今週の礼拝メッセージ
神からの祝福の条件   1998.8.2(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
第二歴代誌34章1節〜3節
ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった。彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像と刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。

 ハレルヤ!御言葉を二週間連続で、新城教会にて取り次げる恵みを感謝します。新城教会に、主が新しい業を現し、毎回、新しい神の御業を聞くことができて感謝します。最近はお年寄りの方々の内にリバイバルが起こっています。新しくお年寄りの方々が加えられていることを感謝します。リバイバルの中で、まず、お年寄りの方々の領域にリバイバルが起こって欲しいと願います。なぜならば、順番から言えば、若者よりも早くこの地上から出なくてはならない方々ですから。そのような中に救いがもたらされるべきです。私たちがこのように礼拝している間にも、多くの方々が地上から去っていっています。
 現在は高齢化社会で、高齢者の定義は六十五才以上だそうですが、今朝の新聞には二十一世紀半ばになると、三分の一が高齢者になってしまうと書かれていました。そのような時代を迎えています。
 一方、子どもの数も少なくなっています。一九四七年の一家あたりの子どもの数の平均は、四・三二人だったそうです。しかし、昨年の平均は一・四三だそうです。そして、今日は歴代誌三十四章から学びますが、この箇所は特に若者に対するメッセージです。ここにはヨシヤという王様が出てきますが、彼は八才で王様になりました。若くて王になりました。そんなに若くて政治ができたのだろうかと思いますが、ヨシヤは後に素晴らしい王となり、国が変えられました。ヨシヤのおじいさんに当たる人をマナセと言いますが、彼は悪い王でした。その人も十二才で王になりました。ヨシヤとマナセは若いときに王になったという事で、共通点があります。しかし、二人の人生は全く逆方向でした。ここに幼少時代にどのような道を歩み始めるか、選択がいかに大切であるかを見ることができます。彼らが、王になって、各々国を全く逆方向に導いたのは、幼少時代に受けた教育が大きく影響しています。
 彼らを育てたのは王ではなく、当時は母親が育てましたので、お母さんの影響が大きかったと思います。
 ヨシヤのお母さんの名はエディダでした。マナセのお母さんはヘフツィ・バハという名前でした。子どもたちの名前を見ても、お母さんがどのような考え方を持っていたがわかります。皆さんの名前にも各々意味があるように、「ヨシヤ」という名前には、「主のいやし」、「主は支えてくださる」という意味があります。マナセには、「忘れる者」という意味があります。マナセのお父さんのヒゼキヤは、ユダの国を改革し、偶像を取り除き、天地宇宙の造り主を紹介した人でした、しかし、息子が名前のごとく、神様を忘れて、お父さんがせっかく取り除いた偶像を再び国に持ち込み、なんと神の宮にまで偶像を安置したのです。
 しかし、一方ヨシヤは、おじいさんが持ち込んだ偶像を取り除いて、国に祝福をもたらしました。
 ここにも多くのお母さんと、多くの子どもたち、生まれてまもない赤ちゃんがいますが、委ねられた子どもたちをどのように育てるのか、大きな責任が伴います。箴言二十二章六節に、

『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、そこから離れない。』

と書かれています。共同訳聖書では、『若者を歩むべき道の初めに教育せよ。』となっています。若者という言葉の中には、「子ども」や「赤ちゃん」という意味まで含まれています。お母さんが、子どもの人生の入口において、どのような教育をするかによって、その子どもの人生の方向性が変わります。
 小さな子どもや、赤ちゃんをお持ちのお母さん方に心からお勧めします。あなたの子どもをヨシヤのように、神を恐れる子どもとして教育すべきです。マナセのように神様を忘れてしまうような育て方をすると、全く人生が逆方向に行ってしまうのです。
 人間は生まれたときには皆純粋で、イエス様の救いについて伝えれば受け入れる柔らかい心を持っています。しかし、ある時点において頑なになります。どこかで人生を悪魔にとられます。私は、人生のどの時点で悪魔が人を捕らえるのかについて興味があります。その前に福音を伝えるべきだと思います。
 今、子どもたちを取り巻いている環境には、大変危険なものがあります。テレビや読み物、友だち関係の中に親の知らない恐ろしい環境が含まれています。なぜならば、その中に多くのオカルト的要素が含まれているからです。子どもたちの見ている漫画やゲームなどに注意を払うべきです。その中に悪霊を呼ぶような呪文がたくさん隠されているのです。それを野放しにしておくならば、知らない内に悪魔に握られてしまうのです。一度縛られたら、それが解かれるまで、ずっと悪魔の支配下にあります。私たちは子どもたちに与えるもの、見せるものをよく吟味し、悪魔の影響を除くべきです。近年ポケモン事件があり、多くの人々が色々な症状を訴えて倒れましたが、そのような中にも霊的な要素が含まれています。光の作用だとか言われますが、背後には危険な思想が隠されています。私たちは、子どもたちが喜ぶからとか、漫画だからというのではなく、よく霊の目を開き、見きわめて子どもたちに適用すべきです。情報が溢れている時代です。放っておけばどんどん子ども達は危険な情報までも吸収してしまいます。そしていつの間にか、悪魔に捕われてしまいます。それを防ぐのが母親の役目です。第二歴代誌の三十四章の前後を読むとよくわかります。今週、お母さん方に、また、お父さんにもお勧めしたいことは、子どもたちが普段、どのようなものを見て、聞いているかについて吟味してください。そして危険なものを除くべきです。小さな時に聖霊様に捕らえられると、その道は変わりません。
 ある意味で私はクリスチャンホームに生まれ、信仰を落とさずに来れたのは、小さいときに聖霊様によって捕らえらたからです。
 私は一つ忘れることができない体験があります。私たちの小さな頃、土曜日に楽しみがありました。それは子ども祈祷会でした。父親が伝道旅行を終えて、毎回、色々なみやげ話をしたので、それが楽しくて集まっていました。私もその中に育っていました。その祈祷会は次の世代にも受け継がれました。私が高校生の時、学校からから帰って来ると、子ども祈祷会が行われていた母子室が騒がしかったので見に行きました。すると、子どもたちに聖霊が注がれていました。丁度、実先生や信弘先生が小さな頃でした。彼らが祈っているときに聖霊が注がれ、彼らは喜んで主をたたえていました。その時に彼らは聖霊様に捕らえられました。その中にいた人達は現在、皆主に仕えています。小さな時から聖霊様に捕らえられることは大切なことです。ヨシヤは八才で王様になりましたが、

『彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像と刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。』

と書かれています。
   彼は十六才の時、自主的に神を求め始めました。クリスチャンホームの子ども達は、親が信仰を持っているから教会に来ているという場合があります。しかし、大切なことは、自分で主を求めることです。今日ここに来られている方々の中で、家族に無理矢理連れて来られている方がおられるかも知れません。しかし、信仰とは自分で主を求めることが大切です。神は主を求める者に現れてくださいます。自主的に主を求めるとき、主が現れてくださいます。
 ヨシヤは、若いときに主を求め、おじいさんのマナセが造った高きところ、アシェラ像、刻んだ像、鋳物の像を全部除いたというのです。彼は若かったけれど、勇気を持って行動したのです。
 この事は現代を生きる私たちにも大きな示唆を与えます。旧約聖書は現実的な歴史を通して色々なことを教えています。そこには霊的な意味があります。私たちが、個人的に神を求め始め、その中から間違った神々、即ち偶像が除かれるとき、一つのことが起こってきます。
 聖書は偶像礼拝はサタン礼拝だと教えています。そして、サタン礼拝により、真の神が覆われ見えなくなってしまうというのです。今、日本では九十九パーセント以上の人々が目隠しされています。聖書の救いは永遠の救い、「永遠の命」です。誰でも、本当に永遠の命が与えられる事が分かったら、自分で受け取りに来ると思います。しかしそのような救いがあってもわからないのは、目隠しされているからです。これは偶像礼拝によって目隠しされているのです。偶像礼拝から解き放たれることは大切なことです。偶像礼拝から解き放たれると真理が見えてきます。
 続いて、ヨシヤ王は、宮を修理しました。ソロモンが建てた宮が当時、マナセが持ち込んだ偶像によって汚され、破壊されていました。それを除き、荒れていた宮を修理したのです。
 新城教会の会堂も、今年の八月で建ててから十九年目に入ります。大分、修理を要する箇所もあり、時々修理しています。しかし、現代においての「宮」とは、このような建物ではなく、私たち個人の人生であり、自分自身であるのです。「宮を修理する」とは、私たちが主に立ち返り、偶像礼拝や罪から離れる事が「宮の修理」なのです。時々、宮が罪や汚れで崩れてしまっています。それを修理すべきです。
 ヨシヤが宮を修理したときに、何と、その宮の中で律法の書を発見したのです。そこにはモーセの律法の写しが置かれていました。神の宮に、神の律法が置かれていたのは当然なのですが、何と、異教の神々に支配されていたときには、神の御言葉があるにも関わらず、発見できなかったのです。
 私たちも偶像礼拝に支配されたり、罪に支配されると、内側に神の御言葉があっても、意味がわからないのです。しかし、偶像の神々が崩されるとき、神の御言葉がどのようなものかを理解するようになります。歴代誌三十四章をあとでよく読んでください。その中にそのプロセスを見ることができます。
 神の宮に神の御言葉があったにもわからず、たまには読んでいたかも知れませんが、意味がわからなかったのです。
 私たちの教会で強調していることは、「霊的戦い」です。偶像礼拝は悪魔との契約であるわけで、それが解除されないと悪魔の影響を受けるのです。その偶像礼拝の契約が断ち切られないと、御言葉がわかりません。しかし、契約が断ち切られると御言葉がよくわかります。そのためにも、私たちは「宮」を修理しなくてはなりません。
 彼らは発見した御言葉を読んでみました。すると神の御心について知りました。何と三十四章二十四節から二十五節に、

『主はこう仰せられる。見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒り引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることがない。』

 宮が修理され、神の御言葉が発見され、彼らが神様の前に祈り始めると、神はその国に持っておられる御心を現わされたのです。それは、国にとっては危機的な状況について知らされたのです。マナセがあまりにも大きな罪を犯した結果、その罪に対する裁きが、何と、三代目のヨシヤ時代に臨んでいると言うことでした。もしも、ヨシヤ王が国の改革をせず、神の道に歩んでいなかったら、国はヨシヤの時代に滅びた事でしょう。
 それでヨシヤ王を中心として、彼らは真剣に自分の罪、国の罪、先祖の罪を悔い改めました。その時、三十四章二十七節に、

『あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。主のみ告げです』

と書かれています。神は民を滅ぼすところでしたが、国と神の間に彼らが入り、とりなし祈った事により、神は災いを下す計画を取り下げたのです。
 ここに大きな真理を見ることができます。特に、この場所は若者が強調されています。「若者ヨシヤ」が神様を求め、偶像を取り除き、御言葉を求めた事により、神が国に対する御心を示されたのです。彼らが御心を知ったとき、若者たちを中心に、神と国の間に入り祈ったとき、ユダが救われたのです。
 昨日は、西宮で青年たちの集会がありました。全日本リバイバルミッションに属する教会の青年たちがもっと燃えて決起しようと、下條先生の教会、平岡先生の教会、浜北教会、新城教会他の青年達が集まり、決起大会を持ちました。多くの方々が集まり、皆で主を求める時をもちました。その時に、私は今日語っている御言葉が与えられ、青年たちが目を開き、主を求め、国と神との間に入って祈るべきであることを教えられました。
 ここに、多くの青年達がいますが、ぜひ、皆さんが神を自主的に求め、神の御心を知って、この国と人との間に入り、とりなしていただきたいと思います。そうすることによって、神は御心を変え、日本を裁きから救ってくださいます。ということは、「リバイバルは若者の手の中にある」ということです。
 今日は若者にターゲットを当てたメッセージですが、全員にも当てはまると思います。しかし、特に若者達が立ち上がるべきです。
 私は最近よく東京に行きますが、原宿の竹下通りは、若者で溢れています。彼らは、私では考えられないようなファッションをしています。どんな意識でそのような格好をしているのだろうかと思います。何か人生の目的を失っているような若者が多くて、若者たちが真理から遠ざけられている姿を見て悲しく思います。
 先日、私は原宿近くの教会で決起大会を開催させていただきました。その教会は原宿を感じさせないような教会でした。それはアパートの一室で四畳半二間を教会として集会をしていました。教会は現在立ち退きを要求されており、アパートがあまりにも古いので、すでに改造が始まっていました。教会以外の部屋は骨組みしかないような所でした。だから、いくら賛美しても大丈夫だと言われました。また、トイレに入ると戸が閉まらないような所でした。
 原宿には、芸能人御用達の有名な美容院がいくつかあるそうですが、その教会に来られている人たちは、ある有名な美容室の美容師と、お客さんたちでした。ひとりの美容師がクリスチャンになり、中で伝道し始めたら、仲間の美容師や、お客さんが救われて教会に来るようになり、約二十名ほど来ているそうです。
 その決起大会は素晴らしかったです。彼らに聖霊が注がれ、満たされたのです。私はその時に一つ、神が預言的な姿を見せて下さったように思いました。このような若者が変えられて、これから主を賛美するようになるという、日本の将来の姿でした。それで、彼らを励まし、福音を輝かす代表者として働いてくださいと語りました。
 その美容室は「普通は高いけれど、連絡をしてくれたら安くしてあげますよ」と言われたので、私はそのことを新城の若者たちに伝えました。すると彼らはすぐに、「先生。その美容室に行きたいけれど頼んでくれないか・・」と熱心に頼まれました。彼らはそのためにわざわざエネルギーを使って、東京まで来ました。私が電話すると、VIP待遇で受け付けてくれました。しかし、田舎者の彼らは、その美容室の前であまりにもすごい雰囲気で、浮いてしまってなかなか入れなかったそうです。
 神は今、若者の中にも福音の光を投げかけておられます。彼らは自分たちの献金の十分の二を毎月、ルーマニアの孤児院に送っているそうです。そして、時々、彼らははさみをもってルーマニアに行き、孤児たちの髪の毛を切ってあげるそうです。私は、リバイバルはどこから起こるのかわからないと思いました。

 さて最後になりますが、ヨシヤ王の時代に、神がひとりの若者に臨まれました。それは、後に偉大な預言者となった「エレミヤ」でした。エレミヤ一章には、エレミヤに主が臨まれ、エレミヤを呼び出された過程が記されています。エレミヤ一章二節には、『アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。』と書かれています。それは四節からに、

『次のような主のことばが私にあった。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。主の御告げ。』

と書かれています。やはりヨシヤ王様が、若くして神様に仕えた結果、国の若者層にも変化が起こっていました。一人の若者が預言者として選ばれたのです。
 エレミヤに語られた言葉は、今朝、ひとりひとりに語られている言葉として受け取っていただきたいと思います。また特に、「若い」と思っておられる方々に、主がこの言葉を語っておられます。

『「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」』

 神は私たちが胎内に形造られる前から私たちを知っておられたのです。そして、今日ここにおられる方々は、お母さんの胎に宿る前から神に知られ、エレミヤに預言者としての使命があったのと同じように、ひとりひとりに神からの使命があるのです。
 神は若者たちに、「まだ若いと言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」と語られていると信じます。若者たちが神の霊に満たされて、滅び行く国のために立ち上がり、神の御心をつかんで、国との間に入って、とりなす者となりますように。
 今日は特別、若者のために祈りたいと思います。聖霊に満たされて、この国の勇士となり、リバイバルのために立ち上がるように祈ります。

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