「神の国の法則を知ろう」
〜受けるより与えるほうが幸いです〜


2009.3.1(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

使徒の働き 20章34〜36節
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。」

 ハレルヤ!皆さんおはようございます。久しぶりに新城教会で奉仕をさせて頂けますことを、心から感謝いたします。皆さんのお祈りに支えられていますことを、本当に感謝しています。前回私がメッセージを取り次がせて頂いたのが、二月の初めだったと思いますが、もう三月になってしまいました。本当に早いもので、先日、新年の礼拝を皆さんと共に迎えたと思いましたら、あっという間に三月になってしまいました。

 我が家におきましては、先日娘が結婚させて頂きまして、皆様方にお世話になったことを、高いところからではありますが、重ねて感謝申し上げます。娘の結婚式の後、すぐに韓国の方に渡り、途中二日間位東京に帰ったのですが、その足でまた韓国に行き通算一七日、新城を空けていた状況でして、娘がいなくなった寂しさなど、関係ない日々を歩んでおります。皆さんに助けて頂きまして、心から感謝しています。

 教会は一つの大きなファミリーであります。そして、聖書には“一人一人はキリストの体の各器官である”と書かれています。一人一人に役割があります。人間の体を見ると、色々な器官で構成されていて、一つでも欠けると健康に生きることができないわけです。
 同じように、キリストの体は各器官によって構成されていて、一つでも欠けたらうまく機能しないわけです。皆さんには、それぞれ神から与えられた機能があり、教会は成り立っています。私はある意味、色々な所に出て行って福音を伝えたり、皆さんの前に立ってお話しをさせて頂いたりする“口”のような機能かもしれませんが、他の機能によって支えられているわけです。お互いがお互いを必要としているという、神の国の法則に生きることが出来るのです。

 前回、私がここでお話しした時、教会の働きは、天国を地上に引き下ろす働きであると語らせていただきました。やがて天国に行く目的で人々を教会に集めるだけではなく、教会とは、天国に行かなくても、すでにこの地に天国が降りてくる場所であるとお話しさせて頂きました。
 神様は霊的法則をお持ちです。私達がその法則を知って、その中に生きるならば、幸せに生きることができるわけです。ですから、神の国の法則を知る事は、とても重要です。
 天国はやがていく所、という理解だけではなくて、この地上に引き降ろされるべきものです。そして、イエス様は、天国を分け与えるために、この地上にきて下さったとお話しさせて頂きました。

 そして、今日は、「受けるより与える方が幸いです」という副題をつけさせて頂きましたが、神の国の法則を共に学んでいきたいと願っています。

 今読んで頂いた聖書の箇所は、パウロが遺言のような内容のメッセージとして、エペソ教会の長老達を招いて語ったものです。彼の働きの中心的理念、考えを、遺言の様にエペソの教会に残したのです。それがどのようにまとめられているかといいますと、二〇章の三四節から三六節。

「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」こう言い終わって、パウロはひざまずき、皆のものと共に祈った」

 パウロが宣教活動の中で、常に心にとめていたことが何であったかというと、自分の身を削って労苦しながら、「弱い者を助ける」という心がけでした。
 そして同時に、一番中心的に握っていた言葉が、イエス様ご自身が語った言葉で、「受けるよりも与える方が幸いである」という言葉でした。

 実は、この「受けるより与える方が幸いである」という言葉は、イエス様の山上の垂訓のメッセージによく似ているのですが、その中には入っていません。
 しかしイエス様が確実に、どこかで語られたのです。そして、イエス様ご自身の生涯を見ていきますと、“受ける”より“与える”生涯であり、受けるよりも与える方が幸いを実践された方でした。それを学んだパウロは、与えるために自分は存在している、という考えと共に一生過ごしていた、という事を知る事が出来ます。

 私達は、「一円でも多く稼ごう」というような、資本主義の理念の中に生きていますから、「受けるより与える方が幸いです」という教えを実践しにくいものです。勿論、気持ち的にはわかるのですが、社会そのものが「与えるよりも受ける方が幸せだ」と言う考え方が中心にありますから、そのような価値観に支配されやすいものです。
 しかし、神の国の価値観・法則は、全く逆の場所にあるのです。それが、「受けるよりも与える」という事です。

 先ほども、「私達はキリストの体の各器官です」と言いましたが、各器官とは、その器官だけが機能するのではなく、他の器官のためにあるわけです。
 例えば胃袋はそこでこなした食物を次には腸に送り、腸が機能しやすい状況に仕立て、送り込む訳です。また、腸には腸の働きがあって、栄養を吸収したり、排泄したりするために用いられるわけです。これは、お互いがお互いを補完しあいながら、成り立っているわけです。人生も、“受ける人生”ばかりで歩んでいくと幸せになる事ができず、与える事を心にとめなければなりません。パウロはその事を一番中心にして歩んでいたのです。その結果、本当に大きな働きができたわけです。そして彼は、最後の最後、エペソの教会の中心的な長老達に別れの挨拶をする時、この大切な事柄を伝えたわけです。
 イエス様のご生涯はどうであったかというと、マタイの二〇章二八節に、

「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

 イエス様は神の子であり、同時に、神ご自身でした。しかしイエス様のご生涯は、だれかから仕えてもらうためではなく、「仕えるため」と記されています。僕の姿として来て下さったのです。そして最終的には、多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために、この地上に、犠牲の精神で来て下さったのです。

 クリスチャンになったからには、どのような考え方で生きていくべきでしょうか。それは、やはり聖書の価値観、神の国の法則で生きなければならないのです。イエス様と同じように、私達も仕えられるのではなく、誰かのために仕えていく、そして、与えていくというライフスタイルを、主は望んでおられるのです。そのような結果、幸せになることができるわけです。

 ある律法の専門家が立ち上がり、イエス様を試そうとして、一つの質問を投げかけました。それが何であったかというと、「先生、何をしたら永遠の命を受ける事ができるのですか」という質問でした。ルカの福音書一〇章二五節〜二八節、

「すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」

 律法の専門家はイエス様を陥れてやろう、と質問したわけです。「どうしたら永遠の命を得る事ができるか」
 その時イエスさまは、「聖書にはどのように書いてありますか」と逆に質問したわけです。彼はそれに答える事ができました。
 「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くしてあなたの神である主を愛せよ」とあります。

 私達も、主を“心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして主を愛する”ライフスタイルが必要です。「心と思いとは、どう違うのか?」と感じられるかもしれませんが、「心を尽くし」というのは、感情面です。日本の教会は、感情面を押さえる傾向がありますが、韓国へ行くと、もう少し感情を全面に出した礼拝を捧げるわけです。
 また、南米などに行くと、昨年私はペルーやブラジルなども廻らせて頂きましたが、本当に感情豊かに賛美している姿を見ます。感情と精神の限りを尽くして主を礼拝しなさいという意味であると思います。ですから、賛美する時には、もう少しはじけてもいいと思います。思いきり賛美して、主を愛して下さい。

 また「力を尽くし」というのは“勢い”という意味です。日本の教会は勢いがないとよく言われますが、やはり信仰生活には勢いが必要です。神を、勢いをもって愛していく、という姿勢が必要だと思います。

 そしてもう一つは、「知性を尽くして」です。ただ、情熱的で勢いがあるだけではいけません。知性を尽くしてというのは、知識的にも神を理解しなければいけないのです。
 「あなたはイエスさまを信じていますか」「もちろん信じていますよ」「じゃあ何を信じているのですか、聖書にはどう書いてあるのですか」「いや、そういわれても、ちょっと困るのですが…」では困るわけです。やはり、知識的にも、よく主を知ることが大事です。

 「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」これは、全身全霊で、命がけで、イエス様を愛していくのがクリスチャンの姿です。これは基本中の基本です。
 しかし、次に語られているのが、「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」その後に、みなさんがよくご存じの、サマリヤ人の例えが記されているのです。それは、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という意味を表す物語です。
 ルカ一〇章三〇〜三七節

イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

 ユダヤ人は、神を愛し仕えていました。しかし、この「あなたの隣人をあなた自身の様に愛しなさい」という事柄に関しては、欠けていたわけです。ですからイエス様はこの事を語って、「実行しなさい」と言われたのです。そして、よきサマリヤ人というのは、イエス様ご自身の姿でもありました。

 このストーリーを見ていきますと、「ある人」がエルサレムからエリコに下る道で強盗に襲われたのです。そんな時、たまたま、何人かの通行人が居合わせ、一人は祭司、一人はレビ人、そしてもう一人がサマリヤ人であったわけです。
 ここに「エリコに下る道」書かれていますが、かつてエリコは、祭司とかレビ人が住んでいた町であったと言われます。祭司やレビ人はエルサレムで礼拝し、自分の住むエリコに下りていくことがよくあったようです。しかし、しばしばその道は、泥棒や強盗が出て、危険な道でもありました。

 ある人が強盗に襲われたとありますが、このある人というのは「ユダヤ人」であったと思われます。そこに同胞である、祭司やレビ人が通りかかり、その様子を見たのですが、知らん顔をして通り過ぎていったのです。
 しかし、サマリヤ人が助けた、というのです。これにどういう意味があるのでしょうか。それは、イスラエルの歴史にも関わってくるわけですが、イスラエルは紀元前千年くらいに二つの国に分かれました。それは北イスラエルと、南ユダの二つに分断されたのです。分断後どうなったかというと、北イスラエルはアッシリア帝国に攻め取られ、多くの人々が捕虜となりました。また、アッシリアは植民地政策を持っており、アッシリアから北イスラエルへ人々が移住しました。そして残った人達と雑婚し、人種的には毛色の違った人々が北イスラエルの地域に住んでいたのです。もともとは、ユダヤ人というルーツの所に、ほかの国の人達が入って住み着き、他の文化と混ざりました。

 一方、南ユダも、バビロニア帝国に捕囚されたのですが、後に帰ってきて自分たちの国をもう再建しました。
 ですからイエスさまの時代は、もともと一つの国だった領土の中に、二つの国ができていたような状況でした。ユダヤ人たちは、血統を大変重んじますから、ユダヤ人としてのアイデンティティーを失わないで、最後まで戦い抜いた南ユダに属する人達は、プライドを持っていました。一時はバビロンに捕囚されましたが、戻って宮を再建し、自分たちの民族性を回復したわけですから、とてもプライドがありました。

 それで、南ユダの人たちは、北の人達を軽蔑していたわけです。それどころか、敵対関係にあり、互いに交わりをしなかったわけです。そんな人達が、隣り合わせに住んでいて、同じ道を行き来していたわけです。一目見れば、「あ、あの人はサマリヤ人、あの人はユダヤ人…」と分かる様な環境がそこにはあったわけです。
 そんな環境下において、ユダヤ人が倒れていたのです。同じ同胞である、祭司やレビ人が見たら、倒れている同国人を助けるのは当然です。しかし彼らは助けませんでした。
 でもその時、助けたのが誰だったかというと、敵対関係にあったサマリヤ人でした。この事をイエス様は引き合いに出し“隣人”について語られたのです。さらにこの箇所は、「受けるより与える方が幸い」という事柄に関しても、語っていると思われます。

 隣人という意味は、個人的、国内的な意味もありますが、大きく見ますとこれは民族的敵対関係にある他民族に対して、「その人の隣人になりますか」と、問いかけているのです。

 ご存じの様に、新城教会は「全日本リバイバルミッション」を中心的にサポートしております。私達牧師達も、その働きを兼務しておりますから、その働きのために、毎日毎週のように出かけています。私は本当にどこの教会の牧師かわからないような状況がありまして、「新城教会の牧師さんてどなたですか」と言われそうです。この教会を空けていて申し訳ないですが、みなさんが私達を送り出して下さっている事を感謝します。それは、「受けるよりも与える方が幸いだ」という御言葉の教会的実践であると思います。

 しかし、受けるより与える方が幸いだを実践させて頂くことによって、与える時に神が祝福して下さるという原則を理解出来ます。
 同時に、この隣人ということを今語りましたが、特に、国内も重要ですが、近くの国民、対立関係にあるような、ちょうど、ユダヤ人とサマリヤ人の関係にもよく似た環境、それが日本と韓国です。この領域で、よき隣人としての役割を果たす事は、御言葉に照らし合わせてみても、大変重要です。皆様方の祈りにより、聖霊によって実践させて頂いていることを、心から感謝しています。

 ここからは少し、証しをさせて頂きたいと思います。今回、私は韓国の南の島である、済州島と、その他、八つの島々を廻ってきました。その中で、今語った御言葉が心に響いてきました。それは、「受けるより、与える方が幸いである」という言葉と共に、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」でした。

 韓国には、前回もお話ししましたように、チョー・ヨンギ先生の教会のような大教会があり、大きな教会が沢山あります。先日、私は東京で二日間集会をして、すぐに韓国に戻ったのですが、東京の羽田空港からソウルの金浦空港に着陸するとき、窓越しに見渡したら、多くの十字架が見えて、改めて驚きました。「よくぞこれだけ教会が出来たものだ」と感動しました。皆さんも、韓国に行ったら、夜、着陸する時にはぜひ窓側の席を取って外を見て下さい。本当に多くの教会があります。また、大きな教会が多いです。

 しかし、今回、私は南の島々に行かせて頂き、そこにあったのは、本当に“仕える者の姿”でした。韓国の教会が、ただ大きな教会というだけでなく、小さな島々にまで福音を伝え、犠牲を払って人々に仕えている姿に感動しました。
 それと共に、そんな島々に対しても、日本はかつて罪を犯した事実をまざまざと見ました。日本が傷つけ倒した姿を見ました。私達日本教会は、良きサマリヤ人として、傷を癒すために働かなければならないと示されました。それは、主から課せられている使命ではないかと思わされました。

 日本は二〇世紀の初め、韓半島を支配しました。それは政治的支配と同時に、宗教的支配でもありました。全ての町々村々に神社を建て、韓国の方々の名前を日本名に変えてしまいました。その意味するところは、「神社の氏子にする」と言う事であったのです。神社参拝を強要し、日本語教育をし、日本の文化を韓半島に植え付け、彼らを踏みにじった現実があるわけです。私達は、遠い昔の過去の事のように思うかもしれませんが、実は霊的には今もなお続いている、現実なのです。日本は南の小さな島々にまで入っていって、神社を作り、人々を支配した痕跡と、生々しい人々の心の中に今も残っている傷を見るのです。

 私達は国から一歩出ると、国内にいる時にはあまり感じませんが、自分が日本を代表していることを知らされます。韓国の田舎で、日帝支配を実際に受けた人の体験談を聞かされました。「私はこの場所で、日本人に神社崇拝を強要され、ここに並ばされて神社を拝んだものだ」と、色々な話をされるわけです。
 そんな時、私は、「申し訳ありませんでした。私は日本人として、あなたに悔い改めます」と、心から謝罪しました。今から少し、写真などをお見せし、具体的に「主を愛する」事が、「隣人を愛する」事である事を心に留めましょう。

 これは、韓国リバイバルミッションの事務所です。みなさんに祈っていただきまして、韓国リバイバルミッションの事務所が、インチョンの近くのブチョンに設置されました。是非とも祈って頂きたいと思います。
 次は韓半島の地図ですが、一番下にある楕円形の島が済州島です。今回、この済州島に数日間行きました。実は新城教会にも、お祖父ちゃんお婆ちゃんが済州島出身の方がおられます。今回は、「ザ・ハート」という宣教団体が主催するカンファレンスがあり、そこに私は講師として招かれました。
 その後、北方に位置する島々に行かせて頂きました。その島の名前は、ノファド、ボーギルド、ソウアンドという三つの島です。人口6〜7千人在住ですが、その周辺は五〇,六〇世帯位の小さな島があります。それらの島々にも廻らせて頂き、計八個の島で集会をさせて頂きました。
 実は、なかなか私のような無名の者が、韓国で奉仕させて頂くというのは、難しいことなのですが、昨年のテーマである、「人手によらず神の国は拡大する」というみ言葉を信じていましたら、金監督と出会い、彼の紹介でいくつかの決起大会を持つ事が出来ました。
 そしてそれが祝福されると、次の奉仕の道を開いて下さいました。はじめは金監督に色々とアレンジして頂いて教会を廻ったのですが、そこで全力で働いた時に、色々な所から、「私の所にも来て下さい」とオファーされ、余り苦労しなくても色々開かれました。

 済州島での宣教大会の講師は、私とメルキオ・タリという、「激しい風のごとく」という本で有名になった、インドネシアのリバイバリストでした。共に奉仕させて頂きました。家内が一緒に行ってくれて、祈り支えてくれたので力づけられました。済州島にも大きな教会があって素晴らしい集会を持つことが出来ました。観光地でもありますから、とても綺麗な場所で施設も整っています。

ノファドにはちょっとした集落があり、この島をベースに、様々な島を巡って集会をしました。ここはアワビの産地で、日本にも輸出しているそうです。アワビを「もういらない!」思うくらい、ご馳走になりました。高い物ですが、一週間食べ続けるとどういう具合になるか想像して頂きたいと思います。
島では連合集会が持たれ、会場一杯に四〇〇名ほどの人々が船で来られました。ここはアワビがとれるという事で、若い人達もUターンで戻って来て、若者達も多くいます。
お年寄りも真剣に話を聞いて下さいました。私は島に来た最初の日本人牧師だそうです。若者達もフルートを演奏したり、暖かい感じの集会でした。そして子供達のために祈ると聖霊様が触れて下さり素晴らしかったです。

この島には、「船宣教会」というものがあり、小さな島々を巡って福音を伝える宣教グループがあります。“福音二世号”という船に乗って、様々な島を巡って福音を伝えました。小さな島にも教会があり、ほんの数人しかいない小さな教会にも、牧師がいて、一生懸命伝道しています。
島から島へと渡り歩くので、船に弱い人は大変かもしれませんが、私は中学一年生からいままで一度も吐いた事がないので、大揺れの船も大好きです。家内は必死でした。

ソウルからの若者が数人同行し、手伝って下さったというより、彼らが中心となったのです。彼らは、主から示されて十年間島々を訪問し、教会を励ます働きをしているそうです。一緒に祈ることを通して、今回、連合集会が実現したというのです。実は彼らの十年間の祈りがあった事で、本当に感謝しました。この若者達は熱く燃えていました。若者達と共に島のとりなし、リバイバルのために祈ることが出来ました。

ある島の牧師先生が、「私の教会には色んな問題が一年に一回くらい起きています。祈って下さい」というのです。教会が分裂したり、霊的な問題が多くあるので「祈って下さい」とリクエストされました。
祈りながら感じたことがあります。日本人の感覚でしか見抜く事が出来ない部分があります。かつてこの島には、日本人が大勢住んでいたそうです。後ろの山が北で、赤い屋根の建物がありましたが実はその建物は、日本人が建て、日帝支配時は役所として使われていたそうです。「これはくさい」と思いました。下に役所があり、坂を上がってこの条件で、上にあったのは神社しかありません。
私は、「ここは神社跡地ではないですか?」と聞きました。それでお婆ちゃんに尋ねてみたところ、「そう、ここにはかつて、日本人が建てた神社があった」と言いました。
実はこの教会は、神社の境内に建てられていたのです。牧師は、「犯人が分かった!」と言っていました。かつてそこには神社が置かれ、土地が悪霊に捧げられていたのです。それ故に、霊的な束縛がある場所だったのです。韓国の方々には分からないかもしれませんが、私達日本人がいけば分かります。それで、一緒ににとりなしの祈りをしました。彼らは、本殿があったところに十字架を立てていました。十字架を立てたらよいわけではないですが、勝利の象徴として立て、勝利を祈りました。島中の牧師達が集まって、一緒に敵の力を打ち破る祈りをしました。
もう一カ所、神社の跡地が有るという事で、祈りに行きましたが、そこには石碑がありました。その石碑の後ろには、「昭和八年建立」と刻まれていました。これは日本の年号です。日本人が立てた石碑でした。実はここにもかつて神社が建てられていたのです。日本人が行けば知りうる情報です。

ソーワンドという島は船を下りた時から、緊張する様な場所でした。なぜなら、この島は「抗日」の発祥地であったからです。この島から日帝支配に対する抗日運動が始まりました。一九〇九年二月二四日、日本人を島民が襲い殺しました。それが発端となり、韓国全土に抗日運動が広がった場所だったのです。
私がその島に行ったのが、二〇〇九年の二月二五日、つまり新しい一〇〇年が始まった記念すべき日でした。私はそんなこととは知らずに行ったのですが、主の導きがありました。日本人も血を流し、韓国の方々も大勢死んだ抗日の発祥の地で、私達は和解の祈りをし、新しい時代が来るようにと祈りました。

ある所に行って神社の跡地をお年寄りに聞いたところ、「自分が知っているから案内するよ」と言って下さり、案内してくれました。小学生の頃、日帝の支配があったと言って、その頃の思い出を興奮しながら話してくれました。私も彼の前に立ち、日本人として謝罪しました。彼は私の言葉を聞いて本当に喜んで、手をしっかりと握って、受け入れて下さいました。このような和解の努めは重要です。「あんたは、戦後、はじめて来た日本人だ」と言っていました。日本人としてその場に立つのは辛い時もありますが、破壊ではなく、回復が起きるようにと、イエス様の勝利を宣言して祈ることが出来ました。

そんな働きをさせて頂きながら、つくづく思う事は、朝鮮半島全体のリバイバルのための働きであることを感じています。南北分断の背後には様々な要因があるとは思いますが、背後には「強盗」、すなわち悪霊が働いているのです。一番根底に霊的支配があるのです。この支配が打ち破られなければならないと、強く感じました。そのために祈らなければならないのです。

特に日本も韓国も熱心に行っている祖先崇拝が、そこに深く関わっているのではないかと思っています。この事については、来週、皆さんとご一緒に分かち合い、一緒に祈る時を持ちたいと思います。
私は祖先崇拝の力が打ち砕かれる事を通して、南北統一に向けた何らかのサインを神様から受け取れる様に祈っていました。
済州島での最後の集会で、一人の方が聖霊に触れられ、解放を体験したそうです。その方が集会の後、興奮して私の所に来られました。この方は数ヶ月前に、北朝鮮から脱出した人です。彼女が話していましたが、実は北朝鮮では、日本人を一番敵視する様に教育されているそうです。ですから日本人である私が講師であると言う事で、緊張していたそうです。しかし、集会の中で分断の根源である祖先崇拝について聞き、それに立ち向かって祈った時、大きな解放を体験し、彼女は変えられたそうです。そして、「一番憎んでいた日本人によって私は解放されました」と、涙を流して喜んでおられました。

日本が良きサマリヤ人として働く事が出来る、与える者として働く事が出来ると信じる事が出来ました。私達は日本に住んでいると、お隣の国についてさえ、よく分からない事が多いのではないかと思います。しかし、私達が良きサマリヤ人として働けるのは、もしかしたら朝鮮半島の人々に対してではないかと感じています。
皆様も今日語られたことばを心にとめて、祈って頂きたいと思います。韓国で今も島々を巡って与えるため、一生を捧げている素晴らしい先生方がおられます。神の国の働きの奥深さ、広さを感じます。私達もキリストの体として、出来るサポートをさせて頂けたらと思います。

なおも韓国リバイバルミッションの働きは、続いていきますのでお祈り下さい。五月の本大会は重要ですが、本質はそこにあるのではなく、この様な韓国全土における隣人としての働きが、ある意味で、中心的な働きではないかと考えています。

ハレルヤ、主の御名を賛美します。今日もこの様に礼拝を捧げる事が出来て感謝します。イエス様がこの地を歩まれた時、受けるためではなく、与えるために生き、仕えられました。私達もその人生を実践させて下さい。
 また、韓国リバイバルミッションを通して、その働きの一端を担わせていただけている事を感謝します。今週も、受けるだけではなく、与えるために生きる事が出来る様、導いて下さい。イエス様の御名によって祈ります。アーメン


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