今週の礼拝メッセージ
リバイバルと悔い改め 1998.1.11(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 第一歴代誌28章11節〜13節
こうしてソロモンは、主の宮と、王宮とを建て終え、主の宮と自分の宮殿に対して実施しようとソロモンが思っていたすべてのことをみごとに実現した。すると、主が夜ソロモンに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 ハレルヤ!皆さんと共に御言葉を学ぶことができ感謝します。先週は、主の宮を建てるための仕様書を受け取り、主が命じる御心を行う時、神の栄光が現されるということをお話しました。

 旧約時代に神の宮を建てることはとても重要なことであり、宮を建て終えたとき栄光が現れました。そして、新約の時代においては神のみこころを捕まえて歩んでいく時に、主の栄光が現されるということを学びました。今日の御言葉は、その続きの箇所です。
 七章十四節に、

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 宮を建て終えた時に、神がソロモンに言われたことは、「あなたの願いを聞いた。また、わたしのためにこのところをいけにえをささげる宮として選んだ。」それは、「あなたの祈りを聞いた。」ということでした。
 祈りをささげる時に、必ず主が聞き届けてくださったらどんなに素晴らしいことだろうかと思います。祈った祈りが全て答えられるようになったら、人生も、教会も、国も変わっていくと思います。
 ここには、聞かれれる祈りの条件が書かれています。祈りが聞かれるためには、まず宮を建てることが重要です。それは、自分自身を聖い生きた供え物として供えると、神は祈りを聞いてくださるのです。神の宮が建て終えられるということは、「祈りが聞かれる場所が設定された」ということです。私たちが神のみこころを実現していくならば、そこに神の宮が建ち、祈りを聞いてあげますという約束です。今年は神が一人ひとりに望んでおられる御心をしっかりと捕まえ、それを成し遂げることができますように。その時、神が祈りを聞かれる場所が設けられるのです。
 そして、七章十四節の御言葉につながります。天が閉ざされてしまったような、また疫病が起こったような、また、いなごが来て地を食い荒らしてしまったような問題が起こった時に、神の宮に行って祈ると、祈りが聞かれるということです。
 今、私たちは心からリバイバルを求めていますが、リバイバルのために必要なことは、まずこの国に、神の宮を建てることです。これは旧約聖書のような現実的な宮ではなく、御心をとらえて役割を果たすことです。
 日本を見る時、大きな問題がたくさんあります。しかし、「わたしの名を求めているわたしの民がみずからへりくだり祈りをささげるなら・・」と書かれています。これは共同訳聖書では「ひざまずいて祈る」と訳されています。そして、「主の顔を慕い求め・・」と書かれていますが、これは「主の顔を捜し求める」という意味もあります。「悪い道から立ち返る」それは、「悔い改める」ということですが、他の訳し方をすると、「悪い習わしから立ち返る」という意味があります。「悔い改め」が成される時に、その地が癒されると約束されています。「地」というのは、ヘブル語では「国」とも訳すことができます。国が癒されるということです。これは病気が癒されるという意味です。国の病気が癒されるのです。
 今、日本は一つの病気にかかっています。国が癒されるのに必要なのは「神の宮」です。私たち自身が、国の罪は自分の罪であると告白して、へりくだって祈る時に、神の顔を慕い求めていく時に、預言者ダニエルやネヘミヤのように祈る時、国が癒されると信じます。
 韓国のリバイバリスト、申賢均牧師が二十数年前から日本に来られるようになった背景には、不思議な神の導きがありました。ある時、申賢均師がある教会で祈っている時、目の前に一つの幻が現れたそうです。それは、大きなビルが目の前に出現し、それに突然亀裂が入って大きな音とともに崩れ落ちる幻であったそうです。「神様いったい、これは何ですか?」と訪ね祈った時に、「これは日本の東京だ。日本が偶像礼拝と姦淫の罪を悔い改めなければ、わたしはこの国を地震を持ってさばく。」と語られたそうです。そして、「あなたを日本に遣わす」と語られたそうです。その時、申賢均師は全く日本とコンタクトがなかったので、なぜ私が日本に行って伝えなくてはならないのかと思ったそうです。しかし半年後、滝元明牧師と田中政男牧師が韓国に行った時、ある集会がキャンセルになり、他の教会に行ったら申賢均師と出会い、それから続けて日本に来られるようになり、毎年このメッセージを語られています。
 今、日本の病気、すなわち、悪い習わしは、「偶像礼拝と不品行姦淫の罪」です。この罪を悔い改めなくては、日本は崩れてしまいます。イスラエルが偶像礼拝に陥った時には、必ずさばきがありました。また、歴史中、色々な国と文化が栄えましたが、ある時、滅びて行きました。それには社会的、政治的要素がありましたが、それ以前に、性的堕落が必ずありました。今の日本は本当に性的に乱れてしまいました。神はこれを決して見過ごされることはありません。必ずこのことに対して、さばかれる時が来ます。ソドムとゴモラも淫乱と好色の罪によって崩れました。今その罪に対して、教会が戦わなくてはなりません。偶像礼拝、好色淫乱の罪に対して戦わなくてはなりません。神の宮において、そのことを悔い改めなくてはなりません。私たちがその罪から守られたらよいのではなく、この国の罪は私たちの罪でもあります。病んでいる国のために祈らなくてはなりません。その国に神の宮が建てられていると、神はその宮の祈りを聞くと約束されています。
 私は「ハーザー」という雑誌から、「リバイバルと悔い改め」というテーマで原稿を書くようにと依頼されています。先祖の罪が現代の私たちに影響を及ぼすかどうか、御言葉から書いてくださいと頼まれ、どのように書けば良いかと祈っていました。その中で主は色々なことを教えてくださいました。
 自分自身の罪は次の世代には関係がない、と思うかも知れませんが、罪の影響は、次世代にまで持ち越されるものです。私たちは今生きていますが、この環境は先代の作ったものでもあります。同様に、罪は後世に一つの環境をもたらします。麻薬中毒患者から産まれた子どもは、遺伝子に障害が出るそうです。それは自分の罪ではありませんが、親が中毒であるがゆえに子どもに障害が出てしまうのです。
 サムエル記第二の二十一章一節から二節に、

『ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、地を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」そこで王はギブオン人たちを呼び出して、彼らに言った。ギブオンの人たちは、イスラエル人ではなく、エモリ人の生き残りであって、イスラエル人は、彼らと盟約を結んでいたのであるが、サウルが、イスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを打殺してしまおうとしたのであった。』

 ダビデ王の時代に国に飢饉があったのです。そこで王は神の前に出て祈りました。「神様なぜ、三年も飢饉が続いているのですか?」すると、「それはサウルとその一族に血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」と言われました。
 サウルはダビデ王の前の王様でした。しかし飢饉のあった時点では、サウル王はもう亡くなっていましたし、その時代はサウルから数えてサウル家三代目の人たちが生きていた時代です。しかし、サウルがギブオン人を殺した罪の結果が三代目に現れたのです。
 ヨシュア記を読むと、ギブオン人はイスラエルを騙しました。「私たちは遠くから来ました。あなたたちは強いので私たちと平和条約を結んでください」と言いました。彼らは古い服で、遠くから旅して来たように装いました。しかし実際は嘘で、彼らはイスラエルのすぐ側に住んでいたカナン人でした。イスラエルは彼らと主の名によって同盟を結びました。それから数百年経ちましたので、サウルはそのことを忘れてしまったのかわかりませんが、彼は民族意識が強く、ギブオン人を殺そうとしたのです。過去に神様との契約があったのにも関わらず、それに反してしまいました。その理由で、神がイスラエルを裁かれたのでした。
 私たちの罪はその一世代に終わりません。次の世代にもその次の世代にも影響を及ぼしていくのです。
 出エジプト記二十章には十戒について書かれています。四節から六節には、偶像礼拝の罪について書かれています。

『あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、私を憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』

 「父の咎を子に報い三代、四代にまで及ぼす」と書かれていますが、偶像礼拝の罪の呪いは三、四代に及ぶということです。日本には偶像礼拝によって色々な呪いが入っています。日本人はそのことを経験的に知っています。ある家を見て、「あの家系は呪われているのではないか、次から次へと悪いことが起こる。なぜあのようなタイミングで色々なことが起こってくるのだろうか」
 偶像礼拝の罪は三、四代に至る呪いです。私たちは偶像礼拝から離れなくてはなりません。イエス様を信じて、なお偶像に仕えることをできません。私たちは偶像と関係を断たなくてはなりません。偶像礼拝は悪魔礼拝です。人々は神だと思って拝んでいますが、実は、悪魔を拝んでいるのです。知らないうちに、良いことだと思っても、家系の中に呪いが入ってきます。どこかで悪霊との関係を断ち切らなくてはいけません。しかし、これが断ち切られると、神が恵みを千代にまで及ぼしてくださいます。イエス様を信じることは素晴らしいことです、今まで続いていた呪いに終止符が打たれ、千代に至る祝福が流れるのです。三、四代に至る呪いのプログラムに縛られていたのが、イエス様を信じることによって、「千代に至る祝福」に切り替わるのです。ですから、私たちの世代が罪から離れることは次の世代に対しての大きな祝福となります。
 神はイスラエルに律法を与え、偶像礼拝から離れるように語りました。しかし、その言葉を聞きながら、彼らは神に従わず偶像礼拝に止まっていました。結果として、国は二つに分かれ、最後はバビロンへ捕囚されてしまいました。これはイスラエルにとって大きな痛手でありました。しかし、このバビロンに捕虜となって連行されることが決定されてしまったのは、使徒の働き七章四十二節から四十三節をみると、

『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。あなたがたは、モロクの幕屋とロンバの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。それゆえ、わたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ移す。』

と書かれています。イスラエルがバビロンのかなたに移されることが決定されたのは、出エジプト後、四十年の荒野の生活の中、偶像を拝んだ時です。しかし、バビロン捕囚が現実となったのは、それから約千年後です。千年も前に呪が民族の中に持ち込まれたのです。これは三、四代に至る呪いどころではありません。ということは、私たちが罪から離れないと、その家系や民族の中に、末永く恐ろしい呪いが入ってしまうのです。
 しかし、私たちはその呪いから解放されることができます。それはイエス様が十字架で身代わりとなって死んでくださったからです。日本は偶像礼拝に凝り固まっていますが、救われた者たちが、神の宮において、この国の罪を自分の罪と認め、へりくだって祈るならば、この国が癒されるという約束が第二歴代誌七章十四節です。素晴らしい御言葉です。私たちが自分自身の罪から離れるだけではなく、日本の罪が神の前に赦されるように祈りましょう。
 さて、悔い改めについて、私たちがイメージするのは、お母さんに叱られた子どもが、「お母さん、ごめんなさい」と詫びる姿を「悔い改め」と考えます。日本人の中にそのような体質があります。「伏してお詫びをする」というような体質があります。しかし、神の前の悔い改めは、「ごめんなさい」と言う悔い改めだけでは不十分な罪もあります。なぜでしょうか。出エジプト記二十三章三十二節に、

『あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。』

 例えば、サラ金からお金を借りて返済できなくて問題が起きた時、サラ金会社に行って、「ごめんなさい。私はお金を借りましたが返せないのです。赦してください。」と泣いてお詫びをしても駄目です。なぜなら、サラ金から金を借りたということは、根本的には「契約」を結んだということだからです。いくら泣いても、契約がある以上仕方がないのです。私たちも罪の悔い改めについて、神の前に出て、「ごめんなさい」というのが悔い改めの全てかと思うかも知れません。実際、これも悔い改めの側面であることは確かです。しかし、もう一つ忘れてはならない側面があるのです。
 偶像礼拝は契約であり、悪魔との契約です。私たちはイエス様を信じていますが、まだ悪魔との契約が残っている場合があります。この契約をしっかりと砕かなくてはなりません。契約を断ち切ることが、偶像礼拝の罪における悔い改めの重要な側面です。時には、家系の中に悪魔との契約書があります。「お前の祖先が我々と契約を結んだのだ。お前の家系はオレのものだ。」と悪魔は権利を主張します。「私はすでに、イエス様を信じて偶像は絶対に拝みません。イエス様にお詫びを言いました。」けれど彼らは、契約の解除宣言をしない以上、古い契約書を持って迫ってくるのです。「まだこの契約書が無効だという宣言はないぞ。だからお前の家系はオレのものだ。」悪魔は契約を振りかざして権利を主張するのです。だから、イエスの血潮の契約により、悪魔との契約がなくなるように祈ることが必要です。特に日本人の家系や国には悪魔との契約書だらけです。神の宮に属する者たちが、その契約書を引きずり出して、イエス様の御名によって、血潮によって砕かなければならないのです。今日すべての兄弟姉妹の家系の中にある契約が砕かれるよう祈りましょう。そうしたら悪魔は契約がなくなるので働くことができません。もう悪魔は皆さんの家系の中に手を出すことはできません。
 もう一つの日本人の悔い改めなくてはならない罪は、「淫乱と不品行の罪」です。性的な罪は国を滅ぼします。神様は性を人間に与えました。しかしそれは火と同じです、火は人間にとってどうしても必要なものです。人間が生きるために必要です。しかし使い方を誤ると、家もなくなってしまうし、山も緑も国もなくなってしまう被害に発展するのです。人間も神様からいただいた性を悪用すると、人生の車輪を焼いてしまうのです。この性的な罪から離れなくてはなりません。クリスチャンは聖くなくてはなりません。ソドムとゴモラがさばかれたのと同じように、日本もこの罪から離れなくては駄目になってしまいます。今日もし、罪に捕らえられている人がいたとしても、過去にそのような罪を犯した人がいたとしても、主の前に出るならばその罪を赦し、あなたを聖めてくださいます。
 しかしこの不品行の罪も、道徳的側面だけの悔い改めでは不十分です。これは道徳的側面だけの罪ではありません。「契約的側面を含む罪」なのです。なぜならば、不品行の罪は結婚制度という契約関係と関連があるからです。結婚式の時に読む御言葉、マルコの福音書の十章六節から九節に

『しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。』

 結婚は二人ではなく一人であり、一心同体です。結婚とは神の前に契約を結ぶことです。ということは、不品行の罪は契約的罪なのです。大勢の人と関係する人がいますが、それは、色々な人格が一つになる事です。全てと一体になってしまうのです。一体になるということは、相手の束縛や色々な傷、罪全部を受け取ることになるのです。コンピューターでフロッピーディスクにデータをコピーすると瞬間的にたくさんのデータがフロッピーディスクにはいるのと同じように、性的な罪は相手の罪までも全部内側に入るのです。道徳的に赦してくださいというだけでは足りないのです。「その時に結ばれた契約を断ち切ります」とイエス様の十字架の血潮によって断ち切らなくてはならないのです。これが重要な悔い改めの側面です。
 もしかすると契約が残っているかも知れない、と感ずる人はその契約が完全に砕かれるように祈りましょう。また、日本において、偶像礼拝の罪、淫乱の罪が赦され、契約が砕かれるように、神の宮に属する者たちが自分の罪として悔い改めたいと思います。
 今日は午後から家庭訪問祈祷会があります。なるべく、皆で出かけて家庭が祝福されるように祈りたいと思います。特に、家系の中に悪霊の契約が入っていたら、それが完全に砕かれるように一緒に祈ります。これは大変素晴らしい祈りです。皆さんの家庭が変えられます。聖霊様の働く場所に更にされていきます。今日ぜひその祈りに参加してください。家が祝福されるように祈ると、不思議なことがたくさん起こってくるのです。
 最近神様が素晴らしい祝福を与えてくださっていることをよく耳にします。神の栄光のために証しますが、正月に三十六時間PPHがありました。その時に、四人の方が集会後、「祈ってください」と言われました。それで、その方々の家系が解放され、神のわざが現されるように祈りました。
 昨日東京で行われたPPHに行くと、そのとき祈った人々に不思議なことが起こっていると聞きました。一人は家に帰ったら、突然弟がイエス様を信じたそうです。もう一人は、どうしても家族の中で一致できず、敵対している人と突然和解してしまったそうです。不思議だと言っていました。そしてあと二人は韓国人の留学生夫婦でしたが、その方々は、もう日本に失望していたそうです。日本にリバイバルなんか起こるわけがないと思っていたそうです。しかし日本と韓国の間に働いている悪霊の力が砕かれるようにと祈ったら、その週から日本のために祈るようになり、日本に対する重荷が与えられたというのです。同時に失望感が消えて、喜びが沸き上がってきたそうです。それも家に帰る途中の車の中で、突然喜びが爆発し、路傍伝道を始めたというのです。とても変わってしまったそうです。
 悪魔は家系の中に契約書を振りかざして挑戦してきますが、イエス様の十字架の血潮はそれを砕いてくださいます。
 またもう一つの証を聞きました。先日ある神奈川に住んでいる方が、私の書いた「主が立ち上がられた日」を読んで、これは自分の家のために祈らなくてはいけないと感じ、実家のある北陸に祈りに帰ったそうです。「この家にある悪魔の契約が完全に砕かれるように」と祈ったそうです。
 するとその後すぐにお父さんとお母さんが救われ、続いておじいさんとおばあさんが救われたそうです。
 今日は新城教会の中にもそのようなことが起こされ、家族が救われるように、主の契約に変えられるように祈りましょう。同時に日本にある悪魔の契約が砕かれていくように祈りたいと思います。祈りは聞かれます。必ず祈りは聞かれますので信じてください。
 新城教会に色々なところから集われていますが、できる限り出て行って祈りたいと思います。浜松から多治見から、そして、名古屋など遠くから来てくださっています。親族関係の方々がこの教会に来られていて、その関係で遠くからも集われています。そこにも神様のみ業が現されるように祈っていきたいと思います。
 最後に、必ず主は祈りを聞かれるということで一つの証をしたいと思います。私は数年前にPPHが終わって一枚のアンケートを見つけました。そこには祈りの課題が書かれていました。すると、聖霊様が、「それを祈ってあげなさい」と言われました。それで、アンケート用紙をコピーして、県民の森祈祷会に持っていって祈りました。「この人が祝福されますように。」と祈りました。それはここにおられる山崎兄姉のことでした。一つの問題があり、祈ってくださいとアンケートに書かれていたので、彼らの顔は知りませんでしたが祈りました。
 その時、丁度ご主人が断食して問題のために祈っていたそうです。そうしたら神様の声を聞いたそうです。「あなたは順先生のところに行きなさい」彼は、「順先生のところ?」と思ったそうですが、私のところに来ました。私も驚きました。顔も知らないのに祈っていたらやって来たのです。それから、新城教会に来られるようになりました。
 祈っていると神様が働かれます。今日皆さんが祈るときに、神のみ業が現されることをぜひ信じてください。祈っても無理だと思わないでください。神様は必ず聞いてくださる方です。特に今日午後からの祈りは、皆さんの家庭の中に主が働かれ、まだ救われていない家族を救ってくださる素晴らしい業を起こしてくださると信じます。主に期待しましょう。

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