今週の礼拝メッセージ
リバイバルへの道   1998.5.31(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカ10章1節〜9節
その後、主は別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手は少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。どんないえにはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。
ルカ10章17節〜19節
『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

 ハレルヤ!皆さんのお祈りに支えられて無事アメリカでの決起大会を終えて帰ることができ、感謝します。「東京リバイバルミッション」決起大会で約十五日間、アメリカを巡ってきました。この度は健康も支えられ、すべての面で祝福されて帰ることができて心から感謝します。ロサンゼルスで三日間ほど集会し、その後、サンディエゴに行き、タコマやシアトル、ポートランドに行き、最後にハワイで集会を持ち帰って来ました。背後で皆さんが祈ってくださったので、私も家内も健康で帰って来ることができました。あちらでは、日本と時差があり時差ボケをします。夜中の二時頃に目が覚めて、家内はよく祈っていました。今回は日系人の教会と韓国教会を訪問しましたが、東京ミッションの責任者が来るということで歓迎してくださり、大勢東京ミッションに参加すると張り切っていました。
 サンディエゴに行った時の集会で、大川従道先生のお兄さんがそこで伝道しており、午前中に七十人くらいの集会を持ちました。その中に、谷口というマラソン選手が、初めて集会に来られて御言葉を聞かれました。前日に先生の奥さんが開催している集会に来て子育ての話を聞いたそうですが、続けて、謙遜に私の話を聞かれました。最後に一緒に記念撮影をし、七月には日本へ帰ると言われていましたので、「九月に武道館に来ませんか?」と聞きました。すると、「ぜひとも行かせていただきます。」と言われていました。どこに行っても祝福され、日本のために皆祈ってくださっていました。
 サンディエゴからシアトルの空港について、竹内という先生が迎えに来られるというので、私はその方を知らないので不安でした。しかし、日本とは違い、飛行機から降りる所まで迎えに来てくださり、東京リバイバルミッションのポスターを持って来られていました。それでよくわかりました。その方も甲子園ミッションに来てくださった先生で、とても恵まれていました。シアトルとタコマでも、毎日のように集会を持ちました。最後はハワイで三日間の集会を持ちました。ハワイの日系人の教会が連合して集会を持ってくださり、非常に燃えてハワイからも大勢の方が東京リバイバルミッションに来られると言われていました。ただ祈ります、愛しますというだけではなく、献金もよくして下さいました。あちらの方々は、大きな現金を持ち歩かないのです。献金は小切手が多いのです。その時、「東京リバイバルミッションのための献金は小切手でお願いします」という要請がありました。そしてひとりの奥さんが私のところに来て、「先生、小切手にどういう名前を書いたら良いですか。」と聞かれ、「全日本リバイバルミッションと書いておいてください。」と言いました。それで、手紙と小切手を渡して下さいました。その集会が終わってから小切手を見ました。桁が少し多いと思いました。どう見ても一万ドルでした。中村先生の家に泊めていただきましたが、「先生。これは一万ドルですよ。こちらでは大金です。」と興奮して、「絶対にミッションは成功します。」と喜んで下さいました。奥さんは興奮して、一晩眠れなくなってしまったそうです。自分がもらったわけではありませんが、とても感動されました。そのように日本を愛しておられる方々と出会い、とても感謝でした。ハワイでは、ラジオ放送もしました。生中継で集会のアピールと、なぜハワイに来たかをラジオで放送しました。
 サンノゼという所に行きましたが、そこには全日本リバイバルミッションのアメリカ事務所があります。そこでは桑島姉妹と西村姉妹が働いております。こちらからミッションニュースを一括で送って、そこから全米に発送されます。また、その町には、東京ミッションセミナー講師として来日される、エド・シルボソ先生が住んでいます。先生に私が来ることを連絡したら、ぜひ会いたいと言われ、一緒に食事をしました。シルボソ先生は二日前に、ヨーロッパから帰られ、またすぐにどこかに行かなくてはならないという非常に忙しい有名な先生ですが、一緒に食事をしました。普通ならば、「良い天気ですね。アメリカはどうですか。」というような会話の内容が多いですが、先生は食事中、聖書の話を目を輝かせて話されていました。聖霊に満たされているのがわかりました。その先生の仕事は、とりなしの祈りでした。神の前にとりなし、聖霊様によりリバイバルが起こされるようにという働きです。今、神様から先生に示されている働きでは、二週間で一つの町を全てクリスチャンにすることだと言われました。新城に来てやっていただきたいですが、アルゼンチンでは、最近七つの町がその先生の働きによって町の全ての住人がクリスチャンになったという魅力的な話をされていました。東京にその先生が来ますので、そのセミナーに出られたら良いと思います。その先生は、今から二十年程前に病気にかかり、髪の毛が全部抜けてしまい、カツラをかぶっておられます。筋力が衰え、立てなくなり、死ぬことがわかったそうです。しかし、その時、動けませんが死ぬ前に、「どうしても神様に用いてもらいたい」と思ったそうです。友だちが訪問して、「あなたが死ぬ前に用いられたかったら、とりなしの祈りをしなさい」と言われたそうです。「寝たままでもお祈りができる。人のために祈ることができる。」と。そこで、彼は考えました。自分は死にかけているけれど、とりなしの仕事だったらできる。「神様、どうか私をとりなしのために使ってください」と祈ったら、とりなしの祈りの賜物が開かれ、今はいやされて世界的に用いられています。それから二十年たっています。今もそんなに健康ではありませんが、素晴らしい働きをされています。その中で、今日、皆さんと一緒の学ぶことについて話されました。
 今読んだ中に、非常に不思議な言葉が書かれています。イエス様が言われた御言葉で十七節から、

『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」』

 七十人が出て行って伝道したら、悪霊が服従する。悪魔が足の下で踏みつけられ、悪霊は服従するというのです。イエス様は、「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」と言われました。イエス様は落ちたサタンを見ました。そして落ちたサタンを弟子たちが踏みつけました。そしてサタンは弟子たちに服従したのです。十九節に、

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

と言われました。今の日本の教会では、時々サタンに負けることもあります。しかし、もし私たちが一つの真理を知るなら、サタンを踏みにじることができます。サタンは悪魔のことで親玉です。その下に悪霊がおります。親玉が悪魔です。それが天から稲妻のように落ちたというのです。サタンが落ちることによってリバイバルが起こり、村中、町中がクリスチャンになり、今度、アメリカではサンフランシスコ全体をクリスチャンにするための準備をしていると言われました。ですから、新城市が全部クリスチャンになるという信仰を持つべきです。今恵みによって救われていますが、新城市が全部クリスチャンになる、どのようにするべきか。それはサタンがいなずまのように落ちて下敷きにされたら、新城でもリバイバルが起きて全部クリスチャンになることができるのです。そんなに難しいことではないでしょう。サタンから人々が解放されたら町中がクリスチャンになるというのです。ですからその信仰持たなくてはなりません。そのための原則を聖書の中で教えています。十章の一節から三節に、

『その後、主は別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手は少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。』

と書かれています。小羊よりも狼の方が強いのです。しかし、小羊がどのようにしたらサタンの策略を打ち砕くことができるかについての真理を教えています。そこでイエス様が言われたことは、「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。」と書かれています。これは、「イエス様だけに信頼して行きなさい」ということです。金や物に頼らず、神だけに信頼して行きなさいということです。小羊は神様の守りなしに狼に勝つことができません。神の守りをあなたがたは必要としているから、神の守りの中に入りなさいということです。そして、また、五節に、

『どんないえにはいっても、まず、「この家に平安があるように。」と言いなさい。』

と書かれています。小羊が狼の中に入って、「この家に平安があるように、と言いなさい。」です。中に入っていくことは食べられるかもしれないという恐れがあります。恐れがあると同時に小羊には狼に対する怒りがいつもあります。しかし、イエス様ご自身がこれに勝つ方法について、小羊であるクリスチャンに向かって、狼の中に入ったら、「どんな家に入っても、まずこの家に平安があるようにと言いなさい。」というのです。これが勝利の鍵です。「平安があるように。」ということは、「平和があるように」と同じ意味です。台湾のクリスチャンは会うと、「ピョン・アン(平安)」と挨拶します。イエス様は、どこの家にはいっても、「平安があるように」と言われました。それを祈りなさいと言われました。その事が実は霊的な壁を打ち砕く、天にいる悪魔をいなずまのように落とすものだというのです。ということは、怒りはサタンに対して機会を与えるものです。エペソ人への手紙四章二十六節から二十七節には、

『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤っていてはなりません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

と書かれています。怒っても罪を犯してはいけない。怒りは悪魔の通り道だというのです。エド・シルボソ先生と話している時、教えられたことは、甲子園ミッションの時に悪口を言われ、色々、噂をされましたが、イエス様が新城教会に教えたことは、「赦しなさい。悪口を言う人たちを祝福しなさい」ということです。これは一つの真理です。平和を祈ることです。悪魔との戦いに勝つことは「怒ってはいけない、赦さなくてはいけない」ということです。これが鍵です。
 「怒る」ということは対人的問題です。私たちの間では、どんなに悪口を言われても「赦します」と祝福すべきです。しかし、小羊は社会に対しても「憤り」を持ってはいけません。政治に対して憤りを持つことはサタンへの足がかりです。だからクリスチャンが勝利を受ける秘訣は、どこまでも祝福して平安を祈ってあげることです。だから、弟子たちは七十人が二人づつ出て行き、一軒一軒、「平安がこの家庭にありますように」と言いました。
 弟子たちは、「平安があなたの家庭にありますように。」と祈りました。そして、平安が臨みました。しかし、その平安を受け入れなかったら平安はあなたの上に帰ってきます、と言われました。弟子たちは一軒一軒平安のために祈りました。そうしたら、サタンがいなずまのように落ちました。サタンは憤りや憎しみの中にいます。だから、イエス様が言われた「平安を祈りなさい」ということの中には「鍵」があります。ですから、今アルゼンチンでだいたい二週間に渡って、まず自分の罪を悔い改め、断食して祈ります。それから、その人たちが心を一つにして一軒一軒の平安を祈ってあげるのです。
 今日は祈りの日です。茶臼山や富沢など、この地域を二キロほど歩きますが、ピクニック的に楽しく行きますが、家々の前に行ったらお祈りします。「この家に平安がありますように」「この家を神様が祝福してください。」と祈ってください。聖書には、エペソ六章十節からに、

『主にあって、大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

と書かれています。腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備えをはきなさい。と書かれています。今日皆さんが歩く足に平和の福音の備えをはくべきです。クリスチャンが歩くときは祝福を与えることができます。
アルゼンチンでは、クリスチャンたちがその町中に一斉に出て行き、地域の家庭の平安を祈ります。それによって霊的な壁が破られ、その後、「何か祈って欲しい課題のある方は、紙に書いて出してください。私たちは祈ります。」と一軒一軒廻ります。すると多くの人が問題を提出します。そして「問題のある人の為に集会を持ちます」と言って集会を持つと、スタジアムでも入りきれないほど集まるそうです。素晴らしいリバイバルが現され、アルゼンチンでは七つの町の全部がクリスチャンになったそうです。簡単な方法です。「平安がありますように。」これだけです。今日、実行すると同時に、今週一週間やってみてください。お隣、二、三軒の家に朝起きて散歩しながら、「主よ、この家庭に祝福があるようにお願いします。」と祈ってください。祝福することです。
 ここで私は一つ考えました。ある時、新城教会に反対している人の夢を見ました。その人は反対者で、その人が糖尿病にかかり、やせ衰えて死ぬ間際になって、「先生、悪かったです。赦してください。」と告白した夢を見ました。私は考えました。きっと彼は病気になって、やせ衰えてから「悪かった。赦してください、と悔い改めるのだろう」という考えを持ちました。反対していた人が私のところに来て、悔い改めることは私にとって良いことかも知れません。しかし、この夢がどこから来たのかわかりませんが、「反対した人が病気になって、悔い改めれば良い」という考えは間違っているということです。「イエス様。早くあの人が病気になって死にそうになり、悔い改めますように。」という考えは悪魔的です。どのような敵であっても、病気になったり、悪くなることを私たちは願ってはいけません。それで私は悔い改めて、「主よ、あの人が病気になりませんように。たとえ、反対し悪口を言ったとしても、病気になることはありませんように、心から祝福します。」と祈りました。夢は、夢ですが、クリスチャンの中の考えで、「誰かが不幸になったら良い」という考えは聖書的ではありません。クリスチャンの仕事は、「平安があるように祝福します」と祈るべきです。もし、皆さんの家にひどく反対する人がいても、「主よ。あれだけ反対するのですから、早くあの人をやっつけてください」と祈ってはいけません。「祝福します。赦します」と祈るのが小羊の仕事です。呪ってはいけないし、憤ってはいけないし、勿論、怒りがあってもサタンの要塞を築くことがないよう赦しが必要です。甲子園ミッションの時も、「赦します。祝福します」と祈り祝福されましたが、たといどのような人でも病気にならないで祝福された生活できるように祈るべきです。ですから、「平安がありますように。祝福がありますように。」と祈るべきです。
 今日この町を歩く時、「キリスト教は嫌い」と言った人の前に行って「こんな家つぶれてしまえ」と祈るのではなく、「この家が祝福されますように」と祈るべきです。あなたの近所を朝散歩しながらやってみてください。近所の家に祝福があるように祈ってください。その時に、「平和の神はすみやかにあなたの足を持ってサタンを踏み砕きます。」と書かれています。クリスチャンが人々を祝福する時、天にある憤りや憎しみの中に存在する、サタンの要塞がなくなり、サタンが稲妻のように天から落ち、クリスチャンの下に踏まれてしまうのです。
 弟子たちが、「先生。あなたの御名を使うと、サタンでさえも私たちのいうことを聞きます。」と言いました。平和そのものが勝利を与えます。リバイバルはとにかく私たちが聖くあるべきです。心の中で人々を呪ったりすることなく、祝福しなければ本当の勝利を持つことができません。ですから、考えて心から悔い改めて行きましょう。黙示録の十二章十一節に、

『兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。』

と書かれています。小羊は狼の中に入った時には命がけで恐ろしいのです。今日、皆さんの中で、午後からお祈りに歩くと言ったら、「ちょっと恥ずかしい。村の人が知っていて、私の顔を見たら何というか」と思ってはいけません。小羊は恐れないで狼の中に入って行き、証しなくてはなりません。小羊の血、証の言葉によって打ち勝ったと書かれていますから、小羊の血で守ってくださいと祈り、証するべきです。ルカの福音書の十章十九節に、

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

と書かれています。この御言葉を今日あなたに与えられた御言葉として握ってください。敵に勝つ道は「赦す」ことです。平安を祈ることです。これが敵のあらゆる力に打ち勝つ権威です。サタンは私たちを高ぶらせようとします。しかし、悪魔に打ち勝つ道はへりくだることです。どのように悪口を言われても、ののしられてもへりくだって「赦します。平和が来ますように。」と自分の親族などのために、思い切って祝福しましょう。
 「あの人だけは顔を見たくない。」と思ったり、「苦手」と思う人はいますか。しかし、その人を覚えてお祈りしてみてください。「イエス様。あの方を祝福します。平和が来ますように。」と祈りましょう。必ずこの新城にリバイバルが来ることを信じて一緒にお祈りしましょう。

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