「鷲のように翼をかって上ることができる」


2009.5.24(SUN)
新城教会 上條 実牧師

イザヤ書 40章28節〜31節
あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

ハレルヤ。まずはじめにお祈りさせて頂きます。

<祈り>

愛する天の父なる神さま心から感謝します。あなたの素晴らしい祝福の中でここまで守られています事を感謝します。特別お祈りしています韓国リバイバルミッションが今週となりました。この韓国リバイバルミッションに対して、ご聖霊さまがなさろうとしていることを百パーセント実現にいたらせて下さい。私たちは目に見えないあなたに期待します。すばらしい事を見せて下さい。また今から弱い者がみことばを語ります。今日は今日で、聖霊さまが語りたい事を語らせて下さい。行って下さい。聞く一人一人に祝福をお与え下さい。主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

今日こうしてお話しできることを感謝します。先週は韓国にて韓国リバイバルミッションの奉仕をさせて頂きました。礼拝はコンピュータで、この新城教会の礼拝に参加させて頂きました。大変恵まれたメッセージを頂きました。滝元順牧師のメッセージの中で、私が事務局長、岡本信弘牧師が財務局長となったという所で、なぜか拍手が起こっていましたが、肩書きはともかくとして、みなさんがお祈り下さっているので、支えられたと感謝します。今日は滝元順牧師、滝元明牧師夫妻、そして、岡本信弘牧師は韓国の地でご奉仕しております。今日十一時から滝元順牧師とロンブラウン氏がクムゴク教会滝元明牧師はシンセン教会、ともに仁川市内の教会ですがお祈りください。また午後四時から滝元順先生はハウンスンリ教会、滝元明牧師はチュンシン教会。ロンブラウン氏はサラン教会日本語部で奉仕します。ぜひお祈りください。またミッションの準備として既に岡本泉姉をはじめ多くの兄姉が韓国に出かけています。先生方はじめ兄姉の、霊肉ともに健康であるようにお祈りください。準備が進んでいますが、正直言って思うように進んでいません。ひとつのことを韓国側にお願いするために打ち合わせをしようとしても、私が話したことを通訳の先生が話し、韓国側の返事をまた通訳してもらうというように、ことばの壁があります。日本で仕事するよりも何倍か手間が掛かるような気がしています。特に日本人は細かく準備しますが、韓国側はあまり細かいところまで決めなくても、何とかなるからと言われてしまいます。教会も大きく、大会を運営するノウハウがありますからなんでそんなに細かいところまで準備するのかと言われます。ぜひ当日トラブルがないように、良き準備ができますようにお祈りください。先週の月曜日会場となる、仁川三山ワールド体育館に打合せに行きました。行ったらすぐにある人が来られ、通訳のために行って下さったチェ先生と何か打ち合わせをしていました。その後李浩文先生との打合せがありましたが、「会場に警察の幹部が来ていただろう」と言いました。誰のことかと思ったらその時チェ先生と話していた人でした。李先生はまだ反日感情が消えているわけではないので、こういう大会を開催するのに万全を期するべきだと考え、李先生の教会に来られている警察の幹部の方に、大会の警備をするように手配して下さっていました。会場内の警備とまた講師陣の宿泊場所にも警備を付けると言っていました。改めて緊張感を持って大会に臨まなくてはいけないと思わされました。ぜひ、出かける方々も、こちらにのこられる方も大会のためにとりなして頂きたいと思います。
昨日韓国より大変大きなニュースが飛び込んできました。盧武鉉前大統領が亡くなったと言うことです。あと大会を五日後に控え、ここまで韓国リバイバルミッションのために祈り、特に今日の礼拝や今週、韓国で一番韓国リバイバルミッションのために盛り上がっていかなければならない時なのにどうしてと思います。ぜひ守られるようにお祈りください。今まで祈ってきた事ですから、必ず主のみ思いがなされると信じます。しかしぜひとりなして頂きたいと思います。

さて先ほどお読みしたイザヤ書四〇章二八〜三一節からみことばを学んでしきましょう。先ほど読んで頂きましたが特に三一節は有名なみことばです。もう一度読んでみましょう。

『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

これをリビングバイブルで読んでみますと

『しかし神様を待ち望む者は、新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がります。 いくら走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。』

素晴らしいみことばだと思います。今年の二月二二日の聖日にも同じ聖書箇所から語らせて頂きました。しかし今回も同じみことばからあらたに神さまが教えて下さったと信じて語りたいと願います。三一節の前に「疲れ、たゆみ、つまずき倒れる」と書かれています。私たちの生活の中で「疲れ、たゆみ、つまずき倒れる」事がしばしばあります。疲れる、つまずき倒れるという意味はわかりますが、たゆむという言葉の意味が良くわかりませんでしたので国語辞書を調べて見ました。すると「たゆむ」は打ち消しの意味で用いられる言葉のようです。緊張がゆるむ、油断する、怠ける、勢いが弱まるなどの意味があるみたいです。私たちの信仰生活の中で、主に力を頂いていますが、疲れてしまったり、たゆんでしまったりします。私は先週韓国リバイバルミッションのために一週間韓国で奉仕させて頂きました。三日くらい経った時、とても疲れてしまいました。ちょうどざわめきの方々も来ていて、息子たちも奉仕していましたが、「どうしてそんなに疲れているの?」と声をかけられるほど、疲れていました。その時、祈っている中でこのみことばが与えられました。

『しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。』

主を待ち望むとき新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れないとあり励まされました。私も肉体的には年をとり、孫も生まれました。老眼で遠近両用を遣うようになりました。体力は落ちてきているかもしれません。
しかし主を待ち望むとき、新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。みことばで励まされ、奉仕ができました。韓国リバイバルミッションのことだけでなく、みなさんの生活の中にも問題、病気、経済的な不安、子どもの問題、夫婦の問題、あげればきりがないほど、私たちは疲れさせる要素があると思います。クリスチャンとして一生懸命祈っていても、問題がなぜ動かないのかと感じる時があります。自分自身も韓国リバイバルミッションを目前に控え、お祈りしつつ働いても、なぜうまくいかないのかと焦り、「主よ、どうして動かないのですか」と祈ってしまいます。どうにかして早く解決して欲しい。速やかに動かしてほしいと考えますが、思うようにいかないことがよくあります。また、人と比較してしまうことがあります。何か人よりも劣っていると感じた時、落ち込んでしまいます。劣った部分だけを見て、自分がダメな人間であると感じてましいます。他の人はできているのになぜ自分だけはダメなんだろうと考えてしまいます。少し前にある人気グループの一人の歌手が泥酔状態で、裸になり公園で騒いでいたために警察に逮捕される事件がありました。そのグループが歌っている曲に「世界にたったひとつの花」という歌があります。

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる? そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

という歌詞です。花屋さんの花を見ても一つ一つ違うように、私たちも個々に素晴らしいのに、一番になりたいと頑張ってしまう。ナンバーワンにならなくてもいい、私たちは特別なオンリーワンなんだという歌の内容です。その歌を聴くと共感する部分があります。他の人を見るとすごく立派に見えてしまいます。そしてどうしてあの人は立派なのに自分はダメなのかと考えてしまいます。自分が祈っても答えが来ないと落胆してしまいます。
箴言の二一章二節に

『人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。』

とあります。私たちは人を見てしまいます。そしてあの人は素晴らしいのに自分はダメだ。と思ってしまいます。これは悪魔のささやきを聞いて納得してしまいます。しかし主は人の心の値打ちをはかっているんだと言っています。しかし私たちは外見をみて判断してしまいます。第一サムエル記の十六章三節〜七節には、ダビデがサムエルから王としての油注ぎを受ける時に起きた出来事です。

『いけにえをささげるときに、エッサイを招け。あなたのなすべきことを、このわたしが教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」サムエルは主が告げられたとおりにして、ベツレヘムへ行った。すると町の長老たちは恐れながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」サムエルは答えた。「平和なことです。主にいけにえをささげるために来ました。私がいけにえをささげるとき、あなたがたは身を聖別して私といっしょに来なさい。」こうして、サムエルはエッサイとその子たちを聖別し、彼らを、いけにえをささげるために招いた。彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』

サウル王が退けられ、神さまより次の王様が選ばれようとする時、任命のために遣わされたサムエルという預言者が、エッサイとその家族の所に出かけました。そしてその家の長男エリアブがサムエルの前に引き出された時、サムエルは彼の容姿を見て「この人こそ王様に相応しい風格の持ち主だ」と思いました。しかし神さまは、「そうではない」と言われました。そして順番に弟たちも連れて来られましたが、主は全て退けられました。その後で十一節〜十三節を見ると

『サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。』

エッサイの家族はエリアブをはじめとても立派な家族だったと思います。しかし、全員違っていました。サムエルは「子どもたちはこれで全部ですか」と問いかけました。エッサイは「まだ末の子が残っています。あれは羊の番をしています。」といいました。この当時羊飼いはあまり地位の良い仕事ではなく、社会的に地位が低い、ある面みなから軽蔑されてしまうような職業だったそうです。それに加え、ユダヤ教の規定によって、彼らは汚れた仕事をしている人だと考えられていました。その仕事をしていた末の息子がダビデでした。ダビデは取るに足りない末息子とみられていたかもしれません。だから「“あれは”羊の番をしています」とサムエルに答えています。ものの数にも入らないような子どもだったかもしれません。そのダビデを主は選ばれたのです。そして、彼は、イスラエルには欠かす事のできない人物となりました。私たちは人と比べて自分を判断し、自分がダメだと考えてしまいます。人はうわべを見るが、主は心を見ます。主は全ての人を愛してくださっています。よく滝元順牧師が語るように、私個人は製品ではなく作品です。私たちは特別なオンリーワンなのです。神をしっかりと見上げていきましょう。箴言の二一章十三節には

『寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答えられない。』

とあります。これは韓国リバイバルミッションのために私が与えられたみことばです。困っている人に耳をふさぎ、目を閉じてしまっているとしたら、自分が困ったとき、助けを呼んでも答えられないということです。私たちは自分の問題を中心に祈っています。自分の身の回りのことだけで必死になって祈り、考えているが、世の中には自分より大変な方々が大勢おられます。自分だけのために祈るものではなく、自分に与えられた恵みを感謝し、「受けるより与える方が幸いである」というみことばを覚えていかなければなりません。「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。」いつ休むことができるだろうかと思います。しかしこのみことばを握っていきたいと思います。自分より他の人に対して、特に寄るべのない人たちに耳をかすとき、助けるとき、祈るとき私たちの祈りが答えられるとみことばで語っています。「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」ここに「何日間断食したらあなたは新しい力を得る」とは書かれていません。また「何時間祈ったらあなたは新しく‥」とも書かれていません。また、一生懸命主のために奉仕したらとか、集会に参加したらとか、何かをした時にご褒美を神さまから頂けるのではないかと考えますが、主の方法は違います。滝元明牧師は、今年で八十才になります。今日も韓国で二つの教会で奉仕しています。今まで毎日奉仕できると言うことは、もちろん皆さんの祈りで支えられていますが、滝元順牧師も韓国と日本を何度も行き来し、常に全力投球です。いつも決起大会では夜中まで個人的に祈ってさし上げたりと自分には何も残らないのに、なぜそれほどに奉仕できるでしょうか?それは主を待ち望んでいるからです。ビジョンを持っています。「韓国、日本のリバイバル」を待ち望み、すべての人々が救われてほしいと熱望しているからこそ、あのように熱く働く事ができます。私たちも韓国と日本のリバイバルのために祈っています。しかしすぐに人を見させられたり、あきらめさせられて神さまに祈っても何も変わっていない。と考えてしまいます。しかし聖書は待ち望む時、新しい力を与えて下さると語っています。待ち続けていくことが大切です。頑張って、必死になって一生懸命やることも必要ですが、この「待ち望む」には、「待つ」という意味と「休む」という意味があるそうです。思い通りに行かない時、自分の無力さ、愚かさに悩んでいる時、待ち望みなさいと神さまは語っています。いつまでに答えられなかったらもう後はない。間に合わないと、自分で期限をつけてしまいます。今回韓国の事でも、盧武鉉前大統領が死去したニュースが飛び込んできたとき、韓国リバイバルミッションは大丈夫だろうかと心配になりました。この時期に亡くなったことに対して、否定的に受け止め、心を騒がしてしまいます。本来なら盧武鉉前大統領の家族のために、韓国の祝福と守りを祈らなければいけないのに、自分の事だけを考えてしまいます。しかし主は「待ち望みなさい」と語っています。思い通りに行かなくとも、私たちの思いとちがっても、天と地を造られた主は、私たちにみことばを通して語っている事は「待ち望む」ということです。今韓国リバイバルミッションを待ち望みましょう。主が起こして下さる事を期待したいと思います。昨日子どもたちとホサナクラブの中で、このみことばを学びました。「待ち望む」ということはどういう事だろうと話しました。その中でたとえとして遠足の前日の事を想像してみました。みんなに遠足の前日の状態を聞くと、やはり嬉しくて嬉しくて、お母さんにしかられながらもなかなか寝れず、期待にワクワクする。「ワクワク・ドキドキ」と喜び踊るのが遠足の前日だそうです。このことが待ち望むと言う事です。韓国リバイバルミッションもあなたの問題や祈りの課題もどの様に祝福してくれるのか「待ち望み」ましょう。マタイの福音書六章三四節に

『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』

とあります。リビングバイブルでは

『明日のことを心配するのはやめなさい。 神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。』

どんな神様を信じていますか。無力な神様ですか。いや天地を造られた神様だとわかっているのですから、待ち望みましょう。心配してはいけない。必ず祝福がある。神さまは必ず最善をなしてくださる。三〇倍、六〇倍、百倍の祝福をして下さることが約束されています。ですから信頼して休むことです。安心して進んでいきたいと思います。

先ほどのみことばには鷲が登場します。鷲はある意味興味深い動物です。その風格、大きさ、強さ、早さは鳥の中でも王様と呼ばれる鳥です。数年前天国に帰られましたが、設楽町に住んでいた原田猪津夫兄は動物博士でした。私は家庭集会がご一緒でしたので、良く家を訪ね、昆虫や鳥のことなどをいろいろ教えて頂きました。先生がいらっしゃったら、もっと鷲について教えてもられるのにと思いながら、今回鷲について調べました。一番大きな鷲は、翼を拡げるとなんと三メートルほどにもなるそうです。また鷲は崖っぷちに巣を作るそうです。それは外敵から卵や雛を守るという意図もあるようですが、もっと大きな意味は、風を捕らえて飛び立つことができるためです。鷲はとても風を読むのがうまい鳥です。例えば雀のように羽ばたいて飛び立つのではなく、見えない風をみて、上昇気流に乗って高く上っていくそうです。「わしづかみ」という言葉もあるように、鷲の足はつかむ力がすごい強く、人間でも鷲に捕まれた場所が悪ければ死んでしまうくらいだと思います。鷲が羊が山羊をさらって飛び去る映像がありましたのでご覧下さい。

これが鷲です。私たちの想像以上にすごい力を持っているのがおわかりになれたと思います。このあたりでは野生の鷲を見ることはできないのですが、鷲は見えない風をよんで、上昇気流にのって実にうまく上っていくことができるのです。鳥がどのくらいの高さを飛べるか知りませんが、ある番組でこんな事を放送していたそうです。あの世界一高いエベレストなどがあるヒマラヤ山脈の上を上昇気流を使って飛び越える鶴がいたそうです。そう考えると上昇気流とはすごいものです。鷲は羽ばたくわけでもなく、風の力を遣って飛んでいくわけです。目に見えないけれどどこに、どのような風の道があるか理解していて、風の力を知り、最大限に利用して舞い上がって高いところに飛んでいきます。「鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」私たちはジャンプしてもすぐに落ちてしまうものです。しかし聖霊さまは力強い神です。聖霊は風によくたとえられます。使徒の働きの二章一節〜三節までに、

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。』

聖霊さまは力強い風のような方です。私たちは、何か頑張ったら、祝福を得ることができると思い、必死になって前に進もうと思います。しかし進めずに、逆にもっと苦しむ事となり、更に否定的な考えに支配されてしまいます。私も今度礼拝のメッセージだと思うと普段以上に頑張って祈らなければならないと、すぐに頑張ることで結果が得られると思ってしまいます。聖霊さまの助けとはそうではなく、天と地を造られた神さまが、あなたを助けて下さる。休ませて下さることを約束して下さっています。
鷲はまた、子育ての時、はじめはひなを大切に扱います。しかし、ひなが育ってきて羽根がそろうと親鳥は、ひなを巣からわざとクチバシで押して落とすそうです。落とされたひなは必死になってもがき、羽ばたきます。しかしうまく飛べずにいる子どもの鷲の下に、親鷲は飛びながら、雛を助けるそうです。これを何回も繰り返していくうちに子どもたちが風を知り、自分で舞い上がることを覚えるます。私たちも同様に自分で何もできず、落ちていく中で動揺してしまいます。しかし親である主がおられます。また必ず脱出の道も備えてくれるとTコリント十章十三節には、

『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』

とあります。失敗を繰り返し、ダメだと思っても、ひとつひとつそれらのことから神さまの風を教え、頼るように学ばせて、見えない風の力をキャッチしてできるようにさせてくれます。そして申命記三三章二七節には

『「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ。』と命じた。」』

あなたの下に主の腕があります。どんな最悪な状況の中でも、主は守って下さいます。

またT歴代誌二八章二〇節には

『「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから――。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。』

主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てずとあります。今日礼拝前の準備賛美の中で「息よ四方から吹いてこい」と歌われていましたが、聖霊さまを認めていきましょう。風である神さまに身を任せて飛びだっていきましょう。待ち望んで下さい。自分でバタバタも羽ばたいても落ちてしまいます。目に見えない風に乗ったら高く上れるのですから、私たちは自分の力を抜きましょう。私たちは何にもできない器です。主が私たちに対して責任を持って下さいます。待ち望みましょう。いろいろな問題があったら待ち望みましょう。韓国リバイバルミッションも神さまにゆだねて行きたいと思います。主がなされることを、この目で見たいと思います。私たちの神さまは、人間のできることしかできない方ではありません。全知全能の神です。不可能はありません。すべてができる神です。どんなに大きな事をして下さるのか期待して待ち望みましょう。主よ!聖霊の風を吹かせてください。その聖霊の風に乗って、様々な問題も、病も、韓国リバイバルミッションも、全てに勝利を与えて下さると信じて、待ち望み続けたいと思います。主を信じて行きましょう。最後に有名なみことばを読んで終わりにしたいと思います。詩篇の一〇三篇一節〜五節です

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』

いつも読んでいた箇所ですが、ここでも鷲ということばがある事に、今回始めて気付き感動しました。主はよくしてくださる。必ずよくしてくださる。遅いと思ってもそうではない。私たち一人ひとりが製品ではなく神さまの作品です。主は私たち一人ひとりを愛して忘れず、見捨てることもない神を信じて待ち続けていきましょう。必ず聖霊によって爆発的な勝利を頂く事ができます。最後にお祈りします。そしてその後十字架を仰いで聖餐式に預かりたいと思います。

<祈り>
愛する天のお父さま。感謝します。私たちは自分でなんとかしなければならないと、問題を持ってもがいています。しかし今日私たちは待ち望む事を学びました。神にとって不可能なことはひとつもありません。主よ私たちは聖霊の風に乗って、進んでいきたいと願っています。今日いろいろな問題があっても、あなたに任せます。遅いと思っても絶対に遅くないと信じます。主イエスさまあなたを待ち望みます。聖霊によって大勝利を与えて下さい。今聖霊の風を吹かせて下さい。今私たちが聖霊の風を見る事ができますように。あなたを見る事ができますように。あなたの風に乗って大きな勝利を与えて下さい。韓国リバイバルミッションもあなたに任せます。すばらしい主の働きを体験させて下さい。回復を与えて下さい。これからあなたのみからだと血をいただく、聖餐式を行います。私のために、永遠なる神さまが、私を裁きの場所から救いの場所に替えて下さった愛を心から感謝しの聖餐をいただきます。この聖餐式を祝福して下さい。主の御名によってお祈りします。アーメン


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