本当に富んだ者

新城教会牧師 岡本信弘
 私は、プロ野球を見るのが趣味ですが、今は、試合がないのでスポーツ新聞を見ても年棒の話題ばかりです。先日、アメリカ大リーグの年棒ベスト10が載っていました。驚いたことに高額者は、年間20億円以上の所得があるそうです。そんなにもらって何に使うのだろうと思いますが、あなたなら何に使いますか? もちろんお金があるにこしたことはありません。お金があれば、流行のファッションで身を包み、おいしい物を食べることもできるし、大きな家を建てることもできるでしょう。逆に、いつ強盗に襲われるか心配したり、火事になって灰になってしまったらどうしようと心配します。確かにお金には魅力を感じますが、使えばなくなりますし、どんなにお金があっても死ぬ時には何も持って行くことはできません。
 聖書の中に1つのたとえがあります。

 ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。」 そして言った。「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。
                     (ルカによる福音書12章16〜21節)


 今、「心の教育」に目が向けられつつあります。心のよりどころをお金に置くのではなく、お金に換えることのできない尊いものがあるのだということに多くの人は気がついています。
 財産というものは、お金だけではありません。私は決して金持ちではありませんが、イエス・キリストを信じた時、お金では買うことのできない天国行きの切符を手に入れ、そればかりでなく、心に溢れるばかりの平安と喜びという富を得たのです。皆さんも、このイエス・キリストに出会われ、神の前に富む者となられることを願っています。

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