今週の礼拝メッセージ
今週の礼拝メッセージ
平安を持つ秘訣   1999.2.21(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
ヨハネの福音書 14章1節
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 ハレルヤ!今日これから皆さんと一緒に御言葉を学びます。
 今週は、明日から全日本リバイバルミッション主催のイスラエルツアーがあり、全国から約百三名が参加することになっています。一人ひとりが事故や病から守られて、素晴らしい旅行ができるようにお祈りください。皆さんの中でもまだ、イスラエルに行ったことのない方は一度行ってみてください。聖書の御言葉には一つも嘘がありません。イスラエルに行くと、イスラエルの歴史がわかるようになり、聖書についてわかりやすくなります。この度は新城の教会からも多くの方が行かれますので、ぜひ、お祈りください。
 今日学ぶ御言葉は私の大好きな御言葉の一つで、ヨハネの福音書十四章一節の御言葉です。

『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

 今日は「平安を持つ秘訣」というテーマで話します。私が書いた本が今、十数冊出ていますが、その中で「平安を持つ秘訣」という本が一番よく売れているそうです。数年前にクリスチャン伝道団から出版されましたが、二十万部以上売れました。その次が「われ土方なれど」、「どうしたら人生の意義を見いだせるか」という本がよく売れています。その本がよく売れている原因は、人々が平安を求めているからだと思います。
 現代ほど問題の多い時代はありません。今、社会を真面目に考えると、不安があります。未だかつて経験したことがないほど恐ろしい時代を迎えています。日本も考えてみると、バブルが崩壊し経済的に悪くなり、事業が倒産したり、景気が悪かったりと色々なことがあります。ニュースを見ていると大変なことがたくさんあります。汚職で逮捕されたり、強盗、殺人・・などたくさんの問題がこの日本・世界にあります。また、道徳的な面でも最近は随分、不倫や離婚などの問題があります。離婚も昨年は二十五万件ほどあったと言われています。一年に八十万件ほどが結婚しますが、二十五万件ほどが離婚すると言われています。これは大変なことです。
 また、二万五千人程が自殺をしたと聞いています。昔は中高生に自殺が多くありましたが、最近は四十代から五十代の男性に多く自殺があります。考えてみると二万五千人が自殺するということはすごいことです。新城市民は約三万六千人ですので、二万五千人が自殺したとするとあと一万人しか残らないということです。これは深刻な問題です。また自殺しなくても自殺したいと悩んでいる人が多くいます。かつての日本では、このようなことはありませんでした。しかし、わずかな光は、交通事故で亡くなる人数が、昨年は一万人を下回ったことです。いずれにしても、非常に不安な時代です。色々なことを考えてみると、特に国際問題は難しいです。
 先日、中日新聞に「コンピューター、迫る二千年危機」というタイトルで書かれていました。私はコンピューターについて知識がありませんが、よく読んでみると危機的なことでした。日本やアメリカでは二千年問題のためにお金をつぎ込んで、問題のないようにしていますが、ロシアや北朝鮮は日本が生産した古い機械をもっており、正しく切り替えることができないので誤作動する可能性があるようです。ということは、二千年になりコンピューターが誤って作動したら、核兵器も飛ぶような事が起こるかもしれない危機感があります。考えてみた今までになかった心配事がたくさんあります。
 「ハーザー」という雑誌の一月号に、「終末のしるし」というテーマで書かれていますが、今の時代はこの世の終わり告げる時です。間もなく、イエス様が再臨をされます。その寸前には、世界は非常に大きな問題をはらむのです。この雑誌にリィック・ジョイナーといういう人が日本に対しての預言をしたことが書かれています。
 「神は私にアジアの人を愛していると言われました。神は特別な愛をアジアの人に対し持っておられます。ですから、アジアに多くの人が与えられました。日本は特別に力強い国です。日本は将来主の栄光を実際に見るでしょう。日本人は本当に主を愛するようになります。今経済危機が日本を震わしていますが、多くの日本人が主に立ち返ります。しかし、信じられない災害が将来起こるでしょう。『大きな地震が東京に起こる』と主が私に語られました。しかし、それが何時起こるのかは私にはわかりません。それが起きると世界経済が崩壊します。また、多くのものが崩壊しますが、終わりではありません。私たちが生きている間にそれが起こります。その地震はとても大きなものです。これまでに起きている中で一番大きな地震になります。神戸での地震をテレビで見ました。あの地震が起こる二、三日前に主が私に示されました。『要塞がある日本の都市に地震が起こる』と語られました。そして神戸に地震が起こったのです。主は警告を発しておられます。阪神大震災が起こるまで日本人は自分たちが建てたものが強固にできていると思っていたことでしょう。しかし、神戸の地震は小さなものに過ぎません。『次に起こる地震はどのようなビルも耐えることはできない』と主は私に示されました。私たちは聖書の御言葉の上に自分自身を建てるべきです。そして御言葉に従うことです。これは日本人を助けるために神から与えられた警告です。」と書かれていました。
 東京に行って新宿などにある大きなビルが崩壊すると考えたら恐ろしいと思います。これは日本の罪の結果ですので悔い改めて私たちは真剣に祈るべきです。ですから、来年は東京で四十日集会をしますが、もし地震が来たら私も下敷きになってつぶれても良いというつもりで伝道しなくてはならないと考えています。東京のために覚えて祈らなくてはならないと思います。
 最近は世界で洪水が起こっています。今までにない洪水が起こっています。ホンジェラスの洪水は国の三分の一が駄目になったと言われています。中国、ヨーロッパ、北朝鮮、韓国でも大洪水が起こっています。エルニーニョ現象が影響しているようです。また、コロンビアの地震を見てもとても大きなものです。もっと大きな地震が日本に来ると考えると、世界はとても不安です。なにげなく見ているだけであれば、そんなに不安もないと思いますが、実際にこの世界の将来を考えると非常に不安があります。
 しかし、多くの人が求めているものはやはり平安です。どのような時代が来ても勝ち抜くことができる力と、どのようなときにも動揺しない心の平安を誰もが求めています。そして、その秘訣は神の御言葉です。神に信頼するしかありません。ですから、イエス様が、

『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

と言われました。聖書を読むときには、あなたがたは心を騒がしてはなりません。」と読むのではなく、そこに自分の名前を入れて、私でしたら、「滝元明は心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と読むとわかりやすいです。神様を信じたら、素晴らしい平安を持つことができます。
 今朝、このような話を聞いてもピンと来ない方がおられると思います。災いが来るときいても、平安でいる人もいると思いますが、それは、小学校や幼稚園に行っている子どもたちだと思います。幼子たちはどのようなことがあっても平安があります。地震が来るかも知れないとか、経済的な崩壊が来ると聞いても子どもたちは平安です。
 ある意味で子どもたちは平安な生活をしています。詩篇一三一篇一節から三節に、

『主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。』

 乳離れした幼い子どもが親の前にあって平安な生活をしているというのです。幼稚園くらいの子どもはそんなに知識や体力、力もありませんが、いつも平安があります。なぜなら、絶対的に信頼する場所があります。それはお父さん、お母さんです。お父さんとお母さんを信頼しているときは平安です。人間にとって、私にとってもあなたにとっても、絶対的な信頼する場所が必要です。時々、神はいないと言う人がいますが、神がいないと言われる人は信頼の場所がありません。
 今、北朝鮮では神はいないという主義です。しかし、その人たちも信頼が欲しいのです。北朝鮮には千何百の金日正の銅像が建てられています。金日正を拝んでいます。あれは一つの偶像です。神はいないと言って人々は科学万能主義に頼っています。ソビエト連邦もルーマニアも東ドイツも崩壊しました。今共産主義の国は非常に貧乏で惨めです。キューバや北朝鮮も惨めです。人間の力だけでは生きることはできません。時々人間は「おれの力だ」と言っていますが、「おれの力」はありません。神などいらないと言いますが、そんなことはありません。ある人は神などいらないと言って自分の力に信頼しています。しかし、自分の力は何もなりません。
 私くらいの年になると考えなければならないことがあります。先日、順牧師が新潟に行きましたが、その時、私よりも少し若い新潟の先生が突然、亡くなられました。この方は体力に自身がある先生でした。しかし、運転しているときに心筋梗塞になったそうです。運転しながら死んでしまいました。気を付けなくてはなりません。強そうでも強くはありません。私たちが耐えるところは自分ではなく、本当は神様に寄り頼むべきです。ですから、私たちは絶対的に寄り頼むところを持つことが大切です。どんなに金に頼ってみても金もあてにならない、自分の夫や奥さんなどに頼ってもあてになりません。ですから、私たちがしっかりと頼るべき方、寄り頼むべき方を持たなくてはなりません。
 今アメリカは経済的に豊かになっていますが、道徳的な面では色々な問題もあります。しかし、私はアメリカという国は素晴らしい国だと思います。何が素晴らしいというと、建国が素晴らしいと思います。一七七六年七月四日がアメリカの独立記念日ですが、独立するときにフィラデルフィアの議事堂に議員たちが集まり、独立すべきどうかを討議しました。そして、なかなか意見がまとまらないとき、ひとりの指導者に意見を求めました。彼は有名な人で、ベンジャミン・フランクリンと言いますが、彼はおもむろに立ち上がって一つの聖書の御言葉を読みました。それは詩篇一二七篇一節でした。

『主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。』

どのように家を建てようと思っても、神様の助けなしでは駄目だ。また、町を守るにも神様の守りがなくては駄目だということです。そして彼は、「私は随分長生きしましたが、長生きすればするほどすべての人間に関することは神様が取り計らっておられるという、動かすことのできない証拠を見ることができました。みこころでなければ、一羽の雀も地に落ちることはありません。まして、みこころがなければ国家が成立することはあり得ないのではないのでしょうか。私たちは聖書によって神様ご自身が家を建てられるのでなければ、家を建てようとしても無駄であることを教えられています。私は堅く信じています。同時にみこころでなければ、バベルの塔と同じように、この政治的建設事業も失敗すると信じます。」と語り、代議員たちがひざまずいて国を聖書の上に置いたと言います。アメリカの土台は聖書です。天地を造られた真の神が与えた聖書の上に国を建てました。だからアメリカは悪いところがあっても大統領が就任するときは必ず、聖書の上に手を置いて宣誓します。これは素晴らしいことです。日本は国旗に向かって宣誓します。しかし、天地万物を造られた神の前に宣誓し、とにかくアメリカの歴史は短いですが、あの国が建てられていることは神様が助けしかないと思います。
 あなたの人生で寄り頼むところは何ですか。テレビでも、映画俳優でもありません。あなたにとって絶対的により頼むところを持つべきです。聖書を読むことです。そしてイエス様が

『あなたがたは、心を騒がしてはなりません。神を信じ、また、わたしを信じなさい。』

と言われました。何でも良いのではなりません。真の神様を信じるべきです。
 つい最近ですが、箱根でリバイバル拡大聖会がありました。そこに二百名ほどの方が集まりましたが、とても恵まれた集会でした。来られている人の中に、かつて私が伝道して救われた方々が今では活躍されているのを見て、嬉しく思いました。田中政男先生、平岡修治先生・・・色々な方がおられます。また、そこに永尾敏夫先生が来られました。彼はパプア・ニューギニアに聖書翻訳に行かれた先生です。先生が嬉しそうに、「先生、私は先生の伝道で救われました。二十一年前、軽井沢の集会で先生のメッセージを聞いて決心しました。」と言われました。「どうして二十一年ってわかりますか。」と聞くと、その時に持っていた聖書を持って来られ、「軽井沢で○月○日、私は滝元明牧師の説教で信じた。」と書かれていました。彼はその時の話を具体的には覚えていないそうですが、ゾウリの話をしたことだけは覚えていると言われていました。その話は田中先生が三重県久居市に伝道に行ったときに、教会の近くのおじいさん、おばあさんがそこに集まっておられたそうです。それで、田中先生がおじいさんに、「ここの近くの神社には、何が奉られていますか。」と聞きました。するとおじいさんは笑い出して、「恥ずかしくて言えません。」と言いました。「おじいちゃん。神様が恥ずかしいわけがないでしょう。」と言いました。そして、「ちょっと、ご神体を言うのは恥ずかしい。」と言われました。
 昔、村の人が集まって神社を作る話をしたそうです。ある人が「明日の朝、川に行き、川上から最初に流れてきたものをご神体にしよう。」と言ったそうです。「それは良い」と、翌朝、村人は川にご神体を拾いに行きました。すると、神様が川上から流れてきたそうです。青年たちが拾いに行きましたが、なかなか拾いません。村の長老達が、「何をやっている。早く神様を拾え。」と言ったそうです。それはなんと、馬糞だったそうです。それがご神体になったそうです。それを聞いた隣村の人たちが、「良いことを聞いた。私たちもそうしよう。」ということで、神様を拾いに行ったそうです。そこには鼻緒の切れたゾウリが流れてきたので、それを拾ってご神体にしたそうです。
 私は軽井沢でこの話をしました。「日本人はバカらしいそのような神様を信じてはいけません。天地を造られた神を信じなければならない。」と語りました。その時、彼は学校の先生でしたが、「私も神様を信じよう」と決心して、彼は後に宣教師になったのです。
 関東大震災の時にひとりのおばあさんが一番大切なものを持ち出さなくてはならないと、仏壇の位牌を持ち出しました。安全なところまで来たときに、「ああ、良かった仏様を救うことができた。」と言ったそうです。そしてその時、おばあさんは、「仏様を救うことができて良かった。」と言いながら、「本当は地震や火事の時に救ってくださるのが神なのに・・・」と考えました。「私が救ったのはおかしい。」と思ったそうです。寄り頼んでいるものが木で作った仏壇の位牌や馬糞、ゾウリなど愚かなものではいけません。イエス様が言われた「神を信じなさい」ということは、神とは『はじめに、神は天と地を創造した。』とあるとおりです。素晴らしい神様です。
 私が今から三十何年か前に田中先生の伝道していた浦川での天幕集会で話をしました。大勢の人が来ていました。私が説教したときに、「天地を造られた方が神です。聖書は『はじめに、神は天と地を創造した』と書いています。その神を信じましょう。」と語り、「今日イエス様を信じたい人は手をあげてください。」と言うと、そこにいた男性が手をあげました。その方は國學院大学を出て、神官の一級の免許証を持っていました。彼は『はじめに、神は天と地を創造した』ということを聞いたときに「わかった」そうです。彼は勉強していますから、日本の神は天地が造られた後の神々だと言われています。しかし、神様は天地を造ったのが神。彼は、「こちらが本当の神様だ」と信じました。クリスチャンになってすべての偶像を捨てました。今日は皆さんが信じなくてはならない神は、「天地を造られた神」です。地球を何もないところに造り、この地球に人間を造り、六十億人くらいの人間を男女バランスよく造られ、すべての人にいのちと息を与えられた神様です。この大宇宙を造られた神様です。大きな神様です。アメリカの建国の時に語られた御言葉にあったように、「空の鳥一羽も忘れられていない」と言われています。神様は空の鳥一羽も、また、私たちの髪の毛一本も忘れられない方です。立つのも座るのも歩くのも、私たちの過去も未来も現在も知っておられます。大きいけれども全能で、すべてをご存じであられる真の神、天のお父様を信じるべきです。私たちが心の底から、心を騒がせずにこの神様を信じたら、幼子以上に平安を持つことができます。「神様、信じます。」と信仰を持ちましょう。
 時々、経済的なことを、特に今は不況なので、「これから食べて行けるだろうか。」と心配することがありますが、心配しなくても良いのです。「空の鳥を見なさい。空の鳥は種を蒔くことも、刈ることもしない、倉にも収める事もない。しかし、天の父は彼らを養っている。」神様は空の鳥をも養うことができるので信じたら、神様は必要を与えることができます。だから神様を信じてください。
 私は一九四九年二月二十日にイエス様を信じました。十九才の時です。イエス様を信じたら嬉しくなり、人生の目的を持って喜んで毎晩のように路傍伝道に行きました。イエス様に燃えていました。とても夢中になって伝道しました。それから、「冷や飯食べても良いからイエス様のために伝道する。貧乏してもイエス様のために伝道する。」という話を友だちにしました。すると友だちが私に「お前。最近、イエス様を信じて燃えているなあ。関心しているよ。素晴らしいと思うよ。」と誉めてくれました。その次に彼は、「だけど、おまえに、一つだけ注意しておく。お前は熱しやすく、冷めやすいから注意しなよ。」と言われました。その時私は、上から水をかけられたような気分になりました。しばらく私は悩みました。やはり私は熱しやすく冷めやすいところがあったので、罪から救われて喜んでいるけれど冷めるときが来るかと考えていると、

『あなたがたがは、心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』

という言葉が私の心に飛び込んできました。「私の感情や意志は熱しやすく冷めやすい。」これは、私自身です。「しかし、私が今信じたのは自分の感情でも意志でもなければ、力でも、知識でもない。神を信じたのだ。そうだ。私は神を信じたのだ。」と思いました。今こんなふうに酒もたばこからも解放され、きよらかになったのに、また失敗して悪いことをするようになるかも知れないと思ったときに、「わたしの正しい右の手があなたを支える。」と聖書に書いてあるから、「大丈夫だ」と思いました。あれから五十年が経ちますが、まだ燃えています。五十年間、来れたことは神を信じたからです。皆さんも信じてください。信じるとは頭の良し悪しは別です。頭が良くても単純に信じる人もいます。また頭が悪くても複雑に信じる人がいます。色々な人がいますが、神は「信じなさい」と言われていますので信じることです。
 私が新城に来てダンスホールを買って教会を始めたときに、岡本姉妹が救われて、おばあさんを連れて来られたときに、おばあちゃんが「先生。拝んでくれましょう。」「何を拝みますか。」と聞くと、彼女は病気の問屋のようで頭が痛い、目が痛い、腹が痛い・・・といつも言っており、毎日のように病院に通っていました。その時に彼女は盲腸が癒着して、便秘が続いていました。医者から「これは手術しないと直りません。」と言われたそうです。しかし、彼女は手術するのはいやだったので困っていると、「おばあちゃん。教会の神様は生きておられるので教会に行きましょう。」と誘われました。そして教会に来ました。その時私はおばあちゃんに話しました。「おばあちゃん。イエス様は罪が嫌いだから罪を悔い改めなさい。特に、偶像が嫌いなので偶像を拝んではいけません。今日から偶像を拝んではいけないよ。」と言いました。すると「はい。わかりました。」「イエス様だけを拝むのなら祈ってあげます。」と言いました。それから、家内と私と岡本姉とで手を置いて祈ってあげました。聖書に病める者に手を置けばいやされると書かれてあるから祈りました。「主イエス様。おばあちゃんの盲腸の癒着をいやしてください。お願いします。」と祈りました。祈っているときに聖霊の力を感じて、電流のようなものが通りました。祈りによって、盲腸の癒着がいやされて元気になりました。あの方はイエス様を信じました。「神を信じ、またわたしを信じなさい。」と書かれています。これはイエス様のことです。神であるイエス様を信じなさいということです。
 人間の不安は何でしょうか。最近私は人間が不安になるのは罪の結果だと思いました。ある婦人の方がふとした誘惑に負けて罪を犯しました。その途端、彼女に悪霊が入り、それが元でとても苦しんで病院に入れられ、私に電話をかけてきて、「先生。自殺したいです。」と言いました。私は「自殺してはいけません。生きなさい。子どももいるでしょう。私の集会にいらっしゃい。祈ってあげるから。」と言いました。そして彼女は来ました。祈ってあげました。「先生。大丈夫でしょうか。」「大丈夫。どのような罪でも赦されます。イエス様は十字架にかかって死んでくだっさったから、あなたの罪が赦されるので立ち上がって悔い改めて元気になりなさい。」と言ったら、つい最近彼女から電話が来ました。私の家内が受けました。「先生、祈ってもらってから、五日くらい経って私の中から何かがすっと出て行ってスカッと直りました。」と言っていました。完全に彼女はいやされました。心もいやされました。立ち上がりました。明日、退院だそうです。私はこれを聞いて嬉しく思いました。どのような罪でも赦されます。そして悪霊の力からも解放されることができます。なぜ赦されるかというと、「わたしを信じなさい。」ということは罪のない御子が、代わりに十字架にかかって死んでくださったからです。そして私の苦しみを十字架上で受けられ、さばきを受けて地獄に行かれ、地獄の刑罰を受けられて、人類の誰もが打ち破ることができなかった、死の力を打ち破られて、イエス様が三日目に死者の中からよみがえってくださったのです。イエス様を信じたら、どのような罪でも赦されます。人間の恐れていることは何でしょうか。癌でしょうか。癌にかかると恐ろしいと思うかも知れません。人間の恐れているものは死です。イエス様は、「あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神を信じ、また、わたしを信じなさい。わたしの家には住まいが多い。もしなかったらわたしは言ったでしょう。場所を備えたらわたしが迎えに来てあげます。」と言われました。死ぬことは恐ろしくありません。イエス様を信じたら天国に行くことができ、平安を持つことができます。今日まだ天国に行く確信のない人は、イエス様を信じてください。天国に行くことができます。これから核戦争が起きても、大地震が起きて死ぬようなことがあっても天国です。喜びがあります。いつ何時何があっても大丈夫です。イエス様があったら恐ろしいことはありません。世界で最も強い方はイエス様です。この方と一緒にいたら最高の喜びです。
 イエス様を信じて最高の奇蹟は、神が皆さんの心の中に住んでくださることです。新しく生まれ変わるのです。天地を造られた神様、死人の中からよみがえられた神の霊が信じた人の心の中に宿られてこれからの人生を一緒に歩いてあげる。どのように弱くても強い神様がおられたら心配はありません。主が共におられます。今、問題があっても神様は助け出してくださる方であることを信じましょう。今不安がある方があったら今日この日にイエス様を信じて決断してください。「私の神としてイエス様を信じます。」ゾウリや馬糞ではなく、生ける神様を信じて天国に行く準備をしていただくように心からお勧めします。一言お祈りします。

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