「イエス様からの頼み」


2009.3.15(SUN)
新城教会 滝元 順牧師

ルカの福音書 5章1節〜11節
「群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。

ハレルヤ!皆さんおはようございます。今日は久しぶりにこの講壇に立つ事ができます事を感謝します。今まで皆さんがお祈りして下さり感謝します。先週の日曜日は石川県の松任市にあります松任キリスト教会に韓国リバイバルミッションの決起大会として出かけました。その日早朝飯田線に乗って出かけ、豊橋から米原まで行き、そして北陸本線に乗り換えました。その北陸本線で聖書の創世記を読んでいました。「神様がアダムを造って、そしてアダムを深く眠らせてあばら骨を取り出してエバを造った」という記事を読みました。その「神はアダムを深く眠らされた」と読んだ途端、寝てしまい、降りるのは九時五六分でしたが、起きた瞬間「ああ、乗り過ぎてしまった!」とヒヤッとしました。しかし感謝なことに、まだ九時五〇分でした。あと六分間あり無事に電車を降りる事が出来ました。午前中はその教会の礼拝で奉仕し、午後から北陸地区の色々な教会が集まって下さり、三時から五時までそこで決起集会がありました。その決起大会終了後新城に帰ってきました。そして月曜日は一日新城にいましたが、続く火曜日、水曜日と東京に出かけて行き、ある神学校にて講義をさせて頂きました。一日六時間の講義があり、二日間で十二時間講義をしました。そして木曜日は山梨県の甲府市に出かけ、韓国リバイバルミッションの決起大会をして金曜日の午後新城に帰ってきました。皆さんが私のためにお祈りして下さっている事の故に、こうして元気で奉仕ができます事を心から感謝しています。

さて最近プレイズ出版からこういう本が出ました。皆さんは読まれた事があるでしょうか?「われ土方なれど」という本です。著者は私、滝元明です。この本は一九七〇年にいのちのことば社から出版して二十五版売れ、ベストセラーになりました。その後プレイズ出版の方に版権を移してもらい出版しました。しかし「土方」という言葉が差別用語になるとのことで「わたしは足の裏でもよい」というタイトルにし、副題として「われ土方なれど」とつけました。しかし多くの方から「われ土方なれど」のほうがわかって良いとのアドバイスを受け、再度印刷をして「われ土方なれど」というタイトルで出版しました。一五〇〇円となっています。今回、表紙の絵を孫のエノクがデザインしてくれました。皆さんの中でまだ読んだことのない方はぜひお読み下さい。私は今朝、この本を読み直してみてすごく感動しました。そして改めて主がここまで守って下さった事を感謝しました。皆さんはこの素晴らしい会堂で礼拝できることを感謝していますか?よい建物でしょう?私が東京からこちらに開拓伝道に入ったのは、一九五三年の三月です。その後三年間は鉱山の抗夫として働きました。その後新城市に来て、現在の新城市札木という場所で四軒長屋の端にダンスホールがあり、そのダンスホールを買って七年間教会にしました。ある時,一人の女子高生がイエス様を信じてました。その女の子が「私の教会というイメージは、とんがり帽子の綺麗な建物で、中にはオルガンがあり、聖歌隊があると思っていました。しかしここはダンスホールですね」と言いました。その当時の椅子は、私が作製した竹の椅子でした。全くイメージとは違っていたようです。その言葉を聞いて地域の人たちのイメージは綺麗な十字架の立った建物なんだと思い、兄姉に「きれいな教会堂を、新城の町に作ろう」と話しました。その時は新城教会のメンバーは十何人でした。少ない人数ですがみんなでビジョンを持ち、祈りつつ予約献金をしました。七年間で掛け金をしました。毎月の予約献金が一万千円程あり、五年目に二九四坪ある、この土地を取得し百人くらい入る綺麗な赤い屋根の教会を献堂しました。ダンスホールでの教会は、近所からよく「やかましい」などの苦情が絶ちませんでした。賛美歌を賛美していても「お前たちは歌ってるのでなく怒鳴っている」と言われたりしました。だから、幾ら歌ってもやかましくない場所をと願いつつ祈っていた時、現在の場所が与えられました。百人収容できる教会を作りました。その時の喜びは忘れることはできません。一九六〇年の十二月二七日の明日が献堂式という日、「きっと明日は感激のあまり泣くに違いない」と思い、その前の日に,泣けるだけ泣いて涙を出し尽くし感謝しました。しかし翌日の献堂式の時も皆泣きながら感謝の献堂式を持ちました。それから七年経って、三〇〇人くらいの会堂に増築し、現在の会堂は一九八〇年に竣工しました。素晴らしい会堂が与えられているというのは感謝なことです。さきほどもすばらしい会衆賛美がなされましたが、ここにグランドピアノがあります。このピアノは誰がささげて下さったかというと、河合としさんという方がささげて下さいました。その方は自宅で豚を飼い、豚を大きくし、その豚を売ってこのピアノをささげて下さいました。私はこのピアノを見る度に、今は天国に行かれている河合とし姉のことを思い出します。本当に感謝な事です。その他多くの人が、この会堂の献堂にあわせて、ささげて下さいました。皆さんも神様に感謝しながら、この教会を愛して前進して行きたいと思います。
 
今日は先ほどお読み下さったルカ福音書五章一節から十一節までの中から「イエスさまからの頼み」というテーマでお話しさせて頂きたいと思います。

「群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。」

とありますが、イエスさまは群衆に話すためゲネサレ湖、ガリラヤ湖とも呼ばれていますが、ここで漁師をしていたシモン・ペテロの船に乗り込まれました。イエスさまには偶然はありません。皆さんが今日ここに来られているのも,偶然ではありません。神様が目をとめて下さって、皆さんを選んで下さった事を信じて下さい。誰かに覚えてもらっている、知ってもらっているということは素晴らしい事です。まして神さまのほうが私達を知っていて下さり、シモン・ペテロの船の所に来て乗られたとあるのです。ですから、今日初めて来られた方がおられるかもしれませんが、「あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだ」とあります。イエスキリストがあなたを選んで、今日この教会に来られたのです。先日ある初めての教会に電話して「もしもし」と言った途端、向こうの牧師夫人が「あら、滝元先生!」と言われました。「あれ、何で僕の声を聞いただけでわかりますか?」と答えると「以前どこかで聞いた事がありますから」と言われました。驚きましたが、覚えて頂いていたことに感謝だと思いました。
話は変わりますが、二月一〇日から十一日まで滝元順牧師達と共に韓国の富川(ブチョン)市の牧師先生達を集めて韓国リバイバルミッションの説明会を開催しました。仁川市とソウル市の間にある市です。そこで、韓国リバイバルミッションの説明会を、あるホテルで朝食をとりながらしました。一六〇人ほどの牧師先生や長老さん達が集まって下さり,その時には富川市の市長さんも来て下さいました。その市長さんのご挨拶は、いきなり「ハレルヤ!」と主を賛美しました。仁川市長さんも「ハレルヤ!」と言っておられました。富川市の市長さんは「私は教会の長老です」と言っておられました。仁川市長も、今の韓国の大統領も教会の長老さんだそうです。素晴らしいことだと思います。その説明会で、滝元順牧師が「今度、日本から千人を連れて行きたいと思います。」と言いました。私は内心びっくりしました。「大きなことを言ってしまった」と思いました。日本から千人、大変な事だと思いました。しかしぜひ皆さんも行って下さい。この中で韓国に行きたいなと思っておられる方はどれくらいいらっしゃいますか?「行ける」でなく「行きたい」方は手を挙げてみて下さい。一昨年行われたハワイリバイバルミッションの時は新城教会から一〇〇人くらいの方々が参加して下さいました。今度はもう少し大勢の方が行けるだろうと願っています。素晴らしい集会になると思いますから、ぜひ来て頂けたら嬉しいです。
私は、その説明会が終わってから、日本に帰るため仁川国際空港に行きました。そしてゲートの待合所で座って、飛行機の乗車を待っていると、ある女性が私の顔をじっと見て,「あの滝元先生ではありませんか?」と言われました。「え、どうして私を知っておられるのですか」と言うと、その方は二〇〇二年に行われた集会のパンフレットを取り出していました。そのバンフレットにはその集会で講師であった、私とチョー・ヨンギ先生が写っていました。その写真と見比べて「ああ、やっぱり滝元先生だ、会いたかった、ぜひ相談したかった」と言われたのです。今から七年前の集会のチラシを持っていて、その写真で私のことを覚えて下さったのです。皆さん、覚えられているということは嬉しいことです。去年も京都のある教会に初めて行ったら、「先生私は二年くらい前に、私の教会に滝元先生が来られて一緒に食事する夢を見たんです。」と喜んでくれました。人に覚えられているということは嬉しいことです。しかし今日はイエスさまに覚えられていることがもっと素晴らしいことだと知って頂きたいです。

ヨハネ福音書の四章に、有名なサマリヤの女性の話が載っていますが、イエス様がサマリヤのスカルという町に行かれ、旅の中で井戸のところに座っておられると、そこに一人の女性がやって来ました。その女性にイエスさまが「私に水を飲ませてください」とお願いしました。するとその女性はびっくりして九節に「あなたはユダヤ人なのになぜ、サマリヤの女の私に水を飲ませて下さいと言われるのですか」と言いました。当時ユダヤ人とサマリヤ人は決して交わりをしませんでした。ユダヤ人には選民意識があり、サマリヤ人はアッシリヤ人とイスラエル人の混ざった“異邦人”と考えていたので、交わりをしませんでした。ユダヤ人は高ぶっていたのです。ユダヤ人はサマリヤ人を見ても挨拶もしなかったのです。しかしイエスさまから「私に水を飲ませて下さい」と言われ、「あなたはユダヤ人じゃないですか、どうしてサマリヤの女の私に水を飲ませて下さいと言うのですか」と言いました。この時イエスさまは素晴らしいことを彼女に話されました。なんとおっしゃったかというと、十三節に

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者は誰でもまた乾きます。しかし、私が与える水を飲む者は決して乾く事はありません。私が与える水は、その人の家で泉となり永遠の命への水が湧き出ます』」

皆さん素晴らしい事ですね。「この水を飲む者は誰でも乾くけど、私が与える水を飲む者はその人のうちで泉となって、永遠の命の水が湧き出ます」これを聞いてサマリヤの女は、「先生,私がもう乾くことなく、ここまで汲みに来なくてもいいように、その生ける水を下さい」と願ったのです。その時にイエスさまは不思議な事を言いました。「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」と。すると彼女は「私には夫はありません」イエスさまは、「私には夫はないというのは本当だ。五人いたでしょう。でも、今居るのはあなたの夫ではない」こう言われた時、彼女はびっくりして「ああ、あなたを預言者だと認めます!私達はサマリヤの山で礼拝していますが、あなた方はエルサレムで礼拝しているでしょう」するとイエス様は、「いやサマリヤの山でもエルサレムの山でもないところで礼拝する時が来ます。神は霊であるから、霊とまことをもって礼拝する時が来るのです」と言われました。その時非常に素晴らしい事を女は言いました。女はイエスに「私はキリストと呼ばれるメシヤが来る事を知っています。その方が来られたら、いっさいのことを私に知らせて下さるでしょう」と言いました。皆さん、この女性は、考えてみると「あなたには五人の夫がいたけど今のは夫ではない」というのは、普通の女ではないです。皆さんの中に五回離婚して結婚したという経験を持たれる人はめったにないと思います。彼女はよほど美人だったかもしれませんが、次から次へと夫を代え、今は奥さんのある人と一緒に住んでいました。「あなたの夫を呼んでらっしゃい」ズバリこう言われたのでびっくりして、「預言者だと認めます。私はキリストと呼ばれるメシヤが来られる事を知っています。その方が来たら、全ての事を教えてくれるでしょう」イエスさまが仰った事は、「あなたと話しているこの私がそれです」皆さん、あの井戸のそばでイエスさまがお座りになったとか、サマリヤの町を通られたのも偶然ではありません。皆さんが今日ここに来られたのも偶然のように思われるかもしれませんが、皆さんに,イエスさまが目をとめて下さっているのです。私にも目を留めて下さいました。私は六〇年前に上京し、学校に通っていました。その時ある時「君の顔は牧師に似合いそうな顔をしている」と言われたのがきっかけで教会に通い始めました。クリスチャンでもない方に言われましたが、きっと聖霊さまが、その人にも、私の心にも語りかけて下さったのです。だから今日私達は神さまに覚えられています。
ルカ五章三節に「イエスは、そのうちの一つのシモンの持ち船に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた」と書いてあります。「イエスさまが頼まれた」とあります。皆さん、人生の中で、時々イエスさまを信じたら神さまの方から頼まれる事があるのです。会社でも家でも頼まれる事があります。私たちにイエスさまを信じると、イエスさまのほうからあなたに頼まれることがあります。ペテロには「船を少し漕ぎ出してくれ」と言われました。そこでイエスさまは群衆にお話しをしました。
私も考えてみると、主から頼まれた事があります。全日本リバイバル甲子園ミッションを一九九三年に行いましたが、その集会をする前、一九八九年の一月に、愛知県民の森で下條末紀子先生が「いつか甲子園で、日本人の手によって日本人の説教者によって集会をしたい」と言われました。私はそれに応答して祈りました。
「イエスさま、ご存じのように私は日本人です。どうか、その時には私を使って下さい。私も日本人の説教者です」
その時イエス様が「誰かではない、あなたがやりなさい」と言われました。頼まれたのです。そして立ち上がりました。
また今でも忘れる事はできませんが一九九六年二月八日、この日私にとっては忘れる事のできない日となりました。教育館のスタジオに朝早く行って聖書を開いて読んでいた時、あたかもイエスさまが私に臨まれたように

「その夜主がパウロのそばに立って言われた。『勇気を出しなさい。あなたはエルサレムで私の事を証ししたようにローマでも証ししなければいけない』」

こう語られました。目に見える事はできなくても、私の目の前にイエスさまがお立ちになったように、「エルサレムで証しをしたようにローマでも証をしなければなりません」と言われた。その時私は激しく泣きました。あの日、イエスさまが私に、「あなたがエルサレムで証しをしたというのが甲子園で証ししたように今度は東京でやりなさい』と語られました。それで全日本リバイバルミッションの実行委員に、「今度は東京でやります」そして武道館で十日間、東京リバイバルミッションしますと言い、実現しました。あれは、イエスさまが私に語りかけて下さいました。この時もイエスさまに頼まれたのです。そして今度はどこでやりますか?それは韓国の仁川市です。私は韓国で何が起きると期待しています。韓国でしなさいとイエスさまに頼まれたのです。私の今までの役割は、幻を持つ事です。神さまからの声を聞いて「やりましょう」とビジョンを言うのですが、今度韓国でやるということを受け止めたのは、私ではなく滝元順牧師です。「今度どこでやりますか」という時に滝元順牧師が、「今度は韓国でやろう」と言いました。私の中で、韓国とは考えた事がありませんでした。韓国はキリスト教超大国です。今度行われる仁川市には約四千もの教会があり、クリスチャン率は三〇何パーセント、大体八十万から百万人程がクリスチャンという町です。その仁川市の三山ワールド体育館という一万人入る会場でやります。あ超キリスト教大国である韓国に、〇.二パーセントの日本の教会が「自分たちが来てやります」と言うと、常識外れのようです。しかし聖書を見ると、ペテロに「船を漕ぎ出しなさい」と言われ、そこで説教をした後でイエスさまご自身が言われたのは「深みに漕ぎ出して網を降ろして魚をとりなさい」その時ペテロが言った言葉は「先生、私は夜通し働きましたが何もとれませんでした。」これを読むと私は日本の教会を考えます。日本の宣教は今年一五〇周年になります。一五〇年間かかっても、今日本のクリスチャンは多く見て百万人。しかし実体は五十万人、礼拝出席者は二六〜七万人と言われています。「主よ、一五〇年間たってもたった〇.二パーセント…駄目ですよ」「夜通し働きましたが何も捕れませんでした」と同じような事です。しかし、その次にシモンが言った事は「でも、おことば通り網を降ろしてみましょう」今度は滝元順牧師に主が頼まれたのです。滝元順牧師が全日本リバイバルミッションの先生方と相談し、「韓国でやりましょう」となりました。私たちが「お言葉ですからやります」と従うとき、何が起きるでしょう。こう書いています。「そしてその通りにすると、沢山の魚が入り、網は破れそうになった」とこう書いています。
私は数日前夢を見ました。会場に一杯になり、入りきれないほどの人が来て「困った、どうしたらいいだろうか」と言っている夢でした。
皆さん今回の韓国リバイバルミッションがそのような集会になることを信じましょう。必ずイエスさまがして下さると信じます。ぜひとも皆さんも韓国にいらっしゃって下さい。忙しいかもしれませんが、来て下さい。お金もかかるかもしれませんが、お金は後から何とかなると思います。何とか都合をつけていらして下さい。イエスさまが「韓国でやりなさい」と頼まれました。皆さんにも、もしかすると今晩あたり寝る前にイエスさまから頼まれると思います。「どうだい、お前も韓国に行かないか」と「時間がないです」とか「休みがとれるかどうかわかりません」と、しかしイエスさまが何とかして下さるのです。皆さん韓国に来て下さい。そして一緒に魚をとりましょう。聖書をみるとあまりにも捕れすぎたため「助けてくれ」ともう一つの船も頼み、一緒に魚を取り上げ二つの船が沈みそうになったとあります。これを見てわかる事は、イエスさまに頼まれたなら、イエスさまは必ずみことばとおりにして下さいます。報いて下さるのです。
他の聖書箇所では五つのパンと二匹の魚をイエスさまが男だけで五千人に配り、余りが十二の籠に一杯になったとあります。あの五つのパンと二匹の魚を誰が出したかというと、少年です。少年がお母さんからもらった弁当を出しました。まるで今の日本の教会のようです。少ないものから、男だけで五千人に配り、余りが十二の籠に一杯になったように、イエスさまが報いて下さいます。期待しましょう。そして皆さん、経済的にも必要ですから助けて下さい。今度経済的な事は全て日本が持ちます。
先日東京の神学校に行った時、ある方がこう言われました。「先生、素晴らしいですね。去年はラブ・ソナタというのがありオンヌリ教会から日本に五千人くらい連れてきて、お金も全部持ってきて伝道しました。しかし今度は日本からお金を持っていって、日本が主催してするということは、すごいではありませんか」と感動していました。お金があるわけではないけれど、信仰をもってやります。必ずイエスさまがお金も備えて下さると信じています。ですから皆さんも信仰をもっていらっしゃって下さい。奇跡を見ることができます。奇跡を見た時、ペテロは何と言ったでしょうか。「主よ、私から離れて下さい。罪深い者です。どうぞ私から離れて下さい」こう言いました。今度は皆さん「私は罪深い人間です!」この奇跡が起きる様に祈って下さい。韓国は日本に対して反日政策をとっていました。最初のリ・ショウバン大統領から、反日運動というか「日本はこんなに悪い事をした」と色々と教え込んだのです。ですから私もこの前、韓国にて決起大会をしたとき、スクリーンに竹島が映っていました。日本ではそれほど関心がないと思いますが、「日本が竹島を自分の領土だと言った」と心の中に怒りがあるのです。そして、豊臣秀吉や加藤清正の時代、そして日帝時代などの植民地政策に対する怒りがあるのです。しかし今度聖霊が臨まれた時、このシモン・ペテロが言った言葉は「私は罪深い人間です」この奇跡が今回おきるように祈って下さい。「日本は罪人です」「韓国が悪いです」これではないのです。「私が罪深い人間です」となるように祈って下さい。集会で聖霊が臨まれて、日本も韓国も「私が罪深い人間です」と悔い改めるように祈りましょう。イエスさまは「怖がらなくてもよい。これから後,あなたは人間を獲る様になるのです」と仰られました。おそらく皆さん、今度の集会でイエスさまに献身する人が大勢出ると信じます。「怖がらなくてもよい。あなたは人を、人間をすなどるようになる。」これは頭がよいとか悪いとか、年が若いとかそういうことではなく、きっと聖霊が臨んでくださった時、あなたも人をすなどる人に神さまがしてくださるに違いないと思います。今日も皆さんひとつ、神さまの前に「私が罪深い人間」だとわかって下さい。するとイエスさまが「怖がらなくてもいいよ、あなたも人間をとる漁師になるのだよ」と声をかけられるように、今日はイエスさまからあなたに「お願いです。韓国に来て下さい。来れなかったら祈って下さい。そうでなかったらささげて下さい。そして、あなたも自分の罪深さをわかり、あなたの生涯を神に捧げなさい。そうしたら神があなたを用いる事ができる」というのが今朝のメッセージです。あなたにイエスさまは頼んでいます。その声を聞きましょう。そして実行しましょう。

お祈りします。今朝この時間にイエスさまご自身がガリラヤの岸辺に立たれたように、「二、三人私の名によって集まる所に私もその中にいる」と言われていますから、この会堂のなかにお立ちになっています。あなたの扉を叩いています。イエスさまがお願いしています。皆さんいかがでしょうか。この話のなかで「私は罪深い者です」一人でも、私は罪深い者ですとわかった人はおられますか?手を挙げて下さい。その方はお立ち下さい。イエスさまがあなたに声をかけられたのです。そして、イエスさまが「怖がらなくてもよい。あなたは人間を獲る様になる」そういう声を聞かれた方は胸の上に手を置いて、一緒にお祈りしましょう。お祈りします。

<祈り>
愛する天の父よ、今、あなたのみ前に愛する兄姉がおります。イエスさま、目には見えないけれどあなたが、いらっしゃって下さって、真面目な気持ちで、本当に、あなたのみ前に「私は罪深い人間です。韓国が悪いでなく、日本でなく私が罪深い人間です」と本当に心から遜って立っている愛する兄姉を祝して下さい。そして、今日から「あなたの罪は赦されました」と血潮によって赦して下さる様に、そして勝利を持つ事ができるように、恵んで下さる事をお願いします。またこの中であなたが「人間をとる漁師にしてあげよう」と仰られる方が起きます様に。その方が従順に従う事が出来る様に祝福をして下さい。
今日ここに来ている一人一人を、全て覚えていて下さる事を感謝します。あなたの豊かな祝福がありますように。イエス様のみ名によって祝福します。アーメン


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