「みことばを実行する人になりなさい」


2009.4.26(SUN)
新城教会 滝元 明牧師

ヤコブの手紙 1章22節〜24節
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」

ハレルヤ!皆さんおはようございます。前回この礼拝で語らせて頂いたのが、三月十五日でした。それから約一ヶ月半の間、韓国リバイバルミッションの決起大会として、九州をはじめ日本各地と韓国などを巡回してご奉仕させて頂きました。皆さんがお祈りして下さった故に、こうして元気で帰ることが出来ました。お祈りを心から感謝いたします。私も皆様方のために祈っておりましたが、今日はお会いできて感謝します。今日はこれから、みなさんと一緒に「みことばを実行する人になりなさい」というテーマで、今読んで頂いたヤコブの手紙一章二二節〜二四節からみことばを学びたいと思います。

私が初めて教会に行ったのは十九歳の時でした。教会に行った時に私を導いて下さった先生がこういう話をされた事を覚えています。それは「コップに、一杯以上水を入れても溢れてしまう。ちょうど一杯になればいい。」ちょうど、教会に来る事も同じ事で、その日に聞いた事を信じるのです。そして次の週に礼拝で、みことばを聞いてまた一杯にして帰ったらそれでよいのです。そういう話を聞いて「そうか、信仰というのはそんなに無理しなくてよいのだ。聞いた事を信じればいいんだ」という気持ちで教会に通うようになりました。だから皆さんもこうして礼拝を守っていますが、「今日何か一つを受け止めよう」という気持で、みことばを受け取り、実行してみてください。あなたの人生が祝福されると信じます。
今日はこうして日本語で、皆さんとご一緒に礼拝できるのはとても嬉しい事で、先週日曜日の午前は韓国リバイバルミッション事務所で働いて下さっているチェ先生の教会「ソウル南部教会」という教会でご奉仕しました。その教会の礼拝は、通訳をいれて説教が三十分間でした。韓国では大きな教会は人数が多いため、一日七回も礼拝をする教会があります。だから時間の関係上、三十分だけの説教と決められているそうです。また昼からは仁川市に行き、今韓国リバイバルミッションの事務所を開設させて頂いている「ケサン第一教会」という教会で、午後二時からご奉仕させて頂きました。海外に行って、何も言葉がわからないというのは辛いことです。しかし今日は日本語でみことばを学ぶことが出来ることは大変感謝な事です。ではみことばを学んでいきましょう。先ほど読んで頂いたみことばの中に

『自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。』

と書いています。私たちはみことばを聞いて、教会から離れると、みことばを忘れてしまっています。そのようにならないようしっかりと聞いていきたいと思います。

数年前、私はイスラエルに行きました。ベエル・シェバという所に行きました。ガイドさんがその場所の事を色々と説明してくれました。有名なアブラハムが住んでいた所であり、神さまから声をかけられ「あなたの独り子である、イサクをささげなさい」と言われたその場所だと言われるところに井戸がありますなど、いろいろ話をされていました。私は何回もその場所に行った事がありましたので、ガイドさんの話をあまり聞かずに、後ろの方で他の人とお喋りをしていました。するとその夜神様から怒られました。イザヤ書四二章二十節

『あなたは多くの事を見ながら心に留めず、耳で開きながら聞こうともしない』

というみことばから教えられて、「神様すみません・・・」と悔い改めました。それからはガイドさんの話をしっかり聞いて、心にとめました。皆さんも、毎週来られている教会、礼拝ですが、主のみことばとしてしっかり聞いて、そのみことばを受け止めて頂きたいと思います。ヤコブ書というのは信仰の具体的な事が書いてあります。ヤコブ書二章十四節〜十七節には

『私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』

食べるもの、着るものがない人に、温かい言葉で「安心して行きなさい、暖かくなり十分に食べなさい」などと、いくらうまいことを言っても口先ではだめだということです。私たちの信仰も、いくら「愛します、赦します、好きです」などと言っても、言葉と心が同じでなくてはいけませんよという事です。
今回韓国に行って私にとって何が収穫だったかというと、韓国を更に愛するようになったというか“好きになった”ことです。口先でなく、韓国が好きだという気持ちがあります。先週の水曜日は、ソウル市にあるソウル日本人教会という所で説教させて頂きました。その後CBSという大きなクリスチャン放送局のプロデューサーの方と打ち合わせをしました。その後韓国リバイバルミッションのコマーシャルを作成するため、私のメッセージを三〇秒から一分ほど録画しました。その時に私は「全日本リバイバルミッションの滝元明です。私は韓国が好きです」と挨拶しました。何度も韓国に行かせて頂きましたが、更に韓国が好きになりました。何故更に好きになったかというと、今韓国の多くの人々が日本のことを愛してくださっていることを知ることが出来たからです。これまで日本は韓国に対して、多くの悪い事をしてきました。そして韓国人は日本人に対して憎しみや敵意があると聞いていました。大変申し訳ないことを実際行って来たのですが、こんな日本に対して、韓国の人が「日本を愛する」と言って祈ってくださっていることがすごくわかりました。今回韓国にて色々な決起大会で奇跡について語りました。その奇跡の一つは何かと言えば「韓国で日本がリバイバルミッションをする事が奇跡です」と話しました。皆さん、奇跡だと思いませんか?これまでは韓国の先生方が、日本に来られて講師としてご奉仕くださいました。また日本の牧師が招かれて韓国に行く事はあっても、日本の宣教団体が全面的に経済的な事も含めて、準備して集会をするというのは奇跡だと思います。そんな話をしましたらある早稲田大学を出たムーン先生という宣教師が、「先生、今回の韓国リバイバルミッションは神様の時ですよ。」と言われました。何故なら、世界中の方々から「今年は韓国と日本が一つとなる時だ」というメッセージがあるというのです。この教会にも来られたことのある、シンディー・ジェイコブス先生という預言の賜物をもっておられる先生も「今年は韓国と日本が一つとなって福音を伝える。この事によってアジアにリバイバルが来ます」と話されたというのです。また韓国のCBSというテレビ局でも韓国リバイバルミッションの様子が、大会の後日に全国ネットで放送されることとなりました。そのテレビ局の方も「今年は、CBSテレビ局がCBS韓日リバイバルミッションを行います」と言われました。リバイバルミッションというのはこちらの名前ですが、テレビ局がCBSの名前で今年は韓日リバイバルミッションをする、と案内しているとのことです。そのテレビ局が主催して今年の十一月、長崎に来て日本のための集会をするそうです。その人たちも「今年は日本のための年です。日本のために伝道します」と日本を心から愛しています。私はびっくりしました。また今回「日本宣教ビジョン礼拝」という決起大会に行きました。ある方が「ここの教会の牧師先生は滝元先生をよく知っていますよ。」と言うのです。年配の方で、大学の総長をしておられる「金・ウィファン」という方ですというのです。その名前だけでは私はわからなかったのですが、お会して分かりました。新城教会にも来た事のある先生で、日本的な読み方ですと「金義喚(キンギカン)」先生でした。ある神学校の総長であられ、以前新城教会にも来られて奉仕をして下さった先生でした。以前はアメリカのロサンゼルス市にて二十数年間伝道されていました。そして大きな教会を牧会しておられました。私もそのロサンゼルスの教会で説教をさせていただいたことがありました。お会いしたらとても喜んでくださり「先生、久しぶりに会えましたね!」と抱き合って喜びました。今そこの教会は、日本宣教のビジョンを大きく掲げて「二一世紀、世界宣教の始まりは隣の国、日本から」と掲載し、毎週のように集会をして、日本のために祈っておられるそうです。なんとその中で三〇人くらいの若い青年たちが、宣教師として日本に行きたいと言っているそうです。すばらしいと感激しました。
また四月十二日は大阪みぎわ教会と言うところで奉仕しました。そして十三日から十五日まで、大津びわこ国際祈祷院という所で決起大会を、招かれ行いました。そこはどういう場所かというと、韓国の先生が、日本のために祈るために買った施設です。とても広い敷地でした。その先生は金先生という女性の先生です。「どうやってこの祈祷院を購入されたのですか」と聞くと、「私の娘はフランスに住んでいますが、この祈祷院のある場所を娘に見せて『私はここを買いたい』と言うと『じゃあ、私がお金を出しましょう』と、娘がお金を出して買ってくれました」と言うのです。今回で四回目の訪問でしたが、今回は大きな教会が建っていて驚きました。この教会堂も韓国の西部に魚がよく取れる地域があるそうですが、そこで牧会伝道されている先生が、日本のために重荷を持って「日本宣教のため」として良く献金して下さるそうです。その先生がその祈祷院に来られた時「ここに教会堂を建てて宿舎を作りたい」とビジョンを語ると「私も協力したい」と言われて韓国に帰られたそうです。家に帰ってから「神さまどうか私が、日本のため協力することが出来るようにして下さい」と祈り、自ら一三〇〇万ウォン必要だと考え、そのうちの一〇〇万ウォンを先生がささげたそうです。その教会にあるクリスチャンが集っていました。大きな魚料理屋を経営しておられる女性の方でしたが、十年間教会から離れていました。離れている時に癌になったそうです。医者から「もう命はない」と宣告された彼女は、教会に十年間も行かなかった事を心から悔い改め、教会に立ち返ったそうです。その方にある晩、夢でイエスさまが現れて「あなたは日本のために一二〇〇万ウォン捧げなさい」と言われたそうです。「ええ!一二〇〇万ウォンですか」とすぐには返事できなかったそうです。しかし「はい、わかりました」と答え、一二〇〇万ウォンをささげたそうです。それで大きな教会堂が建てられたという証しを聞きました。その姉が牧師先生と一緒に韓国から聖会に来られていました。彼女は一二〇〇万ウォン捧げたら何が起きたかというと、完全に癒されたのです。「もし、私が一二〇〇万ウォン捧げなかったら私は生きていないと思います」と泣きながら証しをしていました。私はそれを聞いて、「韓国の方々は日本を愛しておられる」と思いました。またそこに韓国からゴスペルシンガーの若い女性が二人来られていました。日本語で賛美されましたが、その方も片言の日本語で「皆さん、私は日本を愛しています。日本が好きです」と言っていました。韓国の方が、今この日本を愛してくださっています。先ほど読んだみことばに

『もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。』

「お腹すいていますか、お腹一杯食べなさい。寒いですか、着物着て暖かくなりなさい」と言っても何もあげなければお腹一杯にはならず、暖まることもできません。私たちの信仰もそのように、「韓国を愛します」と言っても、韓国のために祈りもしない、ささげもしない。口先だけです。だから私も今度「韓国の皆さん、私は韓国が好きです。喜んで奉仕をします。喜んでささげます。」とメッセージしました。口先だけではいけません。本気で韓国を愛して下さい。心から悔い改めて、韓国を愛したら必ずリバイバルが来ます。そして韓国の人たちが癒されるし、日本も癒されることができます。聖書は中には具体的な事を教えています。 ヤコブ書三章十三節〜十八節

『あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。』

このみことばに「知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい」 とあります。それから、「あなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。とあります。真理に逆らって偽ることになります。 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。」とあります。苦いねたみ、というのは非常に悪い事です。
私たちが全日本リバイバル甲子園ミッションを一九九三年に開催しようと旗を揚げ、活動が始められた時、色々な牧師先生から反対されました。その時、ある方が「滝元先生、きよめだきよめだと言うけれど、やはり妬みですなぁ」と意味深なことを言った事がありました。その時新城教会の失敗や悪いところもあったと思いますが、日本人が始めて甲子園球場を借りて大きな集会をするという事で、日本のキリスト教界の指導者の中には、やはり妬みがあったのではないかと思います。「あの土方あがりの滝元や、製材所で働いていたような田中が、甲子園球場で大会をすることは出来ない」「協力するな」などいろいろな中傷を受けました。ある有名な先生に言われたのは「君、五〇〇〇人以上は集まらないよ」などと言われました。甲子園球場で集会をするとなると、今まで自分が行った集会より、大きな集会をするというので妬んでいるな、と思いました。これではいけません。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」誰が成功したとしても、心から祝福しなければいけません。悲しんでいる時には共に悲しまなければいけません。苦い妬み、敵対心はいけないです。まして皆さん、クリスチャンが敵対心を持ってはいけません。敵対心や妬みがあるならば誇ってはいけない、これは肉から、そして悪霊からだと聖書に書かれています。会社でもそうだと思います。自分より優れた人がいれば妬んだり、敵対心を持つ、これは悪魔からだとありますから慎まなければなりません。
しかし、「上からの知恵は純真」だとあります。どんなに年をとっても純真さを忘れてはいけません。いつのまにか横柄になり、悪賢くなるのでなく、純粋な気持ちを持ち続けることだと思います。そしていつでも平和を持ち、赦しあう事が大切です。平和、寛容、温順である事が“上からの知恵”だと書いてあります。
「えこひいきはいけない」と書いてあります。聖書に、「教会に素晴らしいドレスを着て宝石をつけた金持ちそうな奥さんが来たら「あなたは、一番良い席にお座り下さい」そして貧乏そうな着物を着た奥さんが来たら「あんたは立っていらっしゃい」と言うなら、あなたが差別を持つという事です。いつでも平和を持ち、赦しあう事が大切です。今年、アメリカで黒人であるオバマ氏が大統領になったのはすばらしいことだと思います。しかし、それまでにマーチン・ルーサー・キング氏などが闘ってきた歴史がありました。何と闘ったかというと、「差別」と闘ったのです。バスでも、白人と黒人の座る席は分けられていました。ある黒人の人が白人の座る席に座ったので強制的に降ろされた事件があり、それ以降、黒人の方々が「バスに乗らず歩く」という運動がなされたこともありました。しかし、聖書を見ると初めから「差別はいけない」とあります。教会でもそうです。教会には頭の良い人も、まあまあの人も、私と同じ程度の人もいますが、みんな主にあって兄姉です。貧しい人もいるし、富んだ人もいますが、みな神さまから造られた人です。互いにえこひいきしてはいけません。人は神さまの前に正しい生活をしなければいけないとあります。このことはとても大切なことですから皆さん、今日はこのみことばをしっかり信じて実行してください。ヤコブ書一章五節〜六節には

『あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。 そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。 貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。 富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。』

皆さん、この中に「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら」とあります。もしみなさんの中で「自分には知恵が欠けている」と思う人は手を挙げて下さい。私は両手をあげます!これはいいお知らせではないでしょうか。あなたがたの中に知恵の欠けている人がいるなら、「誰にでも、惜しげなくとがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすれば、きっと与えられます」と書いてあります。知恵が欠けていると思う人は祈りましょう。
またお金の欠けている人はおられますか?私は小泉内閣が嫌いでした。彼が打ち出した政策によって年寄りから多く税金をとられるようになったと考えていました。しかし、悪いこともあったけれどいいこともあるようです。何故なら、私の所に社会保険庁から手紙が来ました。その手紙には、日本の法律で「平成何年前の年金の掛け金は時効にします」という法律がありましたが、小泉内閣の時に、その「年金の掛け金の時効を有効にします」という法案が出来ました。それで今までもらっていない人は申請して下さいと言われたのです。私は何も知らなかったのですが、手紙が来て
「あなたが五九年前に津具鉱山と八橋マンガンで三年間働いていた時期の年金がもらえますから、申請して下さい」
ということでした。私の年金は大した金額ではありませんが、「これまで払わなかった分を上乗せして払います」という手紙が来たのです。「いやあ、良い事になった」と思いました。私が津具鉱山で働いていた時の給料は、大体一ドルでした。その当時の一ドルは日本のお金で三六五円くらいでした。私の給料は当時三〇〇円位、そして八橋マンガンはよく取れた時期でしたので四〇〇円位でした。そのお金を今のお金に換算して払います、という事で、感謝な事に、韓国リバイバルミッションの始まる前にお金が送られてきました。「小泉内閣は良かったな」と思いました。
すべての事を感謝しなければいけませんが、「お金の欠けた人がいたら、惜しむことなくとがめることなく与える神に願い求めなさい」と書いています。病気の人がいますか。その人は惜しむことなく、咎めることなく全ての人に与える神に願い求めなさい。きっと与えられます。ただし、疑うことなく信仰をもって求めなさいと教えています。今日皆さん、このみ言葉をつかまえたなら祝福されることができます。疑わないで信じましょう。そうしたら素晴らしい恵みを頂く事ができます。聖書というのは素晴らしいです。ヤコブ一章九節〜十節の中に

『貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。 富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。なぜなら、富んでいる人は、草の花のように過ぎ去って行くからです。』

とあります。文語体の聖書では

『卑しい兄弟は、おのが高くされる事を喜べ。富める者はおのが低くされる事を喜べ。そは、草の花のごとく過ぎゆくべければなり』

文語体は難しいですが、富める人は低くされる事を喜べとあります。私は貧乏な所を通りました。津具鉱山でも貧乏でしたし、貧乏子沢山といいますが、八人も子どもがいました。ある時長男長女を連れて東京にある、家内の実家に寄りました。当時貧乏の故に、家内に何も買ってやる事もできず、家内が持っていた着物を使って丹前などを手作りし、子どもたちを連れて東京都八王子市の実家に行きました。家内の弟は貿易会社の社長をしていました。奥さんが奇麗な着物を着て鏡の前で、「お母さん、どうかしら」とポーズをとったりしていました。それに比べ自分の娘や孫たちは汚い格好をしているので、家内の母は「学校まで出してやったのに、キリスト教になって、貧乏な生活をして、恥ずかしい・・・」と言い、「清子、頼むからもう二度と、我が家に来てくれるな」と言われました。人はうわべを見ます。綺麗な着物を着たお嫁さん、それに比べ汚い身なりだと「恥ずかしい」と悲しみます。この世の価値感は違います。ですから「わかりました」と、それから実家に行くことをしませんでした。しかし感謝なことに、その義母が七〇歳の時、この新城教会に来て救われ、娘である清子と一緒に住みたいと言いました。ですから私は「貧乏でもよかったら一緒に住みましょう。」と受け入れました。義母は、清子の弟家族は、金はあっても祈りはない。だから天国に行くために清子の所に行きたいと、義母は新城に移り住んできました。私はある時家内の服装を見て、「ああ、乞食みたいな恰好になったなぁ、ごめんね」と言った事がありました。すると私の家内は「聖書の中に、『低い人は高くされたら喜べ、富める者は低くされることを喜べ』とあるけれど、低くされる事をも喜べとあるから、低くされたことは感謝です」と喜んでくれました。「いやあ、あっぱれじゃ」と思いました。その時から祝福されました。今は家内もそんなに汚い格好はしていないと思います。感謝なことにここまで来ましたが、高いものが低くされたら喜びなさい。低いものが高くされたらそれはそれで感謝ですが、高いものが低くされたら、なかなか喜べない、低いものが高くされたら誰でも喜べるけど、例え低くされても喜びなさい。皆さんも喜んでください。信仰のテストということがありますから。ある時母からこんな手紙が来ました。「明さん、そんな鉱山で働かなくても弟の貿易会社で働いて下さい。給料は沢山出ますから」しかし、「それはいりません」と断りました。どんなに貧乏でも、イエスさまのために働いてきたから、今日までイエスさまが祝してくださったと思います。ですから、今どんなに問題があって戦いがあっても、イエスさまに従っていく考えを持ちましょう。
今度の韓国リバイバルミッションでは、皆さんが重荷を持って下さっていますので心から感謝します。更にお祈りして下さい。今度の韓国リバイバルミッションでは、ミッションニュースに「本大会の予算が二〇〇〇万円かかります」と書いてあります。二〇〇〇万円は大金です。いつも「経済的に大丈夫だろうか・・・」と考えますが、先日は聖書を読んで恵まれました。出エジプト九章二九節の後半に「この地が主のものであることをあなた方が知るためです」とあります。モーセは彼に言った。「私が町を出たら、・・・この地が主のものであることをあなたが知るためです。」この地は主のもの、この世界は神が作られたものです。そしてハガイ書二章八節には「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。・・万軍の主の御告げ。・・」とあります。今まで全日本リバイバルミッションの働きをさせて頂きました。甲子園球場でも大会を行いました。非常に多くの費用がかかりました。また、武道館で十日間集会をしました。しかしそれでもやってきました。日本各地で、沖縄、ハワイなど行ってきましたが、今まで経済的に満たして下さいました。「この地は主のもの、金も銀も私のもの」ですから、不信仰を持ってはいけないとおっしゃいます。信じましょう。皆さんも信仰を持って下さい。信仰を持ったらイエスさまが喜んで下さいます。「知恵が欠けた人がいたら、惜しむことなく咎めることなく全ての人にお与えになる神に願い求めなさい。必ず与えられます。ただし、疑ってはいけません。」と書かれていますから、疑いを取りのぞき、前進していきましょう。皆さんの家庭に問題があっても、必ず解決します。病気の人も癒されます。お金がない人も、与えられます。信仰を持ちましょう。一言お祈りします。皆さん、ご一緒にお祈りしましょう。知恵が欠けた人は知恵を与えて下さい、と。また、金のない人は金を与えて下さいと祈ったらよいです。子どもの問題を持っている方は子どもを助けて下さいと祈って下さい。ただし、“疑わないで”祈り求めましょう。そして、本当に必要なものを与えて下さいと祈りましょう。これは神さまのみことばですから信仰を持って一緒にお祈りしましょう。その後で、聖餐式にあずかりたいと思います。

ハレルヤ、愛する天のお父さま、心から感謝します。今日、あなたのみことばを聞きました。聞いただけで行わない人は死んだ信仰だとおっしゃいましたが、私たちが死んだ信仰を持つことがないように、かつて私たち日本人が韓国の人たちに対して行った悪事をお許しください。日本を愛し、祈祷院のためにお金をささげたり、日本宣教のために集会を開催したり、日本を愛して祈り、愛してくれています。私たちも心から韓国を愛します。韓国を愛します。好きです。赦します。お互いが心一つになって、世界宣教に励むことができるよう、導いて下さることをお願いします。イエスさまこの礼拝の中で病める人がおられます。イエスキリストの打たれた傷によって癒して下さい。このみことばを純真に受けとめる事ができますように。知恵の欠けた人は、今日知恵を与えて下さい。またあなたご自身のみ名の中で、すべての必要をどうか満たして下さり、あなたの栄光を表わして下さるようにお願いします。祝福されない人がだれ一人もいませんように。これから聖餐にあずかります。イエスさま、あなたはご自分の命、体を私たちに与えて下さったほどに愛して下さいましたから、イエスさまの血潮と裂かれた肉を感謝して受け取ります。どうか主よ、聖餐にあずかる一人一人が聖餐によって強められ、罪の聖めが与えられて、これから走っても疲れず、歩いてもたゆむことがない鷲のごとく翼をかって上ることができるよう、祝福して下さるようにお願いします。
また、イエスさまをまだわからない人がおられるかもしれません。その人も今日、イエスさまが触れて下さって、救いが分かりますように。主イエスのみ名によってお祈りします。アーメン


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