「あなたのその力で行け」


2009.8.30(SUN)
新城教会 滝元 明 牧師

士師記 6章11節〜16節
「さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」

 ハレルヤ!おはようございます。今日は久しぶりに、この講壇でお話しさせて頂ける恵みを、心から感謝します。皆さま方がお祈りして下さって、私も健康で、今日この場に立つことが出来、心から感謝します。私がここでメッセージするのは久しぶりだと思いますが、実は、6月、7月とあちらこちらをまわって、6月は特に中村智恵子先生と東海地方の教会、7月はロン・ブラウンさんとマキーダさんと一緒に、九州方面を、10か所くらいの教会で集会をしました。皆さんの祈りにより、非常によい集会で、あわせて2284人が集まり、340人くらいの方々がイエス様を信じる決心をされました。素晴らしい集会を持たせて頂きました。
 宮崎でも集会をさせて頂きましたが、今朝は宮崎の方が礼拝に来ておられます。ようこそ、いらっしゃいました!

 また、8月は皆さんもご存じのように、ここでミュージック・アーツの集会があり、素晴らしかったです。ロン・ブラウンさんやティニカさん、ウィル・ケネディさん、カズ加藤そして、堅志など、非常に素晴らしいミュージシャン達が、ここに来て素晴らしい集りを持ちましたが、その方々が少し時間があるというので、特別に軽井沢で集会を持つことにしました。

 軽井沢では、1970年から、ずっと避暑地伝道を田中政夫先生と共に続けていましたが、途中からやめていました。
 しかし今回、20年ぶりに集会を持てた事を感謝します。新城からも、大勢の兄弟姉妹が応援に駆けつけて下さって、共に恵みを頂いた事を感謝します。

 8月18日から21日まで軽井沢で集会をし、8月22日は、他の場所でロンさんとティニカさんと私で、集会を持たせて頂きました。非常に恵まれました。
 その集会に行った時、長野県のリンゴをよく作るある街ですが、そこにはかつて私が東京の日本農業研究所で、一年間勉強していた時、同じ部屋で過ごした友達が住んでいるので、電話帳で名前を探して電話をしました。
「もしもし、○○さんのお宅ですか」と電話しますと、その家のお嫁さんが出られ、「数年前に亡くなりました」と言われ、非常に痛みを感じました。大体私の年になると、亡くなる人が大勢になります。
 今、子供達が黒人霊歌を歌いましたが、ここにある青いシートは、ヨルダン川を表わしています。こちら側に天使がいて、賛美しながら一人、二人、三人、四人と“ふるさと”つまり、天国に連れて行かれたという内容の歌を歌ってくれました。

 私達の人生を考えると、「永遠の命を持つ」、すなわち、イエス様を信じて天国の市民権をもらい、やがて天国に行くという事です。この地上の人生は短いです。60年、70年、80年あるいは、長くても90年、100歳まで生きても、大したことはなく、短いわけです。私達のふるさとというのは、永遠のふるさと、天国が備えられているのです。ですから、私もこうして、礼拝を守るのは天国を目指して準備する時でもあると思います。皆、しっかりと天国に入ることが出来る様に、イエス様を信じていかなければなりません。
 マルコ6章31節〜32節、

「そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。」

 人生は、長いようで短いです。私達は戦争が終わってから、とにかく働き、働き、夢中になって働いてきたわけですが、やはりイエス様ご自身が時々弟子たちに、「さあ、あなたがただけで寂しい所に行ってしばらく休みなさい」と言われたように、人生では休む時も必要です。弟子達は人の出入りが多くて、食事する時間さえなかった事に対し、イエス様が、「しばらく休みなさい」と言われました。

 ずいぶん前になりますが、家内と共にアメリカにある韓国教会に招かれて行った事があります。行く前に、その韓国の牧師先生に、「集会の三日前に行きますので、そちらにある日本人教会もアレンジして、集会ができるようにして下さい」と頼みました。
 しかし、行きますと、その先生は怠慢で、「集会の事は決まりましたか」と聞くと、「いや、実は忘れてしまいまして・・・」という事で、三日間何もする事がありませんでした。私も少し不満でしたが、その時に、彼がこんな事を話ました。

 「実は最近、私の友人である牧師が、そんなに年ではありませんでしたが、亡くなりました。彼が病気の中で、『休むということも、仕事のうちの一つだという事がわかった』と言って、世を去って行きました。ですから先生、働くばかりではいけませんから、三日間ゆっくり休んで下さい。」と言われ、家内と私は、ゆっくり休みました。

 休む、という事は非常に大切な事です。私のクリスチャン人生で、大原先生とは、とても仲が良かったです。奥さんの和子さんは、大砂出身の方で、本当によい方でした。家内とも親友で、六人の子供が生まれましたが、朝明けた時から仕事し、保育園もして、鶏のように働きました。
 しかし残念なことに、60代にならないうちに癌になり、入院した時ご主人に、「お父ちゃん、治ったら温泉に行こうね」と言い残して、召されました。家族でゆっくり楽しみを持つことは必要です。

 私は23日には埼玉県の飯能の教会で礼拝を持ちました。その礼拝には、孫の上條麻輝君や頌君も出席しました。また、25日から27日まで、軽井沢で久しぶりに休みをとりました。いくつかの家族が共に集まり、いい休みでした。軽井沢は昼でも24度という涼しい中で、最高の休みを持つことが出来ました。
 出エジプト記の20章8節〜11節、

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。―― それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」

 モーセの十戒のうち第一戒は、「わたしの他に神はない」そして「偶像礼拝をしてはならない」「父と母を敬え」など、そしてその中に、「安息日を覚えて聖なる日とせよ」とあります。
 今、世界中は一週間は7日です。日曜日から始まって、土曜日まであり、イエス様が死から蘇った日を、「礼拝の日」としています。

 聖書では「六日間働きなさい、そして七日目は安息日です」と定められています。神様が六日かかって、天と地を造られ、七日目は休まれたから、あなた方も休みなさい、と。神様は人間の幸せを求めておられるので、働きすぎると、病気になることをよく知っておられます。ですから休まなければいけません。七日目は休みなさい、という事で、よみがえられた日の日曜日を、休んでいるわけです。

 皆さん、これからの人生の中で、幸せな道を歩もうと思ったら、主の日をきちんと守る、これを決めておかなければいけません。聖書のなかで、「神は志の堅固な者を守る」とあります。
 救われるのは信仰によりますが、「志の堅固な者を守る」とあるので、クリスチャン生活を祝福されて歩みたいと思ったら、心を決める事です。「礼拝には必ず行くと。人生の中で、何を第一にすべきか。それは聖書の中には、「まず、神の国と神の義を求めなさい」とあり、そうしたら全てのものが与えられるとあるので、幸せを与える方は神様ですから、神の命令を守り日曜日は、必ず礼拝を守り、毎日、聖書を読む事です。
 今日は皆さんここにおられて、礼拝を守っておられるのは、神に祝される事です。神様が素晴らしい祝福を与えて下さいます。最近、日本では「過労死」などという言葉をよく聞きますが、過労死などしてはいけません。

 私は時々、どうして健康を守ることが出来たのかと聞かれますが、日曜日の礼拝を守ったのは大きな事ですが、もう一つ1970年からクルセードをして、大体50年位伝道集会をしていますが、決めている事は何かというと、寝る時間と起きる時間を決めています。どんな事があっても、夜十一時には寝る、朝五時に起きる事です。
 今、色々な所でミニストリーをしていると、九州などでもホテルに帰る時間が12時を過ぎてしまう事もありますが、その時には大体6時間位は寝るようにしています。“寝もせずに働く”事はいいようですが、よくないです。働きすぎると病気になりますから、働きすぎずに、この地上に命を与えられた以上は、長生きする人生を持つことができるように、健康に注意してこれからも生きていきましょう。

 また、今日は国政選挙の日です。すでに投票を済ませた方はどのくらいおられますか。案外多いですね。私も期日前投票をしました。選挙も大切な事です。聖書の中に、第一テモテ2章1節〜4節、

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」

とあります。私達クリスチャンは、高い地位にある人達のために、祈っていくことです。選挙、また国会が何のためにあるのかというと、法律を作るためです。間違った法律を作ると国は悪くなるし、良い法律を作ると、良くなります。今日の選挙は非常に大切です。聖書の中に、「高い地位にある人のために祈りなさい。また、王のために祈りなさい」とあります。

 1970年から、私と田中先生が軽井沢で避暑地伝道を行う事にした目的は、軽井沢には、有名人が多く来ているので、何とかして、その人達にも伝道をしたいと思ったからです。当時の、佐藤栄作総理大臣に福音が伝えられるように、また、皇太子ご夫妻にも会えるようになどと、祈祷カードに書いて祈りました。
 すると、祈りが聞かれ、1971年には佐藤総理にお会いすることが出来ました。1時間20分位話すことができました。その次の年にも、1時間40分位話すことができました。
 そして、皇太子ご夫妻からも招待を受けました。また毎年のように、軽井沢で集会を持つことが出来ました。

 祈りは不思議なもので、中々、皇太子ご夫妻や、天皇に親しく話すことは難しいですが、祈ることは易しいのです。「皇太子さんを祝して下さい」「美智子妃殿下が赤ちゃんを産みましたから、産後が守られますように、健康であるように、守られますように」と、親しい気持ちで、毎日、具体的に祈りました。そういう中で門が開かれました。最初に招待されお会いした時に、非常に良い言葉を語って下さいました。
 「このお付き合いを短くではなく、長いお付き合いとして下さい」と。それから、お手紙のやりとりや、時々招かれたりなど、三十年近く良い交わりが出来た事になります。これは神様の前に祈った事が聞かれたのです。

 上の人のために愛を持って祈ることは、非常に大切です。今日は国政選挙ですが、皆さん覚えて祈っていきましょう。今日お読みした最初の聖書のみ言葉をお読みしたいと思いますが、その前に、お見せしたいものがあります。これは、ブドウです。感謝な事に、今年もとてもたくさんとれました。今住んでいる牧師館は、5、6年前に建ちましたが、教会が大きくなる事は嬉しいですが、教会の前の大きなヒマラヤ杉、白樺、柿の木、ブドウ、ビワなど沢山の木を植えていましたが、切ってしまいました。今住んでいる牧師館と隣の敷地は、20センチくらいしか空いていません。しかし、そこに鉢に植わっているブドウの木を二つほど買ってきて植えました。
 すると感謝な事に、とても大きくなりました。収穫したブドウはとてもおいしいので、食べたい方は食べて下さい。あまり出来すぎましたので、それでジュースを作り、聖餐式をする事が出来るのは感謝です。

 今日のメッセージのテーマは、「あなたのその力で行け」という所からお話ししたいと思いますが、この箇所は、ギデオンに神様が現れた所です。聖書を見るとイスラエルが、本気で神様に従ったら、必ず祝され、離れたら祝福を失ったという事です。特に、偶像礼拝をすると、必ず祝福を失いました。ですから皆さん、教会に来られたら、どんな事があっても、偶像には手を出さず、イエス様だけを自分の神として、信じていくなら祝されます。

 今日の箇所は、イスラエルの人達が40年の間、平穏な時を過ごしたけれど、堕落して、偶像に従ったと記しています。すると、神様がミデヤンの人達の手に、イスラエルを渡され、7年の間支配され、苦しめられました。

 当時、農夫であったギデオンは、何をしていたかというと、酒ふねに隠れて麦を打っていました。するとそんなギデオンに主の使いが現れたのです。そして何と告げたかと言うと、「勇士よ、主があなたと共におられる」。

 考えてみると、恐れて酒ふねに隠れて、こっそり麦を打っているギデオンに、「勇士よ」と声をかけたのです。文語体の聖書を見ると、「ますらおよ」と訳しています。皆さんも、神様から見ると勇士です。「勇士よ、主があなたと共におられる」人生の中で、何が最も大きな事かと言うと、主が一緒におられる事が最高の事です。

 すると、ギデオンの答えは、「ああ、主よ、もしあなたが共におられたのなら、どうして、こんな事になったのですか。昔、あなたがイスラエルの民をエジプトから連れ出された奇跡を見たなどと言われるのに、今、どうしてこんなに弱いのですか。おじいちゃん、おばちゃんから聞いて、あのエジプトから解放された主がおられると聞いていたのに、今私達は、ミデヤンの下で苦しんでいるのは何故ですか」と訴えたのです。

 その時、14節から、「すると、主は彼に向かって仰せられた。『あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。』」

皆さん、ここに神様がこう語られたのです。「あなたのその力で行って、ミデヤンからイスラエルを救え」と。
その時にギデオンは、「ああ、主よ、私がどのようにしてイスラエルを救う事ができるでしょうか。ご存じのように私の分団はマナセ族で一番弱く、私は父の家で一番若いのです」一番若くて弱い人に向かって、神様が、「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。」と言われたのです。
 今日は皆さん、ここには若い人も年配の人もおられますが、主があなたと共におられることを信じれば、必ず、リバイバルのために、あなたを用いられます。その力で行きなさいとあります。
 文語体の訳を見ると「エホバこれを省みて言いたまいけるは『汝、この汝の力もて行きミデヤン人の手よりイスラエルを救い出すべし。我、汝を遣わすにあらずや』」難しい事を言っていますが、この、「汝の力をもって行き」というのは、「あなたの力をもって行って、イスラエルの人達を救いなさい」ということです。

 聖書を見ると、ギデオンは「最も弱いです。一番若いのです」しかし、それでも神様は、「お前の持っているもので行って、救いだしなさい」と仰られました。
 今日、皆さん、私は弱いとか、一番若いとか、そういう方も神用いて下さったら、必ず、素晴らしい神の栄光を見ることができます。

 先日行われた、ミュージック・アーツで非常に素晴らしい学びの時があり、「ミュージシャンというのは、素晴らしい賜物を持っている。これは変える事はできない」と語られました。
 今日、この中に音楽の賜物を持っている人がいます。それは神様に与えられた物です。しかし、どんなに素晴らしいミュージシャンであっても、それを神様のために用いなかったら、それが呪いとなると。
 毎日報道されているように、麻薬を使って逮捕された女性がいますが、彼女は顔も綺麗だし、歌も歌いますが、多くのタレントの人達は素晴らしい賜物があるけど、神を離れていると祝福が無く、間違った道に行き、麻薬に手を出したりします。

 ロンさんも、「私には若い時に大きな夢がありました。いつか、有名なミュージシャンと一緒に、世界中回る事でした。大学で一生懸命勉強し、ダイアナ・ロスやスティービー・ワンダーと共演し、早くゴールにたどり着き、成功すると不安になり、麻薬に手を出しました」と語っています。
 あの方が4年間、麻薬を使ったり止めたり、どうしてもやめることが出来なかったけれど、カーク・ウェイラムが断食して祈って下さった時に、彼のスピリットが変わり、「人生を神に捧げました」と証しています。
 皆さん、私達の持っている賜物を、神様に捧げなければいけません。今、皆さんの持っている賜物は、一人一人違いますが、若くても、年をとっていても、賜物を神のために使えば、必ず、主に用いられるのです。
 皆さんは何を持っていますか?持っている物を使う事は非常に大切です。
 ヤコブ書2章13節には、

「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」

 こういう事が書いてあります。皆さん、これは私達の人生で、とても重要な事ですが、口先だけではいけません。「あなたの持っているもので行きなさい」とありますが、今日のヤコブ書を見ると、金持ちの人が貧乏な人に、「おい、何だ、その着物…」「あったかくしなさい、お腹一杯食べなさい、満腹になりなさい」と、うまいことを言っただけではいけない、と言う事です。着物がない、といえば着物をあげなければいけない、食べ物がないと言えば、食べ物をあげなければいけません。

 これは私自身のことですが、今度の軽井沢での集会は私にとって非常に、ある意味で戦いでした。滝元明ミニストリーで九州を回った時には、滝元明とロンさん、マキーダさん、岩井寛君が行きますから、ホテル代とか、旅費や謝礼も入れると、15万円でまかなえます。皆一生懸命人を集め、ある所では500人も集めりました。
 しかし、今度の場合軽井沢での集会をするという事は、ミュージック・アーツをした後、四日空いていて、「そうだ、軽井沢で伝道集会をしよう」というわけで、伝道集会をすることになりました。それでどのように宣伝したかというと、普通は、一人2〜3千円の入場料をとるところを、あれだけの豪華なメンバーで、特に、ウィル・ケネディさんは、アメリカのドラムの大会で、1位になったことのあるすごい人ですし、カズ加藤さんはマイケル・ジャクソンの演奏したことのある、日本一ともいえる人です。しかし今回は、「入場無料」としました。

 軽井沢の集会を、入場無料ですると、全員のホテル、食事、奉仕者の分もいれると多くのお金がかかります。「大勢集まればよいが…」と思いましたが、軽井沢では、一つの教会のみが、チラシまきに協力して下さいました。
 ですから私も真剣に祈りました。「イエス様、100万円くらいかかりますが、献金だけで100万円入る可能性は少ないですから、大勢の人を集めて下さい」

 祈ると答えが来ます。「よし、天の窓を開いてやろう」「溢れるほどあげる…」などと。しかし、全然答えが来ずに、一生懸命祈っても、イエス様は返事もしないし、あげるとも語って下さらないのです。
 「いや、これは困ったな」と思った時、主が与えて下さったみ言葉が、「あなたはあなたの力をもって行き、ミデヤン人の手からイスラエルを救いなさい」でした。

 「イエス様、どうか軽井沢の伝道費を与えて下さい!」と祈ったら、イエス様が私に示されたことは、「お前、少しお金を貯めているものがあるではないか。それを出しなさい。自分のものを出しなさい」と言う事でした。
 それで、家内と相談して、少し残っていた貯金を銀行から全部おろして、持って行きました。
 普通、決起大会でも1千円とか2千円を献金しますが、最初の日に集まったのは75人でした。「いやあ、75人…」
 しかし「あなたの力で行け」というのは、あなたの持っている物を出しなさい、人ばかり頼んではいけないという事で、今までそんなに出した事はありませんが、最初の日に五万円献金しました。
 次の日には95人来ました。最初の日9万円の献金のうち、私の分が5万円ですから、4万円になります。次の日にも5万円出しました。「足りない、よし、最後の日には10万円出そう」
 私は伝道集会で十万円も出した事はありません。家内が、「教会からボーナスが入りましたよ」と言いました。それも出したら、私もスカッとしました。私に対する謝礼はありませんが、軽井沢の集会のために必要が与えられた事は、「あなたは、あなたの力でもって行きなさい」

 私には嫌いなことがあります。食事する時に、「愛する天のお父様、世界には貧しい人達が大勢います。その貧しい人達を今日も省みて下さい。この糧を感謝します。アーメン」という祈りが、本当は嫌いです。
 貧しい人達がいますなら、そのためにこれだけ献金しようとか、助けようというならよいけれど、何も出さずにいて、「主よ、貧しい人達を助けて下さい」ではいけません。やはり、あなたにできることがあるのです。

 今日は若い青年の人たちが、The Callの為に一生懸命働いています。ギデオンが、「私は一番若いのです」と言いましたが、「あなたの力で行きなさい」と言われました。ギデオンが用いられたように、あなたの人生を捧げて下さい。年をとってから献身するのもいいけれど、行く場所がないから献身しよう、というのはあまり好きではありません。それより、「人生で若い時に、私の力を神に捧げよう」と。
 ある人は「私には話す力がありません」と言います。しかし聖書にはこうあります。「語るべき事はその時に聖霊が与える」とあります。神様のために一歩踏み出して、やる気になれば、その時に力が来ます。やる気がないのに、「一生懸命伝道します」と言っても、何も力は来ません。ですから、「持っているものは何か」もし、お金を持っているのなら、喜んで貧しい人のために出しましょう。時間を持っているのなら、時間を捧げましょう。私も家内も、年をとるとよく夜に起きます。家内は、「昨夜、起きて一時間祈った」と言います。
 あの人には祈る賜物があると思います。私はいい気持でぐぅぐぅ寝ていますが、家内の賜物は祈りだと思います。
 「あなたの持っているもの」、知恵が与えられたり、または音楽の賜物があるなら、「神様のために私の人生を捧げます」
 「あなたの力をもって行きなさい」とありますから、皆さん、喜んでそうしましょう。私にも、軽井沢で、「お前、持っている物をだせ」と主が語られ、持っている物を出したらすっきりしました。
 「いや、私は出しませんが、誰かから出させて下さい」ではいけません。やはり力を持って、イエス様を愛し、魂を愛し、リバイバルが来るように、「誰かを送って下さい」ではなく、誰かに伝道して下さい。一枚のパンフレットでもいいから、渡して下さい。「素晴らしいから、教会に行きましょう」と。
 今日のみ言葉は、「あなたは、このあなたの力をもってい行きなさい」ですから、私自身に今週、与えられたイエス様からの言葉で、私もそれに従いました。

 一言お祈りして、聖餐にあずかりましょう。ひとつ皆さん、考えて自分に与えられている物は何か、才能、若さ、お金、力、知識、賜物を神様に使って頂くように祈ってまいりましょう。そして聖餐にあずかりましょう。

愛する天のお父様、「あなたの力をもって行きなさい」とおっしゃいましたが、あなたから教えられて従いました。軽井沢伝道も必要が与えられたことを心から感謝します。
 使徒パウロが、「私は福音のために何でもする」と言いましたが、これからも福音のために喜んで出来ますように、また、この教会が本当にイエス様を愛して、あなたのために生きることが出来ますように助けて下さい。これから、聖餐にあずかりますが、イエス様、今日は奇跡を行って下さい。あなたが作って下さった教会の葡萄の実から作ったジュースですが、今日、あなたのみ前に信仰をもって一人一人が聖餐にあずかりますから、病める者をいやして下さい。弱い者を強めて下さり、聖霊の力に満たして下さるようにお願いします。
 これからの時間を祝して下さるように、尊いイエス様のみ名によって感謝をこめてお祈りします。アーメン!


[バックナンバー]