今週の礼拝メッセージ
今週の礼拝メッセージ
イスラエルからの油注ぎ   1999.3.7(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 イザヤ書33章20節〜24節
私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。そこには多くの川があり、広々とした川がある。櫓をこぐ船もそこを通わず、大船もそこを通らない。まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、足なえさえも獲物をかすめ奪う。そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。

 ハレルヤ!皆さんのお祈りに支えられて、先週はイスラエルを旅行することでき感謝します。先週の日曜日はエルサレムで礼拝を守りましたが、こちらからのホットライン祈祷会で結んで祈ってくださり、四十五分間の短い礼拝でしたが、主の臨在が強く現された礼拝となり、とりなしの祈りの力強さをもう一度知ることができました。イスラエルには、この教会そして全国から、約百名の方々が参加され素晴らしいツアーでした。その中でいただいた恵みを今日は旅行記とあわせて語らせていただきたいと思います。
 イスラエルまでは成田からロンドン経由で二十四時間くらいかかります。ロンドンまで十二時間、そこで六時間待ち合わせがあり、また五時間飛行機に乗るという長旅でした。イスラエルに行くと、いつも読んでいる聖書がより立体的でわかりやすくなります。まだイスラエルに行かれたことのない方は行かれると良いと思います。聖書中の地名も実際の場所として見ることができます。今日読んだ御言葉にイザヤ書三十三章二十節に、

『私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。』

と書かれています。私たちの信じている主は、人類の中に働きを始められましたが、その原点はイスラエルにあります。全人類を救うために神が人類に介入されました。その場所がイスラエルです。「その鉄のくいはとこしえに抜かれず、その綱は一つも切られない。」と書かれていますが、イエス様が十字架で死んでくださり、永遠のいのちを人類に与えてくださいましたが、その契約は決してとこしえに変わることがありません。そのようなわけですべての源流がイスラエルにあると言っても良いと思います。今回私もイスラエルの旅行に祈りをもって行きましたが、イスラエルでしか味わうことができない恵み、また、そこから持ち帰らなくてはならない恵みと油注ぎがあることを教えていただきました。今日はそのような意味において、イエス様が始められた原点から学んでいきたいと思います。
 イスラエルはちょうど四国とほぼ同じ面積の小さな国です。しかし、全世界の注目の場所です。つい最近、イスラエルのネタニアフ首相とアラファト議長との話し合いの中で、アメリカ大統領のクリントンが証人となりました。あのような小さな国のためになぜ、アメリカのような大国が動くのかと思います。
 さて、飛行機が到着する空港があるのがテルアビブという所です。「テル」という言葉は「丘」という意味ですが、到着後私たちは死海に行きました。死海は海面下四百メートルの湖です。地中海のレベルから四百メートル程下がった世界で一番低い湖ですが、死海のほとりにクムランという場所があります。この場所は紀元前に記された聖書が発見された所です。旧約聖書は、イエス様誕生の預言や十字架の預言が満ちています。イザヤ書五十三章には、イエス様の十字架の場面が克明に記されています。しかし、紀元前の聖書がなかったら後に書き加えてたと言われても何も云えません。しかし、紀元前の聖書が出てきたら、聖書の権威が飛躍的にあがります。近年まで紀元前の権威ある写本がありませんでしたが、一九四七年にクムランで紀元前の聖書が見つかりました。紀元前三世紀頃の古い聖書の巻物がごっそりと出て来ました。それは世界をびっくりさせる大きな事件でした。聖書に書かれていることが全て事実であるという、聖書の権威が飛躍的に高まりました。イザヤ書三十四章十六節に、

『主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊がこれらを集めたからである。』

と書かれています。聖書の発見は偶然のように思うかも知れませんが、「主の御霊」がこれらを集めたというのです。クムランで御言葉が発見されたのは、ここに「御言葉発見の油注ぎ」が注がれたということです。私たちもクムランで、御言葉発見の油注ぎを受け取れるように御霊に感じて祈りました。「主よ。どうか私たちに御言葉発見の油注ぎを与えてください。」と祈りました。御言葉はある意味で、戦いの剣であると教えています。私たちは聖書の中から、時に応じた剣を引き抜かなくてはなりません。料理人が食材にあわせて包丁を選ぶように、神様は私たちに御言葉を与えて、必要な剣を抜かせてくださるのです。その時に必要な油注ぎは、「御言葉発見の油注ぎ」です。あのクムランで私はそれを祈ってきました。皆さんにお土産をあげたいのです。物をあげることができませんが、今日はその油注ぎを持ってきましたので皆さんにそれを渡したいと思います。
 死海のほとりはとても美しいところで、リゾート地です。最初の晩は死海のほとりに泊まりました。そして翌日は、北方のガリラヤ湖まで移動しました。その途中にイエス様が幼少時代を過ごされたナザレの村があります。この村は少し高い山の上にあります。ガリラヤ湖も地中海のレベルよりもマイナス二百メートルです。死海はマイナス四百メートルです。ですから死海やガリラヤ湖は結構温かいところです。マイナス四百メートルの死海は一面砂漠になっていますが、ガリラヤ湖付近は、緑の美しいきれいなところです。その近くにナザレという村があります。ナザレという村は、マリヤが受胎告知を受けた場所でもあります。マリヤのところに天使が現れて、「あなたは結婚していないけれど子どもを宿すでしょう。それが救い主となります。」と受胎告知を受けた村です。その通りにイエス様が生まれました。そしてイエス様は幼少時代をマリヤとヨセフとともに、ナザレで過ごされました。イエス様は大工をされていました。今でもナザレに行くとイエス様が幼少時代に住んでいたと言われる家が残っています。家が残っているといっても木の家ではなく、岩の洞穴のようなところです。その記念の教会も建っています。私はその記念教会に入ってあまり良い気持ちがしませんでした。偶像がたくさんあり、あまり良いところではありませんでした。
 ルカの福音書四章にイエス様がナザレに帰られたことが書かれています。四章十六節から、

『それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』

イザヤ書六十一章には一つの預言がありました。「主の御霊が捕らわれ人を解放する」という預言でした。その預言が実現したのが、ナザレの村でした。イエス様が安息日に会堂に立たれ、「今日イザヤ書六十一章がこの場で実現されました。」と宣言されました。ということは、このナザレの村に注がれた油注ぎは、「福音」という油注ぎであり、それには「解放」という意味があります。捕らわれ人が解放されるという、福音の油注ぎがここに現わされたのです。そして、ナザレで実現した福音が全世界に広がっていったのですが、もう一度その油注ぎの原点で、「もう一度私たちを満たしてください。」と祈りました。
 ナザレの村を後にして、その晩、ガリラヤ湖畔の宿に泊まりました。ガリラヤ湖も大変きれいな所で、湖を船で遊覧し、大変楽しい時を過ごしました。イエス様はその湖を何度も渡られ、ご自分の足で水の上を歩かれたという奇蹟もありました。イエス様が確かにこの場所におられたという感動の旅をさせていただきました。
 そのような中で、ガリラヤ湖畔のカペナウムという町に行きました。そこはかつてイエス様の時代には大変栄えていた町でした。そしてイエス様の宣教の中心はカペナウムでした。そこにはイエス様が来られたであろうという、会堂が今でも残っています。また、会堂に隣接して一軒の家の土台が残っています。それはペテロの家です。なぜ、それがペテロの家だと特定されたかというと、昔の人達は偉大な人物の家を記念しその上に教会堂を作って保存しました。イスラエルは石の文化で、家や会堂が壊れても石が残ります。そんなわけで重要な場所には土台の上に土台が重なるようになります。だから、土台が幾重にも重なっている場所は何らかの意味がある場所です。そこで発掘調査をすると、ペテロの家でした。そこでイエス様がなされた事柄を思い出しました。マタイの福音書八章に、ペテロの家にイエス様が来られたことが書かれています。八章十四節に、『それからイエスはペテロの家に来られた。』と書かれています。
 ペテロの家にイエス様が来られたとき、ペテロの姑が熱で苦しんでいました。すると、イエス様がペテロの家に入ってその熱で苦しんでいる姑に手を置いていやされたのです。その噂がカペナウム中に広がりました。夕方になると人々は悪霊につかれた人々をペテロの姑の家に連れて来ました。するとイエス様は、すべての悪霊を追い出し、すべての病をいやされたのです。ということは、ペテロの家は、「いやしの油注ぎ」の原点です。そこから始まって主のいやしの業が、全世界に広がったのです。その場所において「この場所でかつて悪霊が追い出され、すべての病がいやされたように、日本にも行ってください。そして、ここに注がれた油注ぎを私たちも与えてください。」と祈りました。素晴らしい祈りの時となりました。今日、私はそれを受けたと信じて帰ってきました。今日はその、いやしの油注ぎを持って帰ってきたと信じていますので、皆さんもいやしと解放の油注ぎを受けていただきたいと思います。
 今イスラエルは春で、花が咲き始めた頃です。今回は非常に天候が良く、気持ちの良い旅でした。三日目は地中海沿岸に出て、テルアビブを経由し、エルサレムに上りました。途中、カイザリヤという場所に立ち寄りました。そこは地中海性気候の美しい所で、かつてヘロデ大王が時の皇帝カイザルにちなんで町の名前を「カイザリヤ」とつけ、非常に栄えた町です。今は廃虚となっていますが、その町に十分な水がなかったので何十キロも先から導水橋により、水を引いて来ました。その水道橋が今でも残っています。当時の人々はすごい技術を持っていました。そこには半円形の劇場があります。それは地中海に面して建っています。風が地中海側から吹き、ステージが海側にありますので、歌手がマイクを使わなくても声が会衆に届くよう設計されていて、今でもその劇場を使ってコンサートが開催されているそうです。
 カイザリヤで主がなされた事として、使徒の働き十章一節に、

『さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。』

と書かれています。そのカイザリヤは当時、ローマ軍の駐屯地でした。そこにコルネリオという人物がいました。彼はユダヤ人ではなく、異邦人でしたが、イスラエルに滞在している間に彼は主を信じ敬虔に主に祈りをささげていました。その時に不思議なことが起こりました。主の使いが現れて、「あなたは今からヨッパに行き、そこに泊まっているペテロという人物を招きなさい。」と言われました。早速カイザリヤから使者をヨッパに遣わしました。ヨッパは、カイザリヤの南五十キロくらいのところにありますが、御使いの言ったとおり皮なめしシモンという人の家にペテロが泊まっていました。その時、ペテロ側も準備されていました。そしてペテロはカイザリヤに来ました。ペテロはそれまで偏見を持っており、神の救いはユダヤ人の特権だと思っていました。しかし、ペテロがコルネリオの家でメッセージしたとき、使徒の働き十章四十四節に、

『ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。』

と書かれています。何と、人々が御言葉を聞いているだけで皆に聖霊が下りました。ペテロは驚きました。聖霊を受ける特権はユダヤ人だと思っていましたが、異邦人にも聖霊が注がれたということで、彼は主をほめたたえました。
 ということは、カイザリヤは神が異邦人に最初に聖霊を注がれたところです。ある意味で、私たちはユダヤ人から見たら異邦人です。しかし、そこに聖霊を注がれたのです。異邦人に聖霊が注がれたということは、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあるように、世界宣教を主が始められたところです。
 カイザリヤは港町です。そこから弟子たちは世界に向かって旅立って行きました。同様に私たち主が始められた異邦人に対する油注ぎ、「世界宣教に対する油注ぎ」を受けるよう祈らされました。「ここで主が始められた油注ぎを受けさせてください。」この教会からも将来、世界中に宣教師が送られるように祈るべきです。そのためには聖霊の油注ぎが必要です。聖霊様が働いてくださらなかったら、そのようなことは起こりません。今日はカイザリヤに始め注がれた世界宣教の油の注ぎを受けますように。そして、世界中に福音を伝える教会になりますよう願っています。
 カイザリヤを後にして、夕刻、エルサレムに着きました。エルサレムは標高七百メートルで、死海はマイナス四百メートルです。五十キロくらいの距離で千百メートルほどの高低差があります。エルサレムは少し寒いです。しかし、今回は天気が良かったので、あまり寒さを感じませんでした。いよいよエルサレムに入城ということで、賛美しながらエルサレムに登りました。エルサレムは二千年前の城壁が残っていたり、古い町で特別に政府が力入れて保存している町です。家もエルサレムストーンという昔からの石を使わなくては建てられません。アイボリー系の色で統一されています。その中に色々な民族がひしめき合っている、興味深い町です。そこを三日間かけてイエス様の足跡をたどりました。イエス様がエルサレムにおられたのは、今から二千年も前のことなので、現実に当時の状況を引き戻すのはとても難しいことです。ここがその場所と言われても疑ってしまうような場所も多くあります。なぜならば、エルサレムは今までの歴史の中で、何度も軍隊によって滅ぼされて、石が全部崩れそれを取り除くことはできないので、その上にまた町を建設したため現在は昔よりも相当高くなっています。ですから、イエス様が十字架を担いで歩まれたヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は実際とはかけ離れています。イエス様が歩かれた当時の道は、今の道路の何十メートルも下です。発掘しないと出てきません。その一部は出てきますが、何となく実感がありません。そのような中で、「確かにこの場所にイエス様が来られた」とわかるところはあまり多くはありません。しかしそんな中で確かな一つが、「ベテスダの池」です。なぜなら、エルサレムに水源は多くはなく、池は多くありませんでした。それが発掘されました。それは二十メートルから二十五メートル位下です。
 このベテスダの池にイエス様が来られた記事があります。これはヨハネの福音書の五章に書かれています。一節からに、

『その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。』

 イエス様がベテスダの池に行かれました。そこは病人が大勢集まっている場所でした。なぜならば、ベテスダの池には古い言い伝えがありました。池の水が動いたときは天使がおりてきていて、水をかき回しているところだから、最初に池に飛び込んだ人の病気が直る、という言い伝えがありました。だから、病人たちが全国から集まって、そこに伏せていました。実際に飛び込んだ人の病気がいやされたかどうかは定かではありませんが、何しろ、水が動くのを待って病人たちが伏していました。何とそこに、三十八年間病で伏している人がいました。ベテスダの池の主のような人でした。長い間、水が動くのを待っていたけれど、入ることもできなかった人でした。そこにイエス様が来られました。そして、三十八年間病で苦しんでいる人のところに行き、質問しました。「良くなりたいか。」と聞きました。この質問には、「良くなりたいに決まっているよ。」と答えるはずです。しかし、三十八年も苦しんでいると体だけではなく、心も歪んでくるようです。この病人の答えは、イエス様の質問にまともに答えていません。

  『病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」』

と答えました。
 「良くなりたいですか。」という質問に対しては、「良くなりたいです。」と答えれば良いのです。「主よ」と呼びかけていますので、彼はイエス様がどのような人であるのかわかっていたはずです。しかし、彼は理屈を言っていました。しかし、イエス様は、そんな心が歪んでしまった病人に対しても、「なぜそんなことを言うのだ」とは言わず、「起きて、歩きなさい。」と言われました。彼がいやされることに目を留められました。そしてイエス様は八節に、

『「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」』

と言われました。すると三十八年間動けなかった人が、いやされ起きあがったのです。すごい奇跡が起こりました。これはベテスダの池の人々に対する大きな祝福でした。「あのように池の主のような人がいやされた。これは私たちもいやされる可能性がある。」しかし、その時に人々の反応は、今お読みした聖書の最後にあるように、

『ところが、その日は安息日であった。』

と書かれています。
 日曜日はある意味で安息日です。しかし、私たちの安息日の概念と、ユダヤ人の安息日の概念とは全く別のものです。安息日とは、神様が天地宇宙を六日間で造られ、七日目に休まれた。だから、あなたがたも休みなさいと聖書に書かれています。神が休まれたから、休みなさいと言われました。しかし、安息日は、人間のためのものでした。なぜならば、神様は六日間働いたからと言って疲れを覚えられる方ではありません。神様はフルパワーで一年働いても二年働いても何の疲れも覚えない方です。私たちもそんな力が欲しいと思いますが、六日間働いて七日間休まれたのは、「人のため」だったのです。私たちにも休みが必要です。人間のためを思って神が与えた一つの制度が、やがては歪められ、律法化されてしまいました。これは神の命令だから休まなくてはいけないとなりました。
 ユダヤ人の安息日に対する規定は厳しいものがあります。何の労働もしてはいけないのです。何と驚くことに、ホテルで自分の部屋に戻るためにエレベーターのスイッチを押すのも労働になるのです。だから、安息日になるとホテルも大変です。エレベーターが自動運転し始めます。扉がしばらくすると開き、しばらくすると閉まります。そして各階止まりです。私が泊まっていたのは二十一階です。各階止まりでは三十分位かかり、往復で一時間位かかってしまいます。そのエレベーターに乗ってしまったら大変なことになってしまいます。私たちのためには異邦人用のエレベーターがあり、そちらに乗らなくてはなりません。知らずに乗ってしまった人もいました。ユダヤ人は何の仕事もしないのです。仕事をすると罪を犯すことになります。本当は人間のために与えられたのが、意味を取り違えてしまっているのです。
 イエス様がベテスダの池でいやしをされたときにも、同じことが起こりました。イエス様が三十八年間苦しんでいる人をいやされたら、人々は、「良かったね。」と言いませんでした。「イエス様、今日は何の日だと思いますか。今日は安息日です。働いてはいけないのですよ。今日あなたは働かれ、病の人を立ち上がらせました。これはまずい。」と言いました。
 三十八年間、病で苦しんでいる人の身になってみてください。いやされることをどんなに願っていたと思いますか。それがいやされたのですから、喜んでもいいはずですが、「安息日を破った」とイエス様を責め立てたというのです。しかし、イエス様は「安息日は人のためのもの」、また、「安息日の主はわたしだ」と言われました。
 ユダヤ人を見ると、「何ということか」と思います。しかし、私たちにもそのような体質があります。時々、どうしても必要なニーズよりも律法的なものが優先してしまうときがあります。「この人は病です。いやしのために祈ってあげてください。」と言うときに、「私たちの教会では、いやしとかしるしは二千年前に終わってしまったと勉強しました。だから、もう病人のために祈ることはできません。」と言う人がいます。「私が勉強した神学によると、聖書の理解はこうあるべきです。だから、このようなことはしません。」病人はどんなに苦しんでいるでしょうか。自分の律法を貫くよりも、祈ってあげる方が大切な事です。イエス様はその律法を越えられた方です。真に必要なことを人に提供された愛の方です。
 ベテスダの池では、「律法によって縛られている人を解き放つ油の注ぎ」が注がれたということです。私たちの中にも律法的なことがあったら、解き放たれるように祈りましょう。
 イエス様は人々があまり行きたくないところに行かれました。イエス様はある時、ゲラサという地方に行きました。しかし、人々はゲラサには行きたくありませんでした。なぜならば、そこには悪霊につかれた人がいたからです。あんな所に行ったら、恐ろしい悪霊つきの男に出会って殺されてしまうかも知れない。「ゲラサだけには近づくな」と言われていたことでしょう。しかし、イエス様は、そこに行き、悪霊につかれていた男を解放されました。すると、ひとりの男が解放されたことにより、その地方一帯、デカポリス地方の人たちが皆イエス様を信じました。
 教会に、ゲラサ男やゲラサ女風の人が来たらどうでしょうか。「なるべく、悪霊につかれた人は来て欲しくない。あまり関わりたくない。」と考えます。私たちの経験や、律法的な思いの中ではそのような人々を拒否してしまうことがあります。しかし、これは正しい態度ではありません。ある意味で悪霊に束縛されているということは、その人が重要な人だから束縛しているのです。その人が解放されるときに、一帯の人々が福音を知る機会になります。これから、教会ににリバイバルの中で、ゲラサの男、ゲラサの女が集められなくてはなりません。問題を持った人々が来なければなりません。その人たちがいやされて、解放されるときに、リバイバルが進みます。「私たちの中にある律法的な束縛を、主よ、どうか油の注ぎによって破ってください。」とそこで祈りました。
 私達の教会が、すべての人を受け入れることができるように祈りましょう。また、皆さん自身にとっても、「あの人はどうしても受け入れることができない、あの人には、どうしても近づきたくない。」というような、閉ざされた心があったら、ベテスダの池の油の注ぎをいただき、解放されて自由になっていただきたいと願います。
 最後の日、エルサレム郊外にあるベタニアという村に行きました。そこは、イエス様が大変好まれ、よく泊まられた所です。そこにはマリヤとマルタの家がありました。そこでイエス様は一つの奇跡を行われました。それは、ラザロという人をよみがえらせました。
 ベタニアに行くと、今でも「ラザロの墓」がありました。そこには記念の会堂もあります。私たちが入ったとき、ラザロの墓は満員だったので、会堂の方で賛美をしました。すると聖霊が注がれて、皆が喜び踊り出し、大賛美大会になりました。なぜ、こんなに恵まれるのだろうかと思いました。その時、ここには、「よみがえりの油注ぎ」があると気がつきました。イエス様はラザロをよみがえらされました。これはイエス様がやがてよみがえるという一つの預言的な行為でした。イエス様がラザロをよみがえらせたこと、これは聖霊によることでした。よみがえりの油注ぎです。私たちもラザロが受けた、また、イエス様が持っておられた、よみがえりの油注ぎを受けなければなりません。今日ここにおられる方で、イエス様をまだ信じておられない方は、よみがえりの油注ぎを受けてください。これを受けないで死んだら終わりです。しかし、イエス・キリストを信じて、よみがえりの油注ぎを受けたら、死んでもまた生きることができます。永遠に生きることができます。また、今朝、ラザロと同じように墓の中に閉じ込められている人がおられるかも知れません。イエス様は墓の前に立って、「ラザロよ。出てきなさい。」と言われました。その時、ラザロは包帯に巻かれたまま、階段を上がり、墓から出てきました。今、閉じ込められている方はよみがえりの油注ぎによって墓が開きますように。包帯で巻かれている人は、それが解かれるますように。これはよみがえりの油注ぎのゆえです。
 今日、幾つかの油の注ぎという視点で、主がエルサレムにおいて、またイスラエル全土で行われた業の一部を学びました。ここにおられるすべての方が、その油注ぎを受け取ることができるようにお祈りしたいと思います。
 もう一度復習しますと、クムランでの「御言葉発見の油注ぎ」、ナザレでの「福音を宣べ伝える・解放の油注ぎ」、カペナウムでは「いやしの油注ぎ」、カイザリヤでは「世界宣教の油の注ぎ」、エルサレムでは「律法的な束縛から解放される油の注ぎ」、ベタニアからは「よみがえりの油注ぎ」について学びました。イスラエルでその油注ぎをおみやげとして皆さんのために持ち帰れるように祈ってきました。今日それがすべてわけ与えられますように。それが実現されますように。皆さんとともに祈りたいと思います。

バックナンバー
戻る
戻る