今週の礼拝メッセージ
油注ぎを受けよう   1999.8.1(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 油注ぎを受けよう」 ヨハネの手紙第一2章27節
あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、―その教えは真理であって偽りではありません。―また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

 ハレルヤ!神がなさることは素晴らしいです。私たちが考えてみなかった計画を成し遂げてくださいます。今日は初めて来られた方もおられると思いますが、今からともに御言葉を学んでいきたいと思います。
 教会に来ると、一般では聞かない用語や概念が多く出てくると思いますが、それが皆さんの人生を変える鍵となります。ぜひ、注意深く聞いていただきたいと思います。また、神様の御言葉は人生を変えるものであり、新しい力を与えるものです。
 教会に来て、気がつくことは「唯一の神」の存在です。それは日本人の概念にはないことです。日本は多神教ですから、「神々」という概念はありますが、「唯一の神」という概念がありません。しかし、第一に、唯一の神様がおられることを知らなければなりません。唯一の神は天地宇宙を造られた方です。あまりにも大きくて目で見ることは出来ないのです。天地宇宙を造り、自己存在されている方とは、どんなに大きな方でしょう。
 時々子どもたちが、ドロ遊びで月や太陽を作っていますが、それらは自分の体よりも小さいものです。神様は天地宇宙を造られた方ですので、どれほど大きいかわからないはずです。人間が神を見ることが出来たなら、おかしなことです。
 しかし、そんな神が、私たちにわかるように、地上に来てくださいました。その方の名を、「イエス・キリスト」と言います。イエス様を見るならば、神ご自身がわかります。神が人となられたからです。神様が本当におられるならば、人間にわかるようにご自分を現してくださっても良さそうなものです。それをしてくださったのがイエス様です。
 聖書は、神が人間をどのように創造されたのかについても触れています。決して猿から進化してきたのが人間ではありません。神は人間を特別な存在として造られました。多くの種類の生物を造られましたが、人間だけが特別な存在として創られました。ですから、あなたはスペシャルです。他のものは全て人間のために造られました。しかし、人間だけが神様のために造られのです。
 地球を見ると、まさしく人間のために造られたと天体と感じます。暖かくなるとたくさんの花が咲きますが、花を楽しむことが出来るのは人間だけです。他の動物が花の周りに集まって「きれいだな」と鑑賞している姿を見たことはありません。人間のために神は草花を造られました。
 私は冬になるといつも神の存在を感じて感動します。それは、みかんを食べる時に、皮をむくと、何と、一口サイズに切ってあるからです。誰があんな風に食べやすくしたのでしょうか。神が人間のために、用意してくださたのです。
 聖書は、人間は、肉体だけの存在ではなく、他の領域もあると教えています。人間は肉体だけの存在ではありません。聖書を見ると、肉体と同時に「魂」もあると教えています。
 最近、人々は、心の安らぎを求めています。ちまたでは、「癒しの音楽」が流行しています。CDのレンタル屋に行くと、「癒しのミュージックコーナー」などがあります。人々は心の糧を求めています。人の理解出来る領域はそこまでですが、聖書は肉体と魂だけではなく、「霊」という領域があるというのです。「霊」とは人間を支配する部分です。私たちは気がつかないけれど、何者かによって支配されています。誰が人生を支配してくれれば、人生に良いことが起こるのでしょうか?それは、神が支配してくださるのなら、素晴らしい人生を送れます。
 神が人間を造った時、最後に、鼻から神の息を吹き込まれました。それで人は生き物となりました。
 人間には「霊」というパートがあるのです。こんなことは聞いたことがないことかも知れませんが、それは人の気づかない一番深い部分にあるのです。
 神が人間を造った時、エデンの園に置き、一つの命令を下されました。園にある全てを食べても良いが、「善悪を知る木の実」だけはとらないでください。「これを取って食べるとあなたは死ぬ」と神は言われました。アダムとエバという最初の人類は、それを聞いて「わかりました」と答えました。しかし人間は、「いけない」と言われるとやりたくなるものです。その時、悪魔の誘惑もあり、彼らは取って食べてしまいました。するとどうなったでしょうか。食べた途端に、和歌山のカレー事件のように、バタリと死んだでしょうか。そうではありませんでした。肉体的には別に死にませんでした。生きていました。何が起こったのでしょうか。その時、神の霊が去って行きました。それが神の言われる「死」でした。
 誰でも明日に対する不安を持っています。「明日は何が起こるのか」という、不安の中に生きています。七月が終わって良かったです。七月は、いつ恐怖の大王が降ってくるかと皆がビクビクしていたのではないでしょうか?私の娘は、「恐怖の大王が来ないかな。テスト勉強しなくても良いから・・・」と言っていましたが、その恐怖は過ぎ去りました。しかし明日のことはわからないので変な予言に惑わされます。人間はそもそも「明日」を持ってはいません。明日を持っておられる方はただ一人、神様だけです。神と呼ばれる方はどういうお方でしょうか。それは過去と現在と未来を、「現在形」で持っておられる方です。神の霊が私たちの中に住んでおられると言うことは、「明日」を持つことです。
 人間が罪を犯した結果、神の霊が去ってしまいました。しかし、イエス様を信じると、何が起こるのでしょう。外見上、あまり変化は起こらないかも知れませんが、神の霊が私たちの内側にもう一度戻って来られるのです。クリスチャンになったら、全部問題がなくなるわけではありません。しかし、明日を信じることが出来ます。なぜならば、明日を持っておられる神の霊が内に住まわれるからです。その方が、私たちを支配してくださるからです。
 今日、初めて教会に来られた方は是非知って下さい。イエス様を信じると、天地宇宙を造られた神の霊が、あなたの内側に戻って来られるのです。明日を知っておられる方、過去を取り戻せる方が、あなたとともに生きてくださるのです。
 キリスト教の歴史を見ると、その基本となった聖書が全て、約二千年前に成立しています。イエス様が地上に住んでおられた時代は印刷技術もなく、通信手段も交通手段も全く未整備でした。科学も全く発達していない時代でした。しかしそんな中でもキリスト教が完全に完成したのは不思議なことです。情報がなければ人間は前に進むことが出来ません。人間はいつも情報を取り入れながら前に進んでいくものです。全く情報を入手できないような時代に、キリスト教は成立しました。今日お読みした御言葉に、

『あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。』

  と書かれています。当時は、情報が大変少ない時代でした。イエス様について知りたくても、情報がありませんでした。又当時、イエス様に対して反対する人も大勢いました。しかし、イエス・キリストを信じた人々は横道にそれず、真理の道を歩み続けることが出来たのです。その秘訣は何だったのでしょうか。それは、「あなたがたの内に、キリストからの注ぎの油があるからだ」と書かれています。初代教会の中にあった、「神からの注ぎの油」、これは言い換えると、「聖霊ご自身の満たし」です。それがあったので、方向を間違わず、まっすぐに歩むことが出来たのです。
 「注ぎの油、即ち、聖霊の満たし」とは、神の霊が人生を支配することです。だから、神の霊が導いてくださるのです。
 二千年前は情報もなかったので、そのような働きが必要だったのだと言われるかも知れません。しかし、現代でも必要なのです。今は子育てや教育の中に色々な問題が取り上げられています。教育の世界は荒れています。どのように子どもたちを教育していくべきか、二一世紀に向かって、教育界はどこに向かえばよいか関心が高まっています。今の時代は昔とは違い、情報が溢れている時代です。私たちの子どもの時代は子育てが難しいなどとあまり聞きませんでした。しかし今はよく聞きます。昔は良かったけれども今はなぜ、難しいのでしょうか。それは子どもたちの世界に情報が溢れ過ぎているからです。今の子どもたちは、私たちの青年時代と同じぐらいの情報量を持っています。子ども達は瞬間、瞬間、実に多くの情報を受け取り生きています。ですから、顔は子どもの顔をしていますが、知識や情報量としては、大人以上のものを持っています。昔は一つのことを理解するまでに時間がかかりました。両親は子どもたちを、一つの理解に導くために色々と助けました。しかし、今は両親の役目がなくなってしまいました。子どもたちがテレビや色々なメディアを通して情報を取ってしまうからです。ある時は大人よりもたくさんの情報を持っています。良い情報も悪い情報も一緒になっています。何が良くて何が悪いかがわからないのです。危険な情報もたくさん流れていますので、今の時代は大変怖いです。
 何年か前に「ポケットモンスター」というアニメを見ていた子どもたちが、全国的に泡を吹いて倒れたりと大変なことがありました。あの事件に、どういう意味があったのでしょうか。もしかすると、あの後ろに悪霊的な力が働いていたかも知れません。あれは光の作用だと言われていましたが、その後、アニメ関係の仕事をしている方と少し話をしました。アニメではあのような手法はいくらでも使っているそうです。しかしあの番組だけなるのはおかしいと言われました。そこに悪霊的な力が働いていなかったとしても、今の時代は同時に影響を受ける時代だという神からの警告だったと思います。神の霊に満たされていると、そんな情報が氾濫している時代の中にあっても、「これが正しい情報ですよ。この道を歩みなさい。」と神が導いてくださることが「油注ぎ」です。だから、今は油そそぎがいらないということは絶対にありません。
 この教会には、多くの子どもたちがいますが、神様が子どもたちに油を注いでおられます。そして、素晴らしいことが起こっています。この教会では、土曜日に、「ほさなクラブ」という子ども対象の集会があります。あのポケモン事件の二週間ぐらい前に、子ども会の指導者、上條牧師が神様から一つの言葉をもらいました。それは、「ポケモンの番組を子どもたちに見せないように語りなさい」ということでした。その時、子どもたちはポケモンが大好きで、シールなどを多く集めていました。「そんなことを禁止して良いのだろうか」と思ったそうですが、神様が「それを言いなさい」と語られたので、子どもたちに「イエス様がポケモンを見てはいけないと言っているよ。危ないから」と言うと、子どもたちは反発していたそうです。しかし、何とその後、あの事件が起こりました。それで、「やはり、あれは神様からの言葉だった」と皆がわかりました。
 油そそぎは、あなたを全ての危険から守ります。私たちがイエス・キリストを信じると何が起こるのか、明日を知っておられる神の霊あなたの人生を正しい道へ導いてくださいます。聖書には、神の霊が臨んだことによって起こった記事が多く紹介されています。
 お父さんやお母さん方。子育てを上手くするにはどうしたら良いですか?それは、神の霊に満たされることです。特に、お母さんが油注ぎを持っていると、「生まれ出る子どもまでが神の霊に支配されている」と聖書は教えています。
 イエス様を生んだお母さんをマリヤと言います。マリヤが聖霊によってイエス様を身ごもって後、エリサベツに会いに行きました。マリヤがエリサベツに挨拶しました。何と挨拶しただけで、エリサベツは聖霊に満たされたと聖書は記しています。
 ルカの福音書1章に、『エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた』と記されています。
 何と、エリサベツはマリヤの挨拶を聞いただけで、聖霊に満たされ、お腹の赤ちゃんが踊ったのです。お腹の赤ちゃんにまで聖霊の油注ぎがありました。妊娠中のお母さんは絶えることなく、新城教会の週報に載っていますが、お母さん達が聖霊に満たされたら、お腹の赤ちゃんまでが聖霊に満たされます。私はこのことを何回も目撃しました。「逆子だから祈ってください」という方が何人か来られました。その方々のために、油注ぎの祈りをした途端、お腹の赤ちゃんが体内で踊り、正常に戻りました。聖霊ご自身に満たされるのが家庭円満と子育ての秘訣です。今、赤ちゃんを身ごもっているお母さん、聖霊に満たされてください。そうすると内側の赤ちゃんも聖霊に満たされて、バプテスマのヨハネのように神の立てた計画通りに生きることが出来ます。
 イスラエルは神様が選ばれた国でした。なぜならば、その国を通して、神の子であるイエス様が生まれ出る使命があったからです。だから神様はイスラエルという一つの国を選ばれ、国自体に聖霊の油を注がれました。聖霊の油が注がれたゆえに、エジプトにおいて絶滅寸前だった時にも助けられました。またその後の歴史を見ても、「もう駄目だ」という、危機一髪の時に、いつも神様の助けがありました。そして現代に至るまで、イスラエルが守られています。なぜならば、国に油が注がれたからです。
 神様はイスラエルを攻撃する敵たちに向かって、「わたしの油注がれた者たちに触れるな。」「わたしの預言者たちに危害をくわえるな」と語られました。だから敵は触れることが出来ませんでした。私たちが聖霊の油注ぎを受けると、あなたに敵が触れることが出来なくなります。
 私たちは不安な時代に住んでいます。ですから、自分を守ることに対しては大変敏感です。事故や病気やその他の災い時のために、守る手段をたくさん持っています。これでもかというくらいに保険に入っている方もおられるかも知れません。万が一の為の保険です。しかし、最も有効な守りの手段は、「聖霊の油注ぎ」です。神様が自分の子どもたちを守られ、「わたしの油注がれた者たちに触れるな」と敵に宣言してくださいます。聖霊に満たされることはとても大切なことです。またヤコブ書には、

『あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によってオリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは病む人を回復させます。』

と書かれています。「オリーブ油を塗って」とは、「聖霊の油注ぎとともに」祈ってもらいなさいということです。私たちが聖霊の油注ぎをいただくと、病から守られ、病の癒しが起こるというのです。これは素晴らしいことです。最近、教会の中に癒しが起こってきます。それは油が注がれているからです。これは人間的なものではありません。神の油が注がれる時に、癒しが起こって来ます。これは人間が何かをやっているのではありません。神の油があるところに業が起こるのです。
 約一ヶ月半前に私はアルゼンチンとブラジルに一五日間ほど行きました。そして、私は毎朝起きた時に祈る祈りがあります。それは、「今日も一日、神様が持っておられる計画書通りに生きることが出来ますように」と祈ります。アルゼンチンに出かける朝もそのように祈りました。私は旅に出掛ける、大体、一時間ぐらい前に荷物を整えて出発して行きます。その日は午後の飛行機に乗ることになっていたので、朝起きて荷物をまとめていました。すると電話がかかってきました。「先生、ちょっと祈って欲しいのですが、今から行って良いですか」と言われました。中学生の娘さんがずっと精神的な病で入院しており、ちょうど出てきたところなので祈ってください、という電話でした。私の知り合いだったので、「どうしよう。・・荷物準備していないし、断ろうか」と思いましたが、「神様、このことが計画書に書かれているならばやります」と祈り、来てもらうことにしました。そして、私はその方のためにお祈りしてあげました。その子は話が出来ませんでした。暗い顔をして、色々と質問しても全然話すことが出来ないし、ご飯もあまり食べることが出来ずにやせていました。でも、新城教会に癒しを与えてくださっているので、その証しをし、祈ってあげました。
 私たちが癒しを受け取る、また油注ぎを受け取るための条件があります。まず第一に、「イエス様を救い主として受け取る」ことなので、「まずイエス様を信じましょう」と言い、信じる祈りを導きました。そして罪があったら、油注ぎは来ないから、罪を悔い改める祈りと、もう一つ大事なことは、「今まで関わってきた悪霊との関係を断ち切る」ことです。偶像を拝んだりすると、悪霊との関係があるから、それを完全に断ち切って祈ってあげました。しかし私が、「後について祈ってください」と言っても、後について祈ることも出来ない。声が出ない。でも、祈ってあげました。時間がかかりました。祈った後も見たところ何の変化もありませんでした。
 それで別れて、しばらくして、ちょうど空港に行こうとした時、また電話がかかってきました。何か良いことがあったかと思うと、「全然良くならないんです」と言われました。そんなことで電話をするな、と思ってしまいました。今から宣教のために飛行機に乗ろうと言うのに、心くじけるような思いでした。「全然良くならないのですよ。しばらくうちの娘をそっちで預かってもらえませんか」と言われました。「私は今から飛行機に乗るところだから、そんなことは出来ません。ごめんなさい」と言って電話を切りました。
 「祈ってもらったけれど、何も良くならなかった」と言われました。ちょっと惨めでした。私の祈りを神さまは聞いてくれなかったのか、と思いました。
 しかし先週、私はその方からメールを受け取りました。こう書かれていました。

(手紙)
「お久しぶりです。私たちはとても元気です。私たちの娘はとても元気になりました。彼女のためにお祈りありがとうございます。彼女のために祈ってくださってから、彼女は誰が見てもわかるように、際だって良くなりました。彼女の祖母が、「どうして突然、そんなに良くなったのか」と彼女に尋ねると、「新城教会の牧師に祈ってもらってから、こんなに良くなった」と言いました。(このおばあちゃんは、教会が大嫌いな人だったそうです)祖母は人々に、「新城教会は癒しの教会だ」と宣伝しています。ハレルヤ!」
(ここまでが手紙)

 彼女は癒されないと失望して帰って行きました。でも、そこから癒しが始まりました。誰が癒されたのでしょうか。これは油注ぎがとどまり、神の霊がその人を癒し始めたのです。素晴らしいことです。教会が嫌いだというおばあちゃんまでも、「何でこんなに良くなったんだ」と今では宣伝してくれてるようです。
 私たちは信仰生活を持っていく上で、言い換えれば人生を歩んでいくために必要なことは、神の霊に支配される、即ち、神からの油注ぎをいただくことです。これは神からの権威、自由、愛、癒しなど、すべての良きものはその中に含まれています。
 神の霊が内側に戻ってくる事、これが一番大事なことです。イエス・キリストを信じていない時代は、神の霊が去ってしまっている状態です。でもイエス様を信じる時に、私たちの内側に、神の霊が戻って来られます。そして支配が始まります。それが油注ぎです。今日ここにおられるす全ての方々に、油注ぎを受け取っていただきたいと思います。そして素晴らしい人生を送っていただきたいと思います。あなたの人生が自分のためではなく、神のために用いられる人生になっていきます。これは上からの油注ぎのゆえです。これを受け取ろうではありませんか。どのようにして受け取ったら良いのでしょうか。第一にイエス様を救い主として信じることです。第二番目に「罪を赦してください」と悔い改め、素直に神の前に出ることです。第三に、今まで霊の部分を握っていた悪霊とのつながりを断ち切ることです。そして、「主よ。どうか、私を満たしてください」と祈るのです。その時に新しい油が注がれて、あなたの人生を神の霊が支配するようになります。今日、赤ちゃんからお年寄りまで、皆、聖霊の油注ぎを受けて、神の霊に支配されるようになれば、どんなに複雑怪奇な情報が氾濫している世の中でも、「これが道だ、ここを歩め」と真理の道を歩むことが出来るのです。お祈りします。

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