今週の礼拝メッセージ
新しいあなたを築く   1999.10.3(SUN)

新城教会牧師 岡本信弘

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 コリント人への手紙第一 15章58節
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 ハレルヤ!主の御名を心から賛美します。皆さんと一緒にこのように主を礼拝出来ることを感謝します。いつも皆さんのお祈りに支えられてこの働きが祝福されていることを感謝します。暑い夏が終わったと言ってもまだまだ暑いですが、皆さんのお元気そうな顔を見ることが出来、感謝します。
 今日お読みした御言葉に「いつも主のわざに励みなさい」と書かれています。ここには三十年、四十年、また、最近救われた方もおられますが、私たちクリスチャンは神によって、絶望、滅びの中から贖い出され、救われ、変えられ、新しい人生がスタートしました。皆さんはいつも主のわざに励み、神様の喜ばれることをしたいと願っておられると思います。私もいつもそのように願いながら、なかなか出来ていない自分を思って、なぜ出来ないのか、というジレンマに襲われます。イエス様を信じた時から、私たちは新しい人に変えられていますが、そこからさらに新しい自分を築き上げていくために何が必要であるか、「新しいあなたを築く」というテーマで皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
 皆さんは毎日忙しい中にあると思います。私も忙しい中で、物忘れが激しくなりました。年のせいかも知れませんが・・・。忙しい毎日が続く中で(私は忙しいのが好きなので問題はありませんが)、たくさんのことが集中した時など、なかなか思うように奉仕がはかどらず、よくつぶやいてしまいます。そんな私を見て、家内が「あなたが自分で忙しくしているのだから、つぶやくのはやめなさい」と言いました。そう言われて、「つぶやいてはいけないなあ」と思います。忙しくなると、やらなければならないことを忘れてしまいがちなので、私は朝、皆よりも早く事務所に来て、自分がやるべきことを箇条書きします。そして一つ一つ終わったことを消していきます。終わる一方で次のやるべきことが出てくるので、もう一度整理して紙に書き直します。しかし、そのようにしても忘れることがあります。絶対に忘れてはいけないことはなかなか忘れませんが、どうでも良いと思っていることは忘れてしまうことが多いです。時としてその時はどうでも良いと思って忘れてしまったことが、後からとても重要だったということもあります。
 ここには年配の方も、また若い学生の方もおられます。私も学生の頃、「学生の本分は勉強だから、勉強しなさい」とよく言われましたが、わけも分からない方程式を学びながらこれが将来何の役に立つのだろうか、必要ない、と反発したこともありました。今、親になって、子供たちに勉強しなさいと言うわけですが、無理に覚えなさいと言っても、後から役に立たないということもあるので難しいのですが、将来どのような仕事に就くか分からないので、学生時代は色々なことをできるだけ蓄えていくことが必要だと今になって思います。皆さんの中にも、あの時にもう少しやっておけば良かったと思っておられる方もいると思います。ですからその時は無駄であるようでも、努力し、労苦することはすごく重要なことです。主婦の方にとっては、家事が重要な仕事の一つだと思います。同じことの繰り返しのような毎日に、無駄に日を過ごしているように感じることもあるかもしれませんが、それはどうしても必要なことであり、子供に受け継がれていく大切なことです。
 先程ある子供に「先生、今日メッセージですよね。短くしてくださいね」と言われました。小学生にとっては礼拝に来て御言葉を聞くことは、苦痛というかとても長い時間に感じられると思います。私も子供の頃は、早くメッセージが終わらないかなぁ、といつも思っていました。しかし、礼拝に出席することは、何も聞いていないようであっても、将来必ず益となることを覚えてください。
 今は時代が加速して移り変わっていきます。時代とともに教会も動いています。私も生まれてからずっと、四十年もの教会生活をしてきましたが、教会も昔と比べると随分変わってきたと思います。今私は忙しく奉仕していますが、学生の頃は教会ものんびりしていました。皆釣りに行ったり貝拾いに行ったり、毎週のようにキャンプに行ったりと、遊んでばかりいたのを覚えています。昔の教会はバルコニーに畳が敷き詰めてあり、私は三年ほどそこで生活した覚えがあります。家に帰って次の日の用具を調べてカバンに入れ、教会のバルコニーで寝て、そこから学校に行くという生活をしていました。そのようなことをメッセージを考えながら思い出し、楽しかったと、なつかしい気がしました。今は全く違う忙しい毎日を過ごしています。どこで人生を狂ってしまったのだろうかと思います。
 一つの転機は甲子園ミッションだと思います。以来、人生好転したというか、狂ってしまったというか・・・。十年以上前からこの教会に来ている方は、新城教会も随分変わった、と思っておられると思います。世間を見ても九十年代に入ってバブルがはじけ、それと同時にありとあらゆるものが変わってきたと思います。私は今、印刷の仕事をしていますが、印刷関係はハイテク、デジタル、コンピューターと、以前の印刷スタイルと全く違う方法で行われるようになりました。昔からの伝統を生かし、新しい機械を導入することもなく、時代に乗り遅れた印刷会社がつぶれてしまっていることも事実です。
 今は世紀末、終末の時代です。これは誰も否定することが出来ない状況です。経済的なことばかりではなく、地球温暖化やゴミ問題、先日起きた地震や竜巻などの自然災害。年々地震の回数は急増しています。いつ終わりが来てもおかしくないと言えます。マタイ二十四章には終末について書かれています。偽キリストや新興宗教など、色々な問題が起き、戦争、飢饉、疫病がはびこり、不況の中で職を失い苦しんでいる人も大勢いる今、聖書の中で言われていることが、今まさにすべて起こっているというような時代です。しかし、私たちはこの多くの問題を、どうすることも出来ません。
 甲子園ミッション以前、私はこの教会と、属していた教団以外の教会を知りませんでした。しかし、甲子園以来、色々な教会に行くようになり、気づいたことは、日本に福音が入って百年以上経っておりますが、いまだにクリスチャン人口が一%に満たない現状です。毎週教会に通っている人は二十五万人くらいだと言われます。人口の約〇・二パーセントです。なぜでしょうか。何かが違う、何かが足りないと、皆さんも感じていると思います。皆さん自身のクリスチャン生活ではどうでしょうか。自分の信仰生活を見る時、救われた時の喜びを持続し、尚成長していくべきであるのに、どこかが違う、何か足りないではないかと思います。私たちはずっとリバイバルを祈り、励んできました。しかし何かが足りないという中で、毎週のように語られている『霊的な戦い』が不可欠な要素です。「またですか」と言われる方もあるかもしれません。私は同じ要素のメッセージをすることは得意ではありません。滝元先生はよく同じ伝道メッセージをされることがあります。私も何回か同じメッセージを聞いたことがありますが、同じメッセージであるにもかかわらず、感動を覚え、そこに神様のわざが現されていることを思います。それは確かに神様から与えられたメッセージであり、その時々に必要だからこそ語られるのだと思います。ですから、今、繰り返し霊的戦いのことが語られるということは、どうしても必要なことだからこそだと思います。甲子園以来、私たちに教えられてきた霊的戦いなしに私たちの教会が成長することもあり得ないし、私たちのクリスチャン生活を新しく築いていくことは出来ないのです。
 甲子園以来、私たちは色々な戦いをしてきました。それは、皆が神社・仏閣に行って戦いの祈りをするということではありません。私たち一人一人の生活における戦いがあります。私たちの最終目標は、「私たちの国籍は天にあります」と書かれているように、天国に行くことです。しかし、何となくクリスチャン生活を全うし、天国に行ければ良いかというと、そうではありません。
 今、世の中では色々な流行が早いサイクルで変わっていきます。服装にしてもある時はミニスカート、ある時はロングスカートが流行ります。またいつか元に戻りますので、皆さんが持っている服も、今は流行遅れでも持っていればそのうち流行が戻ってきますから、あわてて捨ててしまうことはありません。それは流行であり、その時にそれに合わせることは悪いことばかりとは言えません。しかし、流されて良い流行と、そうでない流行があります。世の中の道徳は今、とても乱れています。高校生、大学生、社会人など現代の若者に聞いても、姦淫、不倫、フリーセックスと、性的な問題において、結婚前に姦淫をしても何も悪いことではない、当たり前、と思っている時代です。それが世間の常識となりつつあり、そうではないという人はまともではないと言われてしまうような時代になってきています。しかし、私たちクリスチャンは、そのような世間の汚れた基準に合わせることは、決してしてはいけません。私たちはいつも変わらない基準、聖書の基準に照らし合わせ、何が素晴らしいことかをしっかりと見据えていかなければなりません。神様から与えられている基準をしっかりと守り通すべきです。
 世の中がどんどん変化していくのに対し、日本のキリスト教会は時代遅れの部分があると思います。色々な教会をまわった時に、伝統を守るという基準に縛られた教会をたくさん見ました。「霊的戦いについて、神学校でも教会でも教えてもらったことが一度もない。そのようなものは単なる一時の流行だ。アルゼンチン、韓国で起こされているリバイバルを、流行だからといって日本に持ち込んでもすぐに駄目になる。流行に流されるのは良くない。私たちはあくまでも聖書信仰に立つべきだ」と言われる先生方が多くいます。私たちも聖書信仰にいつも立ち、すべてのことを聖書に照らし合わせ、何が良いことか何が悪いことかを、いつも主に求めています。聖書は、その時代、時代において何が必要かについて明確に教えてくれます。この終末の時代に、神様は私たちに敵をはっきりと知り、敵に立ち向かっていかなければならないことを教えています。しかし、多くの教会がいまだに伝統を守り、聖書信仰に立つと言いながら、実は昔のままで、何も変わっていない、何も築き上げられていないというのが現実です。十年、二十年前のままです。皆さんのクリスチャン生活はどうですか。
 皆さんはメッセージを聞き、愛し合いましょう、助け合いましょう、伝道しましょうと語られる時、「そうだ。がんばろう」と思います。しかし、教会から一歩外に出ると、忘れてしまうわけではないけれども、なかなか出来ていない現実があります。それは人間が弱いからです。私たちは神様のわざに励みたいと思っていますが、と同時に、私たちがそうしたいと思えば思うほど、サタンは何とかそれを阻止しようと私たちに攻撃を仕掛けてきます。愛し合いましょうと聞いて実行しようとする時、それを取り去るのはサタンです。伝道しようと思って意気込んで出掛けようとするのをとどめるのもサタンです。聖く生きようとさせる聖霊様の働きがある一方、悪魔の働きがあるのです。私たちはそのことをしっかりと知って、敵に戦いを挑むべきです。クリスチャン生活の中で、私たちが何かを神様のためにしようとしたり、御言葉を実行しようとする時、必ずそこにサタンとの戦いが起こるのです。
 この情報化時代に、コンピューターなしに膨大な事務処理することは一日たりとも出来ないような時代です。電車、バス、飛行機などの交通機関、また生活の様々なものがコンピューターで管理されている今、たとえ、「家にはコンピューターなんて一台もありません」と言われる方がいたとしても、知らず知らずの内にコンピューターに動かされている毎日です。二千年問題と騒がれていますが、九十九年から二千年に変わった時、交通機関に支障がでるのではないか、電気やガスが止まるのではないかなど、色々なことが言われています。それほどすべてのものがコンピューターに動かされています。コンピューターがなかったら私たちの生活は成り立たないのです。今では戦争もハイテク技術を駆使した最新兵器があり、衛星によって、どこに基地があり、どこに何人配備されているかが容易に知ることが出来る時代です。私たちの戦いも最新の武器を取ってサタンに立ち向かうべきです。時代遅れのような刀を振り回して戦っても、とうてい勝ち目はありません。そのような時代に私たちがいることを覚えるべきです。リバイバルを願う私たちが、戦う相手も知らず、武器も持たず、闇雲に出て行くなら、皆殺しになってしまうのです。
 それでは、私たち自身が築き上げられていくためには、どうしたら良いのでしょうか。、ローマ書には、一人一人が賜物を生かすべきであると書かれていますが、私たちは霊の戦いを意識しながら賜物を生かしていくことが大切です。預言、奉仕、教え、勧め、分け与える、指導など、色々な賜物があります。私たちは賜物を生かして働きたいと願っていますが、やはりそこにも何とか阻止しようとするサタンの働きがあり、なかなか実行出来ない自分を見いだします。しかし、忘れてはならないことは、神様が、一人一人に恵みや祝福を与え、主のために働けるようにと私たちを整えてくださるということ、そして、助け主である聖霊様を遣わし、私たちを助けてくださるということです。そして私たちがそのことを意識していくならば、私たちは賜物を生かし、神様の恵みを分け与える者となることが出来るのです。また私たち一人一人は、キリストのからだ、各器官だと言われています。ここにいる皆、子供からお年寄りに至るまで、なくてはならない一人一人です。どこか異常があったり、痛みがある時、からだ全体が弱くなるということを皆さんはご存知のはずです。ですから、弱い部分があったなら、お互いに祈り、励まし、お互いの賜物を用いて、助け合いましょう。

『いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから』

 この御言葉に述べられているとおり、今まで皆さんがクリスチャン生活の中で労苦し、奉仕してきたことは一つとして無駄なことはありません。この教会のことを言えば、甲子園ミッションの時に一大決心をしてその働きを始めました。それによって悲しいことも、つらいこともあったことは事実ですが、それ以上の素晴らしい恵みを受けました。甲子園後、二、三年のうちには東京でリバイバルミッションしたいと言っていたのですが、借り入れをしたこともあり、期間が延び、五年後の昨年、日本武道館で十日間の東京リバイバルミッションが開催されました。しかし、そのことも神様の御心だと思います。あの東京でミッションを行うには、それだけの準備の期間が必要だったのだと思います。そして、東京リバイバルミッションでも、素晴らしい恵みと祝福を頂きました。昨年のミッションから二年後の来年、スーパーミッションを開催しようと計画がなされました。まだ早いと思う方も、大丈夫だろうかと思う方もいるかもしれません。しかし、今時代が急変していることを覚えてください。急を要するのです。私たちは神様がなそうとしていることに目を留め、それを止めてはならないと思います。私たちはそれをサポートするべきです。
 今後私たちに残されている課題は、今のところからどれだけ積み上げていくことが出来るかです。クリスチャン生活は、ある時は良くて、ある時は悪い、ある時は成長し、ある時は後退しているような気がする、ではいけないのです。ピリピには「今あるところを基準にして進むべきだ」とあるように、私たちの基準である神様を土台としてしっかりと立ち、さらに今立っているところからどれだけ積み上げていけるかが大切です。私たちは主のために何が出来るでしょうか。神様は私たちに出来ないことは望まれません。今日も午後からミッションの発送作業がありますが、皆さんが奉仕してくださり、ニュースなどを封筒に入れてくださり、それが送られていく。毎月全国約一万三千件にそれが届けられるのです。皆さん一人一人は全部の教会、個人に案内をすることは出来ませんし、アピールも出来ません。しかし、皆さんの奉仕によって、全国の祈りの勇士に届けられて祈りが積まれ、多くの尊い献金がな成されて、この働きが支えられています。これは大変重要な役割です。無駄ではありません。
 来年、この教会は会堂建築二十周年、滝元明先生ご夫妻の宣教五十周年を迎えるに当たり、じゅうたんの張り替え、外壁の塗り替えるをすることを願っています。そのほかにも色々な必要がありますが、その一つ一つのために皆さんがささげられる精一杯のことをしていくならば、それが用いられ、色々な働きに変わっていくのです。その時には無駄に思えることも、神様は私たちの行うすべてを覚えておられ、すべてのことを益とし、多くの収穫が与えられると私は信じています。イエス様がこの地上に来られた時に、へりくだった者として、仕える者としてこの世に来てくださったように、私たちもへりくだって、仕える者としていただきたいと思います。そのためにもいつも霊の戦いを意識して、御霊が与えてくださる武具をしっかりと身につけ、信仰の大盾によって私たちに飛んでくる悪魔の火矢を跳ね返し、神様が私たちを通してなそうとしているわざを百パーセント行える者になっていきたいと願います。お祈りします。

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