「主を喜び、感謝しよう」


2010.7.4(SUN)
新城教会牧師 滝元 順 師

詩篇 100篇1節〜5節
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。

 ハレルヤ!おはようございます。今日はみなさんと共に、礼拝を守ることができますことを心から感謝します。今も聖歌隊の素晴らしい賛美を聞くことができました。「数えてみよ、主の恵み」という賛美を聞きましたが、今日のメッセージは「主を喜び、感謝しよう」というタイトルです。
 新城教会の礼拝の特徴は、事前に打ち合わせがないことです。聖歌隊が何を歌うのか、開先生が何を選曲するのか、私がメッセージで何を語るのかは、日曜日の朝9時の時点まで何もわかりません。ある教会では礼拝のために全て台本を書いて、一から十まで全て牧師の語るメッセージのテーマにそって組み立て、リハーサルをするのですが、私はそういうのがあまり好きではありません。なぜなら、キリストの体の中で神が一人一人に語りかけるので、打ち合わせをしないのは無秩序のように見えても、そこに聖霊の秩序があるというか、一本筋が通るのが楽しみなのです。しっかり計画して礼拝を組み立てるのが悪いわけではないのですが、あまり打ち合わせをし過ぎると、神の御心を損ねる時がありますから、あえてあまり打ち合わせしないで、何を語るか、何を賛美するかは主が一人一人をどのように導かれるのか、キリストの体全体で、何を主は望んでおられるかを知ることが大事ではないかと思います。

 今日は主が教会全体に「感謝する」、また「主を喜ぶ」ことを願っておられるのではないかと思います。自分もこの御言葉をチョイスして良かったと感謝しています。聖歌隊の賛美や、その他いろいろな組合わせの後、「あっ、これで良かった」と気づく事が多いように思います。

 人間というのは、感謝の気持ちがないと関係がうまくいきません。先日も、父の日と母の日がありました。父の日は母の日に付け足した感じかもしれませんが、母の日は「お母さん、感謝します」という想いがこめられています。どこの国の言語も「ありがとう」という感謝の気持ちを表現する言葉を持っています。
 この間、私はペルーに行きました。先週フェルナンド先生も無事に帰ってきました。私はスペイン語ができませんが、「ありがとうございます」という「グラシアス」だけはよく知っています。「本当に感謝します」という時は「ムチョ」をつけて「ムチョ・グラシアス」と言えばいいのです。
 また、韓国に言ったら「カムサハムニダ」と言ったら「ありがとう」という気持ちが伝わります。「本当にありがとう」と言うのは「チョンマル・カムサハムニダ」と言えばいいのです。「チョンマル」と、ちょっと丸をつける感じですが、「本当に、たいへん」という意味になります。「おいしかった」と言うのは「マシッソッソヨ」で、「チョンマル」をつけると「チョンマル・マシッソッソヨ」と「たいへんおいしかった」となるのです。このような自分の人間関係に直接的に利害を及ぼすような言葉は、他の国に行ってもすぐに覚えるようにしています。
 ブラジルに行ったら「オブリガード」、アメリカだったら「サンキュー」と、いろいろ感謝を表す言葉があります。

 互いに感謝することは大切です。夫婦の間でも感謝を忘れてしまうと、うまく行きません。奥さんから何かしてもらったら、ご主人は「ありがとう」と言うべきです。私も言うように心がけていますが、時々感謝を忘れると、家内は何かを渡してくれる時、なかなか手を離してくれません。「なにかな〜」と思うと、それは「ありがとうを言え」というサインです。「あっ、ありがとう」というと、やっと手を離してくれます。
 「感謝」とは、神が人に与えてた感情です。ということは、神様に対しても感謝することが大切です。

 今日読んだ箇所にも「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」とありましたが、天地宇宙を創った神、私たちを創ってくださった神に感謝する思いを持つことは重要です。詩篇103篇にはこんな言葉があります。
 詩篇103篇1節〜5節、

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 この言葉は大変素晴らしい御言葉です。特に3節から後半を見ると「私たちの全ての罪を赦してくださる、病もいやしてくださる」、また「いのちを穴から贖い、恵みとあわれみとの冠をかぶらせてくだる」と約束されています。神はあなたの一生を良いもので満たしてくださるのです。しかしそのための条件として、前半にあるように「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。
 「数えてみなさい、主の恵み」と歌われましたが、人生を振り返ってみると「あの時も主が助けて下さった、あの時もイエス様助けてくれたな、あの時も・・・あの時も、あの時も…」と気づくのです。主がよくしてくださったことを忘れてはならなりません。
 悪いことは結構長いこと覚えているのですが、良くしてもらったことは案外忘れやすいものです。それではいけないですよね。

 案外、神の働きは振り返ると奇跡が見えるというものではないかと思います。渦中にある時にはあまりわからないのですが、振り返ると「あ〜、あの時は本当に助けてくださった、あの時は大変だったけれども、下に神様の手が守っていた」と後から気づくわけです。ですから、今の賛美にもあったように、「数えてみなさい、主の恵み」なのです。過去に大変なことを経験した方も、じっくりその事柄について考えてみると、「本当に大変だったけど、主が支えていてくださっていた」と、主の永遠の御手を見るわけです。
 振り返って、すべてを主に感謝することは大変重要です。新約聖書において、有名な御言葉ですが、みなさんでご一緒に読んでみたいと思います。
 第一テサロニケ5章16節〜18節、

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 今日、イエス様が私たちに望んでおられることは何でしょうか?それがここにあります。「いつも喜んでいなさい」、「絶えず祈りなさい」。これは確実に主が願っておられることです。
 毎日、主の喜びに満たされて生活してください。大変なことがあるから、あんまり喜べない、という人もおられるかもしれませんが、大変なことよりも感謝を数えてみると喜びが湧いてくるものです。
 また、「絶えず祈りなさい」とあります。大変なことに関して、不平、不満を言うのではなく、それを祈りの課題とすることです。そうするなら、それらは喜びに変えられます。
 そして、「全てのことについて感謝しなさい」とあります。時にはあまり感謝できないこともあるかもしれませんが、振り返ったら、本当に全てのことが感謝に変えられていた、というのがクリスチャン生活の素晴らしさです。それがクリスチャンの結果であると思います。これらのことをイエス様は、いつも私たちに対して願っておられるのです。
 今週の生活の中で、今日のメッセージを忘れても、「喜ぶ」こと、「祈る」こと、「感謝する」ことを忘れないで下さい。
 私も今年で59歳になります。59年間のことを考えると「感謝だな〜、あの時もいろんなことがあったけれど、神様が助けてくれた、イエス様が助けてくれた」と本当に心から感謝しています。

 まず第一に私たちが感謝しなければいけないことは、やはり「救われたこと」です。日本ではクリスチャンは少ないですが、救われて礼拝に集うことができていることを、心から感謝しなければなりません。
 イエス・キリストを信じるならば、永遠の命を持つのです。すでに永遠の住まいがしっかりと決まっていますから、死を怖がることはないのです。日本には、なかなか救われにくい環境があります。クリスチャンになるハードルが高いのです。しかし、そんな中にあっても、救われてここに集っていることを、心から感謝しなければなりません。

 新約聖書の中で一番活躍した人物は誰かというと、やはりイエス様です。しかし、その次に活躍した人は、パウロという人物であったと思います。彼はどういう人物であったかと言うと、なんと、彼は最初クリスチャン迫害の旗手でした。クリスチャンをしょっぴいて牢屋にぶち込むことが彼のライフワークでした。
 しかしそんなただ中で、彼は瞬間的にイエスを主と告白し救われたのです。そんな出来事が起こりました。使徒の働き9章の1節から5節までを読んでみますと、その様子が記されています。パウロ、その別名サウロと言いますが、
 使徒の働き 9章1節〜5節、

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 これはイエス様が天に帰られた後の出来事です。その後、爆発的リバイバルと共に教会は拡大していきました。しかしそんな時、このサウロという男はクリスチャンを撲滅しなければならないという意に燃え、大祭司から許可証をもらい、クリスチャン迫害のために全国を走り回っていたのです。
 ある時、多くのクリスチャンがいるという情報を受け、許可証を持ってダマスコという街に行く途中、一つの事件が起こりました。それは突然、天からまばゆい光が彼の所に閃いて、あまりにも強い光の為に彼は立っていることが出来ず、倒れてしまったのです。周りの人たちに、そのことはわかりませんでしたが、彼にははっきりとわかりました。
 その時、彼は神の声を聞きました。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という言葉でした。すぐにサウロは「あなたは誰ですか?」と聞くと、「おまえが迫害しているイエスだ」と、よみがえり天に帰られたイエス様がサウロに直接声をかけられたのです。それで彼は救われたのです。

 みなさん、神様はこういうことが出来るお方であると、信じなければなりません。ある方は迫害のただ中にあるかもしれません。しかし、そんな中でも、迫害の親玉みたいな人物も、瞬間的に光によって打ち倒し、ご自分を明らかに出来るお方であると、知らなければなりません。
 しかし、私たちにも同じ事が起こったのです。クリスチャンになる前は、イエス様のことがわからなかったけど、ある日突然、イエス様が主であるとわかったというのは、サウロの体験と同じです。ゆえに救われて今があります。
 まず私たちは光なる方、イエス・キリストに出会ったことを心から感謝しなければなりません。パウロのような劇的な改心はなかったかもしれませんが、今イエス・キリストを信じているのは、パウロと同じことが人生に起こったからです。それを心から主に感謝しなければならないのです。

 「救われる」とはどういうことなのか、それが使徒の働き26章17節〜18節に書かれています。

わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。

 サウロのところに激しい光が射し、地に倒されたことが何を意味するのでしょうか。迫害の旗手として働いていた時代のサウロは、「サタンの支配」にあったということです。しかし、光なる方と出会って、神の支配に移されたのです。

 日本はクリスチャンが少ないとは言いますけれども、信教の自由が保証され、伝道することもでき、自由にイエス・キリストを信じることができることを、心から感謝しなければなりません。
 先ほどもみなさんと共に祈りましたが、今日、7月4日は、この地域で「設楽原の決戦場祭り」が行われています。本当に複雑な思いがします。この祭りはそんなに昔からあったのではなくて、十数年前から始まりました。私は、「設楽原決戦場祭り」は、やるべきではないと思います。祭りには中学校も小学校の生徒達も動員されています。鎧かぶとなんかを作って、当時の兵隊と同じ格好をして、お互いに殺し合いの真似をするのです。子供達は互いに「今回は死ぬ係だ」とか言っています。鉄砲で打たれて死ぬのを再現するのです。それが死んだ人々に対する慰霊などと、馬鹿なことを言っています。今朝も市長を始め、多くの議員が集まって慰霊祭が行われたそうです。

 実は8月になると豊川でも慰霊祭があります。それは豊川海軍工匠で二千数百人が一瞬にしてなくなったことに対する慰霊祭です。そのことに関して、もしも豊川の小中学生たちが動員され、一方はアメリカ軍の爆弾を落とす係になり、一方では工場で働いている工員達になって、爆弾を落とす真似と、一方では死んで行く様子を真似したら、みんな何を言うでしょうか。「何やってんだ、馬鹿なことをするな!!」と言われると思います。
 また、広島で学生達が動員されて、原爆を落とす側と、落とされて死んでいく様子を表現したらどうでしょうか?みんな「馬鹿なことをやるな」と非難されるんじゃないでしょうか。
 でも、400年くらい経つと、そういうことをやっても別に何も言わないというのはおかしいのです。戦争が殺人であることは同じです。人殺しの真似することは慎まなければいけないのです。しかし日本人はそういうことをあまり深く考えないところがあります。

 設楽原の戦いが行われたことによって、この場で16,000人位の人々が死にました。それ以後、日本の歴史は大きく変わりました。
 織田信長と徳川家康が連合して、武田勝頼の騎馬隊と激突しました。武田方は、騎馬隊の精鋭部隊であり、当時、破竹の勢いだったのです。しかし彼らが鉄砲によって負けました。その結果、どういうことが起こったのかと言うと、時代は織田信長、豊臣秀吉と進み、ついには徳川家康が天下を取りました。やがて時代は徳川時代になったわけです。
 徳川時代になって何が起こったのかと言うと、キリスト教は全面的に禁止され、クリスチャンを根絶やしにする政策がとられました。今でも寺の檀家制度なんてものがありますが、それはキリスト教を撲滅するために江戸時代につくられた制度です。「檀家制度」とか「五人組制度」というものが作られ、クリスチャン撲滅のために用いられました。
 それがいつ始まったかと言うと、1614年のことでした。そして、それが解除されたのはいつかと言うと、実はそんなに昔のことではありません。明治6年、1873年のことでした。実に、262年の間、日本ではキリスト教を完全に締め出す政策が続けられたのです。そのきっかけとなった戦いが、結果的に、設楽原の戦いだったのです。
 262年間、もちろんその時代のキリスト教はカトリックでしたが、キリスト教を信じたら殺す、クリスチャンを見つけたら賞金が出るという高札が全ての町々・村々に立てられていました。
 それによって日本人の深いところに、「キリスト教だけはやめよう」という意識が根付きました。その後、キリスト教が自由になったように見えますが、その時はカトリックだろうが、プロテスタントであろうと、十字架がつくものは全て拒否する体質に変わってしまったのです。
 ということは、設楽原の戦いは、歴史的に霊的に大きな意味合いがあったのです。

 私たちが、この時代に生まれクリスチャンになったのは、本当に感謝ではないでしょうか。今から百数十年前にクリスチャンになったら、命がけでした。しかし今は自由に自分がクリスチャンであることを言うことができます。こういう時代にクリスチャンになれたことを感謝しなければなりません。
 また、日本において、命がけで救いを宣べ伝え、信仰を保ってきた人たちが大勢いたわけです。太平洋戦争の時も、大勢のクリスチャンが迫害にあいました。今私たちがクリスチャンになって主を賛美できるのは、心から感謝しなければならないし、この時期にこそ、やらなければならない使命があるはずです。ただ自分の人生だけでなく、私たちは将来も見据えて、主の前に仕えていかなければならないことがわかります。
 この日本にも、大きな暗闇が押し寄せた時期がありました。しかし、イエス・キリストを信じない時期というのは、いずれの時代も悪魔の支配下にあると聖書は告げています。
 しかしパウロと同じように光に出会って、私たちは救われました。暗闇から光に変えられた事を心から感謝しなければなりません。

 けれども、私たちは光を知るのですが、同時に、暗闇がなんであるかについても、はっきりと知る必要があります。光を知ることは最も重要ですが、同時に暗闇が何か特定されることも重要です。
 そもそも神が天地宇宙を作り、また、この地球を創った時、最初に何をされたでしょうか。
 創世記1章3節〜4節、

神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。

 まず神は光を創られました。しかし神がこの地球上で最初にされた作業は、「光と闇の区別」でした。私たちが感謝しなければならないのは、「光と闇の区別」ができるようになった事です。
 実はパウロという人物は、光と出会ってクリスチャンになりました。そして、聖霊の力を受けて、彼は福音の旗手として多くの人々に、迫害をものともせずに福音を宣べ伝え、華々しい主の業を見ることができたのです。

 そんな彼の生涯の中で、一番大きな出来事は何であったかは、本人に聞いてみなければわかりませんが、聖書を読んだところによると、使徒の働き19章のところに、パウロがエペソという町に行ったことが書かれています。そこで大きなリバイバルが起こりました。使徒の働きの19章を読んでいただきますと、町にリバイバルが起きて、町全体が揺り動かされ人々が救われた様子を知ることが出来ます。その箇所から、リバイバルの条件を学ぶことができます。

 それがどこから始まったかと言うと、エペソ教会にパウロたちが訪問して、一つの質問から始まりました。「あなた方は、信じた時に聖霊を受けましたか?」という問いかけでした。
 「私たちはイエス様のことは知っているけど、聖霊のことは知りません」と彼らは答えました。パウロはたった12人の人たちに手を置いて祈ったら、なんと聖霊が注がれたのです。
 「聖霊が注がれた」それがきっかけで町に大リバイバルが起こりました。病は癒され、悪霊は追い出され、魔術の中にいた人たちが、自分の罪が示され、魔術から離れ、町に大きな喜びが起こったと記されています。

 このことが日本にも起きるようにと祈っています。いくらクリスチャンが少なくてもいいのです。この時はたったの12人の小グループに聖霊が注がれ、大きなリバイバルの津波となって全地に拡がっていったのです。私たちの町にもそんなことが起こってほしいと思います。
 しかし、リバイバルが起こった時、何が起こったかと言うと、実はその結果は「迫害」だったのです。
 使徒の働き 19章26節〜29節、

ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。

 なぜなら、このエペソには「アルテミス神殿」という、大きな神社みたいな場所がありました。しかし町中がリバイバルになったものだから、その神殿に行く人がいなくなったのです。すると、その大神殿の周りで仕事をしていた、特に、アルテミス神殿の模型を作って売っていた人たちが騒ぎ出して、大騒動になったのです。すると群集心理と言いますか、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ!」と叫ぶ大騒動が起こっり、パウロと同行者たちは迫害を受けて、危うく命を落としそうになりました。

 リバイバルとは、ある意味、こういう結果が起こってくるのかもしれません。例えば三重県に伊勢という町がありますが、伊勢にリバイバルが起こったらどうでしょうか。伊勢神宮に人々が行かなくなったら、「おかげ横丁」にも人々は行かなくなるでしょう。そうしたら、あの横丁近所の人たちは怒ると思います。
 「なんで客が来ないんだ?」、「この頃、教会が盛んになってみんな教会に行くようになって、伊勢神宮は偶像だと言っているからだ。」と聞いたら、相当商店街の人々は怒ると思います。新城でもリバイバルが起こったら、似たようなことが起こるかもしれません。

 パウロはエペソですごい神の業を体験したのですが、一方では、たいへんがっかりしたこともありました。なぜなら、大迫害が起こったからです。彼は命からがら、そこから抜け出すことが出来ました。
 けれども、パウロは元々、迫害者でしたから、迫害する者たちの心理もよくわかっていたと思います。迫害する側の心理がわかっていましたから、迫害されても、案外耐えることができたのかも知れません。みなさんの中でも、「私はクリスチャンになる前に、クリスチャンを迫害していた」という人がいるならば、クリスチャンに文句を言う心理も解るし、またクリスチャンになってから、「このように言われてもしょうがないかな」と理解できる面もあるのではないでしょうか。
 パウロも案外そういうところがあったと思うのです。

 パウロはやがてローマに行き、ローマで捕まえられ、牢屋に入れられました。少し時間があって神の前に祈っている時、その大迫害がどのような理由なのかはっきりしたのです。エペソ人への手紙6章を見ますと、彼がエペソの教会に宛てて書いた手紙の最後に高らかに記した部分があります。6章10節から見ると、こうなっています。
 エペソ人への手紙 6章10節〜12節、

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 彼はエペソに行って大騒動が起こった時は、あまり区別されていなかったと思うのですが、後になってはっきりとわかったことがあったのです。それは「エペソでの騒動はただの騒動ではなかった」と言うことでした。
 彼は迫害について、自分も誰かを迫害したから、迫害する側の心理もわかるという人間的理由で迫害を解釈していたのかもしれません。しかし、ローマにおいて一つのことがわかったのです。「あれはただの迫害ではなかった」と。それは霊的な戦いであり、それも「主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊との戦い」という、「組織的な町全体を支配している悪霊との戦い」ということに気づかされ、区別できたのではないでしょうか。
 組織的な悪霊との戦いが理解出来たのは、ある意味、彼の晩年ではないかと思われます。エペソ人への手紙を書いたのは、ローマにおいて紀元62年頃だと言われますが、彼は60年代に死んだと言われますから、晩年になって気づかされたことになります。
 光と闇がしっかりと区別されることは、本当に重要であるとここから教えられます。

 実はこの7月に一番感謝することは、今語っていることなのです。1992年というのは、新城教会にとって「光と闇がはっきりと区別された年」でした。それから数えて、今年で満18年になります。今度は19年目に入ります。本当にそのことを振り返る時、主が18年間を守ってくださった、それを思うと感謝に耐えません。

 あの1992年というのは、日本の教会がリバイバルの為に心を一つにして立ち上がった年でもありました。1993年に「甲子園リバイバルミッション」が行われ、そのためにみんなが日本のリバイバルの為に祈り始めたのが1991年、92年のことでした。その頃から、この教会に集っておられる方はわかるかと思いますが、あの頃は日本全体にリバイバルに対する、飢え渇きとうねりがあったことを覚えています。
 そんなただ中で、1992年の2月のことでしたが、私たちのところに聖霊様が激しく訪れてくださいました。いつも話すのですが、2月13日の夜中の11時くらいだったかと思いますが、愛知県民の森で祈っている時に、その時はたったの8人でした。私を含めて8人だけだったのですが、激しく聖霊様が訪れました。そして、聖霊様の働きがこの教会にどっと拡がっていきました。1992年2月からこの7月にかけては、本当に様々なことがこの教会の中に起こりました。
 そして特に、7月にさらに大きなことが起こりました。それが何かというと、地域を支配している悪霊との戦いが突然、新城教会に起こされたことです。その事柄に関して、私は「主が立ち上がられた日」という本に書きましたので、是非とも、新城教会に属する兄弟姉妹は読んでいただきたいと思います。
 今その本が感謝なことに、英語と韓国語に翻訳され、他の国々でも読まれるようになりました。本当にあの時のことを振り返ると、よくぞあの時、主が助けてくださったと思います。

 1992年は2月に聖霊が注がれてから、特に若い人たちに聖霊様が強く臨んで、真剣に主を求めるようになった年でもありました。毎晩のように若者たちが自主的に集まり、主を求め、聖霊様を求めて祈祷会が続けられました。
 特に1992年の7月でしたか、「ハートフルサパー」という伝道会が計画され、豊川の河川敷にステージを組み伝道会が行われました。その準備のために青年たちが一生懸命働きました。今でもハートフルサパーとかザ・コールとか、青年たちの働きは活発ですが、1992年は特に働きが盛り上がりました。それもただの準備ではなく、祈りによって準備しようと、ハートフルサパーの3ヶ月くらい前から、河川敷にテントを張って交代で連日、徹夜祈祷のようなものをしました。それは私よりももっと若い世代の兄弟姉妹が中心でした。私もそれをほっておけないので、祈祷会に行って一緒に祈りました。すると河川敷での祈祷会に、激しく聖霊様が訪れたことを覚えています。
 同時に現実的ないろんな準備も進められていったのですが、その時に青年たちが掲げた参加人数目標は、なんと「1000人動員」でした。1000人を招いて伝道会をやる、それも全員にバーベキューを食べさせるという企画でした。よくぞそんな無茶なことを考えたと思います。7月のど暑い季節に、食中毒のことなどあまり考えずによくやったもんだと思います。1000人でバーベキューと言ったら、牛何頭分の肉がいるのかわかりません。そんな無茶なことを青年たちがビジョンを持って企画したのです。しかし彼らは真剣に祈って準備したのです。でも、1000人を集めるのは容易ではありませんでした。
 期日の一週間くらい前に「動員数はどのくらい?」と聞くと「300人くらいかな〜」と言っていました。私はいくら考えても、300人以上は集まらないと思っていました。当時の新城教会の実力はそんなものでした。

 しかしある夜、祈祷会のただ中で主が一つのことを語られました。人々が教会に来ない理由について教えてくれました。それが何かと言うと、人々の上に覆いがかかっていて、覆いがあるがゆえに光が届かないというものでした。「覆いが取られ、敵の力が打ち砕かれるように祈りなさい」と語られたのです。
 その夜、大会を前にしてみんなで天が開かれるように祈りました。天が開かれ、人々がハートフルサパーに来るように、組織的な悪霊の力が打ち砕かれるように祈りました。「覆いが取られますように、敵の力が打ち破られますように」と、激しく戦って主に祈ったのです。その夜、天が開けたような気がしました。

 さて当日、どのくらいの人数が集まったのかと言うと「1000人以上」が集まったのです。その時の写真を昨日見つけたので、みなさんにお見せしたいと思います。

 この写真を見てください。これは預言的な写真だと思いませんか。あの時、青年たちが河川敷に教会を引っ張って行ってしまったのです。教会を持っていったのです。すごいでしょう。なんと、新城教会と同じセットを作ったのです。そして、川のほとりでバーベキュー集会をやったのです。これは、本当に預言的な写真だと思います。やがてこういう日が来ます。やがて新城にリバイバルが起きますと、主が語って下さっているかのようです。教会の入り口に人々が押し寄せ、命の水を求めて人々がやってくるのです。1992年に、主が預言的に教えてくださったのではないかと思います。これも打ち合わせなしで起こった事です。ただ、青年たちがバックのセットに何を作ろうかと考えて「教会を作ろう!」と思いついたのです。
 しかしその中に、神の大きな摂理があったのだと思います。なんと1000人以上が集まったのです。しかしその前に、天が開かれるように、覆いが取られるようにという激しい戦いの祈りがあったのです。


 もう一枚写真は、十字架の元に人々が集まっています。バーベキューの肉を焼くのが追いつかないくらいでした。この町に、やがて主がなしてくださる業を預言的に現している写真だ思いませんか?イエス様に期待します。イエス様忘れないでね、と大きな拍手を捧げようではありませんか。ハレルヤ〜!!
 必ずその日が来ます。その時にはまた次の世代が用いられます。あの頃我々は若かったです。ちょっと見てください。

 これは2組の合同結婚式ではありません。2組の牧師が誕生した時の写真です。若いですね〜。信先生はこんな眼鏡をかけていたんですね。次にもおもしろい写真がありました。

 誰ですか?これは。彼女らは、今はいいお母さんになっています。この写真では後ろの花よりも美しいじゃないですか。どなたかご存知でしょうか?今とこの写真はどのくらい違うんでしょうか?でも、みんな変わってないですね。今でもこの方々はこの教会で力強く生きています。そして本当に燃えて主に仕えています。この世代に聖霊様が訪れて、主の業がこの町に拡がることを預言的に示してくださったのです。
 みなさん、このことをもう一度覚えて、7月は感謝しなければならないのです。そして、主に期待するのです。必ずちょっとしたサンプルが出て、それから本物が出ますから、やがて本物が出てくるに違いないと思います。写真と同じようなことが、教会に行われることを信じなければならないと思います。

 光と闇の区別ができ、地域を支配する敵に立ち向かうことについて知らされて感謝です。
 ある意味で、パウロもその点についてはっきりと理解できたのは、私の考えでは、彼の晩年ではなかったかと思います。
 エペソのリバイバルのただ中で、重要な闇についての情報がなかったがゆえに、あのような大きな迫害にあったのかもしれません。初めからそのことを知っていたら、状況も変わったのではないかと思います。

 ある意味で、私たちの教会も使徒の働きの19章と同じようなプロセスを経たような気がします。まず2月に聖霊が注がれて、その後、個人的な解放と霊的戦いが始まり、迫害が起こりました。
 しかしそのことを通して、地域的な霊的戦いについて理解出来ました。光と闇の区別がはっきりしたのです。

 日本の教会は本当に一生懸命がんばっています。どこに行っても、さぼっている教会はありません。本当に真剣です。私たちは現在、東北でリバイバルミッションを計画中です。私は今週、東北リバイバルミッションの準備のために、宮城と福島に出かけていきます。東北の教会の礼拝出席人数の平均は、12名位だそうです。教会は40年、50年とがんばっていますが、集まる人数は12人くらいだそうです。なんで魂が育たないのかということです。人々が救われないのでしょうか。
 昨日私は、この地域で興味深い場所をみつけました。

 これは田んぼの写真です。同じ田んぼの中でも、ある一画に植えられた稲が全く育っていないのです。耕地整理で土も入れ替え、均質な田んぼを作ったにもかかわらず、一方はよく育つけれど、ある一画だけ、全く育っていないのです。この写真は教会の近くの田んぼです。
 この地域のおじちゃんに話を聞きました。「なんでここは育たないんですかね?」と。実は、ここにはかつて祠と石仏があったそうです。しかし耕地整理の時、全てをある寺に納め、田んぼにしたそうです。田んぼは土壌改良がなされ、同じ土が均等に入っているのに稲が育たないのです。それで地域の人たちは怖がっているそうです。「石仏があった場所だけ稲が育たないは祟りだ。石仏をちゃんと拝まないと」と。
 もちろん、育たないのには色々理由があると思われます。でも、これも預言的な写真ではないでしょうか。偶像礼拝が強くなされたところに祝福はない、と言うことを表しているかのようです。
 実は日本は偶像礼拝がなされているゆえに、人々が救われない、闇があっても闇があることすらわからないのです。教会も同じです。偶像礼拝がなされている中でいくら伝道しても、人々は育たないのです。でも、その光と闇の区別がしっかりなされる時に勝利がくるのです。光と闇の区別がなされたことに関して、私たちは心から主をあがめ、感謝しなければならないのです。

 第二歴代誌20章にヨシャパテという王様が出てきます。ヨシャパテ王様はユダの王でしたが、ある日、モアブ人とアモン人が、ヨシャパテと戦うために攻めてきたと記録されています。
 第二歴代誌20章1節〜3節、

この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。そこで、人々は来て、ヨシャパテに告げて言った。「海の向こうのアラムからおびただしい大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツァツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。」ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。

 モアブ人、アモン人、その大群がヨシャパテ王様に向かって攻めてきたというのです。「海の向こう」と言いますが、この海は死海の事です。イスラエルに行きますと最も低いところにある塩の湖ですが、その向こうから攻めてきたというのです。
 このモアブ人、アモン人というのは、今のヨルダン方面の人たちです。ヨルダンの首都をアンマンというのですが、それはアモン人を指す言葉です。その地域に住んでいた民族が大挙してイスラエルに攻めてきたのです。エンゲディとは、死海を渡ってすぐにある街です。ユダの領地のすぐ側まで来たのです。もう絶対絶命。不意打ちをくらい、ヨシャパテ王とユダは危機一髪でした。彼らは恐れに打ち負かされ、どうしていいのかわからなくなりました。

 時々、突如起こる問題に打ち負かされるようなことがあります。ちょうどヨシャパテも同じような中にありました。まともに戦ったって、絶対勝てない状況でした。その時、王様は主の前に出て祈りました。また彼は民と相談して、一つのこと決断しました。
 第二歴代誌 20章21節〜22節、

それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。

 絶対絶命の時に、彼らが出した結論は、「賛美する者たちを軍隊の先頭に置いて、心から主を賛美する、感謝する」という戦法でした。普通から言ったら、「何を馬鹿なことを。血迷ったのか」という感じです。
 でも、かつてイスラエルでこの事がなされました。絶体絶命の中で、最前線に感謝と賛美をおいて戦いに出て行きました。
 その時、不思議なことが起きました。何が起こったのかと言ったら、主が伏兵を設けられました。伏兵というのは隠された兵隊です。たぶんそれは天の軍勢であったと思われますが、天の大軍勢が出て行き、現実の敵を粉々に打ち破ったのです。

 前線に出て行ったら、そのモアブ人、アモン人たちの死体が山ほど転がっていました。彼らから略奪するだけで3日間かかったと記されているほどです。なんと戦いはヨシャパテ王側の大勝利に終わりました。
 私たちが主を心から喜んで感謝する、賛美することは力です。イスラエルに起こった歴史的事件から、主が私たちに教えています。

 みなさん、今週は今まで主が支えてくださったことを、心から喜び感謝する週にしましょう。主は伏兵を設けて、日本を変えてくださいます。それと共に、私たちが抱えている問題も、主が先頭に立って打ち負かしてくださり、勝利させてくださると信じます。今日はこの事柄を聖書から学んでいきたいと思います。そしてただ学ぶだけでなく、心から主を喜び、感謝する一週間でありたいと願います。

 7月9日、この地域で霊的戦いが始められました。しかし私たちは霊的戦いが始まった日とか、時間は気にしてなかったのですが、2、3年経ってから気づかされました。
 設楽原の戦いが起こったのは、1575年5月21日です。しかし、2、3年後気づいたことは、5月21日というのは旧暦であって、今の新暦に直すと、なんと「7月9日」だったのです。霊的戦いが始まったのが7月9日の「朝6時」から始まったのですが、なんと、設楽原の戦いも「7月9日朝6時」から始まりました。後からそれに気づいて、なんだか鳥肌が立つような思いでした。
 この地に侵入した死の力を打ち負かすために、また、この地を回復するために、なんと日にちも時間も含めて、主がこの教会で霊的戦いを始めてくださったのです。
 そのことに気づかされ、本当に後になって心から主を誉めたたえました。聖霊によって始まったことは、必ず聖霊によって決着がつきますから、必ず、主はこの地で大いなるリバイバルを起こしてくださると私は堅く信じています。
 そして主は、今年は何かを成したいと願っておられるのではないかと、胸をわくわくさせています。

 今週で、19年目に入ります。もう一度振り返って、私たちは心からの感謝と喜び、賛美を主に捧げ、新しい年に向かって戦いを進めて行きたいと願っています。
 最後に一言お祈りさせていただいて、今朝のメッセージにかえさせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。本当にあなたは素晴らしいお方です。心から感謝いたします。私たちはあなたを今、心から感謝し、賛美しつつ、主の門に、大庭に入っていきます。あなたの御名を誉めたたえます。あなたが新城で始めてくださった業は、聖霊によって始めてくださいましたから、必ず聖霊によって決着をつけてくだると信じます。この地に大いなるリバイバルを起こしてくださると信じます。
 どうかあなたに対する感謝を忘れることがないように。私たちが救われ、今ここにいることを心から感謝します。また、光と闇の区別もつけてくださったことを、感謝します。主よ、今週は、感謝と賛美に溢れる週とさせてくださいますように。何よりもイエス様、私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださったことを感謝します。そのことを心から感謝して、今から聖餐式を行います。今からの聖餐のひとときを祝福してください。
 このパンとジュースがあなたの体であり、血であると、御言葉が語っているように、今、御言葉と聖霊によって聖餐式を行います。今日は心からの感謝の祈りと共に聖餐式を行います。主が伏兵を設けて、主の勝利をこの地に拡大してくださいますように。イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。


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