今週の礼拝メッセージ
私は福音を恥としない 1998.3.1(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ローマ人への手紙1章14節〜17節
私は、ギリシヤにも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなくてはならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 ハレルヤ!今朝皆さんと一緒に御言葉を学ぶことができることを感謝します。今日はローマ人への手紙一章の中から学んでいきたいと思います。この個所は使徒パウロが書いた言葉です。「私は・・ぜひ、福音を伝えたいのです。」と書かれています。使徒パウロの人生の中で第一コリント九章十六節に

『というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられていたにしても、私には務めがゆだねられているのです。』

と書かれています。またローマにも私は伝えなくてはならない。すべての人に伝えなくてはならない。私には返さなくてはならない負債があると言いました。パウロはいつでも彼の人生の中にどうしてもイエス様のことを伝えなくてはならない。これは神様から委ねられた仕事である。また、これは返さなくてはならない負債だと理解していました。使徒パウロがイエス様を信じる前は非常な律法主義者で、キリスト教に反対していました。彼はキリスト教撲滅運動の推進者でした。しかし、クリスチャンを捕まえてエルサレムに連れて投獄しようとダマスコへ出かけたとき、神様が直接彼に現れたのです。まばゆい光の中でサウロは地に倒されました。そして、「サウロ、サウロどうしてあなたは私を迫害するのか。トゲあるムチを受けるのは難しい。トゲあるムチを受ければ傷を負うだけだ。」と言う声を聞きました。彼は驚いて、「主よ。あなたはどなたですか?」と問うと「私はあなたが迫害しているナザレのイエスだ。」と答えられました。それからサウロはあまりに強い光に目が見えなくなって、手を引かれながらダマスコに着きました。その時ダマスコにいたアナニアという弟子にに天の使いが現れて言いました。「あなたはタルソ人サウロの所に行き祈ってあげなさい。」彼は「この人はクリスチャンを迫害しています。今私たちを投獄するために来ているのです。」と言いました。しかし、天の使いは「これは私の選びの器だ。彼がどんなに私のために苦しまなくてはならないかを彼に教えるためだ。」と言われました。そこでアナニアはサウロの所に行って「兄弟。サウロよ。あなたに現れたイエスが私を遣わされました。見えるようになりなさい。」と祈った時に目からうろこのようなものが落ち目が見えるようになったと書かれています。そこで彼は悔い改めてクリスチャンになり、福音を伝える者になりました。彼はイエス様に対して強硬に反抗していたにもかかわらず、イエス様によって捕らえられ福音を伝える者になりました。おそらく彼がイエス様にお会いした時、まさか将来ローマやギリシャ人にもユダヤ人にも返す負債があるという気持ちはなかったと思います。彼は「イエス様に従います。」と決心し、三年間アラビヤへ行き荒野で主から訓練を受けたようですが、訓練の間も将来いったいどのようなことがあるかわかりませんでした。それから何年もたって神様は彼を用いて色々な所に宣教に遣わされ始めました。宣教の中で彼の心の中に、私にはユダヤ人にもギリシア人にも返さなくてはならない負債がある。ローマに行っても福音を伝えなくてはならない。という考えが段々と大きくなっていきました。私たちもイエス様を信じたときはこれから後にどのようなことがあるかはわかりません。今日皆さんもイエス様を信じていますが、目の前に全部神様の計画がわかるのではなくて信じています。そしてこれから従います。この中にいる人たちの中で神様があなたを自分でも信じられないくらい用いようとされている方がいます。既に今日ここにおいて神様のために遣わされている人もまさか私がこんなふうに使われるとは思わなかったと言われる人がおられると思います。十六節に、

『私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。』

と書かれています。彼は、福音を伝えることを恥ずかしいと思わない。この福音はユダヤ人をはじめギリシア人たちも信じるすべての人たちを救いに至らせる神の力であると確信を持ちました。このイエス様を信じたら救われることができるという確信の中に彼は生きることができました。ですから今日私たちも「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び任命したのです。」と聖書に書かれているように、ここにいるすべての人が偶然に教会に来たのではなく神様の計画の中で選ばれました。皆さんもパウロと同じ気持ちになっていただきたいと思います。私たちはギリシア人にも未開人にも知識のある人にも知識のない人にも返さなくてはならない負債を負っています。負債はどうしても返さなくてはならないものです。何年か前、昔新城教会に来ており、今は他の教会に行かれている兄弟ですがが事業で失敗しました。私は彼の保証人になっていました。頼まれる時に、「先生、絶対に先生だけには迷惑をかけませんので名前と判だけで良いのでお願いします。」と言われて私は保証人になりました。しかし失敗して契約会社の方からあなたは保証人なのでこの人の負債を返してくださいと言われました。私も「払いましょう。」と言って今でも毎月彼らの借金を払っています。新城教会に来ている人だったら良いけれど他所の教会に行っている人のためになぜ払わなくてはならないかと時々考えます。「主よ。あの人のために負債を払わなくてはなりません。」と祈り今日まで払い続けていますが、イエス様は、「心配するな。それよりももっとたくさんの祝福をあげるから。」と言われました。負債はどうしても払わなくてはならないものです。考えてみると使徒パウロはユダヤ人に対してもギリシア人に対しても払わなくてはならない負債を負っていると書かれていますが、彼はユダヤ人でギリシア人に何の関係があるかと思います。おそらく知識のある人と考えるとギリシア人について言っていると思います。ユダヤ人と考える時にはしるしを求めるユダヤ人について考えます。これは頭が良くても悪くてもイエス様がこの人のために十字架にかかって死んでくださったからどうしても私はこの人たちに対しても福音を伝える負い目がある。返さなくてはならない負債があるということは神様から与えられた使命をどうしても返す必要があるということです。そして、彼は色々なところを伝道しながら、段々重荷が大きくなり、ローマにまで至ったのでした。考えてみると彼はただの自分の小さいユダヤの国だけではなくギリシア人だけではなく、あの世界を制覇していたユダヤ人にとってはある意味で敵のようなローマ人にも福音を伝えなくてはならないのだ。」という広い心が主から与えられたのでした。
私が救われたのは一九四九年二月二十日でした。イエス様を信じてからすぐにこれが私の生きる道だということがわかり、一年後に自分の郷里へ伝道に行きました。私は伝道に来た時に、まさか将来東京リバイバルミッションをやるなどというようなことは考えたこともありませんでした。甲子園ミッションをやるなどということも考えたこともありませんでした。私が郷里に来て兄の経営する麻工場に務め始めたある日、仕事をしている途中私の側にイエス様がお立ちになられたのを感じました。目に見えるわけではありませんが、聖霊様が私に「今日あなたのうちに三輪さんという方が来ました。三輪さんは宣教師から頼まれてあなたを伝道に招きに来たのです。あなたは宣教師の所へ伝道に行くようになります。そこに行くと他の人がまたあなたを招き、また他の所へ行くようになります。そこでまた他の人があなたを招きまた他の所に行くようになります。そしてあなたは日本中で伝道するようになります。」と語りかけられました。働いて機械も動いている時に、不思議なその言葉に耳を傾けていました。帰ってから早速家内に聞きました。今日三輪さんが来られましたか?」と聞くと、「来ましたよ。」と言いました。「レナンドという先生が私に伝道に来るようにと頼まなかった?」とたずねると「そのことで明日豊川駅で待っているからそこに来てくださいと言われました」と言いました。それでこれは神様からだと思いました。翌日豊川駅でレナンド先生と鳥井さんという通訳の方とお会いした時、「天幕集会をしますので、説教してくれませんか。」と言われました。「子ども集会ですか?」と言いうと、「いや、大人の集会です。」と言われました。私は、「一日二日だったら良いですよ。」と言いました。すると、「いや、十日間話してください。」と言われました。私は驚きましたが、初めて招かれて説教をしました。これが私の伝道者としてのデビューでした。昼間豊橋の工場で働いて夜は伝道集会でした。その時の天幕集会はたくさんの人が集まられ十日間素晴らしい集会でした。そこに居られたヨセフシメオンソンという先生が私の説教を聞かれ、集会が終ってすぐ私の所に来られ、「先生、この伝道会が終わったら岡崎に来て説教してください。」と言われました。またその集会にエスタルという先生が来られて、「その後は豊橋に来てください。」またアネインリーン先生に「今度は磐田にいらっしゃい。・・・」と言われ、ずっと巡回するようになり、今年で四十四年程が経ちます。不思議なことですが神様に従ったことにより神様が今日まで導いてくださり、今年は東京で福音を伝えることができることは、神様の御業です。あなたにとっても神様は計画を持っておられますので従順に従ったら必ず祝福されます。私が津具に帰って鉱山で働き、新城に来るまでの間いろいろ苦しいところを通りましたが、東京から伝道に来て良かったと思いました。私が伝道に入ってから最初に救いに導いた人は、熊沢弘君という同級生の友だちでした。彼とは小学校から高校まで一緒でした。将来の夢まで語り合った仲でした。しかし私が東京から帰って来ると彼は結核で寝ていました。結核は肺病と言いますが今のエイズくらい昔は恐ろしい病気で、親戚も来ない、だれも寄りつかないという暗い部屋で彼は希望もない顔をして寝ていました。救霊に燃えていた私は、「弘君。イエス様を信じてよ。」と言いました。彼は「信じる。」と言いました。私は毎日仕事の帰りに彼の所へ通いました。しかし段々彼の態度が沈んでいきました。私が行くと決まってお母さんが嫌な顔をしました。そして私が「弘君。聖書読んでいる?」と聞くと、読んでいないと言いそこに置いてありました。私があげた聖書です。ある夜私が夜勤で遅く帰りました。するとその家から木魚の音がしました。私は誰が拝んでいるかと思い少し覗きました。するとイエス様を信じると言った弘君が拝んでいるのです。騙されたと思いました。なぜ拝んだかというと、上津具というところに拝み屋がいていつもお母さんがそこに拝みに行っていたそうです。それでその拝み屋から来年の三月には絶対に直ると言われたというです。彼の肺は片側が腐り、医者から見離されてしまいました。拝み屋が最後の頼りだったのです。原田操という姉妹がおり、拝み屋へ彼が飲みたい水のために嫌だと思いながら行きました。しかしある日、拝み屋は「もう水はない。あなたが家に着く頃、あの人は棺桶に足を突っ込んでいる。ささげものが少なかったので直らない。あの息子は良いが、あのお母さんは根性が悪いから駄目だ。」と言ったそうです。彼女はそのことを彼に話しました。友だちは医者からも拝み屋からも見離され、誰も来ないと思った時に彼は、私から賛美歌を歌ったり、聖書の話を聞いたりしたのをもう一度思い出し彼女に言いました。「イエス様は私のようなものを救ってくれるかな。」と言いました。「救ってくれるよ。」「明君の所に言って、救われるように頼んでくれ。」そこで原田姉妹と娘さんが私の家まで来て「弘が救われたいというので祈ってくれ」と言われました。心を合わせて弘君が救われるように祈りました。それまで彼は苦しくて「苦しい。殺してくれ。」と言っていたそうです。しかし、後から聞いた話ですが、ちょうど同時刻に誰かが手で抱き上げてくれたように楽になり彼は嬉しくなったそうです。原田姉妹が行ってみると、「なぜ私は今まで死にたいなんて思ったのだろう・・・。私は楽になった。イエス様を信じる。」と本気になって信じました。そしてある時彼は、天に大勢の白い衣を着た人を見てお母さんに話しました。「お母さん。今天国で白い衣を着た人たちが私を招いている。天国に行くけれどお母さん泣かないでよ。」まもなく彼は召されました。お母さんは私を嫌っていましたが、私が葬式に行った時「赦してください。悪く思ってけれど弘が喜んで天国に帰った。」と言いました。その隣にいた原田にいち君も結核でしたが、イエス様を信じて召されました。私が新城に来てからダンスホールを買って伝道しはじめた時、一人の娘さんが「姉さんが今苦しんでいるので助けてください。」と言われ、私は伝道に行きました。昔、結核は家に来る人もいませんでした。前を通る人は鼻をつまんで通るくらいの人でした。その方はイエス様を信じて喜んで天国に行ける望みを持ちました。そして召される時、彼女のお父さんが、「最後にお前の願い事があるか。何でも言え。」と言いました。「滝元先生にもう一度会ってから死にたい。」というのです。そして朝早くお父さんが私の家に来て、「娘が死にそうです。」と言われました。私はその時、磐田にいました。ですから家内が、長男と長女を姥車に乗せて会いに行きました。私も磐田から朝帰るとすぐに彼女の所に駆けつけました。するととても喜んで「滝元先生に会えてとても嬉しい」と言ってくれました。彼女の枕元には、「秋のたそがれをなごり惜しみつつ我は主イエスのもとに」と書かれた詩がありました。また友だちに手紙が書かれていました。「また今年も寒い冬が来ます。しかし、今年の冬私は天国に行きます。」と書かれていました。そして私は「としこさん。また会いましょう。」と言い、彼女は召されました。お父さんは泣いて「としこは天国へ行った。」と喜んでくれました。私はその時、この方一人が救われるためだけでもに新城に来たことは無駄ではなかったと思いました。新城に私が来なかったらとしこさんは救われることはできませんでした。私はある意味で負い目があってここに来ています。今日ここにおられる皆さんも誰かが福音を伝えてくれなかったら救われなかったと思います。パウロがギリシア人に対してもユダヤ人に対しても知識のある人に対しても知識のない人に対しても私は返さなくてはならない負債がありますと言っているのは、皆さんが宣べ伝えなかったら滅びてしまう人がいるということです。福音を恥としてはいけません。第一コリント十五章に、「キリストは私たちの罪のために死なれ、葬られ、聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・。」これが福音だと書かれています。
神様が私たちを救うためにイエスキリストをこの地上に送ってくださった。そして罪ないお方が私たちのために罪を背負って十字架にかかって死んでくださった。罪のないお方が私の代わりに葬られ、三日目に罪の力を砕きよみがえってくださった、これが福音だというのです。福音は喜びの訪れであり、このイエス様を信じるだけで罪が赦されて天国に行くことができる。素晴らしいことです。イエス様を信じませんか?信じたら罪が赦されます。天国に行けます。一九九三年の甲子園ミッションでは、随分たくさんのお金がかかりました。多くの方が献金を捧げてくださいました。六億円ほど経費がかかりました。今までの日本の歴史の中で一番大きな集会の一つだと思います。私はやって良かったと思いました。数年前に女神湖でスキーキャンプがあり私はそこで一人の兄弟の証を聞きました。「先生。私は甲子園で救われました。私の家内が求道中で無理矢理甲子園の集会に連れて行かれたのです。最初は興味が全くなくて球場の上から批判的な態度で見ていました。最後の時も私の説教する姿を批判的に見ていましたが、突然神様の言葉が心に入り込みました。そして心から悔い改めて救われました。それから全家族でバプテスマを受けました。」と言われました。先日、ある先生の所に行きました。「先生、内緒ですが、私の教会で東京リバイバルミッションのために一千万円ささげます。」と言われました。その教会には、教会の入り口に十個くらいの自由献金箱が置いてあります。東京ミッションのために、海外宣教、開拓伝道・・・など信徒たちが自由にささげています。ちょうど役員会を開いたら後二百万円くらい足らなかったそうです。そして足りなかったら他から出して後から補充すれば良いからとにかくささげましょうということになったそうです。そして、その役員会が終わってから箱を見てみると、その中に二百万くらい束になって入っているのです。ささげた人は甲子園で救われた人だったそうです。甲子園は無駄ではありませんでした。奥さんもだんなさんも子どもも計四人が救われました。今頑張っておられます。甲子園ミッションの時その教会のある奥さんがクリスチャンでご主人を導いておられ、子ども二人がいますがそのご主人がなかなか洗礼を受けませんでした。甲子園ミッション後教会に通い続けていました。一年後のある夜、タンスが並んだ寝室でしたが、その日に限って奥さんが「私はここで寝たくない。地震が起こったら下敷きになるから。」と言いました。ご主人は「地震が起こった時はその時だ。」と言われましたがどうしても聞かず奥さんは別の所に寝ました。その次の日の朝阪神大地震がありました。一度揺れた時にご主人が起きました。そしてタンスが倒れました。それがその主人の最後だったそうです。即死してしまいました。そして奥さんも家がつぶれたので下敷きになり、子どもたちと「これからイエス様の所に行くからお祈りしましょう。「イエス様、天国へ連れて行ってください。」と祈りました。その時ちょっと足を動かしてみたら足が動いたそうです。それで子どもにお父さんの横に寝ていたからあなたが動けたら出てご覧と言いお父さんの隙間から出て、「助けてー」と叫びました。すると二階に寝ていたのですがその子が「お母さん、下は芝生だよ。」と言いました。二階が落ちてすぐ下が芝生になっていたそうです。それでお母さんと子どもたちは助かりました。もし甲子園がなかったらあのご主人は救われないままで地獄に行った。救われて天国に行ったことは素晴らしいことです。パウロはローマに行かなくてはならないと言っていますが、私が東京ミッションのために与えられた御言葉は、使徒の働き二十三章十一節の、

『その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」』

という言葉です。これは、スタジオで祈っている時に主が私の傍らに立たれて語られた言葉です。神様は東京の人たちが滅びないように考えています。東京の人がどうしても救われて欲しい。今の日本は大変です。この時代を一言で言うと崩壊時代です。ありとあらゆるものが崩壊されてきました。家庭、性道徳、・・・一昔前には考えられない堕落です。中学生が女の先生を刺し殺したり、人の首を切ったり考えられないことです。国会議員が自殺したり、三人の社長が自殺したり、毎日のように銀行強盗があり、悪いことばかりです。この日本を建て直す道は神様しかありません。もし私たちクリスチャンが目を覚ましたならば、パウロがローマにも福音を伝えたいと言ったようにこの福音こそユダヤ人にもギリシア人にも信じる人を救う力があると考えたように、私たちもこの福音によって日本が変えられるように福音を伝えようと考えるはずです。私もこの日本を巡回している時に悲しくなることがあります。新幹線に乗っていても、たくさんの人が地獄に行ってしまう。どうしたら良いか。伝えなかったら滅びてしまう。と思います。どうしたら伝えることができるかと考え悲しくなる時があります。私は心の中で新城教会からでも毎日テレビを通して放送するようになったら全日本に福音を伝えることができるかも知れないと思います。東京で今年ミッションを行うことは全日本に福音を伝えることです。これは委ねられたことです。心からささげたら報いを得ると書かれていますが、皆さんからも心からお祈りしていただきたいと思います。私たちの人生はそんなに長くはありません。残された時間をあなたも負債を払わなくてはなりません。せっかく救われたのですから重荷を持って福音を伝えていきましょう。パウロが天国に行く前に言ったことは、第二テモテ四章一節からに、「やがて来るべきイエスキリストを思って私は厳かに命じます。時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなさい。」と言われました。私たちの日本には福音を伝える自由があります。皆さんは忙しいかも知れませんが、あなたも救われた以上負債があります。祈ってください。自分のことだけ考えないでください。日本のために祈ってください。東京のために祈ってください。リバイバルが起こるように新城の教会にリバイバルが起こるように。お互いに使徒パウロの与えられた同じ重荷が与えられるようにお祈りしていきましょう。お祈りします。

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