今週の礼拝メッセージ
地平線に生きる人々   1998.11.22(SUN)

ジョー・ハイト師

<今週のメッセージの御言葉>
地平線に生きる人々
エペソ人への手紙3章10節〜11節
これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

おはようございます。私が新城教会に来たのはこれで六回目です。とても光栄に思います。また、皆様の温かいもてなしに心から感謝します。私はアメリカ人なので、皆さんが可笑しく感じられることをしているかも知れません。しかし皆さんはいつも私を許してくださいます。今回、ワシントン州ヤキマ市から、私を含み九名が来新しました。私はメンバーに、日本にいるときには礼儀正しくするように言いました。そのためか、彼らはとても緊張しています。皆さんとの交わりを心から感謝しています。また、順先生のセミナーをとおして、たくさんのことを学びました。望兄も素晴らしい知恵をもって私たちに教えてくださり、心から感謝しています。昨日私たちは、豊川の神社にとりなしの祈りのために行きました。アメリカ人としてそこに行って祈る責任があることを感じました。そこには第二次大戦の時、アメリカ軍の空襲のために死んだ人々の霊を慰めるために建てられた碑がありました。アメリカから来た我々一人一人にとって、重要な祈りの時となりました。日本やこの地域に祝福を放つことを祈りました。それから何名かが望兄と共に山の上に行きました。そこにはすでに多くの祈りが積まれていることがわかりました。私たちがここに来たことはとても素晴らしいことであり、新城市とすべての町々のために祈ることができるのは素晴らしい祝福だと思いました。このような経験を通して、私たちの街、ヤキマでの祈りについても教えられました。私にとってここで奉仕することは難しく、またへりくだらされることです。私がここに来るのは学ぶためですが、皆さんの前で教えることは恵みだと思います。どうか今日私が話すことは、ヤキマについての報告として受け取ってください。皆さんに大きな重荷を負わせたくはありませんが、この教会がヤキマの教会、また、私にとってもとても重要な存在です。綾子先生が主から順先生と私を紹介するように語られて、互いを紹介されました。主が綾子先生に順先生と私がヨナタンとダビデのようになると語られました。順先生は私にとって、とても大切な友だちです。私たちはこのようにヤキマから来て、教会同士が結ばれているような気がします。
 今年の六月、私はメキシコにミニストリーのチームと共に行きましたが、そこで順先生の本を読みました。そして、ヤキマについて祈っていました。すると主が私にヤキマのために、様々な幻を見せてくださいました。しかし、その幻のゆえに、サタンが私の教会を滅ぼそうとしていることがわかりました。それで私は、すぐに順先生に電子郵便(Eメール)を送り、祈りを要請しました。そして新城教会の方々が祈ってくださり、その祈りのゆえに大きな霊的な破れがヤキマに起こり、変化がもたらされました。そして今日ここに、共に九人がヤキマから来たことは、大きな霊的な破れの一部分が現されていることです。
 前回ここに来た時には、私はタコマの教会の牧師でした。ヤキマの教会はタコマから車で約二時間くらいの所です。当時、ヤキマの教会はいくつかの問題があり、臨時的に牧師が欲しいということで、私が毎週タコマからヤキマまで行っていました。そこに何日間か滞在し、戻って行ってタコマで何日間か牧師をするという生活が三カ月間続きました。そして気がつくと私はヤキマの牧師になっていました。タコマの家を売りに出し、妻と私と三人の子ども、そして、ペットのイグアナがヤキマに移りました。それから二ヶ月間、車の車庫のような所に住んでいました。しかし主が私たちに家を与え、今はヤキマの人になりました。タコマでは、私はとても良い状況にいました。私は主任牧師ではなく、あまり責任もありませんでした。私は賃金をもらい、日本に来たり、シンガポールに行ったり、インドネシア、フロリダなどに行き、これ以上に素晴らしい仕事はないと思っていました。秘書がいてスタッフがいて、手元には多くの仕える者がいました。しかし、ヤキマに行ったら私はひとりでした。牧師、秘書、スタッフはいません。しかし、とても良いリーダーがいました。私たちが教会に行ったとき、教会員は三十名から四十名くらいでしたが、今は成長し百名くらいになりました。タコマでは、他の人々が霊的戦いをしていました。私は祝福があるところを歩いていました。しかしヤキマでは、祈りを学ばなくてはなりませんでした。それは祝福のためにではなく、生き残るためでした。ヤキマはアメリカ土着インディアンが住んでおり、シャーマニズム的なことをしていました。悪魔はヤキマの多くの教会を束縛しており、日本に似ているところがあります。そのようなわけで、この新城教会や順先生との関係が大切だと思っています。私たちはここでとても大切なことを学んでいます。主が約束してくださったことは、ヤキマに癒しとリバイバルが起こること、そして、暗闇を主が破って多くの人々が救われることです。また、リバイバルがヤキマからこぼれて、他の州にも、そして、世界に流れていくことです。私はとても期待しています。
 「地平線に生きる」−−日本とアメリカでは地平線の見方が異なります。ヤキマは西側が山で日本のような所です。しかし東側は砂漠です。とてもきれいな所です。水があり、色々な植物が植えてあります。十六キロくらい先の遠くまで見える真平らな所があります。私たちは地平線、天が地と出合う場所を見ることができます。今日は、クリスチャンが地平線に住むべきであることを話したいと思います。
 私が結婚して数年経ったとき、私のおばあさんが病気になりました。彼女は九十歳を過ぎていました。彼女は長い間クリスチャンで、私がクリスチャンになるように祈っていたことを知りました。彼女が病気になったときに、家族の誰にも言いませんでした。一人暮らしだったので、自分で料理し、できるだけ長くそのようにしていたかったのです。彼女がガンで死んでしまう前に、よく私に電話をかけてきて、天国についてたくさん話をしました。地上での人生に興味がなくなって、天国に生きることについて興味がありました。私は彼女が亡くなる二週間前に彼女が病気であることを知り、また病院に行くべきだということを知り、私は家内と共におばあさんをお見舞いに行きました。私がクリスチャンになって七年ほど経っていましたが、そのおばあちゃんを見ているうちに、霊の世界があることがわかりました。病院で死んでいくときに、天国と地上の間を行き来しているような感じでした。天の御使いのコーラスが聞こえると言っていました。彼女が戦っているのを私は見ました。妻と私の母と親戚がベットの回りで手をつなぎ、安らかに天国に行けるようにと祈りました。そして祈り終わったら、彼女は平安を得、私たちも自分の家に戻りました。翌日彼女は亡くなりました。それは素晴らしい経験でした。地上から天国に移って行く誰かと共にいるような感じでした。おばあさんの死を通して、初めて霊の世界についてわかりました。私たちがこの地上で肉を持っていたとしても、私たちはその霊の世界の一部分であることと、おばあさんはまだ生きていてベットの上にいましたが、私が見ているのとは違う次元に行こうとしていることがわかりました。それはジャック・ヘイフォード先生も語っている「地平線」です。地平線は天と地が出合うところです。私たちはクリスチャンとして、地平線に住むべきです。それはイエス様の血潮のゆえです。十字架のゆえです。ゆえに、私たちは霊の所に入ることができます。天のすべての資源は私たちのものです。それを地上に持ってくることができます。私たちは霊の所で戦うこと、祈ってとりなすことができます。私たちが祈って地上戦でとりなす時に、天の資源を見ることができます。天のものが地上にいる人の束縛を砕きます。私たちの仕事は地平線に住むことです。とても重要な役割です。
 エペソという町はとても霊的なところでした。エペソでは、アルテミスのダイアナという女神が拝まれていました。彼女はローマの神々とつながっており、ギリシャの呪術もたくさんエペソにあり、呪術者もたくさんいました。エフィーシア・グラマティカという五つの言葉がありました。そしてこの言葉は、呪術者によって呪文として書かれ、この呪文によって人々が呪われ、また祝福される言葉として使われていました。しかし今、学者たちがわかっていることは、その五つの名前はギリシャを支配していた、「地域の霊」からとられたということです。もし私たちがエペソの時代に生きていたら、エペソはおそらく全世界のニューエイジムーブメントの首都となっていたでしょう。そこは本当に戦わなくてはならない、悪魔の力がはびこっている場所でした。
 エペソ書を読むときに、この書はパウロの霊的な書物であることがわかります。聖書の他の箇所よりもエペソがギリシャ語で霊的な力について語っている言葉が一番多いのです。その中で一つの言葉が大切です。「エポラニオス」というギリシャ語です。これは「天の所」という言葉です。天国という私たちが将来行く所とは別の言葉です。エポラニオスは霊の世界、悪霊が住み、御使いが住み戦いが起こる霊の所です。私たちがイエス様の血潮によって罪を悔い改めイエス様を主として知っているので、私たちは正しくエポラニオスの世界に入ることができます。しかし、多くの世界にいる人は悪魔の力によってエポラニオスに入っていきます。呪術を使ってこの力を自分の人生に使い、利得を得ようとします。英語での呪術の定義は、「超自然的な力を用いて、それを自分勝手な利益に使うこと」です。エポラニオス、天の所は、エペソ書に五回書かれています。この五つの節は教会の使命を現します。英語では五つのエポラニオスという言葉をとれば全部つながります。それはエペソ一章三節、一章二十節、二章六節、三章十節、六章一二節です。これを続けて読みたいと思います。

『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
 これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、
 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

と書かれています。一章三節には私たちの手元にすべての天の資源があることが書かれています。二十節には、イエスがエポラニオスにいるということ天の所にいる主であることが書かれています。サタンは私たちの罪のゆえに、この地上でエポラニオスにおいて権威をもっていることに関わらず、エポラニオスにおいてはイエス様がその更に上にいるということです。二章六節は私たちが天の所においてイエス様とともに座っているということです。また三章十節は教会についての理解はとても大切です。十節に書かれていることは、教会に対して神様が悪魔に勝利するための計画を立てたということです。六章十二節には私たちがエポラニオスに住むときに、私たちが霊的な悪魔に対して戦うべきであると書かれています。三章十節十一節に、

『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。』

と書かれています。この御言葉から私たちがクリスチャンとしてエポラニオス、地平線に生きることを学ぶことができます。五つの神様のエポラニオスにおいての計画のことです。
 その一つは神の豊かな知恵が天の所において現されるということです。霊の戦いの目でこの御言葉を見るときに、神様の力が御使いの前だけではなく悪霊の前でも現されるべきだと書かれています。英語で豊かなという言葉は、「多彩な」という言葉です。様々な次元をもっていることです。英語では、排気ガスが車のエンジンの各シリンダー部分から出て、集められ一つの所から出るという言葉をマニフォルドという同じ言葉を使います。神様の豊かな知恵について語るときに、神様がどのような状況にも対応できるということです。神様の知恵と力とその偉大さで、ヤキマにおいても日本においてもそれに対応できないことは一つもないということです。この御言葉は神様のすべてのことを神様が現したいということです。そして、これは「今」と書かれています。将来において天の所が来るというのではありません。天のすべてが今現されることを願っておられます。今この瞬間にです。いつか神様がやってくるということではありません。神様がここに今いるということがわかります。そして第三に、これは教会を通して行われるということです。
 日本では、「共同体」という理解が優れています。アメリカでは共同体の概念があまりありません。特に私の出身地である、北西部は本当にこの概念がありません。アメリカの西部では、強い個人がやっていくと言います。自分以外の人は誰も信頼することはできないと言います。そして自分以外誰も気にしない。多くのアメリカ人にとってはどのように教会になるか理解することができません。一人で立っている預言者がたくさんいます。そして神様の力を間違って現しています。多くの人がその預言者によって傷を受けます。そしてその預言者自身の人生が滅びます。これはイエスのからだである、共同体の一部ではないからです。天の所霊の世界においての必要な守りがないからです。私たちが互いに自分のリーダーに従うことの知恵を学ぶべきです。この御言葉によると、神はとても明確に豊かな知恵を「教会に現される」と書かれています。順先生はとても悪魔にとって恐ろしい存在です。でも皆がいなくてはそのような存在ではありません。私たちは皆一緒にあるべきです。ここからイエス様の人格が生まれ、またここから啓示と幻を受けます。啓示と幻が試される所です。そして教会で自分の奉仕のために整えられ、また遣わされるところです。教会、共同体を通してです。また日本からやってきて、アメリカにいる私たちにそのことを教えてください。
 そして第四番目はとても大切です。この御言葉はあなたを悪魔に勝利するために用いることが永遠の計画であると書かれています。あなたは第二の選択ではありません。神様は悪魔に勝利するためにあなたを用います。私たち弱いものを用いることは神様の知恵です。悪魔は私たちを滅ぼしたいと思っているのです。悪魔が滅ぼしたいと願っている私たちを用いて、悪魔を滅ぼします。
 第五に私たちはイエス様を知っているので、私たちは父のすべてを受けることができます。私は順先生を知っており、他の日本の地方にも行ったことがあります。私が日本に来た時は、順先生の所に遊びに行きます。時々、「どうしてあなたのような外国人が新城教会に行くのか」と言われます。ここに来ると色々なものが備えられており、ここはとても居心地が良いです。それは私にとって順先生が友だちであるからです。そして新城教会に来ることを知っているからです。しかし、私たちはイエス様を知っています。イエス様は神の子です。私たちは父の所に行くことができます。そしてイエス様を知っているので、イエス様の名前のゆえに父のすべてのものが私たちに解き放たれます。
 七年ほど前に、ある人の霊の解放をしていました。そのとき、悪霊は私たちに話ました。「あなたは何をしているのかわかりません。」と言われました。そして私も、「私も自分で何をしているのかわからない。」と言いました。でも私は「私はイエス様を知っていて、イエス様はあなたが出て行かなくてはいけないと語っているから出て行け」と言いました。私がイエス様を知っているので、その悪霊は出て行きました。でも私にとっては、自分が何をしているのかが、わからないからこそ、悪霊は出て行きました。イエス様の名前によって、父のすべてのものが私たちのものになります。
 さて、私たちが天と地の間の、エポラニオスに住んでいる人であるかについてのテストがあります。
 第一にあなたは神様を礼拝したい、イエス様と共にいたいと思っていますか。イエス様の謙遜のゆえに、私たちは神の御座の前に行き、礼拝することができます。
 第二に、教会の一部分であるということの知恵をあなたが受け入れるか。そして教会の人たちと一緒にいて交わりをすることを願いますか。天の所が放たれることを願っているならば、それは「教会を通して」放たれますので、私たちは教会の一部でいなければならない。
 第三に、もしあなたが地平線、エポラニオスに住んでいたならば、あなたの願いは天国のすべての資源や神の愛が他の人々の人生にあることを願います。第二コリントの四章三節から四節には、イエス様を信じていない人には御国を見ることができないよう、目におおいをかけられていると書かれています。あなたがエポラニオスに住んでいるとしたら、天の力が放たれて、その人たちの目が開かれ、天の力を見ることができるよう願います。今日、私と共に来たチームが歌った歌は、「私の心を開いてください」という歌です。これはエペソの御言葉から来てます。一章十八節に、ギリシャ語の目が開かれるという言葉は、「心に照明が当たる」という、カメラのフラッシュのような一瞬の強い光の意味です。そして御言葉は、この光が私たちの心に焼き付き、神様の愛がわかるようにと、未信者の目のおおいが取られて、神様を見るだけではなく、エポラニオスに住んでいるときに、私たちが神様の瞬間的な力強い光によって、神様の真理が、新しく信じた人々に焼き付くのを見たいのです。そして一生懸命、人々が生まれ変わるように、また一人一人が神様の満たされることを見るように私たちは働きます。
 最後に、天のすべての資源をもっているクリスチャンとして、またキリストのからだである教会に従った私たちとしては、私たちが地平線に住んでいるとしたら、私たちがイエス様によって堅く立つことができます。そして、サタンの戦略に対して、立ち向かうことができます。そして神様が私たちに与えてくださる賜物は、私たちが神様のしもべであり、また、勇士になるとは、堕落した世界をあがなうためです。ヤコブ四章七節に、

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』

またマタイ十二章二十九節には、

『強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。』

と書かれています。私たちが神様の与えた順番に従ってイエス様に従うときに、主の勇士になることができます。そして、教会の一部となるときに私たちはイエス様に堅く立つ力を得ます。ただ生き残って敵から逃れるのではなく、敵の策略を見抜くことができます。そして私たちを通して悪魔に勝利します。悪魔が滅ぼそうとしている人たちがあがなわれ、また、悪魔を滅ぼします。教会は霊の世界においてはとても重要です。教会という共同体の役割は、国を変えます。アメリカでは国が悪いです。そしてそれが教会のせいだということを忘れています。暗闇に光をもたらすことは、私たちの仕事です。私たちが隠れて生き残ることを望むのではなく、私たちがイエス様の勝利ある人格が現されることを望みます。そして私たちが地平線の人になるときに、毎日天地が合うこの所に住むときに、悪魔には希望がありません。アーメンですか。「アーメン。」お祈りします。

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