「全家族そろって幸せになろう」


2010.2.21(SUN)
新城教会 滝元順 牧師

使徒の働き 16章25節〜34節
『真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

 ハレルヤ!こうして皆さんと共に、礼拝出来ます事を心から感謝します。今日は特に、韓国チンジュから兄弟姉妹が来て下さり、日韓合同で礼拝出来ることを心から感謝します。
 昨年5月に韓国リバイバルミッションが開かれ、韓国と深いつながりが出来ました。それ以来、毎月のように新城教会を韓国から色々な方々が訪問して下さるようになりました。日本で一番、韓国の教会と交流が深い教会ではないかと思います。今日はチンジュ教育大学から学生さん達が来て下さったわけですが、それには不思議な神の導きがあります。
 昨年私達の教会のTさんが韓国の大学に留学する事になりました。その前に私の所に相談に来て、「韓国の大学に留学したい」と言うので「どこへいくの?」と聞くと、「チンジュという田舎町に行きます。」と言いました。私は、「チンジュなんて行かないほうがいいよ。あそこは韓国語と言っても、ちょっとなまりがあるらしいよ。標準語を覚えたければソウルに行った方がいいですよ。外国人でも新城に来て、三河弁を覚えて日本語だと思って帰ると恥ずかしいですからね」と言うと、「やはりそうですよね・・・」と言いました。
 しかし、彼女が祈っていると、「チンジュに行きなさい」と主から語られ、チンジュの大学に留学しました。すると何とそこで、日本のために祈っている素晴らしいグループと出会ったのです。私が彼女に語ったのは神のみ心ではなく、だだの“お心”でした。神様のみ心は別にあったのです。
 そして今回、日本に来て下さり、日本のために祈って下さることは感謝です。神の働きは人の手によらず進んでいくのです。時々、私達は自分の考えが全てだと思っていますが、実は、神のみ心の道は別の所にある場合があります。昨年の韓国リバイバルミッションに関わる一連の働きを見ても、すべてそのような感じでした。神様の働きが先行して、私達はそれについて行くのです。

 私は先々週、ネパールに行きましたが、それも韓国リバイバルミッションの延長線で奉仕させて頂きました。ネパールでの働きは “サバイバルミッション”のようでしたが、とても恵まれました。今日いつも私の通訳して下さっているムン先生が、一緒に来て下さいました。神の働きは人手によらずに進んで行くのです。
 実は、日本とチンジュ、特に、この地域とは深いつながりがあります。それが何かというと、16世紀に豊臣秀吉や加藤清正が中心となり、朝鮮半島を侵略しました。そして最も多くの人々を殺した地域の一つが、チンジュです。そこにはチンジュ城という城があって、加藤清正の軍隊などがその城を攻めて、七万人くらいの人々を殺したという歴史があるのです。豊臣秀吉も加藤清正も愛知県の人です。そんな悲しい歴史がある街です。
 その時に「ロンゲ」という女性が命がけで、日本兵をやっつけたという英雄伝説があり、日本に対する悪い感情のひとつとなっている場所です。そんな所から、日本を愛し宣教に来たのは、神の計画だと思います。
 “霊的戦い”は、私達が考えている以上に、主が戦っておられるのです。16世紀から続いている韓国と日本の間にある壁が崩れる時、リバイバルが起こると思います。日本で一生懸命、日本のリバイバルのために頑張っていますが、中々束縛が解かれません。しかし、その束縛の根底が朝鮮半島にあったり、世界各地につながっていたりするわけです。けれども、神の不思議な働きの中で、それらが打ち破られています。
 今夜はゴスペルサパーがありますが、ゴスペルサパーでは彼らが賛美して下さったり、パフォーマンスして下さいます。また、韓国料理も食べる事が出来ますので、是非お越しください。

 教会は大きな家族のようです。国を越え民族を越え年代を越えて、互いに愛し合う事が出来ます。そこには言葉の壁も文化の壁もなく、イエス・キリストにあって一つとされるのです。神は誰の幸せを願っておられるのかというと、勿論、個人の祝福を願っておられますが、「家族」が特別扱いされている事に気づきます。
 日本、韓国、アジアでは家族をとても大切にします。勿論それは全世界共通ですが、特に日本や韓国では家族関係を大切にします。そんな、家族に対して、神は愛を表して下さるのです。ノアの洪水の時、全世界に滅びが来ようとしている時、ノアとその家族を神は憐れまれました。そして「家族のすくいのために箱舟を作りなさい」と語られました。神はまず一人を家族の中から救い出し、続いて家族全体の救いのために働いて下さるお方です。

 今日皆さんと共に読んだ箇所は、とても有名な箇所です。パウロとシラスがピリピという街に行った時に起こった事件です。この街で、ひとつの家族が不幸のどん底に落とされる直前でした。しかし家族全員が神を信じて救われ、「心から喜んだ」と記録されています。
 実は、この家族がどのような構成であったかと言うと、父親は囚人たちを見張る看守という職業でした。パウロとシラスはその人が見張る牢屋に入れられたのです。真夜中に彼らが牢の中で賛美し祈っていると、突然大地震が起きて、牢屋が壊れてしまいました。
 日本人は責任感が強く、仕事で何か失敗があると「責任を取って辞任する」などという事がありますが、この父親もたいへん責任感が強く、囚人達が逃げてしまった責任をとって、自ら命を断とうとしました。
 実は、日本では悲しい事に一年間に三万数千人もの人達が自殺すると言われます。これは本当に大きな数字です。一年間に三万数千人も自殺するような国はそんなに多くはありません。新城市が一年で消えてしまうような計算です。もしも、家族や親族の中でそういう背景を持っておられる人がいれば、本当に心を痛めておられると思います。家族は暗くなり、幸せどころか、不幸のどん底に落とされてしまうのです。
 パウロがその時大声で、「自殺してはいけない、私達は皆ここにいます!」と言いました。それで看守は自殺を思い止めました。その後、パウロは有名な言葉を語りました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」

 この言葉は世界的に有名になりました。世界中のクリスチャンが知っています。まだ家族が救われていない人もおられると思いますが、是非信じて宣言して頂きたいと思います。31節のみ言葉を大きな声で宣言して下さい。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます!」アーメン!信じますか?一人の救いだけにとどまらず、必ず、家族の救いにまで導いて下さいます。
 そして34節には、『それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』と記されています。これは、大きな対称ではないでしょうか。看守の家族は、あわや不幸のどん底になる寸前から救われ、何と、全家族が幸せになり、喜びに満たされたのですから。こちらの人生の方がずっとよいです。
 イエス様を信じると何が起こるのか・・・。それは、どん底の家族が、大喜びするほどに回復されますよ、と教えているのです。今日、初めて教会に来た方もおられるかもしれませんが、今までどん底のような家族でも、「主イエスを信じるなら、あなたもあなたの家族も救われ、その結果、全家族が喜びに満たされる」のです。イエス・キリストを信じる事は最も重要です。

 しかし、聖書はただ綺麗事だけでなく、もう一つの面の情報をも伝えています。「主イエスを信じたら、あなたもあなたの家族も救われますよ」という、いい面だけでなく、逆を言えば「何故、家族が不幸になるのか」という、不幸の原因についても合わせて述べているのです。
 イエス・キリストを信じて家族が幸せになる、これはたいへん結構な事ですが、「何故不幸になるのか」という原因についても、知らなければならないのです。なぜなら、原因を知っていれば、予防する事が出来るからです。
 新型インフルエンザが流行っていますが、その原因については、皆が知っています。それは“ウイルス”です。目には見えませんが、手について鼻や口から入り、やがて発病するわけです。もし、皆さんの中で「私は新型インフルエンザにかかってしまった」という人がいたら、残念でしたが、新型インフルエンザにかかった人は若い人です。私のような年になるとウイルスやばい菌のデータベースが身体の中に出来て、案外丈夫になるのです。私はネパールに行った時、ばい菌デーダースを少し試してみようと思い、少数民族の所でたまり水のようなものでうがいをしてみました。お腹が痛くなるかどうか、ちょっと楽しみでやってみたのですが、大丈夫でした。「私の細菌データベースは大したもんだ」とちょっとうれしかったです。
 病気の原因にばい菌やウイルスがあります。予防するためには、消毒薬などが置いてあり、手を拭き予防をします。最近では教会などでも、玄関に消毒薬が置いてある教会もあります。原因がわかっていたら予防できるわけです。
 イエス・キリストを信じたら幸せになる事に異存ありませんが、同時に、「何故不幸になるのか」という原因についてもよく知らないと、人生は結構長いので不幸ウイルスが入って感染すれば、不幸にもなりません。

 ピリピという街がどんな街であったのかを調べてみると、あわや看守の家族が不幸のどん底に叩き落とされそうになった原因がわかります。使徒の働き16章11節〜13節、

『そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。』

 パウロとシラスはピリピに到着して、「どこで伝道しようか・・・」と考えました。伝道するには人が多く集まっている所に行かなければいけません。昨日も韓国からの宣教チームが、豊橋駅前で路傍伝道してくれました。何故、豊橋に行ったのかと言えば、茶臼山駅前ではあまりにも人がいないからです。新城から見れば“大都会”の豊橋のほうが、ずっと伝道しやすいわけです。パウロとシラスもやはり人が集まる所に行きました。それが川沿いにあった“祈り場”だったのです。しかしこれは県民の森祈祷会のような、祈り場ではありませんでした。16節〜19節を見ると、

『私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。』

と記されています。実は、この祈り場が何かというと、ピリピの街の真ん中には大きな神殿があり、それはギリシャ神話の「アポロン」という偶像を祀る神殿でした。そこには大勢の巫女がいて占いの霊を受けていました。そして彼女らは、川沿いに占いブースを出していたのです。新宿などでも路上に“新宿の母”などという人物が店を出し、若者を中心に大勢並んでいたりします。また、名古屋の駅前でも占い師が薄暗い所で店を出して、人々が占ってもらっています。それに似た感じです。

この「占いの霊」と訳されている言葉を、原文のギリシャ語で見ると「プニューマ・ピュトン」となっています。それは何かと言うと、ギリシャ神話の神の名前です。それはアポロンの子分で、ピュトンと言う存在がいますが、それを「占いの霊」と訳しているのです。なぜなら、その霊に満たされると悪魔の声が聞こえるようになり、占いが出来るようになったからです。それで人々は川沿いの祈り場に行って占ってもらったのです。そのように、ピリピの街は全て、占いで成り立っているような街でした。

 私はこの頃、携帯電話やインターネットを使う時に、腹立たしく思います。なぜなら必ずサイトのトップページに、「今日の運勢」「占い」などのサイトがリンクしてあり、大勢の人が見ているからです。「細木和子運勢占い」あるいは「新宿の母」などのサイトがあり、皆、気軽に占いに心を開いています。しかし“占い”が最終的にどんな結果をもたらすか、知らないのです。それは家族全体を不幸に陥れる、根本的原因となるのです。

 ピリピでの宣教のレポートは、“占いの霊”が家族全体を不幸に落とす原因である事も、合わせて教えているのです。私達が主イエス様を信じたら幸せになるのですが、不幸になる原因についても知らないと、予防出来ないのです。この両面が必要です。原因を知って、救い主イエス様を知ったら、長い人生が守られます。テレビなどでも朝必ず“今日の運勢”「あなたの星座は?」などとやっています。
 皆さんはいかがでしょうか。クリスチャンでも、ふっと「今日の運勢はどうかな?」などと、画面を見てしまうことがあるのではないでしょうか。しかしそれが危険です。実は占いは悪霊の予言であり、その言葉を聞くと、一見、当るように見えるかもしれないけれど、実は人を不幸のどん底に突き落とすのです。

 実は、パウロとシラスも危うく命拾いをしました。彼らがこのピリピに来た時、このピュトンの霊に支配された女が近寄って来て、間違った事ではなく正しい事を語ったのです。
 『「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。』とあります。
 これを聞いた時、パウロも最初は悪い気持ちはしなかったと思います。それが占いの霊に支配されている女だとわかっていたけれど、間違ったことを語りませんでしたから、「そうだ。おまえの言うとおりだ。自分達はいと高き神の僕であり、救いを述べ伝えているのだ。おまえには宣伝塔になってもらおう・・・」などと思って、野放しにしていたのだと思います。けれども、何日も同じ事を言うものだからうっとうしくなり、「イエス・キリストの権威によって命じる。悪霊よ、出ていけ!」と命じると、即座に悪霊は出て行ったのです。
 すごい権威だと思います。こんな権威があれば、最初から使えばよかったのにと思います。しかし、権威をすぐに使わなかった背景に、パウロとその一行も少しはこの女の言うことに心を開いていたのでは、と思います。「彼女は嘘を言っていないからいいじゃないか・・・」と。
 悪霊を追い出した結果、パウロとシラスは捕まえられ、牢に投げ込まれたのです。結果はよい物ではありませんでした。そして、もしかすると明日は処刑されるかもしれないという寸前に、神の憐みにより、大地震が起こり、牢屋が壊れて助け出されたのです。そればかりか、この看守の一家も救われました。ハッピーエンドに終わったから良かったですが、パウロとシラスも、命を取られる寸前で救われたのです。

 占いなどに心を開きやすいですが、絶対に心を開いてはいけないのです。占い師はまことしやかな事を言うかもしれませんが、気をつけて下さいとここでは教えているのです。
 ピリピの街の人達は、自分の人生を決めるために、頻繁に占いの霊に支配された巫女達の所に行っていました。占いにより人生の方向性を決めていました。この看守の家族も、きっと同じではなかったかと思います。しかし、パウロとシラス達によって、その寸前で助け出され、イエス・キリストを信じてハッピーエンドでした。しかしその根本的な原因は、占いから手を離さないとまた同じことを繰り返してしまう事を、同時に教えているのです。

 実際、日本においても韓国においても、占い所は大変多く、どこの街にも占い師はいます。韓国に行くと、占い師が街に多く店を出しています。韓国の占い師は、スターバックスのコーヒーショップの横に、竹竿の先に卍マークの旗が立てて、大々的に店を出していたりします。それはムダンと呼ばれる占い師です。そこに多くの人が占ってもらうのですが、心を開くとそれは大きな罠であり、家族全員が不幸になる原因となるのです。

 実はこのような霊的力との交流に関して、新約聖書と旧約聖書の両方から学んでいく必要があります。実は先週聖書を読んでいて心に留まった記事があるのですが、聖書では霊媒や口寄せ・占いを固く禁じています。
 レビ記20章6節を見ると、

『霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行なう者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。』

 この頃、ヨガが流行っていて「健康に良いからやりましょう」などと言われますが、気をつけた方がよいと思われます。何故なら、ヨガはヒンズーから出ているからです。それは健康に良いように見えるかもしれませんが、実はヒンズーのシバ神と一体になる修行法です。本来、ヨガはヒンズーの神殿にヨガを行う巫女達がいて、巫女達と性的関係を持つのです。ヒンズーの悪霊が世界の根源であり、最も強い悪霊だと先週も話しましたが、ヨガは何かと言えば、ポーズができると神殿娼婦と関係を持つのです。するとシバ神と一つになり、やがて解脱を果たすという修行法です。ポーズを多く練習し、もっと高度なポーズが出来るようになると、ハイクラスの神殿で女性と関係し、最終的にはシバ神と一つになって解脱をするという修行法です。
 案外それをいとも簡単に「健康によいから」などと言ってやっている人が多いのですが、それは悪霊とのつながりであり、大事な物を抜き去られ、神が顔をそむけ、全ての民の中から断たれてしまう原因にもなりかねません。
また、レビ記の20章27節、

『男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。』』

 旧約聖書の時代では、イスラエルの民達に神が何と語られたかと言うと、「霊媒や口寄せがいれば全部殺してしまえ」と、その位厳しい命令がありました。また、申命記18章9節〜12節、

『あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、あなたの前から、彼らを追い払われる。』

 イスラエルの民は荒野を旅してカナンの地に入ったのですが、カナンの地でまず何をしたかというと、占い師や呪術者や霊媒、口寄せなどといった霊能者達を一掃させられたのです。それらがいると人々は幸せになれないのです。
 案外、普段の生活の中で、占いと大変強いつながりがあり、近ごろは占いがカジュアル化しています。簡単に占いと接する社会になっています。しかしこれは大変危険であり、家族全体を不幸のどん底に落とす、悲劇の原因ともなるのです。

 イスラエルの歴史を見ると、カナンの地に戻ってから、士師の時代を経てやがて王政が敷かれるようになりました。イスラエルの最初の王はサウルでした。サウルは大変美男子であったそうです。皆よりも肩一つくらい背が高く、誰が見ても王様にふさわしい風貌をしていました。また、素質も十分王になる性質を持っていて、預言者サムエルにより選び出され、油注がれて王になりました。彼は始めうまくやっていたのですが、段々と神の信頼を失っていったのです。それが何かと言うと、神の命令を実行せず、神の言いつけから離れたからです。その記録を読むと神様は厳しいな、と思いますが、これは王に対する言葉です。王様がしっかりしなければ、国全体が危うくなります。ゆえに神様も厳しく扱われたのです。
 しかし彼が何故、神の言いつけに従う事が出来なかったかと言うと、彼は人目をすごく気にしていたのです。身体は大きかったのですが、人の目ばかり気にして、いつも心の中に恐れがありました。それで神の言いつけを守れなかったのです。
 けれども、彼は悪い部分だけではなく、忠実な良い面もありました。それが何かと言うと、「その土地から占い師達を追放しなさい」という命令を、ちゃんと実行していたからです。
第一サムエル記28章3節〜5節、

『サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。』

 イスラエルにとってペリシテ人は宿敵だったのですが、ペリシテがイスラエルに戦争を仕掛けてくる事がわかりました。彼はすごく怖くなったのです。彼は霊媒や口寄せを国から追い出し、国を掃除していました。霊媒、口寄せとは何かというと、死んだ人の霊を呼び出し指示を受けることです。
 死んだ人の声を聞きたい、という願望は誰にでもあります。一度、そういう人の声を聞きたい、ましてや、親や子供をなくせば、声を聞きたいと思うのは当然だと思います。それで、霊媒や口寄せは死者の霊に「出てこい」と呼び出す仕事です。

 私は何年か前、青森県の下北半島にある「恐山」に行った事があります。皆さんの中で恐山に行った事のある人はいませんか。私が行った時“イタコの口寄せ”と看板があったので、たこ焼きを売っているのかと思いました。しかしよく見ると部屋の中におばあさんが座っていて、その前にカップルが座って涙を流していました。「鑑定料一回3000円」と書かれていました。何をやっているのかというと、子供を亡くした親やカップルが来て、死んだ子供や水子の霊を呼び出してもらうという所なのです。そこには全国から子供を亡くした家族などが来て、口寄せによって呼び出された霊が語る言葉を聞きながら、涙を流しているのです。
 私が行った時、カップルが泣いていたのですが、イタコのばあさんが「ああ、寒い寒い…もしかして、あなた達の子どもは水に関する事故があったんじゃないですか」と言いました。するとそのカップルは「ほんとです。うちの子は川でおぼれて死んだんです。ああ、やっぱり・・・」と。イタコばあさんは「子どもの霊が言っていますよ、もっと供養してくれって。でないと寒くて仕方ない・・・」
 すると、「○○ちゃんごめんなさい、この頃拝むのが足りなかったから、許してちょうだい・・・」などと言って、泣きながらイタコの話を聞いていました。

 実はこれは今に始まった事ではなく、大昔からありました。しかし神様は「それをやめなさい、気をつけなさい」と厳しく制限されました。初代の王であったサウルは、その命令を守って、それらを追い出していたのです。しかしペリシテの軍隊が来た時に、神の前に出て、「私達はどうなるんですか」と聞くと、返事がなかったというのです。

 神様に忠実に従っていれば、いちいち返事が無くても、必ず物事はうまくいきます。皆さんも時々、神様の返事がある時も、ない時もあるのではないでしょうか。呼べばすぐに出てくるハクション大魔王のような神様ならばいいな、と思うかもしれませんが、私たちの神様はそうではなく、すぐに答えてくれない場合もあります。「どうして神様は答えてくれないのか・・・」という時もあります。
 本物の神様は、あまり口数が多くありません。呼んだ時に「何だ?」などとは言われません。神様と関わる時には「信仰」が必要なのです。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」と。「信じたら救われる」のです。
 「神様、うちの家族はまだ救われていませんけれど、どうなるんですか」
 「もうちょっと待って、この日になれば救われるから」などとは言ってくれません。しかし「信じたら救われます」とちゃんと、み言葉の中ですでに語っておられるのです。それを信仰により受け取らなければなりません。

 しかし、人間には恐れがあるもので、サウロは今までは霊媒や口寄せを追い出していたのに、その時は変装して霊媒の女の所に行ったのです。28章7節からを見ると、

『サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」』

 なぜサウルが占い師の所に行ったかというと、サウルが一番信頼していた預言者サムエルが死んだからです。彼は色々な局面において、預言者サムエルから神の指示をもらっていました。彼が一番信頼していた、サムエルがいなくなり不安だったのです。彼は神よりも、サムエルという人物を信頼していたのです。それで彼は、変装して霊媒の所に出向き、「すまないがサムエルを呼び出してくれないか」と女に言いました。11節〜14節、

『すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。』

 聖書を読むと時々、混乱します。ここを読むと「死んだ人の霊は呼び出せるのか・・・」と思います。しかしラザロと金持ちの話などを見ると、死んだ人の霊は神の元に行き、生けるものの世界に情報を伝える事は出来ないと分かります。死者は違った世界に生きていて、死んだ人の霊は呼び出す事ができない事がわかります。
 しかしこの箇所を見ると、何と、サウルが霊媒を使い、預言者サムエルを呼び出した、というのです。ということは、死者の霊を呼び出す事は可能なのか、と神学的論議が始まります。
 この箇所から色々な牧師がメッセージをしていて、様々な意見がありました。「実際にサムエルが出てきたのだ」とメッセージをしている先生もいましたし、「サムエルが精神的に混乱していた」と言う意見もありました。
 または、「出てきたのはサムエルのふりをした悪霊だ」とメッセージしている先生もいました。

 ではなにが真実なのでしょうか。正しい判断を迫られるわけです。聖書を読む時には、「文脈と全体から」このような表現と情報を吟味する必要があるのです。
 まず第一に、神様は律法の中で、霊媒や口寄せ、占いを絶対的に禁じておられます。けれどもサウルはサムエルの霊を呼び出し、サムエルを通して神からの指示をもらいました。その中身を見ると、生前サムエルがサウルに告げていたのと同じ内容でした。
 というのは、これは神からの指示と受け取ることが出来るような言葉でした。神の声が聞こえなかった場合は、預言者サムエルの霊を呼び出して指示を受けることは可能なのでしょうか。何でも例外はありますから、神は時には例外的な事もなさる、という意見もあります。しかし府に落ちない面もあります。

 神はそれらの行為を“絶対禁止”と語ったにも関わらず、ここでは例外的に許し、サウルにサムエルから情報を渡したのでしょうか。しかしそこには矛盾があります。
 聖書をよく読むとわかりますが、神は決して心を変える方ではないとあります。第一サムエル15章29節には、『実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いる事もない。この方は人間ではないので、悔いることがない』とあります。
 占いは禁止とは言ったけれど、「この時は例外だから許してあげる」というような方ではない事がわかります。

 また神の言葉は、必ず成就しますが、悪魔の言葉はまことしやかに見えても、その中にちょっとだけ毒が入るのです。パウロとシラスがピリピに行った時、占いの霊に支配されている女から聞いた言葉は全て真実でした。「彼らは神の器であり、救いを知らせる人達です」と、本当の事を語っているのです。しかしそれが罠だったのです。
 実は、この時、サムエルと称する存在をサウルはどうやって認識したのかというと、別にサムエルが姿を現したわけでもなく、外部の人たちによって認識されたわけでもなく、ただ、サウルが女霊媒師の語る言葉を聞いて、「サムエルだ!!」と認識したのに過ぎません。
 「どんな人が来ましたか」と聞くと、「神々しい年老いた方が上って来られます。外套を着ています」と聞いただけで、サウロは「この人がサムエルであるとわかり地にひれ伏した」というのです。サウルが自分勝手にサムエルだと判断したのです。
 それと共に、サムエルと称する霊が霊媒の口を通し語った言葉の中に、ちょっぴりですが偽りがありました。19節から見ると、

『主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」』

 サムエルと称する霊は、「戦いには敗北します」と告げました。実際、サウルは敗北しました。
 そして、「明日になればあなたも、あなたの息子達も私と一緒になろう」と言いました。「明日になればあなたも息子達も死にます」と告げたのです。それを聞いて、サウロは本当に恐れ、「突然倒れて地上に棒のようになった、サムエルの言葉を非常に恐れたからである。」とあります。あまりにもその言葉が恐怖であり、食事もしていなかったために彼は、その言葉を聞いて気絶してしまったのです。

 実は、「明日、死にますよ」とサムエルと称する霊は語りましたが、次の日にサウルは死にませんでした。勿論サウルはやがて死にましたが、28章ではなく31章になって、やっと死んでいるのです。それまでの間、どのくらいの期間があったのかわかりませんが、翌日ではないのは確かです。かなり後になるのです。
 死んだサムエルを通して、神がサウルに語られたように勘違いしますが、ここにちょっぴりと嘘がある事に気づかされるのです。それをある先生が指摘しておられました。

 ゆえに、ここで出てきたのはサムエルではなく、「サムエルのふりをした悪霊である」と吟味できるのです。
 占い師に頼るとどんな悲惨な結果が現れるのかというと、サウルの家族全員、ペリシテ人により殺されてしまいました。それもただの死に方ではなく、本当に悲惨な死に方でした。
 第一サムエル記 31章9節〜10節、

『彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。』

 何と、サウルのつけていた武具は、偶像の宮に奉納され、サウロの首は切断され、さらしものとされたのです。本当に悲惨な最期となりました。
 ここからどういう事が言えるのかというと、占いや霊媒、口寄せなどに関わると、最後は悲惨な不幸が家族全員を襲う危険性があるという事です。気をつけて下さい、という情報として、私達は受け取らなければならないのです。

 日本と韓国は祖先崇拝の国ですが、祖先崇拝は一言で言えばシャーマニズムです。「死んだ家族の霊を呼び出す」事です。みんな知らないでやっていますが、死んだ人の霊を呼び出そうとしているのです。しかし実際、どんな霊が出てきているのかというと、死人ではなく、死んだ家族の事をよく知っている、家族に関わっていた“死の霊”が死者のふりをして出てきているのです。結末は決して良いものではないのです。

 イエス・キリストを信じて幸せになると共に、人生の中に潜んでいる危険性をも見抜き、しっかりと目を開き、占いや口寄せ、霊媒と一線を画して生活しなければなりません。霊能者の言葉は、決して神の言葉ではありません。未来を開くものでなく、未来を閉ざす力です。

 先週、ある人から電話がかかってきました。「順先生、今週私は神様からとりなしの祈りを示されて、色々な所にとりなしに行きました。そして最後に、地域で有名な占い師の所へ行ってとりなして祈りなさい、促しをもらった」というのです。それで有名な霊能者が住んでいた、山の中に行ったそうです。
 その家に着いて呼び鈴を押すと、占い師は十年前にすでに亡くなっていて、その息子がいたそうです。息子は精神的に病んでいて、悲惨な家になっていたそうです。その家について村人に聞くと、「あの家はほんとに悲惨だよ」と言ったそうです。
 息子が出てきた時に、彼は、「あなたのお母さんが結んだ悪霊との契約を、断ち切る祈りに来ました。祈らせて下さい」と言ってしまったそうです。
 そして「あなたの母親が悪霊と結んだ契約は、この地域に一切実行されない!」と宣言して祈ったそうです。聖霊によって押し出され、そんな言葉が口から出てきたそうです。息子に殴られるのではないかと思ったそうですが、息子は「どうぞ祈って下さい」と言ったそうです。
 「悪霊と結んだ契約を断ち切ります!」と宣言して祈ったそうです。それを聞いて、彼はたいへん勇気があると思いました。そんなことは聖霊に導かれなければ出来ませんし、無理にやったらたいへんです。けれども、不思議な事がその後起こりました。

 先週私は少しお休みを頂きましたが、教会に帰ってすぐに何人かの方の解放の祈りの予定がありました。
 最後に来られた方は、娘さんが引きこもりで苦しんでいると言われました。それで色々話していると、「私も若い頃、ひきこもりで苦しんだ事がありました。」と言われました。その時、おばあちゃんが拝み事に熱心で、霊能者の所に連れて行かれたそうです。すると「家にある木の下にゴミを捨てた事があったでしょう。それで霊が怒っている」と言われたそうです。霊にお詫びして、一カ月間拝めと指示されたそうです。
 私は「それはどこの占い師に指示されたのですか?」と聞くと、ある人が聖霊に促され、悪霊との契約を断ち切る祈りをさせられた霊能者だったのです。

 主は引きこもりの娘さんの解放のために、ちゃんと主の勇士を用意し、準備されていたと感動しました。その人は19歳の時に引きこもり、占い師によってよくなったそうです。しかし、娘が同じ年になったとき、同じように引きこもりが始まったのです。けれどもその根本的原因がわかりました。それで、イエス様のみ名によって断ち切る祈りをしました。きっと娘さんは良くなることでしょう。

 イエス様を信じ、悪霊と契約を結ばないように気をつければ、必ず、家族全体が幸せになります。今週はテレビで占いや、運勢などやっていても、心を寄せないようにして下さい。その背後の敵に立ち向い、皆が幸せになりますように。家族全員が喜びで満たされる人生を送る事が出来れば、何と素晴らしいでしょうか。

「イエス様を信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」このみ言葉は真実です。必ず、家族を救って下さいます。同時に、私達が気をつけなればならない領域についても、学びました。幸せな人生を歩んで頂きたいと願っています。最後に一言お祈りさせて頂きます。


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