「神に会う備えをせよ」


2009.10.11(SUN)
新城教会 滝元 明 牧師

アモス書4章12節
「それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」。」

 ハレルヤ!いつもお祈り有難うございます。皆さん、ちょっとこちらを見て下さい。私は九月二十日で八十歳になりました。皆さんのお祈りのおかげで、今日まで元気であることを感謝します。こちらの絵は、九月二十日、私が浜北教会で奉仕したときに誕生日のお祝いをして下さり、私のために作ってくれたケーキです。ケーキに写真がプリントしてあるのです。おいしいケーキでした。本当に感謝します。また、引き続き覚えて祈って下さい。

皆さんにお祈り頂いて、ロンさんとマキーダさんと一緒に、先週の七日から日本全国、沢山の教会を回ってきました。七日の日は、皆さんもご存じのように、台風十八号が来ましたので、ちょうど家を出る時には、激しい雨が降っていました。その晩は神奈川県の南足柄の教会で集会をしたのですが、「夜の集会の時に台風が来たらどうしよう・・・」と心配していました。ですので、「イエス様、どうか守って下さい。」と祈りました。すると、その晩、不思議な事に、ちょうど集会が始まる前から雨がやみ、そして集会が終わり、皆が帰った後に、雨が降り出しました。とても感謝しました。主は生きておられます。

その次の日は、栃木県の小山という場所で集会が予定されていました。午前十時半に来て下さいと依頼されていましたが、テレビを見ると台風の影響で、小山にも警報が出ていました。朝六時の出発の時点では、とても激しく雨が降っていました。しかし、小山に着くと、何と晴れていました。とても感謝しました。フルゴスペル教会の先生ですしたが、先生がこう言われました。「滝元先生が来られるのに、雨が降るわけがないですよ、信じていましたよ。」本当に、守られて感謝でした。

新聞を見ると、ずいぶん色々な影響があったようです。今朝の新聞には、農作物が台風でやられて、損害だけでも二十九億円程にのぼると掲載されていました。新城や設楽でもおおよそ五百軒くらいの家が停電した様です。このような中でも、守られて、今日ここにあることを心から感謝したいと思います。

人生には、色々なことが起こります。昨日の新聞に、この教会に来ておられたOさんが召天されたことが掲載されていました。Oさんは、何回かこの教会に来られ、また奥さんと娘さんも来ていらっしゃるので、私はその方のためにいつも祈っていました。Oさんは、医学部の名誉教授で病院の院長さんをしておられた方ですが、癌になり入院されました。そのとき、順牧師が行ってイエス様を信じるよう導いてくれました。召されるその日、上條牧師が病院に行って、「祈ってもいいですか」と聞くと、目を開いて、「はい、お願いします」と答え、共にお祈りをしたとのことでした。その後、上條牧師のいる前で、息を引き取られたそうです。明日の十一時半から葬儀があり、順牧師が葬儀を導くことになっています。

私達の人生の中では、色々な事が起こります。今日のみ言葉のテーマは、「あなたの神に会う備えをせよ」です。いつなんどき、どんな事が起こるかわかりません。今、世界的に大きい台風が多く起こっています。今朝もニュースを見ていたら、フィリピンやミャンマーで大きな台風があり、またアメリカではハリケーンで多くの人が亡くなったりしています。原因は、温暖化のため、海水の温度が上がったからだと言われています。先週、順牧師がメッセージで、東海地震の危険性について話しました。つい先日も、スマトラの方で、巨大な地震がありましたが、世界は今、非常に危ない状態にあります。東海地震のことも、私たちは、真剣に祈っていかなければなりません。

誰しも、人生には終わりが来ます。いつかは召されて、神に会うことになります。それに備えて、私達はいつでも神の前に立つことが出来るよう、準備していく事は非常に大切な事です。

聖書を見ると、神は「愛なる神様」です。ある方はこう考えます。「愛なる神様だから、何でも赦して下さる」と。しかし、そうではありません。神様の中心は「義」であり「清さ」です。神は、私達に、「いつでも悔い改めて立ち返りなさい」と語っておられます。

ロン・ブラウンさんは、四年間、麻薬を続ける生活の中で、心からやめたいと願った時に、友人の祈りによって解放されました。マキーダさんも、六歳ぐらいから性的な虐待を受けはじめ、「死にたい」と叫ぶ日々が続きました。しかし、神様は暗闇のどん底から彼女を救いだして下さいました。神様は私たちを愛し、素晴らしい救いを与えて下さいます。しかし、一方で、ヨハネ書の三章三十六節には、こんなことが記されています。

 「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

 イエス・キリストという神様は素晴らしい方で、信じたらどんな罪でも赦されます。しかし、このみ言葉にあるように、悔い改めなければ、神の怒りが留まるというのです。

 聖書を見ると、こんなストーリーが記されています。姦淫をした女が捕えられて、人々は「この女は姦淫したから、石で打ち殺すべきだ」と言いました。しかし、イエス様は黙って何もおっしゃいませんでした。「どうしようか」と人々が騒ぐ中、イエス様は、静かに顔を上げて言いました。「あなた方の中で、罪のない者がまず最初に石を投げなさい」と。すると、一人去り、二人去り、その女性とイエス様の二人になった時、イエス様がこの女性に、「あなたを罪に定める者はなかったのか」と聞かれました。すると、女性は、「はい、誰もいません。」と答えました。そして、イエス様が次に言われたのは、「私もあなたを罪に定めません」そして「二度と罪を犯してはいけません」といわれました。ここからも分かるように、許されるからといって「何度やってもよい」のではないのです。

 また、三八年間、病気で苦しんだ人をイエス様が癒された事が聖書に書かれていますが、癒された後にイエス様は「二度と罪を犯してはいけません、もっと悪い事が起きますから」と言いました。神は愛ですが、私たちは、考え違いをしてはいけません。何をしてもかまわないというわけではないのです。神は愛ですが、悔い改めなければ裁きがあるのです。私たちは、悔い改めなければいけません。

今年の五月、韓国でリバイバルミッションがありましたが、その後、私は六月に、名古屋の、ある韓国の方からの招待で韓国教会に集会に行きました。その方は、とても熱心に伝道なさっていました。私は、その方に聞きました。「どうしてあなたは伝道者、牧師になったのですか。」すると、こう話されました。その方のお兄さんは、イエス様が大嫌いでした。ものすごく迫害されたようです。そしてある時、お兄さんは聖書を引き裂き、壁に投げつけて、「イエスなんか大嫌いだ!」と叫び、外に飛び出して行ったそうです。すると、飛び出した途端、自動車にはねられて即死してしまったというのです。お兄さんが亡くなった後、その方は幻を見たと話してくれました。お兄さんが硫黄の燃えている地獄で、「俺が間違っていた!俺が間違っていた!」と叫んでいたというのです。その方は、「この幻を見て以来、皆に地獄に行ってもらいたくないと強く思うようになり、宣教師になったのです」と言われました。神様は何でも許してくれると、罪を軽く考えてはいけません。

カナダのトロントで、オズワルドという牧師が素晴らしい本を書きました。私はその本を読んで、とても感動しました。ずいぶん昔のことですが、カナダのある街でリバイバルが起きました。村中の人が救われ、皆教会に行くようになり、祝福されたそうです。しかし、その村で、どうしてもリバイバルを喜べない男が一人いました。それは、酒場の主人でした。人々が酒屋に来なくなってしまったからです。彼は、ならず者達を集めて、「教会の集会を妨害してこい」という命令を出しました。すると、ならず者二人が出て行って、妨害するために教会に行きました。そして「いつ妨害してやろうか」と機会を狙いつつ話を聞いていると、彼らは、怖くなりはじめました。「俺たちはこのままだと地獄に行ってしまう…妨害するのをやめて、イエス様を信じよう」と、その場で信仰告白して救われたというのです。そこで、その酒屋の親父は、「よし、じゃあ、今度は俺が行って妨害してやる!」と意気込んで教会に行き、真中に陣取っていました。集会が始まり、讃美歌が歌われ、説教が始まった時、彼は立ち上がり、「やめろー!やめてしまえー!」と叫びました。その瞬間、彼の声がぱったりと途絶え、そのまま、彼は血を吐いてばったり倒れ死んだのです。

悔い改めない者には、神様の裁きが下されます。ですから皆さん、罪を悔い改めて、いつでも神の前に出れるよう、準備しなければなりません。

聖書の中に、こんなストーリーがあります。今から千五百年くらい前、バビロニア帝国に、有名なネブカデレザル王という王様がいましたが、その次の代はベルテシャツァル王でした。彼が王様として即位したある時のこと、千人の人を招き大宴会をしました。夕方に蝋燭をつけて、奥さんや妾を呼び、金の杯を持って、飲めや歌えやでどんちゃん騒ぎをしていると、突然、彼の目の前の壁に一本の指が現れて、壁に文字を書いたのです。べルシャツァル王はそれを見て怖くなり、腰がぬけて、がたがた震え、「誰か、この字を読んだ者には、第三の権力を与える」という約束を出しました。占い師をはじめ、色々な人を呼び、解き明かしをさせようとしましたが、誰一人解き明かすことが出来ませんでした。王が困っていると、ネブカデレザル時代にいた人が来て、「王様、心配しなくてよいですよ。この国にはダニエルさんという神を信じている人がいます。この方に解き明かしてもらいなさい。」と提案しました。ダニエルは来て、解き明かしをしました。「王様、あなたはネブカデレザルの子供で、神様を知っているはずです。でも、あなたの命を握っている神様を恐れないで、偶像を拝んでこんな酒盛りをしているから、神様があなたにしようとしておられる事を、あのような形で表したのです。」とダニエルは言いました。そして、その壁に書かれた文字の意味を説明しました。そこには、「メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン」と書いてあり、「メネ」とは「神があなたの治世を数えて終わらせた」、「テケル」とは「あなたがはかりで量られ、目方の足らない事がわかった」、また、「パルシン」とは、「あなたの国が分割され、メディアとペルシャに与えられた」という事でした。この解き明かしの末、べルシャツァル王は、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告しました。そして、その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺されたと記されています。

 このバビロン帝国があったのは、現在のイラクです。その国には、ユーフラテスがあります。バビロンはとても大きな街でした。二四キロの城壁で囲まれ、その幅は二七メートル、高さは九九メートルあったといいます。難攻不落の街とされ、世界で一番大きな国でしたが、その王様が、どんちゃん騒ぎをしていたのです。丁度その時、カルデヤ人達がユーフラテス川の下にトンネルを掘っていました。そして王様がダニエルに「第三の権力をあげる」と言ったその晩、カルデヤ人が入ってきて王は殺され、ダリヨスが王様になったと記されています。

 皆さん、私達の人生も何が起こるかわかりません。罪のまま死んだら裁かれます。数えられ、あなたはもう終わりだ、あなたははかりにかけられたが目方が足らない、とこう言われてしまいまいす。私達は教会に来ていますが、「何をしてもかまわない」というわけではありません。聖書は、「罪を悔い改めて神様のもとに立ち返りなさい」と語っています。聖書には、モーセの十戒というものがありますが、その中には掟が書かれています。それはひとつの計りですが、何と書いてあるでしょうか。まず、「わたし以外に神はない」というのが、第一の戒めです。そして、「わたしの他に神があってはならない」、次に、「偶像を作ってはいけない、拝んでもいけない、仕えてもいけない」と書いてあります。

私が日本全国の巡回伝道を始めて五五年以上になりますが、昔、名古屋にドイツ人の宣教師が来ていました。その宣教師と共に集会をした時の事を、私は今でも忘れる事ができません。その集会に一人の六〇歳くらいのおばあちゃんが来ていました。彼女は、「私は罪から救われて本当に嬉しいです」と語ってくれました。彼女の犯した罪とは、幼稚園くらいの小さい頃の話でした。お隣のおじさんが梨の木を育てていたそうです。その木を植えてから、初めての実が実りました。大きくなっていく梨を見て、彼女は、それがほしいと思ったのです。そして、ある時、とうとうその誘惑に負けて、その、見事に実ったたった一つ梨を取ってしまったのです。しかし、取った後怖くなり、梨を草むらに捨てて、逃げて帰ったというのです。しばらくして、おじさんは、梨が盗まれたのを知って、「誰だ、梨を盗んだのは…」と泣いたのです。その記憶が、小さい頃から忘れる事ができず、そのおばあちゃんは、小学生になっても中学生になっても、大人になって結婚しても「私は梨を盗んだ」と罪の意識を抱え生きていたというのです。しかし、ある時、教会に行きました。そして、「イエス様が私の罪のために十字架にかかって死んでくれ、イエス様ご自身が、罪の身代わりとなって死んでよみがえって下さった。信じたらどんな罪でも赦される。」という、聖書の話を聞いたのです。そこで彼女は、「信じます。イエス様、梨を盗んだ事を赦して下さい。」と祈りました。そして、許され、勇気をもらい、おじさんの所に行き、「私は、小さな頃に、梨を盗みました。ごめんなさい。」と謝りました。すると、おじさんは、赦してくれました。彼女は、「それ以来、本当に嬉しいです」と言いました。私はそれを聞いて感動しました。帰りに、宣教師に、「先生、今日の話はよかったですね。」と言うと、その宣教師は返事をしませんでした。「何だ、この宣教師…」そう思うと、彼はこう言いました。「先生、私は日本人は間違った所があると思います。梨を盗む事は、もちろん悪いことですし、罪です。だけど日本人は、大きな罪を小さくして悔い改めて、小さな罪を大きくして悔い改めているように思うんです。梨ひとつ盗むことは悪いことですが、本当はそんなに大きな事じゃありません。大きな罪にして悔い改めていますが、しかし、一番大きな罪は何だと思いますか。天と地を造られた神を信じない事です。偶像礼拝することが一番の罪です。何故、日本人は、その大きな罪を悔い改めようとしないのでしょうか。」と。それを聞いた時、ハッして、本当にその通りだと私は思いました。

皆さん、聖書の中には色々な掟が書かれています。殺してはならない、親孝行をしなさい、姦淫してはいけない、盗んではいけない、むさぼってはいけない、等々、色々あります。私達は今日、神の前にへりくだって、「神様、私は罪人です」と告白し祈りましょう。

ロンさんは、四年間もやめることのできなかった麻薬から解放されました。また、マキーダさんが、あのような赤裸々な証しが人前でできるのは、罪が赦され、神様によって解放されたからです。

皆さん、今日、イエス様を信じ、罪を悔い改めましょう。どんな罪でも、悔い改めたら赦されます。ある方はこう言います。「クリスチャンになったら仏壇を捨てなければいけないし、組付き合いもできなくなるからクリスチャンになれません」と。しかし、皆さん、「クリスチャンになったから」偶像礼拝をしてはいけないという単純なことではないのです。人間として、偶像礼拝している事は最大の罪であり、まことの神を信じない事が罪なのです。悔い改めなければ滅びがきます。今日は、しっかり悔い改めましょう。清さの中に愛があります。悔い改める時に赦しがあります。悔い改めた時には、必ず祝福があります。私達が皆、イエス様によって罪赦されて天国に行く人になることを心から祈ります。共にお祈りしましょう。


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