「聖霊により主の証人となろう」


2010.2.14(SUN)
新城教会 滝元順 牧師

使徒の働き 1章8節
『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 ハレルヤ!おはようございます。今日は皆さんと共に礼拝を守れます事を、心から感謝しています。
 昨日は2月13日でしたが、今から18年前の2月13日、新城教会に記念すべき出来事が起きました。リバイバルを祈っているただ中に、聖霊様が強く訪れて下さったのです。それは18年も前の事ですが、昨日の事のように覚えています。激しく聖霊様が訪れて下さり、教会は新しい季節に入りました。
 昨日はその事を記念して同じ愛知県民の森で祈祷会を持ちました。本当に祝福された、さらなる新しい季節を予感させる祈祷会でした。昨日の祈祷会にわざわざ韓国からチョン先生と息子さんが来られました。大きな拍手をしてあげて下さい。しばらく滞在されますので、是非お交わりをして下さい。先生は去年、韓国の南の島々に私と共に行きました。その時に天の窓が開かれ、彼の人生が全く変えられてしまったそうです。そして、主から韓国全土のとりなしなさいとのコーリングを受け、今は専門的に働きたいと言うビジョンを持っています。神様の働きは一時の働きではなく、次々に、人手によらず進展していくものです。

 実は私達が今このように救われ、教会に集っているという事は、前回も話しましたが、ユダヤ人たちに聖霊が注がれ、その結果、私達が救われるようになったのです。
 ユダヤ人としてイエス様はお生まれになりましたが、彼らは福音を拒否したために異邦人が救われるようになったのです。しかし当時、イスラエルの中でも虐げられていたガリラヤ地方に住んでいた漁師達がイエス様の弟子となり、イエス様に従って行きました。やがてイエス様が十字架にかかり復活した後、エルサレムにおいて彼らが祈っている時、仲間たち120人の上に聖霊が注がれたのです。そして彼らは福音を世界に持ちだしたのです。その事はあらかじめイエス様は預言されていました。それが今日読んだ使徒1章8節です。

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

 聖霊が注がれ、弟子達が福音を外に持ち出した結果、私達は救われたのです。初代のクリスチャン達に、やがて天国に行ったら会う事が出来ると思います。その時は感謝しなければならないです。イエス様の弟子達は本当に苦労しながら、福音をたずさえて出て行きました。迫害されながら福音を伝えて行きました。その結果、福音が私達の所にも届いたのです。
 しかし、そんな困難の中でも福音を伝え続ける事が出来たのは、まさしく、聖霊の力でした。それは上からのものでした。この原則は、どの時代も変わりません。
 新城教会の50年以上の歴史を見ても、やはり初代は大変でした。新城市は閉鎖的な地域ですから、私の父母がこの地域に入って伝道を始めた頃は大変でした。待てど暮らせど人が来ず、困った彼らは「神様、どうしたら人が来るのでしょうか」と祈りました。すると主は素晴らしいアイデアを下さり、「人が来なければ産んで増やせ」というわけで、母は7人子供を産み、また初代のクリスチャンは子沢山でした。この地域は色々、村づき合いが宗教行事と絡んでいて、そこから離れたら村に住む事が出来ないくらいでした。昔はもっと封建的でしたから、そんな事は許されない時代でした。しかし、初代クリスチャン達は頑張って妥協せずに戦ったのです。それでこの地域にも福音が広がったのです。今はこうして教会堂も与えられ、快適な場所で礼拝出来る事を感謝しなければなりません。

 自分が救われたら、次の世代に、次の領域に福音を持ち運ぶ使命があるのです。先ほども話したように、イスラエルから福音が広がったのですが、エルサレムからヨーロッパの方向に福音は中心的に広がって行きました。世界の福音伝達の歴史を見ると、初めはエルサレムから始まったのですが、ローマに入り、ローマ帝国の拡大と共にヨーロッパに伝わり、後にアメリカを経由し、戦後本格的に日本に入ってきた西回りコースがありました。それぞれの時代において、それぞれの民族が福音を受け取り、隣の民族へとバトンタッチしたゆえに、私達の所まで福音が届いたのです。
 ということはイエス・キリストを信じたら、隣の誰かに福音をバトンタッチすることが大切なのです。イエス様が「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土および地の果てにまでわたしの証人となります」と語られたように、「自分は幸せになった、もうこれでいい」ではなく、福音を周りに拡大する使命があるのです。
 神のみ心に生きて行く時、神の力を体験できるのです。福音が人々の手によって伝達され、今日まで拡大した側面も忘れてはいけないわけです。

 マタイ24章14節で「このみ国の福音は全世界に述べ伝えられ全ての国民に証しされそれから終りの日が来ます」と、イエス様は語られましたが、福音が全世界に伝えられた後にイエス様は帰って来られる、再臨が来るのです。この事についても前回お話しさせて頂きましたが、「全ての国民に証しされ、それから終りが来ます」とありますが、これは全ての国民が救われる、という意味ではなく皆が公平に福音を聞いたら、イエス様は帰って来られるという事です。人には選択の自由があるのです。
 「全ての国民」と訳されていますが、これは実は“国民”ではなく“全ての民族”だというのです。
 世界に出て行きますと、ただ“国”という単位ではくくることができず“民族単位”であることがわかります。日本人は少し誤解しています。それは「自分達は単一民族だ」と考えているからです。しかし日本は、昔は多くの部族集団でした。しかし、ある時権力者によって統一されて、今のようになったのです。けれども、世界に出て行きますと、一つの国と言ってもその中に様々な民族があり、互いに壁があったり、摩擦があるのがわかります。そのために、民族から民族へ福音が伝わらない現実を目にします。

 皆さんにお祈り頂いて、私は先週ネパールを訪問する事が出来ました。土曜日、日曜日は草加の天野先生の教会で奉仕させて頂き、その教会は恵まれた教会で素晴らしい集会を持つ事が出来ました。しかし、礼拝と午後の聖会が終わってすぐに、夜の便でネパールに出かけました。以前「私はネパールに行きますが、今年の予定の中で最も大変な奉仕だと思いますから、是非ともから祈って下さい」とお願いしました。しかしそのように言いつつも、「きっと大したことはないだろう・・・」と余裕でいた所もあったのですが、実際、ネパールに行ってみると大変でした。私は少し痩せました。
 先週、上條先生がメッセージで、「感謝の反対は当たり前」と話していましたが、案外私達は日本で過ごしていると「当たり前」と思って生活している事が、一歩外に出てみると当たり前ではなく、感謝しなければならない事が多くあります。

 さて皆さんは、先週、お風呂に何回入られたでしょうか?毎日風呂に入るのは当たり前と思われるかもしれませんが、先週私は、お風呂には5日間入れませんでした。ネパールは日中は暑く汗が出ますが夜はとても寒いです。「家の中は外よりさらに寒い」と聞いていて、まさかと思いましたが本当でした。部屋には暖房が無いのです。日本人にとって、電気がつくのは“当たり前”で、スイッチを押せば電気がつくと思いますが、ネパールの首都カトマンズにおいては、何と、一日のうち電気がつくのは13時間だけです。残りの11時間は“停電”しているのです。そして悪いことに、停電がいつ始まるのかわからないのです。先週は、夜9時から10時くらいにならないと電気がつきませんでした。真っ暗で、湯沸かし器も使えず、寒くて風呂に入れないのです。けれども、昼間は暑くて汗をかくのでだんだんと臭くなり、ホームレスのおじさん達のような、玉ねぎをすりつぶして腐らせたような匂いが我が身から漂って来ました。「このまま日本には帰れない」と思うほどでした。家内も一緒に行きましたが、髪が洗えないといって苦しんでいましたが、その点については私は全く大丈夫でした。
 今回ネパールに行って、「ああ日本に生まれてよかった」という印象でした。しかしそこにはイエス様を知らない多くの人がいますから、宣教しなければいけないです。日本から宣教師としてネパールに遣わされている先生とも今回お会いしました。しかし日本からの宣教師は少ないです。けれどもネパールに住んでいる韓国人の9割は宣教に関わる仕事をしているというのです。今回は韓国のネパール宣教師の一人が私を招いて下さり、訪問できたのです。その方はすでに6年くらいネパールで働いておられます。

 ある時彼女は神様から「あなたはネパールに行きなさい」と語られたそうです。しかしその前に神が何と語られたかというと、「まずは日本のために祈りなさい」と語られたそうです。「日本を愛したくない」と思っていたそうですが、しかし「日本を抱いて祈りなさい」と語られ、日本のために祈り始めたそうです。すると、「あなたはネパールに行って宣教しなさい」という主からの声を聞いたのです。
 それで彼女は一人でネパールに乗り込んで宣教を始めたそうです。しかしこの頃は、息子さん夫妻も加わって伝道しています。ご主人は本国で働いてお金を仕送りをしているそうです。中々、出来る事ではないと思いますが、ネパールという国は世界の最貧国のひとつです。実は、最貧国と言われる国の基準として、“GNT”年間国民総所得が年間で一人750ドル以下という基準があのます。という事は一カ月5、60ドルで暮らしている人達です。その中でもネパールはもっと水準が低いのです。アジアの中にそのような国が10カ国あり、その中で最も貧しいのがネパールです。衛生状態もたいへん悪いので寿命も短く、この頃の統計では平均寿命は61歳と言われます。しかし、人口2500万人のうち首都カトマンズには数百万人の人々が集まって住んでいますが、カトマンズは寿命がさらに短いと聞きました。カトマンズの街は、ある意味無秩序状態というかごちゃごちゃです。皆さんの中で、「45歳から55歳」の方はいらっしゃいますか?その方々は、カトマンズではもう寿命です。大体その位の年齢で亡くなる人が多いそうです。私など当然土の下です。乳幼児の死亡率が高いのでそういう計算になるのですが、私達は日本という快適な国に住んでいて、「そんなの当然だ」と、時にはわがままな気持ちが出てしまいますが、一歩外に出てみれば「なんと恵まれた国に住んでいるのか・・・」とわかります。多少大変な事があっても頑張らなければいけないと思いました。
 私はいつかネパールに、新城教会の若者たちを連れて行きたいと願っています。そうしたら皆どんな感情を持つのか楽しみです。ある意味、生きる価値観が変わります。私たちは主に、新城とか東三河とか日本という視点で伝道していますが、やはり他の民族に対しても憐みの心を持ちながら伝道しなければいけないのです。クリスチャンは「受けるよりも与える方が幸いだ」というみ言葉を実践する事が大切です。そこで初めて聖霊様の力を体験できるのです。

 1992年の2月13日に聖霊が注がれて、今年で19年目になりますが、心から感謝している事は、あの時注がれた聖霊様の働きは途絶えることなく、今まで継続されていると言うことです。それがどういう形になって現わされているかというと“宣教”という形で、国内はもとより海外にまで及んでいるからです。まさしくそれは聖霊様の働きだと確信し感謝しています。当初は何がなんだかわからなかったけど、正に聖霊の力は宣教の力でした。同時に宣教はサタンとの戦いです。人々が救われるのは“暗闇から光、サタンの支配下から神の支配下に移される”事だからです。

 今回何故私が、ネパールに呼ばれたかと言うと、ネパールで働いている金先生という女性の宣教師が昨年の5月に行われた「韓国リバイバルミッション」に来てくれたそうです。そして、私の書いた「主が立ち上がられた日」という本を購入したそうです。これは愛知県民の森で聖霊が注がれて、その後新城教会に何が起こったのかという事を記録した本ですが、まだ読んでいなかったら是非お読みください。この本は英語と韓国語に訳されています。韓国語の本は一万ウォンです。その本を買って読んだらたいへん感動し、「これは本当に重要な事だ」と、9日間、泣きながら本を読みながら祈り、「是非ともこの本を書いた滝元順を呼びたい」と思ったそうです。それで私の所に「ネパールに是非来て下さい」とオファーが来たわけです。それで今回祈りに支えられ、ネパールに行く事が出来たわけです。
 実は、ネパールは2008年までは王政が敷かれていていましたが、今は連邦制に移行しようとしている政治的過渡期です。2008年以前は、世界で唯一、ヒンズー教を国教としていた「ヒンズー王国」でした。「ヒンズーという宗教があるのか」とあまり関心がないかもしれませんが、世界の霊的暗闇の最深部はヒンズーにあると私は信じています。

 実は新城教会に霊的戦いが92年から始まりましたが、2003年から、霊的戦いは新しい局面に入りました。それは“世界に対する霊的戦いと、とりなし”が始まったからです。その事については「神の栄光を取り戻せ!」という本に記していますが、それがどこから始まったかと言うと、私と家内がバリ島に行った事がきっかけでした。バリ島では2002年にテロがあったので、誰も行かなくなりツアーがすごく安くなりました。私は、テロがあった後は警備が強化されるので、安全だから行けばいいと思っていますが、今まで10万くらいしたツアーが5日間で3万台でした。私と家内はそれでバリ島に行ったのです。本当に旅行者は誰もいませんでした。
 しかし何とそこから“ヒンズー”という領域が開かれたのです。私と家内がバリ島のある寺院で霊的戦いの祈りをしている時に、私の娘の所にヒンズーの悪霊が現れたのです。それまでヒンズーという領域は全く意識していなかったのですが、色々と調査してみると、日本の神々は、仏教にしても神道にしても、それらの根源は全てヒンズーの神々なのです。もし嘘だと思われたら調べてみて下さい。2月のリバイバル聖書神学校の私のクラスの宿題は「日本にあるヒンズー神を調査せよ」です。もしも興味があれば調査してみて下さい。

 例えば豊川稲荷は日本の神と思われていますが、「荼枳尼真天」となっています。漢字があてはめられていますが、実は「ダキーニ」というヒンズーの偶像なのです。それは、「人が死ぬ6カ月前に内臓に入りこんで内臓を食べる」という夜叉です。それが豊川稲荷に祀られているのです。日本の神々と言いますが、そのほとんどがヒンズーから来た神々なのです。という事は、日本もヒンズーの悪霊の強い影響下にあるのです。

 ヒンズーと聞けば、すぐに思い浮かぶのがインドではないでしょうか。私はインドに一度とりなしに行かなければいけないと思っていましたが、何故か主は、そこに導かれませんでした。そして今回、私はネパールに行ったのですが、世界で誰も気にしないような貧しい国が、霊的には最も重要な、世界に対して悪い鍵を持つ国なのかもしれません。この国はヒンズー王国であり、国の90パーセント以上がヒンズー教徒です。それも、中途半端な礼拝ではなく、真剣にやっているのです。
 この点について午後からもっと詳しくお話しさせて頂きますから、是非ともセミナーに出て頂きたいと思います。しかし、心臓の弱い方は出ないほうがよいかもしれません。何故なら私が取ってきたビデオ映像の中に、いくつか気持ち悪いシーンがあるからです。出ないほうが・・・と言うと、怖いもの見たさで皆さん出て頂けるかと思いますが。仏教は日本では形が変化しており、「仏教はこんなものか・・・」と考えています。日本人は皆、仏教徒だと言いますがが、それは元々ヒンズーから発生したものです。オリジナルがどんなものかを知れば、それがどんなに不気味で頼ってはいけない存在であるのかわかると思います。一度皆さんに見て頂きたいと思うので、赤いものや、気持ち悪いシーンが出てくるかとは思いますが、勇気を出して映像をご覧になって頂きたいと思います。

 昼食にはカレーを食べてお腹いっぱいにしてから出席して下さい。しかし“カレー”とは“カーリー”と呼ばれるシバの妻の名前です。それはネパールで一番拝まれている存在です。カレーを食べる時には、カーリーという悪霊をやっつける祈りをしてから、主に感謝の祈りをして食べて下さい。食前の祈りを“霊的戦いバージョン”にして食べて下さい。
 今回、ネパールに行く前に与えられたみ言葉は、イザヤ書の2章8節〜9節でした。これはイスラエルについて語られた言葉ですが、どこでも原則は同じだと思います。

『その国は偽りの神々で満ち、彼らは、自分の手で造った物、指で造った物を拝んでいる。こうして人はかがめられ、人間は低くされた。――彼らをお赦しにならないように。――』

 『その国は偽りの神々で満ち、彼らは、自分の手で造った物、指で造った物を拝んでいる。』と言われています。その結果は、『人はかがめられ、人間は低くされた』というのです。
 ネパールに行きますと、人間がかがめられ、低くされている現実を見ます。「この状況をどうしたらいいのか・・・」という悲しい思いにさせられます。勿論“富”で幸福の度合いを測る事はできません。富が弊害をもたらすことはよくわかっています。しかし、あまりにも人間の尊厳が低くされている現実を見る時、どうしたら神の定められた水準に戻す事ができるのかと祈らされます。しかしその原因が、「偶像の神々を拝む事によって起こる」と教えているわけです。
 日本も同じように偶像礼拝をしていて、形は違うのかもしれませんが人がかがめられ、低くされている現実があるのではないかと思います。経済的には、豊かに見えるかもしれませんが、周りには色々な問題が起こっていて、人々はかがめられ苦しんでいる現実を目にしているわけです。
 しかしそんな環境のただ中に、私たちは聖霊によって遣わされて行くわけです。皆さんも色々な所で働いておられ、様々な環境に接しておられるわけですが、同じように聖霊の力を受け宣教師として送られているのです。自分を宣教師だと自覚して頂きたいです。主婦ならば家庭に遣わされた宣教師であり、会社員ならば会社に宣教師として送られているのです。それも、聖霊によって送られているのです。イエス様が天に帰られる前、弟子達に言われました。マルコ16章15〜20節、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕』

 聖霊に満たされた弟子達は、目には見えないけれど、イエス様と共に出て行きました。そこではしるしと不思議が伴ったのです。彼らが“全世界”という視点を持って福音をのべ伝え始めた時、聖霊の力によって不思議としるしが伴いました。そして、多くの人が救われたのです。私もその視点を持ち、遣わされ、主の業をなすものにならせて頂きたいと祈っています。

 今からしばらく、私がネパールで撮影してきた写真をお見せして、報告、説明させて頂きます。今日はメッセージと言うより、証のような内容です。私達が世界の現実を知る時、結果的には日本を祝福する事になると信じています。

 これはインド、アジア地域の地図です。そこにはヒマラヤ山脈があり、ネパールはそのふもとにあります。ヒマラヤは7000から8000メートル級の山々が連なっている、世界最高峰の山脈です。ネパールは細長い国です。しかしここはとても重要な場所だと思います。
 人類は、バベルの塔から世界に散らされました。バベルは現在のイラク近所にあったと思われます。人類はその付近にかたまって住んでいました。同じ言葉でお互いコミュニケーションしていましたが、塔を建て、シャーマニズムを行ったことによって、世界に散らされました。東の方面に散らされた人々が一番多かったようです。彼らはバベルの塔から見て東側にある、インダス川流域に一つの文明を築きました。それは「インダス文明」と呼ばれる文明です。ということはネパール付近は、東に向かう人々の通路であったと思われます。ですから日本人の先祖もこの辺を通過して来た人たちだと思われます。

 インドもヒンズー国ですが、ネパールあたりから南下した人達により形成されたと思われます。バベルの塔とは、山のない地域に人工的に山を造り、山頂で礼拝する目的がありました。元々彼らは、山岳礼拝者達でした。ヒマラヤは世界最高峰である故に、山岳信仰者達にとっては、ある意味、ネパール近辺は最も重要な地域ではなかったかと、今回感じさせられました。
 ネパールの国旗はヒンズー神を現わしています。ネパール国際空港は、私が世界を旅した中で、ここほど無秩序な空港もありませんでした。何の表示もなく、どこのゲートから乗ればよいのか、誰も教えてくれませんでした。自分で場所を聞かなければセキュリティーも通れませんでした。

 首都カトマンズは雑踏でゴミが至る所にあります。缶などを拾って生活している子供達も多いです。「お金と食べるものちょうだい」と寄ってきます。
 私は今回カトマンズでセミナーを持たせて頂きましたが、私は霊的戦いの視点から、ネパールという国が世界の中でどのような国なのか、ヒンズーがどのくらい危険なのかをお話しさせて頂きました。ネパール宣教師の先生方が「やっと私がネパールに遣わされた意味がわかった」と言っておられました。
 しかしカトマンズから一歩外に出ると、貧しいけれど景色は綺麗です。このバナナの大きな房はいくらすると思われるでしょうか。たったの50円です。一番安全な食べ物がバナナです。いくら埃をかぶっても、ちゃんと皮があるので衛生状態も大丈夫です。ヒンズーでは牛が神とされていますから、一度牛が道に出てくると、気が変わってどこかに移動するまで車は渋滞です。ですから道は渋滞だらけです。交通事故で人を殺した場合と、牛を殺した罰金の金額は同じです。人と牛が同じ価値というわけです。
 神様は人間を創造した時に「動物を支配しなさい」と言われましたが、ここでは人が動物に支配されているわけです。と言う事は、蛇族である悪魔・悪霊どもにも人々は支配されるわけです。

 今回私は山岳地に住んでいる、少数民族の人々の所に宣教に行きました。今回私を招いて下さった金先生は、カトマンズに住んでいますが、車で8時間くらいかかるチトワンという地域に行き、そこから徒歩で5時間山を登って山頂付近に住む少数民族“ジャパン族”と呼ばれる人々を訪問し伝道しています。その人々は去年まで、丸裸であったそうですが、韓国から沢山の古着を持ってきて皆に着せたので、やっと“服を着る文化”が定着してきたと言っていました。現代でも、かたくなに山岳地方で自分達の生活を守っている人々がいるのです。
 私たちがカトマンズに着いたとき、そこに連れていくというので、私は出来たら行きたくないと思いましたが、「順先生は歩かなくていいです。スペシャルな専用車を用意しましたから」というので安心していました。しかしそれは、農耕用のトラクターでした。暗くなると、その付近はトラが出ると言うのです。彼らはトラを神としてあがめているので、20人位がトラに食べられない限り、トラを退治できないというのです。20人位が食べられたら、トラを退治する許可が出るとある本に書かれていました。徒歩組の人たちもいて、フラッシュライトを見るとトラが近寄って来るので、なるべくフラッシュライトを低くしながら登ったと言いました。
 けれども、徒歩よりも私たちトラクター組の方がさらに大変でした。途中でトラクターがめり込んで動かなくなり、石を割って道を作りながら4時間もかかって、夜中の10時頃やっと山頂にある村に着きました。途中で、「もう日本に帰れないのではないか・・・」と思ったほどでした。

  山にトラクターなどめったに来ないので、途中、真っ暗闇の中を村人が出て来ました。トラが出ると聞いていたので、村人を見かけて心強かったです。なぜなら、食われる確率がそれだけ低くなるからです。トラクターが通る道も、韓国の教会が献金して造ったそうです。それで今では色々な物資が供給されるようになったと言っていました。

 山頂で私たちが泊まったところは、ほとんど野宿でした。20人位で、同じ部屋で寝袋で寝ました。しかし寒くてよく眠れませんでした。食事はうどん粉を丸めた、すいとんのような物を食べました。しかし、この山でネパール人のクリスチャン達と祈祷会を行いました。ふもとからネパールのクリスチャン達も登って来てくれて、県民の森祈祷会のような祈祷会を持ち、とても恵まれました。

 翌朝起きてみるとそこには、回りにはあたかも弥生時代か縄文時代を彷彿させる光景がありました。「どの時代でもこれ以上、生活のレベルを下げる事は出来ないだろう・・・」と思えるような、原始的な生活様式がそこにあり、たいへんびっくりしました。ここからはヒマラヤ山脈が見えます。遠くにエベレストをはじめとする、7000メートル級の山々が見えます。人々はヒマラヤを見ながら生活しています。やはりここ地域の人々は、古代から山を拝んで来たのではないかと思いました。
 村の子供達も次々に集まってきました。皆はだしで、服は着ていますが汚いです。集まった子供達とお母さん達にメッセージと祈りをしました。私は日本語で話をして、それを韓国語に通訳し、韓国語がわかるネパール人がネパール語に通訳するという三次元通訳で伝道しました。
 私は山の子供達に何を話したらよいのかと思い祈りましたが、まずはイエス様の素晴らしさについて話し、それと共に、この村がヒンズーの悪霊に支配されているので、「あなたの信じている神さまは味方ですか、敵ですか?」と話しました。敵か味方か気づかないと、いつまでたっても問題は解決しません。真の神様は悪い事をする方ではなく、とことん良い方であり、それがイエス様だと話しました。
 それと共に、この村を支配している悪魔・悪霊どもに、村人が一丸となって立ち向かわなければならないと話しました。特に、子供達の霊の目が開かれ、み言葉の剣を持って悪魔に立ち向かうように変えられなければならないと思いました。子供達によって国の未来が作られますから、そうしたら国は変わるだろうと思いました。子供達が鍵ではないかと思いました。ですから私は山の子供達にその事を話し、「み言葉の剣をもらう」祈りをしました。
 新城教会で霊的戦いが始まり、子供達が戦いの剣をもらって悪魔に立ち向かうようになり、教会は変えられました。同じように「み言葉の剣が与えられるように」と祈りました。すると子供達の霊の目が開かれ、実際に剣が見えるようになりました。「剣が見えるようになった人はいますか?」と聞くと、何人も手を挙げました。私は、子ども達が全員、霊の目が開かれ剣が見えるようになるまで、熱心に祈りました。すると全員が見えるようになりました。

 次に、どこに悪霊がいるのか、剣をその方向に向け「悪霊をやっつける祈りをしましょう!」と言いました。すると全員が目の前にある小高い丘に剣を向けました。そこには村の神を祀る祠があるのです。そこに「イエス様の名によって、悪霊をやっつけます!頂いた剣を投げます!」と祈りました。

 それから何分もたたないうちに、その丘から村の酋長であり、祭司である霊能者が特別な帽子と杖を持って降りてきました。ちょっとびっくりしました。しかし私はすくに、そのおじさんにイエス様の事を語り、按手して祈ってあげました。彼は聖書に出てくるエジプトの呪術師のような杖を持っていました。しかし、「悪霊の力をぶっ潰します!」と祈ると、聖霊が注がれ、何とおじさんは涙を流しながら「イエス様を信じます!」と祈りました。それはほんの短い時間に起こった出来事でした。それで私は酋長であり、村に悪霊を呼ぶ張本人のお爺さんに、今度はこの村の悪霊をやっつける祈りをしてもらいました。するとその杖を地面に突き刺して「悪霊をぶっ刺します!」と言いました。彼はその日、イエス様を信じました。
 素晴らしい勝利を山上で見させて頂きました。大変な目をして山頂まで登りましたが、聖霊様の力が働きました。使徒の働きで預言されていた通りの事が起こりました。イエス様が「わたしの名によって悪霊を追い出し、不思議としるしが起きる」と語られましたが、その通りになりました。

 けれども、山を下るのも大変でした。来る時に乗ったトラクターは帰りは来ないと言うのです。下りは楽だから自分で降りて下さいと言われました。けもの道のような所を、シェルパを雇って荷物を担いでもらい下りました。
 私など、今回一度だけですからよいのですが、金宣教師は本当に大変だと思いました。
 実は、金宣教師は山から下った町で学校も始めました。こういう所は教育がないので国が発展しません。ですからクリスチャン・スクールを作り、子供達を集めて教育しています。学校にもちょっと立ち寄って祈らせて頂きました。すると一人の先生が出て来て、「この村に30年近く悪霊につかれて、苦しんでいる人がいるのですが、その人の家に行って祈って頂けますか?」と言われました。

 実は、私がそこに行く少し前に、悪霊につかれている女性の所に韓国からのボランティアが訪問すると、突然、その女性は韓国語は絶対に話せないネパール人なのに、韓国語をしゃべり出したそうです。「私は生きたいのです。助けて下さい!」と。みんなびっくりしました。そこにちょうど私が来たのです。

 その女性には障害があり、普段は涼しい家の外におとなしく寝かされているのですが、霊的な力が働くと突然暴れ出すそうです。私が家に近づくやいなや、彼女は大暴れしていました。すると、村の人々が続々集まってきて、黒山の人だかりとなりました。村人は「何が起こったのか」とびっくりしたようです。
 この村の人々は、この女性が何故こんなになったのかを知っていました。ある村人が私に「これはヒンズーの呪いだ」と言いました。そんな事を知っていながら、なぜ、ヒンズー神を拝むのかと思いましたが、回りに人がいっぱい集まったので、女性を家の中に入れて、戸を閉めて祈りました。聖霊様が強く働いて下さり、その女性は平安な顔に戻りました。そして何度も私に、「ありがとう!」と言いました。しかしこの家は家と言ってもすき間だらけで、村人が隙間から、中の様子を覗いていたので、家内が外に出て交通整理をしていました。
 始めその女性は長い舌をべろりと出して、なんとも気持ち悪い形相でした。それはカーリーのようでした。なぜなら、カーリーは舌を出した神として描かれているからです。それでカーリーの悪霊を打ち破る祈りをし、この女性にも戦いの剣が与えられ、自ら戦う事が出来るようにと祈りました。
 その人の家の中には色々なヒンズー神のポスターがはってありました。その家に娘達がいたので「これを全部はがして下さい」と言うと、はがし始めたらまたその女性は暴れ始めました。しかし家中のポスターや偶像を破り捨て、「イエス様の名前によって、悪霊を打ち破ります!」と祈ると、再び静かになりました。

 この一家の人たちは本当に喜んで、心から感謝してくれました。「私はこのためにネパールに遣わされたのかな」と思い、心から感謝しました。
 その家から出て、町の店でコーラを買って飲んで、「さあ帰ろう」としていたところ、私たちの車の回りに大勢の人が集まってきました。時刻は午後の3時か4時くらいでした。そこからカトマンズまで8時間かかるので、私は早く帰りたくて仕方なかったのですが、なんと人々が集まって来たのです。なぜなら、先ほどの女性が解放される姿を見た人たちが、村中に知らせたので、病人達が「祈ってくれ」と集まって来たのです。私は何か“イエス様”なったような気分でした。
 祈り始めたら、何百人集まるのかわかりませんから、ちょっとこれでは帰れなくなるとお思いました。
 すると宣教師が、「順先生はまた来月ここに来ますから、皆さん今日は帰って下さい!」と言うのです。「私はそんな事は言っていない」と言うと、「順先生、絶対にもう一度来て下さい」と言いました。本当に主が働いて下さった事を体験させて頂きました。

 私達の神様は、今も生きておられます。この午後はもっと沢山の写真で説明しますからセミナーに出て下さい。ヒンズーは世界の暗闇の最も深い所で、あの国の人々が救われないと世界の諸問題も解決しないかもしれないと思います。何故なら、そこでは真剣に偶像礼拝がなされているからです。そのために、世界中の悪霊どもにエネルギーが送られて活動しているような気がします。
 そこで行われている行為は目をおおいたくなるような行為です。彼らは動物を殺してその血をカーリーに捧げるのです。カーリーという悪霊は血が好きなので、ヤギを連れてきて目の前で首を切り、血を注ぎだして礼拝するのです。
 仏教徒は輪廻を信じているので、ネパールはガンジス河の上流という事でインドからも大勢の人々がやって来ます。ネパールで死んで火葬にしてもらい、灰をガンジス川に投げるのが夢だそうです。カトマンズの寺院に行くと、一日中、目の前で人を焼いています。その光景も映像に撮ってきましたから、見て頂きたいと思います。
 それらが仏教の真の姿であり、ヒンズーの真の姿です。日本の偶像礼拝はカモフラージュされていて真の姿が見えませんが、それらが真の姿です。悪霊に生贄を捧げ、悪霊と契約を結ぶ行為なのです。ゆえに“人々の腰はかがめられ低くされる”事がわかります。それらを打ち破る事ができるのは、聖霊による福音の力以外にありません。私たちは、この福音を携えて世界の隅々にまで出て行く教会でありたいと願います。やがて新城教会の若い世代の中から、ネパールに宣教に行く人たちが起こされたらと思います。私達の世代はすでに役目が終わっていますから、今度は若い世代にバトンタッチしてキリストの体が一丸となって、人々の救いのために働くときに、日本にも気付いたらリバイバルが起こっているのではないかと思います。

 皆さんの祈りに支えられて、無事に帰る事が出来ました事を、心から感謝します。最後に一言、お祈りさせて頂きます。


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