「勝利を勝ち取るまで」


2010.7.11(SUN)
新城教会牧師 岡本信弘 師

第一テモテへの手紙 6章12節〜14節
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

ハレルヤ! 主の御名を心から賛美します。皆さんのお祈りに支えられてこの場所に立ち、御言葉を語ることができることを心から感謝します。うっとうしい梅雨が続いていますが、皆さんお変わりございませんでしょうか。
私は久しぶりに礼拝でメッセージさせていただくのですが、今朝、ある姉妹が「先生のために一週間祈ってきたよ」と言ってくださいました。そういった方の祈りがあってこそ、ここに上がらせていただくことができることを思い、心から感謝しています。
今日、何を語ろうかと祈り備えている時に、こ7月という特別な月に、もう一度私たち一人ひとりが、リバイバルのために一丸となって戦闘態勢を整える、そのような時ではないかということを神さまから教えられ、このテモテ第一の手紙6章から「勝利を勝ち取るまで」というテーマでお話しをしたいと思います。
先週、順先生がお話をされたように、この7月は、18年前の1992年に霊的戦いが突如として起きたという、特別な月でもあります。このことは、私にとっても忘れることのできない大きな出来事のひとつです。
この中には、「この教会は、何で戦い、戦いと言うのか」と思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。また、「霊的戦いというのは、私は好きじゃない」と思われている方もいるかもしれません。
1992年には、この会堂の隣に教育館ができた年です。その時には、私も建設委員の一人として準備をさせていただきました。それまでは、今プレイズ出版が建っているところにプレイズハウスと呼ばれる場所があって、そこで食事をしたり、交わりをしたりしていましたが、人数が増え、狭くなったので、建設計画が持ち上がっていたのです。教育館が出来上がり、さあこれからこの場所を用いてどのように伝道をしていこうかと期待していた矢先、この霊的戦いが起こったのです。
また、この年は、1993年11月に開かれた全日本リバイバル甲子園ミッションの準備のために、とても忙しい年でした。私は、今でこそ印刷をまったくしていないのですが、プレイズ出版を始めた頃は、朝から晩まで印刷をしていた時がありました。甲子園ミッションを行うに当たって、財務を任された私は、甲子園ミッションの事務所ができて以来、夜中に帰ってきて印刷をして、朝、また出かけていくという、週に何度か西宮と新城を往復するような生活をしていました。それは、プレイズ出版が始まって3年目ぐらいの時でしたが、若かったからこそできたことだと思います。
甲子園の財務、教育館の借り入れ、プレイズ出版のこと、いっぱいいっぱいの状態の中で霊的戦いが起こり、数々の問題が起こり、多くの人が教会から離れていきました。その頃、新城教会に集っておられた方は、今は百人もいらっしゃらないのではないでしょうか。
300人以上いた礼拝出席者が私の記憶では約半分の168人まだ落ち込み、「これからどうなるのだろう」、「返済は大丈夫だろうか」と、とても心配しました。しかし、そんな苦しいところを乗り越え、多くの方が加えられ、今は350人以上の方とともに礼拝を守れることは、本当に主の恵みだと思っています。
1992年、1993年の2年間で、10年ぐらい年をとったのではないかと思いますが、一方では貴重な人生経験をさせていただいたと感謝しています。明先生が時々、「僕があの甲子園に引っ張ったために、いろいろ大変だったからな。だから髪が薄くなったのかな」と笑いながら言いますが、「いや〜、そんなことはないですよ」と言いながら「いや、そうかもしれないな」と思ったりもします・・・(笑)。
この教会にとって、大きな試練の時でした。親しくしていた多くのクリスチャンが教会を去り、教団から離れ、何に信頼していいのか、何が正しいのかわからなくなったりしたような時でありました。しかしそんな時に、私たちがその問題の中で教えられたことは、信じられるのはイエスさまのみであり、神さまの御言葉のみが私たちの支えだということです。
誰しもが争いを避けたいと思っていると思います。私もそうです。しかし、どうしても戦わなくてはならないとなったら、誰も、敗北したい、敗北してもいいと思っている人はいないと思います。

一ヶ月くらい前からサッカーのワールドカップが行われています。日本人の中には、ワールドカップはもうすべて終わったと思っている方がいるらしいのですが、実は、決勝戦は明日の朝3時半から行われます。日本チームの試合が終わったらもう興味がなくなって、明日どこのチームが対戦するかもご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、オランダとスペインが決勝で戦います。私もどっちが勝つのかな、と興味があります。
ところで、皆さんご存知ですか? 私もそんなにサッカーにすごく興味があるわけではありませんし、皆さんもワールドカップといっても興味のない方が大勢いらっしゃるでしょう。しかし、あるニュースを見た時、サッカーのワールドカップは、皆さん誰もが興味を持っている、あの4年に一度のオリンピックよりも、圧倒的に多くの人が見ており、参加している国も、比べものにならないほど多いそうです。そして、それに付随する経済効果も、相当なものだそうです。私はそれを聞いて、びっくりしました。
日本人なら誰もが「日本が勝ってほしい」と応援しますが、スポーツは、勝つ時も負ける時もありますね。しかし、「絶対に負けられない戦いがそこにある」という今回のワールドカップのキャッチコピーには、「なんとしても一次予選を突破する」、「ここで活躍しなかったら後がない」という意気込みが感じられます。戦う人は、常に負けることは考えず、死力を尽くします。
私たちのクリスチャン生活にも、絶対に負けられない戦いがそこにあります。しかし、この信仰の戦いというのは、聖書の御言葉に『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(エペソ人への手紙 6章12節)と書かれているように、私たちの戦いは、目に見える戦いだけではないということを是非覚えてください。

皆さんはクリスチャンになって何年になられたでしょうか。私は、早40年以上たっていますが、5年、10年、20年、いろいろな方がいらっしゃいます。皆さんに覚えていていただきたいのは、クリスチャンになった時から、皆さんがこの地上を去るその日まで、この信仰の戦いはずっと続くということです。そしてもう一つ、知っていていただきたいのは、この新城教会に集われている皆さんは、特権として、受け取るか受け取らないかは別として、全員が霊的戦いの勇士となって戦うために選ばれているということです。霊的戦いは、牧師やスタッフだけに委ねられたものではなく、ここにいる皆さん一人ひとりが戦いの勇士であり、精鋭として集められているということを是非覚えていただきたいのです。
私たちは霊的戦いの中で、地域のためにとりなし、祈っています。かつて日本はアジアを侵略し、国々を征服して、一時は多くの領土を持ちました。今の日本は偶像に満ちており、サタンが支配し、占領し、99%をサタンが手中に収めていると言っても過言ではないのではないでしょうか。そんな現状の中で皆さんがクリスチャンになり、霊的戦いを知っているということは、私たちに戦い続け、勝ち続けなければならないという使命があると思います。しかし、「勝ち続けるってそんな簡単なものじゃないでしょ」と不安になる方も多いと思います。
第二次世界大戦で、日本は破竹の勢いで、誰もが「日本が勝つ」と思っていました。しかし、だんだんと劣勢に立たされ、敗北し、終戦を迎えた時には「日本もこれで終わりだ」、「日本はアメリカの植民地になる」と、絶望感に打ちのめされたのではないでしょうか。しかし、私たちのこの信仰の戦いは、主の戦いであり、決して負けることのない戦いです。そしてそれは、あなたに恵みと祝福をもたらすものであるということを、是非覚えていただきたいと思います。
なぜ戦いが必要なのでしょう。最初に読んでいただいた御言葉をもう一度お読みします。
『信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。』(第一テモテへの手紙 6章12節)

いちばん大事なことは、皆さんがこれからどんな状況に陥ろうとも、どんな問題が起きようとも、時に、死を宣告されるようなことがあったとしても、この「永遠の命だけは死守しなければならない」ということです。
私は皆さんにいつもお祈りいただいて、健康が支えられているのですが、先月、毎年一回行われる健診断で、便に潜血反応があり、再検査を受けなければならなくなりました。私は「いや〜そうか〜、面倒くさいな〜」と思いましたが、周りが心配をして、「すぐに予約して、すぐに検査に行って」と言うので、先週の金曜日に行ってきました。
お尻からカメラを入れられて、「痛かったら言ってください」と言われましたが、私はわりと我慢強いので、「痛いなんて言うわけがない」と思っていました。しかし・・・ 声をあげずにはいられないほど痛くて、「痛い、痛い、ちょっ、ちょっと待ってください」と叫んでしまいました。こんなことを言うと、皆さん、検査をするのが嫌になってしまうかもしれませんね。人によって違うそうですから、もしひっかかったなら、検査は早めに行ってください。
結果、小さなポリープがあって、「ちょっと切りますね」と言われ、その場で切除されて検査に回されました。「これは大丈夫ですから。そのほかのところはきれいですね。お若いですね。何の問題もないですよ」と言われ、「やっぱり心配なかったなぁ」と思いながら帰ってきました。
健康な時はいいのですが、病気になったり、家庭内に問題が起きたり、事故に逢ったり、様々な問題にぶちあたると心が騒ぎます。そんな時、サタンはすかさず、私たちに攻撃をしかけてきます。
サタンは初めから永遠の滅び、地獄に突き落とされることが決まっています。ですから、一人でも多くの人を道連れにしようとします。クリスチャンでない人は、何もしなくても同じ方向に歩いていますから、サタンは何もしません。しかし、クリスチャンは、反対方向に歩いていますから、なんとか一人でも引き戻そうとして戦いを挑んでくるのです。私たちが戦いをしたいと望んでいなくても、攻撃を仕掛けてくるわけです。ですから、攻撃されたら立ち向かわなければならない、これが戦いの論理です。
私たちはなぜ戦わなくてはならないのでしょう。それは当然、あなたとあなたの家族が幸せになるためです。神さまは、この地上で皆さんに、恵みを与え、祝福で満たそうとしてくださっています。皆さんは「私は幸せだ!」と思っていますか。「なんて私は不幸せなんだろう」、「なぜ私だけが幸せになれないんだろう」、「なぜ私だけがこんな境遇に生まれたんだろう」と思っている人がおられるかもしれません。私は本当に「俺ってなんて幸せなんだろう」と思っていますが・・・。  
誰もが幸せになりたいと願い、いろいろ努力をしますね。もっと美しくなりたいと、ダイエットをしたり、お金をかけてエステに通ったりする人もいます。生き生きと自信をもって生きている人がいる反面、「自分は駄目な人間だ」と思っている人も多く、有名大学を出て、周りから素晴らしいと賞賛されていても「私は落ちこぼれだ」と思っている人が大勢いるそうです。
時に、私たちは自分の弱さに負けてしまうことがあります。人間は弱いものです。皆さんの心には、喜びや感謝もたくさんあると思いますが、憎しみ、怒り、偽り、欲望、嫉妬や恐れといったものも交錯していると思います。これらすべての感情が自分の本音であって、自分が悪いのだと思い込んでいるかもしれませんが、私たちの中に嫉妬を入れ、憎しみを入れ、偽りを入れてくるのは、サタンなのです。サタンはそれぞれの弱いところを知っていて、そこを突いてくるのです。それがサタンの大きな罠なのです。サタンはあなたが落ち込んでいる時に「あなたはやっぱりクズなんだよ、あなたはカスなんだよ、あなたはだめなんだよ」とささやいてきます。日本では、毎年3万人以上の人が自殺をします(最近は少しずつ減ってきているようですが・・・)。それは、サタンのささやきに耳を傾け、それを受け取った人たちです。
ある本にこんな話が載っていました。ある一人の青年が大工として働きたいと願って、工務店の面接に行ったそうです。そして社長に「私は定職がないので、親から『人間のクズだ』といつも言われています」と言ったそうです。すると、社長は青年にこう言いました。「お前な、クズやカスは大丈夫だ。ゴミは駄目だけど、クズやカスは再生が利くんだよ。紙クズ、鉄クズは、立派な資源になるじゃないか。ガラスのクズは新しいガラスを作る時に必要なんだ。カス漬けはうまいだろう。俺も学校を出てないし、若い時はクズだった。親不幸もしたが、ここまでやってこられた」。その言葉が青年の心を開かせ、やる気を起こさせました。彼はそこから立ち直り、立派な大工に成長していると書いてありました。
子育てをする時も当てはまります。「ダメだ、ダメだ」と叱ってばかりいると子どもは自信が持てなくなってしまいます。最近は、ほめて育てるというのがいいと言われています。私は子どもたちを、あまり叱りもしませんでしたが、ほめもしませんでした。時々、娘に「テストで100点とった時にしか、ほめてくれなかったよね。90点取ってもほめてくれなかったけど、『100点はすごい。100点はなかなか取れないからなぁ』って言ってたよね」と文句を言われたりもしますけれども・・・(笑)。子育ては難しいです。
聖書の中に、自暴自棄になっているような状態から、イエスさまによって立ち直った人のことが書かれています。ザアカイという人は、取税人でした。当時、取税人は、同胞から税を取り立て、相当の利子をとって私腹を肥やしていたので、人々から嫌われ、のけ者にされ、罪人と同等に扱われていました。人間のクズだとレッテルを張られていたかもしれません。そんな仕事に就いていたザアカイは、「俺は駄目な人間だ」、「どうあがいても良い人間になることはできない」と思っていたのでしょう。それでも、イエスさまの噂を聞き、そんな自分でも変えられるのではないかと期待をして、イエスさまを一目でも見たいと、いちじく桑の木に登り、イエスさまが来られるのを待っていました。イエスさまは、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と声をかけられたのです。ザアカイは喜んでイエスさまを家に迎え、食事を振る舞い、話を聞きました。そして、神さまの愛を受け取り、変えられ、救われました。ザアカイは、『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します。』(ルカの福音書19章8節)と言いました。何という変化でしょうか。彼はイエスさまによって、立ち直ることができたのです。
サタンは常に私たちの弱いところを突いて陥れようとします。ささやいてくるサタンに立ち向かい、耳をかさないようにしましょう。誰でもやり直しができます。イエスさまによって、立ち直ることができます。

今、イエスさまを信じていらっしゃる人は、戦わなくても、イエスさまを信じてさえすれば、たとえ祈っていなくても、聖書を読んでいなくても、天国にどのポジションがあるかは別として、天国へ入れるでしょう。天国か地獄かといったら雲泥の差ですから、天国に行ければいいじゃないかと思っている人も大勢いるでしょう。しかし、あなたの子どもや孫はどうでしょう。今の時代は、私たちが若かった頃、いや10年前と比べても、その頃には考えもつかなかったような事件、問題が山積しています。不倫や離婚は当たり前のようになり、家庭内暴力や無差別殺人、拉致問題や、テロ事件、本当に問題だらけです。20年後、30年後を考えると、どうなってしまうのか、恐ろしいほどです。
本当に頼るべき真の神さまを知らないで、何の助けもなく生きることは辛いことです。私たちは神の作品です。ですから、神さまは私たちに祝福を与えようとしてくださっていますが、サタンは、その恵み、祝福を私たちから奪おうと常に挑んできます。ですから、それを勝ち取るために戦う必要があります。そして、子どもや孫たちが幸せに生きられるように、サタンに立ち向かい、きちんと信仰を継承していかれるよう、戦っていかなければなりません。
そしてもうひとつ、私たちがどうしても勝ち取らなければならないのは、日本のリバイバルです。
先日、リバイバル感謝報告会で会計報告がなされましたが、献金の10分の1以上が、ミッションをはじめ、いろいろな宣教団体に捧げられています。皆さんの献金が、宣教の働きの一端を担っているということです。
この教会は日本のリバイバルのためにいつも祈ってきました。日本には1億数千万の人が住んでいますが、99%、ほとんどの人がイエスさまを知りません。覆いがかけられ、福音の光が届くことなく、暗闇をさまよっている状態です。47都道府県のうち、皆さんが訪れたことのある所は数える数カ所だと思いますが、行ったこともない、会ったこともない人たちのために、たった1%のクリスチャンである私たちがその破れ口に立ち、人々の救いのために祈り、戦っていかなければなりません。
『それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。』
(第二コリント人への手紙 4章3節)
私たちはこの福音を妨げている覆いを取りのける使命があります。

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母 横田早紀江さんは、敬虔なクリスチャンです。彼女はいろいろな所で講演をされていますけれども、語る時いつも「私には使命が残されている」と言って、エステル記の言葉を引用されるそうです。
『もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。』
(エステル記 4章14節)
横田早紀江さんは、自分の娘が拉致されたことによって、救済運動の中心となって働いています。彼女は、自分の境遇を嘆くのではなく、このことをするように神さまからその働きを委ねられていると受け止めて、全力で行っていらっしゃいます。
リバイバルのためにと言うと、「私にはそんなことはできませんよ」と言う人がいます。あなたがやらなくても、誰かほかの人がやるでしょう。しかし、日本に、クリスチャンが20万か30万人しかいないといわれる中に皆さんが選ばれているのは、リバイバルを担う者として、その使命を神さまから委ねられているのです。あなたに託された人がいる、あなたにしか伝道できない人がいることを覚えて、是非、隣人のために祈り、伝道していただきたいと思います。
私は今年54歳になります。4年に一度、高校の同窓会を続けていますが、毎年、2、30人くらいが集まります。今年は、つい先日行われて、ここにいる同級生の杉浦公治君が幹事だったこともあり、私もお手伝いをして一緒に行きました。私は商業科で、クラスはほとんどが女性でしたので、同窓会でも男性が数人しかいませんが、一緒に食事をして楽しい時を持ちました。
食事が終わった後、カラオケに行く人と、もっとゆっくり話したい人が別れ、私は公治君と一緒に、話をするグループに入りました。そこには10数人の女の子(と言っても、もうおばさんで、孫のいる人もいましたが、当時に戻って女の子と言います)たちが集まりましたが、出てくるのは姑やご主人、家庭の愚痴ばかりでした。みんな疲れているな、いろんな問題をもっているなぁと感じました。それを聞いていた公治君が「俺は家族仲良く楽しくやってるよ。食事を作ったり、皿も洗ったり」と言ったので、私も「俺も食事を作るし、片づけもするよ」と言いました。すると「お皿も洗うの? そんな男性が今時いるんだ」とびっくりしていました。今の若い夫婦は、男性が家事をすることにあまり抵抗がない人が多いと思いますが、私たちの年代よりも少し上のご主人を持つ彼女たちは、姑に仕え、夫に仕え、様々な忍耐を強いられ、本当に行き詰まっている感じでした。
私がクリスチャンであり牧師だということはみんな知っているので、少しお証しをしました。その後、一人の女の子がご主人と別居状態で、神経症になり、毎日何種類かの薬を飲んでいるという話を聞き、彼女のためにイエスさまの話をして、祈ってあげることができました。
皆さんの周りにも、心を病んでいる方が大勢おられるのではないかと思います。是非そのような方のために祈ってあげてください。

それでは、戦いに勝利していくためには、何が必要なのでしょうか。そのひとつは、一人ひとりが、敵を知るということです。何が敵で何が味方なのかということを知らなかったならば、私たちは戦うことができません。そして、勝つこともできません。
先ほどワールドカップの話をしましたが、サッカーは、イレブンと言われるように11人と11人、合計22人が戦います。日本はブルーを基調としていて、ユニフォームの色はだいたいブルーです。先日は、ブルーの日本とオレンジのオランダが戦って、日本が負けました。先々週、「信先生の家はオレンジだから、日本の敵だ!」(笑)と言った子どもがいたそうですが、「すごい発想だな」と思いました。
対戦する時、ブルーとオレンジならはっきり見分けがつきます。もしピッチに立った選手たちが、私服で試合をしていたらどうでしょうか。パスを渡そうとする時、顔の色が少しばかり違っているだけではわかりません。一瞬で敵か味方かを判断するのは、非常に難しくなります。
ワールドカップで日本は2勝1敗でした。ワールドカップに出ることができるのは、32チームです。日本のランキングは40位前後です。ですから出場すること自体、容易なランクではありません。しかし、アジアは少しレベルが低いので、日本はその中では少し強いということで、アジア枠で出られたのです。
勝負の世界、特にサッカーは、監督の戦術、その采配によって勝つか負けるかが大きく左右されるそうです。日本はワールドカップ前に国際試合を4試合ほどしましたが、全敗でした。ですから、日本に対する評価はかなり低く、岡田監督への批判はひどいものでした。岡田監督は、さぞ辛かっただろうと思います。
それで彼も悩み、いろんなシフトを考え、そして今までやったことのない戦略を本番で行いました。おおかたの予想は、3連敗するというものでしたが、その予想を覆して、2勝1敗で決勝トーナメントに進みました。それは快挙でした。最後はPK戦で敗れたわけですが、日本は本当によく頑張ったと思います。そうなると現金なもので、戻ってきた監督を、「岡ちゃ〜ん、岡ちゃ〜ん」と、大勢の人が大歓声で迎えたそうです。僕も「岡ちゃん」ですが・・・(笑)。
日本は「守備はすごくうまい」と世界からも認められているようですが、結局は、攻撃力が弱いために点を入れられなかったのです。それが、弱点のひとつだと思います。戦術とは、相手のどこが弱点か、いかに見極めるかということだと思います。そして、そこをどう突くかが勝利のカギだともいわれます。
私たちの戦いも同じです。順先生がよく話されることですが、サタンは人と人の間に入り込み、悪口や偽りを言わせ、喧嘩をさせる透明人間のようなものです。私たちは、悪口を言われたり、偽りを言われたり喧嘩をしかけられたりすると、相手を悪く思ってしまうものですが、それこそサタンの仕業、戦略なのです。
サタンは私たちが神さまに背を向け、惨めな生活を送るように、いつも策略をしかけてきます。自分勝手な生活、自分勝手な幸福を求めるようにさせ、「あなたはそのままでいいんだよ」、「自分勝手でいいんだよ」というメッセージを送っています。そうして、周りの人との関係を悪くさせ、孤立させていくのです。
そんなサタンの策略にまんまとやられてしまってはいないでしょうか。その背後に働く透明人間、サタンの策略を見抜き、戦って、勝利していかなければなりません。
そして、戦いに不可欠なのは、あなた自身がきよめられることです。主の勇士として、イエスさまと同じポジション、同じフィールドに立つために、私たちがきよめられることを主は求めています。
1992年に霊的戦いが起こった時に、子どもたちに聖霊が注がれました。私は、聖書もろくろく読んでいない、食事の前に「イエスさま、感謝していただきます」と祈るだけの子どもたちに、聖霊が注がれるはずがない、と思っていました。しかし、神さまの選びの基準は違いました。
子どもたちには、野心も虚栄心もありません。あるのは純粋に「イエスさまは力のある方」、「イエスさまには何でもできる」という思い。一緒にとりなしに行って、彼らが単純に「イエスさまがいたら勝てるんだ」という信仰を持っているということが本当にわかりました。そして、それこそが神さまに喜ばれることであり、彼らが選ばれた理由でした。そして、それは大きな武器であり、力でした。
子どもたちには天使が見えましたが、大人には見えませんでした。子どもたちには悪霊が見えましたが、大人には見えなかったのです。まさに、マタイ18章3節にある、『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。』とあるように、純粋な信仰が必要です。
また、ヘブル書12章14節『すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。』とあるように、きよめられなければなりません。
皆さんは今のままで大丈夫だと言い切れますか。今、自分の信仰を見直してみてください。「何か信仰がずれている」、「きよさが足らない」と思われたら、また、もし示された罪があるならば、悔い改め、信仰を回復させていただき、きよめていただき、戦いの勇士となっていきましょう。

この戦いの中で最も重要なことは、生ける真の神であるイエスさまに頼り、主と共に歩むことです。そのために必要なのは、御言葉です。エペソ6章17節に、『救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。』とあるように、神さまが与えてくださる戦いの武具を身につけていくなら、サタンを返り討ちにすることができます。神さまの御言葉は、私たちの力です。皆さんが一つでも御言葉を蓄えていくならば、それが力となり、これからの戦いに勝利していくことができることを覚えてください。私たちの敵は強く、私たち一人ひとりは無力な者ですけれども、神さまが共にいてくださるなら、圧倒的な勝利を得ることができます。
イエスさまが40日の断食をされた後、サタンがイエスさまを試みましたが、御言葉によってその誘惑をすべて退けたことがマタイの福音書4章に書かれています。
上條先生は、子どもたちが御言葉を覚えるようにと、いつも苦労しておられますけれども、幼い時に覚えた御言葉は忘れません。私も、小さい頃に覚えた御言葉が残っています。それは私たちの肉となり、糧となります。だんだん年をとると、御言葉を読んでも「昨日、どこを読んだかな?」と忘れてしまうことがよくあるかと思いますが、それでも御言葉を読むみ、一つでも蓄えていくことがあなたの助けとなります。
今、「私は大丈夫」と思っている人、考えてみてください。阪神淡路大震災が突然起こったように、皆さんの信仰を揺り動かす問題がいつ起こるかわかりません。ですから、私たちは忍耐を持って祈り続け、勝利を勝ち得るために、戦い続けましょう。
最初に読んだ第一テモテへの手紙6章13〜14節をもう一度お読みします。
『私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。』
もうひとつ、ルカの福音書18章8節には『人の子(イエスさまが)来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。』とありますが、イエスさまがもう一度帰って来られた時、主の勇士として主の前に立てるように、主の命令を守り、きよめられた、非難されるところのない者として整えられていきたいと願います。
第一コリント15章57節には、『しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。』とあるように、イエスさまが十字架上で勝利を取ってくださったゆえに、私たちにはすでに勝利が与えられています。この御言葉をしっかりと握りしめ、感謝しつつ、信仰の戦いを勇敢に走り続けてまいりましょう。

皆さんの中で、自分の弱さを覚え、足りなさを覚え、罪が示された方はいらっしゃいますか。私も本当に弱く足らない者です。しかし、イエスさまは十字架上で、私の過去のすべての罪を洗い流し、十字架上で死の力を打ち破り、永遠の命を与えてくださいました。そのイエスさまが私たちと共におられます。今、お祈りをしたいと思いますけれども、祈って欲しい方は、手を挙げて教えていただけますか。
ありがとうございます。大勢の方が手を挙げられました。それぞれに祈りの課題があるかと思います。今、私はそれを、一つひとつ聞くことはできませんが、主はすべて知っておられ、イエスさまご自身がとりなし、そこに解決を与えてくださることを信じます。一言お祈りいたします。
愛する主よ、心から感謝します。今、私たちは御言葉に耳を傾けました。私たち一人ひとりは弱い者ですけれども、主によって生かされ、主によってあがなわれ、今ここにあることを感謝します。今、手を挙げられたお一人おひとり、罪が示された方に臨み、もう一度十字架の血潮によって洗いきよめてください。また、問題を抱えている人には、その問題に解決を与え、私たちがもう一度、主の勇士として、信仰を持って立ち上がるためのサポートをしてください。ここにいるお一人おひとりが主に選ばれた者であり、主の御心を現すために、主が導いてくださったことを心から感謝いたします。
今から聖餐式にあずかります。イエスさまが流された血潮、裂かれた御肉を記念し、感謝し、この聖餐に預かります。お一人おひとりをもう一度きよめ、強め、主の証し人とさせてください。信じ感謝します。主の御名によってお祈りいたします。アーメン。


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