今週の礼拝メッセージ
主の癒し   1999.5.9(SUN)

新城教会牧師 滝元 明

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 歴代誌第二 7章14節
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

 ハレルヤ!これから皆さんとともに御言葉を学ぶことができることを、心から感謝します。この教会の良いところは、賛美をたくさんできることです。神様に向かって栄光を帰することは素晴らしいことです。皆さんとともに神の前にあることを感謝します。今日は、「主の癒し」というテーマで御言葉を学びます。今お読みした聖書の御言葉を含めて十二節から十四節までをお読みします。

『すると、主が夜モーセに現われ、彼に仰せられた。「わたしはあなたの祈りを聞いた。また、わたしのために、この所をいけにえをささげる宮として選んだ。もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 旧約時代に、ソロモン王が主の宮を献堂したとき、神様が語られた御言葉です。今日は「主の癒し」というテーマで学びますが、いやしには色々な種類があります。病のいやし、心のいやし、また、国家的ないやし、地域的ないやし、家庭のいやし、悪い習慣による束縛からのいやしなどがあります。共通的に言えることは、どのように病気になっても私たちが原則を守ることができれば、いやされることを聖書は教えています。
 ここには、「わたしの名を呼び求めている民が自らへりくだり・・・」と書かれていますので、本当に真の神様に、私たちクリスチャンが心からへりくだり祈りをささげ、神様を慕い求めて悪い道から立ち返るならば、その祈りに聞かれて罪を赦され、地をいやしてくださると書かれています。
 第一のいやされるための原則は、へりくだりです。人生の中には失敗があります。しかし、どのようなことでも解決のない問題はありません。私たちは問題にぶつかるとき、へりくだることが大切です。
 時々、子どもたちが悪いことをするときに、親が戒めます。最近は親が子どもをあまり叩いたりすると虐待罪にされます。私は小さいときに、しつけなくてはならないと思います。わがままに育ててはいけないので、悪いことは悪いと教えるべきです。しかし、あまり叩き過ぎてはいけませんが、時々は仕置きをするべきです。昔はムチを持っており、ムチで打ちました。悪いことをして叩かれるときに、子どもはお父さんの懐の中に入れば叩かれることはありません。悪いことをして仕置きをされるような時にも、神様の懐に飛び込んでへりくだったら解決します。ですからまず、私たちはへりくだるべきです。聖書に「高ぶりは滅びに先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」と書かれていますので、私たちの中に高ぶりがあると祝福を失います。霊的な高ぶり、金銭的高ぶり、知識の高ぶり、・・・色々と高ぶります。しかし、「高ぶりは滅びに先立つ」と書かれていますので、私たちが高ぶることがないようにへりくだることが大切です。
 マタイの福音書十五章に、カナンの女について書かれています。イエス様のところに来て、「ダビデの子イエス様。助けてください。私の子どもが悪霊につれて苦しんでいます。助けてください。」と叫んでいました。するとイエス様は一生懸命叫んでいるのに無視しました。無視されるとしゃくにさわります。弟子たちが、「先生。うるさいから追い払ってください。」と言いました。するとイエス様は、「わたしはイスラエル人以外には遣わされていない。」と言われました。それでもその女は、イエス様に助けを求めました。その時イエス様は、「子どものパンを取り上げて、子犬に投げ込むのはよくないことだ」と言われました。「子ども」というのは、イスラエル人のことです。「子犬」は、異邦人に対してバカにしていることです。普通、ここまで言われると尺にさわります。
 「何だってイエス。私を子犬というなんて・・・」と怒るに違いありません。しかし、その女性は、「主よ。その通りです。けれども、子犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます。」とへりくだりました。「子犬でさえも、食卓から落ちるパンくずを食べますから」という言葉に、イエス様がとても感動し、「そこまで言うのか、あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言ったときに、悪霊を出されました。
 イエス様は意地悪な方ではありません。心を見られます。その人がへりくだるか、へりくだらないかということが問題です。どれくらい心がへりくだるかをイエス様がテストされます。私たちも、「リバイバルを起こしてください。」と祈ります。なかなか聞かれないと、「これだけ祈っても聞いてくださらないのですか。」というのではいけません。へりくだって切に求めたら、神様は祈りを聞いてくださいます。私たちもへりくだるべきです。へりくだったら、神様は祝福してくださいます。
 人生において危険な時は、ある意味で成功したときです。ウジヤ王様は素晴らしい王様でしたが、彼は強くなるに従って、高ぶったと書かれています。そして祭司以外焚いてはならない香を焚こうとしました。「王様。それはあなたのすることでない、レビ人がすることだ。」と言われて、憎しみを感じました。そして彼は高ぶったため、体にらい病が現われたと書かれています。
 高ぶり成功した良いときには、謙虚になることが大切なことです。私たちも高ぶりを悔い改めるべきです。へりくだり、悪から離れなければならないということです。
 特に、偶像礼拝から離れなくてはなりません。私は教会に行くまで、偶像礼拝が罪だと一度も考えたことがありませんでした。初めて教会に行くようになった時、ひとりの人が、「キリスト教も良いけれど、神社を拝んではいけないとか仏壇、偶像を拝んではいけないというので心が失せる。」と話しました。それに私も同意しました。しかし、私は段々目が開かれ、これは神様に対する一番大きな罪だとわかりました。日本人は聖書を学びませんので罪がわかりません。殺人、盗みは罪であることがわかります。しかしそれよりももっと重い罪は偶像礼拝です。偶像礼拝は、神に対する最大の罪です。私たちは偶像礼拝から離れるべきです。私たちが礼拝するべき対象は、天地万物を造られた真の神様だけです。だから偶像礼拝を悔い改めなければなりません。癒されるためには、この偶像礼拝を悔い改めることです。偶像礼拝は、「三、四代の咎を子に報いる」とあります。これは呪いです。偶像礼拝をすると呪いがあります。呪いからいやされるべきです。そのような家庭があります。呪われると真の神がわかりません。汚れた生活です。非常に罪深い生活です。しかし、先祖から伝わった、「偶像礼拝を赦してください」と心から悔い改めることが、祝福される秘訣です。
 また、不従順の罪があります。言うことを聞かないことです。信仰生活の中では御言葉に従うべきです。時々、クリスチャンでも言うことを聞かないで祝福を失う人がいます。
 豊川に宣教師として来られていた、アルネ・リンデン先生が私に、このように言われた事を覚えています。「先生、私は宣教師になった今も、心が苦しいことがあります。」
この先生は、若い頃、クリスチャンになる前に非常に悪い人でしたこ。村の人たちは、彼が救われるために真剣に祈りました。するとある時に、神様が触れてくださり、救われました。そして宣教師になりました。
 ある時、スウェーデンで先生に聖霊様が語りかけたというのです。「あの女のところに行って福音を伝えなさい」
 その女性と彼とは、かつて、悪いことをたくさんしました。先生は、汚いことをしていたその女とは、二度と会いたくないと思っていました。
 神様は、「すぐ行って彼女に福音を伝えなさい」と言われました。「あの女のところにはもう行きたくないです。」と言いました。神様は、「行きなさい。」と言われ、彼は「嫌です」と言って、ついに行きませんでした。
 二、三日後、その女性が病気で死んだという情報が入ったそうです。後から聞くと、その女性は、死ぬ前に罪のために非常に苦しみ、「助けてください。救ってください。誰か私に救いの道を教えてください」と切に叫んでいたそうです。その時間、先生に聖霊様が、「行きなさい」と語りました。彼は行かなかったのです。「あの事が悲しくて仕方がない」と言われました。
 これは不従順です。私たちは神様の御声に従順であるべきです。ある人は、「偶像から離れなさい」と言われ、「嫌です。」と言います。それはいけません。ですから、従順になることが大切です。聖書は、「まことに背くことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪」と書かれています。神様に従うことは大切なことです。
 もう一つは、心から人を赦すことです。人を赦すべきです。エペソ人への手紙四章に、

『怒っても罪を犯してはいけません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

と書かれています。怒りは溜めてはいけません。サタンに機会を与えることになります。心の中で赦せない人や、尺にさわって仕方がない人かいるならば、「これが悪魔に機会を与える」と書かれていますので、悔い改めるべきです。時々、怒ることがあります。しかし、神の前に、「赦してください。祝福します」と、心から祝福したら、神様が祈りを聞いてくださいます。ですから私たちは、心から赦すべきです。
 また、「恐れから解放」されるべきです。恐れはサタンから来ます。だから恐れることは良くありません。時々、霊的戦いについて色々な批判があります。しかし、それは恐れからです。「おまえたちは悪魔の恐ろしさがわからない」と言います。「悪霊を追い出したら、逆にやられてしまう」と言います。しかし悪霊は被造物です。神様は創造者です。問題になりません。あなたがたの中におられる方は、すべてのものよりも偉大です。一番強い神様が、私たちの中におられることを、信仰として持つべきです。だから恐れから解放されることが非常に大切です。恐れないようにしましょう。恐れは罪だと思います。「イエス様が守ってくださる」と言われるにも関わらず、「恐ろしい・・・怖い」と言うのではなく、信仰を持つべきです。主はともにおられるという信仰を持つべきです。
 また、姦淫や不品行の罪を悔い改めるべきです。今の世の中はめちゃくちゃです。悪過ぎます。悪いビデオの氾濫や、若い娘たちが、体を売ったり不品行を罪だと思っていません。イエス様ご自身が偶像礼拝に対して何を憤ったかというと、「偶像礼拝は姦淫の罪」だからです。私たちはまことの神だけを信じるべきであるのに、偶像礼拝をすることは悪霊と交わりをすることで、特別、姦淫だというのです。
 エゼキエル書にオホラとオホリバが、偶像と関係したことについて書かれています。私たちは偶像礼拝を憎むべきです。日本の偶像礼拝は、姦淫につながっています。昔は豊川稲荷の側に、また、浅草観音の側に売春宿がありました。
 世の中がどうであっても、「結婚を尊びなさい。神は寝床を汚す者をさばかれる。」と聖書には書かれていますので、若い人たちはどのように時代が悪くなっても、神を恐れきよい生活をすることが大切です。過去に失敗があったら、悔い改めるべきです。
 特に、多くの人が悔い改めるべきことは、人工中絶です。日本にはとても多いです。各地に大きな観音像がたくさんあります。それは水子供養の観音が多いです。水子供養をしないと、たたりが来ると言います。中絶は殺人です。与えられた赤ちゃんを殺すことは中絶です。水子供養、性的関係不倫は、悔い改めるべきです。ハッキリと、「赦してください」と祈るべきです。しかし、心から悔い改めたら、「赦されない罪はない」ので赦してくださいます。ですから、へりくだって、「私はこのような過去があります。どうぞ、私を救ってください」と悔い改めが必要です。
 また、悪習慣から解放されなければなりません。悪習慣は、飲酒、喫煙、麻薬など、それらは悪習慣です。
 最近、嬉しいことがたくさんあります。昔、飯田線で通いながら豊橋に務めていたことがありました。私は昔、飯田線が嫌いでした。たばこの煙だらけで、炭焼き小屋に入ったみたいで、帰ると臭くてたまりませんでした。今は感謝なことに、飯田線はすべて禁煙です。新幹線は、禁煙車輌の方が多いです。十六車輌編成中、十輌が禁煙車です。昔は一号車だけでした。
 先日、長野に行く新幹線に乗りました。一両だけが喫煙車です。あとは全部禁煙です。私はいつも禁煙指定に乗ります。車輌の中でひとりだけ、たばこを吸うと皆が汚れます。その禁煙車で、たばこを吸っている人がおり、ひとりのおじさんが注意していました。私はその方と話しました。「たばこの臭いは嫌ですね。ところで、たばこを吸ったことはありませんか。」と聞くと、「たくさん吸って病気をしました。あれ以来、私は吸っていません。」と言われました。たばこは若いときから吸わないのが素晴らしいです。酒もそうです。時々、クリスチャンでも、教会で会うとすぐにわかります。たばこ臭いからです。しかし、本人にはわかりません。束縛されているのです。私たちの体は、神から与えられた聖霊の宮です。私たちがへりくだって悔い改めたら、神様は赦しを与え、祝福してくださいますので、私たちは悔い改めるべきです。どのように失敗して、悪い目にあっても、家庭がどうあっても、私たちがへりくだって悔い改め、神様のみ顔を求めたら、神さまは祈りを聞いてくださいます。ですから今日、たとえ病気があっても、へりくだることです。「地をいやそう」と書かれています。癒されることは神様のみこころです。信仰を持ちましょう。ヨハネ第三の手紙二節に、

『愛する者よ。あなたが魂に幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、健康であるように祈ります。』

と書かれています。神様が私たちに望んでいることです。ですから、私たちは信仰を持つことです。もし病気になっても、私たちは神の前に出るときに、心から悔い改めたら赦されたことを信じるのです。祈っても赦されないということはありません。イエス様が私のために十字架にかかって死んでくださったので悔い改めて信じることです。

『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』

と書かれています。  先日関東リバイバル聖会がありました。講師は私と田中先生と有賀先生でした。有賀先生がおもしろい説教をしました。「神様。ごめんなさい。こんな罪を犯しました。」と言うと、「お前そんなことがあったか。」「いえ、私は罪を犯しました。」「エッ。忘れた。お前の罪を思い出していないよ。」と言われますと。時々、神様も健忘症になることがある、と語っていました。心から私たちが悔い改めたら、神様は記憶の中から、過去の罪をすべて赦してくださり、雪のように白くし、霧のように消し、海の深みにまで沈めると書かれています。
 田中先生の話では、韓国の教会に行くと、「神はいやしてくださいました。」というと、それに反応して、「アーメン。」と言います。一人の恵まれたクリスチャンが、説教を聞いて嬉しくて、「アーメン!」といつも叫んでいました。あまりに喧しく、「アーメン!」と叫んでいました。ある時に、県知事が教会に来ることになりました。その時、牧師先生が、心配して別の部屋に入れました。「アーメンと言わないように」と忠告しました。
 その日、先生が世界で最も深い海の話をしたそうです。一番深い海は、深さが何千メートルあり、そこにものが入ると砕かれて戻ることはできないと説教しました。するといきなりその人が、「ハレルヤ!」と言いました。あれだけに言わないようにと言ったのに、またかと思ったそうです。なぜか聞いてみると、「先生感謝です。一番深い海にものが沈んだら、全ては砕かれて浮かぶことがない、と言われました。私たちの罪も、海の底に沈めると書かれているから、底に沈んで再び浮かび上がることはないのです。そのことを考えると嬉しくて叫ばざるを得ません。」と言われました。
 赦されたことを信じるべきです。イエス様の十字架の血は、「すべての罪をきよめる」と聖書に書かれています。神の前に、「イエス様。あなたの血潮のゆえに神の前に出ることができます。」と、祈りを聞いてくださる神様を信じるべきです。神にとって不可能なことは一つもありません。
 四月七日に東京でチョー・ヨンギ先生と一緒に食事をしました。その日は、日本料理で刺身が出ました。先生も喜んで食べていました。隣にいた通訳の人が、「今まで先生は絶対に刺身が食べれませんでした。」と言われました。
 チョー・ヨンギ先生は二十六才のときに兵隊に行ったときに、お腹の手術をされたそうです。それからは絶対に生物を食べてはいけなかったそうです。食べるとお腹がすぐに痛くなったそうです。
 今、先生の教会には、七十万人のクリスチャンがいるそうです。だから先生は聖書の中にパウロが、「わたしの恵みはあなたに充分である。弱さの中に力が現される。」と書かれており、また「高ぶることがないために肉体を打つとげ」だと書かれているので、私はあまりに恵まれているので、「この病気は私が高ぶらないようにするための神様からのとげだ」と考えたそうです。
 何カ月か前に、ヨーロッパに行ったときに神様に祈ったそうです。すると神様が、「あなたはお腹が痛くなることを、わたしが与えたとげだと考えますか。」と語られたので、「はい。そう思います。」と言われたそうです。すると神様が、その時、「あなたはそんなに有名だと思っているのか。あなたはパウロくらい有名か?パウロは天国に行ったことがあるが、あなたは行ったか?」「いえ、行ったことはありません。」「それはとげではない。あなたの不信仰でそう思っているだけだ。悔い改めなさい。」と言われたそうです。
 時々、勘違いすることがあります。その時、先生は神の前に不信仰を悔い改め、祈り、この肉体を打つサタンの力に対して祈りました。すると癒されたそうです。今何を食べても痛くないそうです。私たちも神様には力があるので、これだけは駄目だとは思わないで信仰を持って祈りましょう。神様は必ず聞いてくださいます。またもう一つ、イエス様は憐れみ深い方です。イエス様がこの地上に来たときに、ひとりのやもめの子どもが亡くなったときに、「深く憐れんだ」と記されています。そして、イエス様は、「若者よ起きなさい」と言われました。すると若者が生き返りました。これは憐れみによることです。また、らい病の人が来て盲人が来て、「イエスよ。憐れんでください」と言うときに、イエス様が憐れまれ、かわいそうに思い癒されたと書かれています。
 イエス様は私たちが病気の時に「おもしろい。痛んで苦しんでいる。」とは言いません。憐れみ深い神様です。私たちも祈るときに、憐れみが必要です。
 これは古い話ですが、私の母は下津具に住んでいました。昔、道路では、よく発破作業がありました。何十メートル以内に入ってはいけないという規定があります。母親が百メートルくらいの所で草を刈っていると、爆発した岩の破片が、母親の背中を直撃しました。もしも頭に当たったら、死んでいたと思います。そして、豊橋の病院に連れて行きました。その時まだ、私の母はクリスチャンではありませんでした。豊橋の兄の家に行くと、兄が私に「明。お母さんが痛くて泣いている。」と言いました。その時、私も母親をかわいそうに思い、私も涙を流して、「イエス様、お母さんが痛んでいるので憐れんでください」と心から祈りました。すると、癒されました。本当に瞬間的に、痛みがなくなりました。憐れみが通じました。神様は憐れみ深い方です。色々な面でいやしを必要とされる方がおられると思いますが、憐れみを求めてください。家庭に問題があったら、「神様。自分ではどうにもならないです。憐れんでください。助けてください。いやしてください。」
 日本のためにも憐れみを求めて祈りましょう。この国をいやしてリバイバルを起こしてください、と心から私たちが祈ったら、神様は祈りを聞いてくださいます。癒されることは神様の御心です。家庭、夫婦、心が癒されたい人も信仰を持ってください。信じたら癒されます。勉強ができない人も癒されるように祈りましょう。イエス様がいやしを与えてくださいます。一言お祈りしましょう。

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