今週の礼拝メッセージ
神様からのプレゼント   1998.10.25(SUN)

アルセ・アドリアン 宣教師

<今週のメッセージの御言葉>
ヨハネの黙示録 3章8節
「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

 ハレルヤ!主の御名を賛美します。今日皆さんとともに礼拝を守ることができ、御言葉を学ぶことができることを心から感謝します。今日が皆さんと礼拝を守る最後の日になってしまいました。私はとても悲しさと緊張で複雑な気持ちです。今から聖書の御言葉を学びますが、その前に皆さんに感謝したいことがあります。私は、九十三年に日本に来ましたが、アルゼンチンの教会は日本の霊的な状況を全く知らないで私たちを日本に送りました。私は、アルゼンチンの燃えるリバイバルの炎を見ました。その中で私たちに神様が与えられた導きは日本に来ることでした。しかし、日本を全く知らずに来ました。日本に来る飛行機の中で広告を手にし、「明日の国」、「素晴らしい国」というような写真、そして、新しいテクノロジーの写真や働くロボットの写真がありました。それを見て、そんな素晴らしい国に行ってこれからどうすれば良いのかと考えていました。しかしながら、私たちが始めに行ったところは、栃木県の山間部でした。ですから、働くロボットどころではなく、人もいなかったくらいでした。「これが明日の国・日本・・・?」、国を間違えたのかと思いました。想像とは違う何もないところから始まりました。何のために導かれたのかと考えました。しかし私たちは神様に訓練されることが必要でした。その中で言葉を覚え、日本の文化などを勉強しました。それは困難な時でした。一番困難な時、私たちはアルゼンチンに帰ることを考えました。そして一九九三年十二月、帰国を決心をしました。ところが、イエス様が素晴らしい不思議な方法で帰ることを止められました。というよりもお金がありませんでした。アルゼンチンの教会に「お願いします。もう帰りたい。お金を下さい。」と言いました。しかし、「私たちにはお金がありません。」と言われました。だから日本にいることが神様の御心だと思いました。その一番困難な時に、MTCの奥山先生が、「あなたたちは新城教会に行きなさい。」と言われました。「何のためですか。」「新城に行って色々と手伝って上げてください。」とても苦しい中で、傷ついて新城教会に来ました。しかし、新城教会に来てから私たちの傷ついた心をイエス様がいやしてくださいました。今日本に来て五年が経ちましたが、私たちは一番恵まれています。そして皆さんに感謝しています。日本で色々なことを教えられました。文化の違いをも学びました。その一つは、心を見せることです。アルゼンチンでは、感謝の思いがある時、「ありがとう」と言えば十分です。しかし、日本の文化は違います。日本では感謝したい時にプレゼントをします。いつもプレゼントをあげる文化があるようです。それは素晴らしいことです。聖書にも書かれていることです。多くの人が愛を見せるためにプレゼントをします。今日私は新城教会の愛する兄弟姉妹に感謝がいっぱいで、プレゼントしたいと思いました。そしてメッセージを準備している時に「プレゼントしたいけれどどうしたら良いですか。」と祈りました。ひとりひとりにプレゼントを買おうと思いました。兄弟姉妹ひとりひとりがあまりにも素晴らしい人たちなので五千円くらいのプレゼントをあげたいと思いました。しかし三百人で5千円、計算したら百万円以上かかると思いました。とても困りました。そして私は奥さんに「みんなに感謝したい。でもプレゼントを買うことができないから、作るしかない。」と話しました。奥さんは「では、作りましょう。」そしていつも刺しゅうを作っているので、「これを作ってください。」と言いました。「いつですか。」「明後日までです。」「何枚?」「三百枚・・・」と言うと、「エッ!無理ですよ。」と言いました。プレゼントを買うこともできないし、作ることもできない。どうしよう・・・と思い、祈りました。最初から祈れば良かったのですが・・・。「イエス様。私は新城教会の愛する兄弟姉妹にプレゼントをあげたいです。」と言いました。するとイエス様の答えがすぐに来ました。「わたしも・・・。」そしてもう一度「私は新城教会の皆を愛しているからプレゼントをあげたいです。」と言いました。するとイエス様が「わたしが新城教会の皆にプレゼントをあげます。だからあなたはあげなくても良いです。わたしの素晴らしいプレゼントを紹介しなさい。」と言わました。プレゼントをあげることから逃れたわけではありませんが、今日は特別に素晴らしいイエス様から新城教会へのプレゼントを紹介したいと思います。
 黙示録三章七節からフィラデルフィアの教会にイエス様が直接出した手紙です。最初の二章から教会への手紙が書かれています。いつもイエス様が教会に手紙を書く時、自分のことから始まります。二章八節に、「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方」、二章十二節には、「鋭い両刃の剣を持つ方」、また、二章十八節には、「燃える炎のような目を持っている方」、三章一節に「神の七つの御霊」、三章十四節「神に造られたものの根源である方」と書かれています。これはイエス様のことです。しかし、このフィラデルフィアの教会へ書かれた手紙は、「聖なる方、ダビデのかぎを持つ方・・・。」という書き出しです。これはイエス様が自分のことを現しています。イエス様は聖なる方、真実な方、またダビデの鍵を持つ方、この方が開けると誰も閉じることがなく、閉じると誰も開けることがない、イエス様が権威を持っています。この手紙をフィラデルフィアの教会に書きました。そして八節に、

『わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。』

と書かれています。イエス様が私たちの行ないを知っています。すべての行ないをイエス様が知っています。私たちはイエス様のために、リバイバルのために奉仕しますが、時々、誰にも見られない奉仕をする時があります。教会に来ると、会堂やスタジオで色々な人がとりなしの祈りをしています。これは素晴らしいことです。誰もいないところで、とりなしの祈りをすることは誰にも見られません。しかし、イエス様が私たちの行ないをすべて知っています。私たちがどれだけイエス様のために働いているかをイエス様は知っています。また、イエス様はすべての権威を持っておられ、イエス様が扉を開かれると誰も閉めることができません。閉めると誰も開けることができません。イエス様が私たちのため、新城教会のためにプレゼントしたことは、「リバイバルの扉を開いておいた」ということです。日本のリバイバルの扉を開いておいたということです。私は日本に来たことを心から感謝しています。
 九十三年に日本に来た年に甲子園ミッションが行われました。アルゼンチンには大きなリバイバルが起こされていますが、私はリバイバルが始まり、扉が開かれた時を見ることができませんでした。私はその時、リバイバルの聖霊運動の中にいませんでした。だからリバイバルが始まったことを私は知りませんでした。しかし、アルゼンチンでイエス様のわざを見てリバイバルが起こっていることがわかった時、私たちはリバイバルの始まりを見ることができなかったことをとても残念に思いました。しかし、イエス様の恵みによって、このリバイバルの扉が開くところを日本で見せていただきました。今日本のリバイバルの扉が開かれています。九十三年の甲子園ミッションの時から九十八年の東京ミッションの間、私はこの日本のリバイバルが始まったことを、この目で見ることができて心から感謝しています。これは、私たちが与えられた一つの神様からのプレゼントです。これ以上の大きなプレゼントはありません。イエス様がこの日本の救いの扉を開かれました。ですからこのプレゼントを受け取ってください。日本のリバイバルが始まりました。この扉は私たちが開いたのではなく、イエス様が開かれました。ここに書かれているように、「あなたは力が弱かった。」日本のリバイバルを私たちは求めてがんばっていますが、がんばっても私たちはその扉を開ける力はありません。しかし、私たちがイエス様の名前を告白し、「わたしの名を知らないと言わなかった。」とあるように、そのことの恵みにより、イエス様がリバイバルの扉を開いてくださいました。ですからこの扉をイエス様が開いてくださったことを感謝しています。リバイバル。ただイエス様の恵みによって日本に始まりました。また十節には、

『あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。』

と書かれています。リバイバルが始まりましたが、砕かれた心にリバイバルが現されます。だからリバイバルは試練の時であることが書かれています。アルゼンチンのリバイバルを思い出す時、私はリバイバルの運動の中にいませんでしたが、リバイバルの中で苦しむ人々がイエス様の救いを受けました。今日本は色々と状況が悪くなっています。世界中が日本の経済がこれからどうなるかという心配をしています。私たちはその原因がわかっています。それは日本のリバイバルを祈っているのでこのような試練があることは確かです。しかしその中で、クリスチャンであっても心配になることがあります。試練で困る時に、私たちがどのようにすれば良いのか、私たちは、決して苦しみを受けたいとは思いません。だから、とても心配になります。しかし、私たちの心をイエス様が知っておられます。イエス様が心配してくださいます。これもイエス様からのプレゼントです。「あなたは忍耐についてのわたしのことばを守った。」と書かれています。今まで新城教会の皆さんががんばってリバイバルのために働いてきました。その中でイエス様の名前を告白し、福音を宣べ伝え、数々のリバイバルのための奉仕ができたことは、「忍耐についてのわたしのことばを守った。」という御言葉に値することです。イエス様が私たちに約束を与えますが、イエス様が新城教会のひとりひとりの兄弟姉妹を守ってくださいます。どのように悪い状況が来ても、私たちはイエス様の守りがあるので心配する必要はありません。経済が悪くなってもお金もなくなっても食事もなくても、私たちには特別なイエス様の守りがあります。ですからこのプレゼントも受けとってください。また、十二節に

『勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出ていくことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。』

と書かれています。最後に私たちは戦いの中にあることを覚えて下さい。リバイバルが始まったことは戦い終わったことではありません。これからリバイバルが現されるために戦うことが必要です。私たちは明日アルゼンチンに帰りますが、向こうでも多くの兄弟姉妹とともにこの五年間戦ってきました。毎週夜にアルゼンチンでもたくさんの教会が集まってリバイバルのために祈り、戦ってきました。この日本のために、これからも完全に主の栄光が現されるために私たちも一緒にアルゼンチンで戦っていきたいと思います。この戦いの中で日本にいることは、新城教会のひとりひとりが戦うことが必要です。私たちは戦って勝利をとることができます。そしてこの約束は、「勝利を得るもの」、「最後まで勝利を得るもの」です。私たちは東京ミッションが終わったからと言って休むのではなく、勝利をとるまでは戦い続けていくべきです。そして私たちは勝利を得ることができます。

『勝利を得る者を、わたしの神の聖所の柱としよう。彼はもはや決して外に出ていくことはない。わたしは彼の上にわたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書きしるす。』

と書かれています。イエス様が私たちに新しい名前を与えてくださいます。天の御国がくる時、完全に御国が現される時、イエス様が帰って来られる時に、その名前が与えられます。そしてイエス様の名前によって私たちに新しい名前が与えられます。この約束は救いの約束です。最後に勝利を得る者にイエス様の名を押されます。イエス様が特別「この人はわたしのもの。」という印を押してくださいます。だから私たちが今戦っていることは、リバイバルのためだけではなく、最後まで救いが完全になるまで戦うべきです。そして最後に私たちに救いを与えてくださいます。この救いはイエス様が十字架の道によって造られました。救いは私たちが受けたもので誰も取ることはできません。しかし、最後まで私たちは戦うべきです。勝利を得るべきです。勝利を得た者にイエス様が印を押してくださいます。御自分の名前で「この人はわたしのもの。」と書いてくださいます。これは永遠まで残されます。イエス様が私たちにこの三つのプレゼントを与えてくださいます。一つは、「リバイバルの扉を開かれたこと」そして、「リバイバルによる苦しみの時にイエス様が守りを与えてくださること」そして最後に、「私たちが戦って勝利を取り、イエス様の救いをいただくこと」です。私たちがこのプレゼントをいただくために祈るべきです。また、心を開いて受けたいと思います。ただこれはイエス様の働きです。だから神様の恵みによるプレゼントです。だから感謝を持っていただきたいと思います。十一節に、

『わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように 、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。』

と書かれています。イエス様はすぐに来られます。先週九十才になられる原田先生が来られました。先生を見た時に素晴らしいと思いました。最後までイエス様のために燃えて生きることは素晴らしいと思いました。しかし、私たちの与えられた人生は短いです。長くても百年の人生です。私たちは色々な所に移り住む外国人のようにさまよう人生です。この人生はしばらくの間です。そして永遠の命を与えられています。九十才、八十才の人生の中ですべきことは、持っているものを守ること、救いが与えられたことを感謝することです。イエス様の信仰が与えられたことを感謝することです。しかし最後の最後まで、堅く信仰を守るようにと語られています。特別今日はプレゼント、リバイバルが日本に与えられたことは素晴らしいことです。だからこのプレゼントを堅く守るべきです。そしてイエス様の守りをも堅く守り、救いを堅く守るべきです。ですからこのプレゼント、信仰・リバイバルを堅く守って最後に勝利が与えられるのです。最後に一言お祈りします。

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