今週の礼拝メッセージ
契約の神 1998.2.1(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 創世記28章10節〜22節
ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」

 ハレルヤ!久しぶりに皆さんとともに礼拝を守ることができることを感謝します。先週、私は沖縄で決起集会をしていました。沖縄はとても暖かく、夜の集会では扇風機や冷房をかけて集会をした日もありました。しかし、一日は随分寒くなり、夜の集会では十三度まで下がったので沖縄の兄姉はとても寒がっていました。そのような中でここまで守られたことを心から感謝しています。 今朝は、創世記二十八章から「契約の神」というテーマで学んでいきたいと思います。「契約の神」。他の言葉で言うならば、「約束を守る神様」と表現することができます。マタイの福音書には、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。」と書かれています。神様は人類の救いのためにまず、アブラハムを選び、「あなたの子孫によって地の諸族は皆祝福される。」との契約を結ばれました。アブラハムは信仰の人で、神様に愛された人でした。神様はアブラハムとの約束を成就するため、妻サラとの間にイサクを与え、イサクと妻リベカとの間にヤコブを与え、その末から救い主イエス様を与えられたのです。
ところで、ヤコブには、悪賢いところがありました。彼には双子の兄エサウがいましたが、彼から父の財産全部の相続権であった長子の特権を騙し取ってしまいました。また彼は、死期の近づいたイサクがエサウに特別な祝福を与えようとした時、兄の受けるべき祝福を横取りしてしまいました。エサウは激しく怒って、父親が亡くなった折にはヤコブを殺してやろうと企みました。しかし、それを母リベカが聞き、しばらくの間家を遠く離れて伯父ラバンの家へ逃れるようにヤコブに勧め、夫のイサクにもヤコブが家から離れられるよう仕向けました。二十七章四十六節からに、

『リベカはイサクに言った。「私はヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちで、このようなヘテ人の娘たちのうちから妻をめとったなら、私は何のために生きることになるのでしょう。」イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。』

と書かれています。
エサウは強欲で目の前の事しか考えない人でした。ある日、彼が野を一日中駆け回り疲れ果てて帰ってました。すると、ヤコブがおいしそうな豆を煮ていました。「それを食べさせてくれ。」と言うとヤコブは、「お兄さん、長子の特権をくれると誓ったら食べさせてあげましょう。」と言いました。その時、エサウは「何を言っている。オレが死んだら長子の特権も何もない。今すぐ食べたいのだ。」と言って誓ってしまったのです。長子の特権はすごいものです。昔の日本でも、だいたい長男が財産を全部もらいました。彼はさっと一杯の食物と引き換えにそれを売ってしまいましたした。また彼は、ヘテ人の女を二人も嫁に迎えました。しかし、リベカは彼女たちのためにとても苦しみました。なぜならば、ヘテ人は異邦の民で、やがて神様はヘテ人を含むカナンの地の七つの民族を滅ぼされましたが、そこには忌まわしい風習があり、偶像礼拝、近親相姦や不品行など様々な悪習慣がありました。リベカはイサクに「もう生きるのが嫌になりました。なぜこのように苦しんで生きなくてはならないのでしょう。」と言いました。これを受けてイサクはヤコブを呼び、「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ立ってパダン・アラムのお前の母の父、ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘から妻をめとりなさい。」と言いました。イサクもリベカ同様、やはりこれはいけない、偶像礼拝の中にいる娘と結婚してしまっては祝福されない。と考えたのです。現代的に言うと、クリスチャンになった女性が、神を恐れず偶像礼拝をしている人と結婚するといろいろな問題が生じてうまくいかないケースが多いということです。不信者とつり合わぬくびきをいっしょにしてはいけないと聖書は言っています。ですから、結婚のことで悩んでいる人もおられるかと思いますが、私は、イエス様を信じる良いクリスチャンとでなくては結婚しないと心を決めていくことが必要だと思います。誰でも構わない。クリスチャンだなんて言わなくても結構。という考え方ではいけないと思います。
ヤコブは、パダン・アラムのベトエルの家へと旅立ちました。今までお母さんから愛され、いつも一緒にいましたが、彼はたった独りで遠い道のりを旅しなければなりませんでした。現代のように新幹線や飛行機に乗ったというのではなく、彼はとぼとぼ道があるかないか分からないようなところを進んで行きました。
十節に、

『ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。』

と書かれています。彼は野宿したのです。石を取って枕にして彼は休みました。その夜のこと、十二節

『そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。』

その夢は神が見せた夢でした。天からはしごが地に掛けられ、そこを天の使いが上がったり下がったりする素晴らしい姿を見たのです。見た夢を全部信じてはいけませんが、良い夢を見ることは嬉しいことです。前にも話したことがありますが、私はアルゼンチンへ行った時とても良い夢を見ました。私はよく寝言を言いますが、「困ったぁ。困った・・・。」と寝言を言っていたそうです。隣で寝ていた家内に「何を困っていたの?」と尋ねられました。なんとその夢は、東京ミッションにあまりにも多くの人が押しかけて来て、武道館に入りきれない人が、入口からずーっと地下鉄の入口まで並んでいる姿でした。私は困って武道館の前で、「クリスチャンは入ってはいけない。クリスチャンではない人だけ入りなさい。」と言っている。こんな夢でした。これが実現したら神から来た夢ですが、実現しなかったら私の見た夢です。
ところで、私がちょうど救われて一ヶ月くらいしたある日、立川で路傍伝道があるという情報が入りました。それは宣教師がクリスチャンたちと証をするということで、一緒に行かないかと誘われました。私はすぐ「行く!」と返事しました。それは自動車に乗れたからです。今では、自動車は珍しくありませんが、そのころは終戦直後で自動車がない時でした。ジープの後ろにトレーラーがあり、トレーラーの荷台に乗り、立川の駅前に行き、私は証をしました。その時にすごく恵まれました。「良かった」と言われて、私は最高の気分になり路傍伝道が大好きになりました。そんなある日、私を導いてくれたミセス穐近が、「路傍伝道も良いけれどあまり実を結ばないから日曜学校をやった方が良いですよ。」と言い、そして斎藤姉妹(後の明師婦人)に「滝元さんでも連れて日曜学校をおやりなさい。」と言われました。姉妹はすぐ従って「滝元さん、一緒に日曜学校をやりましょう。」と言いました。そして、次の日曜日に姉妹と私と中学生の二人の姉妹と四人で電車に乗り、部首という所で日曜学校をやりに行きました。その日、私は嫌な気持ちでした。なぜならば、自動車に乗れず、電車に乗って行ったからです。斎藤姉妹が先生で、私は新米ですので「滝元さん、どうぞ、賛美歌を持っていてください。」と言われ、賛美歌を皆に見せて持っていました。それから「証をしてください。」と言われるくらいで、あと二人の中学生との中で「嫌だな。女の子と一緒で・・・。」と思っていました。それよりも華々しく路傍で伝道する方が良い。と思いました。次の土曜日、ある兄弟が、「滝元さん、今度は池袋で路傍伝道があります。宣教師が来るのですが、行きませんか?」と言われました。私はすぐ斉藤姉妹に日曜学校を断りに行きました。「日曜学校に行くのをやめます。私は路傍伝道に行きます。」と言いますと、悪意のある言葉ではありませんでしたが、「あっそうですか。じゃあ、ご自由にしなさい。」と言われました。しかし、その途端私はとても苦しくなりました。平安がなくなり、その夜私は祈りました。「イエス様、日曜学校に行くのが良いですか。路傍伝道に行くのが良いですか。教えてください。」と祈りました。救われて間もないので分かりませんでした。いくら祈っても分からなかったので、こう祈りました。(皆さんに真似しなさいとは言いませんが・・・)「イエス様、分かりません。今から眠りますので夢を見せてください。お願いします。アーメン。」その夜私は夢を見ました。小川があり、そこで私が四つ網を沈めていました。すると、私の家内が上から私の方に魚を追ってきました。私がさっと網をあげると、ものすごい大漁でした。その時私はふっと目が覚めました。神様が私に語りかけられました。「斉藤姉妹と一緒に伝道しなさい。そうしたらあなたは多くの魂を獲得することができる。」「はい分かりました。」次の日、姉妹に「あの、また日曜学校に行きますので宜しくお願いします。」と言い、それからずっと日曜学校に行きました。もし私がその夜夢を見なかったら家内と結婚できなかったと思います。私達は日曜学校に行っている間に仲良くなったのですから。時々そのようなことがあるのです。ヤコブは天からはしごが降りてきて御使いが上がり下りしているのを見、その時に主が彼に語りかけられました。十三節からに、

『そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。』

と書かれています。天の使いが上がり下りしており、彼の寝ているそばに主が立っておられたというのです。

『そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」』

主がこう仰せられたと書かれています。「わたしはあなたの父、アブラハムの神、イサクの神、主である。」私は、この御言葉が大好きです。私がよく祈る中に、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、明の神様。」と祈ります。皆さんにとっても同じです。アブラハムの神はあなたの神です。皆さんがイエス様を信じて救われたということは、アブラハムが信じている天と地を作られた真の神、同じ神を信じているのです。そして神様が父アブラハムに約束されたように、やがてこの地をあなたに与えてあなたの子孫はおびただしく増え、祝福されると言われました。そして神様は、十五節に

『「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したこのことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」』

と書かれています。素晴らしいことです。今日あなたに対してもこの御言葉を神様が語られています。神様が約束されることを成し遂げるまでは決してあなたを見捨てることをしない。神様は契約の神です。この地上でも私たちが家を建てる時に契約書を作ります。また銀行と契約をする時もあります。金利を出し、毎月いくら払うという契約には、忠実でなければなりません。昨日はここで外国から来られた兄姉が五組も結婚されました。これは神の前での契約の時です。「私はこの妻をめとり生涯貞操を守り、病める日も貧しい日もどんな時にも愛していきます。」と契約します。しかし、時々、人間の契約は破られることがあります。事業がうまくいかなくなり、支払いができなくなったり、ある人は浮気をして離婚をしたりと色々なことがあります。しかし、神様の契約は絶対的です。絶対に破られることはありません。アブラハムに約束されてずっと何千年も経ってからイエス様が来られました。神様は目の先だけ見ておられる方ではありません。神は約束されたことを必ず成就される方ですので私たちはしっかりと信じることが必要です。約束の御言葉を今朝自分のものとしてください。イエス様は復活して天に昇られる前に、「わたしは世の終わりまでもあなたとともにいる。」と言われました。全能の神様です。天と地を造られ、すべての権威を持っておられるイエス様が世の終わりまでいつもあなたと一緒にいてあげると約束されているのです。また、「私はあなたに約束したことを成し遂げるまであなたを捨てない。」と言われています。お前に約束したことは成し遂げるまで絶対に見捨てるようなことはしないよ。この地にまた返してあげるよ。」とヤコブに語られました。十六節に、

『ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんと恐れ多いことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。それからヤコブは誓願を立てて言った。』

と書かれています。神様が「決してあなたを見捨てない。」と約束された後で今度はヤコブが神様に誓願をしました。

『「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。』

ヤコブが神様に言ったことは、本当に神様が私と一緒にいて食べるものを与え、着物を与えてくださり、あなたが約束を果たしてくださったなら、その時には私は持ち物の十分の一を神様に必ずささげます。という神様に対する誓願でした。
毎日の祈りの中で私が一番感動的な祈りだと思う時は、食前の祈りです。時々涙が出そうなほど感動して祈ります。「イエス様、私の家庭に食べ物をくださってありがとうございます。今日まで養ってくださったイエス様ありがとうございます。真実なる神様ありがとうございます。」考えてみると涙が出てきます。感謝だと思います。私は四十八年程前、救われた一年後に開拓伝道に出ました。その時は行くところも知らないまま出て行ったのです。仕事も住む所も未定で、自分の郷里に帰り、結婚する際には、私の母親が、「明、悪いこと言わないからキリスト教をやめてくれ。やめたらいくらでもタンスを作り着物を入れてやれるから・・・。お父さんがお前がキリスト教をやめなかったら絶対援助してはいけないと言っているから・・・。」と言いました。私は「やめるくらいだったら、初めから信じません。着物は要りません。何も要りません。お断りします。」と言いました。だから両親は徹底して、結婚式にも来てくれませんでした。また、結婚式にはお金も出してくれませんでしたし、布団のカバーを一枚だけ、あまりに汚かったので母がこっそり変えてくれました。それだけでした。そこからスタートでした。結婚してもまだ仕事がなく、本当に行き詰まり、しまいには米もなく、お金もなく、食べるものもなくなってしまいました。そこで家内は洋服を持って家々を訪ね、「これ何かと変えてくれない。」とか「これ買ってくれない」などと言って歩きました。ひとりのおばさんが、「いい洋服だね。じゃがいもと換えてあげましょう。」と言って交換してくれました。その日はじゃがいもを食べました。金もなく仕事もない。両親は、明の家には米もない。じゃがいもしか食べていないと分かったそうですが、しっかりとしており絶対に助けないと決めていたので助けようとしませんでした。しかし、その夜私の兄が来て言いました。「明、実家の山から石を切り出すと一ついくらかで金がもらえるから来ないか。」次の日、私は行きました。一つ運んで何円と言われるので、私は一日中働きました。夕方になると親方が日当をくれました。その時金を握り締め嬉しくなって四キロ走って米を買って帰り、感謝して食べました。そんなこともありました。しかし、一日も食べられないで来た日はありません。貧しい中から今日まで豊かにしてくださったことを考えると感動です。有り難いことです。ヤコブは、「私に着物をくださり、食べるパンと着る着物をくださり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので私が石の柱として建てたこの石は神の家となり、全て私に賜るものの十分の一は必ずあなたに差し上げます。」と十分の一を捧げる約束をしました。三十一章一節に、

『さてヤコブはラバンの息子たちが、「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の物でこのすべての富をものにしたのだ。」と言っているのを聞いた。ヤコブもまた、彼に対するラバンの態度が、以前のようではないのに気づいた。主はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。』

また十三節には、

『わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』

と書かれています。ベテルはヤコブが石の枕をしており、夢の中で天の使いが上がり下りしていたところ、天の門、神の家、柱を建て油を注いで神様に契約した、「神様、無事返してくれたら十分の一をささげます。」と言った場所です。これはヤコブが石の柱を建てた二十年後のことです。その間彼がラバンの家に行き、レアとラケルをめとりそれから七年間ラケルのために、またそれからもタダ働きをし、色々とラバンに騙されながら二十年間働き続けたのです。神様は二十年も経ってから「さあ、家に帰りなさい。私はベテルの神だ。」と言われました。「石の上に油を注いで祈ったあの時の神だ。」と言われたのです。二十年経っても神様はその時ヤコブが祈ったこと、言ったことを忘れられてはいませんでした。二十年も経つと時々人間は約束したことを破ります。「これから主よ。絶対に礼拝を守りますからお願いします。」と祈っても今日は風邪ひいた。今日はお客さんが来た・・・。と簡単に休んでしまう人がいます。「主よ。十分の一は絶対にささげます。」と言っても段々収入が多くなり、初めは良かったがこれだけ収入が多いと十分の一は多過ぎると思い、段々約束を違反する人がいます。結婚の時には、「病める時にも貧しい時にも生涯節操を守ることを誓います。」と言いながら、夫婦生活が長くなると色あせ感動も消え、いつの間にか自分の伴侶よりも他のものを愛する人もいます。これではいけません。私たちが神様の前に喜ばれることはいかに神様の前に約束したことを成し遂げていくか、神様の前に真実であるかということが大切なことです。私はなぜ食事の時に感謝して時々涙を流すかというと、開拓伝道に行き詰まった時、神様が「我さらに汝を去らじ、汝を捨てじ。」と約束してくださったからです。あなたを見捨てず、決して見離すことをしないと言われたイエス様が、この五十年近く、今日まで約束を守ってくださったことを思うと「イエス様。私の神様は真実な方。愛の神様。良い神様。素晴らしい神様。心から感謝します。」という思いでいっぱいです。その時私は「私はあなたのものです。生涯あなたのために生きます。」と、イエス様に約束しました。前回の礼拝説教では、「生きることはキリスト。死ぬこともまた益です。」ということを話しました。この素晴らしい神様を信仰を持ってしっかりと心を据えて頼ってください。「アブラハムの神。イサクの神。ヤコブの神。」アブラハムに約束されたことをイサクに与えられ、またヤコブに与え、やがてそこから救い主が来たということは、聖書に書かれているように、もし天と地を造られた真の神様を心から信じ、従えば千代に至る祝福をあなたに与えるということです。しかし、偶像礼拝におぼれていたら、三、四代に至る呪いがあると書かれています。私たちは呪いの中から解放されました。昨日、私宛てに家系協会という所から一通のハガキが来ました。何かと思い見てみると、「滝元家の家系の歴史を調べた本を、一冊七千円から一万円でお分けします。お申し込みください。」ということでした。嘘か本当か分かりませんが、滝元家は、全国に七七九十何名あると書かれていました。滝元の名前の始祖は清和天皇から発した清和源氏南部氏族、藤原鎌足を始めとし豪族から出たものだと書かれていました。そして源氏の守り神は八幡神社だと書かれていました。これを見て本当か嘘かわりませんが、先祖の呪いを断ち切らなくてはならないと思い、イエスの御名によって断ち切りました。例え先祖がどんなに良家であってもイエス様を信じていなければ本当は呪われています。イエス様を信じた人は「しかし、彼を受け入れたものには神の子となる特権を与えられる。この人は、血筋ではなく、肉の欲でもなく、ただ神によって生まれた。」と書かれているように、呪われた中から救われて、今は神の家族です。決して見捨てない。見離さない。素晴らしい神様が私たちの神様になってくださったのですから、心を尽くしてイエス様を信じていきましょう。先週は上條牧師から「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という御言葉からメッセージがなされました。これも契約です。信仰を持ちましょう。先週も十分の一をささげていますか?と語られたようですが、神様の前に契約を守ることは大切です。クリスチャンの人生は、契約の神が、二十年経っても私はベテルの神だと言ってくださいます。素晴らしいことです。何十年経っても皆さんとの契約を覚えていますから、心からイエス様の愛を感謝しましょう。皆さんの家に食べるものがありますか。お金がありますか?感謝しましょう。健康があることも感謝しましょう。貧しいという方はこれから良くしてくださることを感謝しましょう。一言お祈りします。

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