「わたしは主、あなたをいやす者である」


2010.5.9(SUN)
新城教会 滝元 明 牧師

出エジプト記 15章26節
そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 ハレルヤ。おはようございます。今朝はみなさんの前で御言葉を語れることを感謝いたします。
 一言お祈りいたします。
 『愛する天のお父様、これからあなたの御言葉を語りますが、御言葉を語る時にあなたがご一緒に聖霊様によって働いてください。全ての栄光が主イエスの御名によって、父なる神様に帰せられますように。今日、誰ひとりとして恵まれないで帰る人がないように、ひとりひとりに触れてくださるように、お助けください。尊いイエス様の御名によって、感謝をこめてお祈りいたします。アーメン。』

 もう一度、今読んでいただいた箇所を読んでみたいと思います。
出エジプト記 15章26節、

そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 今日は、この中からみなさんと一緒に御言葉を学んでいきますが、特に「わたしは主、あなたをいやす者である」という言葉から、一緒に学んでいきますので、この御言葉を今日は自分に与えられたものとして、心の中に捕らえていただきたいと思います。

 私が話す前に、一つお知らせですが、今月中に私の書いた本が2冊出る予定です。私の一つの使命は伝道ですので、初めての人にとにかくわかりやすいように伝道するというのが使命です。2冊とも小さな本で700円です。
 一冊目はみなさんもよく聞いたことのあるような話ですが、「どうしても知らなくてはならないこと」というタイトルで、人はいったいどこから来たか、なんのために生きているのか、どこに行くか、ということを書いた本です。
 そしてもう一つの本のタイトルは、「本当に天国はあるのか」です。その中には、岡本姉妹が召された時のことや、私の家内の母が召された時のことなども書かれています。それを読んだ後で地獄に行ったらどうにもならない、それを読んだら必ず救われる、というような本を書きましたので、是非買ってください。私も100冊くらいプレイズから買うつもりです。みなさんも買って、特に親戚や友達の方に送ってくだされば、その本によって誰かが救われることができると思いますので、ひとつ、がんばっていただきたいと思います。

 私は最近、毎日のように庭で野鳥に餌をあげています。余った残飯やいろいろなものです。ですので、私の庭には小鳥がたくさん来ます。スズメ、セキネ、カケス、ヒヨドリ、カラスなどです。
 私が餌をあげるわけですが、日本の小鳥は本当に落ち着きがありません。すっと来て、餌をくわえて、ぱっと逃げていきます。「せっかくあげたのに挨拶もしないで逃げて行くなんて、なんて奴だ・・」と思ったりします。
 みなさんはハワイに行ったことがあるでしょうか?ハワイの小鳥はそばに行っても逃げずに一緒に遊んでいます。ハワイに行くと魚も一緒に泳ぎ、逃げていきません。今日は教会にいますので、警戒心をあまり持たずに楽な気持ちで御言葉をしっかりと受け取って帰って行きましょう。

 今日の御言葉のテーマは「わたしは主、あなたをいやす者である」です。今日は、「あなたの病は癒されます」という意味でも、みなさんに話したいと思います。

 みなさん、私たちが毎日を健康で生活するということは、本当に素晴らしいことです。聖書を見ると、「私はエジプトにくだしたような病気を何一つあなたの家にくださない。」とあります。もし本当にイエス様を信じてイエス様に従うならば、病気にかからないですむ、ということです。神様という方は良い方なので、私たちを健康にすることができます。

 みなさん、「病がいやされる」というと何を考えますか?今日、ここにも病気の方もいらっしゃるかと思います。今は医学がすすんでいるので、肉体的な病気は、お医者さんの所に行って薬をもらって飲んだりして治ったり、自然的に癒されることもあります。また、神様が介入してくださって癒してくださいます。
 私たちの人生の中で考えてみると、病気を持っておられる方はたくさんいます。心の病気をもっておられる方もたくさんいます。しかし、聖書を見ると、「わたしは主、あなたをいやす者である」と書いてあります。今朝、精神的に病んでいる方もいやされる、と信じましょう。
 また、自分の家庭が病んでいる方もいらっしゃるかもしれません。夫婦関係、親子関係が病んでいるかもしれません。しかし、それも癒されないといけません。
 また、ある方は、経済的な面において癒される必要があります。経済的な面において癒されるということに関して、アメリカなどを見ると、非常に恵まれたクリスチャンがたくさんいます。前にも話したことがありますが、鉄鋼王と言われたアンドリュー・カーネギーさんという方は、すごく大金持ちになりました。彼の人生を見ると、彼は必ず10分の1献金を捧げて、主に祝福された、と言っています。他にも、本当に神様に従ったことによって人生が祝された、という祝福をもらっている人たちがたくさんいます。この新城の教会からも、アメリカのロックウェラーのような素晴らしい人が出たらいいと思います。やはり、経済的にも癒されるということは必要です。

 また、ある方はサタンから来る病気で苦しんでいる人もいるかと思います。私の親しい友達で、沖縄に牧師先生がおられます。その奥さんは宮古島の出身です。宮古島は人口4万くらいの所ですが、約900箇所の「拝所(はいじょ)」という拝む所があり、一生懸命にみんな拝んでいます。その奥さんも占い師ユタでした。
 しかし、不思議なことに奥さんの兄弟の4人とも、不自然な死に方をしたそうです。こんなに真剣に拝んでいるのになぜか、ということに疑問をもち、偶像礼拝と悪霊との関係に気づき、イエス様を信じて、今は素晴らしい牧師先生の奥さんとなり働いています。先生の教会にはチャーチスクールがあり多くの生徒がいます。素晴らしく祝福されています。この方は、偶像礼拝の罪から解放されることができた、という素晴らしい恵みをもっています。
 
 私たちもいろいろなことがあると思います。ある教会は教会が病んでいて、喧嘩ばかりしたり、分裂があったりしますが、教会が本当に許し合い、愛し合っていくことによって、癒されていくことができます。また、聖書を見ると、地がいやされる、と書いてあります。私たちが祈っていることは、この地がいやされるように、この地が本当にいやされて、日本に大きなリバイバルが来ることができるようにということです。
また、国家もいろいろな問題があり病気になっていますが、国家もいやされることができるように祈っています。
 しかし、聖書が全てまとめて語っているのは、「わたしは主、あなたをいやすものだ」ということです。様々な問題で病んでいるかもしれませんが、今朝は、イエス様が癒してくださる方であると信じましょう。

この御言葉「わたしは主」とは、神がモーセに現れた時に、モーセが「あなたの名前はなんという名前でしょうか?」と聞いた時の答えでした。「わたしは主」「わたしはある」と答えられたのです。「わたしはある」というのが、主の名前だったのです。「わたしは在る」は、エホバという訳し方がされていますが、エホバという名前は「主」と訳されています。「わたしはある」、素晴らしい名前です。
ヘブル人への手紙13章8節、

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

 イエス様ご自身について聖書の中でこのように書かれています。ということは、旧約聖書に約束された「わたしは主、あなたをいやす者である」という方はイエス様であり、イエス様は、きのうも今日も同じだということです。イエス様がおっしゃった言葉の中で、ヨハネ8章の中にユダヤ人に向かって「アブラハムより先からわたしはいるんだよ」とおっしゃっているということは、イエス様という方は永遠の神であり、救い主なので、出エジプト記の時に現れた主と同じように、今日もここにいて、同じように私たちを癒すことができる、ということです。ですから、みなさん信仰を持ちましょう。
ヨハネの手紙第三 2節、

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」

 神様の御心というのは、私たちを病気にして苦しめ、喜んでいるような神ではありません。「魂が恵まれているように健康であるように祈ります」と書いてありますので、私たちも健康である、ということに信仰を持ちましょう。
 聖書の中で「二、三人、私の名によって集まるところには、私もその中にいる」とおっしゃっているので、今日イエス様はここにいらっしゃいます。そして、同じように聖霊様が働いてくださって、私たちに素晴らしい奇跡を行うことができます。今日はみなさん奇跡を信じましょう。この集会中にみなさん、奇跡を信じてください。

 ずいぶん前のことですが、大阪の野外ホールで集会をした時に、一人の女性が来てこう言いました。「先生、先生がお話しなさった時に、私の霊の目が開かれました。」と言われました。どのようにかと聞いてみると「この会場の中をイエス様がずっと歩いてらっしゃって、みんなに触れていらっしゃった。」と言うのです。私は説教していて、わかりませんでしたが、すごいな、と思いました。
 みなさん、今日、イエス様がここを歩いて行かれて、一人一人に触れてくださっています。病気の人が癒される時となるように、奇跡が起こるように信じましょう。
 私が武道館でメッセージした時に、私の孫がこう言いました。「おじいちゃんが説教した時に、その周りに天の使いがいっぱいいて、天の使いがおじいちゃんを守っていたよ。」と言いました。
残念なことに私は今まで天使を見たことがありませんが、「見ずして信じる者は幸いだ」と書いてありますので、みなさん今日はこの時にイエス様が奇跡を行うことができるということを信じましょう。私は御言葉で信じています。

ヨシュア記10章12〜13節、

主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。

 私の好きな御言葉です。ヨシュアが戦争の中で、「日よ、ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」という言葉を叫びました。戦争の時に太陽に向かって叫んだのです。そうすると、この太陽も月も動かなかったとあります。みなさん、神様の力とは、地球を創り、万物を支配し、あのヨシュアの祈りを聞くことができたとしたら、私たちの祈りも聞くことができると思います。奇跡を信じることは非常に大切なことです。

 古くさい話が多いですが、私は1949年2月20日の日に救われました。そうして、バプテスマを受けたのが、1949年の5月30日でした。今でも忘れることができません。東京都北多摩郡久留米村という小さな村で、小川で穐近祐という先生から私はバプテスマを受けました。その時に先生がこう言われました。「兄弟、バプテスマの時に祈った祈りは何でも聞かれるんだ。何でも祈れ。」と魅力のある言葉を言われました。バプテスマの時に祈った祈りは何でも聞かれるなんて、聖書のどこに書いてあるかは分かりませんが、ヨハネの福音書の中に「わたしの名によって願うことは何でも聞いてあげる」と書いてありますので、そこから引用されたかと思います。何でも祈りを聞いてくださる。私はその時に、伝道者になりたい、牧師になりたいと思ったので、その時にお祈りしました。自分の罪を全部悔い改めて、それから「イエス様。私の人生を全てお委ねしますから、どうぞ私を使ってください。日本中を回る伝道者にしてください。お願いします。」それからついでに、「世界中まわって伝道できるようにお願いします。」とお祈りしました。そしてバプテスマを受けましたが、水から上がった時には、ちょっと大きいことを祈り過ぎたかな、と思いました。

 今なら、グアムに三日間か四日間を3万円くらいで行けたり、1500万人くらいの人が海外に行きますので、大したことないですが、今から61年前の戦争が終わって貧乏のどん底の中で、「世界中を回って」と祈りました。
しかし、祈りが聞かれて今まで私もいろんな所をまわりました。
 
 けれども、バプテスマの時に私は奇跡を経験しました。何かと言うと、ちょうど私は痔が悪くて、痛いと思いながらバプテスマの水に入りました。その時に「なんでもいいから祈れ!」と言われたので、すぐ「痔!」と思いましたが、19歳の紅顔の美少年が痔が痛いなんて恥ずかしかったので、言わずにバプテスマを受けました。
しかし、その上がった瞬間に、痔が癒されました。あれから61年間、痔が悪くなったことがありません。ですので、私は痔に関しては信仰があります。
 何年か前に和歌山県の教会に行った時にその話をしました。「痔が癒された」とメッセージで話したら、ひとりの綺麗なご婦人が集会中にも関わらず手をあげられました。赤い顔をして手を下ろしたので、後から「説教中になぜ手をあげたんですか?」と聞いたら、その方も痔が悪かったので「私も!」と思って手をあげたそうです。そして、瞬間的に癒されたそうです。

 みなさん信仰というのは不思議なもので、神様が触れてくださったら癒されることができます。信じてバプテスマを受けたら救われると書いてありますし、病める者に手を置いたら癒される、と書いてありますので、みなさん、信仰を持ちましょう。

 私も感謝なことに、9月20日で81歳になりますが、81歳になるまで生きることができたというのは神様の恵みだと思います。正直言って、小学生時代の友達はほとんど死にました。なぜ死んだかと言うと、私の育った頃は栄養が足らず、結核で死んだ友達が大勢います。気の毒だったと思います。また癌で死んだ友達もいます。しかし、私が今日まで生きることができたというのは、神様の恵みだと信じています。
詩篇 92篇10〜14節、

しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

 私の信じている御言葉です。「年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」と書いてあります。ある方は若くても年寄りのように夢もない人がいます。しかし、私は今日まで神様の恵みによって生きることができたということを心から感謝しています。
 教会に来て、今日、みなさんの中に病気の方もおられるかもしれません。病気がぱっと癒されるのは素晴らしいことですが、それ以上に素晴らしいことは、病気をしないことです。
 私の家内もここに来ていますが、家内が最近病気になり、私が家にいる間は、私がお世話しています。私は今まで家で炊事というものはやったことがありませんでした。全部家内の仕事でした。掃除は趣味でやったり、洗濯もやったり、それ以外にも、いろいろな事を家庭でやりましたが、炊事はやったことがありませんでした。ですが、家内が病気になったので、最近は炊事をやっています。朝、私が作ってあげて、お昼も作ってあげたり、夜は私の娘が作ってくれたりします。
どうして家内が病気になったのか私は知りませんが、87歳ですので、歳のせいもあるかと思いますが、しかし、筋肉が萎縮したとかで、今はだんだんと良くなっています。
 今日、私は家内に「あんた、病気して何か勉強したことがある?」と、あまりいい質問ではありませんが聞きました。すると、家内が「私は病気をして、何もせずに居ても、全然退屈しない。病気でも、祈ることができる。イエス様と交わりすることができる。異言で祈ることができる。なんの不自由もないよ。」と言いました。

 私の家内は病気になってからも、私が5時に起きる時に毎朝同じように起きます。毎朝、みなさんのために祈っています。今日は家内のためにイエス様が特別臨んでくださって、元気になると信じています。癒されると信じています。
 
 みなさん、健康でいくという事は素晴らしい事ですが、私たちは結婚して60年ですが、私の家内は今回病気になるまで、病気をしたことがありませんでした。お産の時には病院に入りましたが、ずっと健康できました。だから、ここまで来られたことは感謝なことです。
みなさん、健康でいく秘訣は何でしょうか?私が台湾に行った時に台湾の90歳くらいの先生が私の通訳をしてくれました。とても元気でした。その方が、健康の秘訣をこう言いました。中国では「快眠、快食、快便」、これが秘訣だと言いました。「快眠」とは、よく眠ること。「快食」とは、よく食べること。「快便」とは、よく出すことです。よく眠れる人はみなさん健康です。よく食べることができる人も健康です。また、快便の人も健康です。私は、クリスチャンになって、なぜこの61年の間、こうして健康でいられたか、ということを考えてみましたが、イエス様を信じた恵みだと思います。
 
 先週も順牧師が話しましたが、私は19歳の時にイエス様を信じて、たばこを吸わなくなったというのは、大きな恵みです。私の人生の中でたばこを吸ったというのは、ピースというたばこを買って二、三本だけ吸ったことがあります。ちょうどそのたばこを持って、私の友達と一緒に私の村から出た有名な人で加藤直二郎さんという、東郷平八郎の主治医をやったり、宮内庁の医者をやった人に会いに行きました。80歳以上でひげがあって立派な方でした。初めて会った時に、その方がいきなり、「東郷平八郎は言いました。至誠一貫。」と私に説教をして、私も緊張しました。その時に、私はたばこを練習し始めたところでしたので、ポケットにたばこが入っていました。すると、その方が、私がたばこを持っていることを、知っていたのかどうかは分かりませんが、急に「僕は医者だからたばこは飲まん。たばこは害だ。悪いことをしりながら悪いことをすることは悪いことだ。」と言われました。
彼はクリスチャンではありませんでしたが、この言葉は私に響きました。「悪いということを知りながら、悪いことをやることは悪いことだ。」というのです。あの日以来、たばこを吸わないできたことにより、健康でこれたと思います。
 それから、クリスチャンになったことによって、酒を飲まないということも素晴らしい健康の秘訣だと思います。

 もう一つの健康の秘訣があります。
 私には8人の子供が産まれましたが、上條実が四番目に生まれました。彼が生まれた時に、私の母親がお手伝いに来ることになっていましたが、病気か何かで手伝いに来れなくなりました。私はちょうどその前に、私自身が神様に用いられるために、神に用いられた人たちの伝記を読みました。デ−アール・ムーディ、チャールズ・フェニー、ハドソン・テイラーという人たちが、どうして神に用いられたか、という伝記を私も真剣に読みました。
そして、読んでわかったことは、神様に用いられている人は、必ず朝早く起きて祈っている、ということでした。それは響きました。特にハドソン・テイラーの伝記を見て、私はすごく感動しました。「ハドソン・テイラーの祈り見ずして、中国の太陽は昇ったことがない。」と書いてありました。すごい言葉です。その時に「私は祈り不足だ…。」と思い、それから私は、朝、どんなに遅くても5時から祈祷会をやろうと決心しました。それまでも6時か6時過ぎには起きていましたが、5時から祈ることにしたのです。
 その時、ちょうど実が生まれた頃で、私はすごく忙しい生活をしていました。実は大きな子供で、4500グラムの巨大児でした。助産婦さんが「なんという名前ですか?」と聞かれたので「実です。」と言うと、「お腹の中で実りましたね〜」と言われましたが、今でも兄弟の中で一番大きいです。
 実が生まれて、私が全部子供達の世話をし、食事を作り、お風呂に入れ、洗濯をし、忙しくて、忙しくて、ものすごく忙しかったです。午前中にくたくたになり、午後にはその日に限って、よく高校生が来ました。「先生、神様の話を聞かせてください。」と。それから話をしてあげて、それから夕食の支度をし、疲れて「さて、休もうかな」と思うと、田中先生が「先生!遊びに来たよ〜!」とやって来ました。田中先生が救われたばかりの頃で、田中先生は燃えていましたので、べちゃべちゃ話して、いつまで経っても帰りませんでした。夜の11時か11時半頃までべらべら話して、帰れとも言えませんし、喜んで帰ってくのを見送ってから、それから、次の日の支度をして、夜寝るのは一時にもなりました。
 5時に祈り会をするためには、朝の4時半くらいに起きなければなりません。こんな目の回るような生活がずっと続いた時、今でも忘れることができませんが、奈良の福音教会に招かれて説教に行く前に、私の頭が鉄兜をかぶったように重くなってしまいました。その時、私は確信しました。「絶対病気になる」と。
どうして病気になるのか?こんなにイエス様を愛して祈っているのに、どうして病気になるか、と考えました。その時にわかったことがありました。伝記を書く人は罪を犯していると思います。「ハドソン・テイラーの祈りを見ずして中国の太陽は昇ったことがない」とは書いてありましたが、ハドソン・テイラーが何時に寝たか、ということは書いていません。みなさん、ハドソン・テイラーは今から100年程前に中国で伝道した人です。当時は電気もないですし、ロウソクがあったか、油があったかぐらいですので、だいたい寝たのはきっと暗くなる8時くらいだったと思います。みなさん、8時に寝たらどうでしょうか?そうしたら、太陽よりも早く起きるものです。今、家内が早く寝ますので、一緒に早く寝ることにしています。10時頃に寝て、今朝も教会に朝4時に祈りに来ました。朝4時に来て、みなさんのために真剣に祈りました。早く寝たら早く起きられます。伝記には何時に寝たかは書いていなかったので、「いや、騙された!」と思いました。それから私は「寝る時間を決めよう。起きる時間を決めよう。」と決めました。起きる時間は5時。寝るのは、どんなにお客が来ても11時半には寝る、と決めました。それまでは友達が来てべらべら話していると12時や朝まで話していた時もありましたが、そういうことはなく、「はい、11時です。休みましょう。」と言うようにしました。
 この何十年間の間、私は節制してきたということによって、健康で来れたと思います。働きすぎてはいけません。みなさん、忙しいかもしれませんが、休む時は休む。眠る時は眠る。みなさん、無駄な時間を過ごさないということは大切なことだと思います。

 それから、私たちが健康でいくもう一つの秘訣は、「心配しないこと」だと思います。ある時、私のところに兄から電話があり、「明、うちの兄弟はみんな気が小さいから気をつけにゃいかんぞ」と言われました。どういう意味かわかりますか?気の小さい人に限って精神的な病気になる人が多いのです。真面目で自分を責めたりします。しかし、聖書の中になんと書いてあるでしょうか。
ペテロの手紙第一 5章7節、

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 私は気が小さいですが、クリスチャンになり、心配があるとすぐ「こんな心配があります」とイエス様の前に出て重荷を委ねることができるということは感謝です。みなさんも今日心配事があったら、神様があなたのことを心配してくださるとありますので、任せてください。
箴言 3章7〜8節、

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

 自分を知恵あるものだとか、自分の力で生きているんだという考えをやめなければいけません。「主を恐れなさい。悪から離れなさい。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」と書いてあります。自分を賢いと思わず、いつもイエス様に信頼していくことです。
箴言 14章30節、
 
穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。

 怒りっぽい人は早死にします。私の小学校時代の友達でよく喧嘩した人は早死にしました。だいたいそうではないでしょうか。若いときに堕落してヤクザの人はだいたい早死にです。ですから、聖書を見ると「穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。」とあります。
 あるアメリカの方が牧師に質問しました。「先生、護身術をやってらっしゃいますか?」と。護身術とは、身を守る方法です。そのアメリカの先生は「護身術をやっていますよ。」と答えたそうです。「何式ですか?」と聞くと、「僕は、ソロモン式をやっています。」と言ったそうです。ソロモン式が何かと聞くと、
箴言の中にこのような言葉がありますが、「柔らかな心は憤りを沈める。しかし、激しい言葉は怒りを引き起こす。」ということです。
 みなさん、激しい言葉、喧嘩してはいけません。激しい言葉をすると、喧嘩することになります。柔らかい言葉ですることが必要なことです。
箴言 17章22節、

陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。

 陽気な人は長生きすると言われます。沖縄の人たちが日本で一番長生きします。なぜなら陽気だからです。
 昨日テレビを少し見ていたら、ノルウェーの一番北のほうに住んでいる人々の番組をやっていました。一年間に4ヶ月太陽が出ないそうです。暗いですが、その人たちは明るく生きていました。
 私たちの心をイエス様にあっていつでも陽気に生きるというのは非常に大切なことです。今日はみなさん、特に今日病んでいる人たちもいらっしゃるかもしれませんが、この御言葉を学びたいと思います。
ヨハネによる福音書 5章5〜6節、

そこに、38年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」

 病気の人に神様が出会った時に、「よくなりたいか」と聞かれました。みなさん、今日どこかに病気のある人、イエス様のこの言葉を一度言ってみましょう。「よくなりたいか」と。みなさん、家庭の問題、親子の問題、経済的な問題、いろいろあるかもしれませんが、「よくなりたいか」と言われています。
そこでイエス様がなんておっしゃったでしょうか?
ヨハネによる福音書 5章7〜9節、

病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

 エルサレムに行くとベテスダの池があります。そのベテスダの池のところに、回廊があり、そこに大勢の人たちが寝ていたそうです。この聖書を見ると、私たちの持っている聖書では4節が抜けています。新改訳聖書の中には抜けていますが、文語体の聖書には書いてあります。時々天使が降りてきて、「天使が水をかき回す」と書いてあるのです。かき回した時に一番最初に飛び込んだら、どんな病気でも癒された、ということがあったそうです。だから、彼は、そこに来て、自分も治りたいと思ったのです。
 彼は38年間病気でした。みんなが入ってしまって、入ることができませんでした。聖書を見ると、3節に「大勢の病人がいた」と書かれています。大勢の病人がいた、盲人がいた、足なえがいた、やせ衰えた人がいた、と書かれています。
 今日、みなさんの中に病気の方がいらっしゃいますか?今日はみなさん、ベテスダの池とは違います。今日は、イエス様は同じ様に働いてくださいます。一番に飛び込まなくてもいいのです。信仰です。信じたらいいのです。「よくなりたいか」という質問に「はい、よくなりたいです」と信じたらいいのです。「床をとって歩きなさい」とイエス様は癒してくださいます。ですから、みなさん、信仰をもって癒されることを信じましょう。

 それから、もう一つ、私が好きな御言葉があります。ヨハネによる福音書9章1節からの御言葉です。イエス様が道の途中で生まれつき盲人の方を見られ、弟子たちがイエス様に質問しています。「先生、この人たちが生まれつき目が悪いのは誰が罪を犯したせいですか?親の罪ですか?本人の罪ですか?」と。嫌なことを弟子たちは言いました。その時にイエス様がおっしゃったのは、「本人の罪でもない、両親の罪でもない、神の御業が現れるためだ」でした。そしてイエス様は何をしたかと言うと、つばきで泥を作り、彼の目に触れてあげました。素晴らしいです。
 私がこの箇所を読む時に、イエス様の弟子は大したことなかったと思います。考えてみたら、生まれつき目の見えない人が、お腹の中でどうやって罪を犯すのでしょうか。弟子も大したことなかったと思いますが、イエス様は「本人の罪でもない、両親の罪でもない。神の業がこの人に現れるためだ。」と言われました。そして、イエス様がおっしゃったことは、「シロアムの池に行って洗ってごらんなさい。」とおっしゃいました。

 この間、ある教会の兄弟姉妹に出会いました。一緒に何年か前にイスラエルに行った兄弟姉妹でしたが、その奥様が私に泣きながら話しました。「先生、私は滝元先生によって救われました。」と。素直な奥様でしたが、いろいろ話した時にそのご主人がこういうことを言われました。「先生と一緒にイスラエルの国に行った時に、私の家内は目が悪かったのですが、シロアムの池に行った時にそこの川の水で目を洗いました。すると、私の家内の目がすっかり良くなって、あれ以来、眼鏡をかけたことがないです。」と言われました。イエス様ご自身が触れられたと思います。洗ったら癒されたのです。みなさん、今日は、ここに聖霊の川が流れています。聖霊の風に「イエス様、私に触れてください。」とお祈りしましょう。そうしたら、イエス様がみなさんの病も癒してくださることができると信じます。
イザヤ書 53章4〜5節、

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

 これは、イザヤがやがて来たるべきイエス様に対しての預言です。「まことに、彼は」と言うのは、「イエス・キリストは」ということです。「イエス様は私たちの病を負ってくださって、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」これは十字架のことです。
 また、「彼の打ち傷によって私たちは癒された」とあります。今朝、なぜ癒されるかというと、イエス様の打ち傷によって癒されることを信じましょう。「彼の打ち傷によって私たちは癒された」と声に出して言ってみましょう。十字架の上にイエス様は病を背負ってくださって、痛みを担ってくださいました。十字架にかかってくださったイエス様の中に癒しがあります。

 今日はここにイエス様がいてくださいますから、ひとつ信仰を持ちましょう。
 今からお祈りしますが、みなさん、自分の悪いところに手を置いて下さい。信仰をもってください。心が病んでいる人は心のところに。経済的に病んでいる人も。それから、いろいろな問題を考えている人は、胸の上に手を置いて一緒に祈りましょう。今日、私がお祈りします。「打たれた傷によっていやされた」と信じましょう。お祈りしますので、みなさんも「よくなりたいか?」という質問に「よくなりたいです。私の悪いところに触れてください。」と一緒にお祈りしましょう。
 『愛する天のお父様、イエス様、あなたの御言葉を感謝します。イエス様、あなたご自信はおっしゃいました。「天地は過ぎ去ってもわたしの言葉は決して過ぎ去ることがない」とおっしゃいました。また、「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じだ」とおっしゃいました。あなたご自身は、「わたしは主、あなたをいやす者だ」とおっしゃいました。私たちは心からあなたを愛し、あなたに信頼しています。今日ここには病んでいる人がいます。今日教会に病んでいて来れない人もいます。あなたの手は短くありません。今、あなたの手を病んでいる方の手においてください。肉体的な病気の方のために「よくなりたいか」と言われています。今、よくなりたいと願っておられる方に、あなたが触れて、イエス様が「起きなさい、床をとって帰りなさい」とおっしゃったように、その方を、今、イエス・キリストの名前によって、癒してください。今日聖霊様、その人に触れてください。どうかシロアムの池で目を洗ったように、今聖霊の川によって、聖霊様、あなたご自身がその方に触れてくださって、病が癒されますようにお導きください。お願いいたします。イエス様、どうぞ心の病の人もいます。主よ、どうか覚えて、人間的にはどうにもならない病もあなたの打たれた傷によって癒してください。サタンによって苦しみ、家庭に問題がある人も、ナザレのイエスの御名によって、悪しき力を今断ち切ります。イエス様の御名によって打ち砕きます。あなたがその家庭を癒してください。
また、経済的にも苦しんでいる人のために祈ります。あなたがどうか、素晴らしい祝福を与えて、経済的にも豊かな恵みを与えてください。この新城の地もいやしてください。地をいやしてください。日本をいやしてください。偶像礼拝やいろいろな問題がありますが、私たちの国を癒して健康にしてくださいますようにお願いいたします。
イエス様、あなたが祈りを聞いてくださっていることを感謝します。あなたの打たれた傷によって癒されたと宣言します。主イエスの御名によって祝福します。アーメン!

イエス様に栄光を帰しましょう。アーメン!感謝します!
ハレルヤ!ハレルヤ!


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