「天の軍勢と共に戦う」


2010.9.5(SUN)
新城教会牧師 滝元 順 師

ゼカリヤ3章1節〜5節
主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。主はサタンに仰せられた。「サタンよ。主がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」私は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服を着せた。そのとき、主の使いはそばに立っていた。

 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日はこうしてみなさんの前で久しぶりにメッセージを語れますことを、心から感謝しています。
 8月も終わり、9月になり、学生のみなさんは学校が始まって、現実に気づいて慌てているのかもしれません。
今年は大変暑いですね。みなさん、お体は大丈夫でしょうか?しかし、夏があって、秋が来て、冬が来て・・、という四季があることを心から感謝したいと思います。
 夏の間、教会はとても忙しいプログラムがありました。先週はザ・コールという、大変すばらしい集会があり、300名ほどの方々が来てくださったそうです。

 実は私は、8月16日に新城を出まして、先週まで日本にいませんでした。
 16日から20日までは韓国で聖会を導かせていただきました。金曜日に聖会が終わって、韓国からそのままアメリカに行き、タコマの竹内先生の教会で2日間ほど奉仕をさせていただき、その後、ジョー先生の教会に一週間ほどいました。いろいろな場所にとりなしに行ったり、集会をしたりと、本当に忙しかったです。
 それで帰ってきて、1日おいて、リバイバル聖書神学校主催の霊的戦いセミナーが3日間あり、本当に目まぐるしい毎日でした。しかし全て無事に終わり、先週の霊的戦いセミナーも本当に祝福され、全国から多くの方が来てくださり盛況でした。また聖霊様が強く働いてくださいました。
 いつもみなさんのお祈りに支えられていますことを、心から感謝します。

 「東北リバイバルミッション」がいよいよ始まります。私も今週は東北リバイバルミッションの最後の決起大会ということで、秋田のほうに行かせていただきます。東北の為に一つとなってリバイバルを祈っているのですが、今日もみなさんと共に祈ることができ、礼拝を捧げることができ、心から感謝します。

 私たちのただ中に、「主が共におられる」ということを忘れてはなりません。どんな時でも、目には見えないけれど、イエス様が私たちと共にいてくださるわけです。
 それと共に、今日、みなさんと共に学びたいのは、「主の使いはそばに立っていた」と読みましたが、私たちの周りには主から遣わされた「天の軍勢」が陣を張って支えていることを覚える必要があります。
 神から遣わされた天の軍勢が我々の周りに配備についていると知るならば、人生の戦いは一人ではなく、主が共におられ、同時に、神から遣わされた天の軍勢が共に戦うことに気づくなら、人生も変わるはずです。
 私もいろいろな場所で奉仕する機会があるのですが、どこに行っても主が共におられることと、また、天の軍勢が私の先に行って準備をしていると信じています。すると必ず、そこには主の勝利があるのです。

 少し、みなさんに写真をお見せしたいと思います。
 最初は慶尚南道にあるコチャンという街での集会の模様です。

 そこは、「日本天皇の故郷」と言われる大変歴史の深い場所なのですが、昨年、不思議と、この町に導いてくださり、昨年の12月も奉仕したのですが、八月も来てくださいということで、4日間連続の集会でした。しかし「予備日を1日とってください」と言われて、「恵まれたら一日延ばします」ということでした。聖霊様が働いてくださったので、1日延びたどころか、集会が3つも加わってしまいました。

 街で一番大きな教会を使うことになっていたのですが、使えなくなり他の部屋にテレビで中継をして、講壇まで人々が溢れていました。すぐ横に人が座っていて、やりにくい感じでしたけれども…。

 本当に熱い集会でした。「この聖会を、夏の恒例の行事にしてください。順先生が死ぬまで8月は来てください」と言われました。

 続いてアメリカへ行きました。

 この方々は私の古くから尊敬するご夫妻で、綾子ビラップ先生ご夫妻です。先生方は少し体を弱くされていたので心配していたんですが、竹内先生の教会の集会に突然来てくださいました。うれしかったです。
 アヤコ先生が新城教会に来てくれて、本当に教会が変わりました。この方と知り合った流れで、霊的戦いが始まったと言っても、過言ではありません。
 
 なぜ彼女と出会ったかと言うと、さかのぼること20数年前ですが、前にもここでお話をしたことがありますが、お隣の教育館を建てるために、建築委員会を作って、アメリカに視察に行ったことがありました。
 しかしその時大きな戦いがあり、行くのを止めさせる力が何度も何度も働き、もう諦めよう、今回は御心じゃないかもしれないと思いました。でも、何かどうしてもアメリカに行かなくてはいけない、と思って、無理矢理行きました。
そして、帰りにハワイに立ち寄って、ハワイから帰ってくる途中、機内で綾子先生に出会いました。

 実はこの方は日本人なんですが、戦後アメリカ人と結婚してアメリカに渡った方で、既にアメリカ国籍の方なんですが、彼女は本当に聖霊に満たされた方で、その時、彼女は日本に短期間宣教師として行く準備をしていたそうです。
 来週は日本に行くという週に、アメリカ本土から電話がかかってきたそうです。「あなたの息子が今危篤状態です。すぐに病院に来てください」との電話だったそうです。日本に行くただ中で、息子が危篤だと電話がかかってきたそうです。

さて、みなさんはこのような状況で、どっちを選びますか?すぐに息子に会いに行きますか?それとも日本に行きますか?日本に行く人は普通はいないと思います。
 彼女は本当に心が騒いだそうです。そして、神の前に祈ったそうです。「神様、どうしたらいいですか?」と。すると、彼女は霊的に敏感な方で、神様からの声を聞いたと言うのです。「息子はわたしに任せておけ。天の軍勢を遣わして息子を守るから、あなたは日本に行きなさい。しかし、飛行機に乗った時に、重要な出会いがあるから、よく祈ってから飛行機に乗りなさい」と神の声を聞いたと言うのです。
私はそんな具体的な神の声は聞いたことがありません。それがどういう感覚なのかわかりませんが、そういう人っているんですね。彼女は神の声を聞いたと言うのです。それで、息子の所に行かないで飛行機に乗ったと言うのです。
 「この飛行機の中に、重要な出会いがある。」と主から語られていたので、飛行機に乗り、すぐに辺りを見渡したそうです。しかし、神の人のような神々しい人物は一人もいなかったので、「あの声は間違いか、勘違いだったのか・・・」と思ったそうです。
 すると、通路を挟んで斜め右側に、白いパンツを履いて、青いアロハを着て、サングラスをかけて寝そべっている男がいたそうです。変な奴がいるな、と初めは思っていたそうです。すると、その男が突然、かばんの中から週刊誌を取り出すかと思ったら、聖書を取り出して、なんと1時間、2時間と読んでいたそうです。
 「神様、この人ですか?」と祈ったそうですが、なかなか信用できなかったそうです。だから、「主よ、本当にこの人ですか?」と続けて祈っていたら、太平洋の上で、「この人に話しかけなさい」と語られ、話しかけたのが、なんと、この私だったのです。その頃は髪の毛もあったんですが…。
 実は、なんと、その事がきっかけとなって、アヤコさんがこの教会に来られるようになり、聖霊様の働きについて紹介して下さり、将来に対する預言が語られたりして、主がその通りに導いて下さいました。
しかしあの時は、天で大きな戦いが起こっていたと思います。私がアメリカに行かなかったら、出会いはなかったのです。また、彼女がアメリカ本土に帰ったら、出会いはなく、新城教会の方向は相当違っていたと思います。

来週からジョー先生の息子が一年くらい新城に滞在して、新城教会のスタッフに弟子入りして勉強します。日本語をちゃんと教えてやろうと思っているのですが、ジョー先生となぜ出会ったかと言うと、それもアヤコ先生がきっかけです。
 彼女はやがて、タコマという街に赴任して、どこの教会に行ったら良いのかと祈ったそうです。「神様、どこの教会に集ったらいいですか」と。
すると幻が見えたそうです。一つ風景が見えて、その風景を探しに出かけて行ったそうです。すると、自分が見せられた幻と同じ景色の中に教会があったそうです。あまり立派な教会ではなく、「こんな教会には行きたくないな」と思ったそうです。アメリカには素晴らしい教会が多くありますので、こんな小さな教会に行くのかと思ったそうです。しかし、その教会で副牧師をやっていたのがジョー先生だったのです。
 なんと、今ではヤキマで霊的戦いが始まり、主の働きが広がっているのです。それで、今度はジョー先生の息子が新城教会に学びに来るなんて、本当に不思議です。あの太平洋上の出会いがなかったら、こういうことはありえないのです。

 神の用意した出会いが人生にはあるのです。しかし、それを前にすると、いろいろ霊的戦いがあるようです。
 他の写真も全てお見せしたいと思います。


 これは先週の日曜日、ジョー先生の教会での奉仕です。大勢の方のためにも祈ることができました。また、いろんな場所に、とりなしの祈りにも行きました。

 これは、ハンフォードと言って、日本に落とした原爆を作ったところです。この場所で広島と長崎の原爆が造られました。私たちはその場所に行って祈りをしました。

 これは日本人が収容された収容所跡です。第二次大戦の時に、日本人は敵国移民として、全て捕まえられて、収容所に送られました。そこにも行って、日本とアメリカの間の暗闇が破られるように祈ってきました。

 この場所はインディアンの女性や子供たちが大勢、白人達に殺された場所です。


 ここは、インディアンが聖地としている温泉が湧き出ているところなんですが、そこでも祈りました。

 この写真はきれいでしょ。ウィンドウズの画面じゃありません。私が撮りました。なかなか綺麗な空だったんですが、みなさんの祈りに支えられて霊的戦いが世界で進んでいることを、心から感謝します。

 先ほど、ゼカリヤ書の3章のところをお読みしましたけれども、この場面は、大祭司ヨシュアが、神の前に立っている光景をゼカリヤという預言者が見せられた時のレポートです。
 以前にもここから学んだことがありますので、覚えているかもしれませんが、これは霊的領域での出来事です。ゼカリヤは霊の目が開かれて、その光景を見せられたのです。しかし、霊的な世界の出来事を見せられたただ中で、地上ではどんなことが起こっていたかを、聖書は合わせてレポートしています。
聖書は、立体的に読まないとその意味についてわからないところがあります。ただ平たく読まないで時代的背景や、時間的流れを考慮しながら読むと、なかなか味わい深いものです。

 イスラエルは、元々一つの国だったんですが、南ユダと北のイスラエルという二つの国に別れてしまいました。そしてその両方とも、やがて外国に捕虜として連れていかれました。その原因は全て偶像礼拝だと言われます。南のユダはバビロンに70年間も奴隷になりました。
 イスラエルはかつて400年以上に渡って、エジプトに捕虜になったことがありましたが、またしてもバビロンに捕虜として捕まえられていました。
 しかし、神の預言通りに、そこから解放されて、彼らは自分たちが元住んでいたエルサレムに帰ってきました。

 その時、何から始めたかと言うと、荒れ果てた故郷に帰って、まずは神の宮を建て直すと作業から始めました。神の宮は壊されていましたから、彼らはすぐにそれを建て直す作業に着手しました。
 しかし、どんなことが起こったかが、エズラ記4章1節から5節に記されています。これは、バビロンから帰ったユダの人たちが神の宮を建て直した時の記録です。
エズラ記 4章1節〜5節、

ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々が、イスラエルの神、主のために神殿を建てていると聞いて、ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て、言った。「私たちも、あなたがたといっしょに建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めているのです。アッシリヤの王エサル・ハドンが、私たちをここに連れて来た時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえをささげてきました。」しかし、ゼルバベルとヨシュアとその他のイスラエルの一族のかしらたちは、彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。ペルシヤの王、クロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりだ。」すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。

 実は、ユダの人たちが、エルサレムで宮を建て始めた時、すぐにその地に住んでいた民がやって来て、その宮の工事を中止させようとしたと言うのです。「そんな仕事は止めてしまえ」と。
 そんなただ中で、ゼカリヤは目に見えない世界の幻を見ました。現実の世界では、工事を中止させようとしている、ただ中にありました。その時、霊の世界を見たら、ヨシュアという代表者が主の前に立っていて、その周りに天の軍勢が取り巻いていたのです。
 しかし、もう一人の存在が横に立っていました。それが、何者かというと、「サタン」が立っていたのです。
サタンはしきりにヨシュアを神に訴え、文句をつけていたのです。その時に、地上では何が起こっていたかと言うと、敵がやってきて神の宮の工事にいちゃもんをつけて、工事を中止させようとしていたのです。

 ここから何を学ぶことが出来るのかというと、目に見えない世界と見える世界は、同時存在していて、ある意味、裏・表ということです。そして、目に見えない世界でサタンにいちゃもんをつけられ、訴えられると、なんと現実の世界でも敵がやってきて、いろいろと邪魔が入るのです。

 現実の世界にどんな邪魔が入ったかということが、エズラ記の4章の4節、5節に記されています。
まず第一に、ユダの民の「気力を失わせた」のです。次に、議官を買収して彼らに「反対させ」、この「計画を打ち壊そうとした」、また、彼らを「脅した」とも記されています。見える敵が実際に来て、ユダの人たちの気力を失わせ、脅して、また、反対者が起こり、計画を打ち壊すようなそんなことが、地上で起こっていたのです。妨害に関して、どこが発信源になっていたかと言うと、目に見えない世界でサタンが訴えた時に、地上ではこのような現れがあったと言うのです。

 みなさん、私たちも人生の中で、時々気力を失うようなことがあるのではないでしょうか?「さぁ、これからがんばるぞ!」と言う時に、気力を失わされるような事件がありますけれど、もしかしたら、その原因として目に見えない世界で訴える存在がいるのかもしれません。
 また、なんらかの事で脅されたことがありますか?人生の中で、脅され、心が騒いで、夜も眠れないようなことがあったかもしれません。悪魔の手口は、「気力を失わせる、脅す、そして、反対者を起こす」というものです。初めは反対をしていなかった者たちが買収されて、心奪われて、反対者に変わったのです。

 時々、神様のための働きを進めていこうとすると、反対者が起こって、気力を失わされるようなことが起きます。これはただ現実の問題ではなくて、見えない世界との関わりがあると教えています。
ユダの人々も、神の宮を建てる計画が中止させられそうになったのです。
 私たちの信仰生活は、何を意味するかと言うと、それは、神の宮を建て上げる計画の実行です。今日も礼拝に出ているのは、目に見えない神の宮を建て直し、建て上げる作業です。
 しかし、どうでしょうか?その計画が打ち壊されるということが、信仰生活の中ではよくあるのではないでしょうか。
本当に悲しいのは、一度クリスチャンになっても、信仰から離れてしまって、信仰を失ってしまう人たちが多いのです。なぜ、そんなことが起こるのか?それはただ単なることではなく、目に見えない世界での戦いがあるのです。

 もしもみなさんの中で、気力を失わさせられているとか、誰からか脅されているとか、強力な反対者が周りにいるとか、計画が壊れそうだというようなことがあったら、それをただ単なる問題とはしないで、もしかしたら、見えない世界となんらかの関わりがあるのかもしれないと、考えてみて下さい。そして目に見えない世界で勝利をとることを優先順位においたら、見える世界も変わるのです。
 それらについてエズラ記五章から学ぶことが出来ます。何しろ、神の宮の計画を潰そうとして、見えない世界でサタンが訴えていたことが、ゼカリヤ書三章との関連において理解出来ます。
 サタンは、ヨシュアの何を訴えていたかと言うと、
ゼカリヤ書 3章3節、

ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。

 目に見えない世界でヨシュアが、「汚れた服を着ていた」そうです。すると、サタンが来て、「おまえの服は汚いな〜」と言って、神の前に訴えをしていたと言うのです。これはどういう意味なのでしょうか。
ガラテヤ人への手紙 3章27節、

バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。

 イエス・キリストを信じてバプテスマを受けることは重要です。それは「イエス・キリストをその身に着る」と言うのです。イエス様ご自身が私たちを包んでくださる、そんな神秘的なことが起こるのです。
 まだ、バプテスマを受ける決断がついていない方がいたら、是非バプテスマを受けていただきたいと思います。それは「キリストをその身に着る」ということなのです。

 先日、私は韓国からアメリカに行く時に、関空に立ち寄ってからシアトルに行きました。すると空港には、大勢の中学生たちが、制服を着て並んでいました。この頃は、修学旅行でアメリカに行くようです。中学生特有の白いシャツを着て黒いズボン、胸にはネームプレートをつけて、ずらっと出発ゲートに並んでいました。申しわけないですが、「この子たちと一緒か…。お〜、主よ!」と思いました。
 しかし、神様は素晴らしいお方です。私は海外に行く時はいつも、一番安いチケットで行きます。エコノミーの中のエコノミーというやつです。みなさん、安いチケットが買いたかったら、私に聞いてくださいね。良い情報をあげますので。今回はちょって高かったですが、その中でも一番安いチケットを探して行きました。「こういう学生たちの間に席が入ってしまったら、寝れなくて、着いてから仕事が出来なくなったらどうしよう・・・」と思ったのですが、私には主が共におられました。
 カウンターに行ったら、「滝元さん、あなたのチケット、ちょっと席が変わってますよ。こっちの席に変わってください」と言われました。見たら、なんとビジネスクラスでした。ビジネスクラスは何倍も値段が高く、別世界です。エコノミーの席はブロイラーのケージみたいですけれども、ビジネスクラスは寝転んで行けます。ご飯もうまくて、たらふく食べて、ぐっすり寝て行きました。やっぱりイエス様が私と共におられると思いました。向こうに着いたらすぐに仕事が出来ました。

 帰国する日が来て、帰国したらすぐに霊的戦いセミナーがありましたから、大変だな、と思いつつ、今度こそ制服を着た連中はいないだろうと願っていました。しかしシアトルの空港に着いたら唖然としました。また違うグループが制服を着て並んでいました。「おぉ〜、主よ、またですか・・・」という感じでした。でも二度もビジネスクラスにアップグレードしてくれるはずはないので、私はふてくされて、みんなが飛行機に乗った後に、ぎりぎりになって搭乗しよう思い、少し買い物をして、全員が乗ったころゲートに行きました。
すると、「あっ、滝元さんですね、あなたの席が変更されていますよ」と言われました。見たらなんと、再び、ビジネスクラスでした。なんと二度ですよ!
 チビちゃん達が大勢いたおかげで席がなくなり、私をビジネスに移動してくれたのかな、と思いました。私には天の軍勢が共にいて、次のスケジュールを知っていて準備したのかも知れません。本当に感謝でした。それで、元気に全てのスケジュールをこなすことができました。

 ちょっと話がそれましたが、何が言いたいかというと、学生は、ユニフォームを着ていて、すぐにどこの学校かわかります。私も、新城高校の卒業生なのですが、この辺にも高校がいくつかありまして、制服を見たら、「新城高校!東高校!○○高校!」と、制服で分かるのです。
 みなさん、イエス様を信じて、教会に属すると、制服が与えられるというのです。制服は重要です。

 この頃は、駐車違反とか厳しいですね。新城で駐車違反を取られるというのは、相当タイミングが悪い人ですけれど、都会に行くとすぐにやられます。私は駐車違反は取られたことがないんですが、違反のチケットを切るのは、おじちゃん、おばちゃん、若い女性の警官だったりもします。「くそー」と思ったりしますが、相手が制服を着ている以上、反抗できないのです。婦人警官も、体力的には落ちるかもしれないけれど、制服さえ着ていれば、路上で手を上げれば、ダンプカーからヤクザの車でも止めてしまいます。
 しかし、非番の時に、普通の服で手をあげたら、止まるのはタクシーだけです。でも制服を着ていれば、それだけで権威があるのです。
 私たちもイエス様を信じると、制服を着せてくれるのです。なんとイエス・キリストをその身に着たというのですから、手をあげるだけで、悪魔の車が止まるのです。敵の力を打ち砕くのです。特にそれが、なんとバプテスマを受けるという時に着せられますよ、と聖書は告げています。
 「バプテスマを受けていないから駄目か・・・」とは思わないでください。仮にちゃんと神様は制服を着せてくださっていますから。しかし制服を正式に着ることが大事です。だから、仕事に行く時も、学校に行く時も、ちゃんとイエス・キリストという制服を着て、「今日は出かけます!」と宣言して下さい。そのような意識をしっかり持ったら大丈夫です。

 しかし、制服が汚れていると、悪魔に訴えられると言うのです。やはり、制服は、きれいな制服を着ていなければなりません。この「汚れ」とは何かというと、実は罪の汚れです。私たちが罪を犯すと、権威の制服が汚れてしまうみたいです。でも、制服がきれいに洗われているならば、決して訴えられないのです。

しかし、訴えられた場合でも、勝利する秘訣が、ゼカリヤ書の3章1節から5節に記されています。

 実は、ヨシュアというのは、「大祭司ヨシュア」と表記されています。彼はイスラエルを代表していました。このヨシュアが訴えられていたのは、ただ単に個人的な罪というよりも「共同体の罪」でした。悪魔が私たちを訴える一番大きな領域とは、もちろん個人の罪に関しても訴えますけれど、それ以上に、「共同体の罪」を衣の汚れとして訴えるようです。
 私たちは一人で生きていくことはできません。個人と言っても家族がありますから、「家族」という共同体と共にあります。また、家族だけではなく、「親族」という共同体もあります。また、新城市民ならば、「新城市民」という立場での共同体の一員でもあります。また、日本人ならば「日本国」という、日本全体の代表者のような存在です。
 悪魔が訴えるのは、共同体の罪をその人の汚れとして訴えるようです。このヨシュアは、イスラエルを代表している存在でしたが、彼の制服が汚れていたのは、イスラエル全体の罪だったようです。
どうも我々の見える世界にいろいろな問題が起きるのは、ただ単に個人的なものというよりも、更に幅広い、家族という共同体であったり、地域であったり、国であったりと、共同体の罪を悪魔は制服の汚れとして、神の前に訴えるようです。
 その結果として、気力を失わされたり、脅されたり、反対されたり、計画を壊されたりすることがあるようです。しかし、それに打ち勝つ秘訣が、三章の最初のところに記されています。
 ここで、まずは、主の前に立っていたヨシュアの為に、「主ご自身」が弁護してくださっている姿を見ることが出来ます。
「サタンよ、主がおまえを咎めている」と、イエス・キリストを信じた者に対しては、主が共にいてくださり、弁護してくださるのです。

 同時に、ゼカリヤという人物、これはヨシュアの仲間でしたが、仲間も目に見えない世界でとりなしをしました。
そしてもう一つは、最後に「主の使いは、そばに立っていた」とあります。天の軍勢が共に戦う時に、見えない世界での戦いに勝利したのです。

 ここに、勝利の秘訣があります。まず、私たちが主の前に立つ者として、その衣が汚れることがないように、十字架の血潮を仰ぐと共に、誰かのとりなしの祈りによって、悪魔の訴えが取り下げられるということです。
 教会がなぜ重要かというと、バック・グラウンドも違う人たちがイエス・キリストによって集められたのが教会ですけれど、お互いにとりなし支えて祈ることができる場所なのです。祈りとは、自分のことさえ祈っていればいいと思うのですが、そうではないのです。お互いに祈り合わないといけないのです。

 自分じゃできないことが、他の人の祈りによって出来るようになるのです。ヨシュア個人では出来なかったけど、ゼカリヤという人物が横でとりなしたことにより、目に見えない世界で勝利があったように、私たちも誰かのために祈ってあげる、祈ってもらう、ということは本当に重要です。
 自分では出来なくても、誰かだと簡単に出来ることって結構あるじゃないですか。今朝も起きて、私は背中がかゆくて、背中をかこうとしたんですが、なかなか手が回りませんでした。その時に「家内のところに行けばいい!」と思って、シャツを脱いで家内のところに行って「背中かいて」と言ったら、一発で私のかゆい所を見抜いて、ピンポイントでやってもらいました。すぐにかゆみはなくなりました。「あんたよく私のかゆい場所が分かるね」と言ったんですが、「長年つき合ってるから、大体かゆい所くらいわかる」と、「かゆい所に手が届く」というやつなんですが、本当に自分では手が届かず、筋を違えそうでしたけれども家内ならば、いとも簡単に私の問題を解決したのです。
 同じようにみなさん、自分で一生懸命もがいて祈っていても、なかなか解決できない問題を、お隣さんに祈りを頼んでみてください。ピンポイントであなたの問題を解決してくれるかもしれません。

 ですから、教会に来たら、周りの人たちに祈りを要請しておくことは、重要です。
 そして、教会とは、なんのための機関かと言ったら、とりなしのための専門機関です。いろんな問題があったら、教会に是非お伝えください。自分で悩んでいないで、教会に伝えてくれたら、私たちは専門的に祈りますから。そうしたら、ピンポイントで問題解決に導かれることが多くあるのです。
 
 それと共に、今日ここで一番学びたいのは、「主の使いはそばに立っていた」という箇所です。このような目に見えない世界での戦いのために、「主の使い」という存在が大変重要です。

 旧約聖書と新約聖書で、「御使い」とか、「主の使い」、「天使」、「天の軍勢」、これはみな同じ存在ですが、神の前に仕えている、目に見えない被造物です。それは神の軍隊です。神様は軍隊を持っているのです。
 そのような表現が、私がJ-Bibleで調べたところによると、「229節」にも渡って使用されていました。そして、聖書を見ると、この天の御使いたち、天の軍勢は、様々な局面で現れ、主を信じる者たちを助けているのです。しかし、そのことに関してはなかなか教会は語りません。

 さて、みなさんは天使と聞くと、どんなイメージを持ちますか?たぶん一般的なイメージというのは、あの、森永キャラメルのマークくらいにしか考えないと思います。連中はクリスマスになると出て来て、ロウソクの周りをぐるぐるぐる回って、その後は草葉の影かどこか知らないですが、隠れていている。クリスマスになると裸で出て来て、うるさいな〜という感じです。しかし彼らは、決してそうではありません。

 主の使い、天の軍勢というのは、目に見えない世界と、現実とを、橋渡しするような存在として、神が作られた被造物です。実は、悪魔・悪霊どもも、元々はこの天の軍勢の一員だったのです。しかし、神に反発したことによって、地上に落とされてしまったわけです。
 しかし、この天の軍勢が私たちの周りで働いているということに気づかないと、なかなか、私たちは勝利を受け取る事ができないのではと思います。聖書の記述というのは、理解と共に進みます。理解があれば現実に起きるけど、理解がないとそのまま流れてしまうことが結構あります。

そもそも、みなさんがイエス・キリストを信じた、というのも、それは「理解」があった結果です。イエス・キリストを信じる以前は、キリストが救い主なんていうことは、さらさら考えていなかったと思います。
 でも、教会に来て、聖書に記述されているように、イエス・キリストが私たちの救い主だということを理解したわけです。私たちのために救いが用意されたのは、遠く二千年も前の事です。神は二千年も前に、救いを完成させてくださったのですが、我々が理解していなかったら、救いの恩恵を受けることが出来なかったのです。その原則は同じで、聖書の御言葉は、理解するか・しないかで、勝利か敗北が決まります。
 ですから、聖書のみ言葉を「理解する」事は大変重要です。教会に来て、聖書のみ言葉を学び、また家でも聖書をよく読むと、理解と共に戦いは前進していきます。
 この頃老眼になって、なかなか聖書を読むのが難しいという方も多いのではないでのしょうか。しかし、大きい文字の聖書もありますし、実は、私の母はこの頃どうやって聖書を読んでいるかと言うと、実はiPadで読んでいます。ハイテクばあちゃんです。iPadで字を大きくして読んでいます。案外、ああいうツールも神が人類に与えてくれたものです。今回、アメリカに行ったら、私の周りのクリスチャンは聖書を持っていませんでした。みんなiPhoneでした。
私はこの頃、「iPhoneの伝道者になった」と言われているのですが、なかなか便利なので、「いいよ、いいよ」と言うもんだから、「順先生、いつからiPhoneの伝道者になったの?もう二人も救われたよ」なんて昨日言われました。
 そんなもので救いは与えられませんけれど、私はiPhoneの中に聖書を入れて、どこでも読むようにしています。みなさん、聖書のみ言葉の理解があると、現実の世界に勝利が来るわけです。

 悪魔は重要なみ言葉の理解を隠します。主の使いが私たちの周りに展開していることを知らせないようにしているのです。しかし、聖書の御言葉から、「神の軍隊がこの場に来ている、私たちと共に戦うのだ」と理解するなら、勇気百倍になるのです。
今日みなさんに、お伝えしたいことは、みなさんの周りに天の軍勢が展開しているということです。だから、決して一人ではないということを知らなければなりません。

 子供の時期は、結構、問題って少ないんじゃないですか?ここにも子供たちがいますけれども、子供たちを見てください。なんの悩みもないような顔をしていて、うらやましいと思いませんか?「もう駄目だ〜」というような顔をした、幼稚園や小学生の子供たちはいないですね。
 うちにこの頃、毎日孫が来ます。初めはおとなしそうだったんですが、この頃はチビギャングみたいです。なんの悩みもない顔をしています。
 でも、人間というのは、だんだん大きくなってくると、悩みも多くなってくるし、いろんな問題も多くなるわけです。子供の頃はあんなに強かったのに、なんで大人になると弱くなってしまうのでしょうか。いろいろと理由はあると思いますが、聖書の中にこんな言葉があります。
マタイの福音書 18章10節、

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

 なんと、子供の時代というのは、父なる神の前に出入りしている、ある意味で、位の高い、強い天の軍勢が一緒にいるのかも知れません。これは私の推測ですが、私たちがこの地上に生まれた時に、神は公平なお方だから、それぞれ天の軍勢を割り当ててくれているのではないかと思います。それで、子供の時代は、天の軍勢が大勢いるから、苦しいこと、悲しいことなどがあまりないのかもしれません。しかし大人になるにつれて、罪により、天使が一人去り、二人去り、三人去りと、だんだんと天の軍勢の数が減って、減った分だけ悪霊が来るのかも知れません。軍隊が入れ替わるのかもしれないと思います。子供たちが問題がないというのは、神の軍隊が守っているからだと思います。
 子育ての時、割り当てられた天の軍勢が去らないで、共に戦い続けるように祈る必要がある思うのです。私たちも、天の軍勢が共にいるということを、しっかりと知ることが必要です。

 実は、イエス様がゲラサという地に行かれた時に、元、天の軍勢であって、暗闇の軍勢になってしまった、悪霊に取り憑かれた男と出会いました。その時、イエス様がこの汚れた霊に対して、権威を使われました。
マルコの福音書 5章8節〜10節、

それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。

 実はこの男には、「レギオン」と呼ばれる暗闇の軍勢がくっついていました。レギオンとは何かと言いますと、当時のローマの一個大隊の単位でありまして、六千人くらいの兵隊たちを持つ組織でした。6000人くらいで構成される兵隊の組織のことをレギオンと言ったのですが、目に見えない世界でも、六千くらいの悪霊を擁する、組織的な霊的軍隊がこの男の周りに展開していたのです。
 その結果として何が起こっていたかと言ったら、ゲラサの街全体が暗くなって、彼を誰も抑えることができなかったのです。
 時々、「彼のことは誰も手がつけられない、あの人の問題は誰も解決できない」という問題に出くわしますけれども、それは背後にレギオンというような軍団がくっついているのではないでしょうか。そうなると人生は不幸です。

 しかし、みなさん、私たちクリスチャンにはどのくらいの光の軍勢が共にいるのでしょうか?
 イエス様は私たちの代表者でありました。「クリスチャンとはこういう者たちだ、このような権威ある存在だ」と、自らの人生を通して、デモンストレーションしてくださったのが、イエス様です。
 イエス様は十字架にかかって死なれましたけれども、ある人は「イエスは弱いじゃないか」と言うようです。日本のある宗教団体もそのように言うようです。「イエスは弱いじゃないか。なんだあれは、人々に捕らえられて十字架につけられて殺されたじゃないか。神ならばそんなはずはない」と。
いろんなテレビ映画なんかを見ると、やはりイエス様は殺されたんだという印象を持ちます。しかしそうではないのです。イエス様は自ら十字架に向かって進んで行かれ、自ら命を父なる神様に渡し、また、自ら命を勝ち取ったお方なのです。その十字架を前にして、イエス様が語られた言葉があります。
マタイの福音書 26章53節〜54節

それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。

 なんと、イエス様は十字架を前にして、「十二軍団以上の天使たちをこの場に即、遣わすことができる」と言われました。だが、そのようなことをしたら、聖書の預言さえも変わってしまう。だからそうは出来ない、と言われました。
これは何を意味しているかと言うと、「十二軍団」というのは、原語では「十二レギオン」です。一つのレギオン、六千の軍隊がいたことによってどうにも手に負えない問題が発生してました。
でも、イエス様は言われました。今、この場に「天の十二軍団よ来い」と命じることが出来ると。イエス様はそんな権威を持っておられたのです。しかしそれをしたら、「全人類の罪の身代わりとなって死ぬという計画が中止させられてしまうから、それは出来ない」と語り、自ら、十字架に進んでいかれたのです。
 私たち、クリスチャンも十二レギオンとも言える、大きな天の大隊を呼び下すことが出来るはずです。それはサタンの計画を粉々にし、神の計画を遂行するために遣わされる軍団です。
しかし案外、私たちはそのことを願っていないのかもしれません。
 「主よ、私たちのために、私たちの教会に、天の軍勢を送ってください」と祈る必要があるのではないかと思います。

 9月になって、新しい環境が始まった方もおられるかもしれません。少し、気力を落としている方もいるかもしれません。何者かに脅されて、怯えている人もいるかもしれません。反対者が多くいて、苦しんでいる人もいるかもしれません。自分の計画が打ち壊されそうになっている人がいるかもしれません。
 しかしイエス様のみ名によって、今でも十二軍団のレギオン、光の軍勢を呼ぶことが出来ると信じます。「主の使いはそばに立っていた」と、天の軍勢と共に戦うことができるという、この奥義と真理を知る必要があると思います。

 今日は天から十二軍団以上の天の軍勢を引き下ろしていただいて、全ての困難が打ち破られ、主の勝利が拡大するように祈ろうではありませんか。
 すでにもうイエス様は十字架にかかって命を捨てたばかりか、甦って今も生きておられる方ですから、私たちはすばらしい権威と共に生きることができると、聖書は教えています。
 ルカの福音書 10章19節、

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。

 この御言葉を堅く握って、この秋、私たちは主の戦いを勇敢に、戦い抜いて行きたいと願っています。
 最後に一言お祈りして終わりにさせていただきたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて、心から感謝します。今、私たちは神の御言葉に従って祈ります。主よ、ここに十二軍団以上の天の軍勢を遣わしてください。
 今日は、皆が、主の軍勢と共に戦うことができますように。もしも、主が最初に割り当ててくださった天の軍勢があるならば、またその軍勢を失ったならば、今日はどうかその軍勢を回復して下さい。主の軍勢が私たちと共に立っているという、この素晴らしい御言葉の通りに、人生を歩むことができますよう、お願いします。
主よ、どうか、この秋、誰一人として、害を受ける人がいませんように。主が勝利が拡大しますように。イエス様、感謝します。
 今からあなたの十字架の血潮を感謝して、聖餐式を行います。この時を祝福してください。
 イエス・キリストの御名によって、勝利を信じていのります。アーメン。


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