「敵の真ん中で治める」


2010.6.20(SUN)
新城教会牧師 滝元 順 師

詩篇 110篇1節〜5節
主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。

 ハレルヤ!おはようございます。少しうっとうしい雨が続く季節の中にありますけれども、主を賛美し、礼拝ができますことを心から感謝しています。
 先週まで私は南米のペルーに行っていましたが、みなさんのお祈りに支えられ、元気に帰ってくることができ心から感謝します。
 私は現在、青春真っ直中だそうですね。壁に耳あり障子に目あり、地球の裏側に耳ありです。先週、私は新城教会の礼拝に出ていなかったように思うかもしれませんが、ちゃんとこの礼拝に出ていました。超能力みたいですが、そうではなく、今この礼拝がインターネットで同時中継されています。雅也先生はそれを知らず、色々と私について話していました。こう話している私も、現在、地球の裏側で聞かれていますので、今の時代は本当にすごい時代です。
 ペルーの時間は、今、夜の9時です。先週は、ペルーの兄弟姉妹と一緒に8人で新城教会の礼拝に出ました。この世の終わりが近い今、主が世界規模で宣教を急いでおられると思います。みなさんと礼拝を守れることを感謝します。

 今日みなさんにお分かちしたい御言葉は、詩篇110篇の1節から5節までの御言葉です。この御言葉は今回ペルーに行く途中、機上で主から与えられた御言葉です。私は飛行機に載って祈っている時に、御言葉をもらうことが多いです。やはり飛行機は空高く飛んでいますから、神の世界に近いんでしょうね。というのは、嘘です。そんなことはありません。神様は空の上にいるわけではありません。なぜ御言葉が機上で与えられるかと言うと、ただ単に「時間がある」という理由だと思います。神様との交わりが少ない者が、他には何も出来ない環境で祈って聖書を読んでいるから、主が語ってくださることが多いのではないかと思います。

 ここで語られている言葉から、今朝は少しお話をさせていただきたいと思います。詩篇110篇に書かれていることは、イエス・キリストに対する預言です。詩編には他にも預言が多く記されています。詩篇の多くはダビデという人物によって書かれましたが、それはイエス様が生まれる千年位前のことです。その時すでに、イエス・キリストが地上に来て、どのような役割を果たすのか預言されていました。そして新約聖書にいたって、その言葉が弟子たちによって引用されています。詩篇110篇の御言葉も、聖霊が注がれた後、ペテロによって引用されました。使徒の働き2章を見ると、それが引用されています。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ」という言葉が引用されていますが、イエス様がこの地上に来てくださったのは、敵の真ん中に降りてきてくださり、敵の真ん中で敵を治める権威を、勝ち取る為の働きでした。
 詩編において、「あなたの敵の真ん中で治めよ」と預言されましたが、まさにイエス・キリストによって、その勝利が広がって行ったのです。イエス様の働きは、クリスチャンに受け継がれました。私たちの働きも「敵の真ん中で治める」働きです。そのような働きを、主は私たちに託しておられるのです。

 今回ペルーに行くようになったのは、新城教会に20年以上前からペルー人の方々が来られ、またブラジル人の方々が来られて、インターナショナル集会が開かれるようになったからです。そのきっかけとなったのが、新城の唯一のスーパーマーケットの前で、チラシ配布をしている時に、2人のペルー人が新城教会に来るようになったことが始まりでした。今では新城教会にペルー人の牧師、またブラジル人スタッフも共に働いています。日本人と一緒になって奉仕しています。それで、私も時々ペルーやブラジルに行き、帰国して信仰を守っておられる方々を訪問したり、一緒に集会を持ったりしています。少しみなさんに、私が今回撮ってきた写真をお見せしたいと思います。


 前回もお見せしましたが、これが南米の地図です。ペルーがどこだか分かるでしょうか?南米の西側にチリという細長い国がありますが、その上がペルーです。太平洋沿岸にあり、東側をアンデス山脈で遮られ、西側の乾燥地帯がペルーです。今、季節は日本と全く逆で冬です。先週、ペルーは寒かったですが、日本に帰って来たら暑いですね。


 このように、街はたいへん綺麗です。私は2年半ぶりに行きましたが、大分変わっていました。リマは、日本の街並みと同じで綺麗な街です。


 ここはセントロと言いまして、古いスペイン風の街並みが残っていて、大変美しいです。しかし、この国はインディオの方々の率が高く、アンデス山脈からインディオの方々が経済的理由などで街に降りてきたりします。その為、郊外に向かって一時間も車で行くと大変貧しい地域があります。そこでここに来てくれた下田先生が奉仕しています。今回も私はそこに行って奉仕をさせていただきました。


 これは先週の日曜日の写真です。新城教会でかつて共に礼拝を守っていたペルー人の方々が集まりました。なかなか全員が集まることは困難ですが、多くの方が集まりました。本当に懐かしい方々ばかりでした。新城教会のインターナショナルの特徴は、この方たちのほとんどが、日本でクリスチャンになったことです。日本に来て、それも新城に来て救われたのです。向こうはカトリックが強いところですが、新城に仕事で来て、なんとイエス様を信じ帰国して教会に属しています。そんな中で、すでに牧師になっている人もいますし、伝道者になってる人も、いろんな展開があります。


 先週の日曜日は「日秘文化会館」というところを会場にして、礼拝を持ちました。


 このようにみんなで祈ることができ、大変恵まれました。また、本当に楽しい一時でした。今日の午後からみなさんに詳しく報告させていただきます。


 これは、下田先生が伝道しているヌエボ・パライソ「新しい天」という場所へ向かう道ですが、大変厳しい環境です。


 そこに行きますと、ほとんど雨が降らないので埃だらけです。一面埃に包まれている砂漠の真ん中に貧しい地域があるのです。貧しいとは言っても、まだいい方だと聞きました。


 この地域にはインディオ系の方々が中心に住んでいます。でも、2年前と比べると大分よくなりました。2週間前の礼拝で、みなさんにお見せした写真よりも、少し綺麗になったと思いませんか。2年前はほとんどの家に屋根がなかったのですが、今回行ったら結構屋根がついたりして、また、教会にも屋根ができていたのでびっくりしました。


「先生方、歓迎します!」という言葉で私たちを歓迎してくれました。


 インディオの方々の一番の歓迎は、食事にあります。「パチャマンカ」という食事を作ってくれたのは「大歓迎」のしるしです。
 世界の国々ではいろんな歓迎の方法があります。実はこのパチャマンカも大歓迎ですが、もっと山奥に入っていくと、すごい歓迎の儀式があるそうです。それは何と言うかといいますと、今日ドラムを叩いていた男は「マサト」といいますが、「マサト」という儀式があるそうです。みなさん、今から話す話はちょっと気持ち悪いかもしれませんが、これが歓迎の方法なのです。それに応じるか応じないかは、みなさん次第です。
 まず、インディオの村では芋が主食なんですが、10数人の部族の長老たちが集まり、一番の長老が芋を口に含んでよく噛むそうです。そして、しばらく噛んだらぺっと吐いて、次の長老に回すそうです。そうしたら、その長老がそれをまた口に入れ、よく噛んで、ぺっと吐いて、次の長老に渡し10人くらい回ってきて、最後にそれを水で溶いて、新しく村に来た人に差し出すそうです。それが一番の歓迎だそうです。それを出されたら大歓迎されているんだ、喜んでぐーっと飲みほしたら拍手〜!というわけです。歓迎でもなんでもない、いじめじゃないかと思いましたが。


 でもパチャマンカも結構な歓迎です。レデル先生自ら土を掘り、いろいろな肉や野菜を蒸し焼きにしてくれました。私たちを歓迎して、ごちそうをふるまってくださいました。嬉しかったです。


 でも、パチャマンカを作っている場所を見ると、少し引くような場所ですね。ちょっと食べたくないな〜というところですが、ゴミが捨ててあるような所でありますけれども、大歓迎なのです。みなさん日本に生まれて良かったな〜と少し思うかもしれません。


 後ろにあるのは瓦礫の山のように見えるかもしれませんが、これは何千年も前に出来たピラミッドです。今日の午後から、その辺のところもお話をさせていただきたいと思いますので、是非とも出席していただきたいと思います。今回もとりなしの祈りに行きましたが、いろんなことを発見しました。なんで神様が新城にペルー人の方々を送ってくださったのか、ペルーと日本は強い繋がりがあるかもしれないと教えられました。


 これが下田先生が奉仕している教会です。見て下さい。天井だけ新しく、結構きれいになっていました。


 これがインディオ賛美チームです。このおっちゃんたちは渋いです。キーボードのおっちゃんなんか見てください。およそキーボード・プレーヤーという雰囲気ではないですが、集会の時間になるとマイキーボードを抱えて教会に現れるのです。終わるとキーボードをビニール袋に入れて立ち去って行きます。箱を叩いている人もいます。


 この間ケリグマという人たちが来てくれましたが、この教会の賛美はああいう雰囲気の賛美です。ここの集会もすごく恵まれました。


 みんな真剣に主を求めて祈っていました。


 今回はパスター竹内も一緒に奉仕してくれました。彼は元気でした。なかなかパワフルにやってくれて、彼が一緒に行ってくれて本当に良かったです。


 ここは「魔法の泉」です。ここにもまたとりなしに行きました。街の教会の先生方と一緒に祈りに行きました。


 ここはワッチョという街ですが、教会には楽器も揃っています。2年前もこの教会で奉仕しましたが、成長していました。この先生は、私が来るのが嬉しいみたいで、「来年も是非来てください、来年はこの街中の教会合同で伝道会をやりたい」とおっしゃっていました。御心ならば行こうかと思っています。

詩篇110篇1節〜2節
主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」

 これがイエス様が地上に来てくださる目的でした。もちろん宇宙は神の支配下にあるのですが、地球に限っては悪魔の支配にあるのです。だから地上は混沌としていて、人間がいくら努力してもいい方向に向かわないのです。人の職業を一言で表現するならば、「なんらかの回復のためにある」と言えます。皆さんもなんらかの回復のために先週一生懸命働いたのです。世界中、60億以上の人たちが、なんらかの回復のために働いているのですが、回復するどころか破壊されていくのは、どこに理由があるのでしょうか?
 それは地球が悪魔の支配下にあるからです。しかしイエス様がこの地上に来てくださり、敵の真ん中に降りてきてくださり、神の領土を拡げるためでした。
 父なる神様がイエス様に命令されました。「あなたは地球に行って、敵の真ん中で治めなさい」と命令されたのです。それでイエス様は地上に生まれ、十字架について、死を打ち破り復活してくださいました。
 また、父なる神様は「わたしの右の座に着いていよ」と言われました。いうのはどういう意味かと言いますと、それは神と同じ権威を、十字架と復活によって、子なるイエス様に渡されたのです。そしてなんと、私たちも同じ権威を受け取ることができたのです。イエス様は私たちクリスチャンを代表するお方です。私たちクリスチャンは、甦りのイエス様と同じ、「神の右の座に着いていよ」と言われた一切の権威を受け取り、敵の真ん中で治めることができるのです。
 「治める」とは敵の力を打ち砕き、支配する特権です。教会にはそのような権威が与えられていますから、神の奇跡が起きるのです。

 私は今回ペルーに行って一つのご家庭を訪問しました。

 ある方は知っているかもしれませんが、写真の左側の人は、この教会に長いこと来られていたエルサさんです。今日も多分、インターネットで新城教会の礼拝に出ていると思うのですが、彼女はすごく日本語が上手くて、今回も歓迎してくれておいしい食事を作ってくれました。
 実は彼女は新城教会で霊的戦いが始まった時、ちょうど新城に居ました。1992年に新城教会に聖霊が注がれて、突然、敵の真ん中で治める働きが開始されました。私は毎年、6月、7月になるとそのことを鮮明に思い出します。本当にあの時はすごかったな、と。自分であって自分ではないようでした。主が私たちを掴んで動かされる、そんな経験しました。その時に、聖霊が注がれたのが、この教会の特に若い世代でした。当時は私も「若い世代」の中に入っていたと思いますが、今の聖書の言葉の中にもありましたが、「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」と。
 今日は、みなさんのお手元に「リバイバル感謝報告書」をお渡ししました。私は、挨拶のところに、この御言葉を引用させていただきました。神の訪れは、ちょうど朝露のようです。朝露とは、早起きしないと分かりませんが、突然降りてきます。朝方、突然降りてきて地を潤すのです。神様の働きとはそういうものです。時が来ると、突然露が降りるように始まるのです。それも、聖書は「若者の上に突然朝露のように聖霊が注がれる」、「神が定められた日に」と預言されたのです。これはイエス様のことでもありますが、聖霊の時代に生きる私たちに対する御言葉です。

 1992年、そのようなことが起こりました。私たちのところに朝露のように聖霊が注がれて、私たちは輝いて主に仕えたのを昨日のことのように覚えています。その時、日本人とこの教会に来始めたペルー人たちに、同時に聖霊が注がれました。初めは個人的解放が起こりました。
 エルサさんは聖霊の力を受けて、とりなしを一生懸命やってくれました。しかしある日、彼女は顔が痛くなり、新城市民病院に行ったら、医者がレントゲンを取り写真を見て「あなたには、重大な病気が隠れているかもしれません」と言ったそうです。「骨と骨との間に腫瘍ができていて、これは顔を剥がして手術しない限り直りません、だから痛いのですよ」と言われたそうです。私はそのことを聞いた時にショックを受けました。一生懸命神様のために働いてくれたのに、なんでそんな病気にかかるのだろうか、と思いました。悪いことも突然起こることがあります。私もいろんな医学書などを調べて、これはもしかしたらまずい病気かな、と思いました。私も「早く手術してもらってください」と言いましたが、主が「そんなことを言うよりも、まずは祈ってあげなさい」と言われたので、祈ってあげました。
 こういう事柄が全て、霊的領域と繋がりがあるかどうかは分かりませんが、多くの場合、いろんな問題が起きる背後に、霊的理由が隠されている場合が多いです。特にこのような病気はやがて死に直結しますので、やはり死の力が関わっているかもしれません。死の力を自分自身で招くようなことがあると、そういうことが起きやすいわけです。ですから彼女に「あなたは今までに、何か死の霊を招くようなことをしませんでしたか?」と聞いたら、なんと彼女のお母さんが大変な占い好きで、人生の重要なことを決める時には、一族の墓場に霊能者と一緒に行ったと言うのです。それも深夜に頭に花をつけて、墓場に行き、呪文をとなえると霊が降りてきて、霊能者が予言するそうです。ある時彼女に「おまえは日本に行け。日本に行ったら幸せになるぞ」と霊能者が語ったそうです。それを聞いて彼女は日本に来たと言うのです。それで、幸せになるかと思ったら、なんと死んでしまうような病になったわけです。ということは、霊的理由があるのです。

 ですから私たちは祈りました。墓場で結ばれた悪霊との契約が完全に打ち破られるように、断ち切られるように祈りました。その時のことを忘れることができません。私はまだ霊的戦いに余り慣れていない時でした。そのようなテーマを祈っている最中に、彼女の体が揺れてきて、しばらくしたら「うるさい、うるさい、黙れ、黙れ」と言い出しました。せっかくいやしのために祈ってあげているのに、なんで黙れなんて言うのかな、と思ったら、「うるさい。俺はこの女が嫌いだ、この女を殺してやる、この女を殺してやる」と大声で叫ぶのです。でもその時、背後に敵の力が働いているということがわかりました。

 私たちの神様は敵の真ん中で治めてくださる神様ですから、敵の力が打ち砕かれるように祈ったのです。激しく聖霊様が訪れてくださいました。
 病院に行って何が起こったと思いますか?何も起こらなかったら、こんな話をするわけないのですが、なんと腫瘍が消えていました。全くなかったのです。医者もびっくりしたそうです。それから10年以上経ちますが、彼女は元気で、家族がみんなクリスチャンになりました。良かったなと思いました。
 でも、彼女がかつて霊を呼ぶような行為をした場所があるはずです。私はどこでそんなことをしたのか、関心はありませんでした。日本じゃなくてペルーだから、分からないです。でも不思議なことに今回私たちがとりなしに行った場所が、彼女がオカルトを行っていた場所だったのです。神様は本当に愛なる方だ、と思いました。今回も彼女とそのことを思い出して感謝し、もう一回その力との繋がりが断ち切られるようにと祈りました。祈りの中で霊能者の顔が目の前に出てきたと言っていました。神様が勝利を与えてくださったと信じます。私たちの主は、敵の真ん中で治めてくださる方です。
 
 同時に、先ほども言いましたように、地球は、暗闇の力の支配があるのです。けれども、私たちクリスチャン、教会は、暗闇の支配のただ中に降りて行って、そこにくさびを打ち込み、神の支配を拡大する者たちです。本来人間とは、イエス・キリストによって救われたら、その働きをするための存在です。
 私はいろいろな人たちの解放の祈りに携わらせていただいているのですが、その中でわかるのは、いろんな攻撃を受ける人とは、弱いからではないのです。それなりに大きな神の使命があるがゆえに、神が与えた使命を止めるために、悪魔が先に支配を置いているということです。しかし神がそれを取り戻す時、今まで多くの問題を抱えていた人が、より多くの領域を勝ち取る勇士として用いられるのです。

 さて、悪魔が地上に支配を置く構造とは、私たちが想像もしない方法を使って、地上に自らの支配を置いている事が分かります。

 旧約聖書にダニエル書がありますが、ダニエル書の中に不思議な記述があります。ダニエル2章のところを見ると、ネブカデネザルという王様が見た夢をダニエルが説き明かしたことが記されています。2週間前に私はセミナーにおいてもお話をさせていただきましたが、ダニエルは神から遣わされた預言者だったので、すごい力がありました。
 ネブカデネザル王は忘れることが出来ない夢をみました。時々私たちも夢を見ますが、夢はほとんどがめちゃくちゃです。本当にふざけた夢が多いと思います。私もばからしい夢をよく見ます。礼拝に背広と半ズボンで出て行きたり、ももひきで出て行って、「あっ、どうしよう」なんていうのもあり、起きてから夢で良かったというような夢を見たりもします。しかしそんな夢ではなく、本当に忘れられない夢があります。そういうのは神様に返して、祈るべきなのかもしれません。
 ネブカデネザル王様は夢を忘れることができなかったので、国中の霊能者を集めて「俺の夢を説き明かしてくれ」と言いました。すると霊能者たちは「じゃぁ王様、その夢を教えてください」と言いました。すると、王は「おまえら本当に霊能力があるならば、俺が見た夢さえもどんな夢か当ててみろ」と言ったのです。
 「冗談じゃないですよ。そんなの出来るわけないじゃないですか」と霊能者たちは言いましたが、このダニエルはその夢さえも説き明かしました。ということは、これは本当に神から与えられた重要な夢だったのです。
 ダニエル書 2章31節〜35節、

王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。

 こんな夢を見たら忘れないし、びっくりすると思います。ダニエルはその夢さえも説き明かしました。そして夢とは大きな像の夢でした。その像は、頭が金、胸が銀、腹が青銅、また鉄と粘土が混じり合ったような足を持った、巨大な像の夢でした。そこに小さな石が転がってきて、足下に当たって、なんとその巨大な像がぶっ倒れて粉々になってしまうというものでした。

 ダニエルは「実はこの像の頭が、王様。あなたのことです」と説き明かしました。このネブカデネザルというのは、バビロニアという国の王でした。しかし、世界史を見るとバビロンはメド・ペルシャが入ってきて、滅ぼされました。メド・ペルシャの次に入った支配はギリシャです。アレキサンダー率いるギリシャ帝国の巨大な勢力が入ってきて、今まで長いこと続いた帝国を打ち破りました。
 そして、その後はどうですか?ローマ帝国の時代になりました。その時代に、人手によらず石が切り出され像を打ち倒した、ということだったのです。

 実はこの「人の手によらない石」というのが何であったかと言うと、それがイエス様のことです。ローマがイスラエルを支配していたただ中に、人の手によらず、処女マリアから生まれたイエス様が、小さな石ころだったけれども、今までの全ての支配を打ち破り大きくなったのです。これは「終わりの日」と言いますから、イエス様がもう一度帰ってくる日まで、石はどんどん大きくなるのです。
 バビロンが金の頭、次にメド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ、その後、鉄と粘土が混じっている時代、エンドタイム、それは今の時です。その時代に石が転がってきて、像は倒れたのです。
 バビロンはペルシャに滅ぼされました。だから、これは普通はこのような像はおかしいのです。バビロンが一番下で、次にペルシャが支配して、次にギリシャが支配して、ローマが支配してと、地層のように積み重なり、負けた国は支配力を失うのです。新しい支配者が入ってきて、先住民をやっつけたら、先住民は新しい支配者に服従しなければなりません。敗北した者たちは、やがて跡形もなくなるのです。現時点で支配している者が国の支配者となるわけです。
 しかし、霊的な支配で不思議なのは、逆の構図です。
 なんと一番最初に世界を支配していた、バビロニア帝国が金の頭だと言うのです。頭とはなんでしょうか?司令塔です。頭から出る信号によって、手足は動き、全ての意志が決定され行動が決まるのです。昔、滅びてしまったはずの国が、なんと霊的な世界においては、今でも息づいていて現在を支配をしているというのです。

 実は日本も同じ構図です。私たちは「日本とはこんなもんだ」と思っていますが、日本の歴史も同じです。先住民がいて、次の勢力が入ってきて、それを打ち負かし、また次の勢力が入ってきて、打ち負かして、今私たちが知っている日本とはどのようなものでしょうか?
 「日本?それは北海道から沖縄までが日本さ」と言うかもしれません。しかしこのような地図になったのは明治維新以後です。今、幕末ブームだと言われますが、戊辰戦争があり、薩・長が朝廷を擁護し幕府を倒したことにより、そして、函館戦争に勝利したことによって、蝦夷地が北海道となりました。また、廃藩置県の後に、うまいこと琉球を沖縄として抱き込んだのです。
 日本を今縛っているのは、どういう連中かと言うと、実は最初に入ってきた勢力が金の頭として息づいているはずです。現段階の支配とは、ちょうど実行部隊みたいなもので、金の頭から出る信号を受け取って、実行部隊として人々を踏みつけているような構図があるのです。

 しかし、そこに人の手によらない石が投げ込まれる時に、それらの支配を粉々にし、金の頭さえも粉々に砕かれるのです。そして小石はやがて全世界に満ちるのです、
 「イエス様はそのために、この地上に来てくださり、私たちもその働きをするために選ばれた」のです。次の聖書の御言葉を見ます。
 ダニエル書 2章42節〜44節、

その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。

 今世界の一番大きな問題は、お互いに混じらないことです。たくさんの民族があっても、お互いに仲良くすればいいのに、仲良くなれない現実があります。いろんな戦争や紛争が世界中に起こっていて、国連が一生懸命がんばっているけれど、なかなか混じらないのです。聖書が言っている通りです。でも、そんなただ中に、石が投げ込まれ、決して滅ぼされることがない国が出来るのです。かつての国々とは、ことごとく次の支配者によって滅ぼされたけれども、決して滅ぼされることのない国が拡大し続けるのです。それが「神の国」です。

 そして、私たちクリスチャンとは、神の国を拡げる者として選ばれた者たちです。神の国は、どのようにして知ることが出来るのかというと、
 マタイ 12章28節、

しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

 1992年にこの教会に、朝露のように主が訪れてくださいました。それで、霊的戦いが始まりました。それまで私たちは新城、また日本をそんな暗闇の力が支配しているなんて考えたこともありませんでした。しかし朝露のように突然、戦いが始まっていきました。今まで起こったことがないことで、ちょっとびっくりしました。それを受け入れることができなかったのです。だからその当時、この教会でもいろんなことがありました。
 でも、悪霊が追い出されるというのは、何を表しているかと言ったら、神の国が現れた証拠なのです。

 今日もみなさんに「リバイバル感謝報告書」を渡しますが、これは一方的な神様の恵みであると共に、兄弟姉妹が真剣にとりなし、戦ってくださった、勝利の記念誌でもあるのです。毎年毎年、みなさんが祈ってくださり、戦ってくださったその結果が、この一冊に込められています。それは神の国の拡大以外の、なにものでもありません。
 新城教会はなんで霊的戦いなんかするんですか?と時々言われることがありますが、実は霊的戦いとは、やってもやらなくてもいいものではなく、これは神の国の拡大そのものなのです。それは旧約時代から預言されていて、人手によらず朝露のように石が投げ込まれたら、決してしぼむことなく、どんどん大きくなるのです。最終的には、全土に満ちるまで拡大します、と語っているのです。
 すでに新城教会において、主が朝露のごとく、戦いを始められたならば、これは世代を超えて必ず継続されると、私は信じています。それは神の国の拡大そのものです。
 この働きは、日本を、いや、世界を歴史の始めから牛耳っている、巨大な像を打ち倒す働きであり、神の国を現す働きであります。

 そして、詩篇110篇では、そこで用いられるのが「若者たち」が用いられると預言されています。今日ここにも、若者たちが大勢います。若者たち、心してください。私もかつては若者でしたが、だいぶ歳をとりました。私の両親も、結構歳をとってきまして、先週は食事会があるから来いと言われましたので、何の食事会かと思ったら、両親の60周年の結婚記念パーティーでした。「60年もあんた達夫婦をやってんの?」って感じでした。私はあんまり記念日が好きではありません。何年でもいいじゃないか、というところがあります。だいたい60年と言うのは、輪廻との関わりがありますので、あまり強調しない方がいいと思いますが、いずれにしても60周年の結婚記念パーティーでした。しかし両親が若かった時代もあったわけです。
 そして、私が若かった時代、私に髪の毛があった時代もあったわけです。しかし今、若い人たちも、やがておじさんのようになるわけです。しかし、この働きは、世代を超えて受け継がれる働きです。
 詩篇110篇1節〜3節、

主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。

 イエス様は十字架で、すでに勝利を取ってくださっているのですが、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ」と語られています。もちろん根本的には勝利が取られているのですが、主が歴史を終えられるその日まで、まだまだ戦いは続いていきます。
 しかし、それは決して敗北の戦いではなく、勝利の戦いです。そして、主は戦いの日を決めておられるのです。
 1992年の7月9日、新城教会にとっての神の時でした。私はその事に関して「主が立ち上がられた日」という本に書きましたので、まだ読んだことのない方は是非読んで下さい。あの日は本当に、神が定めていた日でした。折しもそれは、1575年、7月9日、この地域で一番悲惨な事件が起こった記念日でした。それは設楽原の戦いです。一万数千人が数時間で死んだ日を、神は選んで私たちに霊的戦いを始めさせました。

 そのことについて全くわかりませんでした。後から私たちは気づきました。神様は戦いの日を決めておられ、戦いのために輝いて働く存在を用意しておられます。それは誰かと言うと、「若者たち」です。
 この頃の若者たちを見ていますと、なかなか話が合わん、と私は思います。考え方も違うし、感情の表し方も全然違うし、嬉しいんだか悲しいんだか、怒っているのか、本当にわけがわからない表情です。
 でも、私はあまり心配していません。新城教会の次の世代に対しても主は必ず朝露を用意しておられるからです。
 私も昔はひどいもんでした。「滝元順」と言えば、「冷たい」という代名詞みたいな男でした。しかし聖霊様に触れていただいて、本当に変わりました。人はそれを奇跡と呼びますが、奇跡ではありません。やはりそれは神が定めた日であったのです。今の若者たちにも、必ず、神の時が来るのです。突然、朝露のように主が訪れて、喜んで主に仕え、戦いを継続する日が来ます。

 1992年の7月9日に戦いが始まって、中学生や高校生のところに聖霊が注がれ、それまで寝坊だった子供たちが朝早くから教会に集まり、真剣にリバイバルのために祈り、とりなしに街に出て行った姿を、昨日のように覚えています。この国の若者たちのためにも、真剣に祈らなければならないと思っています。

 私は今回、ペルーに行ったんですが、やはり大変な環境があります。その場所が良くなるために何をしたらいいかと考えました。それはやはり、そこに住んでいる子供たちが立ち上がるしかないのです。大人はどうにもならないけれど、次の世代を担う子供たちが立ち上がったら国は変わります。
 私は2月にネパールに行きました。ネパールは本当に大変なところでした。ある山の上に行ったら、2年前までみんな真っ裸で過ごしていたそうです。子供たちはみんな裸足でした。ほとんど勉強もしてないような子供たちでした。村は本当に貧しく、国も貧しく、いくら貧しいと言ってもこれはないだろう、という状況でした。しかしその貧困の背後に、敵の力があることが分かりました。子供たちが朝露のように聖霊の力を受け、御言葉の剣を受けて悪魔に立ち向かったら、勝利できると主が語って下さいました。私は標高千メートル以上の少数民族の子供たちを集めて、彼らが剣を受け取るように祈ってあげました。前回もみなさんに写真を見せましたが、もう一回お見せしますが、これはネパールの山岳民族の子供たちです。


 朝早く集まってきた子供たちと、山を支配している悪霊の力が打ち破られるように、人手によらずに切り出された石が、この村をヒットするように祈りました。この祈りをして5分もしないうちに奇跡がおきました。


 なんと、この村の酋長であり、霊能者の男が下りてきてイエス様を信じたのです。そして自分が持っていた、魔法の杖を捨ててしまいました。その時、これは本当に重要な祈りだと示されました。

 今回私はペルーに行き、貧しい地域に行きました。その地域は特に子供が多いのです。今回いろんな方々が献金してくださったったので、100円ショップなんかに行って、いっぱいお菓子を買って持って行きました。「お菓子をあげるから集まって来い〜」と教会の屋根にスピーカーがあって知らせました。
 「みなさん〜、今、日本から変わった牧師が来ました〜、集まりましょう〜」と言うと、子供たちが集まってきて、「みんな一緒に祈ろう」と一緒に祈りに行きました。どこに行ったかと言うと、村の真ん中に今から何千年も前にできたピラミッドがあるので、そこに行きました。
 ピラミッドとは、エジプトだけのことではないのです。午後からそのことを話しますが、ピラミッドはペルーに多くあります。ピラミッドを作った民族は、次の民族に滅ぼされているのです。でも、先ほどのダニエル書を見たら、実はそいつが一番の金の頭です。だからみんなでその山に行って、戦いの祈りをしました。きっと神様が大いなる勝利を与えてくださると信じます。


 子供たちが大勢集まりました。この村が全部見える、煉瓦ブロックで作られたピラミッドです。
 創世記の11章にバベルの塔を作ったことが書かれています。どうやって作ったかというと、レンガで作ったのです。
 この地域には、一つの産業がありますが、それはレンガ工場です。村の人たちは一日の給料500円でレンガ工場で働いています。なんでレンガ工場かと言うと、数千年前から、そこでレンガが作られていたからです。それが現在までずっと続いているのです。始め、なんのためにレンガを作ったかと言うと、ピラミッドを作るためでした。一つのピラミッドを作るために、だいたい一億何千万個のレンガが必要だそうです。その上に登って、みんなで祈りました。


 彼らが主から頂いた剣を支配の根源に「突き刺しま〜す!」と祈りました。街に向けて勝利を宣言したのです。これは本当に素晴らしい祈りでした。


 特に子供たちの霊の目が開かれて、街のどこに剣を向けたらいいのか、ということを主から聞いて祈ってください、と言ったら、それぞれの方向に目がけて、神から与えられた剣を投げ込む祈りをしました。


 次回ここに行ったら、きっと街が変わっていると思います。2年半前に私がここで祈った時に手応えを感じましたけれども、やはり今回だいぶ変わっていて、村の道路の一部が舗装されていたりして、不自然ではありましたが変わっていました。「変わったな〜、昔の良さがなくなったな〜」というような感じもありました。きっとこの場所は変えられるに違いないと思います。

 日本も同じです。私たちクリスチャンは、敵の真ん中で治める者、と主が語られています。一人一人に主は御言葉の剣を与え、人手に寄らずに切り出された石、即ちイエス様が、みなさんと共におられて、神の国を拡大しようとされているのです。イエス様は既に神の右に座しておられ、完全勝利をとっておられます。
 「あなたの敵がわたしの足台となるまでは、その権威に属して戦い続けなさい」と言われています。新城教会は今まで、みなさんの愛と祈りによって支えられて来ましたが、さらに次のステップとして、敵のただ中で治める教会として、神の国を拡げることができたら幸いです。

 ある方は敵のただ中にいるかもしれません。しかし、私たちクリスチャンの働きは、敵の真ん中で治める者ですから、イエス・キリストを信じた者は、どんな環境の中に投げ込まれたとしても、始めはちっちゃな石かもしれないけど、それが大きくなって、なんと金の頭である古代に置かれた台座までも打ち破ることが出来る権威が与えられているのです。ですから、決して失望することなく「必ず戦いを始め、火蓋を切られた主は、完成させてくださる」と固い信仰を持って、主に仕えていきましょう。

 最後にみなさんと共に、十字架の血潮を仰いで、聖餐式を行いたいと思いますが、今日私たちは、敵の真ん中に投げ込まれた石のように、敵を治める者として、主が使命を与えておられることをもう一度確認し、聖餐式を行いたいと思います。一言お祈りをさせていただきたいと思います。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめます。イエス様がこの地上に来てくださったのは、敵の真ん中で治めるために来てくださったことを、心から感謝します。十字架と復活によって、完全なる父なる神の右に座し、完全な権威を受け取り、私たちにも託してくださっていることを、ありがとうございます。私たちを敵の真ん中で治める者として働かせてください。ある方は敵に攻め寄られ、苦しい立場かもしれませんが、あなたは敵の真ん中で治める方ですから、心から感謝します。この石がどんどん大きくなりますように。急速に大きくなりますように。そして、古代の礎さえも打ち破る働きをさせてください。新城教会に属しておられる全ての兄弟姉妹を祝福して下さい。教会に来ることができない方々もおられます。病の方々もおられます。いろんな問題を抱えている方々もいます。しかし、キリストの体の中で一人一人が重要ですから感謝します。それぞれの場所で、敵の真ん中で治めることができますように。
 主よ、どうかお一人お一人を支えてください。ペルーに住んでいたり、ブラジルに住んでいたり、アメリカに住んでいたり、どの国に住んでいたとしても、同じ体に属する者として、敵の真ん中で治める働きを与えてくださっていることを、心から感謝します。これはあなたの一番願っておられる働きですから、心から感謝します。これからも導いてくださいますように。
 また特に、今日は若者たちが朝露のように、新しい力を受けますように。そして、新しいことが起きますように。今からの聖餐式の時を祝福してください。イエス様の御名を通して、勝利を宣言して祈りをお捧げします。アーメン。


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