今週の礼拝メッセージ
今日は救いの日です   1998.7.26(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
コリント人への手紙第二 6章2節
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 ハレルヤ!久しぶりに新城教会において、メッセージを取り次ぐことができ心から感謝します。東京ミッションも追い込みに入っていますので、皆さんの祈りに支えられ、忙しく全国に廻らせていただいています。
 今、日本人の心の中に、いい知れない不安があります。先週の月曜日、全都トラクト配布が東京で行われ、当教会からもスタッフを合わせれば、七十名近くが参加してくださいました。四百名ほど集められ、四十万枚ほどのトラクトが配られました。普通トラクト配布だけでは、なかなか反応がありません。しかし、その日から事務所にたくさん問い合わせの電話が鳴り始めました。毎日のように鳴っています。やはり日本に神の御手が伸ばされていることを感じます。
 一九九三年に甲子園ミッションが行われましたが、その半年前に大阪と京都で決起大会を行いました。そのためにピーター・ワグナー先生と、シンディ・ジェイコブス先生が来てくださいました。その時、シンディ先生に預言が与えられ、皆の前で語りました。それは、「日本にリバイバルが起こる証拠として、経済界に崩壊が始まります。また、株価が下ります。」などと言われました。当時は、状況からして、そのようなことが起こるはずがない、と思いながら聞いていました。しかし今から思うと、あれは神がシンディ先生の口を通して語られた、日本に対する言葉だったと思います。あれから五年の歳月が経ちましたが、今のような状況が訪れるとは当時、誰が予想していたでしょうか。
 今週の「ニューズウィーク」の表紙には「日はまた登るか。金も仕事も誇りもなくした日本の深すぎる病理」とありました。そして、人々が鳥居の前でうなだれている絵が描かれております。これは、預言的な絵のようで、思わず買ってしまいました。これが今の日本の現状ではないかと思います。今まで日本は、飛ぶ鳥を落とす勢いで天下無敵でしたが、多くの問題が起こっています。
 「聖書は現代を生きる私たちのためのマニュアルである」と以前に話しましたが、イスラエルの歴史を見ると、神が国に御手を伸ばされるプロセスを学ぶことができます。その過程を今の日本に当てはめてみると、多くが一致します。  イスラエルの民はエジプトで四百年間奴隷でした。しかしモーセにより解放され、カナンの地を目指しました。いくつかの困難を乗り越え、以前の自分達の故郷に帰ってきました。しかし、四百年間も留守をしていたので、すでにその土地はカナン人に征服されていました。けれども神は彼らに力を与え、領土を回復させました。やがて師士の時代を経て王政となり、サウルが初代の王として立てられ、続いてダビデがイスラエルの王として立ちました。ダビデの時代にも戦いが続きましたが、イスラエルが確立した時代でもありました。ダビデの活躍によって、イスラエルが回復しました。だから今でもイスラエルに行くと、国民はダビデ王を誇りに思っています。ダビデは今から三千年も前の王様です。日本において誰が、聖徳太子や徳川家康を誇りに思っているでしょう。イスラエルではダビデは今でも英雄です。そのくらいダビデは影響を及ぼした王でした。ダビデと共に国民は敵と戦い、領土を取り戻しました。しかし、次のソロモンの時代に、イスラエルは大きな変革を遂げました。
 イスラエルは四百年もの奴隷生活をしていました。奴隷は自分の領土や財産を持つことができません。また、四十年間荒野を旅し、ほとんど遊牧民の世界でした。遊牧民は、風や季節に任せて羊を連れて放浪します。しかし、イスラエルがカナンの地に入ってからは農耕民族として土着しました。農耕民族は自分の土地を持ち、そこから糧を得ます。
 さてソロモン王は、エルサレムに神の宮と、自分の王宮を建て、そのために何十万、何百万という人々を動員しました。彼は、神の宮の為に最高の材料を使いました。自分の国にない材料は、貿易により輸入しました。ソロモンは商才にたけていて、貿易で多くの利益をあげ、イスラエルは経済大国へと変貌したのです。国民は百姓をするよりも、商売をして儲けた方が効率が良いこと知ったのです。それで、ソロモンは神の宮も建てましたが、国の体質をも変えてしまったという側面があります。今までのイスラエルは、戦いや自然の中で、どうしても神に頼らなければならず、真の神に仕える国民でしたが、徐々に真の神からから離れ、自分たちの都合の良い神々、即ち偶像に仕えるようになりました。
 先週、トラクトを渋谷区恵比寿というところで配布しましたが、「恵比寿」とは偶像の名前です。多くの人々が、「商売が繁盛しますように、儲かりますように」とその偶像を拝んでいます。イスラエルも、本物の神に頼るというよりも、政策や軍隊、経済に寄り頼み、真の神から離れ、自己実現のために利用できる神々に向かっていきました。
 結果として、イスラエルは、北イスラエルと南ユダ、レハベアム王とヤロブアム王とに国が分断される悲劇を味わいました。ついに、北イスラエルはアッシリヤに、南ユダはバビロンに補囚され、滅びの道をたどりました。
 日本の戦後の歴史を見ると、結構、イスラエルの辿った道と似ている部分が多いことに気づかされます。日本は第二次世界大戦で敗戦という屈辱に見舞われました。国民は神風が吹いて戦争に勝つ、と信じていましたが負けて、大変な痛手をこうむりました。私は戦後生まれなので戦時中のことはわかりませんが、戦後間もなく生まれましたので、戦争のことをよく聞きました。私が子どもの頃は漫画も戦記物が多かったです。今はそのようなテレビ番組はありません。日本は神風によって救われると言っていましたが、そんな救いも来ず、国民は神社礼拝から離れました。終戦後、多くの神社が破壊され、日本は偶像から離れました。その時は日本にとってのチャンスでした。国民は荒れた焦土を開墾し作物を植え、原点に戻った時期でもありました。当時、日本のキリスト教会はある意味でリバイバルでした。多くの人々が教会に来たそうです。人々は本当に飢え渇いて、路傍伝道にも多く集まり、道ばたでイエス様を信じたというのです。今、路傍伝道で道ばたで話しても聞く人はあまりいませんが、昔は心が貧しくへりくだっていたので、多くの人々が福音を聞きました。
 しかし、一九五〇年に朝鮮動乱が起こり、アメリカと共産軍が朝鮮半島で戦い、日本が兵器を修理したり生産する国となりました。特需によって、再び工場が動き始め、朝鮮動乱によって復興し日本は変わりました。そして、高度成長時代と呼ばれる時期へと突入していきました。
 そのようなわけで、日本が戦後、その時から農業から工業に移転したのです。昨日もある歴史の本を読んでいたら、そのように記してありました。多くの人が農業をやめて、当時は、「三チャン農業」と言って、農業をやるのはじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんで、中心的に農業を営んでいたお父さんが、町の工場に働きに行きました。同時に三種の神器と言われる、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を家の中に招き入れることが最大の幸福だと考えました。
 この地域でも当時、ほとんどテレビがありませんでした。しかし、唯一、菅谷姉宅の床屋さんに白黒テレビが入りました。今から考えると、申し訳なかったと思いますが、私は、相撲の時は十両の時から床屋さん宅に上がり込み、横綱が終わるまで毎日、千秋楽まで通い詰めました。特にクリスチャンの家族は子沢山で、周りのテレビのある家に押し掛けるという噂がたち、これでは証にならないと、当時のクリスチャン家庭でお金を出し合い、一台のテレビを買うことになりました。
 テレビが入るという日、朝からワクワクして勉強も身に入らず、走って家に帰りました。家に帰ると、テレビを積んだトラックが家に横付けされていました。テレビはすごく自己主張していました。また、テレビを取り付ける技術者は、文明の最先端を走っているような顔をして取り付けていました。テレビや冷蔵庫、洗濯機を手に入れる為には、何も惜まないという時代がありました。
 瞬く間に日本は、敗戦国から一等国にのし上がってしまいました。考えてみると、日本は不思議な国だと思います。こんなちっぽけな島国にも関わらず世界のトップと並ぶような国になったのですから。
 しかし、経済の変化に伴い、人の心も変化して行きました。戦後の飢え渇いた心も、いつしか神をも自分のために利用する心へと変化しました。それに伴い、宗教ブームが起こり、新宗教、新新宗教ブームは、まさに自分のために神を利用するという自己実現の現れでした。宗教法人を起こせば儲かるという時代でした。人々は多くの宗教を編み出し、新しい神々が日本に現れました。宗教人口は二億以上とも言われました。神に仕えていくという聖書の教えには、ほとんど耳を傾けない状態でした。何しろ神をも使って、自分の商売がうまく行くようにという神観でした。しかし、どのような事件が起きたでしょうか。その新宗教・新新宗教から離れさせるかのように、恐ろしいオウム事件が起こりました。以来、国民は宗教は恐ろしいものと考え離れたのです。同時に今まで無敵であった経済も徐々にかげりを見せ始め崩壊して行きました。
 今の日本の状況について今週の「ニューズウィーク」に「仮死状態の経済大国」という記事がありました。一九八八年と九十七年を比べたら、日本のシステムが崩壊したことは一目瞭然だと書かれています。こんなにひどいのにも関わらず、まだ大丈夫だと思っていると書かれています。
 一九八八年には、失業者は百五十五万人でしたが、九十七年には何と二百三十万人になりました。企業の倒産件数は八十八年には一万百二十三件であったそうですが、九十七年は一万六千三百六十五件あったそうです。バブルの時の地価上昇率はすごいものでした。八十八年の地価変動率はプラス二十一・九パーセントでした。しかし、昨年はマイナス七・八パーセントでした。平均株価は経済全体の指数でもありますが、八十八年日経平均株価は三万百五十九円でした。しかし、九十七年には一万六千五百七十円となり、約半値に下がってしまったのです。国内総生産成長率(GDP)は一九九〇年は五・一パーセント。しかし、九十八年は〇パーセントだろうと言われています。これはまさに仮死状態だ、とレポートされています。
 すべてが崩壊しています。社会、経済、教育、家庭、宗教、何もかもです。イスラエルが神から離れたとき、そのようなことが起こりました。色々な悲惨な事件を通して、彼らがもう一度神に立ち返るように神が働かれた歴史を見ることができます。
 今日本がこの様な状況に陥っていることは、神の御手が日本に伸ばされている証拠です。日本が暗くなってきました。東京ミッションのテーマは、「光のある間に」です。光は暗くならないとなかなか見えません。夜明けのガス灯という言葉がありますが、夜明けに灯火がついていてもあまりわかりません。しかし、暗くなると、どこに光があるのかがわかります。今日本が暗くなり、光が何処にあるか見ることができる時代になっています。
 第二コリント六章二節に、

『神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』

 神がこの日本に御手を伸ばされています。これは日本国民全体のために伸ばされているのです。今まで不動だと信じてきたのは、変動するものであり、そんなものに身を寄せていても失望する、永遠に変わらない真の神に頼らなくてはならない・・・。と語られているのです。ある人は日本はすでに、「デフレ・スパイラル」に陥っていると言います。これからさらに日本が暗くなると思われます。イスラエルがつぶされて、やっと神がわかったような状況と同じになりかねません。一刻も早く、神に立ち返るべきです。
 今まで、国という視点で話しましたが、「国」とは「民」のことです。そして「国」の崩壊とは、「人」の崩壊です。それは私たちの内側が崩壊しているということです。しかし神は、従わない者を罰して滅ぼしてしまうのが目的ではないのです。
 日本人の心の中には、神様は「恐ろしい存在」という概念がありますが、間違いです。聖書の神は、裁きの神という側面もありますが、根底は愛なる神様です。最後まで私たちを愛してくださる方です。今は恵みの日、救いの日です。
 イスラエルがバビロンによってまさに崩壊する寸前、神は預言者エレミヤを通して言葉を与えました。エレミヤ書三十三章六節から九節に、

『見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らを平安と真実を豊かに示す。わたしはユダの捕らわれ人と、イスラエルの捕らわれ人を帰し、初めのように彼らを建て直す。わたしは、彼らが私に犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。』

 崩壊寸前のエルサレムに向かって神が語られた言葉がこれでした。崩壊寸前。なんの希望もないという中で、神が語られた言葉は「希望」でした。「この町は、世界の国々の間で私の名となり栄誉となり栄となる」と言われました。町の傷をいやすと語られました。
 私たちが救いを得るチャンスは、崩壊寸前の時だと言うのです。今日、ある方の人生は、崩壊寸前かも知れません。家庭が、夫婦関係が、経済が崩壊寸前かも知れません。しかし、その時こそが救いをもたらすチャンスの日だというのです。その時、神は「わたしはあなたの傷をいやす。また、あなたは私にとって喜びになり栄誉になり栄となる」と言われます。
 イエス様もエルサレムに向かい、マタイの福音書の二十三章で、

『ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。』

と語られました。しかし、その後に、「あなたがたはそれを好まなかった」と語られました。神は崩壊寸前に、「さあ、あなたの傷をいやして助けてあげます。」と声をかけてくださいます。その時に戻るならば、祝福があります。そのような状況の中で、神を見上げるべきです。神を見上げるとき、救いがあることを聖書は教えています。
 ここに、「この町」と書かれています。神の視点は個人に対するものですが、同時に「町」に対する救いでもあります。午後、私たちは町に対する伝道を行います。新城文化会館前の広場で、「サマー・フェスティバル」があります。すでに今朝、この礼拝の前に、先に準備する兄弟姉妹の為に礼拝を持ちました。
 これは町の人たちがイエス様を信じるようにという祈りの時でもあり、多くの人達が主を信じ、立ち返る為の集会です。大勢の人たちが集まると思います。この新城の町が、神の栄光を現す町になるように祈りたいと思います。
 さて、ガテマラにアルモロンガという人口一万八千人程の町があります。その町は数年前まで、麻薬とアルコール中毒の患者で満ちていたそうです。人々はほとんど働かず、昼間から酒屋の前は行列ができていたというのです。また、子どもたちは学校へは行かず、ストリートチルドレンが溢れていた町であったそうです。町の人々は「マシュモン」という霊を奉り、町の真ん中に大きな塔を建ててマシュモンの霊を真剣に拝んでいたそうです。そんな暗い、誰も何の希望を持たない崩壊寸前の町に、数年前、マリワナ・リスカッチという牧師が入ったそうです。特に、「マシュモン」の霊を呼ぶ塔のところに行き、悪霊が縛り上げられるように真剣に祈ったそうです。霊の戦いを町をターゲットに行ったのです。何と、町の人たちが主を求めるようになりました。それから三ヶ月の間に、四百人もの人から悪霊が追い出されたそうです。それも、アル中の背後に働く悪霊が追い出されたそうです。
 大体、習慣性があり、自分がやめたくてもやめることが出来ない事柄は霊的な問題です。その背後の悪霊が砕かれると、嘘のように解放されます。
 何と、三ヶ月の間に四百人のアル中患者から悪霊が出て行き、彼らはアルコール中毒から解放され、町にリバイバルが起こったそうです。今では九十パーセントの人々が新生したクリスチャンで、アルモロンガの人ほどよく働く人達はいなそうです。お百姓が多いそうですが、今やアルモロンガの野菜は、一番品質が高いと言われ、多くが周辺の国々に輸出されているそうです。学校に行っていなかった子どもたちが、今は生き生きと学校に行っているそうです。そして、町の通りの名前が聖書の名前に変わったというのです。創世記通りから始まり、黙示録通りまであるそうです。そして、三年前に町の牢屋が閉められました。今まではアル中患者で溢れ、牢屋に囚人達を収容する場所がなかったほどだったのが、皆イエス様を信じて、犯罪が町からなくなったのです。それでその町に牢屋が必要ではなくなり、閉めてしまったそうです。
 十月にガテマラで「霊的戦い世界会議」があります。最後の日にはアルモロンガツアーがあるそうです。その時、十パーセントの救われていない方々のために、カルロス・アナコンディア先生がクルセードを開催するそうです。ピーターワグナー先生によると、世界で最も明らかに、霊の戦いによって変えられた町だと言われます。そのような町が、今、世界中に十五程あるそうです。
 崩壊寸前の時が救いの時でもあります。今、日本の国民も変わってきました。今まで新新宗教の時代はキリスト教に見向きもしませんでした。なぜなら、自己実現のためにイエス様は利用できないからです。今、一般の書店で売られている本の中で聖書に関する本が多くなってきました。最近よく売れている本に、ウォルター・ワンゲリンという人が書いた、小説「聖書」という本があります。書評が色々と出ています。聖書は短編が集まって大変読みにくいですが、小説風に書き下ろした本です。結構話題になっています。聖書の中に救いがあるのでは。真の神様はイエス様では?と皆が目を向け始めています。
 今年こそ、大いなるリバイバルが起こるように祈っていきましょう。国が崩壊するのではなく、救われるように特別祈りましょう。一言お祈りします。

バックナンバー
戻る
戻る