今週の礼拝メッセージ
ジョー・ハイト師特別講演記録   1999.10.31(SUN)

<今週のメッセージの御言葉>
旧約聖書 イザヤ書58章11節〜14節
主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである。

 おはようございます。お元気ですか。再び新城教会に来られて感謝します。今回私は一人で来ました。そして皆さんが持っているすべてを分かち合うことを願って来ました。私が新城教会に来る度に回復され、多くのことを学びます。私の教会がこの教会によって助けられていることを覚えます。ここに来ることは光栄です。また、祝福です。私の理解を超えるほどの皆さんのもてなしを心から感謝します。私は主から聞くという必要を覚えてこの教会に来ました。だから今朝ここに立っていますが、メッセージと言われるほどのものをもたらすことはできません。私の心にあることを分かち合い、私の教会に起こっていること、また私が今ここにいることを分かち合います。今日ここで話そうと思っていた三つのメッセージがありました。昨日の夜になってもどれを分かち合うべきか確実ではありませんでした。また、今朝礼拝のために祈った時、主からどれも分かち合わないようにと言われましたので、三つとも全部違っていました。今朝明先生のところでご馳走になりました。その時、実先生に私が今日話すメッセージの聖書箇所を聞かれました。「まだ、わかりません」と答えました。しかし、今皆さんの前に立っています。私と私の教会について皆さんが今までも祈って下さっていますが、更に私の教会について、またヤキマについて知って祈っていただきたいと思います。
 私は三年ほど前まで仲の良い友だちと一緒にタコマの教会を牧会していました。八月に順先生と何名かの兄弟たちがヤキマに来られました。その時、タコマの教会の二十周年記念のお祝いのために出かけました。そこで順先生と私が奉仕しました。タコマは私にとって最適な場所でした。給料もあり、私がやりたいことができ、秘書も手伝ってくれる人もおり、旅行もでき、とても楽しい時でした。しかしある日、ヤキマで苦しんでいる小さな教会を助けるように頼まれました。一時期その教会に二百五十人いましたが、その時は三十人になってしまいました。そして多くの危機がありました。また、多くの人はその教会を嫌いました。多くの人がその教会で傷を受け、問題がありました。私は毎週土曜日に車に乗って出発し三時間ほどかけて山を越えてヤキマに着き、日曜日の朝説教をし、火曜日か水曜日までヤキマの教会を助けていました。この教会を生かし続けるべきかと考えていまいました。水曜日にタコマに戻り、仕事をし家族とともに過ごしました。それが二ヶ月間続きました。ある時主が私に「ヤキマに引っ越しなさい。」と言われました。ヤキマはとても小さな町です。時々、牧師の墓場と言われる町です。主から「ヤキマに移りなさい」と言われた時、私はあまり嬉しくありませんでした。私が一番恐れていたのはそのことを奥さんに言うことでした。タコマという町は、シアトルの近くにあり、あまり美しい町ではありません。海があり、買い物もでき、教会もたくさんあり、住むには素晴らしいです。しかし、ヤキマに引っ越したいと言われる人は少ないです。ヤキマは田舎町です。牧場をしている人しかいません。私の父は農夫で、ヤキマのような小さな町で育ちました。私の夢・希望は、大都会に出て行くことでした。しかし主からヤキマに行くように言われたことは私の夢の終わり時でした。「主よ。あなたの怒りが来るようなことをしたでしょうか。どうして私にこんな罰を与えるのでしょうか。給料もないようなところではないですか。」私が講壇に立って冗談のようにをこう言うと、誰も笑わず、「手をあげて主を賛美しましょう。声を出して祈りましょう」と言っても誰もやりません。私だけ手をあげ祈っていました。しかし、主は「わたしはあなたがいて欲しい場所にあなたがいる事を望む。文句を言うな。」と言われました。私がこの町に奉仕できるようにと神様が私を置かれました。そして私が祝福を得るようにされました。神様は私がヤキマを愛することを決断すべきだと語られました。ある日はヤキマを愛することが難しかったです。しかし、大きな奇跡が起こり、今私はヤキマが好きです。奥さんも私よりヤキマを愛しています。子どもたちもヤキマが好きです。神様はそこで大いなる祝福を与えています。
 私は順先生と、この教会の皆さんから学びました。それは霊的戦いについてです。ヤキマの教会は霊的戦いについてあまり知りません。そしてヤキマには大きな束縛があることを知りました。タコマには多くのクリスチャンがおり、また、とりなし手がいました。タコマで奉仕することは簡単でした。しかし、ヤキマでは私が祈るべきだと分かりました。私が主の名を呼ばなくてはなりません。そしてヤキマで起こされるすべてのことが主によって力づけられなくてはなりません。主は私にヤキマでするべき三つのことを語られました。ヤキマの地理的なこと。タコマとは違いヤキマには丘がたくさんあります。丘の上には木があまりありません。基本的にヤキマは砂漠の谷間にあります。丘の間に町の真ん中に入る三つ谷があります。三つの破れ口です。ある日私がヤキマからタコマに行くときに、「ヤキマの教会が三つの破れ口に行って祈りなさい」と語られました。その時私たちはヤキマでどのように霊的な戦いを進めるべきかわかりませんでした。ヤキマの歴史についてほとんど知らず、また私がどうして祈っているかもわからず、しかし、主は三つの破れ口に行って祈るように言われたのは確かでした。それで祈りました。祈った日以来、ヤキマについての重要なことが三つわかりました。「ヤキマ」とは原住民の名前です。ヤキマという原住民はアメリカ北西部で最も力のある霊媒者の部族でした。霊媒を何百年もの間やっていました。今でも行われています。私たちは彼らが霊媒している場所に行くことはできません。今もその場所で毎月のように町を見下ろして呪っています。ヤキマの原住民は悪魔的なことにおいて力があることがわかりました。
 そして第二に、町そのものがフリーメーソンという秘密組織の人によって創立されていることでした。ヤキマがワシントン州の中でメーソンの力を初めて持った場所でした。ヤキマからシアトルや他のワシントンの町々にフリーメーソンを送り出しました。白人によっても魔術が行われていることがわかりました。そして、宣教師が原住民に宣教するために来た時、宣教師たちも弱いクリスチャンであり、イエス様に対する真実を宣べ伝えませんでした。この三十年間、メキシコからスペイン系の人々がヤキマに移ってきました。ヤキマ郡の半分がスペイン系の人たちです。そのメキシコ人は悪魔的なカトリック教を持ってきました。また、メキシコのマフィアも持って来ました。ヤキマはアメリカ西北部の麻薬売買の中心になっています。多くの霊的束縛がヤキマにあることが分かりました。なぜ私を主がヤキマに送った理由は、私がこの教会を知っており、皆さんが霊的束縛について私に教えることが出来るからです。私は助けが必要です。ヤキマの多くの教会は一致がありません。ヤキマにはたくさんの教会が多くの教会が争っています。多くの場合、教会が弱いのです。私が初めてヤキマに行ったとき何も知りませんでした。そして主から破れ口に立って祈るようにと言われました。一つの破れ口が霊媒が昔から行われていたところでした。そこで敵の要塞に対して祈ったら、敵の要塞が砕かれました。ある破れ口は原住民とアメリカ陸軍との間に戦いがあった場所で、そこでは大きな罪が行われました。そこでは神の正義があるように祈りました。そこでも要塞が砕かれました。またもう一つの破れ口は、「セラ」という名前がある場所です。聖書の中から取り出された名前です。ヤキマに来たイエス様に従っていた宣教師によって名前が付けられました。そこで祈ったとき平安を感じました。祈り終わると、ネヘミヤ書にあるように主が門を建てる働きをして下さっていることを示されました。三つの門は、悪魔が町に入ろうとしている場所であったことがわかりました。私たちクリスチャンが悪魔が入って来る扉を閉めたことになります。そして神様の臨在と聖霊の力がその門を通して入るように祈ることができました。また、今もそこで祈っています。神様は私たちの町にさらに悪魔の影響が弱まるようにと、また私たちの町に祝福を注ぐようにされています。ネヘミヤ書を見ると門を建ててから城壁を建てました。神様はヤキマの周りに城壁を建てるように言われました。ヤキマの城壁を建て直すときには、教会の一致と回復につながりました。私が初めてヤキマの教会に来たときに、三十人さえも互いに争っていました。「お元気ですか。祝福がありますように」と友だちのように見えましたが、ある時、ある人が私の事務所に来て「○○さんに気をつけて下さい。悪い人ですから。」と言われました。二ヶ月ほどが経ったとき、教会の全てが悪い人ではないかと思いました。誰も良い関係にありませんでした。「イエス様。私の教会に幻を下さい。何をすれば良いのですか。」と祈りました。「テント伝道をしなさい。地球を救え・・。」と言われるかと思いましたが、神様は「互いに愛する」ように言われました。だから、祈って説教し、交わり、そして、聖霊様の癒しの働きが始まりました。そして、この城壁が建ち始めました。あまり時間が経たないうちに互いに愛し合い、互いに気を留めることができ、必要を満たし合うことが出来るようになりました。
 また、次の段階は教会間の回復でした。私は今ヤキマに三年半住んでいます。私は今でも新しい牧師です。十年程経たなければヤキマにいる人とは思われず、まだまだ外の人でしょう。だから私から他の牧師に手を差し伸べることができませんでした。しかし、ヤキマにいる百五十人の牧師のうち一人だけが私に手を差し伸べてくれました。牧師の間に一致をもたらし、相互に理解しあうことが難しかったです。祈り始めました。今は火曜日の朝に毎週十二人の牧師が集まって町のために祈るようになりました。これはとても繊細なことですが聖霊様の働きですし、ヤキマの城壁が建っています。まだ穴がありますが、完結されようとされています。
 その次には城壁の上に見張り人を付けるように言われました。城壁が建て直されたときに、見張り人、祈る人を立てます。今は教会が一緒に集まって、町のために祈り、主を賛美するという話があります。毎週火曜日にピックアップトラックに乗り、丘の上に行き町の祝福を祈っています。主がもし私たちが破れ口に立ち、城壁を作り見張り人を立てるとしたら、その町が変革されるでしょう。イザヤ書の御言葉に書かれているとおりです。五十八章十二節に、もし私たちがこれらの事をしたならば、

『「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。そしてあなたは古代の礎を築き直す。』

と書かれています。神様は古代からヤキマがどうあるべきかという約束を持っておられます。リバイバルの霊が時間の始めから起こされると語られました。古代の礎はヤキマに留まらず、他の町も変えるのです。私がヤキマにある霊について感じるものは新城で感じるのと同じです。ヤキマは農業が盛んです。果物を育てて他のところに出荷しています。神様はヤキマの教会で実を結び、それが輸出されると語られました。同じ事がここで起こっています。皆さんも神様の実を輸出しているのです。それが新城に引かれる一つの理由です。十二節にまた、

『「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。』

と書かれています。破れた壁を直す人は、壊された関係を建て直す人のことです。伝道者は神様の子どもだちと神様の間を回復するものです。多くの場合牧師は教会の間の互いの関係を回復させるために働きます。神様との関係が回復され、互いの間が回復されるときに、神の教会が建てられます。神様はある町に自分の住まいがあるようにとその町に教会を願われます。皆さんが新城において神様の住みかです。そして皆さんが触れている全ての場所において、皆さんの一致がどれだけ大切か、それは神様の喜びが皆さんの中にあるからです。この町が回復されたときに喜びが町の中に与えられ、神様が地上の住むべき場所に住まわれるのです。神様が私たちに、「もしこのように歩くなら、私たちの町が回復される」と約束されています。
 私たちは今勝利への葛藤をしています。様々なことについて勝利を得られるようにと皆さんから学んでします。神様は私たちが全てにおいて聖霊に頼ることを教えています。ただ礼拝があるから教会というのではありません。神様は「ヤキマの教会についての概念を変える」と言われました。今ヤキマは土曜日の夜七時半頃です。私の教会は今礼拝をしています。私がここで説教していると同時に、タコマの先生がヤキマで説教しています。
 ある時、私がシアトルからヤキマに行くときに、「破れ口で祈りなさい」と言われた同じ場所で再び語られました。「あなたの教会にある宗教的な霊を打ち壊す事を願う」と言われました。これは従順であるかという試験です。教会にとっても試験です。私たちが「集まっているのはただ集会をするためか。それともわたしを求めるためですか。そこで宗教的会議をしたいのか。それともわたしを愛して来ているのか。」これは重要なことです。私はとても緊張し始めました。心配しました。主が今から一年間、日曜の朝の礼拝を中止するように言われました。私は何日の礼拝を中止するのかを聞きました。主が「あなたはわかっていない。一切日曜日の朝の礼拝をやめるように。わたしが日曜日にと言うまでは土曜日夜礼拝するように。」と言われました。皆さんはどうか知りりませんが、私は今までずっと日曜日の朝に教会に通っています。「もし、本当に聖霊が力強くヤキマで働かれるのでしたら、あなたが私にのすべてに信頼しているかをみたいです。」私はヤキマの教会に戻り、長老たちに言うと怒られました。「あなたは神様の声を聞いていない。」と言われ、一年間私は黙って祈りました。そしてある日その長老が主によって取り除かれました。そして主から「もう時間が来た。一年間が経った」と言われました。そして今ヤキマでは土曜日の夜に礼拝をし、聖霊が土曜日の夜に働かれています。そして一つの大きな奇跡が起こりました。三年間で初めて私たちの教会についてヤキマの他の教会が良いことを言い始めました。過去の否定的だった歴史を神様が消し去られました。そして私たちの教会が誰から見ても聖霊によって油注がれていると言われました。そして私たちがヤキマのために他の教会と一致できるところに主が置かれました。私たちは自分の教会のため以外にもヤキマの町に奉仕したいと願います。
 最後に、土曜日に礼拝することは、私たちが町のために仕えることの扉でした。去年の春、私たちが町の周りを歩きながら祈ることを教えられました。私たちの心が準備され、町に祝福と霊的戦いの土台を祈りました。もし、私たちがへりくだって祈るなら、私たちの町の土台が揺すぶられ、神様が祝福を与えれる。何カ月もの祈りと断食の後で私たちは、二十六マイルを歩きました。順先生を始めとする何名かのこの教会の兄弟たちもいました。そしてタコマからの友だちも来ました。ヤキマが神様のものであると宣言していくうちに大きな神様の聖霊の破れを感じました。奇跡的なことが起こっています。順先生が私たちのために祈られました。順先生がヤキマを去ってから、解放の祈りで忙しいです。多くの人が自由にされています。神様が動かれています。しかし、次にどこに行くのかわかりません。それで私が今週ここにいます。皆さんにここにいることにより負担をかけていることをお詫びします。しかし、神様の声を聞けるように新城教会が私の逃げ場となっています。私が回復される場所になっています。私に刺さっている矢や剣が取り除かれる時です。また、霊的な武具が備えられ、磨かれるときです。ここにトレーがあり、皆さんに何も差し出すことができません。私は今朝それを皆に見せるだけです。私の町で神様が起こされていることについてただ伝えるだけです。そして、へりくだって皆さんも祈りによってヤキマへの宣教師になることをお願いします。ここにいることができ、感謝します。ここで説教できることは光栄です。もてなしを感謝します。

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