今週の礼拝メッセージ
将来と希望を与える神   1999.10.17(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 エレミヤ書29章11節
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 私たちにとって一番大切なことは神様について良く知ることです。神を知るときに、素晴らしい将来と希望が与えられます。今日はこの御言葉をぜひ、自分の御言葉として受け取ってください。エレミヤ書二十九章十節から十二節までをお読みします。

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

 聖書はユダヤ人を中心として書かれています。この箇所の背景はバビロンに七十年間捕囚され、苦しめられていたユダヤ人に対する言葉であり、また、元住んでいた国に戻らせてあげる、という神の素晴らしい約束です。
 七十年とは、ひとりの人生です。ある人は若い頃に補囚され、七十年間バビロンに苦しめられていました。「もう私には何の望みもない。」というそんな時、神がエレミヤを通して語られました。「あなたを元住んでいた家に帰してあげる。そしてあなたの人生は将来と希望に満ちたものだ」と約束を語られたのです。
 この預言の言葉はユダヤ人に対する言葉ですが、聖書が素晴らしいのは、それだけに止まらず、信じる者たちに同じく適応されることです。今日、この御言葉はあなたのためにも用意された言葉です。
 この預言はすでに、ユダヤ人の中に実現したものです。それだけに裏付けがあります。ユダヤ人は七十年後、本当に自分の国に戻ることが出来ました。そして、イスラエルを再建しました。現実に預言が成就したのです。これは、今の私たちにとっても大きな望みです。私たちに対しても、神様は、「あなたの将来には望みがある」と語って下さっています。
 実際、今の時代、希望をなかなか見出すことが出来ません。しかし、主を信じる者には、「あなたがたの将来には希望がある」と言われます。十一節に、

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』

 互いにこの御言葉を宣言し合いましょう。これはあなたのための言葉です。イエス様を心からほめたたえましょう。この御言葉を自分のものとして受け取ることは素晴らしいことです。
 神は、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。」と言われます。あなたには神の計画があり、神はその計画を知っておられるというのです。なぜならば、神は私たちを創造して下さった方だからです。そして創造だけに留まらず、将来に対する希望の計画書も与えてくださいます。エペソ二章十節に、

『私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。』

 工場に勤めておられる方は何を作られていますか。「私は工場で作品を作っている」という人はいないと思います。工場で製作するものは「製品」です。聖書は私たちは神の「作品」と書かれています。辞書によると作品とは、「作者が心を込めて制作したもの」となっていました。今日ここにおられる一人一人は神の作品です。一人一人神様が心を込めて作って下さった作品であることを知って下さい。ちなみに製品とは、「販売を目的に大量に作ったもの。」と書かれています。私たちは神の製品ではなく作品です。
 クリスチャンになると幸せの概念が変わります。イエス・キリストを信じる前は「幸せ」とは「追い求める」ものだと思っています。追い求めてなくては幸せを受け取ることが出来ないと考えていました。しかし、イエス様を信じて聖書に出会うと、幸せは追い求めるものではないことがわかってきます。どうしたら受け取ることが出来るかというと、「良い行ないをも、あらかじめ備えてくださったのです。」とあります。「良い行ない」とは「幸せ」とも置き換えることが出来ます。これは「あらかじめ備えられている」ものだと記されていますので、それを受け取るべきです。今日、私たちは神様に請求する権利があります。それは、自分のために用意された「良きもの」を受け取る権利です。神があなたのために用意された良いものを「私のために用意された良い計画書をください」と手を出せば良いのです。今まであなたは、その良きものを探して旅をしていたかも知れません。しかし、探していても見つからないのです。これは受け取るべきものです。神様が私たちのために良き計画を立てて下さっているのです。
 いつ計画を立てて下さったのでしょうか。重要な計画ほど、長い時間をかけて準備します。来年スーパーミッションがあります。東京では四十日も続く集会です。そのために私達は一生懸命時間をかけて準備しています。神が人生に対する良きものをいつ計画されたのかを知るのは、人生に素晴らしい目的がある事を知るきっかけになります。エペソ一章四節に、

『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。』

 私たちの人生は天地宇宙が出来て殺風景だから人でも造ろうと計画されたのではありません。天地宇宙の基が始まる前に、すでに人に対する計画があったのです。今日、ここにおられるすべての方々の人生が決定づけられたのは、天地宇宙の始まる前だというのです。「使徒の働き一七章」には、神は国々、国境、時代を定めて私たちを生まれさせてくださったとあります。今日、大きな計画があることを知っていただきたいと思います。そして神は計画を忘れる方ではありません。覚えておられます。人間はよく忘れます。約束しても忘れてしまうことが多いです。私も約束しても忘れてしまい、忘れっぽいと言われます。神様は永遠に生きておられても決して忘れません。すべての計画をご存じです。今世界に約六十億人が住んでいますが、その一人一人に対する計画をしっかりと把握されている方です。全てを知っていなかったら神ではありません。それも悪い計画ではなく、良い計画です。
 新約聖書はギリシャ語で書かれましたが、「良い」という言葉には二種類の言葉があるようです。一つは外的優美性に言及するものです。外から見て良いと言われるものです。しかし、良い行ないをあらかじめ備えて下さったという「良い」は、外的優美性に言及するのではなく、「そのものの性質が選りすぐれている」という言葉です。今日、私たちに対して神様が語っておられることは、外側が良いと言われるのではなく、内側を見て「良い」と言われるのです。神様が造られたものは中身が重要です。今日は中身が優れている方々がここに集められているのです。神様の計画書を受け取らなくてはなりません。人間は外側を見ます。しかし、神は外側ではなく内側に目を留められます。「あなたへの計画は決して悪いものではない。わざわいではなく平安を与える計画です。」と言われます。ある方は、外側の状況を見て、「そんな言葉は信じられない」と言われるかも知れません。今の世の中は良いことよりも、わざわいの方が多いではないでしょうか。「わざわい」というキーワードで新聞を読むと、それに関連した多くの事柄を発見できます。旧約聖書の「わざわい」という言葉は、「悪に関すること」であり、その意味を調べると、「問題、悲しみ、苦痛、病気、逆境、不快、苦しみ」等、悪に関することばかりです。
 紀元二千年が来年ですので今は世紀末ムードがあります。そして、ハルマゲドン、人類滅亡、二千年問題、殺人ウィルス、狂牛病、遺伝子組み替え、放射能汚染などの言葉か多く目に付きます。少し前に茨城県東海村で臨界事故が起こりました。あれは村の真ん中で核爆弾が爆発したようなものです。もう少し悪かったら町が吹っ飛んでしまったかも知れません。また、「自然災害」というキーワードで調べてもたくさんありす。トルコや台湾で大地震があったり、豊橋で竜巻があったりしました。竜巻はアメリカの大草原のことかと思ったら、私たちのすぐ側で起こったのです。また、少年少女の関わる殺人事件も最近多いです。それも普通の殺人ではなく、猟奇殺人です。手足を切ったり、首を切って捨てたりと考えられないことをしています。また、マインド・コントロールやカルトという言葉を耳にします。それらは全てわざわいに属するものです。現在、私達のまわりで起こっていることを見ると、計画は平安ではなく、わざわいを与える計画と思うほどです。これは、神から離れた結果であると聖書は教えています。しかし神様に立ち返って、手を差し出すならば、それは「わざわいではなく、平安を与える計画」を用意していると言われます。この計画書を私たちは受け取るべきです。将来と希望を与えるためのものだと語っています。
 「平安」の意味は、「平和、無事、安全」という意味です。今はとても危ない時代です。うかつに道も歩けません。神の守りがなくては私たちは生きていくことが出来ません。神様は私たちを守って下さる方です。主を信じるならば、平和、無事、安全を保障して下さるのです。神様は私たちの所に天の軍勢を遣わして下さるのです。そして、わざわいから私たちを守って下さる方です。今日、皆さんの所に天の軍勢が遣わされて、平和と無事と安全が与えられるように祈ります。天使は、目に見えない霊的な領域と、目に見える領域の両方を渡りながら私たちを守るために働きます。危機一髪の所で神が守ってくださいます。
 先週、私たちの教会に危険なことがありました。早天祈祷会が毎朝行われますが、その帰りに、二人のクリスチャンのおばあちゃんが教会の近くで立ち話をしていると、目の前で車がぶつかったそうです。するとその二台の車がおばあちゃん達に向かって突進してきました。なんと、後ろは石垣でした。一人のおばあちゃんの足に車がぶつかりました。足がぐちゃぐちゃになったかと思いましたが、不思議なことに足はちょっとした打撲で、腕はもしかしたらひびが入っているかも知れないという程度でした。(後の検査で何の異常もないことがわかりました)また、もう一人のおばあちゃんは、二台の車の間に挟まれましたが無傷でした。一歩でも左右どちらかに動いていたら、体はつぶれていたかも知れません。それはまさに、天使たちが遣わされておばあちゃん達を守ったのだと思います。神様の計画書がそこになかったら、一瞬で私たちはこの世を去らなくてはなりません。しかし、わざわいではなくて、平安を与える計画を神は私たちに下さっているのです。
 「希望」とは、望み、期待、絆、という意味があります。私たちは望み・・絆を持っています。これは永遠の世界に対する絆です。
 エレミヤ書二十九章十二節

『あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

 神様は人間とコミュニケーションする手段を提供してくださいました。この原則に従うべきです。それは「呼び求める」ということです。「呼ぶ」という言葉はヘブル語で「宣言」という意味があります。宣言とは、先ほど、「これはユダヤ人のためだけではなく、私のための言葉です」と宣言しましたが、「神様が私に立てている計画は、わざわいではなくて、将来と希望を与えるためのものだ。」と宣言することです。
 また、呼ぶという言葉に大変興味深い意味があります。それは「書物を読む」と言う意味です。聖書の中に神と出会う方法が書かれています。聖書の中に私たちの計画が詰まっています。私たちが人生の中で神の言葉を基本として生きるならば、あなたはわざわいではなく、将来と希望を受けることが出来るのです。そして「呼び求め、歩くなら・・・」と書かれています。「歩く」とは生活する、出発することです。これは私たちが御言葉を信じて実行することです。また、「離れる」という意味もあります。これは罪の場所から離れることです。私たちが罪の場所にいたならば、決して祝福されることは出来ません。離れるために出発するべきです。罪から離れて生活するならば、神様はその祈りを聞いてくださるのです。「祈り心」は誰でも持ち合わせている性質です。世界中の人で、私は産まれてから一度も「祈りたい」という衝動にかられたことはない、という人はいないと思います。祈りたい気持ちは誰にも沸き上がってきます。これは神様と会話するために与えられた能力だからです。私たちはそれを使わなければなりません。これには対象が必要です。「イエス様の名前」を通して祈ることです。その時、イエス様を通して神ご自身に語ることが出来ます。あなたが祈るならば、私はあなたに聞いてあげるというのです。祈りの中で将来と希望を受けることが出来るのです。
 また、この「祈り」を、ヘブル語で「パーラール」と言います。これはただの祈りではなく、「とりなしの祈り」です。将来と希望を受け取るために、互いにとりなして祈ることが重要です。誰かに祈ってもらうということは神様の素晴らしい計画書が与えられるきっかけになるのです。互いに祈りとりなし合うことが重要です。今日ここに書かれている御言葉は単純なことですが、ぜひ、自分の言葉として受けとっていただきたいと思います。「呼び求め、捜し歩き、祈るなら、わたしはあなたに聞いてあげます。」と言われる神に求めて下さい。
 人生の中で一番大切なことは、私たちの神を求め続けることです。人生の最優先順位は神を求めることです。忙しさの中で神様を呼び求めることから離れると、この世の計画にはまってしまいます。神第一に生活するならば、神の計画書が自然と受け取れるように造られています。ですから、神第一の生活をしていきたいと思います。
 教会の目的は、人々が将来と希望を得るためです。そして、クリスチャンはまだイエス様を知らない方々に、将来と希望を紹介するために伝道しなくてはなりません。今晩、ゴスペルサパーがありますが、これはただのお楽しみ会ではありません。イエス様を知らないで将来と希望を見失っている方々に、将来と希望を与えるための集会です。ぜひ、多くの方をお誘いください。また、来年は東京と大阪でスーパーミッションが行われます。なぜ、そんな長い集会を犠牲を払って行わなければならないのですか。これは日本に将来と希望を与えるためです。日本はどこを見ても希望のないような場所ばかりですが、イエス・キリストの中に将来と希望があることを私たちは信じています。
 私は九月の終わりに石川県で「全てが生きる47」の集会で働かせていただきました。そこで二人の方の素晴らしい証を聞きました。一人の方は、数年前に行われた甲子園ミッションで受けた祝福。またもう一人の方は昨年行われた東京リバイバルミッションで受けた祝福です。素晴らしい証でしたので、ぜひそれを文章にまとめて下さいとお願いしました。なぜならば、リバイバルミッションニュースに「炎の証人」というパートがあり、リバイバルミッションの働きを通して受けた祝福を紹介しています。これは十一月号に載りますが、今日は一足先に紹介したいと思います。一つの証は北海道函館市に住んでおられる佐々木繁子さんです。

「私に起きた神の奇跡」
  1993年の夏、私は母を亡くした悲しみの中、涙に暮れる毎日を過ごしていました。母は、神棚や仏壇に長年仕えてきた偶像崇拝者でしたが、石川県で牧師をしている弟の祈りと導きにより奇跡的に救われ、病床洗礼を受けました。3回も心停止を経験しながらも、その度に蘇生し、6ヶ月間の救いの喜びにあふれた日々を送り、天に帰って行ったのでした。
 そのような訳で、弟から「甲子園ミッション」に誘われた時、旅行鞄ひとつも自分で持つことができないほど病弱な私でしたが、「神様にお会いしてみたい」という思いがわき上がってきて、北海道から電車を乗り継いで行くことができました。甲子園ミッションの初日、11月5日のこと、大会衆の賛美の中で「ここにいる神様とはどんな方なんだろう」と思っていると、球場の真ん中にあった白い十字架のステージが起きあがって、「わたしだよ」と言うように迫ってきました。私は、それまでの偶像礼拝などのあらゆる罪が思い出され、涙をもって主の前に悔い改めました。そして何かわからない喜びで満たされ、それまで0.1以下だった視力をはじめ全身が癒され、魂の救いの確信をいただいたのでした。
 その後、教会にも導かれ4年半の訓練を経て、98年9月から家庭集会所を開設、99年4月には単立リバイバルキリスト教会としての召命をいただき立ち上がりました。この8月、初めての受洗者が起こされ、共に函館のリバイバルのため、ご聖霊様の力によって主にお仕えしています。

 甲子園ミッションの時、佐々木さんはクリスチャンではありませんでした。クリスチャンの弟さんがこのお姉さんを誘いました。病気でほとんど動けず、〇.一以下の視力で、看板すらよく見えないような方だったそうです。しかし、あまりにも弟が熱心なので、甲子園ミッションに来られたそうです。大阪駅に立ち、右か左かわからずにキョロキョロしていると後ろから人が来て、「あなたは甲子園ミッションに行くのですか。」と声をかけらたそうです。「はい。そうです。」と言うと、どこかの一団に連れられて球場まで来たそうです。そこに来てもディスプレイの画像も見えず、ボッーとして元気に歌っている人たちを見て、「この神様はどのような神様かなあ」と考えていたそうです。すると何と、十字架が立ち上がったそうです。縦百メートル横五〇メートルもある十字架が立ち上がって、「わたしが神だ。」と言われたのです。その途端、目が良くなったそうです。画面が見えて全身が治って、救われました。今は牧師になられたそうです。函館で伝道されているそうです。これはイエス様の奇蹟です。その方はイエス様に出会わなかったら今頃どうなっていたかわかりません。イエス様は何の情報もないような方に「わたしが神です。」と語り将来と希望の計画を与えて下さったのです。
 次は町田純福音教会の田後まり子さんです。

「救いは主から」  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。伝道者の書3:11
 主人の転勤で広島に住んでいた頃、甲子園ミッションが開催されたことは全く知りませんでした。東京の町田市に戻ってきて、東京リバイバルミッションの決起大会に出席し、初めてリバイバルミッションの働きを知りました。その集会は主の力強いご臨在にあふれ、滝元順師をはじめ讃美チームの方々が熱い讃美をリードし、リバイバルを切実に求める祈りがささげられていました。「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。エペソ2:10」の御言葉からメッセージが語られ、「これは本物だ」と思うと同時に、救われていない家族にどうしても伝道しなければならないという思いでいっぱいになりました。
 そこで、金沢に住む姉夫妻に会いに行き、近くの教会へ導いたところ、30年間立正佼成会の会員だった姉が主を信じて救われました。その後、実家の母が病床で救われ、姉夫婦の三男も、わざわざ話を聞きに訪ねて来ました。そして東京リバイバルミッション本大会には、姉とその三男が2日間、姉の夫が1日間参加し、皆そろって主を信じる決心をしました。
 今年になってからも、7月には私の主人の父が94歳で救われ、この9月26日には姉夫婦の次男がイエス様を信じ受洗しました。
 あの東京ミッション決起大会以来、私の力ではなく不思議な主の助けが与えられ、親族に福音を伝えるための扉が開かれたような思いです。
 主の御名を心から讃美します。

 田後さんは、去年町田で行なわれた決起大会に、人が少ないといけないからということで仕方なく出席したそうです。その時、私は、今日お読みしたエペソ二章十節の御言葉を語りました。それで主に触れられました。特に家族の救いについて話しました。家族が救われないのは、その背後に悪霊が縛っているからで、悪霊を打ち砕いて福音を伝えることを話しました。彼女はそれを聞いて感動し、金沢の実家の悪霊が打ち砕かれるように祈り、伝道に行ったそうです。そうしたら今まで何年経っても救われなかった家族が次々と救われ始め、去年の東京ミッション前後から今年になるまでに家族六名救われたのです。皆、簡単に救われたと言っていました。その方は信仰があり、よく「友達が癌です。祈って下さい。」と来られます。私も祈ってあげました。そして先日、「先生。あの祈っていただいた人たち三名とも癒されました。」と言われていました。神様の力は偉大です。  お姉さん夫妻は破産寸前だったそうです。コンビニエンスストアーをしており、全く売り上げが伸びず、破産寸前だったそうです。しかし、東京ミッションで救われたそうです。そして祈ったそうです。「神様、仕事も助けて下さい。つぶれかかったコンビニを助けてください。」何と不思議なことが起りました。
 その地域で毎年夏に花火大会があるそうですが、いつもやっている場所での花火大会が中止になり、大会がコンビニの前に移ってきたそうです。そしてこの夏、人がごった返し、その地域でトップの売り上げとなり破産どころか、祝福され業界紙に紹介されたそうです。九月の金沢の決起大会に、ご家族の方が挨拶に来て下さいました。ここにも神様の御業が現されました。私たちも期待しましょう。これは特殊なことではなく、将来と希望を与えるものであるという神様の計画を受け取ったときに起こされたことです。心から感謝したいと思います。
 最後に、この御言葉はバビロン捕囚からの解放の預言です。バビロン捕囚は歴史的にあったことですが、これを今の時代に置き換えると、悪霊の束縛からの解放です。なぜ、わざわいから将来と希望に転換するのでしょうか。一般的には将来と希望はありません。なぜなら、霊的にバビロンに捕囚されているからです。目に見えない敵がいるからです。悪霊は人々を縛っており、奴隷にしているのです。だから将来と希望どころか、災いばかりの計画書しか出てこないのです。イエス様は十字架において、『悪魔という死の悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』とヘブル二章にあります。イエス様が十字架にかかって下さったのは、霊的バビロン捕囚、即ち、悪霊に捕らわれていた人々を解放し、神の国に入れるためでした。イエス・キリストを信じてバビロン捕囚から解放されるときに、素晴らしい神の計画書を受け取ることが出来ます。悪魔の力から解放されます。そして神の国に入ることが出来るのです。悪魔は私たちのために二十四時間ひとときも休まず、悪しき計画を練っています。この悪魔から解放されないと大変なことになります。罪から離れなくては大変なことです。罪に留まっていたならば、罪をきっかけに悪魔は人生の中に入ってきます。そして悪魔が人生に入ってくると、あなたのために二十四時間徹底的に悪い計画を立てるのです。だから起こってくることは恐ろしいことばかりです。しかし、イエス様を信じるときに、バビロン捕囚から解放されます。悪魔の束縛から解放されるのです。だから将来と希望が与えられます。イエス様を信じて悪霊の力からの解放は素晴らしいことです。他と比べることが出来ない素晴らしいことです。国家が強大な軍事力を持って悪霊に立ち向かっても勝つことは出来ません。どのような科学を使っても悪霊に勝つことは出来ません。しかし、イエス様を信じるときに、悪霊の力から解放されます。このような素晴らしいことはありません。教会の中で多くの人々が悪霊からの解放を受けています。これは宇宙で一番強力なことが起こっているのです。皆さんがイエス・キリストを信じて、悪霊の力から解放された事は、最も偉大なことが人生に起こっているのです。そして二度と悪魔の束縛に会うことがないようにすべきです。今日もしも、まだ悪霊の束縛の中にある方がいたら、全部解放されますように。そして、将来と希望の計画書を受け取ることが出来るように祈ります。一言お祈りします。

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