今週の礼拝メッセージ
恐怖のクリスマス   1998.12.6(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
ルカの福音書2章8節〜11節
さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群を見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。」

 ハレルヤ!今日はクリスマスの事柄ことから学びたいと思います。クリスマスのイメージとして「静けさ」があると思います。今朝、聖歌隊が「きよしこの夜」を賛美してくださいましたが、この歌をを聞くとクリスマスを感じます。クリスマスは「きよしこの夜」がないと始まらないと思います。

「きよしこの夜 星はひかり
 救いの御子は まぶねの中に
 眠りたもう いと安く」

この歌から受けるイメージは、悩みも何もない静けさの中で、すやすやと眠られているイエス様と、平和と喜びです。しかし、クリスマスは本当にそのようなイメージだけでよいのでしょうか。人は後から作られたイメージに支配されるものです。今日はクリスマスのイメージを覆す、「恐怖のクリスマス」というタイトルをメッセージに付けました。それには理由があります。クリスマス前後に起こった出来事を見ると、喜びとか平和の見い出すことができないからです。
 クリスマスのきっかけとなった出来事は、バプテスマのヨハネの誕生から始まりました。バプテスマのヨハネは、イエス様のために道を備えた人物として生まれました。その誕生を告げるため、老祭司ザカリヤが宮で奉仕をしていた所に、突然天使が現れて、「あなたの奥さんが間もなく子どもを産みます。」と告げました。ザカリヤも、奥さんのエリザベスも老人で、決して子どもを産むことができるような体ではありませんでした。七十、八十才のおばあさんがもしも妊娠したら恐怖だと思います。週報に、「お産を控えた姉妹たちのために祈りましょう」と書かれていますが、そこに突然ハレルヤ会(七十才代)の方の名前が載ったら、驚きと恐怖だと思います。ですから、ザカリヤとエリザベスの心境を考えると、決して平安ではなかったと思います。
 続いて、マリヤのところに天の使いが現れて伝えたことは、「あなたは子どもを産みます」なんと、結婚もしていないのに処女が妊娠したのです。現代なら、そんなことは信じられないと思いますが、当時は、思いっきり厳格な時代で、男女交際はとてもきよいものでした。想像されるような罪は殆どなかった時代でした。そんな中で処女が身ごもりました。もしも、このような事件が日本各地で起こったらどうでしょうか。処女が妊娠したら恐怖です。マリヤの心境は大変な状況であったと思います。
 やがて、告げられた通りマリヤのお腹が大きくなり、臨月に近づいたとき、住民登録のために生まれ故郷に帰る必要が起こりました。
 当時ユダヤの結婚には三つの段階があったそうです。最初は婚約、これは家同士のことでした。次に法的結婚。しかし、結婚披露宴が行われるまでは共に住むことはせず、夫婦関係はありませんでした。これは、準備期間でした。マリヤが妊娠したは、この期間でした。彼らは法律的には夫婦でした。だから、住民登録が必要で、連れ立って故郷に行きました。大きなお腹で旅することは大変だったと思います。その最中、突然マリヤは産気づき、子どもを産んでしまいました。これは緊急事態です。旅の途中で子どもが産まれたらどうでしょうか。時々、飛行機の中で出産したというニュースがありますが、これは緊急事態です。それは大慌てだと思います。
 さて、近くの野原に羊飼い達が羊の番をしていました。これは別に特殊な光景ではありませんでした。羊飼いは遊牧民てすから家がないのが普通で、常に外で寝泊まりしています。彼らは通常の生活をしていました。そこに突然、天の軍隊と共に神の栄光が現れ、救い主の誕生が知らされました。彼らは「ひどく恐れた」と書かれています。「ひどく恐れた」とは、「恐怖が極限に達した」という意味です。通常の生活の中に突然、神の栄光と剣を持った天の軍隊が現われたら恐れる事でしょう。また、彼らはイエス様とも出会いました。
 マリヤもヨセフも、イエス様がやがて救い主になるなどとは、天使から告げられていたものの、あまり実感がなく、戸惑っていた事と思います。しかし八日目にイエス様を連れてしきたりに従って、宮に行くと、シメオンとアンナという預言者がいて、イエス様についての預言がありました。彼らはそれを聞いて大変驚きました。この赤ちゃんによってやがて救いが成し遂げられるという預言でした。同時に、マリヤにも、心が剣によって突き刺されると告げられました。彼女の心は非常に乱れた事と思います。
 すると、当時イスラエルを治めていたヘロデ王のところに東の方から博士たちが来て、「ヘロデ王様。あなたの国に新しい王様が生まれた事を知りましたが、それはどこですか。」と聞きました。これはヘロデにとってはとてもショックだったと思います。「新たなる王が国に生まれた」というのですから、彼の心は乱れ、付近の二歳以下の子どもたちを全員殺してしまいました。これは悲惨な事件です。イエス様が生まれたときの出来事です。この事件までには、二年くらいのギャップがあったかも知れません。何しろ二歳までの赤ちゃんを全て殺してしまえば、その中に新しく王になると言われる者も含まれるに違いないとヘロデは考えました。
 このようにクリスマス前後に起こったストーリーを見て行くと、静けさや静寂は全く見つかりません。当時、その地方には大きな混乱が起こっていた事でしょう。これが、クリスマス時の真のストーリーです。私たちはクリスマスのイメージを静寂とか平和と捕らえがちです。結果的にはそうかも知れませんが、イエス様の生まれた時点では、「恐怖と混乱」であったのですと。
 聖書を全体的に見ると、神が人類に介入されたとき、多くの場合恐れや混乱が起こっています。神が人類の中に介入されるとき、あるパターンがあります。
 ノアの時代に、あまりにも人々が悪くて、特に性的堕落が多くありました。その時に神が人類に介入され、そのことを通して人類が滅ぼされ、ノアを通して新しい創造が起こされました。
 また、イスラエルがエジプトにおいて圧制を受けて苦しんでいるときに、神がイスラエルを助けるためにエジプトに直接介入されました。何とその時エジプトは真の神の起こされる数々の奇跡によって大混乱しました。最後には、なんとエジプトの長男が全員殺されるという、大事件が起こりました。結果としてエジプトに捕らわれていたイスラエルが解放されたのです。
 今月、アメリカで新しい映画が封切りされたそうです。これは「ザ・プリンス・オブ・イジプト」というアニメ映画です。それはモーセの人生をアニメにした大作だそうです。紅海が真二つに分かれる場面だけでも、コンピューターグラフィックスで二年間費やしたということでしたが、日本に来るのは遅れると思います。
 エジプトに神が介入されたとき、恐れと混乱が起こったのは事実です。また、イスラエルの歴史を見ても、神が介入されるときには恐れと混乱が起こったと云えます。またイエス様の誕生と同時に、十字架の時もそうでした。また、ペンテコステの時もそうでした。神が歴史に介入されるときには、必ずそこには恐れや混乱が起こっています。
 現在、日本に恐れと混乱が起こっています。日本人の心には、「これから日本はどうなるのだろうか。もしかしたら日本はなくなってしまうのではないか。経済的につぶれてしまうのではないか。社会も悪くなっているし、行く先日本はどうなるのだろうか」と恐れがあります。また、数年前に起きた阪神大震災の大被害と共に、これからも関東大震災や東海沖地震などが予測されています。「天変地異が起こるのでは」と色々な恐怖があります。ここ数年、突然日本にそのような恐怖が襲ってきました。これは神が日本の歴史の中に直接介入された証拠です。
 さて、イエス様がこの地上に来てくださった究極的な目的は、ヘブル人への手紙二章十四節から十五節に、

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

と書かれています。
 「恐れのメカニズム」について先日テレビで放映していましたが、人間には誰にも恐れがあるというのです。そして、恐れがあることは大切なことだと言っていました。なぜなら、「恐れ」は「死に対する自己防衛機能」だからです。
 私たちに恐れがなかったらどうでしょうか?例えば、アフリカに行って目の前にライオンが出て来ても、ニコニコして手を振っているかも知れません。毒蛇が出てきても、恐怖感がなかったら手を出すと思います。人間には自己防衛本能があるのです。究極的に人は、死の恐れとつながっています。イエス様は死の恐怖につながれている人々を解放するためにこの世に来られました。クリスマスの出来事は、静けさや平和とはかけ離れた出来事であったと話しましたが、クリスマスとは、人類の中にある恐れが一気に暴かれたときであったと云えます。
 まず、エリザベスとマリヤに起こった事件は、「絶対に起こり得ないことが起こったときの恐怖」です。人間が恐れに遭遇したとき、今まで蓄積してきた情報によって、それを分析しようとするのです。しかし、情報が全くない、一般の生活では起こらないようなことが起こってきたときに、ひどく恐れます。エリザベスとマリヤに起こったことは、恐れの領域でした。
 続いて、マリヤの急な出産は、「緊急事態に対すする恐れ」です。私たちは時として、緊急事態に遭遇します。緊急に起こった恐怖は、人をパニックさせることが多いです。救急車出動の一一九番通報があったときの録音が時々紹介されます。ほとんどパニックしていて、どこで何が起こっているのか正確に言えなくなっています。これは、恐怖による緊急事態に対処できないパニック状態です。マリヤとヨセフにはその種の恐れが緊急出産時あったことでしょう。
 また、羊飼いに神の栄光が現されたときの「恐れ」は何だったでしょうか。それは「超自然的な存在に出会ったときの恐れ」です。日本人はこの領域の恐れが大きいと思います。私たちの中には、超自然的なものに対する恐れがあります。日本人は物質に霊が宿るという、アニミズム的世界観を持っていまから、特別、超自然的なものに対する恐れが大きくあります。だから車を買っても、拝んでもらったりするのです。羊飼いが神の栄光を見たとき、彼らは恐れました。
 ヘロデ王が「新しい王が生まれた」と聞いて恐れたのは、彼の中に、「自分のポジションを失いかねないという恐れ」があったと思います。これは私たちにもあり得ることです。
 最近不況で職を失う人が多いそうです。一番のリストラ対象は、私の世代であり四十代後半です。四十代後半はどうも厄介者のようです。給料が多いのにもかかわらず、仕事はコンピューター化してついていけず厄介者でリストラの対象となるのです。我々の年代は、子どもも大きくなり、大学に入学したりすると、一ヶ月四十万円ないと生活できないそうです。しかし、いったん職を失って再就職すると、初任給は十五万から二十万円だというのです。だから、仕事をしたくてもできないのです。先日もテレビでやっていまいしたが、懸命に四十万円くらいの仕事を見つけようと活動しても、全く仕事がないというのです。へたに再就職してしまうと、かえって自分の首を絞めることになってしまうのです。今日本には、「自分のポジションを失う事に対する恐れ」があります。
 最後に、二歳以下の子ども達が虐殺された事件は、まさに「死への恐怖」でした。このように、クリスマスは人類の持っているすべての恐怖がある意味で暴露されたときでした。そのような中にイエス様がお生まれになりました。イエス様が生まれ目的は、「恐れを打ち砕き、死からいのちに招き入れるため」でした。死の恐怖を打ち砕くためにイエス様は地上に来てくださったのです。死に対する勝利が宣言された日がクリスマスです。今朝、恐れに支配されている方がおられるかも知れません。イエス様がこの地上に来てくださったのは、その根元的な死の恐怖から解放するために来てくださったのです。心が恐れで支配されている方は、「恐怖のクリスマス」ではなく、「恐怖に打ち勝ったイエス様」を知ってください。
 私たちがクリスマスをお祝いするときに、誰をお祝いするのでしょうか。私はクリスマスの祝い方に間違っている所があると思います。なぜならば、いつもクリスマスには赤子のイエス様に注目します。まだ成長していない赤子のイエス様に目を留めるのです。皆さんの誕生会の時にどんな祝い方をします。あなたが赤ちゃんの時の写真を持ってきて、その写真を飾って祝いますか。そうではありません。成長したあなた自身をお祝いすると思います。
 クリスマスはイエス様の誕生を祝うだけではありません。イエス様は死を滅ぼされ、よみがえって今も生きておられます。よみがえりのイエス様をお祝いしなければなりません。私たちの教会にも十字架がありますが、イエス様は十字架に付いてはおられません。カトリック教会ではイエス様が十字架に張り付けになっています。そこでは成長しきっていないイエス様、十字架から下りきれないイエス様を奉っています。それではいけません。私たちがお祝いするのは、死をも滅ぼし、甦られたイエス様です。今も生きておられるイエス様です。死の恐怖を打ち砕いてくださったイエス様をお祝いすべきです。今日私たちのすべての恐れを打ち砕いていただき、新しくされて主の前に仕える者でありたいと願います。一言お祈りします。

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