今週の礼拝メッセージ
イエス様にとどまろう   1999.7.4(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ヨハネの福音書15章5節〜7節
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

 ハレルヤ!皆さんのお祈りを心から感謝します。六月十五日から二十九日までの十五日間、南米へ伝道旅行に行きましたが、大変素晴らしい旅行ができ感謝します。現代はグローバルな時代で、二十四時間で行けない場所はないと言われますが、アルゼンチンまでは三十六時間かかりました。なぜなら、ブラジル廻りで行ったからです。そして、先週は新城教会にとって、大変インターナショナルな週でした。私たちは南米から帰ってくる途中、ロサンゼルスに寄りましたが、その時にスーパーミッションのテーマソングのレコーディングで、開伝道師がロサンゼルスに着き、私たちはロサンゼルスから帰って来ましたが、彼らはそこから旅が始まりました。まずは、その時の証も聞きたいと思います。来月、ロン・ブラウンさんが新城に来てくださいます。彼は大変有名なサックス奏者であり、素晴らしいクリスチャンです。来年のスーパーミッションのテーマソングも彼がプロデュースしてくださいました。その証を開伝道師からしていただきたいと思います。

  開伝道師のあかし
 ハレルヤ!皆さんのお祈りに支えられ、先週、月曜日に日本を発ち、一昨日金曜日に帰ってきました。「スーパーミッション2000」のテーマ曲制作のためにロスに行きました。今回、昨年の東京リバイバルミッションで大活躍してくださったロン・ブラウンさんが、この働きのためにぜひ協力したいと言われ、行くことになりました。どのような形でレコーディングされるのか決定していませんでしたが、今回ロスで話し合い、七月の暮れに日本でレコーディングする予定でした。当初の話では、コンピューターで音楽を作り、アレンジして、日本に持ってきて歌を入れるという形で話が進んでいました。私たちが着いたのは向こうの月曜日でしたが、火曜日の朝、彼と会うことができました。東京リバイバルミッション以来の再会で、とても喜んでくださり、古い友に出会ったような気持ちでした。始めの日に、彼から、「バイブル・スタディーに今から行こう」と誘いを受け、行ってみると、それは一つのレストランの一画で行われていました。毎週行われているようで、特に、音楽仲間が集まって行われていました。もう十年間続いているようです。ロン・ブラウンさんが、昨年、明牧師がロスで行った決起大会に出て燃やされ、その場所で「東京ミッションで奉仕したい」という話をしたところ、集っていたミュージシャンが、「私も」と言うことで、色々なスケジュールをキャンセルして、東京ミッションに来てくださり、大きな恵みが注がれました。その原点となるバイブル・スタディに出ることができて感謝しました。毎週のバイブル・スタディに燃えている火が東京まで来たのでした。そこに集っている人たちは、一流と言われるミュージシャンたちばかりでした。スーパーミッション2000の為にも一緒にお祈りする時が持たれました。
 その後、コンピューターで音楽を作る予定になっていましたが、ロンさんが、「実は、東京ミッションの時に来た、ランド・リチャードさんの家でレコーディングしようと思うのですが、良いですか。」と言われました。私たちは「レコーディングですか。」と聞きました。ランド・リチャードさんは、ラリー・カールトンや、ダイアナ・ロス、ロビー・コールデェル、日本では亜室なみえのバックでドラムを演奏している、世界でもトップクラスのミュージシャンです。その方は、忙しいツアーの合間をぬって東京に来てくださいましたが、今回のスーパーミッション2000の話を、私が行く前日にロンさんから聞いたそうです。するとランドさんは、ツアー中でしたが、「明日帰るから、私の家でレコーディングしよう」と言ってくださったそうです。それから早速、ロンさんの知り合いのベーシストと、キーボードの人を呼び、レコーディングをしました。その人たちもプロのミュージシャンでした。もちろんお金がないので、お支払いすることはできないのですが、皆が無報酬で、「神様のために、日本のリバイバルのために私たちはやります。」という心で来てくださいました。それで夢のような演奏がなされ、ただ、神様のされることに感謝しました。感動的な演奏が瞬時にして出来あがりました。ベースの方はその後、全米をツアーの予定でしたが、犠牲を払い、わざわざ飛行機をキャンセルして駆けつけてくださいました。
 神様がそんな素晴らしい方々をスーパーミッションの為に備えてくだり、私たちも夢を見ているかのようでした。レコーディング後の作業の中でも色々なトラブルがありましたが、そんな時にもまたランド・リチャードさんがわざわざ駆けつけてくださり、夜中まで一緒に作業を手伝ってくださいました。ロンさんが昨年、東京に来てすごく燃やされ、「自分の生きる目的がはっきりとわかった。何のために日本語を一生懸命勉強してきたかがよくわかった」と言っていました。向こうでラジオを聞いていると、何度も彼の音楽が流れていました。彼の働きも祝福されるようにお祈りください。七月の暮れに日本に来られて、この教会では八月の一日にコンサートが持たれますが、そのすべてが祝福されるようにもお祈りいただきたいと思います。また皆さんのお祈りも心から感謝します。(ここまでが証)


 「わたしにとどまっているならば、多くの実を結びます。」とありますが、イエス様にとどまっていたら、期待以上のことが起こります。イエス様にとどまることは素晴らしいことです。
 今回私たちは、ある意味で、新城教会において結んだ実の故に南米に行きました。アルゼンチンで、新城教会で五年間奉仕されたアドリアン先生が新しく教会を始められました。「ぜひ手伝いに来て欲しい」と言われ、今回、一週間ほど奉仕させていただきました。
アドリアン先生が属している教会は、「プエブロ・ヌエヴォ教会」と言い、その教会の主任牧師は、三十八歳の若い先生でした。南米の教会を見ると、牧師や指導者がみな若いです。ブラジルもそうでした。その教会からの開拓として、アドリアン先生が遣わされ、新しく教会が始まりました。
 アルゼンチンは日本とは全く、ライフスタイルが違います。今は、昼前の十一時三十分ですが、現在向こうは、夜中の十一時三十分です。私も帰国して数日しか経っていないので、何だか時差が抜けず、昼間はボーっとしているところがあります。季節も冬で夜明けが遅いです。朝、九時くらいにようやく明るくなります。本格的に明るくなるのは十時から十一時です。また、昼になると全部店や会社は閉まってしまいます。昼食を、二時から四時の間で取ります。そして六時くらいまで昼寝をします。誰も外に出ていません。また六時半くらいから仕事が始まり、八時半に終わり家に帰ってきます。夕飯は、普通の家庭は夜の十時くらいだというのです。教会は夜九時から集会が始まり、十二時か一時くらいまで集会がありますので、クリスチャンはそれから夕食です。そんな生活です。世界の文化はおもしろいものです。
 今、アルゼンチンをはじめとする、南米にリバイバルが起こっています。約十年前にリバイバルが起こされました。九十パーセント以上がカトリックの中で、神が誰であるか、マリアを通して祈るのではなく、イエス・キリストによってのみ救われるということがはっきりとわかったのです。それで多くの方々がイエス・キリストに立ち返るリバイバルが南米各地に起こっています。アルゼンチンもその一つです。私たちが行った町は、「メンドーサ」という田舎ですが、町にはクリスチャンが多いです。町を歩いていても多くのクリスチャンに会います。私たちが泊まったのは、小さなホテルでしたが、フロントに鍵を返しにいくと、フロントの人が、「昨日はどうもありがとう。昨晩、先生の聖会に出て按手してもらいました。」と言いました。しばらくすると、ホテルのオーナーが来て、「昨夜、私は聖会に出られなかったけれども、カセットでメッセージを聞き恵まれました。私はまだ祈ってもらっていないから、祈ってください。」と言われました。するとマネージャーが来て、「今度、もう一つ新しくホテルを買うけれども、そのホテルを買うことが神の御心かどうか祈って欲しい」と言われました。掃除のおばさんに至るまで、皆クリスチャンでした。スーパーマーケットに入ると、一人の男性が、「ハレルヤ!昨日集会に出ました。」と言って近づいて来ました。またバス停に行くと、ふたりの女性がクリスチャンでした。「昨日集会に出ました。今日も集会に出ますから・・」と、こんな感じです。社会にクリスチャンが多くいることは素晴らしいと思いました。
 しかし、彼らは、「まだ、これは本当のリバイバルではない」と言います。なぜなら、本当の意味で社会が変化していないからだと言うのです。多くのクリスチャンがいることも確かですが、一方では多くの社会問題もあるというのです。貧富の差が大きかったり、ストリート・チルドレンがいたり、また麻薬中毒者が多かったりします。教会は伝道活動と共に、社会的な活動もしています。教会には麻薬中毒者たちが毎日のように集まり、集会しています。その人たちは一日も休まず教会に来るのです。なぜならば、教会に来ないと、またそっちに引き戻されるからです。
 今回は、雅也兄とフェルナンド兄が共に行かれましたが、雅也兄は麻薬中毒者の集会で奉仕しました。皆に聖霊が注がれて、すばらしく恵まれたそうです。礼拝にはストリート・チルドレンも来ていていました。彼らは同じような目つきをしています。しかし、教会は彼らを招き、食事を与えて伝道しています。彼らのお母さんは売春婦であったりし、売春宿やストリートに住んでいることが多いのです。そのような人たちに対して伝道がなされ、そのような人たちが救われて新しくされている姿を見ることができました。アルゼンチンのリバイバルは、悪霊からの解放と共に起こってきました。メンドーサという町には九三年にリバイバルの風が吹き始め、人々の背後から束縛をもたらす悪霊が打ち砕かれてリバイバルが起こったというのです。個人的霊的解放においては、アルゼンチンのすべての教会で実行されています。ですから霊的戦いが地に根を下ろしているという感じです。誰でも祈りの中で戦いの祈りをします。礼拝の始まる前には三十分間ほど、戦いの祈りをします。とても激しく「悪霊よ。出て行け!」と祈っています。向こうの礼拝のビデオを午後から見ますが、なかなか激しいものです。
 私たちはキリスト教ラジオ放送のためにも奉仕しました。一人のクリスチャンがその番組を持っており、番組の名前は何かと聞くと、「戦い」でした。テーマソングも戦いを感じさせるような曲で、毎週霊的戦いについて放送しているそうです。私は五十分くらいの霊的戦いセミナーをしました。町にリスナーが三万から五万人いるというのです。サタンから解放されなければならないということに多くの人が気づいています。しかし、さらに社会が変わるためには、このままではいけないということに気づいています。その為には、地域のために祈るべきであると気づき始めているのです。それは、私たちがアルゼンチンに行く少し前、アドリアン先生が教会に帰ってから、その教会に新しいことが起こされたそうです。町に対してとりなして祈ることを、預言的に教えていただいたというのです。町には教会がたくさんあるので、町全体のために祈るという概念がなかったそうです。しかし、町のためにとりなし祈ることを教会に教えられ、今は町のために真剣に祈るようになったのです。そのようなわけで、私たち、日本に与えられた恵みとして、町のためにとりなして祈る、「地域的霊の戦い」について、色々な側面からセミナーや聖会を持ち、奉仕させていただきました。アルゼンチンと日本を神が用いようとされていると思いました。そこには子どもたちが霊的な賜物を受けて変えられている姿を見ました。
 ある子どもが聖霊を受けて目が開かれて、私たちが来る前に幻を見せられたそうです。それは、悪魔が地球を両手でつかんでいる幻だったそうです。東京を掘っていくとブエノス・アイレスに到着すると言いますが、アルゼンチンと日本の両国を悪魔が握るようにして持ち、ニヤニヤしている幻を見たと言われました。それで、これは戦いだと思いました。真剣に私たちも戦い、集会を導かせていただきました。本当に恵まれた集会でした。聖霊が注がれました。先々週の日曜日の礼拝は、特に一つの破れを感じました。皆さんのとりなしを強く感じました。それで彼らは、水曜日には特別、一日断食して新城教会と日本のリバイバルのために祈る日にしてくださいました。私たちも断食しようと思いましたが、色々な家庭に招かれていましたので、なかなかそのようなわけにはいきませんのでしたが、祈りつつ食べていました。しかし、彼らは断食して、夜九時から日本のために新城教会のために、激しく祈ってくださいました。素晴らしい祈祷会でした。ちょうどその時に、ビデオカメラが壊れてしまい、とれなくて残念でしたが、いずれにしても真剣に祈ってくださいました。その時に、同じ子どもが、また新しい幻を見せられたそうです。前回と同様に、悪魔がニヤニヤして地球を持っているのを見ましたが、急にカメラのレンズから遠ざかるように、地球が遠くなったそうです。すると、悪魔の足が宙に浮き、よく見ると悪魔が地球を持っているようであるけれども、実は、神様が地球を持っている姿であったそうです。ある意味で、南米と日本を結んで、神様が新しいことを始めて下さったと思いました。
 その後、私達はブラジルに行きました。ブラジルには三日間ほど滞在しました。そこでは特に、新城教会で救われて帰国された方々を集めて集会することになっていました。新城教会で外国人のための働きが始まり、十年近くになります。初めは二人の方が来られたことが始まりでした。この教会を通過して本国に帰られた方々が何百人、いや千人以上だと思います。救われて洗礼を受けた方々も多くおります。ブラジルという国は広い国です。日本の二十二倍以上あり、サンパウロ州だけでも日本と同じくらいの面積があると言われます。サンパウロから二時間くらいのところに、「アメリカーナ」という街がありますが、そこで一つの場所を借りて、新城から帰った方々が集まりました。子どもたちを含めて、十六人の方々が集まり、現地の方も集まられましたので、多いときは三十名くらいの集会が行われました。それと同時に、近くの教会でも奉仕させていただきました。
 今回、懐かしい方々にお会いできて感謝でしたが、不思議なことに霊的な流れは、時間空間距離を超えることを感じました。新城教会で救われた方々が集まり、賛美し祈る時を持ちましたが、そこでの雰囲気は新城教会と全く同じでした。同じ油注ぎの中で、神様が保っていてくださっているのがよくわかりました。また、それぞれの兄弟姉妹が素晴らしい教会に属して、一生懸命奉仕している姿も見ることができました。
 そのような中で、なつかしい一組の夫婦が遠くから会いに来てくださいました。八百キロくらいの彼方から、車で十数時間かけて来てくださいました。それはヨシノさんというイラン人とイオーネさんというブラジル人夫妻で、二歳半になる息子も連れて来ました。彼と会うことができ、本当にうれしく思いました。そして、彼の証しをそこで初めて聞きました。日本で色々なことがありましたが、私も詳しいことを知りませんでした。今回、彼の証しをブラジル人牧師が聞いて、恵まれたらしく、私が奉仕したブラジル教会でぜひ証をして欲しいと言われ、証ししました。その時、六百人くらい来ていましたが、皆、それを聞いて神様のみ業に感謝しました。
 今から三年ほど前、この夫婦は新城教会に来られました。私はその方々を見て、聖書の中に離婚は罪だと書かれていますが、これはうまくいかないだろうと思いました。なぜならば、ご主人はイラン人、そして奥さんはブラジル人、そして共通コミュニケーションの言語は日本語です。奥さんの日本語は全くの片言で、ご主人は少しできましたが、会話しても互いに、五パーセントしかわからなかったというのです。それでも結婚したのですが、問題が起きて新城教会に来られました。それを見た私は、問題が起きるのも当たり前だと思いました。その夫婦のために私はカウンセリングや祈りをしました。しかし、聞けば聞くほど、これはダメだと思いました。「絶対無理だ、別れるしかない」と思いました。それに加えて、イラン人の主人は、日本において五年間も不法滞在していました。
 聖書の中に書かれている言葉に力強い言葉の一つは、ルカの福音書一章三十七節、

『神にとって不可能なことは一つもありません。』
 今日この御言葉を捕まえて帰っていただきたいと思います。私たちにとっては、不可能なことが多いです。しかし神様には、不可能なことが一つもないのです。そして今日読んだ御言葉のヨハネの福音書十五章五節と七節に、

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』
『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』

と書かれています。それはイエス様につながっていれば、不可能なことはないということです。聖書には約束があります。しかし私たちは、そのような約束を知りながら、なかなか信じることができません。私はその人たちを見て、「神には不可能がないけれど、これだけは不可能ではないか」と思いました。そのような中で奥さんが妊娠し、ブラジルに帰らなければならない状況になりました。それでご主人も共に帰らなければなりません。その前にご主人はクリスチャンになりました。イラン人で今までイスラム教徒だったのですが、新城教会でクリスチャンになり洗礼を受けました。彼の洗礼式は感動的でした。彼は一冊の本を持ってきました。それはイスラム教の教典であるコーランでした。そのコーランをバプテスマの時に火をつけて燃やし、「私はこれからイエス様を信じます」と宣言して、洗礼を受けられました。コーランを燃やすことは何を意味しているのでしょうか。イランの法律はイスラム法です。それは恐ろしい法律です。生まれた家庭の宗教を絶対に変えてはいけないという法律です。キリスト教徒に生まれたらキリスト教徒です。しかし、イスラム教徒で生まれたら、一生イスラム教徒であるべきだというのです。もしも変えたら、死刑になるのです。ということは、イスラム教徒がクリスチャンになり、コーランを焼いてしまうことは命がかかっているのです。今、私たちはクリスチャンとして、自由に礼拝を守ることができ、自由にクリスチャンになることもできますが、イスラム社会においてはなかなか難しいのです。特にイランは強いイスラムで、クリスチャンに改宗することは死を意味します。しかし彼は決断しました。「イエス様が救い主だ。」と告白しました。なぜならば、夫婦がイエス様を信じたときに変えられたからです。今まで離婚寸前で、どうすることもできない夫婦が仲良くなり、子どもまででき、夫婦関係が回復しました。何と、五パーセントしか言語コミュニケーションがないのに仲良くなりました。これは神様の力です。神様の力は言葉や文化や習慣を越えるものです。主人の文化背景はイスラム文化、奥さんはカトリック文化です。女性の位置づけも全く違います。イスラム法では、奥さんは五人まで持って良いというのです。だから女性の地位が低いのです。全く彼と彼女の持っている結婚概念が違います。しかし、変えられたのです。
 彼はブラジルに奥さんと共に行くことを希望しました。ここで、もう一つの大きな問題が生じました。帰ると言っても不法滞在者ですので、入国管理事務所に行くと逮捕され、本国に強制送還されます。しかし、真剣に、「神様助けてください。あなたにとって不可能なことはありません。すべての権威の上にあなたがおられますので助けてください。」と祈りました。彼は入国管理事務所に出頭しました。「すみません。私は不法滞在を五年間続けていました。」というと「それは悪いことだ。すぐに逮捕だ。」と言われました。しかし彼は、「今、妊娠した妻がいるのです。」というと、住所を覚えられて、「次の週に来なさい。あなたは強制送還により、イランに帰されます。」と言われたそうです。イランに帰ったら、自分の信仰を守ることはできないばかりか、クリスチャンであることが知らされたら、殺されなければなりません。そこで彼は入国管理事務所に話しました。「私はクリスチャンになりました。だからクリスチャンとして、イランに帰ったら殺されてしまいます。どうか、強制送還しないでください。」すると、「それはダメだ。日本の法律では、あなたのような人は強制送還だ。」と言われ、彼はしょんぼりして帰ってきました。
 その時、私はその夫婦に出会い、神の権威を信じてパスポートの上に手をおいて、みんなで祈りました。「神様、あなたは国々の上におられます。だから、あなたはこのような状況の中でも助けることができる方です。この人はイスラム教徒でしたが、真の神イエス様を信じました。だからこのことに答えてください。この方を無事にブラジルに出国させてください。」と祈りました。
 すると、不思議なことにブラジルに出国できたのです。しかし、その間に何が起こったかを聞きませんでしたが、今回初めて聞きました。
 祈ってから恐る恐る、入国管理事務所に逮捕されると思いながらもう出頭したそうです。するとまた、「逮捕だ」と言われましたが、一人の通訳者が出てきて、「少し待ってください」と言われたそうです。それは、ちょうどその時に、テレビのニュースを職員が見ていたのです。それは、「イランでクリスチャンたちが大勢殺されている」というニュースが報道されていたのです。彼が入国管理事務所に着いたちょうどその時に、テレビでそのニュースが報道されていたのです。事務所の職員が皆で見ていたそうです。その時、彼は、「新城教会でクリスチャンになりました」という証明書を提出したそうです。それを私が書いたそうですが、覚えがありません。なんと、タイミング良く、テレビのニュースもあったことから、入国管理事務所が第三国に出国することを許可してくれたのです。それで、何の障害もなくブラジルに帰国しました。しかし、ブラジルに帰ってから大変だろうと思い、祈っていました。三年近くも会っていないので、何が起こっているかわかりませんでした。しかし、今回この夫婦がやってきました。そして私に一つの書類を見せてくれました。何と、「ブラジル市民権」の書類でした。彼はなんと、イラン人でしたが、ブラジル人になることができたのです。戸籍も取ることができ、仕事も素晴らしい仕事を得つつあります。所属教会の牧師も同伴して、私に会いに来てくれました。八百キロも彼方から、トラックを乗り継いで会いに来てくれました。
 彼が教会でこのことを牧師に話したそうです。すると、「そんな素晴らしい牧師が来るなら、その人を町の公賓として迎えなければならない」と言い、サンタ・カタリーナという町の市長さんに告げたそうです。すると、私のためにレセプションを用意し、リゾート地に素晴らしいホテルを取って公賓として招待してくださったそうですが、私は残念ながらそこにいくことができませんでした。
 今回、結んだ実を見ることができました。私たちは何もすることができませんが、イエス様につながっているときに、人は育ちます。パウロは、「私が植えてアポロが水を注いだ。しかし、育てるのは神だ。」と語りました。私たちがイエス様にしっかりとつながっているならば、イエス様が育ててくださいます。そして、神にとって不可能なことはありません。イエス様は、すべての権威の上に立っておられる方であることを、もう一度確認することが出来ました。主が良きことをしてくださいました。皆さんの祈りを心から感謝します。

『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』

と書かれています。私たちがイエス様から離れないならば何でもできます。イエス様から離れずにイエス様にとどまっているならば、不可能も可能になるのです。今週もイエス様から離れずに、イエス様というぶどうの木にしっかりと結びついていきたいと願います。お祈りします。

バックナンバー
戻る
戻る