今週の礼拝メッセージ
幸せになりたいですか!   1998.5.17(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 詩篇34篇12節〜15節
いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。

 ハレルヤ!二週続けて礼拝で御言葉を取り次ぐことができ感謝します。いつも皆さんのお祈りに支えられていますことを心から感謝します。今日は特別伝道礼拝です。そして今日の夕方にはゴスペルサパーが開かれますので期待してください。今日は胡美芳さんが来てくださり、素晴らしい賛美をしてくださいます。若者からご高齢の方までぜひ、ふるってご参加ください。胡美芳さんの歌はご高齢の方にとっては、時代と共に流れて来た歌かも知れません。恵まれた一時になると信じていますので、新しい方を誘ってぜひお越しください。
 先々週は東京でジョイフルサパーが行われ、好評で四百名定員の会場いっぱい人々が集まり集会が行われました。そのジョイフルサパーはゴスペルサパーを手本に行われました。美味しい食事、素晴らしい音楽、そして御言葉が語られました。今日は伝道の日として一日を過ごしていただきたいと思います。
 今日私が皆さんに語りたいことは「幸せになりたいですか!」というメッセージです。今日本は健康ブームであり、近年は健康に対して関心が高まっています。健康は一つの幸せのシンボルであると思います。現在、健康食品産業は、とても成長しているそうです。私も色々なところに出かけることが多いですが、ファミリーレストランで食事をする機会が多いのです。最近の人気メニューは、有機栽培野菜使用の料理です。有機野菜を料理に使っていると、少しくらい高くても有機野菜の方を選びます。皆さんも健康には注意してください。先週の新聞を読んでも健康に関する記事が多くありました。先週の木曜日の中日新聞には、「みかんにはガンを予防する作用がある」と書かれていました。一日一個から二個みかんを食べている人はガンにかかり難いそうです。この教会にも、みかんがとても好きな方がおられます。これからみかんブームが起こってくるかも知れません。少しでも健康に良いものに手を出そうというのが現代の日本人です。そのようなことがあってか知りませんが、今日本は世界一の長寿国になりました。一九九五年の全国的統計では、男性が七十六・七歳、女性はそれよりも七歳上で八三・二二歳です。女性はストレスにも強く、子どもも産み、多く働き、長生きするのです。人類は女性の方が強いのです。夫婦でご主人が亡くなっても奥さんは、あと三十年くらい生きるそうです。しかし、奥さんを亡くすと男性は三年で死んでしまうそうです。男性は長野県の人が長生きで、女性は沖縄県の人だそうです。一番短命なのは、男性が青森県、女性は兵庫県だそうです。短命と言っても一、二年の違いですが、なにしろ日本人は長寿になってきました。
 私は色々な教会に行き、おじいさんやおばあさんに会います。「長生きされて素晴らしいですね。祝福ですね。」と話すと、「何が祝福ですか。」と言われる方もいます。「なぜですか。」と聞くと、「私は長く生きているだけだ。長く生きているけれど、何も良いことはなかった。早く死にたい。」と言われます。長生きしても幸せとは限りません。ここにも長く生きても苦しいことが多かったという人もいるかも知れません。私たちが望むのは幸せでしかも、長寿です。神様は人類に人生を楽しむように与えてくださいました。しかし、人生は苦しいことの方が多いのかも知れません。しかし、聖書は幸せで長生きする秘訣を教えています。これは結構、身近なことです。それを守ることにより、健康で幸せに生きることができます。この条件は簡単ですが、実行することが難しいものです。しかし、もしあなたが実行するならば、幸せになることができ、長生きもできると聖書は教えています。ぜひ、この御言葉を受け止めていただきたいと思います。この御言葉は今週新城教会にイエス様がくださった「御言葉の剣」であると私は確信しています。この御言葉を、先週の月曜日の県民の森祈祷会で教えられました。「これを実行しなさい。そうすれば、あなたがたに幸せと祝福を与えます。」と主が語られましたので、私はその御言葉を捕まえました。私たちは神の時に、神の御心をつかむことが必要です。ここにおられるすべての方に神様が語っておられます。これを捕まえると幸せで長生きができます。そのように信じて語りたいと思います。詩篇の三十四篇十二節から十三節に、

『いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。』

 結構、私たちは無意識のうちに人の悪口を語っています。批判もしてしまいます。また、無意識に嘘をついてしまいます。しかし、聖書の教えている、悪口を言わない、陰口をたたかない、嘘を言わないということは、私たちの幸せや長生きに関連があります。そんな何気ないところに神の真理が転がっています。今までの人生を考えてみてください。私たちはどれくらい人の悪口を言ったでしょうか。どれくらい陰口を語ったでしょうか。どれくらい嘘をついたのでしょうか。今日はそのような私たちの罪を赦していただき、今日から幸せに長生きできる人生をいただきましょう。これは大切なことです。
 私たちは去年から神の国について学んでいます。やがて私たちは天国に行くことができます。天国に行くならば、そこには病も苦しみも事故もなく、悪霊もおらず、悪が一掃された素晴らしいところです。クリスチャンの希望は、この地上にもありますが、永遠の希望があります。昔、クリスチャンが殉教も恐れず、命をささげて主のために従い通していました。なぜ、ここまでのことができたのでしょうか。これはクリスチャンに、永遠の命が約束されているからです。神と共に永遠に過ごす天国が用意されているからです。だから、クリスチャンは基本的に死を恐れません。死ぬ時に苦しい目にあって死にたくないことは勿論ですが、死んでからどこに行くのかという恐れはありません。私たちにはやがて天国で永遠に神と共に過ごすことができるという、素晴らしい望みがあります。まだイエス様を信じられていない方は、イエス様を信じてください。信じるだけで天国に入ることができます。これは素晴らしい約束です。  天国に着いたら、きっと、天使が「ようこそいらっしゃっいました。」と私たちを迎え、天国生活の説明があるかも知れません。天国に入ったら私など、興味津々でガイドマップを手にし、パウロの家やモーセの家などを探索するのかも知れません。しかし、ある角を曲がったら、天国の住民たちが集まってなにやらひそひそと話をしていました。何を話しているのだろうかと目を向けると、グループがさっと散って行きました。何となくおかしな雰囲気を感じましたが、暫くしたから私の耳に噂が入ってきました。「今、あの人たちが、よくぞ彼は天国に入ったものだと陰口言っていましたよ。」と聞いたとします。そうしたら、「天国でもそんな噂が出るのか。」と不安になります。すると隣の住人が、「ようこそ。天国にいらっしゃいました。ちょっと、この地域に住んでいる人のことを話しましょう。あの家に住んでいる人と話す時には注意してください。あの人に何か話すとすぐに言いふらされますから。気をつけてくださいね。」と言われたら、「天国でもそんなことあるのですか」と聞くでしょう。すると、「結構、天国も言葉に気をつけないと住み難いところですよ。」と言われたとしたら、これでは天国も地上もあまり変わりません。神の国は絶対にこんなことはないはずです。神の国、天国では噂話も陰口も全くないのです。これが天国です。
 また、同時に、リバイバルは神の国が地上に現われることです。そのために、熱心に祈ることも必要ですが、内側から悪口や陰口などを一掃することも必要です。これは、神の国、リバイバルの要素です。リビングバイブルでは、「君たちは幸せになって長生きしたいと願っているのか。それなら、自分の言葉に注意を払いなさい。」と訳されています。私たちはリバイバルのためにも、長生きのためにも、幸せのためにも自分の言葉に注意するべきです。新改訳聖書には、「いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。」と書かれています。この「いのち」と訳されている言葉は、ヘブル語では、普通の命という意味だけではなく、他の意味もたくさん含んでいます。「いのち」は、「回復」とも訳すことができます。「回復を喜びとする者はだれか。しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は・・・。」と訳すこともできます。また「成長」とも訳すことができます。また「リバイバル」という言葉にも訳すことができます。「リバイバルを喜びとし、しあわせを見ようと・・・。」と訳すこともできます。リバイバルを望むならば悪口や陰口を除かなくてはなりません。また、「回復」という言葉は、「病気から回復される」という意味もあります。またもう一つは、「落ち込まなくなる」と言う意味もあります。また。「弱さからの回復」というのもあります。悪口や陰口を言わないことまた、嘘をつかないことによって、道徳的なことだけに留まることはなく、病気からも回復され、落ち込みからも回復され、また、弱さからも回復され、死からいのちに移るというのです。永遠のいのちにも関わるのです。だから私たちは注意して、今週は人の悪口を言わないよう、陰口を言わないように、神の国の中に生きる者になりたいと思います。
 しかし、実際、口の言葉を制御していくことは難しいことです。ヨハネの一章一節で、

『はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。言葉は神であった。』

と書かれています。神は言葉で天地宇宙を造られました。だから、人間が使っている言葉にも力があります。ということは、私たちは言葉で支配されるのです。私たちが日頃どんな言葉を使っているか、どんな内容を話しているかで、人生が形造られてしまうということです。だから、悪口や陰口で人生が覆われていると、神の祝福が去ってしまいます。日本は政治の世界でも、経済でも、教育でも、偽りや悪口が多いです。これが一掃されなくてはなりません。そのためにもまず、私たちの中からそれを一掃すべきです。お互いに「悪口を言ってはいけない。うわさ話をしてはダメだよ。うそを言ってはいけません。」と注意し合いたいものです。
 うわさ話は恐ろしいものです。私も色々なところに行きますが、うわさ話に時々遭遇します。先日ある教会で奉仕させていただきました。福音派の教会で東京ミッションに戦いの中で協力してくださっている教会に行きました。その教会の先生は昔からの知り合いです。今回、二十年ぶりくらいに先生に出会いました。先生が私を新幹線の駅に迎えに来てくださいました。私も二十年ぶりなのでわかるか心配しましたが、すぐにわかりました。何だか落ち着かない様子で改札口に立っておられました。「先生。お久しぶりです。」と挨拶すると、彼は「良かった。」と言いました。「何が良かったの?」と聞くと、「順先生は昔と変わっていない。良かった。」と言われました。「なぜですか?」と聞くと、「彼は最近大きく変わった」という噂を聞いていたそうです。だから、私が以前とは全く違う姿で出て来ると思って恐れていたそうです。多分良い噂ではなかったのでしょう。ヤコブ書の三章二節に、

『私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。』

と書かれています。私たちは多くの点で失敗しますが、言葉を失敗しなかったら完全な人だと聖書は語っています。また、七節から八節には、

『どのような種類の獣も鳥も、はうものも、海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。』

と書かれています。人類は牙もなく、毛皮もないですが、すべてを制しています。何年か前にケニアに行ったことがありますが、ケニアにはライオンがたくさん住んでいます。サファリに行くと「ライオン王国」と書かれていました。緊張しましたが、その場を支配していたのはライオンではなく、人間でした。ライオンや他の動物がどんなに強くても、すべては人間に制せられています。一対一で戦ったら人間は負けるのに、それらすべてを制しているのです。人間に制せられていないものは、この地上には神様を除いては何もありません。しかし、人類がどうしてもコントロールできない、制することができないものが「舌」だというのです。言葉だけは支配できないと聖書は語っています。なぜならば、これは神様の領域のものだからです。
 神様は人間に幸せに生きるための基準を与えてくれました。これが神の律法です。出エジプト記二十章では、私たちが幸せに生きる基準が書かれています。これが十戒です。第一は、「わたしの他に神々があってはならない。」第二は「偶像を造ってはならない。拝んではならない。仕えてはならない。」第三は、「主の御名をみだりに唱えてはならない。」第四は「安息日を覚えてこれを聖なる日としなさい。」第五は、「父と母とを敬いなさい。」第六は、「殺してはならない。」第七は、「姦淫してはならない。」第八は、「盗んではならない。」第九は「嘘をついてはならない。」第十、「はむさぼってはならない、家、隣の妻、家畜をむさぼってはならない」と教えています。このような十の戒めがあります。人類はそれを一生懸命に守ろうと努力していましたが、守ることができませんでした。そこに不幸の原因があります。しかし、イエス様がこの地上に来られて、人類が越えることのできなかった律法を越えるようにしてくださいました。それは、十の戒めを二つにして下さったからです。律法を愛という紐で大きく、二つに束ねてくださったのです。十戒の一番目から四番目までは神と人との関係を表しています。それを「神を愛しなさい」という愛の紐で一括りにしてくださいました。また、五番目から十番目は人間関係についてです。これは、「隣人を愛しなさい」という紐で結んでくださいました。ということはクリスチャンにとって律法の基本は「愛」です。だから、愛するがゆえに神に仕え、神の愛のゆえに隣人を愛していくことがベースになります。十字架は縦の棒と横の棒がありますが、縦の棒は「神を愛する」ことであり、横は人間関係で「隣人を愛する」この二つです。これを実践しなさいというのです。
 ガラテヤ人への手紙五章十四節には、

『律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。』

と書かれています。神様との関係は当然のこととして、隣人を愛するということが最も大切なことであるわけです。ヤコブ書二章八節に、

『もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行ないはりっぱです。』

と書かれています。ですから最高の律法は、隣人を愛することです。聖書の中で一番大切な教えは、神様との関係を前提とし、隣人を愛することです。さらにヤコブ書四章十節から、

『主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。』

と書かれています。「私たちが悪口を言わない、陰口を言わない」ことは、「隣人を愛する」という最高の律法とリンクしています。私たちは何気なく、人の悪口を言っているかもしれませんが、聖書の中の最高の「隣人を愛する」という律法に触れてしまうのです。これは何気ないことのようですが、大きな罪です。罪があると、そこには悪霊の支配があります。だから、私たちはどのような理由においても、自分の語る言葉に注意を払うべきです。しかし、私たちはなかなか舌を守ることができません。
 しかし、舌が支配される出来事が、使徒の働き二章に書かれています。それはペンテコステの時、使徒たちが集まって祈っていた時に、聖霊が天から注がれたことです。百二十人が祈っている時に、聖霊が注がれ、彼らは自分の国の言葉ではなく他国の言葉で話し始めました。
 異言を語ることが聖霊の注がれたしるしだと言われる方がおられます。また、他国の言葉で語ったということは、宣教に関わることであると強調される方もあります。しかし、もう一つの大切な側面は、今まで人類がどうしても制することができない舌が神の霊によって支配されるようになったということです。よって、ペンテコステの一番大きなことは、舌を制することができなかった人類に、聖霊の力によって制する力が与えられたことです。
 弟子たちは、イエス様が十字架にかかられる前にイエス様と共に生活していましたが、結構お互いの悪口を言っていました。弟子の中で誰が一番偉いのかについては、いつも関心がありました。「イエス様が神の国の位に就いたら、息子たちをあなたの右と左に座らせてください。」とヨハネとヤコブの母が頼んだことを聞いて、他の弟子達は、「なぜそんなことを言うのだ」と悪口を言っていました。しかし、聖霊を受けてからは変わりました。それは彼らがそのような悪口やうわさ話で生活するのではなく、神の言葉を語るようになりました。
 ここに、リバイバルの鍵があると思います。そして、幸せの鍵があるのです。私たちは毎日の生活の中で舌を支配していただくべきです。聖霊の力はある時は賜物などに置き換えられますが、それよりもっと重要なことは、舌を支配していただき、悪口や陰口を言わない、偽りを言わないようになることです。これは、「隣人を愛する」ことです。この回復はリバイバルにつながります。今日はこの事をよく理解していただきたいと思います。私たちの中から悪口や陰口を一掃するならば、幸せで長生きすることができます。これを実行させてくださるのは聖霊様です。今週は、聖霊によって満たされて、私たちの舌を支配していただき、悪口を言わないように、陰口を言わないように、批判をしないよう祈っていきましょう。今までそのような罪があったのなら、神様の前に悔い改めましょう。これが大きな祝福の鍵です。教会の中に、互いの悪口や陰口が一つもないようにしましょう。「教会は悪口や陰口がない」と言われるようになったら素晴らしいことです。「世の中には多くの悪口や陰口があるが、教会にはそれがない。」これが神の国であり、リバイバルです。まず、私たちはそこから始めるべきです。今日初めて教会に来られた方も、ぜひ、悪口や陰口、偽りを一掃してみてください。また、そのために助けてくださるのが神です。私たちの人生の中に新しいことが起こってきます。今週はそれを実行していきましょう。神の国が現されるように祈っていきましょう。一言お祈りします。

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