今週の礼拝メッセージ
選ばれた勇士   1998.7.5(SUN)

新城教会牧師 岡本信弘

<今週のメッセージの御言葉>
士師記6章6節〜16節
それで、イスラエルはミデヤン人のために非常に弱くなっていった。すると、イスラエル人は主に叫び求めた。イスラエル人がミデヤン人のために主に叫び求めたとき、主はイスラエル人にひとりの預言者を遣わした。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、あなたがたを奴隷の家から連れ出した。わたしはあなたがたをエジプト人の手と、すべてあなたがたを圧迫する者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その国をあなたがたに与えた。それでわたしはあなたがたに言った。『わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたが住んでいる国のエモリ人の神々を恐れてはならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」

 ハレルヤ!今は東京ミッションのために毎週東京に行き来している状態ですが、皆さんのお祈りに支えられてすべてが導かれていることを心から感謝しています。先週日曜日の午後の油注ぎ祈祷会の時に、ミッションの進行状況を報告しましたが、東京ミッションもあと二ヶ月少しとなってしまいました。あっという間に時が過ぎてしまいましたが、六月からは整理券が発売され、また本大会の業者や先生方と打ち合わせなどさせていただき、色々な準備が進められていることを心から感謝しています。毎週東京と新城を行き来していると、皆さんが「先生、大変ですね。疲れますね。」と言われます。これも慣れてしまえばさほどではありません。こちらにいる時はゆっくりもできませんが、電車に乗って豊橋から東京までこだまで二時間二十分、ゆっくりと聖書を読み、休み、時には弁当を食べたりして時を過ごし、色々なことする時間が与えられ、奉仕ができることも感謝しています。また、恵みよって健康が支えられていることを感謝します。「先生疲れるでしょう。肩がこるでしょう。」と言われますが、あまり私は肩はこりません。それだけでも恵みだと思います。恵みによって支えられて奉仕できることを皆さんに感謝し、また、続けてミッションのためにお祈りいただきたいと思います。
現代は、皆が不安を感じていると思います。この日本はどうなるのだろうか、どのように経済が動くだろか。もっと身近に言うと自分の行っている会社は大丈夫かなあ。残業も少なくなり、ボーナスも少なくなり、このままつぶれてしまうのではないか、明日からあなたは必要がないから来なくていいと会社で言われたらどうしようなどと考えます。
私たちは人生の中で色々な時に物事を選択してきました。学校に行くこと、就職のこと、結婚のこと・・・色々とあります。しかし、そのような選択の中でも自分が願う通りになるかというと、そうばかりではありません。あの高校に行きたいと思ってもそのレベルに達していなければその高校に行くことはできません。あの会社に行きたいと思っていても、会社側があなたを必要としないと言ったらそこに行くことはできません。私たちには選ぶ権利があると同時に、向こう側にも選ぶ権利があります。今回ワールドカップがあり、サッカーなんかルールも何も知らないかったという人たちも、テレビで観戦していたと思います。サッカーではどの選手を選ぶかは、監督に権限があります。だから自分がどんなに実力があると思っても、選ばれなかったら出ることができません。プロ野球では秋になるとドラフトがあります。高校出たばかりの人に一億、二億と払って良いのかと思うほど、選手獲得のために球団はお金を投資します。球団側があの人が欲しい、この人が欲しいと指名します。その球団に行くか行かないかは、指名された選手が決めることができますが、逆に選手が球団を選ぶ制度もあります。しかしいつも思う通り、願う通りに行くとは限りません。
ちょうど会社が人を選ぶように、球団が選手を選ぶように、私たちは神様によって選ばれたと聖書は教えています。今日皆さんと共に士師記を学んでいきますが、ここにはギデオンという人が出てきます。ギデオンという人について学ぶ前に、私たちが神様に選ばれていることを覚えたいと思います。聖書の中に「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ」と書かれています。不思議です。日本で言うならば、一億二千数百万人の中から皆さん一人ひとりが選ばれたのです。野球でもサッカーでも会社でも、実力や能力、技術、それなりの選ばれる理由があります。私は自分が神様の恵みで選ばれたことを感謝する一方で、一億二千数百万人の中から、なぜ神様は私を選ばれたのかとかと思います。神様は、罪の生活をしてきたような私のために十字架にかかって死んでくださり、サタンの支配から神様の支配下に買い戻してくださり、私が受けるべき罪の刑罰を代わりに受けてくださいました。私だけではなく、ここにいる方は子どもからお年寄りまで、一人残らず皆が神様に選ばれた者です。それをまず感謝したいと思います。私なんか何もできないと思っているかも知れません。しかし、神様はあなたを必要とし、目的を持ってあなたを選ばれました。士師記六章十二節に、

『主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」』

と書かれています。ギデオンという人は多くの人が知っている有名な名前です。素晴らしい勇士でした。しかし六章の六節から十六節までの間を読む限りでは、ギデオンをなぜ神様が選ばれたのかと疑問に思えることがたくさん書かれています。イスラエル人は今まで勢力があったにも関わらず、ミデヤン人に攻撃され段々弱くなり、占領されてもおかしくないほど、本当に弱々しくなっていました。その理由は一節にあるように、「イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った」からであり、イスラエルの民がエジプトから連れ出され、神様の御手で素晴らしい勢力を得たにも関わらず、偶像礼拝をし、自分勝手な生活をしたために神様に見捨てられたのです。 この時、ギデオンの状態は十一節に「ミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた」とあるように、信仰も失いかけ、ひっそりと暮らしていました。そんなギデオンをなぜ、神様は指名したのでしょう。こんなに弱々しい人間ではなく、もっと強く、もっと素晴らしい神の人もいたのではないでしょうか。しかし、神様はこのギデオンに心を留め、「勇士よ。主があなたと一緒におられる」と、この弱々しい状態の彼に「勇士よ」と呼びかけています。それなのにギデオンはすぐに「はい。わかりました」と言っているわけではありませんでした。十三節に、

『「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」』

と、ある意味で文句を言っています。もう私は駄目です。イスラエルはもう終わりですよ。というように言っています。そんな彼に 「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」と主は、再度あなたを遣わすと言われたのです。しかしまた彼は、「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。と断っています。ここまでしてギデオンを使わなくても良いのではないか、他の人もいるではないかと思います。この後も色々な問題があり、彼はすぐには主に従っていません。しかし、神様は何度も彼を力づけ、ギデオンを立て、素晴らしい業を現されました。 神様は私たち一人ひとりをも選んでくださいました。私は何もできないと思っていても、神様には皆さんを選んだ目的があり、ご計画があります。
聖書の中に、素晴らしい預言者、素晴らしい人たちが大勢出てきます。皆さんがよく知っているモーセも、神様の選びを初めは断っています。彼はヘブル人であるにも関わらず、四十年の王宮の生活・教育を受け、一つの問題を通して荒野に逃げ、そこで羊飼いをしながら四十年生活していました。八十歳の時、神様は初めてモーセの前に現れ、「あなたを今からエジプトのパロの所に遣わす」という命令を下しました。それを聞いたモーセは、「私など決してそんなことのできる人間ではありません。口べたで力もなく、何もできないので他の人をやってください」と、断っています。しかし、結果的に何回か神様は彼を説得し、お兄さんのアロンと一緒にパロの元に遣わし、素晴らしい業を行わせました。そのように、モーセは神様によって選ばれました。
また、エステル記に出てくる王妃エステルを見ると、彼女はユダヤ人でしたが、偶然のようにペルシャの王妃に召し出され、幸せな生活をしていました。しかし、ハマンという人の陰謀によって、ユダヤ人が絶滅させられると知った親代わりをしていたモルデカイという人に、「あなたは今から王の所に行き、すべての陰謀を打ち明けてあなたがユダヤ人のために救いの手となりなさい」と言われた時、「私は行くことはできません。私は王のもとにいったら私は殺されてしまいます。王の許可なしに私は王の前にでることはできません。でも一つだけ方法があります。王が金の尺を伸べてくださったら王の前に出ることができますが、それはまれです。だから無理です」と断っています。モルデカイはエステルに、「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」と言いました。その言葉によってエステルは奮起して、皆に断食のふれを出し、命がけで王の前に出て行きました。王は寛大に金の尺を伸べてくれ、すべてのハマンの陰謀を暴いたエステルは、結果的にユダヤ人を救うことができました。
神様の選びには色々な方法があります。先に挙げたギデオン、モーセ、エステルの三人に共通することは、神様に対して「私にはできません」とまず断っていることです。しかし、神様は何度も色々な方法を通して、わたしはあなたと共にいる。こういう奇蹟を見たらわかるでしょうと、御業を示し、彼らを用いたのです。三人ともそれぞれ神様が御業を現すために、あらかじめ選んでおられました。考えてみてください。救われてから一年の人、二年の人、五年、十年・・・色々な方がいらっしゃいますが、今、振り返ってみると、もしかするとあの時のために私が救われたのかも知れない、選ばれたのかも知れない、と思われることがあったかも知れません。その時、皆さんは神様の声に、応答したでしょうか。私は拒んでしまった。私にはそんな能力、信仰はありませんと、断ってしまったことがあるかも知れません。これはよく言えば謙遜かも知れませんが、悪く言えば、神様が共におられることを信じていないということにならないでしょうか。私たち一人ひとりは何万何千人といる中から選ばれていることを、知っていただきたいと思います。そしてそれぞれがやるべきことを持っています。聖書の中に出てくる勇士たちだけが、特別に神様に選ばれた人というわけではありません。聖書の中には、ある一部の人の名前が書かれていますが、それよりも多くの人が神様の勇士として立てられ選ばれたのです。また、今の時代ここにいるすべての人を神様は勇士として選んでおられるのです。年をとってから救われて、私は席を温めるだけだと言われるかも知れませんが、そうではありません。皆さんがこの時に必要だからこそ、皆さんを神様が選んでくださったのです。神様が何のために私たちを選ばれたのかについてぜひ考えてみてください。
新約聖書の中にタラントの話があります。ある人が五タラント、二タラント、一タラント預けて旅に出たことが書かれています。預けられた三人の人はそれぞれ出て行き、思い思いのことをしました。五タラント預かった人は五タラント儲け、二タラント預かった人は二タラント儲けましたが、一タラント預かった人は、それを地の中に隠しておきました。主人が帰ってきた時、五タラントと二タラントを預かった人は、「よくやった忠実なしもべ」と、主人からお褒めをいただき、祝福を受けました。この五タラント二タラントを預かった人が、それを二倍にすることは、その金額が莫大であればあるほど、非常に大変なことであったと思います。しかし、一タラント預かった人は、何もしなかったことを主人からとがめられました。私たちも、ある人は五タラント、ある人は二タラント、ある人は一タラント預かっています。しかし、それを今なお私たちが土の中に隠しているのだとしたら、神様から、「なぜあなたは何もしなかったのだ」と、とがめられると思います。あなたはその預かったタラントを本気で使っているでしょうか。
また、十人の人に一ミナずつ預けて旅に出かけた主人のことが書かれています。一人の人は一ミナを使って十ミナを儲け、一人の人は一ミナを使って五ミナを儲けた。同じようにクリスチャン一人ひとりに神様は同じように、一ミナずつを預けています。「私は神様から何も預かった覚えはない」と言われるかも知れませんが、確かに神様が皆さんにしかできない働き、皆さんにしかできない奉仕を預けておられます。滅びの中から、地獄から贖われた皆さんは、神様のために役立てるのだったら、何かしたいと思っていると思います。
今の時代に「しもべ」という言葉はあまり使いませんが、聖書の中に一人の百人隊長が出てきます。自分のしもべの癒しのためにイエス様に願った時、イエス様はあなたの所に行ってあげようと言われました。しかし、百人隊長はマタイの八章八節で

『「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」』

と答えています。ここで教えられることは、神様にこれをしなさいと言われた時に、「はいわかりました」と素直にそれを受け取ることができるかどうかが重要だということです。なかなかすぐに従うことができない、自分の弱さを感じる者です。しかし、「従う」ということは、良いしもべの最大の条件の一つだと思います。
また、聖書は、この世の中の一番の誘惑であるお金を通して、神にも富にも仕えることはできないことを示しています。皆さんは神様の思いを、自分の生活、自分の思い、自分の欲、よりも優先しなければなりません。勿論私たちにはお金も必要です。自分の生活も必要です。しかし、第一にするものを第一にしなくてはいけないのです。このことも、しもべとして主人に喜ばれる大きな条件です。
また、ルカの福音書には、「小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実であり、小さなことに不忠実な人は大きなことにも不忠実です」と書かれています。私たちがそれぞれ任されたことは、小さな奉仕、小さな祈りかも知れません。しかし、その小さなことから主の前に奉仕していく時に、誰も人が見ていなくても、神様がそれを必ず見てくださっています。皆さんが今まで行ってきたすべてを、神様は記憶し、すべては記録されています。
働いている人たちは、会社から給料をもらいますね。あなたはその給料に見合うだけの仕事をしていますか?同じことを神様が私たちに尋ねられます。私たちは先に、たくさんの祝福、恵み、永遠のいのちの約束を神様からいただいているのにも関わらず、私たちは神様に与えられた働きを、十分に果たしているでしょうか?これから何十年生きるかわかりませんが、先週学んだように、私たちに委ねられた福音宣教の負債を、この地上にいる間に返すようにと求めておられます。そして私たちはそれを返さなくてはなりません。そうした時に、主の前に出て「よくやった忠実なしもべだ」と言っていただくことができます。主に選ばれた者として、その負債を返す者と整えられていきたいと願っています。
また私たち一人ひとりは、この新城教会を選んだわけではないということを覚えてください。色々な教会に行くと相違点がたくさんありますが、救われて、この教会に今集っていることは恵みです。なぜ私たちがこの新城教会に集い、新城教会に来ているのか、ここに導かれたのも神様の計画です。もちろん新城に住んでいる人が多いわけですが、豊橋、豊川、その他、色々な所からも来られています。なぜ、ここにいるのでしょうか。考えてみると不思議なことです。それは、神様のご計画の中にあるということを覚えてください。ただ神の恵みによって救われ、神によって選ばれたと同時に、私たちはリバイバルの勇士として選ばれたということです。
私は色々な教会に行くと、日本のリバイバルのために祈ってくださいとお願いします。新城教会では二十年、三十年前から、日本にリバイバルを、と祈ってきました。そのように日本のリバイバルのために祈り続けている教会は、あまりありません。個々の教会が祝福されていくことは素晴らしいことです。しかし、自分の教会の祝福だけを願うのではなく、日本全体のリバイバルのために祈らせていただいてきたということは、素晴らしい神様のご計画です。皆さんをリバイバルの勇士として、主がこの新城教会に導いてくださったということをぜひ覚えてください。自分が天国に行ければ良い、自分の親族、友人だけが行ければ良いというのではなく、この日本に素晴らしい主の業、リバイバルが起こされるように、もう一度覚えて、祈っていただきたいのです。
東京リバイバルミッションが九月に行われます。甲子園ミッションを行う時、甲子園でやっても別に新城教会に人が集まるわけでもないし、利益があるわけでもない、と思いました。しかし、その働きこそが、神様の願う、人々の、この日本の救いにつながったのです。東京リバイバルミッション。今すべての発信源であり、すべての文化の中心地、すべてのものが統括されている東京に、リバイバルが起こることがこの日本に大きな影響力があります。今まで皆さんが祈り、献げてくださったことを心から感謝します。この教会ほど献げ、祈ってくださっている教会はありません。そのような中で私も支えられて、奉仕ができることを感謝しています。
ところで皆さんは、東京リバイバルミッションで、一万人勇士を募集していることをニュースなどでご存知だと思います。でも、今一万人勇士が何人集まっているか知っていますか?私も今回調べてみて、ビックリしたのですが、私の予想をはるかに下回った一五〇〇人くらいです。そう聞くと、それしかいないのかと不安になると思います。また、もう一つの事実があります。この新城教会で一万人勇士が何人いるか調べました。コンピューターが壊れているかも知れませんし、新城教会員と記入しないで登録されているのかも知れませんが、登録されている一五〇〇人の中に新城教会のメンバーは、たったの五人でした。甲子園ミッションの時に、初めに祈りの勇士に登録した人は、もう登録しなくても良いと思っている人がいますが、それとは別の登録が必要です。東京リバイバルミッションのために一万人の勇士を登録したいという案が出されました。実際この新城教会が一番祈り一番献げ、一番奉仕してくださっていますが、きちんと登録している人は五人と知って、私はショックを隠し切れませんでした。三十人か、五十人くらいはいると思っていたのですが・・・。今日ぜひ登録してください。これに登録した人は、いくら献げなさいと言われるわけではありませんから、安心してお書きください。
皆さんがこの準備勇士の中で、一回でも東京ミッションのために祈り、またこれからも一回でも祈ろうとする人は祈祷勇士というところに丸を付けてください。また私はわずかでも献げたいと思う人は献金勇士。また、今月は全都トラクト配布があります。今回百万枚のトラクトを準備しました。これが東京全都に配られます。この一枚一枚のトラクトが、今まで福音の届けられていないところに配る、その働きによって主の業が現されるようにと願い、奉仕できる人は全都トラクト配布勇士に丸を付けてください。また、大会に参加して祈りや賛美、ボランティアとして奉仕できるという人は、それぞれの該当するところに丸を付けてください。それだけです。これに丸を付けて登録しなくても、たいした問題ではないと思うかも知れませんが、主の前に私たちが意志表示をしていくことが大切です。私はこのために登録し、このために祈り、奉仕します。というように、一人ひとりがラスト二ヶ月、もう一度心新たにし、リバイバルのために何ができるか、考えてみてください。
皆さん一人ひとりは主の前に選ばれた素晴らしい器です。そのことに自信を持ってください。一億二千数百の中から選ばれました。子どもからお年寄りまで・・・。どうして選ばれたかわからない。しかし、神様はむやみやたらに皆さんを選んだのではありません。必要であるからこそ、皆さんを選ばれました。そして、皆さんにしかできないことがあるからこそ、神様は私たちを選んだことを覚えてください。ギデオン、モーセ、エステルも弱い者であったにも関わらず、神様が選んでくださり、勇士となったように、弱いからこそ神様は選ばれたのです。神様の選びに応答し、進んでいくなら素晴らしい主の業が皆さんのうちに返り、東京ミッションリバイバルの働きが、私たちの見ていない所で前進し、主の業が現されます。
お祈りします。

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