今週の礼拝メッセージ
更に豊かな恵みを   1998.10.4(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 使徒の働き3章26節
ヤコブ4章6節〜7節
しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 ハレルヤ!東京リバイバルミッションが無事終わり、今朝、皆さんと共に礼拝できることを心から感謝します。今日の午後は東京ミッション感謝報告会が行われますので、ぜひ、ご参加ください。九月十八日から二十七日までの十日間、東京ミッションが祝福され、神様の栄光を見ることができ感謝します。先週の新城教会の礼拝は、今までの最低人数で、三十三名でした。なぜなら、ほとんどの方々が東京に行かれ、そこで礼拝をされました。どこにいても神様を礼拝することができ感謝します。
 東京ミッションのために、色々なところから、多くの方々が駆けつけてくださり、その延長で今日もオーストラリアから河合兄姉が来られています。アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイ、香港、フィリピン、台湾・・・など色々なところから東京ミッションに来てくださいました。大会参加人数の正確な数は現在集計中ですが、思っていたより多少少ない人数でしたが、素晴らしい集会になりました。宣教大会では、招待券を持って来られた方が、五千五百十九名、その内の二割程の方がイエス様を信じる決心をされました。また、当大会で行われたセミナーには、三千五百五十三人が集まりました。喜びに満ちた素晴らしい集会で、十日間、天国にいるようでした。天国は東西南北色々なところから来て住むところです。
 私が書いた本も、千二百二十五冊が売れたそうです。家に持ち帰り、その恵みを人々に分け与えてリバイバルが前進することを祈っていきたいと思います。東京に行くために多くの方が犠牲を払われました。アメリカの牧師先生は十日間来てくださいました。日本のリバイバルのために、日本の救いのために来てくださいました。素晴らしい喜びの時でした。日本中から、また、新城からも多くの方が行くことでき、最終日には三百名程ということです。皆さんと共に神様の恵みを喜ぶことができて感謝します。今からは御言葉を学んでいきます。

『しかし、神は、更に豊かな恵みを与えてくださいます。』

 この度は素晴らしい祝福を神様が与えてくださいましたが、また、更に神様は素晴らしい恵みを与えてくださいます。私の人生の中で信じていることは、「イエス様は決して私を見捨てない」と言うことです。
 私が開拓伝道に出た時に、実家の裏山に登って祈った時に「我、必ず汝を恵み恵まん。増やし増やさん。」と語られたことです。今の言葉だと、「私はあなたを祝福し、あなたを大いに増やす」という言葉です。これは神がアブラハムに語られた言葉です。もし心を尽くしてイエス様に仕えたら、「必ず恵み恵まん」と書かれていますので、クリスチャンの人生は恵みの上にまた恵みです。更に増やしてくださると書かれています。このことを私は信じています。
 今日は素晴らしい、明日はもっと素晴らしい、その次はもっと素晴らしい、今年は素晴らしい、来年はもっと素晴らしい。ある方は不安があるかも知れません。今は素晴らしいけれどいつまで続くのだろうかと考えます。しかし、イエス様を信じたら更に恵みを与えてくださいます。ですから東京リバイバルミッションで祝福されましたが、神様が恵みをこれから更に与えてくださると約束してくださっています。
 そこで、恵みを受け取るために一つの条件が書かれています。その条件とは、『しかし、神は更に豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は高ぶるものを退け、へりくだるものに恵みを与えてくださる。」』と書かれています。私たちの人生の中で祝福してくださる秘訣は、「へりくだるものに恵みを与えてくださる」。更に恵みを与えられるけれど、神様の条件としてへりくだったら祝福してくださいます。祝福され続けるためには、高慢にならず、へりくだっていきましょう。
 私は東京リバイバルミッションの前に真剣に祈りました。断食もして、神の前に祈った祈りは、大勢の人が来ますように、素晴らしい奇蹟が起きますように、それも必要です。しかし、一番祈ったことは、「イエス様、どんなに素晴らしいことが起こっても、どのようなことがあっても、神様の栄光を一つも盗まないようにお願いします。神様に全ての栄光を帰することができるよう、お願いします。」と祈りました。ということは、いささか私も心配がありました。それは東京リバイバルミッションが十日間開かれ、また五年前には三日間ミッションが開かれました。日本人として甲子園で集会を開催したとか、十日間武道館を借りて集会をしたのは初めてのことでした。それで、決起集会に色々なところを回りましたが、(ミッションとしては千百ヶ所くらい回りましたが)多くのクリスチャンが期待を持ち、同時に、過大評価しているところがありました。私が行くと、「先生が来てくださった。」とか、また武道館で開催ということに対しても、過大評価されていました。九州である家を訪問したら、「滝元先生が来てくださったことはザアカイの家にイエス様が来てくださったようです。」と言って喜ばれました。それで考えたことは、十日間日本武道館を借りることができたのはイエス様。門を開かれたのはイエス様。甲子園で成してくださったことはイエス様です。しかし、たまたま私が甲子園での宣教大会で説教したのにすぎないと言うことです。私ではありません。いくら評価されても全ての栄光が神様に返されるようにと、真剣に祈りました。私のような鉱山で土方をしていた者が、東京で十日間も大会を持つという、こんな幸せはありませんが、これはイエス様が成して下さることです。私が栄光を受けたり、私に栄光を帰されることがないように、全ての栄光をイエス様がお受けくださるようにと祈りました。すると平安が来て、祈りに答えてくださいました。ですから今回の集会は本当に楽でした。
 人生の中で必要なことは、「高ぶりは滅びに先立つ、謙遜は栄誉に先立つ」と書かれているように、高ぶったら祝福を失います。ですから、高ぶらないことが大切です。
 聖書の中に「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔は逃げ去ります。」と書かれています。悪魔は恐ろしい顔をしているばかりではありません。悪魔の策略は人間に高ぶりを与えることです。「お前は素晴らしい、お前の力だ。」と何か成功をしたときに高ぶりを与えます。しかし、サタンに打ち勝つ道は、へりくだることです。立ち向かうとは、「謙遜になる」ことです。
 イザヤ書十四章十二節から十五節までに悪魔について書かれています。

『暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる』

 悪魔は堕落した天使です。この天使は、あまりに素晴らしく、ある時彼は非常に高ぶり、神の座よりももっと自分が栄光を受けたいと願い、傲慢になりました。その時彼は天から追い出され、堕落しました。
 悪魔の策略は何か成功したときに高ぶらせます。「素晴らしかったよ。お前は素晴らしい。」と言います。しかし、聖書によると、「高ぶりは滅びに先立つ」と書かれていますので、謙遜になることは非常に大切なことです。
 創世記十六章一節から見ると、後にユダヤ人の父と呼ばれるようになったアブラハムには、長い間子どもがありませんでしたが、神様は、「お前の末から祝福を与える」と約束されました。しかし、彼には八十才を過ぎても子どもが与えられませんでした。妻のサライはとても美しい人でした。エジプトに行った時も、他の所に行ってもアブラハムは、サライに、「私の妹だと言ってくれ。そうすれば私は助かる」と言ったくらいですので、サライはとても美人でした。しかし、年になっても赤ちゃんができませんでした。そこで、サライは言いました。「神様は子どもをくださると言ったけれど、なかなかくださらない。だから、私のはしためハガルをあなたにあげるので結婚して赤ちゃんを作りなさい。」と言いました。アブラハムは信仰の人でしたが、考えて「私も八十才過ぎているので子どもができるわけがない。」と奴隷をめとり、子どもができました。それで四節に、

『彼はハガルのところにはいった。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。』

と書かれています。彼女は奴隷です。しかし彼女に赤ちゃんができたら、自分の女主人であるサライを見下げるようになりました。「私に赤ちゃんができた」と言って彼女は見下げるようになりました。
 人間が高ぶる時は人を見下げる時です。ある人は、「頭の良さそうな人はいない。あの人はちょっとばかだ。私のほうが上だ。」と見下げます。人を見下げることは批判的なこと、高慢なことです。
 今回の集会が終わった時に、東京にいる私の娘から電話がありました。「お父さん。○○さんがすぐに電話をして欲しいと言ったから電話をかけて。」と言いました。その人は三十五日間断食をしてミッションのために祈っていたそうですが、色々なことがあり、すぐに私からの電話を欲しいと待っていたそうです。私の知っている人だったので、電話をかけてみました。すると彼は、「先生。私は今三十五日間の断食中です。本当にリバイバルを求めて一生懸命に山に登って祈ったりしているのです。しかし、私の教会の牧師はなっていません。大きな声で祈ると静かに祈れと言うし、どうしたら良いですか。」というのです。私はすぐにこの人は高ぶって、人を見下げているとわかりました。三十五日も断食をして一生懸命に伝道するけれど、自分の教会に人を連れて行くと、つまずくと思って連れていけないというのです。「兄弟。あなたは牧師のことよりも、自分のことを考えなさい。自分がへりくだって神に恵まれることを考えなさい。教会のことは任せておきなさい。高ぶってはいけません。」と言いました。その方もミッションのために献金をしてくださったので、「あなたも献金してくださったおかげで助かりました。ありがとうございました。」と言いました。「ところで兄弟、三十五日間の断食をしているそうですが、病気にならないよう気をつけてやりなさい。」と言いました。すると「あの先生、三十五日というけれど、朝食だけ抜いているのです。」と言いました。
 時々、自分が断食して祈ったりすると、祈っていない人を見下げることがあります。私は色々な方に会いますが、問題の中心は高慢です。ほとんど自分は良いけれど相手が悪いと言います。人のことを批判する人は、本当は高慢があります。人のことは良いのです。人は高慢でも、その人のことではなく、自分が神の前にへりくだるべきです。
 アブラハムの奥さんになるようにハガルに勧めたのは、女主人のサライですが、サライのおかげで子どもができたのに見下げました。
 ハガルがサライをばかにしたのでサライも怒りました。そして、「ハガルが高ぶって私を見下げているのはあなたのせいです。」アブラハムに言うと、アブラハムは、「あなたの好きなようにしなさい。」と言いました。それで、サライはハガルをいじめました。それでハガルはサライから逃げました。荒野を逃げ、非常に苦しみながら砂漠の近くに来た時に、「ハガル。あなたはどこから来たのか。」と神が声をかけました。
 神様は高ぶった人をも見捨てません。声をかけられました。神様は素晴らしい方です。人間は一旦背いたら、「絶対に来るな家の敷居を跨いではいけない。」と言うと思いますが、神は、「ハガル、あなたは何をしている。どこから来たのか。」と語りかけられました。彼女は、「はい。女主人にいじめられて逃げてきました。」と答えました。すると神様は、十六章九節

『そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」』

と言われました。身を低くしたら祝福されると言うのです。
 今回、二日目の田中先生のメッセージは素晴らしかったです。その時に、東京のある方が感動して家に帰り、「田中先生はすごい。滝元先生よりもすばらしい話をされた。」と感動していたそうです。するとそれを聞いた他の姉妹は私が導いた方なので、「何を言っているの。滝元先生のメッセージを聞いてもいないのに。」と言ったそうです。しかし、田中先生が私よりも良い説教をしたということを聞いて、私は、大変嬉しく思いました。「田中先生は私よりも成長してしまった」とは思いませんでした。田中先生が成長されて嬉しく思いました。
 田中先生は昔、新城市の製材所で働いていました。救われて路傍伝道や日曜学校をした時に、製材所の社長がとても迫害しました。その時、お母さんも今ここにおられますが、「政男、これだけは言っておくが、教会にはあまり行かないでおけ。」と言いました。田中先生もそれを聞いて、「まあそうするわ。」と言いました。田中先生の働いていた会社の社長は、日曜日に教会に行けないように、会社を月曜日休みにしてしまい、いじめられて田中先生が教会に来なかった時期がありました。しかし、しばらく考えて、教会に行かないと心が寂しくて悲しくて、「もうだめだ。こんな所にいることはできない。こんな所にいるより、家出しよう」と製材所から逃げて教会に来ました。そして私の家内に、「奥さん、私は逃げてきました。これから伝道者になります。」と言いました。そこで私の家内は「政男君。出て行けとイエス様が言ったの。」と聞きました。すると、「エッ!それはわからんけど、あんな所に居れないので出て来ましたよ。」家内は、「伝道者になる為には、神様の御心がなくては駄目だから、もう一回祈って下さい。」と勧めました。それから、田中先生は真剣に祈り、「イエス様、私はどうすれば良いですか。伝道者になりたいです。」と祈ったら、神が声をかけられました。
 「御言葉が与えられました。エペソ人への手紙六章五節!」と言われました。開いてみるとそこには、「しもべたるものよ。肉にある主人に従いなさい。」と書かれていました。その時、田中先生は「はい。わかりました。」と言って帰りました。そして、ついには家族も社長も救われました。先生はあの時に身を低くしました。  ハガルは、「女主人の所に身を低くして帰りなさい」と神に言われました。私たちの人生の中で、身を低くすることは大切です。高ぶってしまったらおしまいです。身を低くして、へりくだったら必ず祝福してくださいます。私たちも、これからもっともっと身を低くしていきましょう。
 そこで、これからのことですが、何をすれば良いのでしょうか。率直に言って、東京ミッションは成功でした。それで今回、色々とお世話になった方々に手紙や電話をかけました。すると、「滝元先生。おめでとうございました。」と言われます。成功をたたえておめでとうと言われます。それは感謝なことですが、これから東京が救われていくかが問題です。東京リバイバルミッションが成功したからと言って、まだ日本にリバイバルが起こったわけではありません。続けて、私たちが成すべき事、どこで伝道するかについて知るべきです。ヨナ書の中に、

『アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」』

とあります。これは、当時のアッシリア人について言われましたが、同時に、これは今日の東京のようです。あまりに汚れて、罪深いけれど、裁きの前にあなたを遣わすから、ニネベの町で叫びなさい、と言われました。しかしヨナにとって、ニネベは敵でしたので、「あのような町は滅びた方が良い。行きたくない」と逃げました。しかし逃げた時に神様は嵐を起こされ、海に投げ出され、魚に飲まれて彼は吐き出されました。そして二度目には、

『再びヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。』

と言われました。神が「立って」と二回言われました。私たちも、東京ミッションが祝福され素晴らしかったと言って座り込んでいてはいけません。ひと休みしている場合ではありません。立って叫ぶべきです。日本の同胞のために、真剣に立って叫ぶ必要があります。そこで、ヨナは、「皆さん。四十日経つとこの町は滅ぼされます。」と叫びました。真剣に叫んだ時に、王様を始め、国民が悔い改めました。王は家畜を含めて皆に断食を布告し、ニネベ中の人が罪を悔い改めて神の前に出たので、神様は裁きをやめました。
 ヨナが何日間伝道したかというと、四十日間でした。私たちは今回十日だけしました。十日だけで、「東京は堅い。人々はあまり集まらなかった。一番多い日でも八千人か。・・・。東京なんか地震が来て滅びてしまえ。」それは間違いです。ですから、私の今の願いは「立って叫びなさい。」ということは、益々私たちは日本を愛し、日本の同胞を愛してこれから東京のためにも福音を伝えなくてはなりません。四十日の間くらい叫び続けたら変わってくると思います。東京ミッションも、最後には東京が動かされました。入場整理券の前売りで、一番多かった日は十八日でした。四千何十人かの人が買いました。その次には二十三日、三千何人、次は二十六日でした。あとは招待券で入場する人です。「イエス様どうかお願いします。」と祈っていました。しかし、二十三日は九千人集まったという報道がクリスチャン新聞から出されました。しかし実数的には二十七日が一番多かったです。二十六日の日よりも小雨が降りましたが、東京の人がたくさん集まりました。
 東京リバイバルミッションを持って霊的な壁が崩されていますので必ず新城でも、救われる人が出て来ます。「立って叫べ」クリスチャンが伝道しなくては救われる人がいませんので、これから私たちは叫び続けていきましょう。「信じましょう。悔い改めましょう。」そうすれば日本の国が変えられます。ですから、日本のため、東京のために更に立ち上がっていきたいと思います。いつ何をするかについては祈ってください。神様が必ず導いてくださいます。一言お祈りします。

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