今週の礼拝メッセージ
御霊によって歩みなさい 1998.2.22(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5章13節〜25節
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためにあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにもあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

 ハレルヤ!今朝このようにして皆さんとともに礼拝ができることを感謝します。先週の日曜日はこの教会で礼拝をし、すぐに四日市の教会に行き決起大会を行いました。
 先週は、私にとってとても嬉しい事がありました。それは、岡本兄姉の戦友で豊田市に住んでおられる方がイエス様を信じてバプテスマを受けられたからです。その方が住んでおられる所は、偶像に縛られている田舎ですが、イエス様が働かれてバプテスマを受けることができました。その方は寝たきりで動くことができないので病床洗礼を施しました。
 その日、帰ってから家で夜遅くまで書類を書いていますと、東京から電話が入りました。順牧師が島々の決起集会に行っていますが、向こうは三日間程天候が荒れており、船や飛行機が出ないために島から島に渡ることができないので、種子島での集会のため、チラシを三千枚配って期待しているのでピンチヒッターを務めてほしいという連絡でした。私は従順にそこに行くための準備をしました。その場所に行くには、翌朝八時に関空から出る飛行機でしたので、新城を朝三時に出発して行きました。飛行機に乗っていると機内でアナウンスがありました。「今、種子島は悪天候で、飛行機が着陸できるかわかりません。上空まで行ってみて着陸できそうでしたら着陸します。もし、着陸できそうになかったら鹿児島空港に着陸します。」ということでした。飛行機はジェット機ではなく、プロペラ機で三十六名乗りの飛行機でした。上空から種子島を見ると、それほど悪い天候ではなさそうでしたが、種子島だけ雲が覆っておりました。「種子島は激しい雨のため、着陸することができません。上空で二十分程旋回し様子を見ます。天候が良くなったら着陸しますが、悪かったら鹿児島空港に着陸します。」というアナウンスがありました。その時、私はこれは霊的戦いだと思いました。それで私は真剣に祈りました。「イエス・キリストの御名によって種子島は主のものであることを宣言する。はじめに、神は天と地を創造した。イエスの御名によってこの種子島を支配している悪霊よ。出て行け!雲よ。お前たちは全能の神の前に従わなければならない。イエスの御名の権威によって命ずるから、雲よ、ここから立ち去れ!」と心の中で真剣に祈りました。すると、「皆様。まだ種子島には豪雨があります。雷も鳴っています。このままでは着陸できませんので鹿児島空港に着陸します。」とアナウンスがありました。しかし、私は祈ったので確信がありました。心の中で賛美し、「イエスが勝利を取られた」と宣言し、平安な気持ちになり、神様に委ねて鹿児島空港で待ちました。「鹿児島から種子島に行く飛行機が四便あるので、その飛行機に乗れば今日中に種子島に行くことができるかも知れません。しかし天候によります。」と言われました。鹿児島に着くと、ちょうど十時三十五分発の飛行機が待機していました。席を予約した順に八人まで飛行機に乗れると言われ、私は四番目でしたのですぐに乗り込み、十一時半頃出発しました。「もし、種子島まで行って天候が悪かったらまた引き返します。」とアナウンスされました。しかし、勝利だと確信していくと、不思議なことに種子島上空の雲は全部なくなっていました。そして十二時半頃、到着しました。霊的な戦いは信仰を持って祈ることだと思いました。霊的な戦いで必要なことは、まず私たちが十字架の血潮できよめられること、高ぶりなどのを罪があったら悔い改めること、信仰を持って祈ることだと確信しました。私は初めて種子島に行ったので、先生方が随分歓迎してくださいました。集会には二十四名程が集まられ、そのうち三名が求道者でした。恵まれた集会で東京ミッションのための献金もたくさん与えられました。あちらの先生が、「この人数でこんなに献金があることは初めてです。」と言われ、恵まれたことを喜んでおられました。私は病んでいる人や解放が必要な人のために祈りました。昨日、私に電話があり、「先生、私は昨日祈ってもらい、信仰を持ちました。ずっと口が痛かったけれど今日はすっかり癒されました。足も痛かったけれど足も癒されました。」と言われました。また、もうひとりの方は膠原病の方で、彼女は空港まで送りに来て、「私は足が痛かったですがすっかり直りました。」と喜んでおられました。小さな島の空港に大勢の人が見送りに来てくださり、イエス様の勝利が現されていることを感謝しました。それから種子島から鹿児島、鹿児島から東京、東京から三島、三島からら御殿場に行き、昨晩は御殿場の教会で決起集会を持ちました。十の教会から多くの人が集まり、御殿場の先生が非常に喜んでくださいました。昨晩は十二時頃家に着きましたが、守られて今朝も健康で立つことができ、皆さんのお祈りを感謝しています。
 今日はガラテヤ人への手紙から御言葉を学んでいきます。少しでも良いので自分の御言葉にしましょう。十三節からに

『兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。』

と書かれています。問題が起こった時に教会員同士で悪口を言い合ったりすると、互いに滅ぼされてしまうことが書かれています。霊的な戦いの中で非常に大切なことは、一致と和解です。赦し合うことです。悪いところを指摘するのではなく、赦し合うことが大切です。
 先週、ある国会議員が不正をしたために逮捕されるということで、逮捕状が出る直前に自殺してしまいました。このことは非常に気の毒な悲しい事件です。自殺するということは、「殺してはならない。」と聖書に書かれていますので、人を殺すことも罪ですが、自殺は自分を殺すことになりますので罪です。あの方の経歴は、東大を卒業し、大蔵省や色々素晴らしい地位にいた人です。総理大臣候補の秘書をやり、三期当選した人です。彼は元総理大臣が金権問題で突き上げられた時には、先頭に立ったひとりでした。彼は同じ自民党であるにも関わらず、「自民党の体質を変えるべきだ」と討論しました。そして彼は、「我こそが正義である。」と言っていました。
 聖書の中には、「互いに愛し合いなさい」ということが一番大切だと書かれていますが、私たちは時々人の失敗を罪に定めようとする前に、自分のことを反省すべきだと思います。特に政治家は以外と危ないところを通っており、自分を正当化するために攻撃することもあります。おそらく、元総理大臣は、「あいつはオレを陥れた結末だ。」と思っているのに違いないと思います。もし、哀れみをかけていたら、彼は自殺にまで追いやられることはなかったと思います。私たちにとって大切なことは、哀れみをかけて見ることです。
 今回、私が決起大会に行った先の九州の出身の先生は、リバイバルのために熱く燃やされている先生でした。その先生は、自分の先輩たちの伝道がなかなか成功しないところを見て、「やはり聖霊に満たされてなくて、熱心でないからあのようになった・・・。」といつも他人をさばいていたそうです。しかし、彼自身が伝道に出てみると、イエス様を信じる人はおらず、何度も牧師を辞めようと思ったというのです。その時彼は、「自分の信仰が燃えている時に傲慢になってさばいたことによって、私は神から懲らしめを受けたと思った。」と言われていました。信仰はどんなに成長しても、燃えても良いですが、人を批判するようでは危険水域です。燃えて祈り、他人を見て「霊的に低いなあ・・・」ではいけません。燃えれば燃えるほどへりくだらなくてはなりません。燃えれば燃えるほど、弱い人のためにとりなさなくてはなりません。
 ある時、その先生はあらゆる面で行き詰まり、牧師を辞めようと思ったそうです。奥さんや子どもたちを集めて、「これから私は出稼ぎに行く。牧師を辞める。」と言ったそうです。すると静岡県の一人のクリスチャンから一通の手紙が届きました。何週間か前にそこの礼拝に来られた方だったそうです。「私は長い間、種子島のために祈ってきました。主が私の心の中に牧師を助けよ。」という声をくださいました。しかし、牧師を助けたら傲慢に思われると思い、今まで拒否していましたが、どうしても聖霊様が助けなさいと言われるので、失礼ですがこれから献金を毎月送らせてください。」という手紙だったそうです。先生は、「私は、あんなに嬉しかったことはありません。そんなどん底でも、神が私を覚えていてくださったことが一番嬉しかったです。」と言われていました。私たちも時々傲慢になり、懲らしめを受けることもありますが、神様は私たちを見捨てることはありません。覚えてくださっています。今、その先生は立派な教会堂を建てられ、「ここまで来れたのは神様の恵みしかない。」と言われていました。私たちも互いにかみ合ったり、食い合ったりせず、互いに愛し合っていくことが必要です。十六節に、

『私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためにあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。』

と書かれています。また、二十五節に、

『もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。』

と書かれています。
 この中には、「御霊によって歩みなさい。」「御霊によって生きなさい。」「御霊によって導かれようではありませんか。」と書かれています。私たちの信仰生活の中で一番大切なことは、御霊に満たされることです。クリスチャン生活は、聖霊に満たされていたらうまく行きます。頭が良いとか悪いとか関係ありません。「肉に対して打ち勝つことができるから聖霊に満たされなさい。」と書かれています。肉に満たされると色々な問題が起こります。
 私は毎月発行されている教会ニュースには巻頭言を書いています。今回のニュースのテーマは「奥義」というテーマで書きました。「奥義」とは隠された秘密です。キリスト教の一番大きな奥義は、「我らの内にいます栄光の主である」と書きました。聖霊様が私たちと一緒に住んでくださることが奥義です。旧約時代には聖霊は人間の心に常に住みませんでした。しかし、イエス様が十字架で救いを完成し、死者の中からよみがえってくださり天に帰られる前に「間もなくあなたがたは父の約束したとおり聖霊を受けます。」と言われました。そしてペンテコステの日に聖霊が下りました。十字架のあがないが完成されたことによる一番大きな奇蹟は、神である聖霊様が私たちの中に住んでくださることです。私の内に聖霊が宿ってくださる、三位一体である神、助け主なる聖霊が私たちの内に住んでくださいます。皆さんの中に聖霊様が住まわれていますか?「アーメン」これは一番素晴らしい奥義です。だから聖霊に満たされると自分の人生を明け渡し、肉の欲望に歩むことはありません。争い、憎しみ、酒、・・・不品行、情欲などに打ち勝つことができます。十七節に、

『なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためにあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。』

と書かれています。聖霊に満たされていると、肉と対立しても肉は勝つことができません。しかし、肉の欲に満たされていると駄目になります。肉と御霊は対立しています。
 昔、私が教団に属していた頃、穐近先生がおもしろいことを教えてくださいました。聖霊と肉のことを話してくださいました。鳩と烏の食べ物は違います。烏は生のものを食べ、鳩は穀物を食べます。同じかごの中に鳩と烏を一緒に飼い、烏の食べ物ばかり入れると烏だけが食べて大きくなり、鳩が小さくなります。しかし、鳩の食べ物ばかりあげると、鳩が大きくなり、烏が小さくなります。わかりやすくいうと、皆さんの毎日の生活で悪いテレビばかり見ていると、烏に餌をやっているようです。そうすると烏が大きくなり、鳩が小さくなります。しかし、毎日よく聖書を読みイエス様の御声を聞いているならば、鳩に餌をやるように段々と聖霊によって鳩が大きくなります。だから私たちの人生の中には選択が必要です。今の時代はきよらかなものは益々きよらかになっていく、不正なものは益々不正になっていくと聖書に書かれています。クリスチャン生活は戦いです。
 私は種子島のビジネスホテルに泊まりました。部屋に行きましたら、テレビの所にいかがわしいビデオが置いてありました。「このビデオはここだけで見ることができる素晴らしいビデオです。どうぞお楽しみください。三十分で三百円です。」と書いてありました。これを見たら魂は烏で占領されます。説教しても力がなくなってしまいます。私は、ホテルに入ったら必ずひざまずき、「イエス様、今日ここで過ごす時間を祝福してください。この部屋の汚れをイエスの御名によって砕きます。私が御言葉を学ぶ時、聖霊で満たしてください。」と祈ります。いつでも私たちの生活には選択があります。皆さんが毎日肉に従うか御霊に従うかを選択しなくてはなりません。自分の心を守らなくてはなりません。だから、肉に満たされると汚れたことでいっぱいになってしまうので、神様のことがわからなくなってしまいます。しかし、聖霊様に満たされると、魂のことや、神様のことがよくわかります。
 昨日御殿場に行ったら、そこの先生が私のことを、「滝元先生は起きてもリバイバル。昼間もリバイバル。寝てもリバイバル。先生を切るとリバイバルの血が出てきます・・・。」という紹介をしてくださいました。私は一年中「リバイバル、日本の救い、東京ミッション」について考えています。それは、人々が救われることです。
 エペソ人への手紙四章二十六節からに、

『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ってままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

と書かれています。ここには具体的に私たちが聖霊に満たされて歩む秘訣が書かれています。怒っても罪を犯さないことは、悪魔に機会を与えないためです。機会を与えることは悪魔に通り道を与えることです。機会を与えると悪魔は人々に憎しみや争いをさせます。だから互いに争い合うこと、かみ合ったり、食い合ったりすると、お互いに滅びてしまいます。
 「九州リバイバル聖会」の時に尾山令仁先生が、「皆さん。今、日本で一番敵の多い牧師は誰でしょうか?それは滝元明先生です。」「しかし、一番味方の多い牧師は誰でしょうか?それも滝元明先生です。」と言われました。リバイバルミッションの働きには賛成する教会ばかりではありません。正統的な教会が霊の戦いや癒し、アナコンディアなどの集会に「行くな」と言います。甲子園ミッションの時に協力した阪神地区の教会は約一割しかありませんでした。私が甲子園で集会する時、下條先生に、「私は阪神地区の牧師会に挨拶に行きます。」と言ったら、「いいえ。先生、大丈夫です。阪神地区の教会には私が挨拶に行きます。」と言われました。しかし、次に先生と会った時、先生は「下條先生が嫌いなわけではありませんが、私たちの教会は甲子園ミッションに反対です、と言われました。」と、ほとんどの教会が反対したと言われました。それで先生は何度も涙を流されました。「どうして日本のためにやるのに・・・」と言われていました。阪神地区でも、「甲子園ミッションは危ない。悪霊だけを追い出すし、病気を直すことしかしない。あれは良い集会ではない。」と言われました。しかし、実際は信徒が隠れて甲子園ミッションの集会に来ました。来た人は、「先生、どこが悪かったのですか。良かったですよ。」と言いました。悪魔はクリスチャン同士をかみ合わせます。尾山先生が、「一番敵が多いのは滝元先生で、一番味方が多いのは滝元先生です。」と言われ、その後に、「しかし、違う点があります。よその反対している人は滝元先生の悪口やミッションの悪口をよく言いますが、先生は他の悪口を言わないところが違うところです。」と言われました。
 甲子園ミッションの時、県民の森に上がって、「イエス様。どうか力をください。あなたの言われることは何でも行います。」と祈りました。するとイエス様が、「お前を悪くし、ののしり、迫害した人を祝福して祈りなさい。」と言われました。「新城教会は悪霊の教会で三年以内にはつぶれる」などという手紙を出され、色々なことを言われました。しかしイエス様は、「その人たちを祝福しなさい。」と言われました。それで、「主よ。祝福します。」と祈りました。これが勝利の秘訣でした。ですから、私たちは、どんなに怒ることがあっても怒ってはいけない、赦してあげなさい。どんなに赦せないようなことも、赦すことが勝利だと書かれています。二十八節に、

『盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするために、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。悪いことばをいっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはなりません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。』

と書かれています。
 聖霊様は三位一体の神様の一位です。しかし、聖霊様は、肉体を持っていません。聖霊様が私とともにいると書かれていますが、毎日の生活の中で噂話を聞いて、そのまま悪口を言っていると、聖霊様は人の悪口を聞くことは嫌いな方です。家庭でも同じです。人の悪口やそしりをしている時に聖霊様は、「この話は聞きたくない。この話をいつまでもしているなら、あなたと一緒にいないよ・・・。」と言われてしまいます。クリスチャン生活の秘訣は、祝福の言葉を出すことです。今までに牧師でも失敗された方もいます。牧師でも絶対に失敗しない保証はありません。例えば異性の問題で失敗し、牧師を辞め、自分で開拓伝道をしている方もおられます。しかし、甲子園ミッションの時に、正統的な牧師先生がパリサイ人がさばくように悪口を言いましたが、ある過去に失敗した先生が私の所に来て、「先生。私は甲子園ミッションに協力させていただきますけれどよろしいでしょうか?」と言われました。このことは、とても嬉しく思い、「先生、宜しくお願いします。」と言いました。罪を犯したら永久に駄目ということはありません。へりくだったら赦されます。神様はその人を赦されました。「先生、わずかです。祈祷院を作るために貯めていたお金ですが、これをミッションのために使ってください。」と言ってささげてくださいました。私は正統的で悪口を言っている人よりも、失敗してもへりくだって「協力させてください。」と言われる方のほうが良いと思います。私はその人が失敗した時に悪く言ったことをすまないと思いました。本当は失敗した時には、一緒に泣かなくてはいけません。「神様。とりなしの祈りが少なかったので彼が失敗しました。彼が立ち上がることができますように・・・」と祈ってあげることが必要です。
 先日、以前、東京ミッションを批判していた教会から献金が送られてきました。私はその教会の先生に一言言ったことで迷惑かけてしまったことがありました。それですぐに手紙を書きました。「過去に私は先生に対して批判的で迷惑をかけたことを赦してください。また、東京のためにご協力してください。」と書きました。私たちの信仰が強められることは必要です。しかし、本当に聖霊に満たされた人は、聖霊を悲しませてはいけません。ののしりを捨てなくてはなりません。
 先日、小牧者訓練会の集会があり、四百名ほどが集まったそうです。その時に尾山令仁先生が、「罪の中で大きな罪は何か、うそを言うことはそれほどに罪だと考えない人がいますが、噂だけであたかも見たかのように人の悪口を言うことは、偽りの罪を犯すことになります。だから噂だけで悪口を言ってはいけない。」と話されていました。私たちはよく噂を聞き、その人のいうことを全面的に信じますが、それはいけません。失敗した教会があるかも知れませんが、祈ってあげることが必要です。それが聖霊様の仕事です。「聖霊様を悲しませてはいけません。」と書かれていますので私たちはイエス様が悲しまれることしてはいけません。聖霊様に、「こんなに悪口を言う人とは一緒にいることはできない。」と言われることがないように、私たちは気を付けなくてはなりません。第一テサロニケ五章十六節から二十一節に、

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはならりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。』

と書かれています。私たちは聖霊に満たされ、聖霊によって歩み、聖い信仰を全うしなくてはなりません。だから私たちは聖霊を悲しませても、消してもいけません。聖霊に満たされて歩みましょう。私たちは良いものをしっかりと守ってリバイバルのためにへりくだっていきましょう。互いに悪口を言うことがないようにしましょう。肉ではなく、御霊に満たされるクリスチャンになることができるように祈っていきましょう。お祈りします。

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