「国のために祈ろう!」


2009.8.16(SUN)
新城教会 滝元 順 牧師

第二歴代誌 7章11節〜14節
こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。今日も素晴らしい礼拝を持つことができ、心から嬉しく思います。ロン・ブラウンさんをはじめ、バンドの皆様方の、迫力のある演奏は素晴らしかったです。
 先週は、金、土と、「Music Arts Revival Movement」というイベントが、新城教会を会場に行われました。この働きは、一昨年前から、ロン・ブラウンさんによって始められた働きで、この度は日本全国から、特に賛美に重荷を持つ方々が集りました。セミナーをはじめコンサートなど、素晴らしいプログラムでした。
 このカンファレンスに来られた方々で、今日、この礼拝に出席なさっている方もおられます。心から歓迎します。是非とも、良い交わりの時をもって頂きたいと思います。

 今日の演奏を聴きますと、神様は、人を楽しませるために、また主を賛美させるために、人類に音楽を与えたことがよく分かります。一人一人、神に造られた素晴らしい作品です。聖書は、人間一人一人に賜物が与えられていると教えています。
 今回のミュージックセミナーの中で、ギタリストのケイラブさんがメッセージを語って下さいました。彼は、エリック・クラプトンやエルトン・ジョンのバンドで、長い間プレイしていた有名な方ですが、彼のメッセージは素晴らしかったです。
 それは、神は、一人一人に賜物を与えており、それは一生、消し去ることはできないと語りました。賜物は、途中で消すことはできないのです。
 その賜物が、神に結びついて使われれば、周りを祝福し、神に栄光がお返しされるのですが、もしも賜物が神につながらず、悪魔に繋がったり、自分のために用られるようになると、その賜物が、自分にとって呪いとなる、と語りました。私は、そのメッセージを聞いて感動し、また、心から同意しました。

 なぜなら、私は、多くの方々の解放の祈りをお手伝いさせて頂いていますが、様々な問題がどこから発生しているかというと、他でもなく、その人に与えられている能力から発していると感じるからです。与えられた賜物が、自分を苦しめ、呪いとなり、その結果、問題として身に降りかかっているのをよく見るからです。人間には神から能力が与えられていますが、それを神の手に戻し、神の栄光を現すために、聖霊の力によって賜物を用いないといけないのです。さもないと、神が与えて下さった能力そのものが、自分を苦しめ、自分を呪う結果になりかねないからです。

 近頃も、芸能人たちが麻薬におぼれたり、色々な問題を起こして報道されています。それらの問題を見るとき、まさに、与えられた賜物の呪いです。才能豊かな人々が、神に繋がるのではなく、悪魔に繋がったことにより、自分を苦しめる結果を招いているのではないでしょうか。

 国とは人々の集まりですから、国全体にも、神から与えられた使命、能力、賜物があるはずです。その賜物が神につながれているならば、大きな祝福となって他国を祝福するのですが、神に繋がらずに、サタンに繋がっていたらどうなるでしょうか。それは、自国を呪い、他国をも傷つけてしまうのです。

 昨日は、日本において大きな記念日でした。それが、「終戦記念日」です。日本人は、決して「敗戦記念日」とは言いません。負けたことを素直に認めて、敗戦記念日と言えばいいのですが、終戦記念日と言います。第二次世界大戦前後を生き抜いて来られた方々も、多くおられると思いますが、六十数年前は、日本に与えられている賜物が、悪霊と強力に結びつき、大きな問題を引き起こしました。その結果として、日本人だけで三百万人が命を落としました。さらに、アジア諸国では、二千五百万人くらいの人々が死にました。本当に大変な時代であったと思います。二度と同じ過ちは繰り返したくありません。先週は、そんな記念の週であったせいなのか、荒れ模様の一週間でした。火曜日には、この地方に大きな地震がありました。あの地震の中でも、寝ていて気づかなかったという強者も居るようですが、ほとんどの人は気づいたと思います。
 地震に気づかず、寝ていた人はどのくらいおられるでしょうか?子供達は多いですね。あのまま地震が続いたら、家が壊れてしまうのではと思う程、揺れが激しかったです。震源地が静岡県でしたので、そのあたりから来られている方々に私はすぐに電話をしました。震度六弱でしたから、かなり強く揺れたそうです。しかし東海沖地震が、もしも起こったら、今回の地震の五倍程の揺れが予想されるようです。それが現実にならないように、私たちは真剣に祈らなければなりません。

 太平洋戦争の終わり頃、一九四四年、四五年に、三河地方で非常に大きな地震がありました。それが「三河地震」です。三河地震は、戦争の最中でしたので、あまり報道されなかったのですが、三千人以上が命を落としたと言われます。まさに、泣きっ面に蜂という感じでした。戦争で痛めつけられ、苦しめられ、大変な状況にあったのにも関わらず、加えて地震があり、日本はガタガタになりました。
 ついに、一九四五年八月一五日、天皇の玉音放送により、戦争は終わりました。そんなことなら、初めからやらなければよかったと思います。
 今日は午後から、「国のために祈る」というプログラムを持ちます。是非とも、国のために祈るという観点を持ちましょう。教会では、一人一人の祝福という視点でメッセージが語られることが多いのですが、もちろんそれも大切ですが、それ以上に大切なことは、やはり、「国の為、世界の為に祈る」という、大きな視点を持つことです。私たちは今、日本に住んでいますが、国が祝福されなければ、そこに住む民も祝福されないからです。

 一九四一年一二月七日、天皇がアメリカを始めとする連合国に対して、宣戦布告をしました。その日、この国に何が起こったのでしょうか。
 私の父親の生まれは、愛知県北設楽郡津具村という山村で、たった四件しか家がありません。前見ても山、後ろ見ても山、空が小さく、昼が短い日本昔話に出てくるような田舎です。戦争が始まったとき、父は小学生だったそうです。しかしそんな山の中の子供さえも、その瞬間から、銃口がその方向に向けられたのです。国が安定を失うなら、国に住む人たちも同様に、安定を失うのです。

 先週、私は嬉しかったです。なぜなら、孫が東京から久しぶりに帰って来て、その成長を見られたからです。「じぃじぃ、じぃじぃ」なんて呼ばれて、ニヤニヤしていました。
 しかしもしも、日本が再び戦争状態になたらどうでしょうか。そんな幼子さえも、日本国民だというだけの理由で、戦争に巻き込まれるのです。ということは、私たちは個人的なことだけを祈っていては、不十分なのです。国のために、とりなさなければならないのです。そうでないと、自分の祝福までも失ってしまうからです。

 国のために祈る使命はとこに与えられているのでしょうか。それは、教会に使命があります。国の将来を決めるスイッチが教会に置かれているのです。教会がそれを正しく使うならば、国が守られるのです。しかし、教会がそのことをしっかりと捉えず、行わないと、国の将来に何が起こるのか分かりません。
 今週は一八日に衆議院選挙が公示され、三〇日には投票があります。教会はどの政党を支持するとか、政治とは関係ないのですが、ある意味で、今回の選挙は重要かもしれません。日本のシステムが大きく変わる事になるのかもしれません。このような大切な時期に、私たちは国のために、祈らなければなりません。子供達からお年寄りまで、日本のため、また世界のために祈る必要があります。現代は国際社会ですから、日本さえ良ければというわけにはいきません。世界が安定していないと、自国の安定も得られないからです。つい最近の経済不況も、アメリカで起こった不況が、津波のように世界中を覆ったわけです。それは世界の国々のために、とりなし祈らなければならないという警告です。
 日本教会は、日本のために責任を持ち、重荷を持って祈らなければなりません。それは、日本教会に与えられている使命です。

 今日の御言葉は、ソロモンというイスラエルの王の時代のことです。イスラエルは、ソロモン王の時代に、最も繁栄しました。その時、神がソロモンに現れて、一つの命令を下されました。そこで、神を信じる民達に与えられている、使命が明らかにされています。もう一度、その箇所を読んでみたいと思います。

第二歴代誌 7章十一節〜十四節
こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。すると、主が夜ソロモンに現れ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 王権が確立し、最盛期を迎えたただ中で、主がソロモンに語られたのです。もしも、国に問題が起こったならば、「わたしを呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、主のみ顔を慕い求めて、悪い道から立ち返って、悔い改めて祈ったら、地が癒される」と約束されました。
 「地」という言葉は「エレツ」、「国」とも訳すことができる言葉です。国に色々な困難がある場合、クリスチャンが祈らなければいけないのです。そして、クリスチャンが祈る祈りによって、国が安定すると約束されたのです。

 先週は、「教会はどこにありますか?」というメッセージを語らせて頂きました。教会はどこにあるのでしょうか。それは生活のただ中にあるのです。自分が最も関心を持っている場所、自分にとっての最前線が教会なのです。教会は、「ハデスの門前にある」とイエスさまは語られました。ハデスの門前とも言うべき、戦いが最も激しい現場に教会は存在するのです。
 私たちは、私たちが遣わされている現場を霊的視点で見て、その場所で行われている罪を悔い改め、自らへりくだって祈らなければならないのです。また、私たちも悪い道に染まることなく、神に立ち帰らなければなりません。その場所がいやされるように、ひいては、国がいやされるように、祈らなければならないのです。

 太平洋戦争には、主に、おじいちゃんやおばあちゃんの世代が関わりました。それでなんとなく、おじいさんや、おばあさんの戦争のように勘違いしてしまいます。老人達が武器を持って戦ったのかなと思います。
 今日は午後から、戦争を体験された方々から、当時の体験を聞きたいと思っています。特に私は若者たちに出席してほしいと思っています。今日は体験を語って下さる方が三人おられます。もう少しで死にかけたNさんは未だに、鉄砲の弾が頭の中に入っています。
 しかしそれを遠い昔の話、古代の話のように聞かないでいただきたいのです。それは、たった六十数年前の出来事なのです。近頃、戦争体験者が高齢化して、戦争体験談を聞く若い世代が、「あれは老人達の戦争だ」と勘違いしています。
 それは、「若者達の戦争」だったのです。今日語って下さる三人も、六十数年前は青年でした。当時は徴兵制があり、若者達が戦争に駆り出されました。何歳から駆り出されたのかをご存じでしょうか。実は、一七歳からでした。志願したら一七歳から兵隊になれたのです。二十歳からは、何が何でも戦争に行かなくてはならなかったのです。一七歳は、今でいう高校生です。
 戦況が激しくなって、状況が悪くなると、その年齢を引き下げるようになりました。何歳にまで引き下げられたかをご存じですか。なんと、一四歳からでした。一四歳で戦場に送られたのです。それはいくら何でも酷いということで、限定された地域からに限られたのですが、その地域に設定された一つが、沖縄県でした。ですから、沖縄では、何も知らない多くの少年たちが戦場に送られ、死んでいきました。彼らは国に洗脳され、兵隊として戦場に出て行くのが嬉しくて仕方がなかったそうです。それで沖縄では、多くの少年達が犠牲となったのです。

 ここに一四歳の方はおられますか。一四歳の方は手を挙げてください。一度立って下さい。皆さん、この年齢で戦争に行かなくては、ならなかったのです。戦えると思いますか。無理だと思います。でも、六十数年前は、この年齢で戦場に送られました。今の一四歳、一五歳の子供達を見たら、本当にあどけない少年達です。かつて日本において、そんな子供達が戦場に送られたわけです。ですから、太平洋戦争は、決して、おじいちゃん、おばあちゃん達の戦争ではないのです。入れ歯をガタガタさせながら、戦場で戦ったように勘違いしてはいけないと、先日、テレビで訴えていました。
 今の子供達が大人になったときに、そういうことが再び起こらないとは限りません。このようなことが絶対に繰り返されないように、クリスチャンが真剣に祈らなければいけないのです。
 また、大きな地震でこの国が滅びるとも有り得るのです。ですから、私たちは、真剣に、国が滅びないために、祈らなければならないのです。
 第二歴代誌七章一四節を皆さんで、もう一度読んでみたいと思います。この言葉は大変重要です。

第二歴代誌七章一四節
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 「わたしの名を呼び求めているわたしの民」、すなわち、「クリスチャンたち」が、みずからへりくだり、国のために祈らなければなりません。王であったソロモンに、神は語られたのです。神はその言葉を聖書に書き残し、後世の人々にも知らせているのです。「同じようにしなさい」と、語っておられるのだと思います。
 実は、色々な問題が起きる背景に、罪と霊的問題があるのです。特に、罪は、その世代だけで終了するのではなくて、罪の結果が現れるのが、「後の世代」であると聖書は示唆しています。

 日本の歴史の中で、最も大きな罪が「太平洋戦争」ではないかと思われます。
 今年は、五月に「韓国リバイバルミッション」がありまして、私も韓国で長い間奉仕をさせて頂きました。二年後にもう一度、韓国でリバイバルミッションがありますので、是非とも祈って頂きたいと思います。そんなこともあり、韓国からの要請もあり、今週私は韓国で一週間ほど奉仕させて頂きます。
 また、九月にも、韓国で奉仕をさせて頂きます。九月は、ソウル市役所前の大きな広場に、若者たちが七万人集まり、リバイバルを祈る「Rise Up Korea」という集会があります。そこでも奉仕することになっています。ちょっと興味深いのです。ソウル市役所前の広場ですから、一般の人たちもいますので、発言には気をつけて下さいと言われています。是非とも、祈って下さい。
 韓国の方々は、日本人とは国に対する意識が違います。韓国が犯してきた罪を悔い改め、国がいやされるように祈ろうということで、若者達が七万人集まるというのですから、驚きです。

 それに比べ、日本人は、それらのことに興味が無いようにも思います。この頃、韓流ブームで、日本から中年のおばちゃん達が韓国へ大勢行っています。それで韓国は、経済的に潤っていますが、しかし、何も躊躇せず、ただはしゃいでいる日本人のおばちゃん軍団を見ると、韓国の方々は無性に腹が立つそうです。
 「六十数年前、この国でおまえ達は何をしたのかを知っているのか!」と複雑に感じるそうです。傷つけられた側は、今でも覚えているのです。「ヨン様、キャーッ」と浮かれて、ピースして写真を撮っている日本人の姿に、怒りを覚えるのだそうです。最近では、修学旅行などでも、高校生なども韓国を訪れますが、キャッキャと騒ぎながら、携帯をいじりながら明洞あたりを我がものに歩いている姿にも、うんざりする様です。この前の世代が、この国で何をしたのか知っているのだろうか、と複雑な思いになるようです。
 しかし日本人は、過去に日本が韓国で何をしたのか、あまり教育されていません。それで意識が非常に薄いわけです。竹島問題もその一つです。竹島といったら、蒲郡の沖にあるのかなくらいにしか思いません。竹島は、韓国と日本の間にあって、韓国では大きな問題としています。韓国に奉仕に行きますと、教会でも、それら政治的問題が取り上げられることがあります。時には、「まず最初に、順先生にお聞きしたいことがあるのですが、竹島問題については、どんな見解を持っておられますか?」などと、のっけから質問されることがあります。「竹島ってどこだったっけ」なんて言ったら、たいへんなことになります。何らかの返答をしなければなりません。とても難しい思いをします。賛美の時に、歌詞がスクリーンに出ますが、韓国のある教会では、その歌詞の背景が竹島だったりします。日本人として、複雑な気持ちになることもあります。レストランの壁紙にも、竹島が描かれていて、「これは韓国の領土だ」と言われることもあります。日本人は、歴史的な事柄に関して意識が薄いのを思い知らされます。
 歴史は、歴史として、事実をしっかり知るべきだと私は思います。日本の場合、過去に行った都合の悪い歴史は隠したり、小出しにして、教科書も内容を制限して、限定した内容しか知られないように教育がなされています。日本は、かつて、アジアの諸国に酷いことをしました。そんな中で、一番大きな罪は何であったかと言うと、「偶像礼拝」です。日本の偶像礼拝をアジア諸国に持ち出すという理由で、日帝支配が拡大していきました。

 イスラエルの歴史を見ると、ある時は栄え、ある時は滅び、それを繰り返していました。なぜでしょうか。その原因はただ一つでした。国が真の神から離れ、偶像の神々を慕ったとき、国に色々な問題が起こりました。
 そして罪とは、ただ罪を犯した世代や、罪の現場だけで終わるのではなく、なんと、後世に結果が現われるという原則があることに気づかされ、唖然とします。
 サムエル記にはこんなことが記されています。

第二サムエル記 二一章一節
ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」

 ダビデの時代は、サウルの時代からしたならば、後の時代です。サウルは、最初のイスラエルの王様でした。その次に、ダビデの時代が訪れました。ダビデの時代になって、三年間続いて飢饉があり、その理由をダビデは主に訪ねたのです。すると、「先代の王、サウル一族が血を流した罪がある。彼がギブオン人達を殺したからだ。」と語られました。この時点では、サウルはすでにこの世にはいませんでした。
 実は、さかのぼるところ二百年くらい前のヨシュアの時代、ギブオン人たちが、上手にヨシュアにとりいって、ユダヤ人たちの中に混じりました。ヨシュアは騙されて、彼らを受け入れることになったのです。
 しかし、長い年月がたって、民族的な違いからでしょうか、サウルがギブオン人たちを殺したのです。神の前に一度は受け入れた民たちを殺したのです。このサウルの時代の罪が、ダビデの時代に、結果として、「三年間の飢饉」として現れたのです。このように、罪の結果が後から噴出することを見るのです。

 また新約聖書においては、ステパノが、人々にメッセージを語った中で、アモス書を引用しました。イスラエルがなぜ、祝福を失ったのかを教えている箇所です。

使徒の働き 七章四二節〜四三節
そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の星に仕えるままにされました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。あなたがたは、モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。それゆえ、わたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ移す。』

 これは、出エジプトの時にイスラエルが行ったことを引用した箇所です。彼らは神から助けられたにも関わらず、他の神々、すなわち偶像を担いでいたというのです。その結果、「あなたがたをバビロンのかなたへ移す」と告げられているのです。
 バビロン捕囚といえば、それから何百年も後の出来事ですが、なんと、出エジプトの時に将来の方向性が決定づけられてしまったのです。
 ここからも分かりますが、偶像礼拝は、大変大きな罪であり、後世に問題を引き継ぐ大きな原因となっていることがわかります。
 してみれば、日本は自国の偶像礼拝を、アジアの諸国にまで持ち出したのですから、その罪は決して小さな罪ではないはずです。

 以前にも一度お話させて頂きましたが、一九〇七年、北朝鮮のピョンヤンで大きなリバイバルが起こりました。そのリバイバルは、未だかつて見たことのないような、一致のリバイバルだったそうです。多くの人が罪を悔い改め、主に仕えて、社会の雰囲気が大きく変化していったそうです。はじめは、クリスチャンで無い人々は、怪訝そうにクリスチャンの動きを見ていましたが、彼らの生活があまりにもすばらしかったので、この人達に国を任せておいたら安心だ、国が良くなるだろうと期待したそうです。リバイバルは朝鮮半島全体に爆発的に広がって行ったそうです。
 しかし、一九一〇年に何が起こったかと言えば、日本が朝鮮半島に侵入して、日韓併合が行われたのです。そして、日本は朝鮮半島のすべての村々町々に、神社を建てたのです。今でも韓国に行きますと、神社の跡地が残っています。日本人は朝鮮半島に入っていって、まず初めに神社を建てました。私たち日本人がそこに行きますと、雰囲気で、だいたいどの位置に神社が建っていたのかが分かります。日本の神社は、山を背にして北向きに建っていますから、この辺に神社があったのでは・・・と調べてみると、だいたい跡地があるものです。韓国のどの町にも、どの村にも、神社が建てられ、朝鮮半島を日本としてしまいました。
 また、創氏改名といって、日本は、韓国人に日本名を名乗らせました。日本名に改名させることは、何を意味していたかと言うと、神社の氏子とする、つまり神社のメンバーに組入れることを意味しました。
 それにより、一九〇七年に起こったリバイバルの火も、だんだんと弱くなり消えて行ったのです。当時、韓国のキリスト教会は、神社参拝に猛烈に反発しました。なぜならば、それは、他でもなく偶像礼拝だからです。韓国の教会は迫害に耐えたのですが、やがて徐々に韓国の教会も自ら、神社参拝をするようになったのです。

 なぜでしょうか。なぜ、韓国教会が偶像礼拝をするようになったのでしょうか。当時、日本教会はすでに国家の圧力により、日本キリスト教団という一つの団体にまとめられ、教会に関する規則が作られました。それは、礼拝を持つことは許されるが、礼拝前に一つの事をしなければならないとされました。教会の十字架の上に神棚を造らせ、礼拝が始まる前に、まず、君が代を斉唱をし、神棚を参拝し、現人神の天皇が住んでいる方向に向いて、宮城遙拝と最敬礼をして、それから、礼拝を始めさせたのです。これは昔の話ではなく、ほんの六十数年前の話です。
 イメージしてみて下さい。もしも、今日、この会堂の十字架の上に神棚が設置してあり、それを拝んでからでないと礼拝できないとしたら、それはすでに教会ではありません。そんな礼拝なんて絶対にあり得ない事です。でも、それをしない限り、警察が来て牧師は逮捕され、教会は迫害を受けたのです。そのため、教会は妥協することになったのです。その場面には立ち会いたくない信徒達は、遅れて礼拝に来たそうです。それが今でも習慣として残っていて、礼拝に遅れてくるのかどうか知りませんが(笑)、日本教会が偶像礼拝に屈したのです。
 さらには、日本の教会リーダー達が何をしたかと言うと、韓国の教会のリーダー達に、神社崇拝は罪でないと説得したのです。なんと、「神社崇拝は偶像礼拝ではない」と、神学的詭弁と圧力により、韓国教会リーダー達を集めた会議で、「神社礼拝は偶像礼拝ではない」と決議させたのです。
 考えてみれば、本当に日本の教会は恐ろしいことをしたものです。これは軍部の圧力に屈したという面も多分にありますが、迫害に耐えるというよりも、妥協を選び取ったのです。その結果、韓国の多くの教会も、神社崇拝をするようになったのです。

 一九四五年八月一五日、終戦を迎え、韓国は解放されたように見えましたが、その後続けて朝鮮動乱が起こり、国は南北は分断し、現在にまで至っています。
 その原因はどこにあるのでしょうか。原因はいろいろと考えることが出来るとは思いますが、最も大きな原因は、「日本が持ち込んだ偶像礼拝」にあるのです。それも日本は、リバイバルの火を消すという大きな罪を犯したのです。そして、その原因が、日本教会にあったのです。日本の教会が、韓国のリバイバルされた教会を神社崇拝に誘った故に、日本も呪われ、また、韓国も分断してしまうという、大被害を与えたと言えます。

 罪の結果が現われるのが、その時点というよりも、後の時代であるとする聖書の原則を重ね合わせるときに、本気になって国の罪を悔い改めなければならない事に気づかされ、強く教えられます。
 日帝支配の罪は、誰かの罪ではなく、私たちの罪、教会の罪として、神の赦しを求めて祈ることがどうしても必要です。それが、この国の未来を決めていくと信じます。

 東海沖地震をとどめることができるとしたら、それは地質学者でも、国でもなく、クリスチャンの祈りにかかっていると私は思います。
 今回の地震は、大地震の前触れだと言う人もいます。それが起こらないように、私たちは真剣に祈らなければなりません。そのために、まずは、教会の中が清められないといけないと教えています。

 黙示録には七つの教会が出てきます。七つの教会には、全て町の名前がつけられています。その中で、「テアテラにある教会」のことが記されています。

黙示録 二章一八節〜二三節
また、テアテラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝くしんちゅうのような、神の子が言われる。「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

 テアテラ教会には、一つの大きな責任が課せられていました。それは、街全体に対しての責任です。同時にそれは、地域全体、国全体に対する責任でもあったのです。この箇所と、先ほどお読みした、第二歴代誌七章の御言葉とを合わせるときに、何を具体的に悔い改めればならないかについて理解できます。
 その第一は、先ほどから語っている「偶像礼拝」です。特に、このテアテラにおいては、街の中心に太陽神が祀られていました。人々は太陽を神として、毎日太陽に向かって祈りを捧げていたのです。そればかりか、太陽神に捧げ物をし、その後、食べていたのです。また、教会に来ている人達も、それに関わっていたことがわかります。

 同時に、このテアテラの町には多くの汚れがありました。それは、何かというと、「性的乱れ」でした。街には、遊郭のような場所があり、人々は淫乱な生活に明け暮れていたのです。テアテラの街は、実に、「太陽神礼拝と、不品行、姦淫の罪」で満ちていたのです。街にはイザベルに象徴される悪しき存在がいて、性的乱れが蔓延していたのです。

 そんな環境の中で、テアテラ教会に主が語られた言葉は、「偶像礼拝の罪と、不品行の罪を悔い改めなさい」でした。教会の中にも、同様な罪があったと思われます。ということは、それ以上に、テアテラの街全体が、そのような罪で満ちていたのです。ゆえに、教会に出入りする人達も、その強い影響を受けていたのです。主は教会に、それらの罪をしっかりと悔い改めなければならないと語られました。
 テアテラの教会に対して、「あなたがたの教会は、はじめの行いよりも勝っています」と主は励ましを語られましたが、同時に、偶像礼拝と淫乱の罪から離れなさいと命令されました。
 それは、ただ単に、個人とか、教会というだけでなく、街全体、ひいては国全体のことを含んで語られた言葉であるはずです。

 偶像礼拝と淫乱の罪が、本当に恐ろしい結果をもたらすことを、知らなければなりません。では、これらの罪が、どのような結果をもたらすのでしょうか。それについて言及しているのが、二二節です。

黙示録 二章二二節
見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

 この女は、テアテラ全体を代表しています。結果、教会と街に何が起きたのかと言いますと、『この女を病の床に投げ込もう』とあります。つまり、これら罪の結果は、多くの病が発生すると告げています。
 また、『また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう』ともあります。
 大病と大きな艱難が襲いかかるのです。それらが、「偶像礼拝と不品行の罪」によってもたらされる可能性があるのです。そして、

黙示録二章二三節
また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。

 これは、子供達にも色々な問題が発生することを現しているのではないでしょうか。偶像礼拝と淫乱の罪が、なんと、罪を犯した個人だけではなく、地域全体、また、子供たちにも艱難が襲いかかると警告しているのです。

 そのことに関して取り扱うことができるのが、唯一、教会ですから、教会がそれらをしっかりと受け止め、悔い改めるように主が語っておられるのです。もし万が一、教会の中にそれらの罪があったら、絶対に駄目ですよと語っておられます。
 私たちは、自分の行動に責任を持たなければなりません。なぜなら、自分が行っていることが、新しい世代に影響を与えるからです。責任をしっかりと認識することが必要です。

 自分の罪によって、大きな艱難や病が、子供達や孫達の世代にまで影響を与えることのないようにしなければなりません。私たちは心して罪から離れ、清い生活をしなければならないのです。
 特に、テアテラの教会に語られたことは、教会が認識し、教会が悪い道から立ち帰る必要があると告げています。その時、「国が回復」するのです。
 私たちは今日、歴史的な位置に立っています。そして、テアテラの街の状態は、日本と同じではないでしょうか。日本も太陽神を拝んでいますし、偶像に捧げた物を常に食べています。そして、多くの性的罪がはびこっているからです。

 次に日本起こることは、大きな艱難、子供達の世代の問題と続くのです。それをなんとしても、食い止めなければなりません。その責任が、私たち一人一人にあるのです。

 先週は地震があったり、前後して大雨など、多くの災害がありました。なんとなく、国が揺さぶられているような気がします。盆があって、死者礼拝が多くなされ、戦争の記念があったり、さらには、衆議院選挙があったりと、国がどちらの方向に進むのか、霊的には際どい場所に立っているような気がします。この時期に、主が私たちにとりなして祈るように、強く語って下さっていると信じます。最後にもう一度、第二歴代誌 七章一四節をご一緒にお読みしましょう。

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 まず、主を信じる者達が、ひざまずいて祈りなさい、主の顔を真剣に慕い求めなさい、もしもあなたが悪い道にいるならば、悔い改めなさい、そうしたら、地がいやされますと語られています。
 地とは、国を意味します。国が変えられるカギが教会にあります。今日、皆さんでもう一度主の前に出て、祈りたいと願います。過去に日本が犯した罪を悔い改めて祈りたいと思います。昨日は八月一五日で、ロンさん達、アメリカの方々と一緒に、日米間にあった罪が赦され、その罪がぬぐい去られるように祈りました。

 今日は、今から聖餐式を行いますが、イエスさまの十字架の血潮によって、罪を赦して下さいます。この国の罪を許して下さい、この国が今まで歴史の中で行ってきた罪を赦してください、偶像礼拝の罪を赦してくださいと祈りましょう。
 そして、淫乱の罪も悔い改めましょう。決して、そのような罪に巻き込まれることがないように、結果を被ることがないように、主の前に出ていきたいと思います。

 今日は、聖餐式のジュースの色がいつもと違いますが、腐っているわけではありません。私の父が自分で葡萄を育て、抽出したものです。あまり美味しくないかもしれませんが天然です。味はともかく、イエスさまの十字架の血潮を仰ぎましょう。一言お祈りします。

 ハレルヤ、天の父なる神様、御名をあがめます。このような時期に、私たちは天を仰いで祈ることができ感謝します。今まで、日本が犯してきた、特に、歴史の中で犯してきた罪を赦して下さい。偶像礼拝を自ら行うだけでなく、多くの国に偶像礼拝を強要し、人々を苦しめた罪を赦して下さい。
 主よ、どうか、その罪から清めてくださいますように。また、盆の時期で、多くの祖先崇拝が行われています。どうか、その罪を赦して下さい。
 また、この国には、多くの不品行、姦淫、性的罪が蔓延しています。その罪をお赦し下さい。メディアの中にも汚れたものが溢れていることを赦して下さい。今私たちは、その罪を心から悔い改めます。主よ、あなたの顔を慕い求めます。どうか、この国を解放してください。いやして下さい、お願いします。この国を解放して下さいますように。
 主よ、来て下さい。今日の聖餐式は、ただ個人的な罪だけではなくて、日本が過去に行ってきた、偶像礼拝、不品行、姦淫、その他、すべての罪も清め、赦して頂くための代表的な祈りとなりますよう、お願いいたします。今日、この時を祝福して下さい。また、今日、午後は、国のために祈りたいと願っていますから、そのことも主が導いて下さいますように。今からの聖餐式が聖霊によって、御言葉によって、裂かれた肉、流された血潮に変えられますように。それを頂くときに、イエスさま、あなたと一つとなることができますように。今まで、偶像に捧げた食べ物を、食べたり、飲んだりしたことを赦して下さい。今日は、あなたと交わる者となりますように。ひたすら、あなたの御顔を求め、尊きイエスさまの御名を通して祈りをお捧げします。アーメン。


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