今週の礼拝メッセージ
私たちの助けはどこから
来るのか
   1998.7.12(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 詩篇121篇
私は山に向かって目を上げる。私たちの助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日があなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

 ハレルヤ!今日久しぶりにこの講壇に立つことができ、心から感謝しています。六月に説教して以来、色々なところへと決起大会に出かけていました。何週間ぶりかでメッセージを取り次げることを感謝します。今日は詩篇一二一篇から御言葉を学んでいきます。この御言葉は非常に有名な御言葉です。
 私にとってこの御言葉はとても思い出深くあります。「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。」私は三年間程鉱山で土方をしていました。一年くらい津具鉱山で働き、その後二年程、八橋マンガンで働きました。津具鉱山では毎朝七時頃から一日働き、肉体的にはそれ程辛くはありませんでした。しかし、八橋マンガンはとても大変でした。私の仕事は、木馬(そりのようなもの)の箱に一トンほどの鉱石を入れて山から降りて来る役目でした。私はなかなかこの仕事に慣れずに苦しんでいました。夏はとてもたいへんで、木馬を担いで行く時に心臓が爆発しないだろうかと思うくらい苦しい時がありました。木馬の舵を取りながらロープで巻き徐々に下に降りて行きます。途中、ポイントがありロープを巻き直します。
 ある時、後ろから先輩が降りて来て、このようにしなさいと指示されました。私がロープを巻き直そうと思った時、後ろの方から、「まだ大丈夫ですよ。」と言われ、私の聞き間違えか先輩の言い間違えかわかりませんが、坂道で木馬が先に出てしまいました。ロープを巻こうとしましたが、その暇がなく、木馬を支えようとした時には、中に引き込まれてしまいました。私はその瞬間、大声で「イエス様!」と叫びました。木馬が倒れました。あと一秒遅かったらロープで首が絞められて死んでいたと思います。私のいとこが木馬で亡くなっています。その後、私は足がガタガタ震えながら賛美しました。

「山べに向かいてわれ 目をあぐ
 助けはいずかたより きたるか
 あめつちのみ神より
 助けぞわれにきたる」

山を見ながらドキドキしながら、イエス様が救ってくださった事を感謝しました。その時のことは未だに忘れられません。
 聖書には「自分で立っているものは思いあがってはいけない。今立っていることは主の恵みによる」と書かれています。私たちが人生を考える時、今日ここにあるのは、神様の守りがあってこそ礼拝ができるのです。一人ひとりが自分の人生を振り返って、あの時に神の守りがなかったら、今日は生きていることがなかったかも知れないと思う時があります。私にとってもこのみ言葉は非常に忘れがたいものです。また六節に、

『昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。』

と書かれていますが、これも八橋マンガンで仕事をしている時に頂いたみ言葉です。
 私は二年間程、正木さんという方の家をタダで借りていました。ある時彼が私に、「滝元さん私のこの家を買ってください。買えなかったら家を出てください。」と言いました。買うか出るか。お金もありませんでした。そして私はとにかく一生懸命に家を捜しました。津具村に行き、空き家を捜しましたがありませんでした。下津具村に大きな御殿のような家があり、新城から来ていた医者の佐々木さんという方が持っていました。雪の夜に私の姉に頼んで、その家を貸してもらうために贈り物を持って挨拶に行きました。私は丁寧に挨拶をし、「伝道のために家を捜しています。空いている家を私にぜひ、貸してください。」と頼みました。私は真剣に祈りました。ここがなかったら生きることができない、というくらいに考えました。家族がどこに行って良いのかわからない。しかし、次の日にあっさりと、「あれはもう他の人に貸すことにしているから。」と断られました。私はがっかりしました。しかし、その時心の中で「イエス様。降参します。これからこの家のことも全部お任せします。」と手を上げました。そして家に帰ってから家内と共に祈りました。祈った時に「昼は、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことがない。」というみ言葉が与えられました。このみ言葉を読んで、「これは家の中に入っていることだ」と思い、必ず家が与えられると信じました。それから私の家内が、今すでに天に召されている、見城しずえ姉に手紙を書きました。「家を捜していますので、どうぞ、そのために祈ってください。」と書きました。するとすぐに電話があり、「家は私が何とかするから新城に来てください。」と言われました。それで、私たちは新城に来ました。そこで元ダンスホールを買い、今日があります。み言葉によって私たちは支えられました。もし、私が下津具に出ていたら今日、ここに教会はありません。神の御手があったのです。時々私たちの人生には問題があります。わからない、どうすれば良いのだろうかと思うこともありますが、その時は神が語りかけてくださる時なのです。もし問題にぶつかったらお祈りして神により頼むべきです。  八節に、「主はあなたが行くにも帰るにもあなたを永久に守られる。」と書かれています。他の聖書には、「出るにも入るにも・・・。」と書かれています。
 人生は、出たり入ったりです。お母さんのお腹から出て、この世の中に入ります。そして幼稚園に入り、幼稚園から出て、また小学校に入り小学校から出て、中学校に入って中学校から出て・・・また就職したり、最後にはこの世から出て行きます。それはいつか私たちにはわかりませんが、この地上から出ます。このことについて神の守りがあるということです。
 神の守りがないと危険が伴います。私は伝道者になって四十五年がたちますが、昔、豊橋にミラーという先生がおられて、そこに招かれて伝道集会で奉仕したことがあります。先生のオートバイに乗せてもらい、豊橋の牟呂町を走りました。その時に別のオートバイが横から出て来ました。「あーっ、イエス様!」と言った時、反対側の壁にぶつかり、私は放り出されましたが、ケガも何もありませんでした。お互いが一秒でも早く出ていたならば、お互いに傷ついたかも知れません。聖書の中から「私の時はあなたの御手の中にあります。」と語られました。私たちは毎日生きているようですが、神様の守りがあります。ですから、今神様が守ってくださることを信じましょう。三節に、

『主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。』

と書かれています。礼拝で既にまどろんでおられる方もいますが、まどろむことは、ウトウトと浅く寝ることです。教会ではあまり深く寝てはいけません。疲れている人はウトウトしています。「よろける」ことは転びそうになることです。聖書には、「主はあなたの足をよろけさせず・・・」と書かれています。
 私は最近、随分忙しいです。「午前様」という言葉があります。酔っぱらいが早朝に帰ってくることを言いますが、私も時々午前様になることがあります。集会から帰ってくると夜中一時半くらいで次の日朝七時に起き、それから大阪で集会をし、家に帰ったら夜中二時近く。それからすぐに東京に行き、集会が終わり帰って夜中の二時頃です。ある日私はとても深く眠っておりました。「先生。着きました。」と言われ、「どこに着いたの。」と聞きました。正直に私はここに朝まで寝ていたいと思いました。疲れてしまいここで寝たいと思うほどでした。しかし、仕方がないので起き、足が落ち着かずヨロヨロしながら家に入りました。ベットに入る勇気もなく、椅子に座って寝ていました。そのうちに寒くなって起きましたが、時々、足がよろける時があります。しかし、聖書を見ると、「あなたの足はよろけず・・」と書かれています。よろけることがない。足を神様が守ってくださるのです。また、「あなたを守るものはまどろむことはない。」と書かれています。親が子どもを見ています。しかし、親が見ていないでウトウトとしている時に、子どもが事故を起こすことがあります。神様の守りは非常に完全でまどろむことさえありません。今週もイエス様がまどろむこともなく、ひとりひとりを守ってくださいます。聖書は空の鳥一羽も忘れていないと書かれています。聖書を見ると、一羽の雀は一アサリオンで売っている。神様はその一羽も忘れられてはいないと書かれています。これをわかりやすく言うと、おつりで買えるような空の鳥でさえも神様は忘れていないという意味です。
 朝起きると、雀がたくさん鳴いています。家の庭で鳴いている小鳥は、自分のものだと思っていますので、チッチと鳴いているのを聞いて、「子どもたちが元気でさえずっている」と思って目が覚めます。神様がその雀一羽も忘れてはいないということは素晴らしいことです。ここにいるひとりひとりは誰ひとりとして神様に忘れられてはいません。愛されています。もっと素晴らしいことは、あなたの頭の毛もみな数えられていると書かれています。「あなたの頭の毛一本すらも地に落ちることはない」と書かれています。これは完全な守りを与えてくださるということです。
 私には趣味があります。私の趣味は掃除です。椅子を移動したり、机を移動したり、私が帰ってくると配置が変わります。私の家には子どもたちがたくさん来ます。掃除をすると、たくさん髪の毛が落ちています。誰の髪の毛かわかりません。いつ落ちたのかもわかりませんが、髪の毛がたくさん落ちているのです。しかし、神様はこの髪の毛一本すら忘れられていません。神様の完全な守りが私たちにあります。七節に、

『主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。』

と書かれています。今週もすべてのわざわいから私たちを守ることができる方、私たちのいのちを守ってくださる神様に信頼して生きていくべきです。
 私はリバイバルミッションニュース七月号のメッセージを書きました。皆さんもう読まれましたか?「日本のために決起しよう」というテーマで書きました。イスラエルが敵のハマンという男によって滅ぼされるという緊急事態に、エステルという女王様がいのちをかけてアハシュエロス王の前に出ました。もし、召されずに金の尺が出なかったら殺される、しかし、その時エステルは、「皆さん私のために三日間断食してください。もし死ななくてはならないならば私は死にます。」と語りました。国家が救われるかどうか、民族が救われるかどうかという時に、力の限り彼らが主に叫び求めたと書かれています。ある意味で東京ミッションは日本の攻防をかけた戦いです。ですから、ぜひとも私たちも叫び求めて日本のために祈りましょうと書きました。「三日間断食したように私からもお願いします。一食でも、一日でも断食して祈ってください」と書きました。断食された方はいますか?御言葉は両刃の剣だとありますが、私もそう書いた以上断食しようと思いました。何日位しようかと考えましたが、今月二十六日、二十七日と富士山頂に登ることになっています。私がメッセンジャーとされています。日本の言葉の中に、「富士に一度も登らない人はバカだ。二度登る人もバカだ。」とあります。それほど大変なのですが、私も登ろうと思っています。富士山に登るのは、景色が良いからではなく、富士山の中腹から上は個人の所有になっており、神社があります。日本の一番高いところに神社を作り悪霊が支配しています。そこに行って私たちは「この地は主のものである。」と祈り、高いところから祝福して祈るという目的があります。ですから、ただ登るというだけではなく、祈っていくことです。私も正直言ってあまり長く断食するとよろめいてしまうことを心配していました。
 早天祈祷会の中で聖書を読んでいる時に、ソウル王様が死んだ時にヤベシュという人たちが七日間断食したと書かれています。私は、それを読み、七月一日から七日間断食しようと決めました。私も断食は甲子園前に十日間、終わってから十日間、九州の時に十四日間しました。しかし、今回は熱かったので、断食がとても大変でした。二日目くらいからお祈りするのにもなかなか力が出ず、ふと考えました。これは悪霊が祈らせないようにしていると思いました。それから、イエス様の名によって「サタンよ退け。出て行け!」と怒鳴りつけて祈りました。それから力が与えられました。そして、県民の森で祈りました。そして次の日は、重湯を食べて、次の日また、県民の森に行きました。その時に上條牧師のリードで祈りました。断食後八日目で重湯を食べており、力がありませんでした。ずっと祈りを導かれ、「今日はグループになって祈りましょう。十分くらいの間、神の声を聞く時を持ちましょう。必ず主は語りかけられるので神の声を聞いてください。」と言われ、祈り出しました。「主よ・・・主よ。」私は疲れており、神の声を聞くどころではありませんでした。最後に上條牧師が来て、雅也兄にささやきました。「明牧師は断食あけで疲れているから、そこをサタンがついてきて苦しめられているから、明牧師のために祈りなさい。」と言われました。すると、私に力が与えられ、目が覚めて真剣に祈ることができました。誰でも祈りによって助けてもらわなくてはなりません。とりなしてもらうべきです。自分の力だけで祈ることはできません。だからそれから私は目を覚まし、勝利して帰ることができました。その後で祈りも力が与えられました。
 十日間の日本武道館の集会に人を集めてくださいと祈りながら、「主よどうしてもお願いします。勝利させてください。」と祈れば祈るほど、わかったことは自分は何もできないということでした。何もない、できない、肉の力は何もありません。私がいくら叫んで「来てください」と言っても、行きたくないと言われたらそれまでです。新城教会でも、先週は岡本先生を通して、「皆さんは選ばれています。東京ミッションに行きましょう。」と言われても「行く人が行く」と思っているかも知れません。動かされる人と動かされない人がいます。しかし、神に動かされて行くべきです。またどのように力んでも人間の力では何もできません。そこで私も本当に主にひたすらより頼むだけ。主にしかできない。そして、結論的に二節、

『私の助けは、天地を造られた主から来る。』
という御言葉が与えられました。本当の助けは天地を造られた主から来る。これだけです。望みはこれです。ですから、今度の大会のために祈っていただきたいことは、「権勢によらず、能力によらず、私の霊によって」と書かれていますが、本当に聖霊の力によって、また、「私の助けは天地を造られた主から来る。」と天を神様が開いてくださることを覚えて祈ってください。
 今回私は六月二十六日から二十八日まで家内と共に韓国に行きました。チョー・ヨンギ先生の教会で決起大会をしました。六月二十六日(金)に徹夜祈祷会がありました。私は正直言って徹夜祈祷会なのでそれ程人は来ないと思いました。九時頃行くと会堂の前の一般道路の両脇に何十台とバスが並んで通れないほどの車がありました。私を乗せてくださった金先生が、「日本から講師様が来た」と大声で叫びました。すると教会の玄関のところまで行くことができ、九時半くらいに会場に入りました。会場には一万二千人が集まっていました。この新城教会に先週は二八一人が礼拝に来られました。韓国は一万二千人でした。韓国は底力があると思いました。会員数が七十万人だと言われました。日曜日は仁川の李浩文先生の教会に行きました。その街には二百万人くらいの人口があります。二百万人は名古屋の人口です。私は五回目の礼拝で説教しました。四千五百人びっしりと集まっていました。オーケストラがあり、聖歌隊がありすごい教会でした。その夜は明星教会に行き、そこには七千人が集まり話しました。彼らは真剣になって神を求めていました。今韓国は、色々な問題がありますが、やがて素晴らしい国になると思います。切に神様を求めているからです。今日本の千ヶ所くらいの教会で決起大会をし、東京武道館での集会をしようと思っています。東京武道館は、一万三千七百人入ることができます。一万三千七百席がいっぱいになるようにと祈っていますが、チョー・ヨンギ先生の教会から見たら、一つの教会で七十万人です。今日本の教会は、全国のクリスチャンが約五十万人です。嫌になると思います。私は、「韓国から日本に申賢均師が来られ、鄭牧師、李浩文先生が来られ、何度も何度も集会を行いました。しかし、リバイバルは全然起きません。」と話しました。私たちが考えているリバイバルはありませんが、今度の東京リバイバルミッションで神が天を開いてリバイバルを起こしてくださること信じますので応援してください。」とお願いしました。私たちは天地を造られた主に期待しましょう。詩篇一二四篇六節に、

『ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから、鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助けられた。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。』

と書かれています。サタンも罠を仕掛けます。これは霊的な戦いです。しかし、これに対して勝利を与えるのは神様だけです。信仰を持って私たちの素晴らしい救い主であり、天地の創造者に期待していきましょう。必ず日本にリバイバルが起こされることを信じましょう。

『私の助けは、天地を造られた主から来る。』

『私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。』

この御言葉を信じ、天地を造られた主が助けを与えてくださることを信じましょう。日本も主によって造られた国です。必ずこれを解放してくださるに違いありません。信仰を持って主に従っていきましょう。一言お祈りします。

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