今週の礼拝メッセージ
休み   1998.10.18(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
マルコの福音書6章31節〜32節
そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼らは、船に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。
 ハレルヤ!これから皆さんと共に御言葉を学んでいきます。マルコの福音書六章三十一節と三十二節、

『そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼らは、船に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。』

 今日はイエス様が言われた「しばらく休みなさい。」という言葉から「休み」について学んでいきます。
 私は家内と、アメリカにある韓国教会に招かれて、集会に行ったことがあります。私は事前に、「何月何日の何時にロスアンゼルス空港に着きます。迎えて下さい、また、韓国教会だけでなく、日本人教会でも説教できるようにアレンジしてください」と手紙を書きました。
 通常、韓国教会は講師を歓迎する教会ですので、私は空港で歓迎してくださると思っていました。しかし、何と、空港に着くと、空港には誰も来ていませんでした。一時間待ち、二時間待ち、それでも一人も迎えに来ていませんでした。私は寂しくなりました。だんだん夕暮れになり、私と家内はとても心配になり、教会に電話しましたが、誰もいませんでした。それで仕方なく、自分でタクシーで教会まで行きました。するとその場所は、アメリカ人教会を韓国の先生が日曜日だけ借りていて、そこには誰もいませんでした。
 そこにプエルトルリコ人の牧師先生がおりましたので、「私はこのような先生を訪ねてきたけれど知りませんか。」と訪ねると、「私の家に行きましょう」と言われ、その夜はそのプエルトリコ人の牧師先生の家に泊めていただきました。大変、寂しい思いをしました。
 夜中になってから、韓国の先生から電話がかかってきました。「迎えに行くのを、すっかり忘れてしまいました。」と言われました。それで、「日本人の教会へ行くのをアレンジしてくださいましたか。」と聞くと、「それも忘れてしまった」というのです。だから私は、四日間、何もせずにホテルに泊まっていました。
 すると韓国の先生が、「最近、私の知っている牧師が死にました。死ぬ前に彼が言ったことは、『先生休むことも仕事だよ。』と言い残して死んでいった」と言いました。私は、その言葉を忘れることができません。
 今日の御言葉は弟子たちが忙しい時に、「あなたがただけで寂しいところに行ってし ばらく休みなさい。」と言われたイエス様の言葉です。
 私たちの人生の中では時々休みが必要です。東京リバイバルミッションはとても忙しくて、私も目が回りそうなくらい忙しかったです。休みの時間がありませんでした。東京ミッションが終って、何人かの人が休みをとって、色々なところに行きました。それで私にもある人が勧めてくださいました。「どうですか。少し休みをとられませんか。」
 私は正直言って、休みが嫌いです。伝道者になってから、休んだことはほとんどありません。時々私の家内が「ゆっくりと休んだら。」と言われます。また、「ホテルをとって休んだら・・・」と言われます。しかし私は、「一番休みになる所は家です。ホテルに泊まりたくはありません。」「御馳走を食べたら・・」と言われますが、御馳走も家の物が一番好きです。みそ汁、たくわん、飯・・・一番家が良いです。私は家内に、「家より良いところはありません。」というと、ちょっと寂しそうな顔をして、「この人、いつもこんなことを言っている」と言いました。私はその言葉を聞いて反省しました。私はいつもあちらこちらに行っているけれど、私の家内はいつも未亡人のようにしています。それで私も反省して、「これはいけない、私も家内のために少し休みをとろう」と。それで、しばらく休むことを決めました。グアムにいって少し休んで来ようと思っています。
 時々人生には休みが必要です。肉体的にも神は私たちに休むことを勧めています。モーセの十戒の中には、「わたしの他に神があってはならない。」「偶像礼拝は避けなさい。」「みだりにわたしの名を唱えてはならない。」「安息日を守ってこれを聖なる日としなさい。」と書かれています。
 安息日は、「六日間働き、七日目は主の安息日であるから、何の仕事もしてはならない。」という事です。神の摂理の中で一週間が造られました。一週間はキリスト教から出ています。六日間、神が働かれて七日目に休まれたように、七日目は主の安息の日であり、これは聖なる日だと書かれています。日曜日とは、よみがえられたイエス様を礼拝する日です。これは週の始めの日に神の前に出るのです。この日は主の安息の日であり、聖なる日、日曜日は神様の日です。「何の仕事もしてはならない」と書かれています。なぜならば、神様は人間の幸せのために六日間働き、一日は休みなさいと言われました。
 私達くらいの年代は、とにかく働くことで生きています。休みは罪と考えるくらいでしたが、六日間働いて七日目は主の安息の日です。休みなさい。と神は言われました。私たちの幸せの秘訣は主の日を守り礼拝に出で、休みをとることです。
 私も十九才から毎週礼拝を守ってきました。これが健康の秘訣だと思います。 ある時、宮城県でクルセードを開催しました。その時に宮城県のある街の市長を訪問しました。その市長さんはおもしろい方でした。「私の所に海外に行きたいと言ってくる人がいるけれど、必ず私が言っていることは、海外に行く前に必ず聖書を読むように。また、聖書を持って行きなさい、と勧めています。職員たちが週休二日制を要求すると、私は、なぜ、欧米では週休二日制かを知っていますか、と質問します。なぜなら、土曜日は遊ぶ日、日曜日は教会に行く日。だから、あなたたちみたいに教会に行かない人は、週休二日はいらない。」と言っているそうです。
 日曜日に礼拝に来る人を神は祝福されます。今日ここに来られた原田友衛先生は、田口に来たことが健康の秘訣だ、と言われましたが、田口に来ただけではなく、礼拝を守って神の言葉を守って神様に仕えたから、神が祝福されたのです。これから健康で素晴らしい生活をするには、皆さんにも休みが必要です。
 休みは肉体だけではなく、霊的にも、魂においても必要なことです。イエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私の所に来なさい。あなた方を休ませてあげま す。」と言われました。また、第一ペテロ五章七節には、

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配 してくださるからです。』

と書かれています。
 東京リバイバルミッションで思ったことは、現代人はとても病んでいるということです。肉体的なことだけではなく、精神的な病の人もたくさんいます。心が傷つき、重荷を持って苦労している人たちがたくさんいます。日本にはとても多いです。なぜならば、休み場所がないからです。ある人は色々なストレスを感じて、どこにも持っていくことができず、最後には切れてしまいます。なぜなら、人生は自分だけでは生きることはできないのです。「私の力で生きます。」しかし、それはできません。人間は弱いのです。しかし聖書を見ると、イエス様が「重荷を負って苦労している人は、わたしの所に来なさい。」と語っています。私たちがイエス様に重荷を委ねるときに、素晴らしい休みの生活ができます。ここには、「神が心配してくださるので一切思い煩ってはいけない」と言われます。
 皆さんは人生について重荷がありますか。心配することも良いけれど、あなたの心配事を神様に委ねなさいと言われます。なぜならば、あなたよりも知恵があり、将来をすべて知って、責任持つことができる神があなたのことを心配してくださるからです。「すべてを委ねなさい」と言われます。神様に全部委ねるほど、良い休みはありません。
 マタイの福音書六章二十五節に素晴らしいことが書かれています。三十四節に、

『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』

 イエス様は空の鳥を見なさい。空の鳥は種を蒔くことも刈ることもせず、倉に治めることもしない。しかし、天の父は彼を養っている。あなたは何を食べようとか、何を着ようとか、いのちのこととか、着物のこととかで心配しなくても良い、空の鳥でさえ神様が養われるのではないか。だからあなたのことは、神様が
責任を持つから、心配しなくても良いと教えています。  今朝、私はこの教会に来てお祈りしました。その時に、詩篇一四七篇九節を読みました。

「獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。」

と書かれています。烏が叫んだときに、烏に餌を与える方は神様だと言われます。神様は空の鳥をも忘れられません。まして、私たちのことを忘れていません。心配いりません。今の時代、心配しようとしたら本当に心配があります。日本の経済は崩れています。東京も借金があり、破綻寸前です。大阪も同様です。銀行も駄目になりそうです。しかし、どんな時代が来ても心配しなくても良いです。空の鳥、カラスすら忘れていないから心配しなくても良いのです。
 私は東京ミッションのために、九州を回りましたが、その時、ある教会を訪問しました。先生は不在で、娘さんに東京ミッションのことを話しました。そして帰ろうと思った時に、そこには、うさぎが飼われていました。その内、一羽のウサギの首がねじれていて動きませんでした。私はかわいそうに思い、「どれくらいそんな状態か」と聞くと、もう四年くらいになるというのです。かわいそうに思い、ウサギのためにお祈りしました。「イエス様。あなたは憐れみ深い方ですから、このウサギの首を直してください。」とお祈りしました。
 今回の東京ミッションに娘さんが来られました。「先生、祈っていただいたうさぎが癒されました。首が動くようになりました!」と言いました。ウサギが救われたり、天国には行きませんが、神様がウサギのために祈りを聞いてくださったのなら、人間のために祈りを聞いてくださらないはずがないのです。空の鳥を忘れず、鳴くカラスの声にも耳を傾けてくださる神様です。だから、「あなたがたは心配しなくても良い」というのです。「心配しないことは休み」です。神を信じたら、素晴らしい人生を歩くことができます。だから、すべての心配をやめることです。「あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」と書かれています。
 ある方は将来のことを心配します。あのようになったらどうしよう、このようになっていたらどうしよう。と思いますが、労苦はその日、その日に、十分あります。」と書かれています。私たちが平安な生活を送る為には、その日一日一日、神を信じて重荷を委ねることです。そして神のみこころに従うことです。神に従ったら、素晴らしい、平安を私たちに与えてくださいます。
 ピリピ四章四節から七節に、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心を思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

と書かれています。「喜ぶことは休み」です。
 私の小さな頃の思い出は、「明日は休みだ」と思うと嬉しかったです。毎日毎日休みのような生活は素晴らしいです。
 二、三日前、私は津具に訪問に行きました。岡本姉と一緒に行きました。そこで私の友だちに出会うと、「佐々木君は校長だったけれど、つい最近ガンで死んだよ。伊藤君も死んだよ。和彦君も、次郎君も・・・」と話していました。私の小さな頃、頭が良かったのは村松次郎君でした。また女の子でも頭のいい子がいたけれど、皆死んでしまいました。私は今、六十九才です。だから、私もいつ死ぬかわかりません。あの人も、この人も・・・・。私も死ぬかも知れない、と思ったら悩むかも知れません。しかし、いのちを握っているのは神様です。生きは神の使命のためです。私はこう考えています。「私は死ぬまでは生きる。」当然のことです。神の使命がある間は生きられます。いつ死んでも感謝なことは、いつでも天国に行けるからです。
 今日来られた原田友衛先生は、今、九十才です。私も、希望を持ちました。私はどこに行っても、「私の人生は長くない、後、三十年くらいだろう」と話しますが、それもよくわかりません。問題は神の前に安らぐかが問題です。信仰を持ちましょう。心配がありますか。結婚の相手のない方も心配はありません。神が必要な人を準備してくださいます。独身で定められた人は独身でいてください。思い煩うことはありません。神様は準備しています。将来の生活、子どものこともすべて神様の御手にゆだねて、休みの人生を送りましょう。
 イエス様は、「人の子は安息日の主です。」と言われました。このように言われた、安息の主に憩うことです。私たちが素晴らしい休みを持つことは、「旅行して楽しい」というのとは違います。旅行も、ひとりで旅行するのは寂しいです。好きな、愛する人と旅行したらどんなに遠くに行っても楽しいです。私たちが一番楽しい休みは、一番愛してくださっている方、イエス様と共に人生を歩くことです。イエス様を愛して毎日生活することほど素晴らしいことはありません。家族中が愛し合って、平和な生活を送るほど素晴らしいことはありません。家族が喧嘩して、争っていたら祝福はありません。平和なことは祝福です。イエス様を信じることが一番の休みです。イエス様は十字架にかかって死んでくださったほど、愛してくださった方ですので、今日ここに愛されていない人はひとりも居ません。イエス様を信じて、これからの人生を送ってください。
 今日は十三名の方がバプテスマを受けられます。これからの人生を神様に委ねてください。平和な生活、休みの生活、いつでもイエス様と共に、感謝な生活を送っていきましょう。今日心配がある方のためにもお祈りします。どのような心配があるか告白してください。イエス様に委ね、これから休みの生活に入りましょう。一言お祈りします。

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