今週の礼拝メッセージ
神の国拡大のために働こう   1999.11.7(SUN)

新城教会牧師 滝元 順

<今週のメッセージの御言葉>
新約聖書 ルカの福音書9章1節〜2節
イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。

 ハレルヤ!早いもので十一月になり、来月はクリスマスになります。先日越年聖会を行い、一九九九年になったかと思ったら、あっという間に九十九年も終わり、まもなく二千年を迎えます。来年は紀元二千年という記念すべき年です。この時に私たちが生かされていることを感謝するべきです。二千年は人類の歴史中、たった一度ですので、その中で生きていることは神様のご計画であると信じます。私はいつも十二月三十一日に牧師たちが語る御言葉に注目しています。なぜなら、その中に次の年の御心が現されているからです。
 今年、一九九九年に向けて、主が何を語って下さったか覚えておられますか。私はそのことを思い返しながら、主が教会にそれらの御言葉を成就して下さっている事を感謝しています。越年聖会はぜひ、今から予定に入れてご参加下さい。一年を左右する重大な御言葉が語られると私は信じています。
 この教会には、四人の牧師が仕えていますが、それぞれに特徴があります。互いに欠けたところを満たし、全員で一人だと思います。病院でも内科や外科、精神科など色々な分野があるように、神様がそれぞれに役割を与えていると思います。
 上條師が語った御言葉はルカによる福音書のシメオンについて語りました。二章二十七節に

『「彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。』

というところから、彼が御霊に感じ、「今宮に入らなくてはならない」と示しを受けて宮に入りました。その時、幼いイエス様が両親に抱き抱えられて宮に入ってきました。あの時、シメオンが御霊に感じなければ、イエス様に会うことはできませんでした。そのように、「一年間御霊に感じて生きましょう」というメッセージでした。今までの十カ月余の生活で、御霊に感じて生きて来ましたか。あと二ヶ月弱ありますので、御霊に感じて生きていきたいと思います。
 岡本信弘先生はテモテ人への手紙第二の四章七節に、

『私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』

今年、先生は死んでしまうのではないかと心配させるメッセージでしたが、今も元気に生きていますので感謝です。語られた中心は、「走るべき道が一人一人に備わっている」ということでした。ここにおられる一人一人に、それぞれ走るべき道があります。秋は運動会シーズンですが、第一コース、第二コース、第三コースとコースを外さずに走ります。リレーの場合は走者ごとに役割が割り当てられています。同様に、一人一人にも役割があるという事です。ここにおられる一人一人に神様は走るべき道のりを備えて下さっています。今年備えられている道のりを走り終えましょう。
 また、明牧師はヨシュア記の十四章から、カレブというヨシュアと並ぶ主の勇士が、神様から一つの相続地を頂きました。十四節に、

『それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである。』

と書かれています。カレブが主に従い通したように、「私たちも主に従い通しましょう」というメッセージでした。
 そして私は、ヤコブの手紙四章七節から

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』

という御言葉でした。
 全体の中に流れていた中心的なメッセージは、「神に従う」というテーマでした。私たちが神に従い、悪魔と立ち向かう。そうすれば、悪魔は逃げ去るのです。
 先日クリスチャン新聞にショッキングな記事がありました。かなり反響を呼んだそうです。それは「不健全な教会の要素」という記事でした。中川健一先生が書かれました。その中で、教会がカルト化する危険的要素として、「リーダーに従え、というメッセージが中心となる」とありました。大体、世の中でカルトと言われる宗教は、リーダーに忠誠を誓う事を要求します。下手すると教会も牧師が権力を持って、「おれに従って来い。おれの言うことがイエス様の言うことだ」となったら危険信号です。ぜひ、皆さん私たちがそうならないように祈って下さい。また、そのようになったら危険信号ですので、忠告してください。教会は人に従う場所はなく、神に従うところです。そして、一人一人に役割があります。神様がそれぞれに割り当てた役割があります。それをつかんで神に従っていくとき、素晴らしい主の業が現されます。
 「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔は逃げ去ります。」という御言葉を私は今年頂き、目標として働かせていただきました。今、そのことが拡大しているように思います。今日読んだ御言葉、ルカ九章一節二節は、イエス様が行われたミニストリーについての記述です。イエス様は自分が受けた権威を自分だけのものとしませんでした。「わたしが持っている権威だから、おまえたちには絶対に渡さないぞ」とは言われませんでした。イエス様が十二人の弟子たちを呼び寄せ、「すべての悪霊を追い出し、病気を癒すための力と権威とをお授けに」なったのです。「それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために彼らを遣わされた。」と書かれています。
 弟子たちはイエス様から授けられた権威を持って悪霊を追い出し、病を癒し、神の国を宣べ伝えるために彼らを遣わされたと書かれています。神に従い、神からの権威を頂き、悪霊を追い出し、病を癒すというのが働きの中心であったのです。
 ルカ十章を見ると七十人の弟子たちのことが書かれています。十章の十七節に、

さて、七十人が喜んで帰ってきて、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」』

と書かれています。イエス様には十二人の弟子達という、特に近い弟子達がいました。また、その外側に、七十人の弟子達がおりました。たぶん、その外郭にも大勢の弟子たちが従っていたことでしょう。しかし、側近の弟子たちにも、少し距離を置いた弟子たちも同じ権威が譲渡されていました。普通、人間の世界だと、「あなたは一番弟子だからこれだけのことを教えます。二番弟子だったら少し減らし、また三番だったらまた減らし・・・四番五番だと、もう関係がない」という世界です。しかし、イエス様はそのようにされませんでした。すべて同じように権威を授けられたのです。今日、私たちが神に従うときに、同じ権威を与えてくださいます。その権威はイエス様から教会に授けられ、教会を通して地域に現されていくのです。そして、「従う」とは、闇雲に従うという意味ではありません。ヤコブ四章七節に、

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。』

という「従う」とは、「軍事用語」で「配備につく」という意味です。作戦に応じて、役割として与えられた場所に赴き、配備につくという意味が「神に従う」ことです。私たちが神の作戦に則って配備につく時、神の権威が譲渡され、悪魔が逃げ去り、神の国が拡大していくのです。
 来月はクリスマスですが、クリスマスは神の国拡大、即ち、宣教という意味で重要な時期です。もう一度この御言葉を心に留め、神に従い、各自が配備につき働きましょう。悪魔は、「あなたには場所がない」と言いますが、絶対にそんなことはありません。神は一人一人に場所を備えておられます。そこに赴き、敵に立ち向かうときに、神が栄光を現して下さいます。今まで悪魔が出て行くときは、「覚えておけ。また戻ってくるから。」と言うようなところがあったかも知れませんが、「逃げ去る」とは、「もう、そこにいたくはない」と逃げ去ってしまうのです。
 この一年間を振り返ってみると、皆さんが神様のポジションに徐々につき、配備されているのを実感します。特に、配備されるべき領域は、「祈りの領域」です。祈りの領域においてしっかりとした位置を持つことです。主は私たちを様々の場所に住まわせて、色々なテーマを祈らせたいと願っておられます。あなたにしか祈れない領域があります。この「祈りの領域」を受け持ち配備につく事がポイントだと思います。そしてこの一年を通して、特に、「とりなしの祈り」の領域において配備を進めてくださっています。
 毎月一回、主婦の方々が集まり町のために祈る、「とりなしの祈り」が始まりました。今までスタッフの手によってとりなしの祈りが行われてきましたが、それにプラスして、姉妹方が教会に来て、ある時には外に出て町の祝福のために祈るようになりました。また、教会には色々な地域から集まっていますが、地域ごとに集まり町のために祈るようになりました。それから教会の中に変化が起こってきました。クリスマスに向けて、更にしっかりと配備につくべきです。その時に、神は更なる恵みを与えて下さるとヤコブ書四章六節で約束しています。この更なる恵みとはヤコブ五章に

『あなたがたのうちに病人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは病む人を回復させます。」』

とあるように、「いやし」につながります。全体が配備についてサタンと戦い、病人のために祈るときに奇蹟が起こってくるのです。
 イエス様は弟子達を「すべての悪霊を追い出し、病気を直すために遣わされた」のです。その時、神の国が力強く拡大していきました。教会の中に、奇跡がどんどん起こるように祈っていただきたいと思います。どこに持って行っても解決しない問題が、教会で解決したらどうでしょうか。イエス様が神様であることがはっきりわかります。そのために、私たちは真剣に祈るべきです。
 最近、日本の教会の中で、色々な奇跡が起こっています。リバイバル新聞を見ると、色々な奇蹟が起こっている記事を見ます。ある集会でこんな奇跡が起こりました。私は奇跡を体験した方に直接お会いし、見せていただきました。それはある牧師が海外から来て、「神様。虫歯が癒されますように。」と祈ったそうです。すると、途端に歯茎がガタガタと揺れ始め、歯が熱くなり、何が起こったのかと歯を見てみると、虫歯が治療され全部金が入り、後ろが欠けている歯も全部瞬間的に直ったのです。金が全部詰まっていました。その方はうそを言うような方ではありません。「見て見て先生。私、金歯が五本入った」と見せてくれました。大きな金の固まりが穴の中にびっしりと詰まっていました。相当歯科代が助かっただろうと思いましたが、神様はそのようなこともされます。私もそんな奇蹟に与りたいと思いました。神様だから何でもできます。瞬間的に起こったことです。同じ事が同じ時に、十人以上に起きました。祈りによって神は歯も癒して下さいます。直して欲しいと言われる方が大勢いると思いますが、欲しかったら祈って下さい。
 しかし、それも素晴らしい奇蹟ですが、金歯が入るのは祈らなくても入ります。歯医者に行っても入ります。私も今、歯医者に通っていますが、それは歯医者でもできることです。だから、私たちはこの領域だけの奇跡で喜んではいけません。ということは、私たちが本当に求めなくてはいけないのは、世の中ではどうすることもできない問題が、この教会の中で解決される事です。そのために配備につくべきです。
 日本において昨年、自殺者が三万人以上ありました。彼らはどこにも問題解決の糸口をつかむことができませんでした。だから自ら死を選びました。三万人というのはすごい数です。新城の人口が三万六千人ですから、新城が消えてしまったような計算になります。現在日本には多くの問題があります。神様からの権威を頂き、世の中で解決できない問題が教会の中で解決されるために、「主よ。私が満たさなくてはならない領域に私を置いて下さい。そのための祈りを与えて下さい。配備につかせて下さい。あなたに従い通すことができますように。」と祈りましょう。
 また、「教会を通してサタンに立ち向かうことができますように。悪霊が追い出され、病が癒される奇蹟を教会の中に起こしてください。」とクリスマスに向けて祈っていきたいと思います。
 この一年間、ある意味で配備されてきたことを証明するかのように神様が、私たちの教会の中に、色々な奇蹟を行って下さっています。今日は近頃、主が行って下さった祝福を紹介したいと思います。私は教会に問題を持ってきたら全てが解決するとは言っていません。これは一つの証拠として、始めてくださった事柄として捕らえて下さい。ある方は、依然として問題が解決せずに苦しんおられると思います。しかし、これは神が働かれるという証拠と結果です。主の前にさらに配備が整う時に、主が働いて下さるという証拠です。
 今朝、二人の方に証をお願いしましたので、その方々に話していただきたいと思います。それが地域に拡大していくことを願っていきたいと思います。
 先日、この教会に属するおばあちゃん達が、非常な危険に出遭いました。近くの菅谷床屋さんの前で交通事故に遭いました。二人とも死ぬ直前でした。早天祈祷会が終わって立ち話をしていたら、目の前で二台の車が衝突し、二人のおばあちゃんめがけて車がぶつかってきたのです。一人は石垣に足を挟まれ、腕の骨にひびが入りました。もう一人は、衝突した二台の車の間に入ったそうです。それでも無傷で助かったのです。天使が助けたと思います。朝、救急車の音が近かったので私も、「主よ。誰か知りませんが、助けてください。」と祈りました。まさか教会の関係者だとは思いませんでした。菅谷姉と服部姉でした。服部姉妹彼は足を石垣の間に挟まれ、車のバンパーが離れるとき、「ビシビシ」と音がしたそうです。

服部姉:「すぐそこの四つ角で車同志がぶつかり、それが私の所に来て足が挟まれました。車を除けたとき私の足が「バリバリ」と言ったので息切れしそうでした。しかし、その時に「主よ。感謝します。」と祈っていました。それからすぐに救急車で病院に行って処置をしました。足は打撲でしたが、ついた方の手の骨にひびが入っていました。医者から入院を勧められましたが、平安でしたし、家のことも気になっていたので、自宅で療養することにしました。医者から「二日目くらいから痛みや頭痛、吐き気が来るかも知れない」と言われましたが、家に帰って床についた途端、順先生ご夫妻が家に来られ祈って下さいました。その時は足がジクジク痛んでいましたが、祈られた直後にさっとその痛みがなくなりました。そして二日目になっても痛みも頭痛も吐き気もなく、一週間後に手の骨を見た時には、ひびも消えており、先生が「こんなこともある?」と言われ、これは祈って頂いたからだと思いました。

 イエス様は素晴らしいです。これは奇蹟です。ひびが入っていたのが一週間後になくなっていたのです。年をとっていると直るのが遅いのですが、イエス様は癒して下さいました。これは皆さんが配備についた結果だと信じます。イエス様をほめたたえます。菅谷姉は、「私はもう一歩どちらに行っても助からなかった」と言っていましたが、神様の助けがなかったら二人の葬式があったかも知れないと思うほどです。イエス様に感謝します。
 また、三週間ほど前に、一人の姉妹が「今日、病院に行ったら、大きな病院で見てもらうようにと言われたから、ちょっと行ってくるので祈って下さい。」と言われました。そして彼女は病院に行き、次の日に電話がかかってきました。中山幸子姉です。

中山姉:病院に行って血液検査をしましたら、「再生不良性貧血」と言われ状態が悪いと言われましたが、教会で祈っていただき一週間後に病院に行くと完全に癒されていました。

 簡単に証しされましたが、「再生不良性貧血」と聞いて、単純に貧血だと思っていましたが、看護婦さんに聞くと、「それは大変だ。それは白血病と同じような病気だ。」というのです。白血球と血小板が減っていく病です。この方は知らなかったのですが、四、五年前から発病していたらしいのですが、最近、手を切ってもなかなか直らず、打ち身をしてもなかなか直らなかったそうです。おかしいと思ったそうです。そして全く食欲がなくなり、フラフラしていたそうです。一度病名が付くと絶対にとれないという病気ということです。しかし、皆で真剣に祈りました。病院に行くと、「あなたは?先週来られた方と同じ方ですか?本人ですか。」と聞かれたそうです。なぜならば、血液検査の結果が、全く、正常だったからです。「あなたは今週何をされましたか。」と聞かれました。「点滴をしたのと、教会で祈ってもらったことだけです。」と言ったそうです。「祈ってもらった?ちょっと待て。もう一度検査をする。」と言って二回検査したそうです。そうしたら、「もうあなたは大丈夫です。病院に来なくても大丈夫です。」と言われたそうです。再生不良性貧血は白血病と似ており、骨髄移植をしないと直らないような病気で死んでしまうかもしれない恐ろしい病気ですが癒されました。感謝です。イエス様をほめたたえます。このようなことは普通、なかなか手の施しようのないことです。しかし、この教会で神が奇跡をして下さったとことは、今年一年間、皆さんが主の前に従い、配備につき、サタンと戦った勝利の結果だと思います。これは誰かの手柄ではありません。私は祈らせていただきますが、これは一つの役割で、癒しは全員が配備についた結果です。
 特に、中山姉が癒された経緯をお話したいと思います。「悪霊を追い出し、病を癒す」と学びましたが、本当に悪霊が人に策略を持ち込み、その人を苦しめ、最終的に悪魔の力は死の力なので、人を死にまで至らせる策略を持ち込むということを、今回教えていただきました。その中で、偶像礼拝というのは本当に恐ろしい要素です。彼女の出身地は青森県です。弘前というところに一つの宗教的な場所があります。それは「恐山」という山です。そこにはイタコと呼ばれる死者の霊を呼ぶ霊能者がいます。彼女はそのような環境に昔は生きていました。しかし、イエス様に救われました。家族は依然としてその中にあります。おばさんは今でも占い関係のことをしているそうです。親族の中に二人そういう関係者がいると言われました。彼女の家系の中には死に対する恐れが深く根付いていることが、祈っている中でわかりました。そして、恐れの背後に働く悪霊と戦わなくてはならないと思いました。
 ある時期彼女は、ある宗教団体に属したそうです。そしてそこから出ようとすると、リーダーから、「あんた。この団体から出たら病気になるよ。」と言われ、怖くなったそうです。しばらくして、症状が出てきたようです。そして極めつけは、今年の始めに占い師のおばさんから電話がかかって、「あなた。今年の秋に命に関わるような重大な事件が起こるよ。だから、キリスト教なんかやっていないで早く先祖を拝め」と言われたそうです。私もそのことを聞いて、「そんなこと気にするな」と言いましたが、この秋、本当に重大な病気が発見されたのです。病気は医学的な要因もありますが、同時に霊的な要素も存在します。だから、主が教会に与えて下さった権威によって戦いました。「イエス様。あなたが勝利者です。恐山の背後の悪霊に勝つことができることを感謝します。」と祈りました。私は恐山に行ったことはありませんが、インターネットで恐山について検索して調べ、寺や山の写真を見ながら、「今ここに働いている悪霊の力を打ち砕きます。」と祈りました。また、宗教団体によってかけられた言葉による呪いを解く祈りをしました。そこには一貫して、「言葉による呪い」というテーマがありました。私たちの神様は言葉の中に働かれますが、「神の言葉をねじ曲げる悪魔の力を打ち砕きます。」と祈りました。
 その時に大きな解放がありました。手応えを感じました。何かを主がして下さったと感じました。全くというほど食べられませんでしたが、食欲が出て、背骨が痛かったのも痛みがなくなったそうです。それで、私たちは期待していましたが、イエス様は全て癒して下さいました。悪魔と戦う祈りをしなかったら、今頃大変なことになっていたかも知れません。悪魔は見えない世界で私たちと関わり、最終的には人のいのちにまで手を出してくるのです。今世界中で、また日本中で、どの位多くの人々が悪霊の束縛によって病にかかり、いのちを奪われようとしているかを、新たに知らせられた思いです。
 霊的戦いが始まり数年経ちますが、これは重要なことです。霊的戦いを行わずに癒しを祈ってもなかなか難しいのです。特に、偶像礼拝という背景があるときには難しいのです。しかし、悪魔と戦って勝利するときに、病が癒される領域が拡大されます。十二月に向けて、もう一度引き締めて、「主よ。しっかりと配備についてサタンと戦うことができますように。」と祈りましょう。神の国がさらに拡大し、教会に来るならば、普通では解決しない問題が解決するということが、世間一般に知れ渡る奇蹟が拡大しますように。苦しんでいる方々、悲しんでいる方々が救われて、永遠のいのちを受けることができるように祈っていきたいと思います。今日は聖餐式もありますが、もう一度、十字架の血潮の偉大さを感謝したいと思います。悪魔の力が砕かれたのは、イエス様の十字架です。イエス様の十字架の力がなくては、決して、悪魔の力に勝つことは出来ません。もう一度、イエス様に心から感謝の祈りをささげたいと思います。一言祈ります。

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