今週の礼拝メッセージ
あなたも必要とされています   1999.7.18(SUN)

新城教会牧師 上條 実

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 第一コリント 12章27節
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官です。

 ハレルヤ!いつもお祈りいただきまして感謝します。先週の金曜日は群馬県高崎市で今年十月に行われる「すべてが生きる四七」のミーティングと聖会があり御奉仕させていただきました。人数はあまり多くはありませんでしたが、群馬県や日本のために真剣に祈る時を持つことができ、恵まれた時を持つことができました。本日も「すべてが生きる四七」の集会が各地で持たれておりますのでぜひお祈りください。滝元明牧師は新潟県の長岡市にて礼拝。夜は新潟市にて伝道会が行われます。また、順牧師は山梨県の塩山市にて礼拝、そして午後からは霊的戦いのセミナーで一日奉仕します。お祈り下さい。特に山梨県のために祈ってください。私も話し合いに行かせていただきましたが、オウム真理教の事件があり、宗教に対して皆が心を閉ざしてしまっているところがあるそうです。何とかして福音を宣べ伝えたいと教会が一生懸命になっています。集会を開くために色々な会場を借りに行き、お願いしても「宗教はダメです」と断られてしまいます。特に宗教は過敏になっているそうです。二十日にはあのオウムの事件で一躍有名になった上九一色村のテーマパークのガリバー王国にて福音が語られます。とても広い公園ですが、そこで順牧師を始め、ゲストを招き、集会することになりました。午後一時から集会をします。特別イエス様を信じる魂が起こされるように、祈って下さい。
 さてみことばを学んでいきましょう。先ほどお読み下さった第一コリントの十二章二十七節は、とても有名な御言葉です。

『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官です。』

イエス様が頭でひとりひとりは各器官を担っていることは皆さんがご存じだと思います。私たちの信仰生活の中には色々と目標になる人がいると思います。私たちはイエス様を目標としていますが、ある時は信仰の勇士、自分の手本となるような身近な人を見て、「あの人のようになりたい」と思い、その人をみ習う時があります。私の聖書には、いつもしおりが入っています。このしおりは韓国の釜山市の崔牧師先生からいただきました。愛知県民の森で行われた聖会の時に申賢均先生とご一緒に来られた牧師先生です。その時とても良い友だちになり、このしおりをプレゼントしていただきました。韓国で申賢均先生を知らない人はいません。そしてその申先生と一緒に伝道が出来る、また申先生と御一緒に講師となるだけでも光栄なことだそうです。その崔先生は申賢均牧師先生の大ファン。心底尊敬しているそうです。崔先生の自宅に行くと申先生の写真だらけだそうです。トイレにも申先生の顔が張ってあるというのです。とにかく先生の大ファンでメッセージも申先生のように飛び跳ねて真似しているそうです。申先生が白いスーツを着ればその先生も白いスーツを着たり、とにかく申先生を目指しておられるようでした。また数ヶ月前に礼拝の後、午後のプログラムでアルゼンチンのアドリアン先生・カンボジアの服部先生(この先生は浜北教会の方)など海外で宣教師として働いておられる先生方のところに、電話して今の状況を聞いたり、みんなでその宣教のためにお祈りするという祈祷会を持ったことがあります。その時、ロシアのモスクワで伝道しておられる一麦西宮教会の土田宣教師に電話して祈り合う時を持ちました。その時私たちもモスクワのためにお祈りさせていただき、土田先生も新城のために祈って頂きました。私はその祈りを聞いていて錯覚に陥りました。全く土田先生は下條先生と同じ祈り方をしていました。似るものだと思いました。祈り方でも各教会が違います。私たちはそんなに似ていないと思いますが、新城教会も同じような祈り方をするそうです。この教会の女性スタッフの一人が戦いの祈りをする時は足を踏みしめます。それを皆がそれを見て「すごい迫力ある祈り方だ。足を踏みしめている。」と言いますが、実際、他のスタッフや兄姉を見ても同じように祈っている時があります。不思議ですが、似てくるのです。また日本人は個性がないと言われています。最近、外国人を百人くらい並べて日本人のおかしいところを言っている番組を見ました。日本人は皆同じだ、全く自分の個性がないと言っていました。外国の人が見ると異様に見えるそうです。全くその通りで、日本人には個性がないと思います。新城教会の前を新城東高校の生徒が多勢通学していますが、全く同じ格好をしています。特に女の子は短いスカートでルーズソックスをはき、リュックサックをお尻の所まで落として歩いています。列車に乗って見ても、制服が違うだけで同じ格好をしています。自分が人と違ったことをすることには勇気がいるみたいです。「まだそんなことをしているの。ダサイ」と言われ、流行を素早くキャッチして、同じ格好をします。歌手の安室奈美恵が出てきて、日焼けした顔をしていれば、日本中が黒くなります。そして、鈴木その子という人や安室奈美恵が白い肌になれば、皆白い肌がブームとなります。全くはたから見ているとおもしろく見えます。日本は個性がないというのは本当だと思います。流行に敏感です。しかし人の事は笑えないと思いました。それは日本の教会、クリスチャンも同じことをしているのです。韓国にリバイバルが起きたという素晴らしいというニュースを聞くと、皆こぞって日本の教会は韓国へ行って、その秘訣を学びました。そのリバイバルの秘訣が祈りの力と教えられ、真似をして、真剣にリバイバルを求めて祈りました。早天祈祷会・徹夜祈祷会が始まりました。これは素晴らしいことです。そして今度アルゼンチンにリバイバルが起きたと聞くとみんなでアルゼンチンに行き、霊的な戦いを学びました。今度はアメリカのペンサコーラという町で素晴らしいリバイバルが起きたというと牧師先生はじめ信徒は大移動してみんなペンサコーラへ行きます。そんなことで一生懸命真似をしておりますが、日本の教会はどうでしょうか。実際リバイバルの起きた教会があるでしょうか。今日、御言葉で『あなたがたはキリストの体であって、一人一人は各器官なのです』とありますが、決して私たち、ここにいらっしゃる兄姉一人一人が同じ働きをするというのは絶対にあり得ないことです。教会はキリストの体です。各教会はに色々な器官です。その一つ一つを担っているいるわけです。多くの人が目だったら、顔に目ばっかり並んでたら不気味です。日本人というのは真似をしてばかりしています。韓国は韓国の賜物があるし、アルゼンチンはアルゼンチン、中国は中国と、その国々に賜物があるのです。日本もすべて真似をして、行おうというところに間違いがあると思います。リバイバルの国に習うことは大切です。しかしすべて真似をするから間違いなのです。今日、覚えていただきたいんです。あなたは一つの器官を担っています。兄姉、いくら夫婦であろうとも、あなたのお隣に座っている親しい友人であっても、その人とあなたとは違う器官です。心臓と肝臓が全く違う臓器のように、真似をしようと思っても、絶対に出来ないことです。ですからあなたはあなたで、あなたのために神様が与えてくださった賜物を精一杯働かせていただかなければならないということを今日学んで欲しいんです。
 自分の体験談ですが、順牧師がご奉仕でいらっしゃらない時に、夜の祈祷会のリードをさせていただく時があります。今は腰が痛く、長い間歩くことも立っていることも出来ないので、なかなか県民の森には行けないんですが、頼まれることがあります。だいぶ前のことになりますが、順牧師は油注ぎの賜物があるし、あのような祈祷会を本当に素晴らしい賜物でリバイバルのためにリードしていきます。しかし自分はどのように導いていけば良いのかわからず、ある時は、順牧師のリードしている所をよく観察して、自分も全く同じスタイル。方法で行ってみようと思いました。真似をして一生懸命、順牧師だったらこういう時にはどうやるのかな、こうやっていたなと考えながら真似をしたことがあります。何とか祈祷会は終わりましたが、自分の中では、正直言ってものすごい敗北感でした。自分のものを何にも提供することが出来なかった。やっても全部、何か空振りのような気がして、奉仕をして残るのは敗北感でした。また、私のようなものもこの講壇にたって礼拝メッセージをさせていただいていますが、いつも思うんです。明牧師は甲子園や武道館などの大会場でメッセージをし、力強く、常に恵まれ、素晴らしい迫力でメッセージをします。私にはとてもあのようなメッセージは出来ないなと思います。また順牧師は霊的に深みのあるメッセージをされます。霊的に鋭く、力強く、聞くだけで主からの油そそぎがあるみことば。霊的戦いで今まで知らなかった部分を示してくれるメッセージです。自分はあんなに素晴らしいメッセージは出来ないと思います。また信弘先生は信弘先生の視点で素晴らしいメッセージを語られ、いちばん自分が劣っている。そんな不信仰をいだいてしまう時があります。真剣に語っても、力がない、家族から「今日のメッセージのあの部分はおかしい。間違ったこと話した」と言われたりするとまたまたショックなんですね。とにかく真似をして格好良く、ビリー・グラハムのように聖書を持って「聖書にはこのように書かれてあります!」なんて言ってもあとが続かない。自分がいつも聖書から読んで、教えられることは単純なことばかりで、「こんなこと話したって皆わかりきったことじゃないか」と思います。しかしいつも祈りの中で、「私があなたに与えたみことばだ。語りなさい」と教えられ、励まされます。背伸びして、人の真似をしてもだめだということです。自分が神様に教えられたことをそのまま提供していけば良い。神様は「時にかなって美しいことをして下さる。」だから自分の与えられたことを素直に語っていけばいいんだと教えられるのです。何か奉仕しようと思い、祈り備えて奉仕して行くわけですが、決して真似じゃいけない。自分の持っている賜物を生かして、自分が与えられたものをそのまま奉仕していけばいいんだと本当に思います。仕事のことを考えても私はリバイバルミッションで電話など受けていますが、信弘先生は仕事が早くて、計算でも一緒に計算し始めてもすぐ答えを出してしまいます。本当に足元にも及ばない、すごいと思います。私はいくら逆立ちをしたって計算が早くなるわけではないし、私が電卓で必死に計算しても信弘先生の暗算の方が早くて追いついていかないのでその部分は賜物でかなわない。自分は自分の役割がある。神様が与えて下さった賜物、自分に任された仕事。自分ができる時間と能力で精一杯神様のために私は仕えていけば良いと教えられます。エペソの福音書の一章二三節に始めに『教会はキリストの体である』と書いてあります。今日、この新城の教会、愛する兄弟姉妹、あなたがこの教会に導かれたのは、この教会にあなたがなくてはならない器官だからです。新城教会の体の中で足りない部分があったから、あなたをこの新城教会に導いて下さったのです。今日もブラジルやペルーから来られた兄姉もいらっしゃいますが、神様はあなたが必要だから、不思議な計画の中で導いてくださったのです。何故あんなに遠い地球の反対側の方から、この愛知県の新城という田舎の教会に導かれて来たのでしょう。それは偶然、仕事・会社がここにあったからではありません。神様の計画なんです。またここにいらっしゃる兄姉の中で、遠くからお嫁に来られたり、諸事情でこの教会に来られた方も、自分の思い等でここに集まっているのではありません。覚えてください。あなたはこの新城の教会でなくてなならない器官だから、神様がわざわざここに導いてくださったということです。ですからキリストの体である教会を愛して行くと言うことを是非覚えていただきたいのです。全日本リバイバルミッションに時々「私は教会を変わりたいんです」と言われる方が電話をかけてこられます。しかし絶対に紹介しません。その時に「良い教会を紹介してください」と言われても、その方がクリスチャンだったら今自分の教会に行っているわけです。ですから他に変わりたいと言われてもハッキリお断りしています。その方は、自分の教会に何か不満があったりなどしてそう言うのです。でも私は絶対に「神様が導いてくださった教会です。どんなことがあっても、今の教会は、神様があなたを必要として導かれたのですから、へりくだって、ますます牧会者に仕えなさい。自分の教会を愛して行きなさい。」とお断りします。今日、ここにいらっしゃる兄姉の中で決してむだな方はいません。神様が必要だからこそ、この新城の教会に導かれたのです。この教会にあなたという素晴らしい器が必要だからこそ、あなたはここに来ているのです。そんなことを言うと「いや、私は素晴らしいと言われるような器ではない。自分には様々の問題を持ち、霊的にも束縛され、家族や自分の性格も問題があり、自分は信仰の強い者ではない。何も出来ない。私はだめな人間だ」と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。しかし一点一画変わらない御言葉は、イザヤ書の四三章の四節に『わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』自分がダメな人間だなんてとんでも無い。イエス様はあなたを高価で、愛している。あなたに命をかけてまで、愛している。世界一、あなたを愛していると言ってくださっているのです。またヨハネの一五章一六節にはこういう御言葉があります。『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです』こういう御言葉があります。自分が神様を選んだように感じるかもしれません。あなたに色々な問題があって、あなたから教会の戸をたたいたかもわかりません。しかしそうではなくて、あなたが選んだのではなく、神様があなたを選んでくださって、この教会に、イエス・キリストのもとに導いてくださったと言うのです。あなたは特別に選ばれているということを覚えてください。一億三千万人ぐらいの日本の人口の中で、キリスト教信者は本当に微々たる少人数です。しかし、その中であなたという器を神様が選んだということは、神様に愛されているのです。あなたでなくては、あなたでしかできない仕事が、このリバイバルの前にあるから神様が選んでくださたのです。また、エペソの二章の十節には『私たちは神の作品であって・・』と書いてあります。自分は何も出来ない、何の能力もない、自分はだめだと思っている人、それは神を冒涜していることだと思います。このような容姿、性格を造ってくださったのも、また素晴らしい家族を与えてくださったことも、経済的に祝福をくださったのも、乏しいことがある時も、神様がゆるされて神様があなたを造り、神様があなたを導いたのです。以前順牧師から「製品ではなくて作品だ」と素晴らしい御言葉を前に学んだことがあります。私たちは神様が造ってくださった手作りの作品です。神様が天地創造の時に全てを見て良しとされたとありますが、私も、あなたも神様が見てこれで良しと言ってくださった作品です。ですから決して自分はだめな人間だと思わないでいただきたいのです。神様の任命の中で、あなたは一つの器官を担い、一致して行くことが必要です。また第一コリント一二章二二節には『それどころか、からだの中で比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものです』とあります。だめだ、自分は劣っていると思っている方、ラッキー賞ですよ。神様があなたを特別愛してくださっている。本当にあなたこそ、なくてはならない器なんですよ。あなたこそどうしても必要な器官なんだということなんです。用いられている人を見ると素晴らしいな、あのようになりたいと私たちは思いますが、そうではない、あなたの方が神様から見たら素晴らしいのです。弱さを神様によって誇り、私は神様によって造られているから今の私でいいんだと告白して下さい。自分で自分の働きを精一杯、神様のために働いてください。私たちに対して戦いを挑んでくる暗闇の支配者たちは、私たちに「おまえはダメな人間だ」と聞かせてきます。すぐに人に目を向けさせます。あの人はあんなに素晴らしい、でも自分は、と。自分はだめだ、こんな環境じゃないか、こんな家庭じゃないか、こんな状況じゃないか、とすぐに人と比べさせて、私は何も出来ないと思いこませ、主の働きをストップさせてしまうのです。そうして、やらなければならない奉仕を全部ストップさせ、この地域に、日本にリバイバルをおこさせないようにさせます。あなたという器官が動かないために、大きな働きをすることが出来ないということを覚えて下さい。悪魔は、「お前はだめだ。あの人はあんなに素晴らしい。それに比べてお前は何だ」そのように声をかけてきます。しかし弱点だと思わされている部分。悪魔は絶対にそこを押さえていたら、この人は主のために良き働きが出来ないと、一番痛いところをぐっと押さえておくんです。話は余談ですが、私が散髪へ行った時、「上條さん、何歳になったの」と聞かれたので「今年七月に入って四二になった」と言うと「厄年ですね」なんて言われました。また「キリスト教って厄年なんてあるの?」と聞かれたので「ないよ。毎日が最高の日」と言って伝道したんですけども。色んな世の中では厄年で今年はだめな年、だめだと恐れさせます。悪魔はだめだと思わせて、その人たちを働けないようにしたら勝ちなわけです。だから弱点じゃないのに弱点だと思わせたり、だめだ、出来ないと、ストップさせるんです。しかし今日覚えてください。皆さん、弱点を喜んでください。そして弱点があったら弱点のままでいいじゃないですか。そのまま出て行って、あなたのその弱点のところは置いておいて神様にゆだねて、あとは自分の出来ることを、精一杯神様のために奉仕していけば良いのです。神様はそこであなたの器官を動かせてくだり、あなたを通してリバイバルに、祝福に導いて下さるのです。第一コリントの一二章一八節に『神はみこころに従ってからだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです』とあります。神はみこころに従って備えてくださったとあります。あなたの全てを神様はご存知です。あなたがどんな状況か、どんな力を持っているか、どんな性格か、どんな家族か、何もかもご存知です。
 第一テサロニケ五章一八節にこういう御言葉があります。『すべてのことに感謝しなさい。これがキリストイエスにあって神があなたがたに望んでおられることです』今、神様はあなたを見て、何を望んでいるとお思いですか?それはあなたの器官を生かすことです。今までどんな失敗があっても、神様は十字架の血潮によって全部赦してくださいます。そして何もかもご存知の中で、あなたに期待をかけています。あなたが神様の働きを喜んでする事を望んでいます。どうかすべてのことに不平、不満を思わないで下さい。口に出さないで下さい。そして感謝しましょう。今の自分を感謝しなさいと聖書は教えています。一二、三年前に私は病気をしました。その時なんの病気なのかわからず、痛みと戦っていたとき、本当に不思議なことですが感謝し始めた時に癒されました。感謝をし始めた時、痛み止めが全くいらなくなりました。そしてまた主の奉仕ができるようになりました。今の自分。病いも色んな傷も何もかも今日から感謝し始めてください。感謝し始めた時にあなたに神様は不思議なことをしてくださいます。自分を認めて、自分が神様の一つの器官を担わされていることを信じていけばいいのです。「神様、私のために、イエス・キリストが十字架かかり、あの地獄へ行ってくださり、三日目によみがえってくださった。十字架を感謝します。イエスキリストを救い主として信じ受け入れます。私が今あることを感謝します。私を神様のために精一杯働かせてください 」と感謝し、奉仕し始めるとき今日、神様は『わたしの目にはあなたは高価で尊い』、『神の作品だ』また『わたしはあなたを選んだ』とあります。比較的弱いところに神様はなくてはならない器官を用意してくださっているとも書いてあります。感謝しましょう。
 また皆さん、私は腰が痛い時に重たい荷物を運ぼうとする時、運ぶのをやめて、誰かにお願いします。運んでしまったらもっと悪くなるとわかるからです。弱いところはいたわるのです。今日、私たちは神様の体です。今日弱っている部分は特別神様が握っていてくださるということを覚えてください。自分に病があったら、そこをいたわるように、弱点、苦しみがあれば、神様がいたわって下さり、愛して「大丈夫だ。わたしがいるから」と神様が言ってくださるのです。今日、あなた自身でいいんです。今日お昼からチラシ配布があります。自分は大胆に伝道や語ることは出来ないけども、ポストにチラシを入れる事ぐらいなら出来る。できる事から始めて下さい。あなたの出来る範囲で良いのです。やり始めてください。教会の中で気づいた事があったら、誰かがやればいいじゃなくて、あなたが奉仕し始めて下さい。自分の出来ることをやり始める。真似をしないで、あなたのできることを始めて下さい。それがリバイバルの始まりだと教えられました。今日是非、あなたの器官をはたらかせて、一つとなって新城また、その地域のために、また日本のために働いていきましょう。あなたは神様が選んで下さった器官なのです。お祈りいたします。

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