今週の礼拝メッセージ
今週の礼拝メッセージ
新生   1999.1.24(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
ヨハネの福音書3章1節〜8節
さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は老人になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

 ハレルヤ!今日は月に一度の初めて来られた方への伝道礼拝です。わかりやすく話したいと思います。クリスチャンの方と共に、心を込めて学びたいと思います。
 今日は「新生」、即ち、「新しく生まれ変わる」ことについて学びたいと思います。イエス様の所に、ある夜一人のユダヤの指導者が来ました。
 「先生、あなたが神から来た教師であることを私は知っています。あなたがなさっているようなしるしは、上から来られた教師でなかったら絶対にできないでしょう。」と言いました。するとイエス様は、「人は誰でも新しく生まれなくては神の国を見ることはできない。」と答えられました。
 イエス様に向かって、「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」と語った言葉に対しては、イエス様は答えていません。「人は誰でも新しく生まれなくては、神の国を見ることができない。」と答えました。イエス様は人間の心の中を知っているので、ニコデモがなぜイエス様のところに来たのかを知っていました。ニコデモはユダヤ人の指導者でした。またパリサイ人と書かれていますので、道徳的にも高く、社会的にも地位のある人でした。彼はユダヤ教徒でしたが、段々年をとって一つの不安があったのだと思います。それは、このままで果たして天国に行くことができるだろうかということでした。果たして今、自分が持っている宗教と道徳で、天国に行くことができるだろうかという心配がありました。
 私たちも考えてみると、死んだらどうなるのか、果たして天国に行けるのかという一つの心配があります。彼がイエス様に質問したかったことは、「先生、どうしたら天国に入ることができますか。」というのが本当の質問でした。しかし、ニコデモは少し回りくどく質問したのです。「先生、あなたは神の子でしょう。そうでなかったらこのような奇蹟はできないでしょう。」イエス様が「はい。私は神の子です。」と答えると、「ところで、先生にお伺いしたいのですが、天国って本当にあるのでしょうか。」「勿論ある。」「では、どうすれば天国に入ることができるのですか。」と質問したかったのです。しかし、イエス様は彼の心を知っておられ、直接、「人は誰でも新しく生まれなかったら神の国に入ることはできない。」と言われました。
 聖書によると、「誰でも新しく生まれ変わらなかったら神の国に入ることはできない。」と書かれています。そこでニコデモは驚き、「どうしたら新しく生まれ変わることができますか。」と聞くとイエス様は、「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と答えられました。
 今日ここにはクリスチャンの方々がほとんどですが、まだクリスチャンではない方もおられます。しかし、どんなに道徳的な人であっても、社会的な地位があっても、新しく生まれなければ神の国に入ることができないと聖書は教えています。
 自然界を見ると新しい生まれ変わりを見ます。昆虫を見ると興味深いです。フランスで生まれたファーブルは「昆虫記」を記しましたが、蝶の幼虫はきれいではありません。青虫から始まります。青虫にさわると角を出し、また悪臭を出します。しかし、脱皮して成虫になると可愛い蝶が生まれます。蝶の幼虫は約五回ほど脱皮します。そして最後にさなぎになり、脱皮して美しい蝶になります。トンボの幼虫はヤゴです。ヤゴは水の中にいますが、形は良くありません。成長すると脱皮します。背が割れて体が出て後ろにぶら下がり、羽がきれいに出て色が入りトンボになります。
 ある人がたとえ話をしました。ヤゴたちが一緒に住んでいると、年をとって来たヤゴが、「何だか目おかしくなった」と言って茎に上がっていき、脱皮してトンボになりました。トンボになると水の中に絶対に帰ってきません。ヤゴの時代は水の中に住んでいますが、一旦空に飛び出すと水の中に入ることはできません。別世界です。下の世界は分かりません。「あれ。あのおじさん茎の上に上がってしまったが、どこに行ったのだろうか。」と他のヤゴたちは思うでしょう。自然界を見ると素晴らしい新生を見ることができます。 アブラゼミは枝に卵を産みつけ、それが下に落ち五年程、土の中で成長します。初めは白い幼虫ですが、それが地上に出かかってくると茶色になって目だけが黒くなり、そして地上に出て脱皮し、きれいな臼緑色の羽が出た途端、太陽の光に当たり茶色になるという不思議な世界があります。自然界を見ると新しく創造され、生まれ変わる世界があります。
 イエス様が新しく生まれなければならないと言われたとき、ニコデモにはその意味がわかりませんでした。「先生。どうしてそんなことがあるのでしょうか。」というとイエス様は、「風は自分の思いのままに吹く。あなたはユダヤ人の教師でありながら、これくらいのことがわからないか。」と言いました。「風が思いどおりに吹くように、聖霊によって生まれる者もそのとおりである」とイエス様は言われました。なぜ私たちが新しく生まれなければならないかというと、エペソ人への手紙二章一節から三節に、

『あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。』

と書かれています。
 第一に人は「罪過の中に死んでいる」と書かれています。イエス様を信じていない人は罪の中に死んでいるから、新しく生まれなければならないということです。最初の人間アダムとエバは甚だ素晴らしくありました。神様が塵で人間を造り、神の息を入れました。そして生ける者になったと書かれています。しかし、アダムとエバが罪を犯したときに人間は死にました。神の聖い霊が人間から去りました。善悪の木の実を食べるときに死ぬと言われたとおり、食べたときに死にました。死んだけど生きていました。彼らがわかったことは裸であって恥ずかしいということでした。それまでは栄光の衣で裸であっても恥ずかしくありませんでした。しかし、罪を犯したとき裸であることに気づき、いちじくの葉で腰巻きを作ったと書かれています。彼らは生きていたけれど死んだということは「罪を犯したときに霊的に死んだ」ということです。神の霊が去ったということです。わかりやすく言うと、今日イエス様を信じていないと肉体的には生きているけれど、神の霊がないので、「罪過の中に死んでいる」というのです。だから神の息が入って生かされるためには、新しく生まれ変わらなくてはならないのです。だからどのように素晴らしく見えても、総理大臣であっても会社の社長であっても、最高裁判所の長官であっても、イエス様を信じない以上霊的に死んでいます。だから、新しく生まれなくてはならないのです。
 第二に、空中の支配者である悪魔の子となっています。罪を犯した結果、悪魔の子になっているというのです。悪魔の子のままでは天国に入ることができないので、聖霊によって生まれ変わって神の子にならなくてはならないのです。
 また第三に、人は生まれながらに神の怒りを受ける罪人であると教えています。聖書を見ると、人間は生まれながらに神の怒りを受けるべき罪人ですが、信じる者は永遠の命を持ち、信じない者はいのちに預かることがないばかりか、神の怒りがその上に留まっていると教えています。
 今日ここにあるクリスチャンには、神の祝福があるのです。しかし、信じない人たちには神の怒りがあります。一度死ぬことと、死後、さばきを受けることが決まっています。罪のままで死んだなら、神の怒りによって地獄に行ってしまう、だから新しく生まれ変わらなくてはならないと聖書は教えています。
 「なぜ、人は年をとってからもう一度母の胎に入って、生まれ変わることができますか。」とニコデモが聞くと、イエス様は、「肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれる者は霊である」と語られました。
 人間は肉です。最近日本は悪くなりました。なぜ、悪いことをするのでしょうか。ニュースもあまり良いものはありません。今日は大会社の○○が逮捕されたとか、逮捕される人を見ると、六十才から六十五才位の人が多いです。私と同じくらいの年代で、手錠をかけられている姿はとても哀れです。それまでは社長であったり、有名人であったりしても逮捕されます。なぜかと思うほどです。また、毎日のように殺人などがあります。最近ではコンピューター犯罪もあります。東京に行くと援助交際は女子高校生に多いようです。離婚も多いです。これは肉の領域のものです。肉は良いことがしたくてもできません。ですから、ガラテヤ人への手紙五章十九節から二十一節に、

『肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。』

と書かれています。新しく生まれない肉的な人は、不品行、好色、汚れなどです。歴史を見ると権力に肉欲は付きものです。織田信長にしても、豊臣秀吉にしても権力をものにしたとき、多くの女性を自分のものとし、肉欲におぼれています。これは肉の本質であり、肉的な者は生まれながら不品行、汚れ、好色です。
 今の時代は汚れた雑誌が多いです。週刊誌は裸の女や不倫や汚らしいことばかりです。肉的な人たちが作っている雑誌だからです。幸せに生きるには新しく生まれなければなりません。生まれ変わらなければ、そのような汚れた生活から解放されることはできません。どんなにあなたが真面目であっても、いつかは肉に負ける可能性があるというのです。
 また、肉の人は偶像礼拝をします。日本人は年頭に神社に行きます。八千万人以上の人々が行きます。世界で八千万人も拝みに行く国民は他にありません。そこに何がいるのかわかりますか。豊川稲荷には狐が奉られていますが、お金を放り込んで儲かりますようにと願います。人間と動物では、どちらが頭が良いのですか。もちろん、人間です。日本人は狐を奉り、狐に頭を下げているからです。小淵総理は、あまりにも支持率が低いので私は応援しています。彼が良い政治ができるように祈っていますが、やはり彼が伊勢神宮を参拝すると愚かだと思います。しかし彼らは、それが偶像だとは思わないのです。彼は太陽を拝んでいます。どのような総理大臣でも新しく生まれ変わらなくては駄目です。これはアメリカでも同じです。クリントンはどのような人物か知りませんが、スキャンダルで苦労しています。しかし、その前の大統領のフォードという人は、「私は新しく生まれ変わったクリスチャンだ」と語っていますが、新しく生まれ変わるかどうかできよらかであるかわかります。「新しく生まれなければ神の国に入ることはできない。」というように偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、遊興などの罪に、新しく生まれ変わらないと勝てません。
 先日、九州に行くとあるおじいさんが来ていました。聖会に来て、待合い室でたばこを吸っていました。「おじいさんたばこはやめなさい。」と皆に言われていました。私が廊下に出ると、廊下が臭いので「また吸ったね」と言うと、「アンケートには、たばこをやめる決心をしたと書きました」と言いながら、また吸っているのです。たばこ一本、また、酒をやめるためには、新しく生まれ変わらなくてはいけません。だから、私は廊下で彼のために祈ってあげました。
 肉から生まれた者は肉です。新しく生まれ変わらなければなりません。新しく生まれ変わらなくてはならないということで、エゼキエル書三十六章二十六節から二十七節に、

『あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。』

と書かれています。人間は罪の中に死に、自分の力では正しいことができないけれど、神の約束の中に、「あなたがたに新しい心を与え、あなたの内に新しい霊を授ける。」と書かれています。これは素晴らしいことです。神の霊をあなたにあげるというのです。神の聖霊が私の中に入り込んでいます。これは新しく生まれ変わるときです。「水と御霊によらなければ神の国に入ることはない」とあります。水は御言葉であると思います。「十字架を信じてイエス様を見上げ、イエス様を信じたら新しく生まれ変わることができます」と解釈しますが、又、ある人は「信じてバプテスマを受ける者は救われます。」これは水によるバプテスマで新しく生まれ変わると信じる人もいます。そのような、教理的な問題はともかくとし、先日ここに来られた田中政男先生は、私が新城に来たときに見城さんの奥さんから、「百円あげるから」と言われ、金につられて教会にきました。毎週教会に来て、一番後ろに座り終わったらさっと逃げるように帰って行きました。私は、「あいつは望みのない男だ」と思いました。彼はパチンコが好きでした。しかし段々イエス様の話を聞いて信じるようになりましたので、彼に質問したことがありました。
 「兄弟、人間はどこから来たと思いますか。」「お父さん、お母さんから来た。」「その先は何だと思いますか。」「それは猿だ。」と彼は言いました。「何のために来たか。」「それは食うためだ。」「死んだらどこに行くか。」「それは墓場さ。」
 しかし、「墓場」と言った後、彼は考えました。そしてある時聖書を読むと、「人はたとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを損じたら何の徳になるでしょう。」という言葉に捕らわれ、材木問屋で大金持ちになろうと考えていましたが、「自分のいのちを損じたら何もならない。」それから人生をまじめに考えるようになり、イエス様を信じる決心をしました。「兄弟。そろそろバプテスマを受けなさい。」「バプテスマ。いつ?」「今度、東京から穐近先生が来るのでその時に。」「どこで?」「桜淵で。」「えーっ、花見の最中で、皆がいるところで水の中に入れるか?」と言いました。「夜、バプテスマをやることができる。」と言うと、彼はバプテスマを受けました。彼はそれまで自分で祈ったことがなく、バプテスマの時、「兄弟祈りなさい。」と言われましたが、何を祈って良いのかわかりませんでした。彼は、お母さんから、「政男、早くお父さんの墓を作ってくれ。」と言われていたので、クリスチャンになったら墓を作って良いのか迷って、最初に祈るときに、「イエス様。困りました。墓を作って良いでしょうか。」と祈りました。おそらくバプテスマの時に「墓を作っても良いですか」と祈ったのは彼くらいだと思います。すると、穐近先生が、「兄弟、クリスチャンらしく素晴らしい墓を作るのだ。」と言うと、「墓を作っても良いのだ。」と安心してバプテスマを受けました。
 しかし、水から上がった瞬間、彼は全く変えられました。彼は路傍伝道を始めました。「皆さん。私はイエス様を信じました。とても嬉しいです。」と翌日から始めたのです。バプテスマを受けてその日に新しく新生したのです。
 今日、皆さんがイエス様を信じたら、新しく生まれ変わることができます。素晴らしい聖霊様が臨んでくださるなら、新生することができます。
 時々クリスチャンは窮屈だと考える人がいますが、新生せずにクリスチャン生活をしようとすると行き詰まります。しかし、新しく生まれ変わったら、クリスチャン生活ほど楽なことはありません。ある人が昔歌を作り、「酒飲むな。たばこ飲むなの耶蘇教は、ああ面倒くさい宗旨なり。」と歌うと、クリスチャンが、「酒飲むな。たばこ飲むなの耶蘇教は。旨ハレルヤの宗旨なり」という歌を作りました。クリスチャンになったら変えられて、飲まなくても良い自由が与えられます。悪いことをしなくても良い自由が与えられます。
 私は十九才の時に新しく生まれました。今幸せであるということは、自分の力ではなくイエス様が入ってくださったからです。罪から救われて今日あることは素晴らしいことです。イエス様を信じたら素晴らしい実を結びます。聖霊様が来られるとガラテヤ人の手紙五章二十二節に、

『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。』

と書かれています。
 間もなく、税務署に税金の申告をしなくてはなりません。しかし、申告できない財産があります。第一に愛という財産です。これには税金がかかりません。喜びという財産も持っています。世の中には金があっても平安のない人がたくさんあります。イエス様を信じることによって平安が与えられます。平安があることは何と素晴らしいことでしょう。寛容、親切、誠実という実をあなたは結ぶことができます。また、柔和で自制できる人生を聖霊様が与えてくださいます。あなたも新しく生まれ変わらなくてはなりません。
 新しく生まれ変わるためにどのようにすれば良いのか。それは、難しいことではありません。イエス様が言われました。「モーセが荒野で蛇をあげたように、人の子もまたあげられなくてはならない」と語られました。
 四百三十年間エジプトで奴隷生活をしたイスラエル民族をモーセという預言者を使い、神は解放しました。そして四十年かけて約束の地パレスチナまで連れて行きました。その時彼らはつぶやきました。「水がない。食べ物がない。」彼らはブツブツつぶやいたので、ある時神様は怒られ、蛇を送られ彼らをかみつきました。すると彼らに毒が回って苦しみ、「罪を犯したので死ななくてはならない」と言いました。そこでモーセに、「神様にお願いしてください。私が悪かった悔い改めます。」と言いました。そこでモーセは主に願いました。「神様、彼らは自分の罪を悔い改めています。どうぞ赦してあげてください。」と祈ったときに、神様が言われたことは、「あなたは青銅で蛇を作り、竿の上にかけなさい。だれでも竿の上にかかった青銅の蛇を見上げるだけで救われる」と語られました。それで、「皆さん、聞いてください。だれでも青銅の蛇を見上げる者は救われる。」と話しました。すると、「見上げた者は皆救われた」のです。難しいことではありません。良い行ないをするとか、金で救われるというものではありません。モーセが荒野で蛇をあげたように、人の子もあげられなくてはならないということは、神の御子イエス様が罪のために十字架にかかって死んでくださったのです。蛇みたいに呪われた姿でいばらの冠をかぶせられ、くぎ付けになって人間のために死んでくださいました。それはあなたのため私のためです。だから誰のためにもイエス様が十字架にかかって死なれたのでそのイエス様を信じたら罪が赦されます。イエス様が代わりに死んでくださった事実さえ信じたら、あなたの罪は赦されます。そのイエス様を信じるだけで、あなたに永遠のいのちが与えらます。
 今日イエス様を信じてください。難しいことは言いませんが、最後に、「主の御名を呼ぶ者は救われる」と聖書に書かれていますので、「イエス様救ってください」と言うだけで、新しく生まれ変わることができます。信じている方はもう天国に行けますが、まだ天国に行くことが心配でしたら今日は新しく生まれ変わって、天国に行く準備をしましょう。一言お祈りします。

バックナンバー
戻る
戻る