今週の礼拝メッセージ
その名はイエス   1998.12.20(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
マタイの福音書1章21節
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

 ハレルヤ!これから皆さんと共に御言葉を学びます。今の世界は難しい時代です。湾岸ではイラクとアメリカが戦争を始め、今朝のニュースによるとラマダンの時は攻撃しないと言われていたのが攻撃するようになったと言われています。現在、世界に一つの危機が訪れ、第三次世界大戦が勃発する可能性もないでもないと言われています。今ロシアと中国がアメリカに反発しています。非常の難しい時です。
 まもなく私たちは新しい時を迎えます。一九九九年です。今年私たちが東京で開いた集会のテーマは、「光のある間に」というテーマでした。来年はどのような年になるのか予測はできませんが、一般世界の考えは来年は緊迫した年です。今、週刊誌を見ると、最近特に取り上げられている話題は果たしてノストラダムスの予言は成就するだろうかということです。ノストラダムスは医者でしたが、一つのことを予言したそうです。聖書を通して預言されたことは今まで歴史の中で成就して来ましたが、一般社会でもノストラダムスの予言は確率が高いと言われています。その中でも大きなことは、来年一九九九年十月に恐怖の大王がやって来ると言う予言です。世の終わりが来るということです。恐怖の大王は聖書から見ると、イエス様の御再臨について言っているのかもしれませんが、「十月」という「時」は聖書的でありません。しかしやがて大王が来るということは確かなことです。イエス様が御再臨されることは確かなことです。ですから来年はイエス様の再臨の時かもしれない、と世界中から関心が集まっています。しかし私たちは、いつイエス様が来られても良いようにイエス様を迎える準備をするべきです。
 今朝のニュースを見るとイラク問題よりも、アメリカ大統領に対する弾劾決議案が可決されたこと、大統領がセクハラ問題や偽証問題などで、不信任案が可決された事です。大統領でありながら悪いことをしたと攻撃されています。しかし、弾劾の中心に立った次期下院議長のリビングストンという人物の不倫が発覚したというニュースも大きく出されています。司法委員会のハイドという人の不倫が発覚したというのです。人のことを攻撃する人たちが、彼らの過去も発覚したというニュースが流れていました。これは「世界で正しい人はいない」「すべての人は神の前に罪を犯した」と聖書に書かれていますので、大統領であっても誰であっても問題があります。しかし私たちが考えるべきことは誰かの問題ではなく、自分自身です。誰かがではなく、私自身が神の前に罪を悔い改め、いつイエス様が帰って来られても神の前に出ることができるように準備することが大切です。ですから、今年一九九八年のクリスマスは、お祝いでもあるけれど、いつ帰って来られるのかわからない、イエス様をお迎えする準備の時です。
 クリスマスは、いつ来られるかわからないイエス様をお迎えする準備の時でもあります。罪がある人は悔い改めて神の前に立つ準備しなさいという時です。
 私は東京リバイバルミッション後に神戸に行きました。神戸の実業家たちのグループに招かれて集会をしました。その時に来られた方が話していたのですが、ちょうど彼は阪神大震災の前日に家族を集めて話をしたそうです。「もしも、大変なこと起きたら、果たしてお前たちは天国に入れるか」という話をしたそうです。すると、彼のふたりの娘たちが、「まだわからない。準備ができていない。」と言ったそうです。しかしお父さんが、「いつどういう状況であっても、神の前に出る準備をしなくてはならない」と話をしたそうです。そして次の日の朝、地震が起こり、その人の家もあまり強い家ではなかったので、つぶれてしまったそうです。そしてご主人もタンスの下敷きになり、死にそうになったとき、一人の娘が来て、「お父さん、私クリスチャンになる。洗礼を受ける」と言ったそうです。苦しみながら「良かった」と答え、また続いてもう一人の娘も土壇場で決心したそうです。幸いその方も助かり、震災後に洗礼を受けたと言いました。このクリスマス、まだ洗礼を受けていない方は、いつイエス様を迎えても天国に行く準備をすることがクリスマスです。
 今日のメッセージはイエス様がお生まれになられる前に、天の使いが語ったことですが、「その名をイエスと名付けなさい。」ということでした。

『マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』

 二千年前に神から送られたイエス様は、私たちを罪から救うために来てくださったと聖書は教えています。私が初めて教会に行った時、「罪」と聞くと、柿や桃を盗んだことや、かぼちゃを盗んだりトマトを盗んだりしたこと、また無賃乗車をしたことが罪だと思いました。しかし、本当の意味で罪とは泥棒をしたことや殺人をしたことよりも、イエス様がこの地上に来たのは人間を「原罪」から救うために来られたのです。
 北海道の旭川に三浦綾子という作家がいますが、最近は三浦綾子記念会館ができました。彼女は小説家ですが、最初に小説家としてデビューしたのが、朝日新聞が応募した小説が当選して一千万円の賞金をもらいました。それが有名な小説「氷点」です。それは原罪がテーマでした。人間には誰にでも原罪がある、だから原罪から解放されなければならないということをテーマにしました。この氷点を書いた後、三浦綾子さんのところによく電話がかかり、「先生、原罪とは何ですか。」という質問が来たそうです。その時彼女は、「人間は生まれつき罪の性質を持っている、それが原罪だ」と答えたと別の本に書かれていました。しかし、厳密に言うとその答えは間違っています。なぜでしょうか。
 生まれながらの人間は罪人です。今日ここにおられる皆さんは誰であっても、罪人だと言っています。あなたは罪人だということは刑務所に入ったらではなく、原罪という中で罪人であると言っています。「最初の人間アダムとエバが罪を犯したことによって、ひとりの人が罪を犯したので、すべての人が罪人になった。すべての人が罪を犯したので、すべての人が死ぬことになった」と聖書に書かれています。原罪とは人類の最初の人アダムとエバが神が取って食べてはならないという木の実を取って食べたことにより、人間はすべて罪人なのだということです。
 私たちがなぜ死ぬのかと考えると、わかりません。生まれたときから死ぬ運命にあります。なぜ病気があるか、なぜ戦争があるか。なぜ憎しみがあるか、それは最初の人間が神様の前に罪を犯した結果、すべての人間が神の前に罪人になったということです。それは神様から離れた結果です。分かりやすく言えば、私が小学校六年生の時に天皇が宣戦布告をし、太平洋戦争が始まりました。考えてみるても、私はアメリカを憎む理由はありませんでした。アメリカ人を初めて見たのは、小学校二年生の頃に、鼻が高くて目が青くて色白の人を驚きをもって見たことがあります。たぶんそれは宣教師だったと思います。たった一度見ただけです。私は米国人と一度も喧嘩をしたことも争ったこともありませんでした。アメリカ人から金を借りたこともないし、貸したこともありません。しかし、日本の天皇がアメリカに対して宣戦布告をしたことから、一度も私と喧嘩をしたことがないアメリカ人が敵となりました。ひとりの人が宣戦布告をしたことによって、アメリカから見ると日本人は全部敵となりました。ひとりの人が宣戦布告したことによってです。
 原罪も丁度、あなたが信じても信じなくても、最初の人間アダムとエバが罪を犯した故に罪人なのです。イエス様がこの地上に来られたのは、原罪から私たちを救うために二千年前に神の座を捨てて、この地上に来てくださったのです。アダムとエバに向かって神が言われました。「この園にある木の実をとって食べても良いが、中央にある善悪を知る木の実だけはとって食べてはいけない。これを食べたらあなたは死ぬ。」と言われました。その時、蛇である悪魔が来て彼らを誘惑しました。「本当に神様がこの園にある木の実を食べて良いと言ったのですか。」エバが、「いいえ、どれでもとって食べて良いのです。しかし、中央にある善悪の木の実だけは食べてはいけない、もし食べたら死ぬといけないからと言われました。」と言いました。すると悪魔は「絶対に死にません。食べると人間の目が開かれて人間は神様のようになるからとって食べてはいけないのです。」と言いました。悪魔は非常に巧妙につきました。とって食べたら目が開かれて賢くなり、神様のようになれる・・・神様みたいになれるというのは、自己存在するということです。実を見たらとてもおいしそうでした。悪魔は「死ぬことはありません。」と言っています。騙されてそれを取って食べ、夫にも与えたと書かれています。それで彼らは死にました。人間は死にました。アダムもエバも生きていたけれど死にました。聖書を見ると、「最初の人間は裸であったけれども恥ずかしくなかった」と書かれてます。これは栄光の衣に包まれていたということです。しかし、その時栄光が去ってしまいました。見たら裸でした。真っ裸でした。恥ずかしいのでいちじくの葉で腰巻きを作ったというのです。その時神様が来られて、「アダム。どこにいるか」と声をかけると、「裸ですので前に出ることができません。」と言うと「誰が裸ということを教えたのか。とって食べてはいけないと言われた木の実を食べたのか。」と言ったときに、夫であるアダムは、「あなたが与えた妻が食べるように言ったから食べました。」と言いました。自分で罪を認めないで妻のせいにしました。その時、何がそのようにしたかというと女は、「蛇が食べよと言いました。」と罪を転嫁しようとしました。その時、神様が蛇に向かって、「お前は呪われよ。立って歩くことができない。はいつくばえ。」と蛇は呪われました。女に向かっては、「あなたには産みを苦しみを与え、夫を慕って生きなくてはならない」と言われました。また男に向かっては、「一生汗を流して働かなくてはならない」と呪いを与えました。その時神様は、獣を殺して皮をはぎ、衣を作って着せてあげたと聖書に書かれています。そして、「女のすえによって救い主が与えられる」と言われました。「お前たちは罪を犯して神から離れたが、いつかは女のすえによって救い主が来る。」また「やがておまえはかかとにかみつくが、お前の頭を砕く。」と言われました。これはやがて救い主が来て、十字架にかかり死ぬ事の約束です。そして、罪を犯した子孫の中から、今から二千年程前に神の約束によって救い主が来られました。その時に言われた言葉が

『その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』

 イエス様がお生まれになられる前、旧約聖書の中には「救い主が来る」と預言者たちを通して約束されていました。その中の一つはイザヤ書九章六節、

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。その主権は肩にあり、その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』

 イエスという名前が旧約聖書には「ホセア」という名前、即ち、「救い」と現されています。しかし、ホセアはヨシュアに変わっています。それは「神は救いです」という意味です。イエスという意味は「ヨシヤ」ということですが、「神は救いです」というのが「イエス」ということです。「その名をイエスと名付けなさい。それは、神は救いです。」ということです。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。その主権は肩にあり、その名は、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる。」と書かれています。
 この世を支配する権威は神が持っています。世界の歴史を支配するのは神です。アメリカの大統領でもなく、日本の総理大臣でもなく、世界そのものの支配権は神様が持っておられます。旧約聖書を見ると、今のイランやイラクの付近にバビロニア帝国という国がありました。この国の首都バビロンは城壁で取り囲まれており、世界の七不思議の一つが空中楼閣でした。考古学によると、都は二十四キロの正方形で、城壁の幅が二十七メートル、高さが九十九メートル、地下からも敵が絶対に攻め込むことができないように、地下十一メートルまでも掘り下げてありました。絶対に滅びない国の王の名は、ネブカデネザルでした。この王様がある時城壁を歩きながら、「この大バビロンは私の権力によって、また私の威光を輝かすために私が建てたものである」と言いました。大バビロンについて彼は「私が建てたものである」と有頂天になりました。バビロニア帝国は世界中が恐れをなす権力を持っていました。その時に神が語りかけました。『「ネブカデネザルよ。あなたに告げる国はあなたから取り去られ、あなたは人間の中から追い出される。野の獣と共に住み、牛のよう憎さを食べる。こうして七つの敵があなたの上を過ぎ、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなうものにお与えになることを知るようになる。」』
 この言葉を聞いた途端、ネブカデネザル王は精神病になり、獣のように、四つ足で歩き出し、七つの時、七年間彼は牛のように草を食べ、四つ足で立ち頭の毛もボサボサで爪も獣のようになり、七年間草を食べて自分が獣だと思い込みました。そのような病気があるようです。その後で神が彼の目を開き、彼はわかりました。「世界を支配するのは私ではない、神だ」と。聖書では神のことを王の王と書かれています。この歴史を支配するのは神です。その神様が人類の救いのためにイエス様を遣わされました。その名前を「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」これは肩書きです。名刺のようなものです。私の場合は、「リバイバルミッション実行委員、滝元明」、「新城教会牧師、滝元明」「リバイバル聖書神学校理事長、滝元明」「MTC宣教師訓練しセンター後援会長」などの肩書きがあります。しかし「イエス」という名前には肩書きがたくさんあります。「不思議な助言者」文語体では、「その名は奇妙また魏志」、それが口語訳には、霊妙なる魏志」、また、共同役では、「驚くべき指導者」と訳されています。「不思議な」ということは普通では考えられないこと、「助言者」とは「側から自分の考えを言って相手を助けてくれる方」という意味です。
 あなたには助言者がありますか。先日私は東北に行ったら、「先生、祈ってください。今うちの事業がうまくいっていません。もう会社も家も全部取られてしまいます。先生、どうすれば良いですか。まだ事業を続けた方が良いですか。それともこれで倒産したほうが良いか教えてください」と言われました。私は、「夫婦で一緒に祈りなさい。」と助言しました。この助言には、がっかりしたかも知れません。しかし、時々、人間の判断は間違いますが、イエス様の判断はあなたのを助けてくれます。「困ったどうしよう。私はこれからどちらに行ったら良いかわかりません、どうしたら良いでしょうか。」と言ったらイエス様は「こっちに行きなさい。これが道だよ。」教えてくださる方は助言者です。「奇妙義士」は、奇妙は不思議に優れているということです。不思議に優れていて相手の相談になってくださる方です。このことを昔の人は、「奇妙義士」と訳しました。イエス様の名前は素晴らしいです。あなたがイエス様を信じたら、あなたの相談役になってくれるのがイエス様です。これが救い主です。また、霊妙なる義士は、不思議で普通の人にはできない、それから義士は相談相手になってくださる方です。その名はイエスは、救い主になってくださった方は、相談相手になってくださるということです。時々人間に相談してみても相手にならないことがあります。また、解決ができない問題もありますが、あなたがイエス様に相談したら必ず相手になってくださる方です。
 もう一つの肩書は、「力ある神」です。イエスという名前の中には「力ある神」という肩書があります。文語体では、「大能の神」という訳し方をしています。私たちはイエスという名前の中に「大能の神」「力ある神」があります。日本の神には力がありません。
 関東大震災の時に、ひとりのおばあさんは地震が来たときに、一番大切なものと思って、仏壇から位牌を取り出して逃げて、「良かった仏様を助けることができて」と言ったそうです。しかしふと、考えたらおかしなことに気がついたそうです。一番困ったときに助けてくれなくては困るはずのものを、自分が守っていたことはおかしいと思ったそうです。日本の神々は力がない。狐や死んだ人が奉られていたとしても力はありません。イエス様は大能の神です。力ある神です。申命記十章十七節に、

『あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめたちにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。あなたがたは在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったからである。』

と書かれています。イエス様はすべてを助けてくださる方です。孤児ややもめを愛され、「在留異国人を愛される方」です。
 今日、ここにはペルーやブラジルから来られた方がいます。日本人から見たら、在留異国人です。外国から来られて、生活は困っていますか。困っている人はこの御言葉を信じてください。偉大なる力ある神様を信じたら、すべてを与えてくださいます。この方が力ある神です。これがイエス様です。素晴らしい神様です。
 「永遠の父」この教会に来て永遠の父がおられることは素晴らしいと思います。いつも主の祈りを賛美します。これが神様の名前です。素晴らしいです。私たちのお父さんです。私たちに命を与えてくださる天の父さんです。これがイエス様の肩書です。「とこしえの父」です。永遠まで私たちの父となってくださる方がイエス様です。ルカの福音書六章三十五節に、

『ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうこと考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます、なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にもあわれみ深いからです。あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。』

 天の父は憐れみ深い神様です。イエス様がこの地上に来たときにらい病人を深く憐れんで、「わたしの心だきよくなれ」と言われました。悪霊につれた子どもの両親が来て、「助けて。息子を悪霊から解放してください。」と叫んだ時に、イエス様が憐れまれたと書かれています。イエス様は永遠の父であり、「憐れみ深い神」です。この中の素晴らしい言葉は、「いと高き方は恩知らずの悪人にも憐れみ深いからです。」と書かれています。
 先週、ここに素晴らしいゲストを迎えました。高原さんというミッションバラバの方です。彼はかつてヤクザ歴二十年でした。
 現在元ヤクザのクリスチャンが十五人がいるそうです。しかし、人の前で証するのは八人だそうです。それには条件があるそうです。夫婦、子どもたちがクリスチャンで、酒もたばこも飲まない、という条件があるそうです。
 高原さんのお母さんがクリスチャンでヤクザ生活をしていた息子が救われるようにと祈ってくれたその祈りによって救われたと語っていました。神は悪人にも憐れみ深いからです。ヤクザだからと言って打ちのめすような神ではなく、悪人であっても憐れみ深い方です。これがイエスの名前です。イエス様は「とこしえの父」です。
 そして、イエス様は平和の君です。イエス・キリストは平和の神です。イエス様はこの地上に生まれたのは神と人間の間に平和を与えるためです。本当は神様はきよい方なので、人間に対し罪に対して怒られます。さばき主です。しかし、イエス様が救い主ですので「ちょっと待って神様。皆を罰しないで。私が皆の変わりに罰を受けます。全世界の罪を全部背負い、世界のために犠牲になりますから人間の罪を赦してあげてください。」父なる神様が、「子どもよ。お前が皆の罪の身代わりになって死ぬのか。お前がそのような苦しみを受けて死ぬのであれば、お前の故に人々の罪を赦してあげよう。今まで神と人間の間に持っていた敵意、恨み、これを全部なくして平和を与えてあげよう。」平和の君は、十字架によって、人間と神様が平和を持つことができます。一番素晴らしいことは、この救い主を受け入れるかどうかです。これによって人生が変わります。
 今日まだイエス様を信じていない方にお勧めしますが、イエス様をぜひ、信じてください。私は一人の伝道者、牧者として勧めます。「信じなくても良いけれど、どうでも良いけれど教会に行きなさい」ということではありません。信じるかどうかで永遠が決まります。天国に行くか地獄に行くか、さばかれるか、さばきから救われるか、これを決断する時です。ですから、今日このクリスマスの時に、救い主を受け入れるかどうかによって決まります。来るべき年に、一番人生において大切なことは、救い主を受け入れてきよらかに生きることです。天国に行くことが最も大切なことですので、イエス様を信じていきましょう。今日イエス様が来られたら、天国に行くことができますか。主の御名を信じるものは皆救われると書かれています。簡単です。お金はかかりません。「信じます」と素直に信じてください。それだけで私たちのイエス様が助言者として私たちのための相談相手になって、天の父となって平和の父として私たちを導いてくださいます。これからイエス様を信じていきましょう。一言お祈りします。

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