「国のために祈ろう!パート2」


2009.9.13(SUN)
新城教会 滝元順 牧師

ダニエル書 10章18節〜20節
「すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。」

 ハレルヤ!おはようございます。久しぶりに新城教会でメッセージを語らせて頂けることを心から感謝します。皆さんのお祈りに支えられ、守られています事を心から感謝します。
 前回私がここでメッセージを語らせて頂いてから、三回ほど礼拝を休ませて頂いて、他教会で奉仕をしましたが、その間、韓国に二回ほど、また京都の教会等で奉仕をさせて頂きました。
 先週私は、韓国から奉仕を依頼され、ライズアップコリアという若者たちの集会で少しメッセージを語らせていただきました。
 韓国には多くのクリスチャンがいますが、それでもやはり近頃は経済的にも発展し、教会に行かない人も多く、特に若者が教会離れをしている現実があります。それで、韓国教会の将来はどうなるのかと心配されています。
 しかし一方では若者達が決起して、「国のために祈ろう」という大きな集会を持っています。それも中高生が中心となり、国のリバイバルのために祈っているのです。全国、四五〇ほどの学校でクラスが始まる前に、それも、朝の六時半に、クリスチャンの生徒達が学校の正門近くの路上に集まり、早天祈祷会を持っているそうです。学校のために、国のために真剣に祈り、学校が終わってからも集まって祈っているグループがあります。それがライズ・アップの働きです。やはり韓国教会には底力があるというか、たいへん感動しました。
 実は、そのグループの人達が、韓国リバイバルミッションに協力をしてくれまして、中心的に働きを担っているイ・ドンヒョン先生と友達になりました。それで、私に「今度、ソウルで大きな集会をやりますから、是非来て下さい」といわれ、「どのくらい集まるのですか?」と聞くと「そうですね、七万人くらいでしょうか」と言われました。

 実際に参加してみると、ソウルの市役所前広場に、中高生を中心に若者達が、私の見たところでは大体五万人くらい集まっていました。そして、彼らは真剣に主を賛美し、国の未来のために真剣に祈っていました。
 私は前日の土曜日にソウルに着いたのですが、準備祈祷会があり、二〇〇人くらいの中高生、(中学生の方が多いようでした)二時間ぐらい、ただひたすら主の前にひれ伏して、国のために叫びながら祈っている姿を見ました。「この国には未来がある」と思いました。

 当日は、夕方七時から始まるのですが、六時半にはすでに足の踏み場もない位、広場は若者たちで溢れていました。その映像がありますので、少し見て頂きたいと思います。
 ここで賛美しているのは、韓流の有名な歌手だそうです。この模様は衛星放送で、全世界に放映されました。みな踊りながら賛美しています。この集まりは伝道会的な要素も持っているのと同時に、聖会的な要素も持っていて、国のために祈るものです。最後のパートで私は“韓国と日本”というつながりのなかで、一致して祈ることがリバイバルのために大切だと語らせて頂きました。
 韓国は結構、芸能人もクリスチャンが多いので、その人たちが出演すると言うことで話題を呼び、大勢集まるのもありますが、しかし様子を見ていると、皆、心から主を賛美し、真剣に祈っていました。日本でもこのような集会が持てるといいな、と思いました。

 今日読んで頂きました聖書箇所は、ダニエルが国のために祈っていた時に起こった事の記事です。ダニエル一〇章をもう一度読ませて頂きたいと思います。

「すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。」

 ダニエルが国のために祈っていた頃の国際的環境は、激動の時代でした。バビロンが倒れ、世界史を見れば皆さんも分かると思いますが、メド・ペルシャという国が立ちあがり、バビロンに捕えられていたユダヤ人たちは解放され、国に帰っていきました。しかしダニエルはペルシャに残り、帰って行った同胞のために真剣に祈っていたのです。
 そのように、世界情勢はたいへん混乱していましたから、ダニエルも心配していたことでしょう。彼は二十一日間断食して、国のために祈っていました。そんなただ中に、神の答えがダニエルに来たのです。
 彼の心の中には、「これから世界はどうなるんだろう」と不安に満ちていたと思います。

 前回私がメッセージを語らせて頂いたのは、八月一六日のことでした。八月一五日は終戦記念日で、特に、一六日には日本の未来のために祈ろう、という祈祷会がありました。そこでは、激動の太平洋戦争前後の時代を生き抜いてこられた方々に、体験を語っていただきました。
 国の決断により、国民生活は大きく変わります。国が戦争でも始めれば、赤ちゃんさえも、敵国から見れば敵の一人となり、銃口が向けられるのです。
 という事は、国の安定は、国民の幸せと祝福につながるのです。

 案外、私達は、個人的祝福とか、個人的祈りの課題のためには時間を割いて真剣に祈るのですが、国の未来ために祈る事が欠けているような気がします。日本において、「国のために祈る」というと「あんたは右翼じゃないのか」などと茶化したり、政治がらみのことを教会で語ると、急にひいてしまうような雰囲気があります。
 しかし、私達は日本に住んでいるのですから、国のために祈る責任があります。

 ダニエルが不安の中で主の前に出て祈っていた時、最初に主から語られた言葉は何であったのかというと、一九節に記されています。
 「神に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ、強くあれ」という言葉でした。

 神を信じる者は誰一人として、神の愛から漏れる人はありません。神様はもちろん全世界の人々を愛していますが、「神を愛する人達」とは、中心的にはクリスチャンの事ですから、あなたにも「神に愛されている人よ」と声をかけて下さっています。ここにおられる皆さんはもれなく、神に愛されている人々ばかりです。どんな時代にあっても、「恐れるな。安心せよ。強くあれ、強くあれ」と主が励まして下さっています。

 今日、色々、不安があって教会に来られている人もいるかもしれませんが、このみ言葉を握って帰って頂きたいと思います。
 「神に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ、強くあれ」です。この言葉をご一緒に宣言してみましょう。神に愛されている人は、自分の事ですから、「人よ」のところに自分の名前、私ならば「神に愛されている順よ」と置き換えて、読んでみましょう。では、
「神に愛されている(***)よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ、強くあれ」

 今日、神が私にもこの言葉をかけて下さっています。しかし、この言葉がかけられたのは、ダニエルが国の未来の為に断食して祈っていたさなかでした。その時、この言葉が語りかけられたわけです。そして、国の未来と、国の背後に働いている目に見えない力について解き明かされたのです。ダニエル一〇章一二節〜一四節を読んでみますと、

「彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」

 ダニエルは二十一日も前から、断食して国の未来のために神のみこころを求めていました。彼は預言者でしたから、彼が祈ると神はすぐに答えて下さる、というような関係でしたが、この時に限っては、いくら断食して祈っても主からの答えが来ませんでした。

 しかし二十一日目に答えが来たのです。その時に何と言われたかというと、「あなたが祈ったその日から、祈りは聞かれていた」ということでした。けれども、「答えが到達するまでに、実に二十一日間かかった」のです。
 何故こんなにも答えが遅れたのかというと、「“ペルシャの国の君”という存在が、二十一日間立ちはだかっていた」というものでした。“ペルシャの国の君”が、祈りの答えがダニエルに到達しないように立ちはだかっていたのです。けれども、ミカエルと呼ばれるイスラエルを守る天使長が来て、その存在を打ち破ったので、答えが来たとその理由について告げたのです。

 ここから何を知るのかというと、祈りの法則を知ることができます。祈りは即、神のみもとに届くのですが、その答えを受け取るまでには少し時間がかかる事もあるという法則です。そして、その理由の一つとして、ここに述べられているように、見えない世界で祈りの答えを妨げている敵が存在すると言うことです。
 また、その存在が打ち破られる時、神からの答えが届くという、目に見えない世界の法則を理解できます。

 特に、“ペルシャの君”とか、“ギリシャの君”という存在が出ていますが、国には国を支配する悪霊の頭がいて、その存在によって指揮される霊的軍隊が、実際は国を牛耳っているという事実です。また、一つの時代の終わりとは、今までその国を支配していた軍団が去り、代わって、新しい軍隊が入ってくることを意味します。「時代の転換」とは、ただ単なる政治的システムの入れ替えのように私たちは考えますが、霊的世界の転換をも含んでいるという事です。

 アメリカでは、大統領が変わると、今までの大統領に仕えていたチームはすべて解雇となり、全く新しいチームが入って政策を担当します。
 目に見えない世界も同じです。バビロンの国を支配していた親分とそのチームがいましたが、バビロンが敗れてメド・ペルシャの時代になったら“ペルシャの君”と呼ばれる軍団長率いる新しいチームが国に入り、新しい策略で国を牛耳る様です。さらにそれらが去ると、今度は“ギリシャの君”が来るとみ使いは告げました。

 実際、世界史を見てみますと、あのバビロニア帝国が滅びた後、メド・ペルシャ帝国が立ち上がり、その次はギリシャ帝国が世界を支配しました。そらにその後はローマ帝国が立ち上がったのです。“国の支配”とは、単にある権力者によって支配されるようですが、背後には、見えない霊的支配構造があり、その世界の投影が、ある人物と共に政治的支配として、地上に表わされるということです。
 ダニエルが二十一日間真剣に祈らされていたのがどういう時であったかというと、バビロンが終わり、メド・ペルシャが立ちあがりつつある、「時代の谷間」のような時期でした。ダニエルの同胞のユダヤ人たちはイスラエルに帰還し、新しく国を再建する重要な時期にも置かれていたわけです。ダニエルは天の戦いについて知ってか、知らなかったのかわかりませんが、祈りによって天における戦いに共に参加していたのです。彼が地上で真剣にとりなし祈った時、神のご計画がイスラエルに実行されたのです。

 さて、日本を見る時に、今はある意味、大きな時代の谷間に差し掛かっています。私達はその事をしっかりと理解して、国のために祈る必要があると痛切に感じます。

 日本の歴史を見ますと、特に、明治以降の歴史区分は少しおかしいと私は感じています。なぜなら、歴史区分が、天皇の生き死にで区分されているからです。明治時代とは、明治天皇が即位し、死ぬまでの期間を言い、大正時代、昭和、平成と、全て、天皇の生き死にで時代が区分されているからです。
 実際は、明治から太平洋戦争の終わりまでは、「日帝時代」と呼ばれ、国家神道が国を支配した暗闇の時代でした。
 その後、太平洋戦争に負けて、日帝支配が終わり、国民に主権が移され、軍国主義から戦争放棄へと大きく舵がとられました。国は大きく変わり、時代が新しく入れ替わったのです。
 にも関わらず、その後も、昭和の時代は継続され、昭和天皇が死ぬと、今度は平成になるというのは、おかしいと思います。国の体制が大きくチェンジした境目を区切りとして、時代区分すべきです。本当なら終戦を境に、新しい時代として区分してもよいのに、日本人は、「今は平成でその前は昭和だった」というように、天皇中心の時代区分観念しか持っていないのです。
 しかしその間にも、日本が大きく変えられる事件を何度も体験したわけです。

 先日、衆議院選挙があり、自民党が敗れて民主党が政権を取りました。議席ががらりと変わり、「新しい政権が何をしてくれるのか」と期待と不安が交錯した報道が連日なされています。
 特に今週は、大きな事があります。それは十六日に新しい内閣が立ちあがるからです。皆さんもそのことに関して、興味を持っておられると思いますが、一方では、「内閣が変わっても、この国はあまり変わらないだろう…」と、あまり政治に期待していない面もあります。
 何故かというと、戦後の体制の中で、トップがいくら変わっても、国はあまり変わらなかったからです。ですから、「今回も、あまり変わらないだろう…」と考えるわけです。
 しかし、今回は、「もしかしたら大きく変わるかもしれない」という期待感があるのも確かです。

 実は今回の選挙で民主党が勝ったのは、時代的には大きな変化です。今まで起こらなかった事が起こっていると言うことを、知らなければいけないと思います。自民党によって五十五年間続いてきた政治支配が終わりました。今回の選挙で最も強調されたのが、「官僚制との決別」です。

 日本の政治はトップが変わっても、あまり変わらない最も大きな理由は、官僚制があるからです。日ごろ皆さんもテレビなどの報道で聞いてご存じかと思います。
誤解せずに聞いて頂きたいと思いますが、官僚の人達が悪いとか、特定の政党が悪いと言ってるのではなく、“制度”に問題があるのです。なぜなら、官僚体制が国の運営を牛耳っていて、外交だとか、大きな法案に対してだけしか、政府は機能していないからです。もっとも大切な国の運営に関して、政府はあまり関わっておらず、官僚たちが実権を握って日本を支配しているのです。だからトップの顔が変わっても、官僚による支配構造は続いているので、国はあまり変わらないのです。
 日本は長きにわたり、官僚制度によってもたらされた国家の安定に甘んじて来ました。しかしだんだんと官僚制が産んだ弊害がクローズアップされるようになり、国民意識が変革へと傾いたのが今回の総選挙でした。
 「官僚制度は日本にマッチした制度で、日本はそれで成り立っているんだ」と言う人もいるかもしれません。しかし、実は、官僚制を調べてみますと、「大きな霊的問題を含んでいる」のがわかります。

 実は、近代官僚制がいつ頃から始まったかというと、江戸時代からと言われます。江戸時代に、今の財務省と同じような、「勘定所」と呼ばれる機関がありました。「お勘定をお願いします」などと使われているのは、昔、勘定所と呼ばれる役所があり、それを仕切る役人たちがいたからです。勘定所の役人たちが幕府のお金を握っていて、庶民たちからの色々な要望を聞きながら、かつ、将軍にも利益を得させる役目をしていました。そして、最も利益を得ていたのが、勘定所の役人達でした。
 江戸時代は二百数十年間、全く戦争もなく平和が続きました。将軍は十五代も変わったのにも関わらず、幕府を倒そうとする目立った動きはありませんでした。何故、江戸時代があんなにも長く続いたかというと、そこには理由があったからです。「トップが変わっても中身は変わらない」という、官僚制があったからです。国は安定していたように見えるかもしれませんが、逆を言えば、国民は縦社会の大きなプレッシャーの中で、苦しい生活をしていたのです。

 しかし、明治維新により、大きく時代が変わる事件が起こったのです。大政奉還によって、将軍支配が終わりを告げ、朝廷が引っ張り出され、日本に維新が起こりました。明治維新時には、戊辰戦争と言って、「政府側につくのか、将軍側につくのか」で戦争がありました。日本の近代の歴史で、二手に分かれて殺し合い、争った時期があったのです。そんな時代に生まれなくて良かったです。私たちは同じ国民だと言っていますが、分かれて、互いに銃口を向けあった時代は、そんなに古い話ではないのです。

 明治政府が立ちあがりましたが、そんなごたごたがあったのにも関わらず、あっという間に力をつけ、何と、日清戦争や日露戦争に勝利し、世界の列強を破るほどのパワーを持ったのです。「あんな大きなごたがたがあったのに、何ですぐに強くなったのか…」。それは、富国強兵政策だと思うかも知れませんが、さらなる理由があるのです。それが、江戸時代の官僚制度が明治時代にもそのまま引き継がれたからです。ですから、国がごたごたしても、組織は温存されたために、すぐに立ちあがり、力をつけていったわけです。
 やがて太平洋戦争へと突き進んで行った背景にも、官僚制が大きな役割を果たしたと言われます。
 太平洋戦争が終わり、国家神道から解放され、民主主義が根付くようになったと言われます。アメリカを中心とする連合軍、GHQが入ってきて陸軍や海軍、内務省は解体されたのですが、官僚制はそのまま温存したのです。特に、大蔵省を中心とする官僚制は維持され、その後に、議会が立ちあがりました。

 テレビを見ると、自民党の人達はかわいそうです。悪口を言われ、けちょんけちょんにけなされ、毎日叩かれていますが、「自民党が悪い」と言いますが、歴史を見ると、自民党政権は戦後、官僚制が立ちあがった後に、覆いかぶさるように成立したのです。結局、官僚たちの言う事を聞かなければ、やっていくことができないシステムがすでにあったわけです。

 しかし今回、官僚制にメスを入れるという事は、日本を何百年も、ある意味一つのシステムで支配してきた、見えない敵の力が破られる大変化でもあるのです。私は、鳩山内閣を推薦するわけではありません。言いたいことは、見えない世界で、「何かが起こっている」と言うことです。四百年近く日本を支配していたシステムが壊れ、新しいシステムが立ちあがろうとしているのです。そこには、見える世界だけではなく、見えない世界がくっついているのです。
 先ほども語ったように、ペルシャの国の君が去ったら、今度はギリシャの君が入ってくるというように、今まで日本に官僚制を中心とする“日本の君”が日本をがっちりとつかまえ支配していましたが、それが腐敗し、国民に策略が暴かれるようになったので、「効き目が無くなってきたシステムを変えよう」と、今、悪の軍団の入れ替えが始まっているような気がします。今までの官僚制が崩壊して、新しい時代が来る、こういう時期はある意味、暗闇の天使が総入れ替えの”谷間”なのです。

 という事は、この時に、私達は何をしないければならないのでしょうか。ダニエルのように、「国のために真剣にとりなし祈る」必要があるという事です。
 今回の選挙によって、何百年も続いてきた制度そのものが変わる可能性を含んでいます。ここで時代を区切ってもいいかもしれないくらいの大きな出来事です。ということは、この時にクリスチャンが国のために祈らなければ、いつ祈るのかという事です。
 皆さん、是非とも、この時に国の未来のために祈ろうではありませんか。古い日本の君が去り、また、新しい日本の君が入って霊的システムを入れ替え、新しい策略で日本を牛耳ろうとしているのなら、ミカエルが来てペルシャの君を退けたように、神からの天の軍隊が日本を解放するように、祈らなければならないのです。

 ある意味、このような国の変化は、クリスチャンたちが今まで祈ってきた、「祈りの答え」だと思います。日本のクリスチャンたちが、「日本にリバイバルを与えて下さい」と真剣に祈ってきましたが、その祈りの中で、神がチャンスを与えて下さっているのです。この時こそ、ただ単に政治的・表面的な入れ替えとは考えないで、霊的な目をもって策略を見抜き、主の前に祈りましょう。クリスチャンが祈るか祈らないかで、国の方向性が変わるのです。

 全宇宙は神によって支配されているのですが、この地球は悪魔によって支配されています。それは限定的支配ですが、新約聖書、第一ヨハネ五章十八節を読んでみますと、

「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」
そして、「子供たちよ、偶像を警戒しなさい」とここで結んでいます。

 「この世」は「悪い者」の支配下にあるとあります。どの国でも政府は一生懸命、国が良くなるように頑張っていますが、中々決め手がありません。日本もどんどん荒れているのではないでしょうか。これからどうなるのか不安です。

 いつも話すのですが、私の小学校時代など、このあたりはのどかなものでした。鍵をかけている家など、どこもありませんでした。誰かの家に遊びに行って「**ちゃん、遊ぼう」と戸を開けて、家の中に入ることが出来て、各部屋をのぞいて、裏口から出て行ったものでした。車も少なく、学校に行く時など、この付近では定期便のように馬車が通っていました。私達はいつも馬車を追いかけては、ひょいと乗っていました。いつも、「降りろ、このばか小僧…」など言われましたが、それでも乗った記憶があります。
 そして学校からの帰りには、直接家に帰ったことなどありませんでした。必ず道の“草を食べながら”家に帰って来ました。私は、(ローカルな話ですが)白橋に基地を作り、今では禁止されている(今は犯罪です)“霞網”を張っておいて、すずめやひよどりを捕まえるのが楽しみでした。かかっていたら、毛をむしって焼いて食べていた野蛮人でした。
 しかし、今はどうでしょう。ちょっとでも子供が帰ってくるのが遅れると、大騒ぎになり、捜索願が出されます。今の時代に私が子供として生きていたら、何度捜索願が出たのかわかりません。私の母は、子供が多かったので世話は“命に別条があるかないか”という優先順位でしかしませんでした。私は長男ですから、ほとんど放っておかれました。あるとき私は、二日間熱を出して自分の部屋でうなっていたのですが、両親は一度も見に来ませんでした。二日後に出ていったら、「お前、今まで何をしていた?」と言われ(離れに住んでいたので)「熱が高くて動けなかった」というと、「おおそうか、悪かったな」という具合でした。

 しかし、現代は便利になった反面、全体的には悪くなっています。何故悪くなっているかというと、この世は「悪魔の支配下」にあるからです。
 何故、国が悪魔に乗っ取られてしまうのかというと、二十一節にあるように、「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」とありますが、偶像礼拝が国をサタンに渡してしまう最も大き原因なのです。
 私たちは、偶像礼拝と戦っていますが、何故戦うのかというと、「国をサタンの手に渡さないため」なのです。

 イエス様が宣教を始める前、サタンが来てイエス様を誘惑した事が記されていますが、ルカ四章五節〜八節を読むと、

「また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、『こう言った『「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたしのものとしましょう。」イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」

 偶像礼拝とは何かというと、「悪魔の前にひれ伏す」行為です。偶像の後ろには悪霊がいますから、偶像礼拝をすると、知らずして、悪霊どもの親分である悪魔の前にひれ伏すことになるのです。そうすると何が起こるのかというと、国が悪魔の手に渡り、悪魔がこれぞと思う人に、国を奪われてしまうのです。

 韓国の若者達には、「国の未来の為に祈る」という気持ちが強くあります。何故かというと、やはり彼らには危機感があるからです。韓国は平和のように見えるのですが、実は“戦争中”です。それは北朝鮮と戦争中であり、今は“休戦中”なのです。明日始まるのかわからない戦争に対して、国民に危機感があるのです。ある年齢に達したら男子には全員徴兵制があり、軍隊に二年以上行かなければなりません。戦争がいつ始まるかわからないので、国のために祈らなければいけないと考えるのです。
 しかし、日本は平和ボケをしていて、「日本は永遠に平和だ」ぐらいにしか思っていせん。そこが悪魔の罠だと思います。日本も状況は決して変わりないのです。

 今でも、北朝鮮には危険人物がおり、金正日という一人の人物の行動と発言により、国々は右往左往しています。
 先日も、金正日が、「おまえが我が国に来たら、捕虜を返してやってもいい」といって、アメリカのクリントン元大統領を呼び出しました。北朝鮮の予算は、福井県の予算と同じ位だそうですが、それにもかかわらず、あの男が発する言葉で、日本も、韓国も、アメリカでさえも右往左往するのです。これは悪魔が彼に権力をあたえている証拠です。ですから、小さな国で、貧しいかもしれませんが、誰も彼には逆らえないのです。

 では何故、そんな事が起こるのかというと、そこには祖先を神としてひれ伏す行為、「祖先崇拝」という偶像礼拝があるからです。私達は、偶像礼拝と戦わなければいけないのです。
 国々の文化の根底には、偶像礼拝があります。私達は目に見える団体と戦うのでなく、目に見えない敵を打ち破り勝利を勝ち取らなければならないのです。また国々の状況は、侵入した敵のチームの状況によって変わるのです。

 イエス様が、ゲラサという地に行った時、そこでレギオンという強力な悪霊の軍団と出会いました。その時にイエス様が、「お前の名は何か」と尋ねると、「名はレギオン。私達は大勢ですから」と答えました。そして、「自分達をこの地方から追い出さないで下さい」と懇願したのです。
 レギオンはその地方にとても関心を持っていて、「そこから離れたくない」と言っていました。

 実はこのゲラサ、デカポリスという地は、当時ローマ帝国の支配下にありました。ローマがどうやってその地を支配していたのかというと、ローマ軍の一個大隊“レギオン”を送り、統治させていました。それは6千人くらいの兵を擁する軍隊でした。ローマはレギオンを送って、街々を支配していたのです。
 同時にそこには、レギオンという悪霊の軍隊が派遣され、恐ろしい男をしたてあげ、人々を福音から遠ざけていたのです。

 前にもお話しさせて頂きましたが、“見える世界と、見えない世界は裏表だ”ということです。これは、日本においても同じ事で、見える世界と見えない世界は表裏一体です。一つの時代が終わって次の時代が立ちあがる時は、今まで策略を持って働いていた敵のチームが交代する時なのです。その事をクリスチャンはよく知って、国のために真剣に祈らなければいけないのです。

 今週はそういう意味で、国の未来のために心して祈りたいと思います。ダニエルはそのために、二十一日間も断食して祈っていたのです。
 皆さんは、断食して祈ったことがあるでしょうか。私は断食が大嫌いです。以前に三日間の断食をして、熱を出した事があるので、「断食はやるものではない」と思い、それからやめてしまいました。二十一日間も断食することは出来ません。しかし、これだけ人数がいるのですから、今週は一食でも断食して、国の未来のために祈ってはいかがでしょうか。そうしたら二十一日分くらい、「キリストの体」として断食すれば、簡単に祈ることが出来ます。政権が変わることは“目に見えない世界での変化”ということをしっかりと理解し、新しい悪霊のチームが日本を支配するのではなく、この時にこそ、ペルシャの君の支配が押しとどめられたように“日本の君”の支配が押しとどめられ、神の軍隊が入ってきて、この国を変える様に祈っていきたいと思うのです。

 先ほど官僚制についてお話しましたが、「そんなものはただのシステムじゃないか」と思う人がいるかもしれません。霊的な理由なんてあまりないのではと思うかも知れません。
 しかしながら、官僚制を理解する重要なキーワードが、実は、「儒教」なのです。
 官僚制は儒教から来ているのです。一度セミナーで、詳しくお話しする機会が持てたらと願っていますが、儒教は孔子が作りましたが、もともと彼が作ったわけではなく、巷に流れていた色々な考えを体系化してまとめたのです。
 それでは、彼がなぜ、体系化したのか。そして、「儒教とは何か」というと、一口で言えば、「高級官僚を作るための、教養を与えるための宗教」と定義出来るのです。一部の人達に利益が集中する官僚制度は、儒教から出来ているのです。
 儒教とは、以前にもお話ししたように、そのような社会的システムを使い、最終的にどこにフォーカスが当たるかというと、「祖先崇拝」です。有無を言えない支配構造を社会に作り、最終的には先祖を拝ませる目的があります。
 官僚制には、根源には儒教があり、祖先崇拝があるのです。今日はそれについて詳しくお話しする事はできませんが、これはとても大きな霊的問題です。私達は霊の目でこの国を見なければいけません。

 韓国リバイバルミッションが終わってから、「これから何をしたらよいですか」と主に祈っていました。韓国リバイバルミッションは皆さんの祈りによって祝福されたのですが、やはり韓国と日本との関係をさらに整えるために、日本の教会が続いて働いていかなければならないと、主から重荷を与えられ、二年後くらいに、再度ソウルでリバイバルミッションが出来たらと願っています。

 私は五月まで頻繁に韓国に行っていたのですが、それ以後は少し行くのをお休みして、教会に結構長くいることが出来ました。ここで、毎週のようにメッセージを語らせて頂いたのですが、また韓国から声がかかり、韓国の色々な場所に行って聖会を持たせて頂いています。
 八月の終りにも韓国に行きましたが、韓国では案外、予定が日本のように前もってきっちりと決まるのではなく、即決で決めていくような文化があります。日本人の思考形態からすると、ストレスがたまる時もあります。しかし向こうのやり方さえ分かれば、何ともないので、私はあまり気にしていません。韓国のどこに行くのか、何をやるのか、どんなメッセージを何分間語ればいいのか、それらは現場で決まります。そのアバウトな所がまた楽しいです。私は韓国ではいつも、会衆を見てから何を話すのかその場で決めます。空港に着いてから、「さて、今回はどこへ行くのか…」と、行き先が全然わからない感じです。
 この八月も、どこに行くのかわからないけれど、私が韓国へ行く二日前くらいにスケジュールを送ってきたので、「どこでもいいや」という感じで出かけていきました。

 韓国リバイバルミッションが終わってから、私は祈っていました。「どうか次の段階のことを教えて下さい」と祈っていました。その中で、主は私の家内に、一つの事を勉強するように導かれました。
 それが何かというと、朝鮮半島の歴史なのですが、紀元前後に韓国の南端の釜山付近に一つの強い国がありました。その国の名を「伽耶/カヤ」と言います。伽耶では鉄が多く産出され、製鉄技術が発達し、稲作が得意な国でした。
 「その国の歴史について、よく勉強しなさい」と主から教えられたようで、彼女は毎日のように図書館に通い、本を借りてきては勉強をし始めました。(私は勉強しながらテレビを見て、お茶を飲んで、お菓子を食べて、色々な事をしながらやるのですが)彼女は本を三回通り読むのです。一度目はさらっと読んで、二度目は熟読し、感動した所に線を引いて、最後にもう一度線を引いたところを読み返すという念の入れようです。私などは拾い読みも斜め読みも甚だしいのですが、夫婦でも、だいぶ性格は違うようです。

 そんな事をしているうちに、NHKスペシャルなどでも、韓半島の歴史について色々と取り上げられるようになってきました。それは日本との歴史です。
 案外、私達は“当然”と思っている事が、本来は当然ではなく、騙されていることもあるのです。

 さて、皆さん、いかがでしょうか。日本人はどこから来たと思いますか。大勢の人が、「日本人は太古の昔から、この島に住んでいる」と信じています。
 ところが、日本の歴史を見ると、紀元四世紀が空白である事をご存じでしょうか。“謎の四世紀”と呼ばれ、四世紀については空白だというのです。「何故、あのような事が起こったのかわからない」と言われます。それが何かというと「古墳」の出現です。
 皆さんの街にも、必ず古墳があります。この地域は特に古墳が多く、大体、三河地方で分かっているだけでも、一五〇〇基くらい、大小様々な古墳があります。それが出来たのが、四世紀から七世紀位の事で、突然出来始めたというのです。
 それまではそういう形跡はないのですが、四世紀に、突然古墳が出現し、古墳を掘ると色々な副葬品が出てくるわけです。副葬品とはどういうものかというと、なんと、当時の朝鮮半島の古墳と同じものが出るのです。

 それに対して日本の歴史家は何と言うかというと、「これは、古くから、日本と朝鮮半島との間に交流があった」というのです。実は日本には、当時製鉄技術はありませんでしたし、元々は誰も住んでいない島でした。
 日本には初めは縄文人という、海から渡ってきた人達が狩猟生活を営んでいました。狩猟民族というのは、その日の食料だけ取って食べればよいのですから、私は「そのような生活もいいな」と少々あこがれます。
 狩猟民族には、土地を所有する考えは全くないわけです。獲物がいなければ、次の土地に移動する人たちですから。そういう人達がはじめ日本にいたわけです。
 やがて、その上に「弥生人」という人達が入ってきて、稲作を少しづつ持ち込んだわけですが、それは穏やかな侵入であり、国としての区分などなかったのです。

 国とは何かというと、支配者がある土地に入って来て、人々を権力によって支配する、地理的領域を持つ支配構造です。日本には支配者がいて、地理的限界と共に支配していますが、これがいつから始まったのか、考えたことはあるでしょうか。

 「そんな事を考えたことない。日本はもともと太古の昔からあったんじゃないの」と答える人が多いのです。しかしそれは大きな勘違いです。古墳に韓国と同じ副葬品があると、「当時は朝鮮半島と交流があったのかもしれないね」と言います。しかしこれは間違いです。

 調べてみると、日本という支配構造がどうして出来たかがわかります。それは伽耶という強大な国の豪族達が海を渡り、北九州に王朝を作ったのです。九州王朝はさらに東に進出し、すでに住んでいた人々を支配していきました。やがて、九州王朝から派生した豪族たちは近畿地方に王朝を確立しました。それが大和王朝です。やがて大和の方が九州より強大になり、九州王朝は大和に取り込まれ、やがて伽耶も百済に吸収されました。
 それにより、大和王朝は、「自分達はこの国に生まれ、この場所でずっと育ってきた」という、独自の歴史を作り上げる必要が生じたのです。それで、『古事記』と、その後、海外を意識した古事記の改訂版、『日本書紀』を作成したのです。

 実は、『古事記』と『日本書紀』を、中国の史書と比べると内容が整合しないのです。韓国にある記録と突き合わせても、合いません。これは何を意味しているのでしょうか。それは、自分達の独自性を主張するために、歴史を自ら書き換えたからです。

 日本は、『伽耶』にあった支配構造が、豪族と共に入ってきて国として成立したのです。その証拠に、大和時代の次は飛鳥時代、続いて奈良時代ですが、それらはすべて「百済文化」そのものでした。それは、百済と交流があったのではありません。向こうからの人々が来て、日本列島に支配構造を確立したことを意味します。

 という事は、私達の多くは朝鮮半島から渡来した者達であり、南の方から来た人達です。太古の昔から日本列島に住んでいた人など一人もいないのです。特に、国としての支配が始まったのが、伽耶国があったゆえに、日本が出来たという背景があります。

 この付近にも多くの古墳がありますが、「沢山あるね。大勢の豪族が入ってきたみたいだけど、あの人達はどうしちゃったのかね。多分、どこかに消えたんじゃないか」と言いますがそれは間違いで、豪族たちや当時の庶民の子孫が私達なのです。
 先日も、豊橋から一人の青年がやって来てこう言っていました。「僕はこの地域の豪族の子孫だ」と。「うちの先祖はこの地域の土地の半分を持っていた」というのです。彼の家の畑の中には、まだ発掘されていない古墳があったりします。彼は、四世紀頃に韓半島から入ってきた人達の子孫であり、先祖の墓が古墳であるわけです。

 しかし、実際はどうでしょうか。このような事実をなかなか認めることは困難です。近畿地方辺りから、日本人は全く独自に大和朝廷と共に始まったとするのが日本神話です。しかし、不思議なことに日本神話の国造りの舞台はすべて九州です。
 実は、日本神話は独自の神話ではなく、伽耶の神話とまったく同じストーリーです。日本は朝鮮半島から入ってきた豪族たちによって作られた国であるわけです。
 しかし、「日本はすべて独自のものだ」というだましの中で我々は生活しています。これはサタンの大きな策略であり、だまし事です。そんな偽りがある故に、韓国や中国の人達とも仲良くできないし、戦争もしてきたのです。それは間違った歴史観であり、歴史の偽りからも解放されなければいけません。

 聖書を見れば、皆、バベルの塔から散らされ移動してきた者達ばかりです。我々の祖先も、ある日、移動して日本列島に来たのです。

 先ほど、韓国で、「何処に行って奉仕するのかわからなかった」と言いましたが、本当に神様は不思議なお方だと思いました。何と、連れて行かれた最初の場所が、伽耶の都があった場所でした。金冠伽耶の都であった釜山と、もう一つ密陽/ミリャンという伽耶の中心地域に、韓国リバイバルミッション後、最初の奉仕場所として主は私を遣わして下さいました。
 そこに住む方々と共に、お互いに祈り合う事が出来ました。私は韓国の方々に言いました。「韓国の皆さん、私達日本人は元々、皆さんの地域から移動して来た人達の子孫です。ですから、皆さんが日本で宣教するのは海外宣教ではなく、国内宣教です。私達も、皆さんの国に来るのは外国ではなく、先祖達が住んでいた地に戻って来ただけです。私たちは元々、同じ民族です。心を一つにしていきましょう」と話しました。
 先週のライズアップコリアの時にも、その事について少し触れ、皆で祈りました。最後にその写真だけ少しお見せして、終りにしたいと思います。今回のメッセージをとりなしのための一つの情報として受け取り、この国のために祈って頂きたいと思います。

 この写真はミリャンにある豪族たちの古墳です。韓国は墓を大事にするのでとてもよく管理されています。
次は、新城教会から二〇分ほどの場所にある豊橋市石巻町の古墳です。これは石巻の古墳から出てきた出土品と、ミリャンの古墳から出土した副葬品の写真ですが、豊橋も韓国と全く同じものが出てきています。これは交流があったのではなく、向こうから入ってきた人達によって国が出来た証拠です。
先日、NHKでも特集番組で、「歴史の真実をしっかりと見なおせば、日韓両国の関係も良くなるのではないか」言っていました。しかし日本にはプライドがあり、それでも、「俺たちは独自の民族だ」というのです。

 しかし皆さん、神様は、この国にメスを入れたいのです。この国を変えようとされています。特に今回の政権交代で、長い間続いてきた官僚制にメスが入るのは大きな“霊的維新”です。それは、目に見えない霊的チームの入れ替えのように思えてなりません。この時にこそ、私達クリスチャンは、そのはざまに立ち、ダニエルと同じように国のために祈りましょう。この国の未来のために祈って下さい。それがひいては子供達、孫たちの祝福につながるのです。
 先ほども、主の祈りの中で「み国が来ますように」と祈りましたが、日本に神の支配が来るように祈りましょう。


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