今週の礼拝メッセージ
主イエスを信じなさい   1999.6.20(SUN)

新城教会牧師 上條 実

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 使徒の働き十六章30節〜31節
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

 ハレルヤ!今日御言葉を取り次ぐことができることを感謝します。全日本リバイバルミッションの働きの中で、明牧師、順牧師が聖日に新城教会にいらっしゃらない時が、今年は多くあります。そのためこんな小さき者が礼拝で御言葉を語る機会を主が与えて下さっている事を感謝します。しかし礼拝でメッセージをするには、何を語るべきかを特別祈らされます。今日もその祈りの中で神様から教えられたことを、分かち合っていきたいと思います。今日のテキストとなる、使徒の働き十六章三十一節は皆さんがそれぞれ望みをおいて祈っている御言葉だと思います。

『ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。』

御言葉は一点一画変わりません。ですから、まだ家族が救われていない方もこの御言葉によって確実に救ってくださることを信じていきましょう。この御言葉は望みあります。今はどうあろうと必ず救われるのです。私たちの教会は、特別日本のリバイバルという使命を頂いて祈っています。今までも日本のリバイバルのために祈ってきました。特に、日本のリバイバルについて、人々が救われるようにと祈る中で、誰をまず救って頂きたいかと考る時、当然考えるのは自分の家族だと思います。ある方は、自分のご主人、また、ある方は、自分の子どもたち、親たちのために毎日特別愛と時間をかけて祈っていると思います。そして皆さんは家族だけではなく、親族、友人そして日本のすべての人々のために祈っています。しかし、あなたが一生懸命に祈っていながら今の家族の状態はどうでしょうか。ある人は教会に導かれ、神に近づいて来ている家族もいると思います。しかし逆に家族のために真剣に祈ってはいるのに余計反対されるようになった方もおられるかも知れません。家族に対して重荷をもって祈れば祈るほど逆に裏目に出てしまい、一生懸命祈ってはいるけれど家族・親族が神様から遠のいてしまっているような状況にある方もあるかも知れません。まだ救われていない親に向かって「伝道しなさい」と言っても、子どもの立場としては親に向かって「あなたは罪人です」と言うことはなかなかできません。「何を偉そうなことを言っている。そんなことよりも勉強しろ。」と言い返されてしまうわけで、私たちは親に対してどのように伝道していくべきか考えてしまいます。私たちはどのようにすれば御言葉どおり「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という御言葉が成就することができるのでしょうか。家族と言う者は遠慮なしに話すことができますが、さあいざ伝道となるとなかなか難しいものです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」家族が救われるように思い、祈ってはいますが、現実を見ると難しいことを覚えます。
 ルカの福音書十六章二十三節からのところにラザロと金持ちのことが書かれています。金持ちは地獄に行って苦しみ、また、ラザロは天の御国に帰ったと書かれています。そしてアブラハムの懐ですやすやと寝ていました。その光景を苦しみの中で見た金持ちが「ラザロを使わせて、水一滴持って来て欲しい」と訴えました。しかし、天国と地獄の間には大きな縁があり、行くことができませんでした。その後大金持ちは地獄の中で「私には兄弟が五人います。こんな苦しいところに来ないようにラザロを遣わしてください。」と言っています。今日家族のために祈っている方々、もう一度家族のために祈るという重荷を持ってください。あの金持ちが「こんな苦しい所に来ないように」と言っています。しかし、それもできない。世の中にはモーセや預言者がいるからその言葉を聞くようにと答えています。あなたの家族はが地獄に行ってしまう。永遠の苦しみにあわなくてはいけない。ですから今日家族のために祈っている方々、今日もう一度このことを覚えて下さい。信じないまま死んだら地獄です。だから真剣に祈り続けていきましょう。ではなぜ簡単に家族や親族が救われないのでしょうか。私たちは原因をしっかりと覚えなければなりません。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」というみことばがあるにも関わらず、なぜ難しいのでしょうか。わたしは神の御前に出て祈りました。すると神様は家族の救いは「霊的戦い」であると教えてくださいました。悪魔は私たちクリスチャンに対してダメージを与えます。特に家族が救われたならば、伝道がし易くなる。クリスチャンが大胆に伝道するようになる。このことがわかっているから家族に対して必死に働くのです。主婦の方は時々ご家庭で天ぷらなど油料理をされる時があると思います。もし天ぷらを揚げている時、火が油にはいって火が上がり、台所中煙が充満してしまったら、あなたはどうするでしょう。最初に何をしますか。何も見えないと言って悠長に窓を開けて煙を外に出すでしょうか。そうではなく、一番の原因である火を消します。火を消さないと大変な事になります。家が全焼してしまうのです。悪魔は私たちに一番大事なことを忘れさせ、煙だけ、今の状況だけを私たちに見せます。一番大事な原因の火元を見させないで、煙にあわてさせるのです。家族のことで心騒がせ、心配させ、祈ることをあきらめさせるように策略をめぐらせてきます。では、火とはいったい何でしょうか。人々を滅ぼそうとしている暗闇の支配者、悪霊の力です。その力を砕かない限り家族の救いはありません。人々を束縛し、神に目を向かせないように必死に、狡猾に働いてくるのです。霊的戦いをしない限り、縛られている部分を解かない限り家族は神の前に出ることができません。
 では聖書の中で最初に出てくる「霊的な戦い」とはいったいなんだかご存じでしょうか。悪魔がまずいの一番に働いた所はどこだかご存じでしょうか。それは創世記の三章です。三章一節から七節に、

『さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。』

と書かれています。これは有名なアダムとエバが園の中央にある善悪の知識を知る木の実を食べてしまった箇所です。蛇はエバに向かって戦いを挑んでいます。神の栄光が現され、裸でも恥ずかしくなく、何不自由のないアダムとエバに対して悪魔が挑戦をかけてきています。一番初めの霊的戦いはアダムとエバ。神がひきあわせた夫婦に戦ってきました。園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。と蛇は問いました。しかし園にある木の実を食べてよいのです、しかし真ん中にある木の実だけは食べてはいけないのです。死ぬといけないからです。」と答えています。しかし神の言葉を疑わしています。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と蛇は教え、結局エバはその実を取って食べ、その食べた物を夫アダムに渡し、アダムも食べました。そのため目が開かれ、神の栄光が去ってしまいました。いとも簡単に悪魔の声に従い、取って食べてしまっています。私はこれが聖書の中の霊的戦いの始まりだと思います。アダムとエバ。夫婦の中に働いたのです。まず初めに夫婦に対して攻撃をしました。この中には結婚されている方が大勢いらっしゃいます。また、来週も婚約式がありますし、先週も婚約式が行われました。神様はこの教会すばらしい祝福を与えて下さっています。結婚されている方、また結婚を控えている方々、また結婚を祈っている方々、今日覚えてください。結婚という祝福を一番ねたみ、この祝福をいの一番に悪魔が挑戦をかけてくるということを覚えて下さい。悪魔は夫婦を砕こうと働いてきます。結婚生活の中に罪を入れてきます。一致をなくすために争いを入れてきます。今、あなたの夫婦生活を考えて下さい。亀裂は入っていないでしょうか。ふたりの一寸した行き違いや、聞き違いで、壊れることがあります。夫婦生活に悪魔は働いてきます。火元を私たちは見ていくべきです。悪魔がその夫婦に対して、家族に対して悪魔が働いてその家族や夫婦の祝福を打ち破ろうとして願っています。今戦って、夫婦間の中で勝利を頂きましょう。また創世記四章一節からアダムとエバの子どもカインとアベルが神様に捧げ物をする場面が書かれています。カインもアベルも素晴らしい捧げ物をささげています。しかし四章八節では、兄カインの罪の上に弟アベルのささげ物を神は祝福しました。カインはアベルを野に呼び出し、殺してしまったのです。アダムとエバ。夫婦に戦いをいどみ、次にターゲットを当てたのは兄弟です。兄弟の中に悪魔は戦いを仕掛けてきます。よく相続するに当たって、こじれた場合にはとてもややこしいことです。血肉の戦いとはそういうもので本当にし烈な兄弟同士の争いとなります。悪魔は夫婦だけではなく家族も狙ってきます。あなたの兄弟は愛し合っていますか。そして次に創世記九章で、ノアの事が書かれています。ノアとその家族が箱船に乗り、大洪水から助かり、素晴らしい約束の地にたどり着いた記事が書かれています。もう水では滅ぼさないという約束である虹を神様が与えて下さいました。その記事を見る時、神は箱船でノアの家族を救って下さいました。イエスキリストは十字架によって私たちを救って下さいました。すばらしいことです。そして九章二十節からはノアがぶどう酒に酔って素っ裸になって寝てしまったということが書かれています。その時にハムという息子が裸で寝ている所を見て、他の兄弟たちに父であるノアが裸で寝ていると報告したのです。その時他の兄弟であるセムとヤペテは、お父さんの裸を見ないように背を向けて進んでいき、お父さんの裸を見ずに着物を掛けてあげたことが書かれています。その後ノアはそのことを知ってハムに対して呪われると言っています。ノアとハム。親子です。今親子関係が非常に乱れています。「父と母を敬え」と聖書は教えていますが、子どもが親を刺し殺したり、家庭内暴力があったり、子ども達の言葉遣いも無茶苦茶になっています。悪魔は親子の中にも働いてきます。今週ずっと御言葉を語るために創世記を読み直している中で、アダムとエバで夫婦のこと、カインとアベルで兄弟のこと、そしてノアので親子の関係が書かれているところで創世記一章から九章を読むだけでも、特別に家族に対して悪魔が働いて来ることを覚えました。今日「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とのみことばを信じて祈っているのならば、火元を覚えて下さい。煙に惑わされないように気をつけて下さい。今日その火元である悪霊に対して戦い、勝利し、火を完全に消して、私たちの家が大事に至らないようにしたいと思います。我が家が建つ前に、我が家の隣に位置する所には、一軒の家があったそうです。しかし天ぷら火災であっという間に火が回り、全焼してしまったと聞きました。今日、ゆっくりと礼拝を守っている中でも悪魔は必死になって働いています。家庭、夫婦、兄弟の中に働き、仕掛けや罠をかけて、私たちの祝福を落とそうと必死になっていることを覚えなくてはなりません。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」今日のタイトルを「主イエスを信じなさい。」としました。私たちはもう一度この神様を信じましょう。この言葉をもう一度深く考えてください。「主イエスを信じなさい。」イエス様はあなたに何をしてくださったのですか。それは十字架です。十字架にかかって私たちの罪のために、葬られ、三日目に甦って下さいました。本当はラザロと金持ちの金持ちと同じように私も裁かれ、地獄にはいって苦しみ「私には三人の息子がいます。子どもたちにはこんな所に来ないように言ってください。」と叫んでいたかも知れません。しかし哀れみによって、十字架によって、私の罪は許されました。そして私たちは天国に行けるのです。素晴らしい祝福です。しかし、十字架の愛を軽く考えないでください。大きな犠牲を神様は支払って下さいました。痛みと同時に、すべての面で許すという大きな愛です。私たちの夫婦生活の中で、親子関係の中でちょっとしたことで、火に油を注ぐようなことをして、煙が家中に充満してしまうことがないでしょうか。夫婦間でも言い争いをし、夫婦関係がギクシャクしてしまうことありませんでしょうか。今日もう一度夫婦間についてよく考えてください。マタイの十九章五節から六節に、

『「それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。」と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。』

と書かれています。夫婦は一心同体です。ふたりではなく一人だというのです。私がこのことを教えられ、神様に祈っていく中で、夫婦はふたりでも一人です。ここに悪魔は恐怖を覚えていると思います。マタイの十八章十九節に、

『もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。』

と書かれています。ふたりが一つ。ふたりが一つ心を持って祈ったらどんなことでも神はかなえてくださるという約束です。結婚は神様が与えてくださった祝福です。その夫婦が本当に愛し合って祈っていく時、大きな働きを及ぼすのです。どんな事でも神様は祈りを答えてくださると書かれています。今日結婚されて両方がクリスチャンの方はもう一度心を一つにして祈って下さい。必ず祈りが答えられます。感情的にも、思いにもすべての部分で一つになっているか今日確かめて下さい。そんなことを言っても年をとった方にとっては三メートル先に夫が歩き、奥さんは影を踏まないで歩くという具合だから、今更愛し合っているのかと聞かれても・・・と言うかも知れません。だだ結婚してしまったから今は、仕方なし一緒にいるだけですよ。と言うかも知れませんが、聖書は一点一画変わりません。愛していきましょう。私たちは互いに愛し合い、家族の救いのために一つ心で祈っていくことが大切です。私はクリスチャンでも奥さん、またはご主人がクリスチャンではないと言われる方もいるかも知れません。一緒に祈れないからそんなことは当てはまらないではないかと言われるかも知れません。先ほどの「主イエスを信じなさい。」と言う御言葉に振り返ってください。イエス様は一方的に赦しています。汚れた罪を犯した者に、イエス様は愛を持って赦し、あなたの罪を二度と思い出さないと言ってくださっています。どんなご主人であろうとどんな奥さんであろうと本当に一つになれるべきです。向こうがどうあろうとも、イエス様を信じている私たちがイエスに似た者となって、結婚相手を心から愛していきましょう。すべてを赦し、愛していくべきです。どのようなことがあっても私たちはへりくだって仕えていきましょう。王の王なる主が、私たちよりももっと下レベルにまで行ってくださり、私たちのすべての罪を背負って十字架にまでかかられ、地獄に行って下さいました。私たちは、そのイエス様を信じて、へりくだって神様の前に出ていくべきです。夫婦の愛があるところに悪魔は働くことができません。
 また、兄弟愛に関しても私たちは主の前に祈り合っていきたいと思います。詩篇一三三篇一節に、

『兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』

と書かれています。また、第一コリントの十二章には、

『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』

と書かれています。私たち愛する兄弟姉妹は一つの家族・兄弟だと言っています。霊的な兄弟の中で愛し合って互いのために祈りあい、私たちが一つになっていく姿を神様は願っておられます。しかし、悪魔は私たちの霊の家族を痛めつけてきます。この教会も数年前痛めつけられ、人数も少なくなり、苦しいところを通りました。しかし、この時に兄弟姉妹がその中でも一つになって愛し合い、祈り合って来たため、今このように素晴らしい礼拝を持つことができています。私たちは互いの兄弟姉妹また、肉なる兄弟たちにも愛を持って祈り合っていくべきです。またノアのことでも触れましたが、親子関係でも今は親子関係が非常に乱れています。昨日も子どもたちに話した時、ある子どもが「ああ、自分は最近親にひどいことばばかりを言ってるしなぁ・・・。」と寂しそうな顔をして言っていました。昔は、親に権威があり、親に対して反抗する事は絶対出来なかったと聞いています。親しき間にも礼儀があったと思います。しかし、今の親子関係はめちゃくちゃで家庭崩壊状態です。子どもが親を逆上して刺してしまったり、悲しい親子間の事件が珍しくない状態です。今日親子の中にも愛をもう一度私たちは示して頂き、祈って行かなくてはなりません。申命記の五章十六節に、

『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。』

これを読んだ時にもう一度私は祈りました。「主が与えようとしておられる地」これは日本、私たちが伝道している新城市近辺の地だと思いました。神様のためにこの地を、この日本を与えてください。と私たちは祈っています。主が与えて下さる土地。その土地を頂くために私たちは親孝行をしてどんなことがあっても私たち子どもは親に対して尊敬を払っていくべきだと思います。また、箴言二十三章二十五節には、

『あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。』

と書かれています。聖書の中で父と母に対して色々な角度で私たちに教えています。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」これは素晴らしい御言葉です。その御言葉が成就したら、この日本はリバイバルです。すばらしいことが始まります。家族がみな救われ、神の国がこの日本に現れます。悪魔はそこが一番の要だということがわかっているのです。だから家族の中に色々な攻撃をかけて私たちの夫婦関係の中に・親子関係の中に・兄弟関係の中に、色々な攻撃をかけてくるのです。今日私たちはもう一度主イエスを信じましょう。イエス様が流された十字架の血潮、そしてその十字架をしっかりと握ってください。そして私たちは戦っていきましょう。今までは色々な人間関係のことで振り回され、火元を見失っていましたが、その背後に働く悪魔がいて、私たちの夫婦や家庭を縛っていた。戦わなければならない敵をはっきり覚えて、勝利していかなければなりません。私たちはイエス様を信じました。そのイエス様が私たちと共におられます。戦う前に、まず私たちの罪を悔い改め、イエス様の十字架の血潮によって洗い流していただいた後、しっかりと神の武具を着けましょう。真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備え、救いのかぶと、また、信仰の大盾と御言葉の剣を持って、今日大胆に信仰を持って祈りましょう。私たちには神の権威が与えられています。その神の権威で家族内に働く悪しき霊が打ち砕かれるように祈っていきましょう。この悪しき霊が絶対に我が家に、夫婦の中に、親子の中に兄弟の中に働くことがないように、イエスキリストの御名によって祈りましょう。私たちは信仰を持って祈って行くべきです。
またヤコブ二章十七節に、

『信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』

と書かれています。祈ることも大切です。信仰を持って主イエスの御名を掲げて戦っていく祈りも必要です。それと同時に信仰も行ないがなかったら死んだものと同じだとあります。今夫を妻を愛せなくなっていたら、愛して仕えていきましょう。相手が喜ぶことをして上げて下さい。また、許せなかったら許してください。新城の教会の中にも、家族、兄弟のなかにも愛が満ち溢れて、助け合い、愛の行いで満ちあふれていきましょう。そうしたら必ず家族の救いが現されます。

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』

今日、家族のために主の御名によって戦って悪しき霊を打ち砕き、愛し合い、愛の行いを始めていきましょう。お祈りします。

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