中でサムソンが祈ったことは、「神様、私の二つの目のためにも復讐させてください」でした。そして彼が、屋敷を支えている二つの柱を力いっぱい押し倒したところ、その柱が倒れ屋敷は崩れ落ちました。その場にいた人々は倒壊した建物の下敷きになり、サムソンもろとも、皆死んだと書かれています。サムソンには、「イスラエルの人々をどうしても救わなければいけない、そのためなら私も一緒に死にます。どうかそのために力を与えて下さい」という執念がありました。

この箇所を思いながら、三六年間一緒に片目か片腕のようにして共に働き、4年前に私よりも若く天国に召されていったT先生のことが心に浮かびました。勿論神様の主権の中での出来事ですので仕方ないのですが、「なんで早く死んでしまったのか」という思いもあります。
また、リバイバルクルセード時代からリバイバルのため一緒に働いてきた、あのK先生も、四年ほど前に亡くなりました。あの方々は私にとっては、二つの目のように大切な方々でした。ですから、あの人たちのためにも敵であるサタンとその軍勢に復讐するために、「日本にリバイバルを与えて下さい」と祈っています。サムソンが、生きている時よりも死ぬ時にもっと多くの人々を殺したとあるように、「イエス様、これからの残りの生涯、日本に大きなリバイバルを起こして下さい」というのが今の私の気持ちです。
ですから皆さん、覚えて祈って下さい。イエス様が残りの人生の中に素晴らしいことをしてくださるに違いないと思います。

そこで皆さん、私たちは、「どんなに良くしてくださるでしょう」と、これからの人生を神様が必ず良くしてくださると信じて下さい。

今日の週報の報告欄に、「二月七日(土)、S兄弟とR姉妹の結婚式が、午後二時から新城教会にて行われます」と書かれています。皆さん、覚えてお祈り下さい。
結婚式ということは、非常に素晴らしいことで、聖書のヨハネによる福音書二章一節。

「それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」

とあります。イエス様が行われた最初の奇跡は結婚式でした。ですから、今度の結婚式に主の栄光が現れるようにお祈り下さい。
私が結婚したのは一九五〇年六月十七日です。今時の結婚式とは大分違います。私の場合、信仰故に両親は結婚に強く反対していたので、式には来てくれませんでした。兄が一人と東京の叔母が心配して見に来てくれました。家内の方は、お母さんと弟が来てくれました。東京の久留米の辺りは紫外線が強く、家内は日頃から日焼けして顔が黒かったんです。彼女のお母さんは心配して、「清子。あなたは化粧しなさい。」と言いました。しかし彼女は「イエス様が下さった顔で結構です」と化粧をしませんでした。今の人達は綺麗に化粧しますが、私はどちらかといえば化粧しないほうが好きです。
ところが結婚式になると、付き添いの二人が急に「あら、斉藤先生(清子)の顔が白蝋みたい」と声をあげました。家内の顔にスウッと主の臨在が現れたようでした。僕の生涯の中で、あのように綺麗な家内の顔を見たのは初めでした。
彼女のお母さんは、未信者でしたが、「清子があんまり黒い顔だったから、イエス様が可哀想だと思って、あのようにしてくれた」と言いましたが、まさしく神様の栄光を見たと思います。

その時には、上松先生が説教して下さりリース先生が司式でした。その時の説教が、このカナの婚礼の箇所からされていました。水をくんできて、なめたらものすごく美味しかったので、世話役が言ったことは「普通の結婚式では最初に良いものを出して酔わせ、後から悪いのを出すけれど、あなたはよくも最後まで良いものを取っておきました」というところから、クリスチャンの結婚生活も、「初めより後のほうがずっと良くなります」と言われたのは、今でも忘れることは出来ません。
結婚して今年で五九年目になりますが、感謝なことに、一緒に福音のために仕えることが出来て、あの結婚式で言われたことを、神様が約束として果たして下さったと思い感謝しています。

皆さん、クリスチャンになると、初めより終わりが良くなります。結婚生活も、だんだんと良くなりますから、信仰を持っていきましょう。結婚生活で一番の敵は何かというと、浮気ですから、それをしないことです。そして、愛し合うことが大切です。よい家庭ができるように祈って参りましょう。そこで、イエス様がおっしゃっているみ言葉のなかに、ルカ十二章二八節。

「しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。」とあります。

何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、気をもむことをやめなさい。人生のなかでいつも気をもんでいる人がいます。「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と。皆さん、心配したり、気をもむことをイエス様は喜ばれるでしょうか。喜びません。「なぜ気をもむのですか、なぜ心配するのですか」と悲しまれます。
「よく心配してるね、素晴らしい」とは決して言いません。イエス様がおっしゃったことは、「あぁ、信仰の薄い人達だ」と言われているのです。「信じなさい、神を信じたら祝されるから」と。私達は、これからどんな時代が来るかわかりませんが、イエス様に信頼しましょう。マルコ十一章二二〜二四節のみ言葉で、特に二二節を読んでみましょう。

「イエスは答えて言われた。『神を信じなさい』」もう一度、「神を信じなさい」

今年は、しっかりと神を信じましょう。景気が悪いこともあるかもしれませんが、神様は素晴らしいお方ですから信じましょう。この言葉を信じましょう。
また二三節には、「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

皆さん、本気で信じたら、山に向かって海に移れと言ったら移りますよ、と言われているのです。山というのは、教会から向こうに見えているような山もありますが、人生の中にも色々な“山”があります。どうしてこんな問題が、というような経済や家庭など色々な問題が私達の前にはありますが、「神を信じなさい」神様は山を移すことができますから、不可能に見えることでも神様は解決して下さいます。

昔聞いた話で、アメリカの教会で一人のお婆ちゃんが、礼拝の中で語られていた説教で、「信じて山に向かい、「海に入れ」と言うならその通りになる」と聞き、「すごいことを聞いた」と思ったそうです。
家に帰ってから、家の前にある山が無くなれば景色が良くなるから、神様に、「どうかこの山を移して下さい」と祈ったそうです。
次の朝、お婆ちゃんは山が動いたかどうか、楽しみにして窓を開けたら、昨日見たと同じ山が座っていたそうです。するとお婆ちゃんは「やっぱりなぁ、そんなことだと思ったよ。」と言ったそうです。
私たちも何か問題が来たときに、「ああ、そんなことだと思った」と言うようなものではなく、信じる事が大切です。

昨日、私は韓国から戻る際に、中部国際空港を使いましたが、この空港は世界でも一番良い空港だと思います。とても理にかなった美しい設計がされています。この空港の土地は、山から石や砂を持ってきて、海を埋め立てて造成されました。ですから、この空港のために、ある山は無くなっているのです。人間の力でも“山を移す”事は出来ます。
とすれば、皆さんが持っている問題も神様にあって“移る”ということを信じる信仰を持たなければいけません。信じたらイエス様が喜んで下さいます。
「だから、あなたがたに言うのです。祈って求めた物は何でもすでに受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります。」

皆さん、神様が祈りを聞かれるのは、心が純粋で幼子のような信仰をもつ人の祈りを、神様は受け入れて下さいます。「信じます」と本気になって信じたら、その通りになりますと書いてあります。
マルコ六章一四〜二一節

 「弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」 「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」

ここに、イエス様ご自身が、とても面白い言い方をしています。弟子達と一緒に船に乗ったときに、パンが一つしか手元にありませんでした。その時、イエス様が「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」と言われました。弟子達は、最初は実際のパンの事をおっしゃっているのかと思ってしまいましたが、勘違いでした。イエス様は、「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」とおっしゃいました。これは、ある意味で叱責の言葉です。時々、私達の信仰生活にもそういうことがあります。

一昨年はハワイでリバイバルミッションを開催し、日本武道館や甲子園球場でも集会をもったり、リバイバルクルセードの時代を合わせると三九年もやっています。考えてみると、武道館で集会をしたのは一九九八年ですが、その二年前に私が祈りの部屋で祈っているときにイエス様が、「勇気を出しなさい、あなたはエルサレムでわたしのことを証したようにローマでも証しなければいけない」と、あたかも私の目の前にイエス様がお立ちになっているかのように、目には見えないけれど、はっきりとイエス様が私に語りかけて下さいました。あまりの主の臨在に私は感動して激しく泣きました。
その時に感じたことは、「あなたはエルサレムで私の事を証したように」とは、甲子園でリバイバルミッションを行ったことであり、「ローマでも」というのは、「東京でも」やりなさい、という事だと思いました。私は涙ながらに、「イエス様、わかりました、やります。」と言いました。

実は、甲子園以後、北海道から九州まであちらこちらで集会すると、多くの人から「滝元先生、いつ東京でミッションをやってくれるのですか」と何度も言われました。「今は時ではない」と言うと、真っ赤な顔をして「先生、今が時ですよ」と怒られてしまいました。
何故、時ではないと思ったかというと、当時東京には、甲子園ミッションに反対していた有力な先生方がおられたので、実のところ遠慮もあったのです。
しかし、イエス様が、「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムで証ししたように、ローマでも証しなければいけない」と言われた時には、「これはイエス様の言葉ですからやります」そして早速、「今度は、東京でやりたいと思います」とリバイバルミッションの実行委員会で発表しました。その時私はできたら一ヶ月やりたいけど多すぎるから、十日間にしたいと提案したところ、私の最も信頼していた友人の田中先生は、すぐには同意しかねたように、「十日間?どこで?」と言うので、「日本武道館でやりたいと思う。」
田中先生は信仰のある方でしたが、その時は反対して、「先生、そりゃ無理だ、十日間も武道館でなんて、貸してくれるわけがない。」
私は「あたってみなきゃ、分からんじゃないか。」しかし、ミッションの中での私の役割は、ビジョンを持つ事です。そんな雰囲気にも動じることなく訴えたところ、とうとう岡本信弘先生が、「では武道館に行って聞いてくる」言って会場側と話してくれました。
そして帰って来て何と言ったかというと、「今までどんな素晴らしいミュージシャンであっても武道館を十日間も貸したことはない、日程に日曜日を二回入れることも出来ないから一週間だけ貸してあげましょう」と言われたそうです。
更に「武道館との契約は正式には大会一年前です。その時点で、もし残りの三日間が空いていたら貸しましょう」と言われたというのです。ですから皆に頼みました。「その三日間の所に天のみ使いを遣わして、絶対に他の人が申し込むことがないように祈りましょう!イエス様、どうかその三日間に他の人が申し込むことがありませんように」と祈りました。

そして大会一年前になった時、正式に発表して宣伝も開始しなければなりませんでしたから、岡本先生がもう一度行って交渉して下さいました。そして、「どうですか、残り三日間は空いてないでしょうか」と言ったら、意外な言葉が返ってきました。「おたくは最初から十日間申し込んでいたではないですか。だから、空けてますよ」と。
神様は確かに、会場の方々の心を動かして三日間を空けさせて下さいました。あの時は、会場を一日借りるのに幾らかかるかというと三百六十万円です。しかし、残りの三日間は三百万円でいいということでした。それでも、十日間借りたら三千万円以上です。また音響や照明を入れると、会場費は一日に一千万円、だから十日間では最低でも一億円かかります。
全日本リバイバルミッションは金持ちではありません。信仰によって活動する宣教団体ですから。でも、イエス様が武道館でやりなさいとおっしゃるので信仰を持って「やります!」と挑戦しました。与えられた額はどうだったでしょうか。大会中、あのロン・ブラウンさんが演奏した時には、満員の九千六百人が集まり、素晴らしい集会になりました。神様は必要を満たして下さり、終了時には三千万円位黒字になりました。

それから二〇〇〇年には、東京で四〇日集会をしました。その時は当初大変苦戦しました。三千万円は全て会場費にあててしまい、どうなるかと心配しましたが、イエス様が「金のことは心配するな。私が与える」と語りかけてくださいました。結論から言うと、全て与えられました。考えてみると、甲子園や武道館、東京で四〇日も伝道大会をやって、大阪でも四〇日、沖縄でもハワイでもやり、今度も韓国で「全部、全日本リバイバルミッションが必要経費をもちます」と言っています。何をあてにしているかというと、皆さんの懐ではなく、やはり全てを満たして導いて下さるイエス様です。

イエス様は必ず与えることが出来ると信じ進もうとするときに、「金が与えられるのか、大丈夫かな、難しいぞ」とサタンは攻撃してきます。しかし、イエス様がおっしゃったことは、「まだ分からないか、まだ悟らないのか、心が固く閉じているのか、目がありながら見えないのですか、耳がありながら聞こえないのですか、覚えていないのですか」
これは、誰かにではなく、私に対する神様からの挑戦の言葉です。「はい、分かりました。今まで助けて下さったから信じます。悟ります。あなたこそ、主です。神にとって不可能はありません」「心が固く閉じているのですか」心を開きます。「目がありながら見えないのですか」はい、見ます。
「耳がありながら聞こえないのですか。」はい、聞きます。あなた方は覚えていないのですか」はい、今まで三九年、リバイバルクルセードが助けられてきたことを思うと、私は信じなければなりません。信じるお方は、私を救い、十字架にかかりよみがえられたイエス様です。ですから本気で心から信じなければいけません。皆さんも信仰を持ってください。

最後に一つ、ルカ十一章九〜十三節 声を出して読んで下さい。

「私はあなた方に言います。求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます。誰であっても求める者は受け、探す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなた方の中で子供が魚を下さいという時に魚のかわりに蛇を与えるような父親がいったいいるでしょうか。卵を下さいというのに、誰がサソリを与えるでしょう。してみると、あなた方は悪い者であっても自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。とすればなおのこと、天の父が求める人達にどうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

皆さん、これを考えてみると「お父ちゃん、魚を下さい。」と言ったときに蛇を上げるような父親はいないとあります。「卵を下さい」と言ったときにサソリを与えるような父親もいないとあります。あなたがたは不完全なものであっても、愛する我が子になら良いものを与えるではないですか。だからなおのこと、天の父が、求める人には“どうして”聖霊を下さらないことなど絶対にありません。

皆さん、一番良い贈り物とは何でしょうか。聖霊様です。「良いもの」とは、心に宿って下さる聖霊をイエス様が与えて下さいます。聖霊様が一緒にいたら、これからの人生は心配ないのですから、皆さん、聖霊様を求めていきましょう。まだバプテスマを受けてない方は、信仰を持ってバプテスマを受けてください。今日何か問題を持ってここにいる方は、主を求めて、疑わないで信じて下さい。悟って下さい。目で見たことをちゃんと見て下さい。聞いたことをちゃんと覚えて下さい。そしてこれから、信仰もって戦っていきたいと思います。

一緒にお祈りしましょう。
色々な問題があるかもしれませんが、祈りを答えて下さる主に信仰を持って祈っていきたいと思います。皆さん、ご一緒にお祈りしましょう。

愛する天のお父様、心から感謝します。今日はあなたご自身が、素晴らしいみ言葉を私達に与えて下さったことを心から感謝します。イエス様あなたは「野の百合を見なさい」とおっしゃいました。また、「カラスのことを考えなさい」とおっしゃいました。そして、「ましてあなた方にはどんなに良くしてくださることでしょう」と言われました。これから良くして下さることを信じます。また、どうか私達の不信仰を赦して下さい。「ああ、信仰の薄い者達よ」確かにそうですが、主よ、上からの信仰を与えて下さるようにお祈りいたします。
これから聖餐をいただきます。イエス様、あなたがパンをとって「これはあなたがたのために与えられる私の体です」とお仰せになりました。あなたが肉を裂き、血を流してまで、十字架において私達のために救いを完成してくださりました。本当に最高のものを与えて下さったイエス様、あなたの聖餐にあずかります。「まして、あなたに聖霊を下さらない事はない」とありますから、今日の聖餐の時にも、主の霊によって病める人は癒されるように、経済的に乏しい人は与えられますように、特に私達の中から不信仰を取り除いて信仰を持って従うことが出来るように助けて下さい。イエス様の名前によってお祈りします。アーメン。


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