思うように行かない中で

新城教会牧師 上條 実

 先日アメリカでおきたテロ事件は全く突然の出来事でした。突然何千人かの尊い命が失われました。また子供のいじめの問題、夫の事故、自分の健康問題等々、私たちの人生に様々な思いがけない出来事がふりかかります。不安と生活の疲れとに自分を見失いそうです。なぜでしょうか?どんなに地位があっても、信仰深くあっても、人生が自分の思うようにいかないのは、逃げられない現実です。その中で私たちが持つ大きな問は、「なぜこの私が」ではないでしょうか。聖書にも苦しみの中にいる人の前で、弟子達がイエス様に
「先生この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですかそれともその両親ですか」(ヨハネ9・2)
と聞きました。未来を知ることのほとんど許されていない私たちは、結局苦難の原因を過去に求めてしまいます。そして多くの場合、何の解決にもならない様々な因果律をあてはめ、「なぜ」に答えようとするのです。現在直面する困難に加え、更に未来への希望を失うと、目が過去に向かってしまいやすい私たちです。ところがイエスキリストは
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親でもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(ヨハネ9・3)
と言っています。ある本の中に「私の人生は、悲しみと苦しみ、そして混乱とに満ち、何の目的も美しさもないペルシャじゅうたんの裏のようなものでした。しかし、人生の終りにそれをひっくり返してみると、神様の見事な絵が私の人生に描かれていました。」とありました。今あなたに必要なのは、前に進む事でも過去に心を向ける事でもなく、静まって上に、即ち神ご自身に目をむけることです。「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ8・23)。今は見えなくても、必ず主の描いて下さっている絵を見る事を覚えてください。

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