ジョー・ハイト師特別講演記録
「主は今共におられる」


2009.2.8(SUN)
ヤキマ・バリーフェロシップ
ジョー・ハイト牧師

ルカの福音書2章1節〜7節
「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」

 今朝は、「主は共におられる」という主題で、おなじみのジョー先生がメッセージを語って下さいます。通訳は山崎ランサム先生です。それでは皆さん、大きな拍手で先生を迎えたいと思います。

順先生は私の一番の親友です。今から話す冗談は翻訳不可能だと思いますが、寛容をもって笑って下さい。
ロン(サックスプレーヤー、ロン・ブラウン氏。この日の礼拝に参加している)、あなたは「モッド・スクオッド」という番組を覚えていますか?アメリカの70年代のテレビ番組ですが、若い三人の警察官を描いた話です。その言葉は“現代的なかっこいい人達”という意味です。その登場人物は、黒人が一人、白人が一人、そして金髪の女性が一人でした。金髪女性は、アメリカの俗語で、「頭がおかしくなった」という言葉があるのですが、黒人が一人(ロンさん)、白人が一人(ジョー先生)、おかしな人が一人(順先生)です。
私達は兄弟です。長い間、主に共に仕えてきました。ここにロンさんと一緒に来ることが出来て感謝しています。

順先生が、ルカの福音書の二章一節から七節を読んで下さいました。普通はここからクリスマスのメッセージが語られることが多いと思います。クリスマスとして一般的に祝われている十二月二五日という日は、実際にその時イエス様がお生まれになったのか、疑問があります。その日は冬至に近く、太古より様々な神々を礼拝する日でした。ヨーロッパの様々なカルト宗教では、冬になると太陽の力が段々と弱まって、冬至を過ぎると再び力が盛り返していく、それを願い祭る事が行われていました。ある宗教で行われていたことは、常緑樹を家に植え、“この木が青々としているように太陽もまた力を取り戻してくれる”そう願ってツリーを飾っていました。ローマ・カトリック教会が段々と力をつけるに従って、そのような思想を外から取り入れ、その日を“イエス様がお生まれになった日としよう”と決めていったわけです。この様に宗教的な行為が融合していくことを、シンクレティズム、あるいは混合宗教といいます。それは、偽りの他宗教をキリスト教の中に取り入れていく、そのような行為です。

イエス様が本当にお生まれになったのはいつか、様々な議論があります。通訳者の方が色々ご存じかもしれませんが、実際のそれはクリスマスの二ヶ月くらい前だったかもしれません。十二月にイエス様の誕生日をお祝いすることは大切ですが、同時にこの日が、本当にイエス様がお生まれになった日ではないかもしれないという事も、頭に入れておかなければなりません。もしかしたら、私達は正確な日付を知っていないかもしれないけれど、神様はそれさえも用いて良いわざをなされることを信じたいと思います。
使徒の働き十四章十六節から十七節、また第一歴代史十六章二六節もその事を語っています。

順先生は、私が今お話ししたこの考えについて、すでに語って下さっているかもしれませんが、私達は親友ですのでお互い遠慮はありません。
これから話すことは、もしかしたら議論を呼ぶことかもしれません。それは、この世界の全ての文化の根底には、悪魔的なものがあるいうことです。日本、アメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、全ての文化は、「自分たちの文化こそ神様から来ている」ことを証明しようとしています。
私の住んでいるヤキマという場所には、アメリカインディアンの方々が何世紀にもわたり住んでいます。彼らもまた、世界の創造についての神話を持っています。古代のバビロニア帝国も同じように“創世神話”を持ち、光と闇から自分たちが作られたと信じていました。ナチスドイツでは、ヒトラーが“ゲルマン民族”こそ、神から選ばれ世界を征服すべき民族だと信じていました。私達は、自分の文化が何を意味しているか、聖書的な視点で考えていくときに、様々な問題を見いだすのです。

昨日の結婚式で申し上げましたが、創世記には「神様が人間を男と女に、神の形に従って創造された」と書かれています。ご存じのように、創世記を読むと神様が人間のために造られたこの土地が、人間が罪を犯したことによって呪われ、神様の支配から切り離されてしまったとあります。人間が神の形に似せて造られたのは、パラダイスで神様と共に住むためです。私は最近どこに行ってもこの話をしますが、ここにおられる全ての方々は、神様の形に似せて造られ、神様と共に住むように造られたのです。

最初に作られた男と女はサタンに誘惑されて罪を犯し、神様に反逆したため楽園を去らなければならなくなりました。実は、人間が楽園から追放されたことも、神様の憐れみによるのです。何故なら人間が罪あるままで神様と共にいたならば、死んでしまうという事を知っていたからです。ですから、神様が人間を楽園から追放されたのは、私達が神様から離れて、神様が私達を救い、贖い、きよめる計画がなされるまで、安全に守られるためであったということができます。

ここにおられる皆さん、それぞれに大好きな食べ物があると思います。・・・岡本信弘先生、昨日までは私の好物はピザが一番でしたが、これからは信弘先生の造った刺身になりました(結婚披露パーティーで刺身を提供した)。味噌カツも好きですが、信弘先生の刺身のほうがもっとおいしいです。
皆さん、断食して何日も食べなかった経験がおありでしょうか。そんなときに頭に思い浮かぶのは、私なら、「ああ、信弘先生の刺身・・・」と好きな物ばかり考えてしまいます。
私達と神様との関係も同じようなものです。私達か神様から離れ、楽園を去らなければならなくなったので、私達は神様に対する飢え渇きを持つようになりました。たとえ気付いていなくても、私達の内側には、「楽園に戻りたい、再び神様と一緒に過ごしたい」という飢え渇きがあるのです。もし、あなたが楽園で神様と共に住むように造られたのに、そうでないならば、あなたの内側に神様を求め楽園を求める飢え渇きが生じてくるはずです。
実はサタンも私達がその様な飢え渇きを持っていることを知っています。

サタンは、何千年にわたって世界のあらゆる場所に現れ、人々に偽りをささやいています。「お前をパラダイスにもう一度連れて行ってやろう!」
私達はあまりにも楽園に飢え乾いているので、彼の声に耳を傾けてしまうのです。悪魔は、「もしあなたがこの岩を拝むなら、お前を楽園に連れて行ってやろう」「この木を拝めば・・」とささやきます。
聖書の中にも出エジプト記の中で、モーセが山に登って神様から十戒を受けている間に、下で待っている民は、「自分たちに神様を作って下さい」と言い、アロンは金の子牛を作ってそれを拝ませたと書かれています。
ヨーロッパでもアジアでも、日本、オーストラリアでも世界中どこでも、同じような偽りがなされています。様々な偶像の神を拝み、なんとかして楽園に辿り着こうとした試みの結果として、様々な文化が生じました。例えば、ヨーロッパ文化はバビロンやギリシャから生じ、アジア文化はインダス川流域などから発展しました。そのような文化は、やがて国家を作っていきます。

私達の教会では、ほぼ四年に一度、大きな“戦い”があります。私達の教会に来ている方々は異なった様々な思想・信条を持っておられるので、意見には多様性があります。アメリカでは四年ごとに大統領選挙がありますが、私の教会の中にも、どちらの候補者を支持するかで意見が二分されます。アメリカがキリスト教国家だという考えがありますが、個人的には間違いだと思っています。私は毎回その選挙について説教します。なぜなら、ある人々は支持の理由に、「この候補者は、対立する候補者よりも良いクリスチャンだ」と信じているからです。
今年の場合だと、ある方はマケインがアメリカの救世主だと言い、他の人は、いやオバマだと言います。そんな時私は、「祈って神様が誰に投票するよう導いておられるのかを求めなければいけません」と言います。
アメリカ人は、大統領選挙について非常に情熱を燃やします。そして私は「この人達はどちらもイエス様ではなく、アメリカは神の国ではありません。アメリカを含め全ての国家の希望はイエス・キリストだけです」と教えます。イエス様は、「この世の国は私のものではありません」と言われました。イエス様がすべ治めておられるのは、神の国なのです。私達はイエス様に頼っていかなければなりません。私達は指導者のために祈り、投票するという責任を持っていますが、私達が信頼するのはイエス・キリストなのです。

今アメリカは悪い状況にあります。個人的に、オバマ氏がこの情勢の中で大統領に立候補したことに信じられない思いです。
経済の状態は最悪と言っていいほど悪くなっています。1930年以来最悪の状況かもしれません。他国との関係においても、アフガニスタンやイラクでは戦争も起こっており試練の時です。シアトルではボーイング社に働いていた一万人が解雇されました。マイクロソフト社では五千人解雇しました。アメリカで最も自動車の販売台数が多いのは日本のメーカーです。デトロイトではアメリカの自動車会社があまりにも悪く、そのうち一社は倒産するのではないかと噂されています。デトロイトで働いている人々は、多くが自動車産業の悪化を受けて職を失うでしょう。スターバックスでさえも経営困難にあり、売り上げが半減したと言われています。しかしそれは、順先生が教会のカフェでコーヒーを飲むようになったせいかもしれません。

日本においても同様な経済的困難を迎えています。どんな人間も、この問題を解決することはできません。神様は人を使い指導者を使います。また、政府も使います。主は、それをすることができるのです。私達は指導者を敬わなければいけません。たとえ、その人々がクリスチャンでなくても、聖書には指導者を敬いなさいと書いてあります。その様な困難の中で私達が希望を持つべきお方は、イエス・キリストお一人なのです。
その事をふまえながらルカの福音書二章を読みますと、素晴らしい事が書かれています。それは、神様ご自身の政府・権力がこの地に来られたということです。私達がイエス様にあって受けている神様のご臨在は、旧約時代には見られませんでした。旧約聖書の中では神様は預言者を通して語られました。そして、神様は荒野の幕屋の中に住まわれていました。
また、後にはエルサレムの神殿の中に住まわれました。今、私達の内側にイエス様が住んでいて下さる、その様な祝福は、昔は無かったのです。聖霊様のご臨在もありませんでした。神様に容易に近づくその様な方法は無かったのです。けれどイエス様が神様に直接近づき、神様のご臨在をいつも持つことが出来る、そのような道を開いて下さいました。

三位一体の図をご覧下さい。真ん中に“神”という言葉が書かれています。上には“父”なる神様が 右側に“聖霊様”、左側に“御子”が、そして、三極をつないで外側にある点線は、父と子は同じでなく、父と聖霊、聖霊と子も同じではない、ということが示されています。
知っていただきたいことは、子なるイエス様がこの地上に来て下さった時、神様ご自身がこの地上に来て下さったことです。イエス様が言われたのは、「私があなた方の罪を贖い、死んでよみがえって父のみもとに行くときに聖霊を送る」と約束して下さいました。
聖霊はあなたを慰めて下さり、力を与えて下さり、あなたがたの内に住んで下さる事です。それは、アニミズムにあるようなものではありません。聖霊はあなた方の間、教会に住んで下さるのです。教会はいわば聖霊の入れ物であり、聖霊は神様ご自身です。神様が来て下さったのです。

その事は、旧約聖書の中で神様が預言者を通して語られ、幕屋に住まれたような時代と違って、今神様ご自身がここに居て下さり、神様の力、神様の国がここにあるのです。クリスマスの時に、「神様が来て下さった」という事実をお祝いします。その時から全てが変わりました。イエス様の身代わりの死によって私達の罪が許され、神様と共に住むことが出来るのです。

エペソ人への手紙には、私達は神様の右の座に座らせられ、天の所にあるとあります。イエス様と共あるならば、あなたは約束の地にすでにいるのです。あなたは、神様の王座の部屋にいつもいるのです。天がここに引き下ろされて、天と地がここに存在しているのです。
エペソ人への手紙には、もう一つの素晴らしいことが書かれています。私達がイエス様と共に神様の右に座らされているなら、私達の立場は、全ての支配、全ての主権、力、諸々の暗闇の力の上にあると教えているのです。ただ単に地獄から救い出されたというものではなく、罪から救われたというのでもありません。私達は今や、敵を打ち負かす力が与えられているのです。そして神の国が私達の間にあるのです。

私が新約聖書から神の国について学んだ結果、教会こそが神の国であるということを確信しました。この世で聖霊により力を与えられた教会よりも強力な存在は、他にありません。それが、クリスマスの本当のメッセージなのです。
アメリカでクリスマスに一般的に連想されるのは、この絵の様に“赤ちゃんのイエス様とそれを抱くお母さん、お父さん”のイメージです。よく、子供がクリスマス劇をしているようなシーンです。ここから読み取られるメッセージが重要でないなどとは言いません。この絵は神様ご自身が人間の姿を取って来て下さったこと、神様ご自身がへりくだって、人間に頼り生活されました。それは、ちょうど順先生のお孫さんが、お父さんとお母さんに頼らなければ生活できないのと同じ事です。
イエス様も幼子として来られた時、そのような守りを必要とされていました。神様が、私達と関係を持ちたいと、あまりにも強く願われ、へりくだって人間の姿で来て下さり、私達の保護・世話を受ける姿をとって下さったのです。

しかし、アメリカでは往々にして、ここで止まってしまっているのです。クリスマスのメッセージは、これですべてだと思ってしまっているのです。クリスマスのプレゼントを交換する事が商業的行事になってしまっています。“ウィー”をもらうなどしてクリスマスを楽しんでいます。しかし、その中で本当のメッセージを見失ってしまうのです。

次の絵は、本当のクリスマスのメッセージを示したものです。イエス様は、占領軍の司令官として、この地に来て下さいました。イエス様が来て下さった時、暗闇の領域への侵入が始まったのです。イエス様が来られてご自分の軍隊、つまり私達を再編成し始めたのです。イエス様が来られたと同時に、新しい政府がこの地上に始められました。イザヤ書には「主権はその肩にあり…」と書かれていますが、この新しい主権・政府がこの地上を訪れたのです。
ですから、クリスマスのメッセージというのは、幼子イエス様が生まれたと言うだけではありません。本当のクリスマスのメッセージというのは、神の国の軍隊が、この地上に侵入して全てを変えようとしたということです。

この神の国の到来ということについて、簡単に見ていきたいと思います。第一に、イエス様が父なる神様より送られ、サタンが支配しているこの国・領域に侵略し新しい政府を作ろうとしておられる事です。
第二に、この政府というのは現在この地上にある政府とは違い聖霊によって力づけられた、永遠に続く支配によるものです。この地のすべての政府は永続するものではありません。
第三に、この政府は仕える政府です。イエス様は仕えるために来て下さいました。
アメリカのような民主主義の国であっても、指導者は私達の上から権力を及ぼそうとします。アメリカでも、政府で働く人のことを“公僕”人々に仕える人ということを言いますが、本当に仕えて下さる方はイエス様なのです。イエス様は敵を打ち破り、私達を救い、永遠のみ国に導いて下さるのです。
第四に、私達は永遠に続くみ国に参加できます。それを私達は教会と呼びます。私達は永遠に住まうことが出来るのです。

C・S・ルイスという有名な作家がいますが、彼は「教会とは、永遠に続くものであり私達も永遠であり、それは宇宙の全てよりも長続きするものだ」と言いました。この教会の一部である私達は、宇宙全体よりも長く生きる存在なのです。私達は将来、地球とか宇宙の歴史を、遠い昔のことと思える時が来るという事です。きっと私達はその時、神様のみ国に長く住んでいると、「地球でかつて生きていたことを覚えていますか?」という日が来るのです。「時間が存在していたとき」のことを。それは本当に大切なメッセージだと思います。

私達はともすると、地上のことに捕らわれ、よい仕事だとかお金だとか環境のことなど、エネルギーを使って一生懸命に働いてしまうものなのですが、本当は私達はもっと永続するもののために働かなければならない、それが教会なのです。
私の教会員が、天国で、マケイン議員とオバマ氏の事で口論したことを思い出し、「どうしてあんな馬鹿なことを考え議論したのか、また誰が牧師になるべきだとかお金の事で争ったりしたのか」と考えるようになるのです。それは、昔の「おとぎ話」のようになってしまうのです。そのような永遠というものが今この地上に侵入してきているのです。

五番目のポイントは、地上で私達の力では到達することができないようなレベルにまで高められていくことができる、ということです。この自分自身だけで頑張っているよりも、もっとお互いに一致することができるのです。そして、聖霊様のご臨在によって教会にいるすべての人々と結びあわされていくときに、あなた方の賜が互いに用いられていくことができるのです。

六番目には、コロサイ書にあるように“イエス様ご自身が教会の頭である”ことです。そして頭である方から私達は全てを頂くことが出来ます。
七番目に、“教会は世界の希望”であることです。聖霊様により力を与えられた教会という存在が、この世に対して祈りをもって神様に仕えていくときに、他のどんな存在よりも大きなインパクトを与えることが出来るのです。

神様の支配がここにあります。神の力がここにあります。あなたがたの内側には世界を変える力があります。
しかし時として、私達は神様の神の国ということをとても小さく限定して考えてしまい、一部分しか見ることが出来ないでいます。神の国は無限であり、永遠の存在であります。エペソ人への手紙には、「神様の計り知れない知恵が現され、全てのリソースが教会に与えられるとあります。
ここにおられる全ての方々は、この世に対して教会の豊かさを流し出していく存在なのです。けれども私達は今ここにある生活に頭を捕らわれ、神のみ国という事をとても小さく考えてしまいます。

氷山の絵を見ていただきたいと思います。神の国は、氷山のようなものです。水上にはほんの少ししか見えていませんが、水面下に巨大な実体があります。私達クリスチャンは、ほんの水面上に出ている、一部分しか見ることが出来ない事があります。けれど、神様は私達がもっと大きな部分を知って私達の人生に開放することを願っておられます。

アメリカでは「タイヤを空回りさせる」ということわざがあります。アクセルをふかして一生懸命前に進もうとしていても、何処にもたどり着けない状況のことです。滑稽なビデオをお見せしたいと思います。私の教会の副牧師であるジョン牧師はカナダ出身ですが、彼に向かってカナダの事で冗談を言ったりします。このビデオは、カナダのパトカーが泥棒の車を追いかけている映像です。映画でよく見られる“悪者が逃げ、パトカーが追いかけていく”パターンです。(映像:パトカーと容疑者の車が凍った道路で車輪を空回りさせている)
これをジョン牧師に見せたところ、彼は「何がおかしいんだ、これはカナダでは普通じゃないか」といっていました。

もし私達が自分自身の力に頼って、神様のみ国の大きさを知らないで過ごしているということは、氷山の一角しか見ていないようなものです。そんな時、私達の人生は先ほどの“カナダのカーチェイス”のようになってしまうのです。自分の力で一生懸命押していても何処にもたどり着けず、ビデオで見たように自分の力で車を押し、“自分の家族、自分の人生をより良くする”ため自分の力で頑張っています。
しかし何も動かず、車輪が空回りしているだけなのです。もし私達が、神様の国がここに存在してその力が現されている事を知らないでいれば、そうなってしまうのです。私達はどこにもたどり着けず、ちょうどこのジョークのようになってしまうのです。

しかし、神様は「あなたはタイヤを空回りさせる必要はない」とおっしゃっています。神の国はここにある、そして私はあなたに力を与えている、と。神の国、神の力がここにあって、それがすべてを変える力を持っていることに心を向けなさいと。責任感を持って仕事もきちんとしなさいと、聖書にはそう書かれています。また、家族の面倒をみる事、指導者のために祈り彼らを敬うことを。イエス様が王の王、主の主であることを忘れないで下さい。彼は全てに勝って偉大な方です。イエス様は死んで下さり、血を流して下さり、そして死者の中からよみがえられました。今、イエス様は父なる神様の右の座に着いておられ私達はイエス様と共にそこにいます。そしてイエス様は父なる神様にお願いし、聖霊様を送って下さいました。そして聖霊は私達に父なる神様のみ心を教え、力を与えて下さいます。イエス様と共にある時に、すべての力、主権、暗闇の支配、この世の権力などというものの上に立つことが出来るのです。

以前にもお話ししたことがあると思いますが、神様の計画“A”トップの計画があり、 私達は神様のプランAです。そしてプラン“B”というのは存在しません。ただプラン“A”あるのみです。あなた方は世界を変える人々です。あなた方は地上おける最も強力な神の国であり、そして人々が贖われ、解放されるための唯一の希望があなた方なのです。ハレルヤでしょうか?どうぞお立ち下さい。そして胸に手を当てて下さい。

イエス様、私達に聖霊様を送って下さって感謝します。私達を赦し、癒し、神様のみ国に入れて下さったあなたの血潮を感謝します。私達が永遠にパラダイスに住む約束を与えて下さって感謝します。けれどもそこだけで留まらないように助けて下さい。そして氷山の他の部分を見せて下さい。車輪が空回りすることがないように、この時代、ささいなことでエネルギーを浪費することがないように。今、その場だけの出来事の状況に全精力を注ぐことがないように。私達が敵を征服するための軍隊の一員であることを知らせて下さい。私達が世を変えるために力を与えられていることを知らせて下さい。地上で最も強力な存在であることを知らせて下さい。私達が祈り、仕えていくことに人々の命がかかっていることを知らせて下さい。そして人々が本当のパラダイスにたどり着くために、私達が十分にうまくメッセージを伝えることが出来るように助けて下さい。私達をプランAとして下さっていることを感謝します。
新城教会のために祈ります。そしてこの教会を力強く用いて下さっていることを感謝します。ここにもまだまだ現されるべき氷山の部分があることを感謝します。さらに偉大なことが起こりますように。
イエス様が地上におられたときに約束されたように、さらに偉大なみ業をこの地に現して下さるように。そのことをイエス様の名によって宣言します。今、「私達が安楽な楽園にいるのだ」というサタンの策略に立ち向かう力を与えて下さい。そのような敵の偽りに立ち向かいます。私達は「お前の勢力はすでに十字架によって敗北している」と宣言します。ここにおられる方々が神の武具を着けて下さいますように祈ります。そして、与えられている賜物を燃え立たせることができるように。戦いの武器を与えて下さりサタンから人々に対するすべてのチャレンジが打ち砕かれ、解決されますように。主がすべての状況において勝利を取って下さいますように。そしてこの教会に、天にある宝を開放して下さいますように。そのようにこの教会を祝福して下さい。アーメン


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