「キム・ウヒョン監督講演記録」


2010.1.3(SUN)
金遇賢(キム・ウヒョン)監督

 今日は、キム・ウヒョン監督をここにお招き出来て心から感謝します。韓国から来られた方々も大勢おられます。心から歓迎致します。「韓国リバイバルミッション」に協力いただいた方々ばかりです。その働きを通して、日本と韓国の間に大きな扉が開かれました。その延長線上に素晴らしい主のご計画がある事を信じます。金先生は、聖霊のバプテスマを授ける賜物を頂いている主の器です。大きな拍手でお迎え下さい。

 ハレルヤ!主を賛美します。順先生が韓国に来て、この集会に来るように私を招待して下さいました。神様が私にみ言葉を下さいました。それは私が考えてもみなかったようなみ言葉でした。出エジプト20章の12節のみ言葉です。私はずっとこのみ言葉を握りしめて、祈ってきましたが、今日この新城教会に神様が下さったみ言葉であると信じております。 

『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。』

 このみ言葉に対して、ある考えがあります。「父と母を敬ったら私達は祝福を受ける」と、文字通りとればそういう意味です。「父と母に孝行すれば祝福を与えられる」そうですか?アーメンですね。
 パウロは、「父と母を敬えば私達はこの地で成功する」と語りました。父と母を敬えば私達はこの地で増え、また齢が長くなると言われています。
 しかしイエス様はこの十戒について、ただ、肉的な事についてだけの解釈だけでなく、霊的な意味を持っても解釈されました。十戒の中に「殺してはならない」というみ言葉がありますが、「心で憎んでもそれは殺人である」と言われました。
 父と母を敬え、というのにも霊的な意味があると思います。霊的な信仰の父と母を私達が敬う時に、リバイバルを経験することになるだろうと解釈する事ができます。今日、私は夜明けに起きて、新城教会のためにお祈りしていました。その時、神様が私に気づかせて下さったみ言葉があります。それは、マラキ4章6節、
『見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。』

 神は、イスラエルに向かってエリヤを送ると約束されました。当時イスラエルは非常に絶望的な状況の中にありました。偶像に支配されており、リバイバルを経験してから長い年月がたっていました。神は彼らにエリヤを遣わし、「父の心を子に向けさせる」と。また、「子の心を父に向けさせる」と六節に書いてあります。エリヤの霊がそこに臨み、そのような現象が起こるであろうと約束されました。
 アメリカや韓国の多くの教会では、このようなみ言葉を“世代間の葛藤”として解釈します。しかし私はイスラエルに行って、ユダヤ人にこのみ言葉の意味について聞いてみました。ここに書いてある父とは誰のことなのか、すると、これはまさに「信仰の祖先」の事を言っていると教えてくれました。それはアブラハム、イサク、ヤコブの事であると教えてくれました。
 神様はアブラハム、イサク、ヤコブに対して、驚くべき約束を与えて下さいました。彼らを通して、全ての祝福の扉が開かれるだろうと私達に教えてくれました。イスラエルはその約束を受けて建てられた国です。
 しかし、マラキの時代のイスラエルの民は、この約束を忘れていました。彼らの祖先に与えられた霊的な祝福について忘れ去っていました。ですから、彼らを偶像が支配しており、真っ暗な闇の中に閉じ込められていました。今エリヤの霊がこの場に臨むなら、祖先に向けて与えられたその約束に向かって立ち返らせる、父達と子達が一つになり、神の約束されたその祝福を与えようという約束です。

 それで、エリヤがどのようなみ業を起こしたのかという事を、見なければいけません。

列王記のみ言葉を共に読んでみます。第一列王記18章36節〜37節、
『ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」』

 エリヤの時代にも、イスラエルの民は父に与えられた約束を忘れていました。神は彼らに驚くべきリバイバルの約束を与えて下さいましたが、それを彼らは覚えておらず、信仰によってつかんでいなかったために、偶像が彼らを支配するようになり、また、闇の中に入って行きました。バアルが神であると信じていたような間違った時代でした。多くのイスラエルの祭司達は、バアルに仕えていました。
 けれども、エリヤは、祖先であるアブラハム・イサク・ヤコブの約束に向けて、イスラエルの民の心を取り戻そうとしていました。彼らにみ業を起こしたその約束に対して、心を向けさせるようにしていました。エリヤはその父達に与えられた約束を握っていました。そこに神の火がのぞみました。

 「父と母を敬え」とは、この意味を指しているという事に、神様は気づかせて下さいました。イスラエルの中に神様のリバイバルを経験した者たちは全て、この父達の約束・契約を覚えていた者達でした。モーセがそうでした。ヨシュアがそうでした。ネヘミヤがそうです。エリヤ、ダビデ、このような人達は、アブラハム・イサク・ヤコブに与えられた約束を握っていた者達でした。彼らに約束された事を守るために、献身した人達でした。ただ、自分の熱心で生きていたのではありません。彼らの父達に与えられた約束を握っていた人達でした。

 今朝、私が夜明けに祈っていた時に、神様はこの新城教会に対しても約束を下さいました。この新城教会の父と母に約束されたことがあります。明先生に対して、日本のリバイバルを約束され、扉を開いて下さいました。そして、私達の父と母の世代は、この日本のリバイバルのために献身なさいました。そして神様は驚くべき祝福を下さいました。 
 そして今、新しい世代は、この父と母に約束されたものを受け継がなければいけないと神様は教えて下さいました。新しい世代は、リバイバルのために立ち上がらなければいけません。父と母を主によって尊敬するということは、明先生をはじめとする方達に約束されたリバイバルに対して、もう一度新しく覚える事、さらに強いリバイバルをこの時代に成し遂げる事を望む事です。これを信仰によって求めなければいけません。
 神は父と母に約束されたものよりもさらに大きな約束と祝福を、この地に与えようと願っておられます。神はさらに完全なものを、私達に与えたいと願っておられます。
 そのためには、私達の信仰の父と母に与えられた約束を、覚えなければいけません。この時代にそれを成し遂げるために、私達は努力しなければいけません。今日、祈っている時に神様はまた、へブル書のみ言葉を下さいました。

 へブル書11章39節〜40節、
『この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。』

 へブル11章は驚くべき信仰の先祖達について語っている所です。アブラハムやノア、素晴らしい方達について記録しています。初代教会は、彼らに対してこのように言っています。「この人達は信仰の証は得ましたが、約束のものは得なかった」約束のものは受ける事が出来なかった、と書いてあります。それは、今いる者達に主がさらに優れたものを用意するためでした。私達、新しい世代を通して、さらに完全な物が与えられる。彼らは勿論、素晴らしい祝福を受けました。素晴らしい神様の業を受けました。しかし神様はこの世代にさらに優れたもの、さらに完全なものをお与えになります。父母の世代に与えられたものが、さらに完全になり、さらに大きくなり実を結ぶのです。神の国というのは離れているものではありません。一つにつながっているものです。

 主は、明先生を通して、素晴らしいリバイバルをお与え下さいました。ここにいる父母の世代の方達は、本当に大きな実りを得ました。しかし、主が約束されたのは、それよりもさらに優れたさらに素晴らしいものです。日本のリバイバルが今開かれようとしています。日本は変えられます。日本だけではありません。世界のあらゆる場所が回復に向かっています。日本はこの終りの時に、素晴らしい神様の道具として用いられるでしょう。それがなされなければいけないのですが、そのためにはこの世代がその父と母に与えられた約束をつかまなければいけません。それが一つになって、神様がリバイバルを起こされるのです。

 これが新城教会に与えられた主のみ言葉です。ここには明先生や父母の世代の方々もいらっしゃり、そして連結して後を引き継がれた順先生もいらっしゃいます。また、若い世代の方々がいらっしゃいます。特別、若い世代の方々はリバイバルについて祈り、この約束を握らなければいけません。「さらに優れた、さらに完全なリバイバルを与えて下さい。強いリバイバルを与えて下さい。私達の時代にそれを成し遂げて下さい」と祈らなければいけません。神様は全てのことを一つにし、日本全体のリバイバルを下さいます。

 2010年から、そのリバイバルが始まります。全世界に向かって新しい業が始められます。アーメンでしょうか? 

 私は韓国において、このような事を成し遂げたいと願っています。韓国教会も今、非常な危機の中に置かれています。韓国も、私達の父と母の世代に与えられたリバイバルが、今はこの世代になって沢山のものを失っていこうとしています。神様はこの2010年には韓国全国を歩きながら、「リバイバルをもう一度起こしなさい」と私に語って下さっています。私は韓国において、一生懸命この約束を成し遂げようと努力します。
 今ここにいる新しい若い世代の人達、私達の父と母は素晴らしい事をした、とそのようにだけ考えないで下さい。私達にもっと大きなことを約束されたヨシュアとカレブに与えられた祝福を受けて下さい。日本全体を皆さんはリバイバルに導かなければいけません。この地を征服し、偶像をなくし、キリストの福音が支配するようにしなければいけません。そのために、父と母を敬わなければいけません。霊的な父と母に与えられた約束を私達は握らなければいけません。

 今日、私は長いメッセージを皆さんにお伝えするのではなく、それよりも父の世代、この世代が一つになって、聖霊様の中で祈る時間を持ちたいと願っています。主は今ここを見ておられます。主は私達に今、業を起こそうとなさっておられます。2010年に、この新城教会は素晴らしい神様のみ業の中に入って行くでしょう。その結果、その実りは皆さんの信仰にかかっています。

 私はこのようなみ言葉を握りながら、続けて祈ってきましたが、最近、韓国で「ヒストリーメーカーズ」“歴史を創造する祈り”という本が翻訳されました。私は最近この本を買いましたが、大変驚きました。私はいつも「聖霊様、私に本を紹介して下さい」と祈りながら本を探しますが、私が悟った事と同じ事がここに書いてありました。時々、「この本は私のために書かれたに違いない」と思う時があります。
 アメリカのある黒人の方がここに登場します。その人の先祖はアフリカから来た奴隷でした。その時、奴隷解放のために多くのクリスチャンがお祈りをしたと言われます。神様はその時に霊的大覚醒、リバイバルを与えて下さり、奴隷解放を成し遂げられました。素晴らしいとりなしの祈りがそこにあったことと思われます。その子孫が驚くべき神様のみわざについて悟ったのです。神様が、信仰の祖先に対して与えられた約束を今、この時代にいる人達がその約束を持って祈る時に霊的なアップグレードを成し遂げ、この時代の霊的な奴隷、霊的に囚われた人々の解放をもたらすのです。

 アブラハム・イサク・ヤコブに与えられた契約についてわかちあっています。アブラハムは井戸を掘りました。ペリシテ人はいつもそれをふさぎました。イサクはそのふさがれた井戸をまた掘りました。サタンは私達のリバイバルをふさごうとしています。リバイバルが次の世代に引き継がれずに、その時だけに終わるように仕向けてきます。私達はだまされてはいけません。イサクのように続けて井戸を掘るべきです。井戸がふさがれたら、また掘って、教会はリバイバルの井戸をどんどん掘り、アブラハムの時よりもさらに豊かな水を持たなければいけません。リバイバルの井戸を掘りたいという熱望を、私達は持たなければいけません。放っておいたらすべてふさがれてしまいます。

 今日、この井戸を掘る祈りを私達は捧げたいと思います。父の世代と子の世代が一つとなって、心合わせて祈る事を皆さん望んでおられますか?神様は驚くべきみ業をここで始められると思います。
 今日、私と共に来た後輩のキム・ドヒョンが賛美を捧げます。その賛美を聞いてから共に賛美し、そして祈る時間を持ちたいと思います。韓国教会の“ヨン様”です。拍手でお迎え下さい。(ここまでが金監督のメッセージ)

 私が今、ここで皆さんの前でお分かちする曲は、私が軍隊にいた時に作った曲です。カンウォンドという雪が沢山降る所です。ソウルで生まれて生活してきたため、雪が沢山降るその光景は私にとって非常になれないものであり、珍しいものでした。もし私が軍人でなければ、その雪が非常に美しく見えたと思います。
 しかし、軍人である立場でその雪を見た時には、それは非常に悲惨なさみしい物でした。なぜなら、私がその雪を全て片づけなければいけなかったからです。私はその時初めて春を待ち望む気持ちがわかりました。春が来た時に私の心の中から、歌がわき出るような気がしました。その時にはただ春の風景だけを歌いましたが、その歌は私が歌えば歌うほど、神様が与えて下さる聖霊様の春という感じになってきました。
 私はこの日本の地で聖霊の風が吹き、聖霊様がもたらして下さる春がこの日本の地に来て下さる事を期待しています。その心で今、この賛美を分かち合いたいと思います。

「山や谷 野原で春の香りが 隠れていた鳥達の声が聞こえる 
 山々の白い雪解け去って 今は 主が約束された春が来た 
 心配だらけの過去の日々と 終りの見えなかった寒い冬は 
 主のみ手により跡形なく 主の偉大なみ業 全地が賛美する」 

 今回来て、三回目にこの曲を歌う事になりました。この曲を翻訳してみましたがまだ慣れていません。バスに乗りながら、意味もわからず、心の中でこの曲を一生懸命練習しました。私は音楽をする者ですが、あまり自分の感情を表に出さない人間です。しかし、この曲を歌う時に、私の中に隠されていた感情が表に出てくるような感じを味わう事が出来ました。日本の田舎の光景を見ながら、聖霊様が訪れて下さり触れて下さる、その感情を私は見る事ができました。あふれ出して来る涙を止める事はできませんでした。
 この曲が日本の皆さんに知られて、私が有名になることを望んでいるわけではありません。私に臨んで下さった聖霊様が、日本の皆さんの心にも訪れて下さり、触れて下さる事を私は願っています。その願いを持ってこの賛美を分かち合います。繰り返しの部分は一緒に歌って下さったら感謝です。 

「むなしい時、ため息つく時、共に嘆いている方がいる 
 みなしごのように 見捨てはしない いつでも私と共におられる 
 聖霊来たれり 聖霊来たれり 
 主が送られた 慰め主
 わが人生に 訪ねて来られ み国夢見させる 

 虐げられて 自由が無い時 避け所なる 助け主
 聖霊と共に 自由がある 聖霊の中で 真理を知る
 聖霊来たれり 聖霊来たれり 主が送られた 慰め主 
 わが人生に 訪ねて来られ み国夢見させる」

 へブル書を見ると、私達が神様のみ座の前に出ていくという事、聖霊の臨在の中に出ていくという事は、イエス様の血潮を通してとあります。私達がイエス様の血潮を賛美する時、聖霊様がこの場に来て下さいます。私達はまずイエス様の血潮を賛美し、私達に下さるリバイバルのためにお祈りします。主の血潮に力があるのです。共に立ちあがって賛美しましょう。


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