今週の礼拝メッセージ
からし種の信仰   1999.4.18(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 マタイの福音書 17章20節〜21節
イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」

 ハレルヤ!今朝、皆さんとともに御言葉を学びます。それは、「からし種の信仰」というテーマでお話しします。今日読んだ御言葉に、イエス様が弟子たちとともに山に上られたことが書かれています。山から帰ってくると、一般の民衆と弟子たちの間に問題が起こりました。それは、ひとり子どもがてんかんで、「何とかして直していただきたい」とある人が弟子のところに来ました。「悪霊を追い出してください」とお願いしたときに、弟子たちがいくらやっても悪霊は出ませんでした。そこで彼らは非常に困りました。するとイエス様がやって来られたので、弟子たちがイエス様に話すと、イエス様は簡単に悪霊を追い出されました。弟子たちはイエス様に一つの質問をしました。「先生、なぜ私たちは悪霊を追い出すことができなかったのでしょうか。」

『イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」』

 素晴らしい御言葉です。今日はこの御言葉を自分のものとして受け取ってください。「どんなことでもあなたがたにできないことはありません。からし種ほどの信仰があったら・・・」と語られました。
 「からし種」とはどのようなものでしょうか。今年二月にイスラエルに行くと、ガイドさんが菜の花のようなものを持ってきて、「これがからし種です。」と言いました。私が考えていたイメージとは違いました。それが正しいかわかりませんが、小さな種を植えると大きくなり、すべてのものが大きくなり、小鳥たちが休むことができるほどに大きくなるとイエス様が言われました。
 今朝、からし種ほどの信仰があったら、山に向かって海に入れと言ったらそのようになるし、できないことは何一つないのです。また、聖書を見るとルカの福音書十七章三節から六節に、

『気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」』

 このようにイエス様が言われたときに、弟子たちは、「私たちに信仰を与えてください。」と言いました。七回罪を赦すということは、徹底的に赦すことです。他の箇所には七度を七十倍するまで赦しなさい、と書かれています。弟子たちは「自分たちはできない」と思い、イエス様に信仰を与えてくださいと願ったとき、

『もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。』

と言われました。
 「山に向かって海に入れと言ったら海に入る。」「桑の木に向かって根こそぎ海の中に植われと言ったらそのようになる。」とイエス様が言われました。これは、からし種ほどの信仰があったら、心の中の憎しみが抜かれるということです。ですから、からし種ほどの小さな信仰を持ちましょう。それによって素晴らしい祝福を受けることができます。イエス様が神の国について、

『それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。』

 イエス様が人類の罪のために十字架にかかられ、三日目によみがえり、弟子たちに言われたことは、

『全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。』

 イエス様の弟子たちは、ペテロもヨハネも無学のただ人であったと書かれています。大部分が漁師でした。そのような人々に向かって、「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と言われました。何もできない無学の人に、そのようなことを言われたら、そんなことができるだろうかと考えます。しかし、二千年が経った現在、全世界の三分の一がクリスチャンになっています。これは弟子ではなく、「神の国のいのち」です。いのちが入ったら、素晴らしいことが成されます。からし種の中にいのちがあるように、私たちの小さな信仰の中にいのちがあり、素晴らしいことができると聖書は教えています。
 聖書の始まりの創世記一章一節に、

『はじめに、神が天と地を創造した。』

と書かれています。
 ある人は、「聖書は信じられない」と言います。処女マリヤを通してイエス様が誕生し、最後には十字架につけられて三日目によみがえられたことなど信じられないと言われる方がいます。それは、聖書の最初が信じられないから、信じられないのです。「はじめに、神が天と地を創造した。」これを信じたら全て信じられます。神にとってはできないことは何一つない、と書かれていますので、はじめに神が天と地を創造された創造主であれば、全部信じられます。最初の一つが信じられたら、全部信じられます。
 数字はどこの国に行っても一から始まります。この一がなかったら他はありません。ですから、小さいところから信仰を持つのです。神は何でもできる。できないことはない。信じたら何でもできると書かれています。
 聖書中、神に用いられた人々はからし種ほどの信仰を持っていたと思います。旧約聖書に、アブラハムについて書かれています。新約聖書には『アブハハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図』と書かれていますが、創世記十二章一節から三節を通して、

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」』

 当時アブラハムはアブラムと言われていました。ウルという地で神様がアブラムに現れ、「わたしの示すところに行きなさい」と言われ、聖書には「アブラハムは行くところ知らずに出て行った」と書かれています。彼は神を信じて「はい。行きます」と言って出て行きました。神様は、「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と言われたことばをそのまま受け入れて神様の前に出ました。また創世記十五章一節から七節に、

『「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」』

と言われました。その時、「神様、私には子どもがいません。奴隷のエリエゼルが後継ぎになるのですか。」と質問すると、神様が「そのものではなく、あなたの身から生まれる人が後継ぎになる」と言われました。その時彼は九十才くらいでした。そして神様は彼を外に連れ出し、「天を見て星を数えなさい。あなたの子孫は海辺の砂のようになり、星のようになる。」と言われました。彼は星を見て、「この星を造られた神にとって不可能なことはない」という、信仰を持ったと思います。星の数を知っている人はいないと思いますが、今の科学者たちは「千億×十億×一億」個ほどあると言います。とにかくたくさんです。アブラハムは星を見て、「神様は生きておられる、神にとって不可能なことはない」と信じました。種ほどの信仰、大きなことでなくても良いので信じるべきです。アブラハムは、無から有を呼び出すことができる神を信じたと書かれています。無から有に出来るのは、神しかありません。神にとってできないことは何もないということを彼は信じました。だから神様も彼を信じました。そして、神様は彼を祝福されました。
 神様の祝福とは、頭が良いとか悪いは関係ありません。小さな信仰を持つことです。一日七度悔い改めたら赦してあげなさいと言われたときに、弟子たちは信仰を与えてくださいと言い、イエス様はからし種の信仰があったらできると言われました。
 子どもたちはよく喧嘩をします。喧嘩に負けて泣いてもすぐに仲良くなります。何度喧嘩しても憎しみになりません。しかし大人はそうではありません。「傷ついた。」と言います。自分も人を傷つけながら、人から少し何かを言われても傷つきます。「あんなことを言われたから、教会に行きたくない」とか、「あんなことは許せない」とか、人間は大人になればなるほど複雑です。小さい方が祝福されます。だから私も小さな信仰を持つことが大切だと思います。
 旧約聖書の中にダビデという人物がおりますが、彼は王様になりました。彼は羊飼いの中から、神に選び出されました。彼は羊飼いをしながら心の底から神を信じていました。彼は竪琴を弾いて神を賛美していました。
 ある時、ゴリアテという背が三メートルほどある人がイスラエルに来て、「おれよりも強い者は出て来い。おれが勝ったらお前たちはおれの奴隷になれ。お前たちが勝ったら、おれたちが奴隷になる」と叫びました。イスラエル人たちはあまりに彼が強くてガタガタ震えていました。そこにダビデが来て、「何ですか、あの男は。」と言うと、「彼は何度も名乗り出て来て、私たちに戦いを挑んでいる。」と言いました。するとダビデは、「彼は割礼を受けていないでしょう。神を信じていない偶像を信じているあの男が、偉そうなことを言っても私たちに勝てるわけがない。」と言いました。すると、兵隊たちは彼に、「何を言っているのか。」と言いました。しかし少年ダビデは自ら、ゴリアテの前に出て行きました。少年の中にあったのは大人のような複雑な信仰ではなく、単純な信仰でした。彼はサウル王のところに連れて行かれ、「王様。この少年があの大男ゴリアテを倒すと言っています。」と言うとサウルは、「お前みたいな者では駄目だ。向こうは勇士でお前は少年だ。」と言いました。すると、彼は、「王様、私は羊飼いをしています。羊飼いをしているときにライオンが来たり、熊が出てきても私は羊を守り、ライオンや熊をけちらしてしまいます。だから私を熊の口や獅子の口から救った神様は生きているので、あんな奴は大したことはない。」と言いました。彼の中にはからし種の信仰がありました。しかし大人にはありませんでした。大人は常識だけです。しかし、彼は、「神様は私を獅子の口から救い出したので、神は今度も必ず勝たせてくださる。」と言いました。そこで彼はゴリアテを倒すために、五つの石と石投げを持って出て行きました。彼は石投げを振り回して、石をゴリアテの眉間に当てて倒しました。彼には信仰がありました。神は生きているという信仰でした。今朝神が生きておられることを信じますか。「アーメン!」神は天地を造られたことを信じますか。「アーメン!」イエス様は死人の中からよみがえられたことを信じましょう。信じたら不可能なことはありません。ですから、信仰を持ちましょう。
 弟子たちはからし種ほどの信仰を持ちました。「上から力が着せられるまでエルサレムから離れてはならない。」彼らが真剣に祈ったときに力が下り、聖霊が彼らの上に下ったときに、神が私と一緒におられるという信仰を持ちました。今日聖霊さまがおられます。そうであったら、同じように信じれば良いのです。
 ペテロとヨヘネは生まれながらの足なえを見て、

『「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」』

と言いました。彼が持っていたのは、からし種ほどの信仰でした。十二年間長血を煩っていた女性が、何を考えていたかというと大したことはありませでした。それは、医者に行っても直ることがなく悩んでいたらイエス様のうわさを聞きました。長血を煩っていた女性は恥ずかしかったと思います。「イエス様のみ衣の房に少しでも触れば直る」と思っていたのです。そこで群衆をかき分けて入って行き、イエス様のみ衣にさわりました。からし種の信仰です。癒されました。イエス様は力が出て行ったことに気がつき、「だれがさわったか」と言いました。「先生、こんなに大勢いるのにだれがさわったかと言わないでください」と言いました。するとイエス様は、「いや誰かが触った。わたしから力が出ていくのがわかった」と言いました。だから、信仰を持ったら良いと思います。
 先週、礼拝とゴスペルサパーがとても祝福されました。ゲストは鈴木留蔵さんでしたが、あの方は聖書をまともに信じています。大きなことではなく、小さなことを信じておられます。「十分の一をささげたら必ず祝福される」と信じ、彼は十分の一をささげています。私が正直に思うことは、ケチケチする人は祝福されないということです。十分の一をささげない人は祝福されません。しかし、あの人は、「神様。私は高額納税者になることができるようにしてください。」と祈ったそうです。山形県で、彼は最高の高額納税者になりました。
 一万円の中から千円をささげることはあまり難しいことではありません。十万円入ったら一万円です。百万円入ったら十万円です。これは少し難しいかと思います。一千万では百万です。神様のものは神様のものです。
 鈴木留蔵さんは八十九才です。ある方は私に、「留蔵さんの髪の毛は真っ黒ですが、染めていますか。」と聞かれましたので、私も彼に聞きました。すると、彼は、「先生、染めていません。染めていたら赤くなります。」と言われました。月曜日に鈴木さんを豊橋までお送りしましたが、最後に彼は「イエス様が間もなく帰ってこられます。先生、来年東京でリバイバルミッションが四十日行われるときに、また協力させていただきます。」と言われました。「リバイバル聖書神学校を建てるときにも言ってください。」と言われました。彼は喜んで言われました。彼は宝を天に積むことを信じています。からし種ほどの信仰があるのです。聖書には大きなことではないけれど、マタイの十章四十一節から四十二節に、

『預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。』

と書かれています。助ける人には必ず報いがあると聖書は語っています。宣教師、伝道者のために助けたら祝福されるのです。
 「スーパーミッショ2000東京」というタイトルが決まり、来年行われます。大阪では、「スーパーミッション2000大阪」というタイトルが決まりました。東京では、七月の夏休みから四十日間行おうとしています。岡本信弘先生たちが、一生懸命に会場探しをされて、可能性が見えてきました。四十日行うのに会場費だけでも五千万円以上かかります。またその他にも、たくさんお金がかかると思います。しかし、日本を救うために神様は財産を持っておられ、必要を与えることができます。難しいことではありません。
 時々私は、日本を救うために日本人が一円ずつささげたら良いと思います。日本中がささげたら、一億三千万円になります。
 先日、私はダイアモンドについてのテレビを見ていました。世界で一番高いダイアモンドは、一つが五十八億円でした。これが最高だそうです。「一つのダイアモンドを与えてください。そうすれば、日本を救うことができます。」と祈ります。たくさんではなく、一つで良いのです。ダイアモンドを創られた神様は、天地宇宙を造られましたので難しいことはありません。
今日まで、新城教会が祝福されてきたことは、信仰を持ったことです。それ以外にありません。優秀だとか頭が良いということではなく、イエス様を信じたことにより祝福されました。今日、病気の方はここに主がおられます。聖書の中に二、三人わたしの名によって集まるところにわたしもその中にいる。と書かれていますので信じましょう。信じてみ衣に触ってください。今日からし種一つの信仰だけで癒されるのであれば、信じます。これだけです。難しいことではありません。初めに神は天と地を創造した。この神様だったら祈りを聞いてくださいます。今日大きな問題があるかも知れませんが、あなたの問題と神様とでは神様の方が大きいのです。あなたの問題は小さいです。偉大なる神様に期待して神を信じましょう。一言お祈りします。

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