「油注ぎを活性化させよう!」


2010.8.1(SUN)
新城教会副牧師 公畑フェルナンド 師

ルカの福音書 8章43節〜48節
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか。」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです。」と言った。しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから。」と言われた。女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」

 ハレルヤ! 感謝します。いつも私たちのために、そしてインターナショナル部会のために祈ってくださることを本当に感謝します。日曜日の礼拝にここに立つのは初めてです。毎年、12月31日にカウントダウンの集会には、15分のショートメッセージをしますが、人数は、今日ここにいる半分か3分の1です。今日は、会堂いっぱいの人たちがいます。毎週、午後4時から、インターナショナルの礼拝でメッセージをしていますけれど、今日は、朝の礼拝でメッセージができることを本当に感謝します。
 6月に順先生と一緒にペルーに行ってきました。いろいろな所で祈り、とりなしの奉仕ができて、本当に感謝でした。また、皆さんが私たちのために祈ってくださったことを感謝します。
 順先生は、一週間で日本に帰られましたが、私たち夫婦はそのままペルーに残って、いろいろな所で祈り、とりなしをし、いくつかの教会でも奉仕をさせていただいて、本当に感謝しました。その結果、特に、インターナショナル部会の中で、今まで動いていなかったことが今、動いています。
時々、ペルーに行って、何の意味があるかと考えるのですが、いろいろな所でとりなしをして戦いの祈りを捧げることによって、兄弟姉妹も神様がおられることがはっきりとわかり、家族や友人にも、赦しや解放が起こっていることを感謝します。
今朝は、妻のひかるが、通訳をしてくれます。丁寧な日本語でみなさんにメッセージがよくわかるようにお願いします。では、スペイン語に変わります(笑)。

今朝のメッセージのタイトルは、「油注ぎを活性化させよう」です。今お読みしたとおり、ルカの8章43節〜48節に書いてあることです。
ここに登場する女性は、12年間長血を患っていた方です。この女性は私たちにとって「信仰」のお手本であり、「信仰」のインスピレーションでもあります。彼女はイエスが神の子であることを知っていました。そして油注がれたキリスト(すなわち救い主)であり、彼の上に神の霊があること、そしてその力が、自分の体を癒すことができることもわかっていました。
 ですから彼女にとっての問題は「どうしたらその神の力を自分のために、自分の体の癒しのために活性化させることができるか、働かせることができるのか」というものでした。
今お読みしたところを見ると、彼女は病気によって体がぼろぼろになり、また財産も食いつぶされ、社会的生活も破壊され、霊的生活も破壊されていました。なぜなら、当時は、女性が出血している間は人との交わりが禁じられていましたし、会堂に入ることもできませんでしたから、神様との霊的交わりを楽しむこともできませんでした。ですから、この女性は神様の力を自分の体の癒しのために働かせる方法を見つけなければなりませんでした。
私はきっと、神様が彼女の心に啓示されたと思うのですが、彼女は、もしイエス様の着物のふさ、着物の飾りにさわることができれば、たださわることで癒されるだろうと考えたのです。そうして12年間長血を患っていたこの女性の戦いが始まりました。
 彼女はひどい貧血と弱り果てた体で、大勢の人がひしめき合っている中に入っていかなければなりませんでした。そしてイエス様の着物のふさをさわったとき、神の力が流れて彼女は癒されました。
聖書は、彼女がさわると瞬間的に癒されたと書いてあります。イエス様ご自身も、自分の力が流れていったことを感じました。イエス様も何かが起こったことを感じたのです。
まさにこのことを今朝、新城教会の皆様にお話したいのです。
どうしたら神の力を私たちのために働かせることができるのか、また私たちの願いのために、どのように神の油注ぎを活性化させることができるのかを学びたいと思います。

ではまず油注ぎとは何でしょうか? それは神の力です。「神の力です!」というところを一緒に言ってください。(みなで「神の力です!」)
油注ぎは、神の力であり、また神様の臨在でもあります。油注ぎは、あなたを癒す力であり、あなたを自由にする力であり、過去からつながれているくびきを取り去る力でもあり、全ての圧制からあなたを解放する力です。そして、あなたの敵を突き通す力があります。そして、あなたを繁栄させる力があります。油注ぎは、あなたが決断する際の知恵を与える力があります。油注ぎはあなたに知性を与えます。またあなたに天の窓を開けて、あなたの霊的な目を開けさせ、あなたのそばにあって、今まで見えなかった霊的祝福と物質的祝福を見させます。
これらをまとめると、油注ぎとは、神の力です。では、どうしたら神の力を私たちのために活性化することができるのでしょうか? そのための二つのポイントを見ていきます。

 神の力を私たちのために活性化させる方法の一番目のポイントは、神に触れること、神と接続することです。
このルカに出てくる女性は、着物のふさにさわれば癒されるとわかっていました。四七節のところを読むと、おもしろいことが書いてあります。

「女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。」

彼女はみなの前で、自分に何が起こったのかを証ししなければなりませんでした。自分のことをすべて言わなければなりませんでした。12年間長血を患っていたことや、医者のために自分の全てのお金を使い果たしてしまったことや、いろいろなことを試したけれども治らなかったこと、そしてイエス様の着物のふさにさわれば癒されると考えたこと、そしてさわると瞬間的に癒されたことを証しました。彼女がそのことを話したので、みなが知ることになりました。
その後、何が起こったでしょう。群集がイエス様をさわろうとして押し寄せたのです。そして人々がイエス様をさわった時に神の力が来て、人々が災いから解放されました。病気から解放され、悪霊から解放されました。
彼らは、一つのことを学びました。イエスさまの着物にさわれば癒され、解放され、祝福されるということを彼らは学んだのです。まずは神との接続点を持つことが必要だということを、彼らは学びました。私たちは、神様との接続点というものを持たなければなりません。
使徒の働きの2章を見ますと、一つところに集まっていた120人の人々に聖霊が注がれた時、ペテロは聖霊に満たされて説教しました。そして、三章には、生まれつき足のきかない男のために祈ると、その男は癒されたと書いてあります。
そして4章には、聖霊が下り、その場所が震え動いたと書いてあります。地震が起こったのです。そこにいた全ての人たちに聖霊が臨まれ、彼らは神のことばを大胆に語りだし、多くの人たちが癒されました。
 その人々は、神の力を自分たちのために働かせる、活性化させる方法を知っていたのです。人々は、こう考えていました。「ペテロが私に手を置けば、私は癒される」と信じていました。そしてあちらこちらの町や村から病人を寝台に寝かせ、大通りに運び出しました。彼らは、せめてペテロの影でも病人にかかれば癒されると考えました。ペテロが手を置くことができなくても、影さえかかれば私は癒されるから、影であっても触れたいと考えました。
私たちは、影自体が癒さないことはわかっています。もちろん着物も癒すわけではありません。それは、聖霊様の力が癒すのです。ただこの人々は、自分たちのために神の力を働かせる、活性化させる方法を知っていたのです。
 もう一つ、別の接続方法があります。それは按手をすることです。イエス様は弟子たちに、「病人に手を置けば病人は癒されます」と言われました。弟子たちが癒したのではなく、彼らが触れることで神の力を活性化させ、癒したのです。それは油注ぎです。按手することによって神の力が流れるのです。
例えば、モーセはヨシュアに手を置き、任務を彼に移しました。そしてモーセにあった同じ霊がヨシュアに下りました。その後主は、「私はモーセと共にいたように、あなたと共にいよう」とヨシュアに言われました。按手によって力が伝わるのです。
また使徒の働きのところを見ると、執事について書いてあります。教会の毎日の配給について、やもめたちの苦情があったので、使徒たちは御霊と知恵に満ちた評判の良い七人を選び、食卓の仕事に当たらせようと提案しました。そして弟子たちが七人を連れてくると、使徒たちは祈って、手を彼らの上に置きました。使徒の六章を細かく見ていくと、ただ使徒たちの持っていた油注ぎと同じものが移されたのではなく、その油注ぎは増し加わって彼らに与えられたことがわかります。
例えばステパノですが、彼はこの時から、うって変って大胆に語り始めました。なぜでしょうか。それは、按手という神様との接続方法によって力を受けたのです。
ハバクク書の三章四節に「輝きは光のよう。ひらめきは神の手から放たれ、そこに力が隠されている」と書いてあります。これは天において起こることですが、天で起こることはこの地上に反映して表れます。
人が誰かの上に手を置く時、弟子たちが手を置く時、また神の僕が手を置く時に、力である油注ぎが移されるのです。使徒たちは、主に、「御手を伸ばし、しるしと不思議な業を行わせてください」と祈りました。実際に手を置いたのは弟子たちでしたが、その弟子たちの手によって多くのしるしと不思議な業を行われていきました。
 按手を見て、その時の油注ぎがとても明らかであったので、イエス様を信じたシモンという魔術師だった男は、ペテロに言いました。「お金を出すから、私にその力をください。私が手を置いたら誰でも聖霊を受けられるようにしてください」とお願いしました。なぜ彼がそんなことを言ったかというと、使徒たちが按手した時に、彼は神の力を見たからです。按手というのは、神様との接触、接続ということです。
 またほかの例を見てみましょう。サウロは目が見えなくなった時、主と出会って、夜、幻を見ました。それはアナニヤという使徒が来て、自分の上に手を置くと癒されるというものでした。神様が彼に幻の中で語られた時に、どうしてすぐ彼を癒されなかったのでしょうか。なぜなら神様がその法則を決められていたからです。神様はもちろんその時に彼を癒すことができましたが、神様は、「アナニヤという人がサウロの上に手を置くと癒されるよ」と言われたのです。しかしそれは人の力ではなく、聖霊の力によってできるのです。
また、預言の言葉によって神と接続することができます。信仰による言葉が発せられる時に、神の霊がそこに臨在するからです。詩篇107篇の20節を見てみたいと思います。

「主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。」

主は御言葉を送って彼らを癒す、その言葉の中に油注ぎが溢れているのです。しかし、中には、「これは私のための言葉なのかなぁ、いやそうではないのじゃないか」と言う人がいます。しかしそれを信じて受け取る人は祝福され、癒されます。その言葉を信じて、受け取るのです。ただ言葉を受け取ればいいのです。

 私はキャサリン・クールマンの本を読んだことがあります。アメリカでの彼女の癒しの集会に、ひとりの警察署長が来たことが、本に書かれていました。
その集会の中で、彼女は「この中の誰かの癌が癒されています」と言いました。実はその警察署長は癌で死にかけていました。彼女は立ち上がって、癒しを受け取りなさいと言いました。その警察署長はとても伝統的なバプテスト教会員だったので、彼の神学的な考えからは、それは不可能だと思っていました。癒されたことがわかるまでは証しはしない。癒されて、元気になるまでは、私は立ち上がらない、と決めていました。
しかしキャサリン・クールマンがあまりにもそれを繰り返し言うので、彼は損することは何もないから信仰によって立ち上がろうと決心しました。そして彼が立ち上がった瞬間、神の力が彼の上に臨み、癒されたのです。
必要だったのは、神様が自分のために言われた言葉を受け取ることだったのです。それを受け取ることができれば、あなたは勝利者になることができます。神様はすでに言葉を発せられていますので、あなたはそれをただ受け取るだけで油注ぎがあふれ出すのです。
ここで語られるメッセージが、祝福について話される時、また豊かな恵みが話される時、それを自分への預言的言葉として受け取って信じましょう! 

もう一つ、神様との接続方法があります。それは、油注ぎのある人と一緒にいることです。実際、油注ぎがない人はいつも油注ぎのない人たちといます。例えば、うわさ話が大好きな人たちは、そういううわさ話が好きな人たちでかたまっています。しかし油注ぎのある人と一緒に歩むなら、あなたの考え方は変わってきます。
 私が順先生と歩み始めた時、戦いの油注ぎ、征服の油注ぎ、勝利の油注ぎが私にも訪れました。そして少しずつ新しい扉が開いていきました。また、ほかの牧師先生や油注ぎに溢れている人と一緒にいることでも同じことが起こりました。ですから、もう一つ、神様との接続方法というのは、油注ぎのある人と一緒にいることなのです。
 またもう一つ、神様との接続方法があります。それは、油注ぎのある場所にいることです。兄弟姉妹たち、私たちは神様に感謝しなければいけません。なぜなら、この場所は(この教会は)油注ぎのある場所だからです。
 何年か前、順先生とコロンビアに行った時、ボリビア人の説教者の証しを、その奥さんから聞きました。その説教者の名は、ルイバルという方で、もう亡くなりましたが、コロンビアのカリという町に住んでいました。
彼がキャサリン・クールマンの癒しの集会に行った時のことでした。その集会は七千人収容できるホールで行われていたのですが、人がいっぱいで、彼は中に入ることができませんでした。彼のほかにも、中に入りきれなかった何千人もの人たちが外にいました。その中には病人も何人もいました。
ルイバルは、突然椅子の上に立ち上がり、あまり上手でない英語で、そこにいた人たちにこう叫びました。「ホールの中に働いている同じ聖霊様がここにもいらっしゃいます。ですから立ち上がって奇跡を受けましょう!」
それを聞いた人々は、立ち上がって癒され始めたというのです。どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。なぜなら、彼らは油注ぎのある場所にいたからです。
その後、このルイバルという先生は、ボリビアに戻ました。主は彼を用いて大統領夫人を癒されました。それからボリビアに奇跡が起こり始めました。大統領は彼に国の全てのスタジアムやテレビを使わせる許可を出したので、彼は各地のスタジアムでクルセードを始めて、多くの奇跡が起こりました。彼はどこでそのような油注ぎを受けたのでしょうか。神学校で勉強したわけではありませんでした。油注ぎのある場所にいたから、それを受けたのです。

今語ったことが、ルカ8章の長血を患っていた女性がイエス様の中に見つけた法則だったのです。どのようにイエス様にある神の力を、彼女自身のために働かせることができたのでしょう。
初めに、私は二つのポイントを見ていきたいと言いました。その答えの一つは接触点を持つこと、つまりイエス様に接続していることです。そして、二番目のポイントは「信仰」です。イエス様はこの女性に「あなたの信仰があなたを直したのです」と言われました。
神と接続していること(接触点があること)と、信仰が必要なのです。ただ接続しているのみでは何も起こりません。例えば、私があなたの上に手を置いて、何千回按手をして祈ったとしても、信仰がないのなら何も起こりません。そして、油注ぎがあるこの場所で横になったとしても、信仰がないなら何も起こりません。信仰がある時に、奇跡が起こるのです。
イエス様のまわりにひしめき合って押していた大勢の群集は、このイエス様に触れていたにもかかわらず、何も起こりませんでした。なぜなら信仰がなかったからです。しかし遠くからそのうわさを聞き、信じてイエス様のもとに来た人は癒されたのです。
 
兄弟姉妹たち、一つ質問をしたいと思います。「神様の力を自分たちのために働かせる、活性化させたいと思いませんか。神様の知恵と知性、繁栄の油注ぎが欲しいと思いませんか。また、くびきを砕く油注ぎをいただきたいと思いませんか。そして、あなたの霊的な人生を邪魔している悪霊を打ち砕く油注ぎが欲しいと思いませんか。癒しと解放する油注ぎが欲しいと思いませんか。
もしそれが欲しいといわれるなら、二つのことが必要です。神との接触点があること、接続しているかどうかということと、イエスにある信仰を持つことです。もし、それが欲しいと思う方は、立ち上がってお祈りをしたいと思います。どうぞ、立ってください。

祈り:主よ、今朝のこの御言葉を感謝します。神様、あなたが一人ひとりの心に働いてくださっていることを信じます。あなたに特別にお願いします。くびきを取り去る油の注ぎを、あなたの御言葉に従った知恵と知性を与える油注ぎを、破壊とのろいを打ち砕く油注ぎを、病気を癒し、とらわれ人を解放する油注ぎを、この朝、この教会の上に与えてください。また、インターネットで見ている人たちに与えてください。あなたの名前によってお願いします。今その油注ぎを受けてください。聖霊様、どうか信じる人たちの上にその油注ぎを溢れさせてください。イエス様の名前によって触れて、そして自由にしてください。そしてこれからは、この教会の中に、どんなに祝福されたか、どんなに豊になったか、どのように霊的な目が開いたかという証しを、聞くことができますように。
ここにある油注ぎを感謝します。私たちを油注ぎのある場所に置いてくださっていることを感謝します。あなたの栄光がここにあり、私たち一人ひとりの上にあることを感謝します。あなたの恩恵を感謝します。また私たちにあるあなたの豊かな祝福を感謝します。すべての栄光をお返しいたします。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン


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